第八分科会
「わたし自身と差別問題」
自由な対話が成り立つ人々との交流の場を求めて
会場 京都会館第一会議室
2002年3月31日は、部落問題や運動、そしてその周辺にいた人たちにとって、大きな意味があると思います。その日から約三年の月日が経ちますが、五年十年、いや三十年五十年先に部落史という研究があるとすれば、その日の意味が大きなものとなっているのではないでしょうか。そんな大そうな事はないよ、社会の流れの中で部落問題の一区切りに過ぎないと言われるかもしれません。私たちは「いい意味でも悪い意味でも」部落問題や差別問題にかかわってきました。悪い意味はどういう事だと、お叱りの言葉を受けるかもしれません。象徴的な事例として、食肉問題は最たるものです。その日以前に出なかったことがあれやこれやと新聞紙上や週刊誌を賑やかせています。やっぱり悪いことは悪いという精神が鈍感になってきたかも知れません。でも、悪いことを政治的に利用し、差別問題の本題から離れているようなキャンペーンを張るのは好きではありません。そのことより、2002年3月31日は、何を意味するかを議論することが大事だと思います。法律がなくなれば潮を退くように部落問題の周辺にいた人たちは去っていった。そして何より部落問題を話すことがなくなってきた。元々、タブー視されてきたことだから話さなくてもいいんだ。だとしたら、村 薫著の「レディージョーカー」は何故多くの人に読まれて映画にもなるのでしょうか。話したくないけど興味はあるのでしょう。自分にとって「いい意味でも悪い意味でも」というのが、部落問題であり差別問題ではないでしょうか。
参加者が自分の言葉で思いを語り、そして、相手の話を聞く。「わたし自身」をキーポイントにして分科会を進めます。堂々巡りの集約しない分科会と言われていますが、多くの声を聞ける場にしたい。みなさまの参加をお待ちしております。
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