トップ | 全体会講演 | 1分科会 | 2分科会 | 3分科会 | 4分科会 |
第56回人権交流京都市研究集会
はじめに
1945年8月、ポツダム宣言受諾をもって、第2次世界大戦における日本の戦争は終結しました。戦後80年ということで、歴史としての「戦後」を振り返る機会も多くあります。しかし、忘れてはならないのは、日本における戦後も世界での戦争終結を意味するものではないということです。列挙するだけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争があり、また各地域での内戦や紛争は数えられないほどです。なによりも、ロシア・ウクライナの戦争は進行中であり、イスラエルによるパレスチナをはじめとする中東アラブ諸国への攻撃は、計り知れない被害をもたらしています。それゆえ私たちは、そのように「戦争」を繰り返すシステムを、単に過去の教訓として見つめ直すだけではなく、現在の諸課題として浮き彫りにしていく必要があるでしょう。
例えば、パレスチナ問題の背景を探ってみるに、そもそもはヨーロッパ・キリスト教社会におけるユダヤ教徒(人)への排斥があったとはいえ、歴史的には19世紀後半から激しくなる植民地政策によって、イギリス、フランスがその地を虎視眈々と狙っている状況がありました。一方、1880年代から、ロシア帝国領内ではユダヤ人虐殺(ポグロム)の嵐が吹き荒れ、東ヨーロッパのユダヤ人を中心に、1897年スイスのバーセルで開かれた第1回シオニズム会議において、ユダヤ人国家設立が決定され、その支持を各国に要請していました。さらにユダヤ人の青年運動としてパレスチナに相次いて入植地がつくられ、意図的にロシア、東欧のユダヤ人が送り込まれました。そのような中、イギリスは後に三枚舌外交と呼ばれる外交を展開します。1916年にはイギリスとフランスによって中東地域分割協定が結ばれました(サイクス・ピコ協定)。それによるとイギリスは、現在のイラク南部、ヨルダンに当たる部分とパレスチナを、フランスは現在のレバノン、シリア、イラク北部などに当たる部分を支配することになっていたのです。1917年にはユダヤ人の第一次世界大戦での協力を取り付けるため、イギリスが後ろ盾になることを約束(バルフォア宣言)。パレスチナ地方を支配するため、イギリスはユダヤ人たちのパレスチナ入植を支援し現地のパレスチナ人と対立させることを考えたのです。また一方では1915年から16年にかけては、メッカの首長、ハーシム家のフセインは、イギリス高等弁務官ヘンリー・マクマホンにアラビア半島からトルコ南部までの地域をアラブ国家として独立させるための協力を求めました。イギリスはアラブ人を反トルコの戦いに参加させる必要から、アラブ人の独立を承認するという書簡を送ったのです(フサイン=マクマホン書簡)。この三つの相矛盾する宣言や協定により、アラブ系パレスチナ住民の苦難の歴史が始まったのだといえます。
第一次世界大戦が終結した1919年より、パレスチナの地はイギリスの委任統治下におかれユダヤ人の入植が進められ、ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策の影響もあって第二次世界大戦中に急増します。第2次世界大戦後、パレスチナでの民族対立が激化する中、イギリスはその責任を放棄し、国際連合にその解決を委ねます。そして、国連でパレスチナ分割決議が採択され、1948年にはイスラエルの建国を一方的に宣言したのです。
ユダヤ人虐殺を実行した敗戦国であるドイツはその反省もあり、イスラエル建国の支持を崩すことはなく、現在行われているパレスチナに対するイスラエルの壊滅的攻撃に対しても異議を唱えることをしません。他のヨーロッパ諸国も概ね冷淡な態度の中、アメリカの絶大な軍事的支援が止むことはなく、現地のガザでは2025年の年始にも多くの民間人が殺され、乳児が餓死しているというニュースが伝わってきました。ガザでの死者数は4万7千人を越え、瓦礫の下には1万人を超える人々が数えられています。
イスラエルのパレスチナ占領政策には、かつてアメリカが「新世界」を求め「入植」した経過が念頭にあると言われています。すなわち、その地に先住民などは存在せず、自由に土地を摂取することに何のためらいもないという「幻想」により、その地に暮らしていた人々を虐殺しつくし、抵抗する住民を野蛮な「アパッチ」として「退治」する勇敢な「保安官」をヒーローとするイメージは、残酷な侵略行為を美化するストーリーとして現在も生きているということであり、そうした「強い白人男性イメージ」は、トランプ大統領に引き継がれているのかもしれません。カナダにおける入植や、明治政府による北海道でのアイヌに対して行った入植政策も同様に見本とされているのです。
米トランプ大統領の就任式は1月20日におこなわれました。関税や貿易をめぐる戦後の秩序をめぐり自国第一主義を掲げ、なりふり構わない有利なディールによって人心を引き付ける強国の姿が世界をどのように変質させていくのか。不法移民の大規模強制送還が決定され、マイノリティや女性に対する政策も転換されようとしています。
一方で、他の地域でも、グローバル経済がもたらす格差社会で貧困と不安にあえぐ人々は、現行の与党政権に批判票を投じることで、ヨーロッパ主要国でも不安定化が進み、批判票の受け皿としてポピュリズムを標榜する政党が勢力を伸ばしていくという傾向が続いています。
日本においては逆説的です。ここ十数年にわたる安倍政権により、歴史修正主義と排外主義は先行して進行、ポピュリズム的手法が功を奏しました。しかし「モリ・カケ・桜」での虚偽答弁はもとより、近畿財務局職員の命をかけた批判文書も、局長級職員の答弁で乗り切ってみせた安倍政権。この事実は、真実や公平という価値観を堅持することへの諦め、むしろ嘲笑さえ蔓延しました。旧統一協会が招いた家庭崩壊を背景にもつ男性の襲撃事件により、元首相が命を落とすという結末で終わったものの、続く、菅、岸田政権は基本的に安倍路線を継続しつつ、その後処理に追われました。そうした中、浮上した政権の「裏金問題」がようやく、人々の疑惑や怒りに火をつけ、昨年の衆議院選挙では自民党議席は191議席となり、公明党議席24を合わせても215議席の獲得に留まることで、30年ぶりに少数与党となりました。ここへきて、与党への批判はむしろその「反省」を強いられるという状況を生み、野党の政策にも耳を傾けるという低姿勢は、これまでの岸田政権のように「丁寧な議論」などと言いながら、ただ聞き置きおいて閣議決定をそのまま議案として通していくという態度からは、一歩進んだようにも見えます。
しかし、野党といえども、もともと自民党であった議員が多い現状です。キャスティングボードを有利に進めようとする過程で、さらなる反人権的傾向を深めていく危険性も拭えない訳ではありません。例えば「尊厳死」の法制化を進めようとする国民民主党の方針をめぐって、今年1月には様々な立場の障害者団体から、危惧や恐怖が表明されると同時に公開質問状が出されています。社会保障料を下げ、賃金の上昇を促すためには、「自己決定」に名を借りた命の切り捨てもやむなしとする国民民主党の態度には、当事者の訴えの通り、不安を抱かざるを得ません。何よりも心に刻まなければならない事実は、「優生思想」にもとづいた命の切り捨てがあったこと。旧優生保護法のもとで「不良な子孫」を残さないことを目的として、障害をもった人々の不妊手術や中絶の強制等、法律の名の下に行われてきた「優生手術」を、何十年も放置された人権侵害です。被害者による裁判提訴によってやっと国が謝罪し賠償するに至ったことは、つい昨年の出来事です。補償法が1月17日に施行されましたが、未だ名乗り出ることのできない多くの被害者が存在するなど、現在進行形の課題としてあるのです。
一方で、昨年の東京都知事選や、兵庫県知事選挙が示した「民意」は、これまでの選挙の在り方を根本から覆しかねない結果を招き、多くの識者や既成のマスコミに驚きと不安を与えました。SNSの影響によって「世論」が劇的に変わっていく様をありありと見せつけられ、従来の民意形成や選挙闘争の在り方のみならず、選挙によって表現される「民主主義」の在り方をも問い直すきっかけになっています。インターネットは、誰に対しても平等に開かれていることにより、知識や情報に関して多くの恩恵をもたらすものと、当初は期待される側面もありました。しかし、検索サイトの機能でクリック履歴が解析され、自分好みの情報が集まる現象や、同じ考えを持つ人の集まりで情報が偏って共有されるという現象もあらわれ、また、ニセ情報のばらまきや分断を煽る言論が少数者の人権を傷つけ、選挙での得票に結びつくなど、民意形成にどこまで悪意が介在しているのかを見極めることは難しい現状です。多面的に物事を見て判断し、違いを認め合いつつ議論するという民主主義に欠かせない態度を、教育現場だけではなく、幅広いコミュニティで形成していくことが求められます。
今年は、阪神淡路大震災から30年という節目の年でもあり、災害への備えの必要性も様々に語られています。昨年1月1日に発生した能登半島地震の復興もままならない現実の中で、「南海トラフ」地震の発生確率は残念ながら高い確率で予想されています。
100年おきとされる地震サイクルにおいて、インフラ整備された現在の状況はかつてとは全く違い、日常の利便性ゆえにそれが崩壊したときのダメージと、再生のための労力は計り知れません。必ずや来る「災害」に備えるということは、その一瞬を待ち受け備えるだけではなく、日々の生活や社会の有り様を見直す視点も必要です。過疎化高齢化に苦しむ地方の課題は災害後の「復興」を困難にするという現実や、東京一極集中などの問題を、災害を念頭に置き、これらの課題解決のために持続的な取り組みが大切であり、これまでに起こった地震・災害から学ぶべき教訓です。石破新政権も「地方創生2.0」をかかげ「新しい地方経済・生活環境創生本部」を立ち上げるなど、政権発足当初からの方針として地方の重視を掲げていますが、掛け声だけではない具体的な政策となるよう注視していく必要があるでしょう。
私たちを取り巻く情勢と課題
(1)国内情勢と日本の人権状況
昨年12月、京都市のみやこめっせで「水俣・京都展」が約2週間にわたり開催され、部落解放同盟京都府連も特別協賛に加わり協力しました。化学製品等を生産する過程で生じた「水銀」の垂れ流しが意味するものは、戦後日本における資本主義の進展がどのような犠牲を強いてきたのか。また、そこで生じた犠牲者に対する視線は、いかに人権の観点を欠いたものであったかということを示しています。海に流された水銀が、海洋生物に与える影響と、汚染された魚や貝を食する人間や動物がどのような症状をきたすかということについて、早い段階で株式会社チッソは気付いていたはずです。また、そうした化学産業を後押していた政府も把握していた事項でありながら、新潟で第二水俣病が発生するまで、何らの対策も講じなかったのです。病に侵されながら、命をかけた住民たちの闘争が繰り広げられ、裁判闘争もなされながら、会社はそうした闘いの弾圧、分断をはかり続けました。70年近い長い年月を経た現在でも、水俣病の問題は解決したとは言えません。目先の利益と発展を追い求めてきた結果として、失ったものは何だったのか、さらに検証していく必要があります。さらに公害がもたらす住民の命の軽視は、自然環境の軽視でもあり、産業化がもたらす地球温暖化に代表される現在の環境破壊のはしりとも言えます。
「戦後」の人権状況は、「日本国憲法」を国是とし、民主主義国家と標榜しつつも、上記のごとく一足飛びに改善されたとは言えません。「旧帝国憲法」と「現日本国憲法」の一番の違いはまさにその条項に「人権」が書き込まれており、全体で103の条項のうち34の条項について、つまり三分の一にわたって記されていることです。しかしながら、旧帝国憲法をできるだけ損なわないようにと画策してきたこれまでの政権与党の傾向があり、書き込まれた「人権」については「絵に描いた餅」にするべく腐心してきた勢力があります。その保守派の人々の目論む「憲法改正」が「個人の尊重」や「人権」を否定する文言を書き入れることであるならば、それに対しては断固として批判していかなければなりませんが、最も恐るべきことは、今の日本社会において、「人権救済法」や「人権委員会」さえ存在しないままに、「憲法改正」がなされることです。
憲法の人権条項を空洞化させる大きな要因として、明治刑法の影響がそのまま引き継がれていることがあげられます。逮捕後の拘留が72時間におよび、引き続く拘留が延長を含め20日にも渡るという先進諸国ではあり得ない長期の身体拘束が常態化していて、検察の望む「自白」が得られるまで拘束される「人質司法」と呼ばれる取り調べ手法は、国際人権(自由権)規約委員会審査でも廃止すべきと2008年10月に勧告されています。また、無実を訴えるにも検察が持つ証拠が容易に開示されないこと、再審請求の規定があいまいであること、死刑制度が存置され続けていること等々、様々な面で改正されることなく現在に至っています。
「袴田事件」では48年もの長きにわたり拘留され、仮釈放されてからさらに10年間、静岡地検による即時抗告によって無実の判定が引き延ばされ続けた袴田巌さんに対し、昨年9月やっと再審無罪の判決が下されました。死刑が確定してから独房に拘留され続けた袴田さんの精神は、現実と夢を行き来する状態となり、社会で営むべき人生を奪われたのです。袴田巌さんに対しては、その後、最高検察庁長官、静岡県警本部長からの謝罪が一応はあったものの、その後、最高検による検証結果報告書では、あらためて「捏造」を否定し、あたかも「行き過ぎた取り調べ」により誤ったにすぎないと、裁判における判決そのものを否定する内容となっています。そこには、検察に瑕疵(誤り)などあるはずはないという、権力のおごりがあり、他の冤罪事件にこの判決が及ばないようにと布石を打ったようにも見えます。
「袴田再審無罪」は「次は狭山だ」の合言葉を生んでいるように、狭山事件の冤罪も晴らされなければなりません。石川一雄さんが無実を訴えて今年で62年となります。24歳で逮捕された石川さんは今年1月86歳になりました。袴田事件には「ボクサー」への偏見が背景にあったとすれば、狭山事件は「被差別部落」に対する差別を背景とする冤罪事件です。そして狭山事件に関しても、弁護団は科学的な証拠で検察や警察の捏造を指摘しています。過酷な取り調べによってなされた「自白」を録音した取り調べテープの分析はもとより、証拠とされた万年筆インクが被害者の書いた文字のインクとは別物であると示した科学的鑑定がありますが、鑑定人尋問など事実調べもないままで、再審の扉が開かずにいます。しかしそうした中でも石川さんは、今年こそ闘いの集大成であると希望を語っています。
権力においても「間違い」はあるのだということ。これを市民の目線で認めさせていくことが重要です。むしろ「間違い」を認め、より良い制度、より良い社会をつくっていくことこそが、市民社会の責任なのだという規範を共有していきたいと思います。
(2)部落差別をなくすために
1975年、採用に際して就職希望者が部落出身かどうかを調べるため、企業が密かに部落地名総鑑を所有していたことがわかりました。今年はそこから50年の年月を数え、これまで就職差別撤廃の取り組みが粘り強くおこなわれてきました。企業によってさまざまだった応募用紙には、かつて戸籍や親の職業など、就職差別につながる情報の記入欄がありました。同和地区出身を理由に不採用になるなど、個人の能力や資質と関係のない項目で判断される事件もありました。公正採用選考をおこなうため、1973年に統一応募用紙が策定されました。個人情報の収集に関して適正におこなうよう求めている「職業安定法5条の5」について、厚生労働省は「社会的差別の原因となるおそれのある個人情報などの収集は原則として認められない」と説明しています。
このように差別をなくすための努力はあるものの、戸籍の不正取得事件は今も多発しています。結婚や就職で相手の身元を調べる行為は排除につながるため、許される行為ではありません。部落差別解消推進法に基づく調査で約3割が「結婚や就職で部落出身かどうか、気になる」と答えています。部落民は、今もなお排除される不安を抱え生活しているのです。現在、ネット上では部落の地名を暴露する行為が横行しています。裏を返せば、部落がどこにあるのか知りたい人がいるということです。2016年、法務省は「識別情報の摘示」とし、目的を問わず部落の地名を削除対象とする旨の通知を出していますが、削除を求めても容易には消えず、簡単に調べられる状況が続いています。まるでネットは、誰もがいつでも見ることのできる「部落地名総鑑」そのものです。
しかしこの状況が今、大きく変わろうとしています。昨年12月、最高裁は「全国部落調査」復刻版出版事件(「復刻版」出版事件)の上告棄却を決定しました。この裁判は、神奈川県の出版社・示現舎が戦前に部落を調査した資料をもとにした「全国部落調査」復刻版の出版を企てたため、原告247人と部落解放同盟が出版の差し止めを求めたものです。原告は「差別されない権利」を認めるよう訴えていました。2023年6月の東京高裁判決では「人は誰しも、不当な差別を受けることなく、人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送ることができる人格的な利益を有する」と指摘、部落差別はこの人格的利益を侵害し、部落の地名を正当な理由なく公表する行為である「識別情報の摘示」もこれに該当する旨を示しました。これは画期的な判決と言えます。
東京高裁判決は、@部落差別が今も解決に至っていないこと、A部落差別が当事者に与える被害の甚大さ、Bネット上での部落差別が偏見を増強し、識別情報の摘示も増加している現状を説明しています。その上で、部落の地名が広く知られることとなる識別情報の摘示があれば、実際の被害がなくとも不安を抱き、部落民が平穏な日常生活を送れなくなり、これを我慢するべきとも言えないため、差別されない人格的利益を侵害するものだ、と論じました。
また昨年5月、ネット事業者が削除指針を策定することや侵害情報調査専門員を配置することなどを定めた情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)が成立しました。総務省は2024年11月、情プラ法の「省令及びガイドラインに関する考え方」を公表しました。この法律の第26条に関わるガイドライン案も提示され、「私生活の平穏」の中で「社会通念上受忍すべき限度を超えた精神的苦痛が生じた場合には、私生活の平穏などの人格的利益の侵害が成立する」と説明しています。この解説で、「復刻版」出版事件の東京高裁判決が大きく取り上げられ、識別情報の摘示についても記述がありました。
東京高裁判決や情プラ法は、これまでネットでの部落差別の被害にあった当事者や、これを削除するために関係機関へ働きかけた自治体や民間団体などが声をあげつづけてきた成果と言えます。総務省からの説明によると、プラットフォーム事業者の責任者に対して、同和地区の「識別情報の摘示」については削除対象とするよう指導することが明言されました。事業者が部落差別や「識別情報の摘示」等を削除基準にいれるかどうか、注視しなければなりません。多くの自治体は、住民と容易に結びつく「部落を特定する差別投稿」の削除ができず、悩んできました。何が識別情報か、地元にしかわからない場合もあります。地元の自治体とプラットフォーム事業者の対話を可能とするなど、対策を講じるべきです。施行後からは、実効性ある運用かどうかを注視しながら、各関係機関への継続した働きかけをおこなうことが必要です。
部落差別以外にも差別投稿の被害はあります。京都国際高校が甲子園で優勝した際、SNSでの差別投稿があり、京都府が直接、プラットフォーム事業者に削除を求めた事件がありました。京都府の西脇隆俊知事は、差別投稿は許されないとコメント。これはニュースでも採り上げられましたが、ニュースサイトのコメント欄では、西脇知事の記事にも差別書き込みが多発する事態でした。京都市内で起きた知的障害者への虐待事件があり、そのニュースへの書き込みでも差別投稿がありました。加害者を擁護するような直接的な障害者差別の投稿もある一方、「虐待した加害者を知的障害と疑う」などと多数の書き込みもありました。投稿したものは差別するつもりなく書き込んだと思われますが、知的障害への理解も配慮もなく、当事者らを傷つける行為です。特に知的障害者は声をあげることが難しい状況です。当事者を無視した投稿で、無自覚な差別そのものです。このように、属性に対する差別へどう対処するのか、ひきつづきネット上の人権侵害の状況について、関心を高める必要性があります。
京都府では、京都府立大学に委託して差別投稿のモニタリングを実施しています。府内自治体と連携しながら、差別投稿かどうかの検証をおこない、必要があれば京都地方法務局への削除要請依頼を実施しています。解放同盟京都市協では、定期的に差別事件について京都市に情報公開を求めていますが、そのなかに京都府のモニタリングで発見された事件で、京都市内の部落の識別情報の投稿がありました。掲載されたのはアメーバブログの記事でした。そこで直接、アメーバブログに削除を要求したところ翌日に削除されるということもありました。このような関係機関の連携から迅速に行動するなど、ネット差別対策を考えるべきです。
差別行為をおこなう加害者に着目すると、相手を自分より立場の低いものとして攻撃し、自身の立場を守るために差別行為をおこなう構造が浮かび上がります。他者を大切にできないことは、自分を大切に考えることができないことにつながります。他者への排除は、自分を社会から切り離すことにもなります。このようなことから、差別者は孤独者でもあります。差別は、単に個人の問題ではなく、構造的な社会の問題ととらえ直すべきです。従来の支え手・受け手の関係を超えて地域住民が関係性を築き、「地域共生社会」を実現させることが、差別の問題解決にも大きな役割を果たします。加害者は、立場を変えれば被害者かもしれません。あらゆる主体が自身を大切に考え、周囲から大切にされる存在として参加できる地域を築くことこそ、差別のない社会の近道です。粘り強く社会構造を変える取り組みを継続しましょう。
(3)被差別部落のまちづくり
今年は「同和対策審議会答申」から60年という節目の年にも当たります。2002年特別施策の期限切れを経て、京都市行政において2008年、行政用語から「同和」が消え、「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」結成から圧倒的スピードで「同和問題(部落差別)」への対策を打ち切って行きました。そこでは「特別法」の理念に則り実施された高校や大学の奨学金についても、「返す必要がないから」と進められて進学した子どもたちに、「やはり返すように」と返還を迫るということも行われました。20年にわたる返済期間もようやく終了の目処が経とうとしています。
また、被差別部落の各地区の隣保館がコミュニティセンターとなりました。そこで行われていた「隣保事業」は、施策としては部落問題に特化されるものではなく、一般施策として国からの補助金もおりていたものです。その事業と補助金については、現在も市内を除く京都府の各地域はもちろん、全国的にも継続されています。しかしその当時の京都市は、コミュニティセンターからの職員引き上げを前提としながら、委員から「行政の行政依存」なる発言を引き出して、国からの補助金を自ら断り、隣保事業を打ち切りました。拙速な打ち切りの批判に対し、当局は「識字の関係で不自由があれば、区役所に行ったら良い。『いつでもコール』という方法もある」と回答していましたが、施策を再構築する必要性があります。福祉領域における「アウトリーチ」の重要性が広く認知されるようになっている現在、自己申告を原則とする各種申請書類の書き込みも含め、当事者の状況に寄り添い支援する姿勢、つまりかつて隣保館で行われていた対応が、困りごとのある住民一般に開かれていることが重要です。京都市は重層的支援体制整備事業を実施しています。先に出てきた「アウトリーチ」型の支援や「参加型」の支援など、住民に寄り添った施策の充実が、実効性の伴うものである必要があります。
そこで、コミュニティセンターから転用された各地区の「いきいき市民活動センター」(以下、いきセン)のあり方についても、今一度再考すべき時期に来ています。現在「いきセン」は指定管理制度を利用した民間委託で運営され、その施設運営に対しては、定期的に「評価委員会」が開かれて点数化されます。委託をされたNPOなどの民間事業者は、それぞれに努力しつつ、地域の歴史性に配慮しつつ、広域住民へのサービスにも力を入れながら、貸館事業を中心に運営しています。しかし、当時からの京都市の方針として、「現在ある施設を取り壊すということまでは忍びない」というだけのスタンスから「使用可能な限りは使用するが、修繕や建替は行わない」というもので、自然消滅を待つかのような状態です。地域によっては老朽化がいよいよ激しくなり、改良住宅の建替を契機として、いきセンそのものの廃止もいくつか予定されています。市民活動の支援、という「転用」の折の理念と、地域住民の困りごとに対応できるコミュニティ形成など、せっかく京都市がこれまで行ってきた取り組みについて、無に帰することなく捉え直していくことも大事です。
その改良住宅の建替は、錦林、養正、壬生・壬生東、三条・岡崎市営住宅の4地区6団地について、いよいよ養正、壬生東、三条について今年5月を目途として竣工し、夏からは住民の入居が始まり、2029年には完了予定です。錦林についても1年遅れで来年5月には竣工予定です。今後住民の入居を視野に、さらに各地域のまちづくりも含め、行政との話し合いが必要となります。これを機にまちづくりの中心課題として、いきセンのあり方も含め、ハード面のみならず福祉と人権のまちづくりを視点としたソフト面での協議を継続して行く必要があるでしょう。
2.
人権確立に向けたこれからの運動展開
(1)「家」ごとの登録簿=戸籍がつくった差別
人権侵害に対する救済機関としての「人権委員会」の設置を含む「包括的な差別禁止法」が制定されるためには、個別課題として取り組まれてきた人権問題を包括的にとらえて取り組む、運動側の努力も大切だと思われます。女性や子ども、外国人、障害者、性的マイノリティ、アイヌや沖縄など、それぞれの課題に対する互いの理解や認識が不可欠であり、個別の課題と捉えられつつ、共通項を見出していく努力も必要です。個別の課題に取り組む運動がまとまっていく機会を失っているという現状が、2016年、政府により「部落差別解消推進法」「ヘイトスピーチ解消法」「障害者差別解消法」など、「人権侵害救済法」ではなく、各々、個別法として制定されるという状況を許してしまった側面もあるでしょう。
まずは、戦前の植民地住民の国籍についてみてみましょう。明治維新を経た日本の植民地統治は、1895年の台湾獲得を機に開始され、1905年に南樺太、1910年に韓国併合がなされ、開始直後の国籍に関しては当事者間の条約において基本的には個人の自由意思を尊重されていました。日本の国籍法が施行されたのは1899年であり、同年に台湾にも適用され、樺太では1923年に施行されました。朝鮮に対しては、1922年に朝鮮戸籍令が公布されています。
しかし、そもそも戸籍とはどういったものなのでしょうか。日本では戸籍は当然にあるべき制度として把握されていますが、個人の出生、死亡、婚姻、養子縁組などの身分関係を「家」ごとに登録する制度は、世界では現在日本だけに残された登録方法です。欧米では教会登録簿から発展した個人単位の身分登録であり、中国の戸籍は一種の居住登録です。
1871年に制定された「壬申戸籍」は日本に居住する者を「臣民」として登録するものでした。そして1898年に制定された戸籍法では「戸籍吏の管轄地内に本籍を定めたる者につき作成す」「日本国籍を有せざる者は本籍を定ることを得ず」と、戸籍に登載される者は日本国籍を有するものに限られるとし、戸籍は「家」を媒介として、血統に基づいて天皇の「万世一系」が賞揚される「国体」のイデオロギーと結びついていきます。しかし、帝国の領土において統一的な戸籍法が制定されたわけではありません。朝鮮に関しては「朝鮮戸籍令」、樺太に関しては「土人戸口規制」、台湾においても戸口規制に基づく戸口調査簿が編成されました。「家」(本籍)が内地・朝鮮・台湾のどこにあるかということによって、内地人/外地人の区別が発生し、また、各地域の間で本籍そのものを移動することは禁止されることで、異民族の識別と分断がはかられたのです。1917年には「共通法」が生まれ、家の出入りによる人(民族)移動は可能となりましたが、家(本籍)としての民族籍は不動とされました。それは、血統よりも家が民族の画定において優位に立ち、個人が家に従属するという原理です。例えば、生まれ育ったのが両親ともに日本人であり日本人として暮らしていた人も、婚姻などにより朝鮮戸籍に登録された人は、「朝鮮籍」となりました。日本は太平洋戦争において、アジア諸民族が包摂されるという「大東亜共栄圏」を掲げましたが、戸籍による差別は維持し続けたのです。参政権や兵役に関しても、戸籍法の内地戸籍が実質的要件となっていましたが、太平洋戦争末期には、条項を削除し、朝鮮人(1943年)・台湾人(1944年)に兵役義務を賦課しています。
(2)戦後処理によって作られた「外国人」
さて、1945年、ポツダム宣言受諾により日本は降伏し、大日本帝国は解体され、朝鮮・台湾・樺太などが独立します。GHQは日本政府に戸籍を個人単位の登録制度に改めるよう要求しますが、司法省はあくまでも家族登録であることに固執し、戸籍法は改正法として1947年公布されました。一方朝鮮戸籍・台湾戸籍は講和条約成立まで効力があるとの見解から、引き続き有効とされ、日本国籍を保持するものとします。それゆえ、内地−朝鮮−台湾における戸籍の変動も従前どおりとされました。一方で、旧植民地出身者の参政権は1945年12月に停止、1946年後半、朝鮮人の計画引揚が終了しますが、55万人以上の朝鮮人が日本に残留しました。
1951年9月8日、日本はサンフランシスコ平和条約に調印、1952年4月26日に発効します。平和条約では「日本国は朝鮮の独立を承認し、朝鮮及台湾に関するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定していましたが、分離する領土に帰属する人々(朝鮮人・台湾人)の国籍に関する規定はありませんでした。そして、条約発効の1週間前に出された法務府(現法務省)民事局長の通達がなされ、発効時点で朝鮮籍は「朝鮮人」、台湾籍は「台湾人」、一方「内地籍」に入籍していた者は「日本人」とされ、「内地籍」以外の人たちは日本国籍を喪失されたのです。戸籍主義に即した国籍処理であり、本通達が日本政府の正式見解となりました。
そして平和条約発効日に「外国人登録法(1952年法律第125号)」および出入国管理法(1952年法律第126号)が公布施行されました。国籍法が血統主義(1985年まで父系のみ)を原則とする以上、日本に生まれ育ち、二世三世と日本に生活の根をおろしても「外国人」として扱われることとなりました。退去強制の対象となり、新たに指紋登録も導入。外国人登録の適用を受け、住民登録も対象外とされました(2012年7月に住民基本台帳法が適用)。戦後補償問題、就職差別、外国人学校問題など、これらの問題は平和条約発効時に旧植民地出身者を収奪や抑圧・差別の対象でありながらも、名目上は保護の対象であった法的地位を奪うという人権に反する政策であり、現在も続いていると言わざるを得ません。
大日本帝国では、植民地人を対外的には「日本国籍」として画一的に管理する一方で、対内的には戸籍によって生来の「日本人」と差別する政策がなされ、その差別的視線がそのままに、戦後の「外国人」へ適用されてきたのだといえます。日本の戦後処理は歴史的反省に立った人道的配慮を欠落させていたものであり、そのことが、現在も国内の外国人処遇の課題に引きつがれています。昨年、第55回の私たちの集会で朴実(パク・シル)さんがお話くださった悔しさや悲しさの背景には、一枚の通達によって選択の自由もなく剝奪された国籍問題があったのです。もちろんその「日本国籍」も強制されたものであったのですが。
(3)奪われてはならない人権
一人の人間が生まれ、成長していくにあたって公的に登録されるその方法が、家族単位であることを通じて、一人の個人ではなく所属によって規定するという観念が日本には根強く残っているのだということ。そうしたことが、日本国憲法の理念とも相反する観念であるということは自覚されるべきです。明治維新以降、植え付けられた慣習を無自覚に踏襲しつつ、一方で「欧米先進国」の普遍的価値観を理念として受け入れることは、二重規範(ダブルスタンダード)によって、思考が常に引き裂かれてしまう痛みを、個人が引き受けることにもなります。
そうした憲法の理念に反する観念が、「選択的夫婦別姓」に関する議論における「家族の一体性が破壊される」などという反対意見にも通じながら、1996年に法制審議会が答申して以来30年近く実現を見ない現状を持続させています。「家」を軸とした「血統意識」さらには「父系血統主義」が残存することで、女性の地位は「男女同権」とされつつも、家の中の序列では差別を免れず、その位置づけが社会にも反映し続けることで、女性が伸びやかに自由に活躍することを阻害し続けてきたと言えます。
そうして、戸籍に記載される「本籍」は、実のところ内地と外地を分けるという本来の役割を終了した時点で、身分関係の証明に関して何らの意味もないものとなっています。実際、本籍地は日本国内であれば居住の事実がなくてもどこにでも変更(転籍)することは可能なのです。にもかかわらず、その徴(しるし)をあえて標識とするということは、たとえ転籍をしても、戸籍制度には以前の本籍地をたどることができる追跡機能があり、最初に記した本籍地によって被差別部落かどうか、あるいは沖縄の出身者なのか、北海道ではアイヌかどうかを識別したいためだけに残しているのではないかと考えられます。
現在国民登録のデジタル化は政府一丸となって推進すべき政策となっていて、マイナンバーは日本に居住する全ての一人一人に振り当てられています。そうした個人登録の一元化を目論んでいる以上、個人登録として一本化することは可能なはずです。そのような個人への管理強化については議論の余地があるとは思いますが、少なくとも、住民票、戸籍、マイナンバー等いくつもの管理手段が重複してある必要はなく、煩雑な登録体制となっていることは事実です。
また戸籍に記載される「続柄」についても、戦後の民法では一つの婚姻につき生まれた子どもについて「長男」「次男」などの記載が義務付けられていることから、離婚、再婚、などにより一つの家庭に二人の長男が生じることがあったり、トランスジェンダーの戸籍での性別変更から長女が二人というようなこともあり得ます。子の序列や性別についても見直していく必要があるでしょう。ちなみに住民票に関しては1996年、事実婚カップルによって闘われた裁判をきっかけとして世帯主との続柄は全て「子」に統一されていますが、何らの不都合もない現実があります。
戦時中の戸籍政策が人々に与えた意識(常識)は、戦後も人々の意識(常識)を規定してきました。戸籍への登録が国籍獲得の根拠であるかのような錯覚があり、極端な場合は戸籍が人権をもたらす源泉であるかのような誤解のもと、様々な事情で戸籍に記載されないまま生活している人(無戸籍)を、無権利状態におかれた不幸な人であるとイメージされることもあるようです。しかし現在、国籍は国籍法に基づいて決定されるのであり、父または母が日本人である子は、戸籍への搭載にかかわらず日本国籍を取得します。社会保障や、教育権も当然にあり、戸籍がないまま住民票を取得して生活しているケースも多々あるのです。戸籍への搭載がスムーズにいかない理由の多くは、「父が誰であるかの決定」つまり、「氏の決定」について、母である女性からの申し立てが採用されることなく、法律の規定により事実ではない父を父としなければならないことに起因するケースが多数です(事実である父を記載して届けても、婚姻関係にないことを理由に受理されないケースもあります)。
2022年12月、民法(親子法)の改正があり、女性の再婚期間が延長されたことによって「救済」の範囲が多少延びたこと、また、事実上の父と婚姻が成立していれば「現夫を父とする」ことに改められ、一部の人の「無戸籍状況」は改善されることになりましたが、DVなどで逃げている場合や、離婚そのものが成立していない場合などには適用されず、法改正によっても解決されるケースは3分の1ほどにすぎないと試算されています。また法改正によって母や子が「嫡出否認」することも可能とはなりましたが、父が誰であるかを最も知る立場の母が、出生届の段階で事実を申し立てる術がないことには変わりなく、父権を重視した戸籍制度の影響から免れない中途半端な改正と言わざるを得ません。また、この民法(親子法)改正では子どもに対する親の懲罰権をなくすなどの、ある側面で女性や子どもの人権が改善するいくつかの法案が含まれましたが、一括法に紛れる形で、ある重大な人権侵害に通じる法律も成立してしまいました。国籍法3条に3項の追加がなされたのです。
国籍法3条「認知された子の国籍の取得」では、日本国民である父または母が認知によって(外国籍の)子が日本国籍を取得するという条項ですが、追加された3項に「前二項の規定は、認知について反対の事実があるときは、適用しない。」と付け加えられたものです。例えば、日本人男性と外国籍女性との間に生まれた子どもを、父である日本人男性が「認知」することで、子どもが当然のこととして獲得していた「日本国籍」を、後になって任意に父が「反対の事実がある」と言えば、認知を取り消し、子の国籍を剥奪することが可能となる法律なのです。これでは「国籍剥奪」という生殺与奪にも通じる権限を父である日本人男性に一方的に与えたに等しいことになってしまうでしょう。仮に、成人を超え大人になり、日本人として会社勤務などをし、家族形成もして、30歳、40歳になってもその権限が行使される危険性がありつつ生きていくということはどれほどの人権をおびやかされた生活でしょうか。これは、国籍に関する国連の規定にも全く反します。人権の根幹としてある国籍について、世界人権宣言15条には次のようにあります。「1.すべて人は、国籍をもつ権利を有する。
2.何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」また16条には次の記載があります。「
1.成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する 2.婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。3.家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。」
日本で難民申請した人に対する、そもそも設定された高いハードルや、「帰化申請」に伴い日本国籍を取得しようとする人々への差別意識などがこの法制定にも投影されています。法律には「父または母」と記載されているものの、実態は日本人男性に決定権を与えることによって、国籍取得の壁を高くすると同時に、婚外子への差別や、認知のあり方について、これまで女性たちが訴え、勝ち取ってきた成果に対する意趣返しとも言える法制定となっています。「一括採決」にまぎれて、マスコミや世論でもほとんど議論にさえならずに、こうした人権を根本から侵害する法律が制定されるということを許すことはできません。
以上、見てきたように戦後80年と言いつつ、戦後の価値観として獲得されるべきであった日本国憲法の理念が、私たちの日常や生活に密接に関係する民法や刑法において十分に反映し、書き換えられることなく残存しているケースが多々あるということです。また一方で、今年は1925年(昭和元年)から100年の節目と捉える見方もあります。戦前としての20年間は戦争準備の期間でもありました。日本の戦争責任についても同時に検証する様々な視点が示されています。日本学術会議・会員選考に対する政府の介入が、こうした検証の妨げにならないように、言論と学問の自由が奪われる危険性について注視する必要があります。
私たちは、今、この時代が「新たな戦前」になることのないように、しっかりと行く末を見つめなければなりません。過去の反省とは、過去を知るためだけではなく、未来に向けて生きるため、未来に向けて様々な人たちと関係を結ぶために必要な作業です。それは子どもたちが不毛な争いや破壊の犠牲にならないためでもあるのです。
3.教育をめぐる状況
(1)はじめに
昨年は、数多くの災害があり、自然の猛威には人間は太刀打ちできないことを肌で感じました。
2024年1月1日16時10分、震源を石川県能登地方とする、マグニチュード7.6、最大震度7の大地震がありました。石川県、富山県、新潟県、福井県では大きな被害がありました。この地震で死者は500名を超え(関連し含む)、行方不明者2名、負傷者1300名以上、12万を超える家屋が大きな被害を受けました。
地震から8カ月半が経って、道路の復旧や倒壊家屋の公費解体、ライフラインの復旧がようやく進んできた矢先の9月21日、折からの前線や低気圧が接近した影響で線状降水帯が発生し、地震で大きな被害があった奥能登地域が、豪雨という再びの災害に見舞われました。奥能登地域を中心に河川の氾濫、土砂災害が多発し、16名の方が亡くなられました。
この他にも、様々な場所で大きな地震があり、8月には気象庁が「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表しました。様々な場所で大雨による浸水や土砂災害もありました。台風による被害も大きく、死者もでました。異常気象も続き、6月から8月の平均気温は、1898年の統計開始以降、昨年と並んで最も高く、全国153の気象台等のうち半数以上の80地点で、平均気温が夏として歴代1位の高温となりました。
災害が起こると被災地にはなかなか新しい情報が入らず、被災者の方の不安が大きくなり、被災地が陸の孤島となることが過去には多くありました。現代においては、ネット社会のおかげですぐに手元に最新情報を手に入れることができます。ただ、情報の正確さは疑問で、能登半島地震の際には、インターネット上に偽・誤情報がたくさん出回りました。
・二次元コードを添付して寄附金・募金等を求める投稿
・公的機関による支援や施設利用に関する不確かな情報
・被災住宅について、不要なはずの住宅改修工事を勧める投稿
・不審者・不審車両への注意を促す不確実な投稿
・過去の別場面に酷似した画像を添付して被害状況を報告する投稿
・存在しない住所が記載されるなど、不確かな救助を呼びかける投稿
発信者や拡散者の不安や恐怖心から、良かれと思って不確かな情報を拡散してしまう心理状態が、偽・誤情報を広げる原因のようです。また、悪意をもって寄付金や募金を集めようとしたり、偽情報を流し、混乱させようとしたりする許しがたい行為も実際に起こっています。
こういった偽・誤情報は今回だけのことではなく、これまでの大きな災害でも起こってきました。102年前の関東大震災の時にも、「朝鮮人3000人が襲って来る」「朝鮮人が井戸の水に毒を入れた」といった根拠のない情報も流れ、それを信じた民衆や軍、警察によって朝鮮半島出身者が殺害されました。報告書では、殺された人は6、000人以上に及ぶとされています。この事実を基に一昨年公開された『福田村事件』という映画を観た方もいらっしゃるかもしれません。この『福田村事件』も関東大震災の時に起こった事件で、香川県の被差別部落への厳しい差別が関係しています。また、こういった偽・誤情報は同和問題にもつながってきます。100年以上前の出来事ですが、今なお残る人権問題と複雑にからんでいます。
自然災害が起きた時には、様々な人が協力し、乗り越えていかなければなりませんが、一部の人たちによる人権を無視したこういった行為が行われていることに、腹立ちを覚えます。
(2)京都市小学校同和教育研究会
災害と人権
小学校をはじめ、公立学校は大災害が起こった時に避難所になることが多いです。テレビのニュースなどでは、体育館や教室で大人や子どもが過ごす姿がよく報道されます。インタビューの様子を見ていると、避難者の困りや復興への願い、避難所生活の苦労などを話されています。そのような報道を見て、何か自分にできることはないかと、ボランティアに参加したり、義援金を送ったりする経験をおもちの方もおられるのではないでしょうか。そんな中で、なかなか報道されない、実際に起こっている避難所での人権問題について、目を向けていきたいと思います。
災害発生時は、だれもが緊迫した状態にあり、強い不安やストレスに襲われます。子どもにとっては、さらに大きな不安やストレスとなります。また、死傷者が出た場合や自宅が倒壊等した方にとっては、深い悲しみの中で、避難所での生活を余儀なくされていると思われます。誰もが困っている状況下で、我慢を強いられる生活を送り、被災者の人権は大きく侵害されています。
特に高齢者、障害者、病人、けが人、乳幼児や子ども、女性、妊婦、外国人などへの援助や配慮が欠け、時には心ない言動につながることが、たびたびありました。具体的に見てみると、
*和式トイレ。設置場所が暗い、段差がある等の問題により、高齢者、障害者、女性、子ども等にとって使用しにくいものだった。
*避難所での生活や運営にあたっては、女性だからということで、避難所の炊き出しの仕事を割り振られ、食事の用意や片づけなどに追われ、その合間に、子どもの面倒や両親の介護などという固定的性別役割分担の実態があった。
*生理用品や女性用の下着が届いても、男性が配布しているため、女性がもらいに行きづらい状況だった。
*女性用の物干し場がないので下着が干せない状況だった。
*授乳や着替えをするための場所がなく、女性が布団の中で周りの目を気にしながら着替える状況だった。またその様子をじっと見てくる男性がいた。
*10代未満から60代以上と広範囲の女性や子どもたちが、さまざまな場所で、DVや性暴力の被害を受けていた。
*乳児の夜泣きで「赤ちゃんの夜泣きがうるさくて眠れない」、子どものけんかや遊びで「子どもがうるさい。外へ行ってほしい」と他人から怒鳴られた。
*聴覚障害者に食事の配布のお知らせなどの情報が伝わらなかった。
*視覚障害者の避難所の居住スペースが、真ん中付近に割り当てられ、一人での移動が困難になった。
*知的障害や自閉症の方が、集団生活の中で大声を出したり動き回ったりすることがあったが、理解がなかなかされず、避難所の退所を余儀なくされた。
*体力のある人が先に物資をたくさん持って行ってしまい、高齢者や体が不自由な人がもらい損ねた。
*DV被害で夫から逃げている母子が、避難所の名簿に自分の名前を公表しないでほしいとお願いしたが断られた。
*お知らせが日本語のみで、外国人には伝わらなかった。また、宗教や文化の違いの理解が乏しく、辛い思いをしなければならなかった。
*食物アレルギーがあり、支給される食事がとれないことがあった。
などが挙げられます。
このように、普段の生活で問題になっていることが、避難所での生活となると、さらに大きな人権問題に深刻化することがあります。その対象が子どもになることもあります。
お互いの人権を守るためには、日頃からの人権への高い意識が必要です。近年、大災害が頻発しています。今述べたような人権問題にならないよう、大人はもちろん、子どもたちの人権意識を高めていかなければなりません。現代は、何が起きてもおかしくない世の中です。普段の人権学習を大切にし、何かが起こった際にもすべての人の人権が守られるようにしていかなければなりません。
人権教育を取り巻く諸情勢について
昨年、学校に「人権教育を取り巻く諸情勢について 〜人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]策定以降の補足資料〜」が送付されました。この資料は、学校における人権教育の手引きである「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」(2004年3月)策定後の社会情勢の変化を踏まえ、第三次とりまとめを補足するものとして作成された参考資料であり、令和5年度までの動向等を踏まえて1年ぶりに改訂されたものです。今回は、2023年12月閣議決定された「子ども大綱」にかかる内容、ハンセン病問題にかかる動向、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の制定にかかる内容の3点が改定されました。
また、国内の個別的な人権課題の主な動向の一つとして、「部落差別の解消の推進に関する法律」の制定という項目があり、部落差別の解消を推進し、部落差別のない社会を実現することを目的とする、と記載されています。その中の条項に、部落差別を解消するために必要な教育をおこなうよう努めること.当該教育及び啓発により新たな差別を生むことのないよう留意することとあります。
小学校において、同和問題に関わる指導を特に意識しておこなっていない、人権啓発参観・懇談会をおこなっていない、または出席者が少ないのであまり意味がない会となっている、という話をよく耳にします。また、校内で同和研修が行われておらず、部落差別が未だ厳しい状態のまま残っていることさえも知らない教職員がいる実態もあります。部落差別をなくすためには、適切な教育・啓発が必要です。京都市で生まれ育った大人に「同和問題」「部落差別」を知っているか、と尋ねても「あまりよくわからない」「聞いたことがない」という回答が返ってくるのも事実です。昨年度行われた京都市の人権教育に関する教職員アンケートでもその結果は明らかでした。
水平社宣言が出されて100年以上経っても、未だなくならない差別に、教育や啓発までもが形骸化してしまうとしたら、今後部落差別がなくなるとは考えられません。今一度、人権学習の中の同和問題に関わる指導や人権啓発参観・懇談会の在り方、教職員の同和研修を再度見直す必要性があるのではないでしょうか。
(3)京都市中学校教育研究会人権教育部会
これまでの人権教育
1952年、中学校の長欠生徒は全体で2.8%だったのに対して、同和地区生徒は28.7%と10倍以上にのぼることが調査結果から判明しました。そこで京都市では、「特別就学奨励費」を制度化し、学習に必要な物品の現物支給を行ってきたのですが、経済的な援助だけでは不就学解消には至らなかったのです。そこで、1954年、教職員の有志による自主的な活動として、学習の機会が奪われてきた同和地区生徒に対し、学習を保障する取り組みが行われるようになりました。その結果、1962年の長欠生徒の割合は、同和地区生徒で5.1%まで減少しました。
次の課題としてあげられたのは、高校進学率に現れた「格差」でした。1962年の高校進学率は全市平均75%であったのに対し、同和地区生徒では34.6%という圧倒的な「格差」が浮き彫りになりました。そこで、京都市では「進学促進ホール」の制度化を進めます。進学促進ホールとは、同和地区生徒が、同和地区内にあった隣保館などに集まり、夜間に学習指導を受けることができた取り組みです。将来の選択肢を広げるために学力を保障し、高校への進学率を上げること、これが中学校の教職員の使命だったのです。
1
取り組みの成果として、高校への進学率は1968年には72%、1972年には92.8%まで向上しました。しかし、さらにその先に壁となって立ちはだかったのは、就職差別という問題でした。1970年代前半まで、企業はいわゆる「社用紙」と呼ばれる独自の就職応募用紙を使用していました。そこには「本籍地」「親の職業や学歴」「資産・収入」「信仰する宗教」「支持する政党」さらには「自宅の畳の枚数」までも記入する欄がありました。それらのような本人の能力や適性に全く関係ない事項を削除しようという動きから、「統一応募用紙」の制定が近畿地方から始まりました。現代のわれわれにも、「個人を適正に判断する」上で、どのような感覚が必要なのかをとらえる力は大切です。高校入試も含めて、「不適切」とされる質問を面接試験で生徒が受けることも起こりえます。その時に、「おかしい」と思える力を生徒たちが身に付けていくためにも、このような過去の事例から学ぶ意義は大いにあります。最近では、京都府公立高校入試の願書から「性別」を記入する欄が削除されました。共学である公立高校で、選抜試験において性別を問う必要は無いという考えからでしょう。これも、50年前から続く「個人を適正に判断する」という理念の延長線上にあると言えます。
全国中学生人権作文コンテストより
ここで、令和5年度の「全国中学生人権作文コンテスト」の京都大会において、優秀賞を受賞した京都市の公立中学校のある生徒の作文を紹介します。
部落差別をなくすために、 私ができること
京都市公立中学校 匿名
先日、家族で食事をしていた時に、部落差別のことが話題になりました。両親や兄は、様々な知識があるようで議論をできていましたが、私は何のことだか分からず、「部落って何」と家族に質問をしました。その時答えてくれた内容では、私はよく分からなかったので、自分なりに調べてみることにしました。
法務省のホームページを開くと 「部落差別を解消しましょう」というページがあり、そこにはこのようにかかれていました。
「部落差別 (同和問題)は、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態におかれることを強いられ、同和地区と呼ばれる地域の出身者であることを理由に結婚を反対されたり、就職などの日常生活の上で差別を受けたりするなどしている、我が国固有の人権問題です。」
私は、
このホームページを見てとてもおどろきました。令和の時代になっても、かつて日本で存在した身分制度を、まだ引きずっていることにショックを受けました。私たちは、小さい頃から「みんな仲良くしなさい」と教わり、まさか大人が昔の身分制度を引きずりながら、同じ人間でありながら、差別をしているなんて絶対許されることではないと思いました。
さらにこのホームページには、悲しいことが書いてありました。「部落の人とは、友達になってはいけない。」「部落の人とは、結婚してはいけない。」「部落の人を、採用してはいけない。」といった、私たちの生活の根本から不安になるような差別が行われていることが分かりました。同じ人間なのに、どうして友達になってはいけないのでしょうか。友達とは、誰かに強制されてなるものではなく、楽しいから友達になるものだと思うのです。また、部落の人と結婚してはいけないなど、どうして結婚相手の強制をされなければならないのでしょうか。結婚とは、お互いの気持で決めるものであり、家柄とか家系とか、そんなことで決めてほしくはないのです。今は、江戸時代ではなく令和です。本当に信用のできる人同士が自由に結婚できるはずなのです。さらに、就職活動も同じことです。企業は、仕事のできる優秀な人を採用したいはずです。それなのに、
部落出身というだけで優秀かどうかを判断するチャンスすらあたえられないのは本当に間違っていると思います。私は、公正な社会とは、機会の平等が保証されている社会だと思います。人間は一人ひとりの能力が違います。そのため、同じことを頑張っても人それぞれ結果は違うものだと思っています。ですが、チャレンジする機会の平等は、絶対に保証されなければならないと思います。
このように法務省のホームページから私は部落差別の実態を知ることになったわけですが、では、どのようにしてこうした差別をなくすことができるのでしょうか。中学生の私なりにできることを考えてみました。
まず第1に、正しい知識をこれからも身につけていくということです。これは私の両親も言っていましたが、部落差別は、間違った知識や偏見が強く関係しているようです。なので私は、学校で習う知識を大切にしながら様々な資料をよんで、
思い込みではない正しい知識を身につけていくことが大切だと思っています。
第2に、自分のこととして捉えることが大切だと思います。これまでの私がそうであったように、部落差別は自分には関係がないと思っている人がとても多いと思います。ですが、「自分は差別していない」「差別なんて関係ない」
と思っている人でも、自分の心の中の差別意識に気付かずに、ふとした時に人を傷つけたりすることがあります。また「差別はやめよう」とロで言いながら、いざ自分の問題になると、昔からの慣習に従ったり、迷信を信じたりして、偏見でものを見たり判断したりすることもあると感じます。私たち一人ひとりが、自分自身で考え判断するという主体性をもって行動することが必要だと思います。
第3に、人権を尊重する心を伝えるということです。私の家族もそうでしたが、日々の何気ない会話から、人種のことを学ぶことがあります。私が友達と話す時も誤った知識を伝えることなく相手を尊重する心を持ちながら言葉や行動で示すことだと思います。
このように、私ができることを考えてみましたが、部落差別は 「差別をされる人」の間題ではなく、
「差別をする人」の問題なのだと感じます。誰かが差別をなくしてくれることを願うのではなく、私が差別をなくすために考え行動することが必要だと思うのです。これからも人権感覚を身に付けたいです。
このような、鋭く前向きな感覚をもっている中学生がいることを頼もしく思うとともに、私たち大人が背筋も伸ばしていかなければなりません。
教育現場における人権教育の位置づけ
中人研では、「人権教育を学校教育の根幹に据え直す」という目標のもと、活動しています。この目標を掲げる背景には、「かつて人権教育が学校の根幹であった」ことを意味しているのです。
京都市教育委員会発行の「学校における人権教育をすすめるにあたって」の冒頭を読む限り、人権という概念は人類が長きにわたり努力し獲得した成果であり、人間が生み出した数多くのものの中でも普遍的で全ての人に保障されるべきものであると定義されています。ひいては、学校教育における教育活動すべてに関わる最も重要な考えであり、子どもの育成のためには欠かすことのできない重要な要素であるといえます。このことが京都市の学校教育目標とも深くつながりをもつものであることは言うまでもなく、これらのことから「人権教育は学校教育の根幹である」といえます。
なぜ現代の学校において、「人権教育を学校教育の根幹に据え直す」必要があるのでしょうか。それは、社会においても学校においても、急激な変化が起こっているからだと言えます。コロナ禍による激動の数年間を経て、私たちはこれまでに体感したことのないようなストレスや経験を重ねてきました。それまで当たり前であった実際に人と人が面と向かってコミュニケーションをとることも制限され、人間関係は以前にも増して希薄になった印象があります。それと同時に、近年の社会の変化のスピードはめまぐるしく、刻々と状況が変化していく時代になっています。これまでは目に見えていたものが見えにくくなってきています。これが現代を生きる人の不安やストレスを増幅させているのではないでしょうか。社会は変化していくからこそ、普遍的な人権という概念が指針となり、私たちの心を強くしてくれている。当たり前が当たり前ではない状況に気づいた今だからこそ、根本に立ち返る必要があると考えます。教職を担う人材が不足していることもあいまって、教職員の長時間労働、時間外勤務が問題視され、「働き方改革」「部活動の地域移行」が推進され、学校現場は目まぐるしく変化しています。年度初めの定例の家庭訪問を、必須としなくなった学校も多いと聞きます。そして現在、多くの学校で世代交代が進んでいます。
学習環境の面では、一人一台必須の学習用具となったGIGA端末が、新たな学びの形を創出する一方で、デジタル機器にどこまで依存するのかという問いと、ネットトラブルを含む様々な弊害を生み出しています。また、様々な価値観や考え方が大切にされる時代になったことで、数十年にわたって守られてきた校則が改正されたり、多様な性への対応も求められたりしています。
混沌とも言える変化の時代において懸念されるのは、人権教育に対する見方、考え方、そして熱量が継承されなくなることです。もちろん、時代に応じて変化していく柔軟さとバランスはとても大切なものですが、先輩の先生方が積み重ねてこられた実践や考え方、生徒との関わり方、保護者との信頼関係の築き方などは、一朝一夕では身に付きません。生徒や保護者との関係づくりの際に先輩の先生方が持ち合わせている人権感覚は、普遍的なものとして継承していく必要があります。そのことが、子どもに寄り添い、一人一人を徹底的に大切にする教育の実践につながると考えています。
(4)京都市立高等学校人権教育研究会
社会情勢
「18歳に達することで成年となる」という民法が改正されて3年が経過しました。成人になるということは、「一人で契約をすることができる年齢」という意味と「父母の親権に服さなくなる年齢」という意味があり、多くの者が高校3年生の間に成年年齢に達するということになります。日本では、明治以降約140年間、成年年齢は20歳と民法で定められていましたが、この民法の改正で2022年度以降、殆どの者が高校段階で在学中に新成人を迎えることになり、高校段階でこのことに関する啓発をする必要が生じました。つまり、親の同意を得なくても、自分の意思で様々な契約ができるようになるということを示し、高校生には今まで以上に様々なルールを知らせ、その契約が必要かよく検討する力を身につけさせることが重要になりました。さらに、本年度は、パリオリンピック、パリパラリンピックが開催された年です。しかし、世界に目を転じると戦争は今もおこっており、せめて開催中は停戦することを求める世界の思いも届きませんでした。従来、オリンピックの期間中にはいかなる戦争も停止するということは国際的なルールと言えます。いかなる戦争も、また殺戮行為に対しても厳しい目を光らせているつもりであった私たちも、ともすれば選手の活躍にだけ目を奪われ、その背後でおこっていた残虐行為を見過ごしてはいなかったでしょうか。もし、そうであるのならば、改めて戦争の即時停止を強く世界に呼びかけなければなりません。また、オリンピック憲章(2014年12月8日改正)で定められている「このオリンピック憲章の定める権利及び自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由によるいかなる人種の差別もうけることなく、確実に享受されなければならない」という文言は、人権の重みを改めて問いかけたものと言えます。そして、日本国内では同性婚の是非が今日問いかけられています。2021年3月に札幌地裁で、同性婚を認めないことは違憲だと判決が出されると、北海道の同性カップル3組が同性同士の結婚を認めない民法などの規定は、「婚姻の自由」や「法の下の平等」を保障する憲法に違反するとして、国に1人100万円の損害賠償を求めた訴訟がおこされました。その控訴審判決が2024年3月14日札幌高裁であり、斎藤清文裁判長は同性婚を認めない現行法の規定は、婚姻の自由を定めた憲法24条1項などに違反すると判断しました。しかし、その一方で2022年6月に大阪地裁で同性婚を認めないことは合憲だとしており、司法の判断が分かれているのも事実です。また、国会でも、LGBTQなど性的少数者への理解増進法案が可決されましたが、その理解がなかなか進まないのも現状です。このように日本国内には多くの人権に関する課題があり、それに対する私たちの教育活動はとても重要であることを再認識しなければなりません。
各校の取り組み
今日、目まぐるしく変化する社会の中、高校生を取り巻く環境も大きく変貌しています。また、高校生年代は、大人の考えた枠組みに違和感をもつ成長段階にもあり、その一方で、自らを社会の中でどう位置付けるかを模索する時期でもあります。
そこで、高等学校では、小・中学校での学びを踏まえた上で、身近なところの問題を自分事としてとらえ、人権を考える多様な取り組みを各校の現状に合わせて行っています。
ネットトラブルをめぐる問題についての取り組みは、殆どの学校で実施しています。ネットトラブルをめぐる問題では、ネットいじめの悲惨さを学ぶことに加え、トラブルが起こる原因や、起こさない対策、コミュニケーションの実態について学習します。昨年4月、北海道の旭川でおこった事件(17歳の女子高校生を橋から落として殺害したとして、旭川市の女性2人が逮捕された事件で、犯行のきっかけとなったSNS上でのトラブル)は、ネット上のトラブルが引き起こした悲惨な事件です。このような事態がおこらないように指導することはとても大切なことで、各校において次年度以降も引き続き取り組むことになります。
また、車いすバスケットボールを体験し、選手との対話や講話を通して人権について理解を深める高校も複数あります。生徒たちは車いすバスケットボールの体験を通して、車いすの操作の難しさを知ることに加えて、少しの段差などがあれば日常生活において車いすで行動することが困難であることも学びます。そして、すべての人にとって当たり前のことが当たり前にできる社会の実現に向けての理解を深めます。性教育学習や性の多様性の学びを深める取り組みについて行う学校も複数ありました。性に関わる学習として、講師の先生の講演を通じて、自分の体と相手の体を守ることをテーマに、デートDVや性感染症の問題にも踏み込んだ学びも受けました。さらに、LGBTQの学習をテーマに、性のあり方は人それぞれであり、「受け入れる」こととともに「知っておく」ことの大切さ、性的マイノリティーとして社会には様々な理由で生きづらさを感じている人が多くいることへの理解を深めます。
世界に目を向けた人権教育に力を入れている高校もあります。アフリカで活動をしてきた教員の実体験を通じて、人権の重みを学ぶ取り組みをした学校もあります。
また、演劇鑑賞を通して人権学習に取り組む学校もあります。事前学習では鑑賞作品で表現されている人権課題を各クラスで考え、それを踏まえて作品を鑑賞することで、様々な人権課題について考えを深めます。特に、3年に1度は「戦争」をテーマとした演劇鑑賞を通じて、「戦争」による人権侵害について見つめなおす取り組みをしている学校もあります。
さらに、卒業後の進路として就職希望者が多い高校では、性別や出身地、家柄などが採用の判断基準にならないことを学び、また違反質問に対する対応も学びます。
崇仁地域に移転した美術工芸高等学校では、崇仁地域の歴史や同和教育について学びます。この学習を踏まえたうえで、被差別の歴史をもつ地域に建つ学校の生徒として、自分や周りを守る力を身につけ、そして地域の人と協力してみんなが幸せになる町づくりに関与する気持ちをもつことが大切にされています。また、教職員への取り組みとして、研修会の企画や人権意識の向上に向けた取り組みもおこなわれています。崇仁地域との連携は今後も大切にしながら、人権問題を「日常化」する取り組みを進めています。
教育活動の方針
以上の点を踏まえて、私たちは、次のような視点から教育活動を行います。
@基本的人権の保障が重要な課題であることを理解する。これまでの研究会の成果に学びつつ、多様性を重視した活動の中で、学校の教育活動のあり方を見直していく。
A日常の教育活動の中にある課題を主題化して人権をめぐる問題を取り扱う。それらの学習を通じて自己肯定感を育て、他者とともに学びあう中での社会性の涵養を目指す。
B生徒の自発的な学習活動を支援し、互いに学びあう場を作る。特にホームルーム活動・部活動・生徒会活動などの自主活動を積極的に援助して、民主的な組織運営の手法を体験させることで生きた人権意識を育むことを目指す。
C多様化する課題の中で人権にかかわる組織・予算が縮小する傾向がみられるが、校内の各部署との連携を深めることで学校教育全体での取り組みに進化させていく。
D課題を明確にするため研究会での学習と情報交流を充実させる。また校外の諸機関との連携を模索する。
このように、私たちは、小・中学校の学びを継承・発展させ、教育の結晶として結実させることを目標に教育実践を継続し、展開していきたいと考えています。
(5)おわりに
昨年度、小人研集会では、龍谷大学の妻木 進吾先生に「ギャップを埋めるのは誰か?〜自己責任時代における不平等の再生産と公立学校〜」という内容でご講演いただきました。中学3年生の時に裕福な家庭の状況であれば、その子どもは大学進学率が高かったり、資産総額が高かったりする傾向にある、中学3年生の時に貧しい生活を送っている状況であれば、その子どもは、大学進学率が低かったり、資産総額が低かったりする傾向にある、ということを、データを元にお話ししてくださり、このような不平等の再生産を繰り返さないために公立学校にはどんなことができるのか、という問題提起をしていただきました。学校がいかに偉大なる平等化の装置になるのか、つまりこのような不平等の再生産を起こさないためには、学校はその子どもの家庭背景を知り、特に教育的に不利な環境のもとにある子どもたちの基礎学力を上げていく、またしんどい子を含むすべての子どもを元気づけ、やる気にさせるような人間関係を築いていくことが大切であると提言していただきました。
同和教育は被差別部落の厳しい生活実態から始まります。厳しい生活実態の中、生活のために家事や子守りなど様々な理由で学校へ行けない子どもがたくさんおり、「今日も机にあの子がいない」状態が続いていました。当時の被差別部落の長欠・不就学児童・生徒の数は、全市平均の約10倍もの格差がありました。学校に行けない子どもたちは、中学校を卒業しても安定した仕事に就くことができず、経済的に苦しい状態に置かれ、働き続けなければ生活が成り立たない状況になる、そうすると子どもが学校へ行けない・・・。いわゆる差別のサイクルが続いている状態でした。またこれに追い打ちをかけるように周りからの差別が平然とある状態でもありました。この「負の連鎖」を断ち切り、部落差別をなくすために学校ができることがないかという考えのもと、京都市の同和教育が始まっていきました。
つまり、「不平等の再生産」「負の連鎖」は現代においてもまだまだ続いていることがわかります。そのために学校ができることは何なのか。学校が「偉大なる平等化の装置」になるためには何が必要か、しっかり考えていかなければなりません。
最後に2007年8月26日の「はてな匿名ダイアリー」に投稿された、妻木先生が昨年度の資料に載せておられた文章を紹介します。
格差社会の話で、個人の努力を云々する人がいて、それは個人に責任を押しつける結果にしかならないと思うんだけど、ただまあ確かに当事者としての貧乏人に何ができるかっていうと、選挙に行っても明日すぐに楽になるわけでなし、明るく生きることを考えたり、這いあがろうと努力したりしかなくて、というのはあると思う。
自分の話。親はブルーカラーの労働者で、まあ極貧とまでは行かないけど、生活は苦しかった。早く商業高校でも出て自分で稼いで、好きなことにお金を使いたかった。うまいものを食いたかった。だけど僕の高校進学のことで中学の先生と三者面談をしたときに、先生が親に「普通科へ行かせてやってくれ」と言いだした。僕も親も、高卒で就職することしか考えてなかったから、それはない、と言う。でも先生は「こいつは大学に行かせてやって下さい」という。かなりしつこかった。しばらく問答したけど、最後には「お金は何とかなりますから。何なら私が貸したっていい」とまで言いだす。しかも泣いてた。今思えばどこまで本気だったのかはまあアレだけど、そう言ったことは事実。結局親に無理させて、大学に行った。国立大で、授業料はほとんど免除だったけど、それでも金はかかるし、バイトもずいぶんやった。でも、あのとき先生があそこまで食いさがらなかったら、僕は大学になんて行ってなかったと思う。あの先生が担任で、僕は運がよかった。結局お金は借りずにすんだけど。
いや、苦労話を聞かせたいんじゃなくて。苦労ならもっと大変な思いをした人はいっぱいいるし。そうじゃなくて、「頑張って勉強して、能力を伸ばす努力をすれば、上の社会階層に上がれるかもしれない」なんてことは、大学進学を真剣に考えるようになるまでは、まるで思いつきもしなかった、ってこと。ああでも、お前が無知だっただけ、って言うんだろうなあ。違うんだよ。
社会に本当に階層があって、しかもそれが移動可能だなんてことは、全然リアリティのない話だったんだよ。テレビドラマに出てくるような上流階級みたいのがこの世にある、ってことは知ってる。だけどもう全然リアリティないんだよ。大学なんか行ったことのある奴は、親戚中探したっていない。同級生には大学進学を考えてる奴もいたけど、そいつんちはウチとは違う。ウチは金もないし、親も歳だし、早く手に職つけて働かなくちゃ。一生懸命働けば少しはマシな暮しだってできるだろう。だけどもそれは、階層を上ることとは全然違うことだった。努力なんて、せいぜい「まじめに働く」くらいの意味だった。格差の固定化って、だからたぶん、努力するための資本がないとかいうことだけじゃなくて、努力すれば格差を縮めたり、乗り越えたりできるかも、なんて本気で考えることができないような、そういう環境の中で育つ、ってことでもあるんじゃないかなぁ、と。
貧乏でも実際なんとか大学には行けるけど、能力があろうがなかろうが大学進学なんてまるで想像の埒外、という貧乏人の子だって結構いるんだよ。
この文章を読まれて皆さんはどのような感想をお持ちになりましたか。文章では『社会には本当に階層があって、しかもそれが移動可能だなんてことは、全然リアリティのない話』と、語っています。つまり「不平等の再生産」「負の連鎖」の中で生活をしていると、その環境が当たり前となり別の世界へ踏み出そうという発想すら生まれないということです。これを打ち破るのは学校しかありません。公教育の力です。一人一人を徹底的に大切にし、生まれ育った環境で子どもの将来が左右されないために、私たち教職員一人一人が出せる力をすべて注いでかなければいけません。すべての子どもたちの無限の可能性を信じて支え育むために私たち教職員が学び、エネルギーを蓄える集会にしていきたいです。
|