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第56回人権交流京都市研究集会

  分科会

教育と人権

  『部落差別をどう捉え、どう教えるか』

 

                        会場 テルサホール 中会議室 

             

基調講演

 

 坂田 良久

(世界人権問題研究センター登録研究員)

   

  

 

     

   分科会責任者:富田 博二(小同研)

庶務:弓削 雅哉(中人研)

 

 第1分科会は、世界人権問題研究センター登録研究員の坂田良久さんを迎えて、『部落差別をどう捉え、どう教えるか』というテーマで基調講演をいただきました。前半は、教職員や市民に向けた啓発活動で実践されている、差別の捉え方と、最新の史料に基づく部落の通史について、後半は、独自の視点での人権学習を提案されました。講演では、最近の楽曲やアニメ映画などを用い「大切なものは目に見えないんだよ」という暗喩をもとに、作品の背景に込められた意味や私たちの身の回りにある人権の考え方についてお話をいただきました。

講演の冒頭、2016年に制定された「部落差別の解消の推進に関する法律」(以下部落差別解消推進法)の「基本理念」となる第二条 「かけがえのない個人として尊重されるものである」を引用し、1922年に発表された西光万吉による「水平社宣言」の「吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である」をとりあげ、双方とも理念は「人間を尊敬し尊重すること」であることを示されました。次に「部落差別解消推進法」の第一条の「目的」から「現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じている」を引用し、情報化の進展に伴って部落差別をとりまく状況が変化している事例として、京都市立芸術大学の移転で注目を受けた崇仁地区で、講演者が属する崇仁発信実行委員会の活動を取り上げたテレビ番組と、崇仁地区に向けられたYouTube動画などにみられる「差別のまなざし」について対比的に語られました。情報化の進展した今、好むと好まずにはかかわらずネットには様々な情報があふれ、差別的な情報と啓発を目指す取り組みと受け取る側にはそれを判断することができない。だからこそ、差別の解消につながる啓発の在り方が重要になっていると語られました。そして、現在の情報化の進展した社会での啓発の手法として、2022年にヒットした楽曲と1963年に行われた、Martin Luther King Jrが行った「I Have a Dream」を対比させ、共に「夢」を語っているが、1963年には黒人差別は南部の州法によって正当化され構造化された「区別」であり、キング牧師にとってblack boyblack girlwhite boywhite girlが共に手に手を取り合う日は「夢」でしかなかった。しかし2022年の楽曲では、「夢を持てなんか言ってない そんな無責任になりはしない」と、自分が「habit」を捨て去れば本当の「君の価値」が見えると歌われている。人の価値が社会構造で決定づけられた時代から、一人ひとりのアイデンティティの在り方で語る時代になっているのではないかと論じ、「60年前のhabitのまま人種で差別する人」はいる、しかし「今は人種で差別しない人が普通」、「あなたはどちらのhabit のなかで生きていますか」と会場の方々に問いかけられた。講演を通じて、フランスの社会学者Pierre Bourdieuが提示した「habitus」の概念が展開され、差別はその時代の「構造」に捉われ、「時代の変化から取り残された残滓である」という独自の新しい視点が展開されました。

次に、「部落差別とは何だったのか」をテーマに部落差別の通史を解説されました。近年の部落研究の中で示された史料や活動される崇仁地域で見出された古文書を基に、部落の起源を中世の「皮革を扱った村」が「草場権」と呼ばれる全国組織を展開していた。この「草場権」を持つ村が「えた村」である。皮革が武家政権にとって武具としての重要な役割を担い独自の支配に組み込まれていた。秀吉、家康の時代に「えた村」支配が制度化され、役人村として民衆管理の役割を命じられた存在であった。また古文書を基に、江戸時代には大変裕福な村であったことなどが示されました。しかし、江戸期には経済的に安定していた「えた村」は、明治政府による1871年の所謂「解放令」により、制度として被差別の位置づけはなくなったが、同時に「草場権」や「役人村」としての特権を失い富裕層が流失していくことになる。社会からの賤視は全く解決せず、貧困の集約した村として差別が継続することになったと自らの論を展開されました。その後、「水平社」以降さまざまな解放運動がすすめられ「地域改善対策特別措置法」等の成立により国家的規模で地域改善運動がすすめられ、2002年役割を終えたとすべての特別措置法が失効した。しかし、ネットには未だに「逆差別」や「差別の存在を理由に特権を得る」ような書き込みが続いている事例を取り上げ、情報化の進展した現在の問題の一つであることを示し、ここでも会場の方々に、あなたは「明治、大正、昭和、平成、令和 どの時代のhabitで生きていますか」 と問いかけられました。

講演の途中には崇仁発信実行委員会代表であり、講演者の中学教師時の保護者が登壇され、子どもの中学校入学で講演者と出会い、PTA活動を通して人権学習を学び、差別から目をそらしてきた生き様から、自らが認識を変えることで克服してきた過程が話されました。彼女は、「人はすべて外から入ってくる情報でつくられる」「人権学習は、命を奪わないための学習で、幸せの学習」と会場の方々に人権学習の大切さを語りかけました。

この後講演は、人権学習の手法についてすすめられました。1980年代から2000年代に公開された3本のアニメ映画を題材に引用され、それぞれを「隠さなければ生きられなかった時代」「闘わなければ生きられなかった時代」「普通にいきれば良い時代」と分析されました。1988年に公開された映画は、作中描写にヒントが隠されている。4歳になる少女が二度にわたって音意転換をする場面と主人公を名付けする場面を取り上げ、意図的に別の名前で主人公が呼ばれていると推論を展開し、「あなたの隣にいるのに、違う名前で呼ばれている人のことを忘れていませんか」というメッセージがこの映画に隠されている。1980年代はまだまだ差別の厳しい時代であり、多くの在日コリアンは本名を名乗れずに生活せざるをえなかった。このような時代を暗喩した映画ではないかという考えをしめされました。次に、1990年代に公開されたアニメ映画を「闘わなければ生きられなかった時代」と区分され、この映画の登場人物がすべて時代背景となる後期室町時代の賤民であり、当時の被差別の立場の人々で出来上がっている映画であることを歴史史料のもとに解説されました。しかしこの映画を見る観衆は誰もそのことに気づかない、誰もが魅力的な登場人物であるにもかかわらず、その人物のカテゴリーが被差別の立場に位置付けられている不合理に気づかされました。そして、「中世に差別されたこの人たち。おかしな時代ですよね。まさか今、同じことを理由に差別なんかないですよね」と問いかけられ、登場人物の社会的立場が明かされ、現在の差別問題が展開されていきました。国籍や民族の違い、性自認の違い、障害や病気、部落差別などを取り扱った様々な楽曲や動画が紹介され現在の差別事象が展開されていきました。さらに、それぞれの差別はかつて国家によって位置づけが決められ、人としての価値を貶められた時代があり、その構造が多くの人々に被差別のhabitusを植え付けることになったと論じられた。差別はかつて正当性を持った区別として構造化されたものであり、この時代の価値を身体化した人に今も受け継がれている。しかし、今は若い世代を中心に、多様性が大切にされ平等がゆるぎない価値として共有される時代になっている。それぞれの問題に対して、「自分はどのような価値観を持っているのか」を自らに問い、自分の差別感に気づき、自らの変容を促すことが人権学習の目的であると話されました。しかし、この多くの被差別の民衆をとりあげたこの映画は差別を解決できなかった、20世紀の思想の限界を表しているとし、ラストシーンに提示された「アシタカは好きだでも人間をゆるすことはできない」「それでもいい。サンは森で、僕はたたら場で暮らそう。共に生きよう」が、自ら構造化された差別の中に身を置き価値付けされたカテゴリーの存在を認めながら、「人はカテゴリーが違っても、共に生きられる」という20世紀の構造主義的な思想の限界のなかでの解決であったと論じられました。3つめの、2000年代に制作されたアニメ映画では、「普通に生きれば良い時代」の到来が語られていると、二人の主人公の背景と、女の子の父について解説されました。女の子の父は、「人間でありながら人間を憎み、人間を滅ぼそうとしている」存在であると描かれ、この姿は90年代の映画のラストシーンと同じであると指摘されました。森と人間との対立が海と人間に置き換わっただけで差別の問題は何も解決していない。この対立を解決するのは二人の子どもたちである。男の子は「お魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョもみんな好きだよ」とカテゴリーにとらわれない価値観を示し、一方女の子は「ポニョ人間になる―」といとも簡単にカテゴリーを越境する。カテゴリーが不変であるとされる構造の中では不可能なことが、この構造の外へ出ることで実現可能となる構築主義を用いた思想で考える必要性が展開されました。ラストシーンで流された主題歌と、映画の中で女の子が登場するシーンに使われた音楽は、それぞれシューマンの楽曲、ワーグナーの楽曲が想起されるよう作られているとし、「音楽におけるユダヤ性について」で当時徹底的にユダヤ人を差別したワーグナーと、ワーグナーに差別された音楽家たちを守り闘ったシューマンとを取り上げ、この映画は「構造」から「物語」の時代への暗喩であると持論を展開されました。

講演の最後に「構造は、継続の残滓」というロラン・バルトの言葉を引用され、差別の構造は、継続の残滓(残りかす、燃え残り)であり、この継続を断ち切った人々の輪が差別を解決していくと語られました。そして最後に会場の方々に「あなたはどう生きるか」が問いかけられました。斬新な語り口と差別からの解放の視点は、講演者のライフワークである「10万人に伝えれば社会は変わる」の想いを講演を通して投げかけられたようでした。

 講演の後に、質疑応答の時間を使いフロアの方から、感想や質問をいただきました。ある中学校の教員は、講演者の学識の広さに感服されたとの言葉と共に、講演者に人権学習を依頼することも検討したが、クラス担任が人権学習の指導案を自らの学校の教員として模索し検討することに意義を感じ、自作の指導案を作成して、人権学習を進めていると大切な視点が話されました。また別の中学校の教員は、指導案作成上の留意点についてと、授業作りで心掛けておられることの2点の質問をされました。講演者からは、当該学年の教員と学習内容を吟味する検討の大切さを伝え、今の時代に即した生徒の身近にある素材に着目して、生まれた時から多様性と平等が当たり前の子どもたちに、同じhabitを共有する若い教員こそがこれからの「新しい人権学習」を生み出せると期待していると応答されました。

 

  分科会の締め括りとして、責任者から講演者と登壇された崇仁発信実行委員会代表のお二人に対して感謝の気持ちを述べられ、フロアからの質疑応答を快く引き受けて的確なアドバイスをしてくださったことにも謝意を述べて、分科会を終了されました。

 

 

 

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