同和対策審議会答申が出されて四十数年が過ぎ、2002年3月に特別措置法が切れました。この分科会では法期限後の在り様について、さまざまな角度から議論を行ってきたが、いまだに方向は見えてきません。
行政の立場で考えると、法律を遵守するための施行(予算執行)や具体的な取り組みは、大きな成果があったという自負もあるでしょう。一方、運動側(部落住民)は同対審答申後、第一に環境改善を重要課題として、就労・教育・啓発をはじめ個々の問題に取り組みました。特に京都市においては、答申前の「オール・ロマンス事件」をきっかけにして差別行政と位置付け、部落住民の怒りは行政当局にあるものだと追及し、同和対策特別措置法施行後に運動を強めました。同和問題に対する運動の取り組みには、行政闘争の歴史的な経過も存在します。
しかし、この間の京都市職員の不祥事件における市長発言やマスメディアの動きは短絡的で問題を矮小化しているように思われ、部落問題の本質である「差別の問題」について何ら語られることはありません。一連の部落問題における状況を市民的立場で考えてみると、市民不在の出来事のように感じます。「やっぱり、部落はこわいところだ」「部落だけよい事をしている」「何のための法律だ。部落の人のためだけの優遇であり、逆差別だ」と、部落や部落住民に対する批判が今もくすぶっています。でも、市民も本当に批判するだけで良いのでしょうか。大げさに言えば、人類普遍の「差別の問題」に対して、自分自身で何を考えどう行動したのかが問われるべきです。
一連の公務員の「優先雇用」という造語のような言葉も、過去を振り返ってみると、民間企業による部落住民に対して就職差別があったことを忘れてはならないし、現在においても、いまだに京都市民の根強い差別意識が残っています。
いずれにしても、運動側も行政側も同対審答申後の特別措置法に対する「総括」や「検証」がなされていません。だから今の状況や現象に対する反論や主張を市民に訴えても理解が得られるのは困難に思われます。
今こそ、細々とした当分科会で「わたし自身と差別問題」を語りましょう。あれこれと、話題が飛ぶこともあるけど、「差別の問題」を語ることで何かを見出すことに期待しましょう。ご参加をよろしくお願いします。
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