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 全体集会 一人芝居 

 

 趙 博(チョウ・バク)さん

 

原作:目取真 俊  脚本・演出・演戯:趙 博

声体文藝館 水 滴 

 

 趙博(チョウ・パギ)さんによる一人芝居『水滴』が上演されました。かつて「終戦」を先延ばしにするために日本政府によって捨て石とされた沖縄を舞台に、作家、目取真俊が芥川賞を受賞した小説を原作として、戦後も罪の意識を抱えつつ生きてきた一人の男の姿を趙はユーモアたっぷりに演じました。戦争で死んでいった者たちに対して誰が加害者であり被害者であるのか。戦いに駆り出された少年や少女に対して誰が責任を負ってきたのか。時代設定は戦後50年の沖縄ですが、現在にも通じる問いかけを参加者に投げかけました。 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

声体文藝館シリーズB「水滴」DVD資料「上演に際して」

浪速の歌う巨人パギやん(趙博)より、抜粋

 「沖縄ブーム」で、三線を引いたり、エイサーを踊るヤマトゥンチューが増えています。だが、どれだけの人が(中略)沖縄人が味わった差別と同化の歴史を知っているでしょうか。彼らは差別を克服したのではありません。たんに無知なだけです。そういう沖縄大好きヤマトゥンチューは、自分が気に入った「沖縄」をつまみ食いするだけで、気に入らないところは無視してすませます。今の「沖縄ブーム」はヤマトゥンチューにとって都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されています。そういう無知の怖さを自覚しないで「いちゃりばちょーでー(出会ったら兄弟)」と沖縄民謡の一説を口真似して近寄ってくるヤマトゥンチューが、私には薄気味悪くてなりません。(目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年より)

 沖縄ブームを「韓流ブーム」に、そして沖縄人を“韓国・朝鮮人”に変換してこの一文を読んでみたい衝動に駆られます。現代日本社会の「偏差(=変さ)値」は1995年から30年経った今も、右肩上がりに伸び続けています。1995年は「阪神淡路大震災」「地下鉄サリン事件」「沖縄米兵少女暴行事件」が起きた年、「日本の戦後50年」を象徴して余りある年でした。目取真俊が1997年に芥川賞を受賞した『水滴』も「50年の哀り」をテーマにした作品です。私は『水滴』の物語が沖縄のみならず、この30年も跨いで、つまり「戦後50年+30年=80年」を貫く記憶遺産としての輝きを有していると言いたいのです。奇想天外で可笑しくてエロティックで頓珍漢な、息もつかせぬストーリー展開の中に「戦後ゼロ年」の思想が鏤められています。言い換えれば、読む者の想像力が試される小説です。それを「一人語り」に翻意した私の蛮勇が、成功したかどうか・・・ご覧になる皆様の判断に委ねます。

 日本政府は「日本周辺の安全保障環境の変化」を理由に、いわゆる「安保関連三文書」の方針に基づいて、沖縄本島や与那国島に新たなミサイル部隊や有事を想定した巨大な弾薬庫の新設・配備などを進めています。琉球弧全体を、中国を仮想敵国とするミサイル迎撃防衛、さらに、敵基地先制攻撃すらも可能にする軍事要塞の拠点にしようとしているのです。沖縄戦の歴史や教訓もかなぐり捨てて再び沖縄を戦場にしようとするこの暴挙に対して、私は満身の怒りを込めて糾弾・弾劾します!

 今日も辺野古の海で闘っている目取真俊の姿を遠くに見ながら、私は『水滴』を演じ続けます。