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第52回人権交流京都市研究集会
はじめに
1.私たちを取り巻く情勢と課題
(1)新型ウイルスを招いた地球の環境破壊
(2)労働の在り方を考える
2.福祉で人権のまちづくり
(1)部落差別実態調査報告
(2)人権侵害救済法の必要性
(3)京都市内改良住宅の建て替え
3.多文化共生社会を目指して
(1)多文化共生の現状
(2)共に生きる社会実現のために
4.人権確立に向けたこれからの運動展開
(1)「優生思想」の克服を
(2)生物多様性という国際基準
5.教育をめぐる状況
(1)京都市の同和教育の歴史
(2)特別施策と現在の課題
(3)なぜ,同和教育に情熱を注いできたか
(4)同和教育に関わってきて,教育はどう変わったか
(5)同和教育から私が学んだこと
(6)「同和地区生徒だから関わるのではない教育」とはどういうことか
(7)京都市立二条中学校の取組
第52回人権交流京都市研究集会 基調提案
はじめに
昨年の年明けから急速に世界中に蔓延した新型コロナウイルスの感染拡大は、3月に国連事務総長がパンデミックを宣言し、また、日本でも4月に「緊急事態宣言」を発出するなど、私たちの社会生活を大きく変貌させました。たった数ヶ月の間に、地球上の五大陸全てに感染をもたらしたウイルスはかつてない強い感染力があるとされ、ヨーロッパを中心に、法的拘束力を発揮するロックダウン(都市封鎖)がなされ、世界中の経済も停滞を余儀なくされました。日本では、そうした強制力のある措置はとられませんでしたが、首相による唐突な小・中学校の休校要請は強いメッセージとして発出され、街や会社、公共空間から人々の姿が消えました。
そうした中、職場を奪われ、生活の基盤を失ったのは、非正規やアルバイトの労働者であり、かねてから貧困ラインぎりぎりの暮らしが破綻したのは、若者や女性たちでした。実態経済とかけ離れた株式の上昇は、富める人達をますます豊かにする一方で命を維持するにも事欠く貧困層を生み出すなど、格差がますます大きく広がり、民主主義の足元がゆらぐ社会状況を生み出しています。
コロナ禍という特異な社会状況は、これまでからの社会の矛盾や課題を一気に剥き出しにすることで、私たち人類が自らが積み上げてきた歴史、中でも17世紀以降の産業革命により獲得した価値観や暮らしについて、根本から考え直す必要性を突きつけたのだと言えます。しかしながら日本政府は、そのような深い問いかけから目を背けつつ、対処療法に終始しつつ、今また急激な感染拡大をもたらしています。
昨年8月28日、安倍首相は体調不良を理由に突然辞意表明を行い、歴代最長の7年8ヶ月の政権の幕を閉じました。その要因としては、コロナ対策に関して、後手に回った上に、「アベノマスク」の不評など支持率の行き詰まりがありました。しかし、この間の政権運営が導いたより確信的な要因としては、「森友・加計」や「桜を見る会」を巡る度重なる虚偽答弁や、それを隠蔽するために「官邸の守護人」と呼ばれていた黒川弘務東京高検検事長の定年延長と将来的に検事総長に添える目論見という、目に余る強権姿勢が公にされたことがあげられます。しかもその批判の最中にも「検事庁法」を改正し、官邸主導の検察人事を合法化しようとしたことが明るみとなり、そこへ当の黒川検事長が「賭け麻雀」報道で失脚。政権は対応能力の限界を露呈したのです。
次期首相には「安倍政権路線を継承する」とした菅義偉元官房長官が名乗りをあげ、現在に至っています。しかし、国会で虚偽説明を繰り返すことで政治不信を招き、国会への信頼を失墜させた責任を免れることはできません。林検事総長へと人事が刷新した検察による捜査は続き、「桜を見る会」前夜祭宴会差額分の政治収支報告書未記載により安倍元首相の第一秘書が立件されました。12月25日には、元首相本人が、衆議院運営委員会に出席し謝罪に至っています。
私たち市民は、まずは互いの命が一番大切であるという社会的合意のもとに、ソーシャルディスタンスを守り、密集状況を回避するなどの社会生活の変容を、この1年、積極的に受け入れ、実践してきました。しかし、そうした状況においても新たな差別意識が芽生え、人を排除する言動を見聞きしました。まさに困難な状況だからこそ、これ以上の痛みを相手に与える言動や態度を控え、それぞれの人の安心と安全、互いの人権が尊重される社会がより一層求められています。
1. 私たちを取り巻く情勢と課題
(1)新型ウイルスを招いた地球の環境破壊
新型コロナウイルスのパンデミックが世界中にもたらされ、そのことでいくつかの大きな課題が浮上してきました。中でも、産業革命以降の近代社会がもたらした環境破壊についての指摘が際立ちます。そもそもこの新型のウイルス「コビット19」が人間に感染するようになった経緯として、DNAの類似性から、キクガシラコウモリの保有していたウイルスが元であり、そこから「何か」を媒介し、ヒトに感染するウイルスへと変異したと考えられています。コウモリの生息地である森林の伐採は、伐採後に牧畜・農地という家畜や人との接触が多い土地へ転換され、自然界から人への感染ルートが生まれた可能性が高いとされているのです。ちなみに、コウモリ類が豊富に生息する東南アジアの森の伐採理由の半数がパームプランテーションへの転換であり、パームオイルは、インスタント食品、菓子類、シャンプー、洗剤と私たちの身の回りの多くの商品に利用されています。そのパームプランテーションの拡大が、絶滅危惧種の危機要因になっていると指摘されています。
またウイルスの蔓延のみならず近年の異常気象がもたらす、豪雨災害や暴風、山火事、甚大な積雪など、生活への影響も私たちは実感しています。どこか不安で、このままでは世界が滅んでしまうのではないかという漠然とした不安に苛まれているのが現状ではないでしょうか。けれども、問題の大きさに、たじろぎ、ひるむだけでは、現状の困難は、放置されるだけでしょう。実際、メディアが伝える悲惨な状況は「もう手遅れではないか」と言わんばかりなメッセージとなって、私たちに届いています。けれども、こうした地球環境という大きな問題こそ、私たち一人一人の小さな身の回りを点検し、可能なところから変えて行ける領域なのであり、むしろそうした具体的な実践以外に変える手立てはありません。そのことは、人権をめぐる社会状況の変革と非常に似通っていると思います。地球と暮らしを守る行動を、即刻、具体的に始めることが求められています。
類としての人間たちの命と社会を持続可能な世界へと導いて行くためにどのように行動すべきか。他者を非難し、排除するのか、それとも、他者を慈しみ、包摂して行くのか、今現在、私たちはその大きな岐路に立たされています。
いにしえの平安時代、遣隋使、遣唐使として大陸に渡った人々は、多くの文化や、書物を通じた知恵、仏教を通じた教え等を日本という国にもたらしました。しかし、そのことにより大陸からのウイルスをもたらしたとの文献もあり、疫病が、この京都の地にも多くの死者をもたらし末法思想を生み、まさに「穢れ意識」をもたらしたのだという指摘もあります。後に、賤民差別・部落差別へと通じる、そうした観念を私たち自らが、再び選択するのかしないのか。排除の思想を賢明にも退け、連帯と共生の社会を築いていけるのかどうか。一人一人がそうした問いに向き合って応えていけたらと思います。
アンドリュー・レブキンという環境ジャーナリストは以下のように言います。「私たちには知恵や技術の蓄積がある。狭い土地でより多くの食料を収穫すること、無駄と公害を減らして電気を使うこと、家畜の大量殺戮や食品ロスを減らし、食事を楽しむこと。環境への負荷を抑えた供給ネットワーク、地域コミュニティの活性化、環境と自分を守る教育など、創意工夫を生かせる選択肢は多い。環境と暮らしが充実すれば生物の多様性もより豊富になる。そして、ヒト以外の命を守ることで自身の命を守り、活性化させることもわかっている。」
ヒト以外の命を守ることがヒトの命を守る、というのは含蓄深い言葉です。言い換えれば、他者の人権を守ることが、自分の人権を守ることである。それこそ、人権尊重の深い意味だと思われるからです。逆にヒトがヒト以外の命(生物)をないがしろにし絶滅させ続けたら、そのことは、ヒトである私たち自身の命をも脅かすのだということを同時に示しているのです。
(2)労働の在り方を考える
新型コロナウイルスがもたらした、もう一つの大きな課題。それは私たちの社会を支える人々の労働のあり方です。
働き方における、正規労働者と非正規労働者の格差の問題。さらに、エッセンシャルワークと呼ばれる、私たちの生活を支える本質的で必須の営みを担う職種に関する問題。大きく二つの課題が可視化されたと言えるでしょう。
まず、緊急事態宣言がもたらした、飲食店や接客、対面業務での休業要請は、昨年4月以降多くのアルバイト、パートを含む非正規労働者の失業を促進しました。2008年に世界中に不況をもたらしたリーマンショックとの大きな違いはその点にあるということが、初期の段階から指摘されていました。つまり、正規労働者の失業問題と、それでなくても不安定な生活を強いられていた非正規労働者の生活破壊との違いがあるということです。特に後者についてその対象となるのは、若者と女性です。
総務省が12月1日に発表した10月の労働力調査委よると、日本の就業者数は93万人減少し、6694万人となり、うち正規労働者は9万人増えたものの、非正規労働者は85万人減少したということで、二極化が進行していることが明らかになっています。中でも女性の雇用者数は、昨年4月から74万人の減少となり男性の2倍以上という結果です。非正規から失業に至った女性のうち12%以上がうつ病であるという統計結果があり、昨年10月の女性自殺者は851人と、前年度比1.8倍です。こうした結果は、コロナウイルスがもたらしたというよりも、従来から指摘されていた女性への不平等、安易な使い捨て労働力として景気の安全弁となっていた構造的な問題が、可視化された結果です。
さらに、保育園や学校の一斉休園、休校は、一気に自宅での女性の家事労働負担を増加させ、テレワークの推奨により、夫や子どもへの食事提供の機会も増え、DVの増加も報告されています。
こうした困難、放置したままでは私たちみんなが立ち行かなくなる社会の姿が、男女を問わず共通の課題となったと受け止め、解決の道筋を探って行く必要があります。
また、もう一つ社会全体で気づいた出来事として、医療、保険、衛生分野でのエッセンシャルワークの重要性です。人件費の縮減や、効率化により縮小させられた現場で働く人々に課せられた過剰な負担は、世界中で度々報道されるものの、日本では、そうした人たちへの具体的支援や大規模な予算措置などはなされることなく、掛け声に終わっているのが現状です。さらには、医療現場で働いているということで、子どもの保育園の登園を拒否されたり、偏見の視線に晒されること。家族の反対もあり、離職せざるを得なくなること。若い独身の人たちにさらに過剰に負担が集中することなどが伝えられています。
テレワークや「リモートワーク」などが望めない職業としては、スーパーなどでのレジを担当する販売員の仕事もありますが、マスクが不足する時期には暴言を吐かれるなどの人権侵害が問題になりました。
公務労働としては、環境局、水道局、交通局などの職員も存在しますが、クラスターなどが発生してしまうと、市民生活の機能停止を招くなどの深刻な事態が想定され、日頃からそうした人たちの労働が、生活を支えていることが認識させられました。
昨年1年間、新型コロナウイルスへの対応をめぐり、顕在化した様々な問題について、あらためて大きな枠組みとして一つ言えることは、私たちの社会における「人権課題の重要性」でしょう。
2.福祉で人権のまちづくり
部落差別解消推進法から4年が経過し、法第6条に定められた実態調査が一昨年おこなわれ、昨年6月に法務省人権擁護局より報告書が公表されました。それによると77.7%の人が部落差別を聞いたことがあるとし、うち、86%が不当な差別であると回答。しかし、総論として差別はいけないと表明しつつ、各論として、自らの利害にかかわる結婚や就職については15.7%が身元調査を肯定する態度が示され、「わからない」も含めると4割以上が結婚相手等への偏見・差別意識が根強く残っている現状が明らかとなりました。
一方で、京都労働局が初めて行った、「大学生等の公正な採用選考にかかる実態等に関するアンケート(中間集計)」の結果が報告され、大きな衝撃がはしりました。調査は、一昨年11月から昨年3月の期間に就職活動をおこなった大学生483人から得た回答で、京都府内の大学・短期大学15校の協力が得られました。それによると、人権上の配慮から統一された大学指定履歴書(統一用紙)以外に、会社独自の応募書類等の提出を求められた学生が約半数、228人いたこと。本籍地の項目が含まれていたと回答した人が43人に及び、さらに「戸籍謄(抄)本」を求められた学生が15人、住宅状況、生活環境、家庭環境等に関する質問、出生地に関することも30人が質問されていることが明らかになったのです。これらは明らかに職業安定法に抵触し、就職差別につながります。
小学校・中学校の義務教育からはじまり、高校、大学へと進学していく教育現場においては、まがりなりにも顕在化することなく封じ込められていた偏見や差別が、いざ、実際に社会に巣立つための「就職」という扉を開けるとき、社会の偏見に直面することになるという現実が突き付けられたのです。
結婚と就職。人生における大きな節目において、差別や排除をこうむる。そのことが重大にして最大の課題であることは1965年に出された同和対策審議会答申で「市民的権利と自由が完全に保障されていない」ことの大きな証としてすでに指摘されていました。しかしながら21世紀の現代社会において同様の課題として存在しているということは、啓発の方法のみならず、人権状況そのものを大きく改善するべき法的、政策的手段が不足していたと言わざるを得ません。こうした背景を踏まえ、市民らがつくる実行委員会が「京都府部落差別を許さない条例(仮称)」制定を府議会12月定例会に向け要請しました。住民にとって身近な自治体において、人権にかかわる条例制定がなされ、差別を許さないという社会のメッセージが行きわたるよう京都市に対しても訴えていく必要があります。
インターネットを通じたSNS上の差別は、誹謗・中傷や時には芸能人などへのバッシング等、様々な書き込みがあります。その中でも部落差別として最も問題となっているのは、直接的な侮蔑的語句ではなく、鳥取ループ示現社がおこなった「部落地名総監復刻版」を掲示板に掲載した行為です。これに対し、部落解放同盟は248人の原告団をつくり、損害賠償請求裁判を提起し、現在も係争中ですが、このような行為の何が問題なのか、この際経過も含めて振り返ってみたいと思います。
宮部龍彦という人物がブログ名「鳥取ループ」を開設したのは2005年でした。ブログ内で部落解放同盟批判や同和行政批判を展開します。2009年に鳥取県内の同和地区サイトを開設。2010年頃から部落の地名が頻繁に公開され始め、2011年に示現社(出版社)のウェブサイトを公開。翌年、NTTの電話帳を再利用してネットで検索できるようにした「住所でポン」を開設。2014年に「同和地区wiki」で部落の地名、同盟関係者の個人情報などを無断で掲載し始めました。そしてついに、2016年、Amazonにて「全国部落調査・復刻版」の予約がされました。Amazonは販売を中止したものの、その後、ヤフーオークションに出品され、5万1千円で落札されてしまいました。裁判所に対しては、横浜地裁に出版停止の仮処分の申立てが解放同盟からなされ、出版禁止が決定されていましたが、それをあざ笑うかのような暴挙でした。同年、4月19日、解放同盟と個人212人が東京地裁に正式に提訴。その後原告としての個人は248人に膨れ上がる大原告団となって現在も継続しています。最大の山場である証人尋問がコロナで延期されていましたが、いよいよ、来たる3月18日の公判期日が決定されています。
まずこの問題の最も大きな点は、インターネットという性質上、すでに公開されてしまった被差別部落の所在地が今もネット上で検索可能な状態にあること。裁判所の掲載禁止決定がおりて、示現社のサイトから削除されても、ミラーサイト、コピーサイトとして存在し、完全に消去することができないということです。
しかもこうしたことは、1975年に発覚した企業による部落地名総鑑購入発覚事件を契機に、回収や啓発等、膨大な時間と労力を費やして行ってきた差別撤廃の取り組みを根底から突き崩す行為であること。にもかかわらず、このように大きな影響を社会に与える行為は、ただ一人の個人の所業であるということです。こうした些細な理由による些細な行為から得られる大きな効果に、個人が酔いしれるということもあるでしょう。
また一方では、人権侵害をめぐる、カミングアウトとアウティングというより本質的な問題にも突き当たります。
被差別当事者は往々にして、社会における差別が厳しければ厳しいほど、自らの出自を隠して生きることを選択せざるを得ない場合がありますが、それ自体が生きる上でのプレッシャーとなり、暴かれることを恐れたり、心無い差別的言動を黙認せざるをえなかったりなどの体験を通じ、自己否定や劣等感を内面化してしまう場合があります。カミングアウトはそうした自らの在り方を覆し、自己の尊厳を取り戻し、信頼できる仲間を前に自らを肯定するための行為です。ありのままの自分が受け入れられたという実感を持てて、はじめて、生きる上での安心や安全を手に入れることができるのです。
一方アウティングはそれと真逆の行為です。まず、当事者の知らないところで、あるいは目の前で突然外側から被差別性を暴かれる行為というのは、恥辱や恐れ、社会への不信をマイノリティ当事者に与え、震えや落涙、うつ病などの疾患さえ誘発するかもしれません。まさに、差別がこの社会に存在するがゆえに生じる、こうした二重の在り様とそこに立ちはだかる大きな距離を、多くの人が理解することができたとすれば、それ自体を差別の克服と呼ぶことができるかもしれませんが、逆にとても難しいことだと言えます。
人は気づかないまま、知る機会がないまま、あるいは悪意をもって、差別や人権侵害をしてしまいます。そうしたときに、差別された側が、裁判などの非常にハードルの高い手段に訴えなければならないのが現状ですが、国連が定め、諸外国に設置されている人権委員会があれば、そこへ被害を訴えることができます。そうした、人権委員会の設置も含めた人権侵害の救済にかかわる法制定の必要性は、今こそ、あらためて求められているのです。
今年度から、4地区(田中地区、錦林地区、東三条地区、西三条地区)にある6団地(養正団地、錦林団地、三条団地、岡崎団地、壬生東団地、壬生団地)の再生事業が、コロナ禍という厳しい中で進められています。これら4地区の住宅建て替え計画については「福祉で人権のまちづくり」として遂行するため、ワークショップの開催等を通じて、住民の細かな要望を聞き取り、とりまとめつつ、行政に伝えていく地域コミュニティの橋渡しも、人権確立にとって、重要な役割となります。市内では、先行して建て替えを完了した千本地域の事例があります。統合により閉校した楽只小学校を活用しつつソフトとしてのまちづくりが現在進行しています。施設の活用や、店舗の継続あるいは誘致について合意形成が必要であり、市内の建て替えのモデルケースになろうとしています。
建て替え事業の進捗いかんにかかわらず、部落においては高齢化、少子化がますます進行していく現状において、いかに、コミュニティバランスを保っていくべきか。ひとり親世帯が住みやすいまち。地元のNPOなどによる子ども食堂の運営。介護するべき高齢者や障害者を含む世帯が過ごしやすく、安心して居られるまち。人権という視点が行き渡った公営住宅のあり方を、全市的に考えていく必要があります。
住居に困っていることとは、すなわち貧困問題としてもあるのは現実です。スラム化の進行というマイナス要因として捉えるのではなく、様々な階層の共存を模索するならば、中堅のサラリーマン層を受け入れるための公団住宅とのマッチングも視野に入れつつ、近親者や家族が互いに助け合うことのできる近居入居制度、高齢者の見守りや、住宅の管理運営など、コロナ禍により厳しい財政状況にあるとはいえ、セーフティネットとしての住宅問題をケアすることが、長い目で見た場合の財政圧縮にも役立つといえます。
3.多文化共生社会を目指して
(1)多文化共生の現状
現在日本には、約288万6千人の外国人が在留しています。(2020年6月末、法務省発表)これは日本の総人口の約2.3%に当たります。1位は中国人の786,830人、2位は韓国・朝鮮人の463,154人(※)、次いでベトナム人420,415人、フィリピン人282,023人、ブラジル人211,178人となっています。昨年は世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響で、在留外国人の流動が少なかったが、やはり近年ベトナムなど、東南アジアからの人口が増加しています。その多くは、技能実習生や留学名目の「低賃金労働者」で、近い将来、オールドカマーと呼ばれる韓国・朝鮮人よりベトナム人が多くなる日が来ると思われます。
※歴史的に見て、韓国・朝鮮籍としなければならないところを、法務省は6年前から意図的に分離して韓国籍者435,459人、朝鮮籍者27,695人と発表しているので、合計463,154人となります。
◎外国人労働者を追い詰めるコロナ禍
一昨年末、中国武漢市から発生した新型コロナウイルス(COVID-19)は、瞬く間に全世界に感染が拡大し、2021年1月時点で発症者数は9000万人を超え、死者は200万人に達しました。(米ジョンズ・ホプキンス大の集計)日本に於いても感染拡大の影響を受け、昨年3月には全国の小学校から大学まで一斉休校措置が取られ、それに引き続き、政府は4月には「改正新型インフルエンザ等特別措置法」に基づく「緊急事態宣言」を発令しましたが、感染拡大は止まず、本年1月8日には東京など4都県に再び緊急事態宣言が発令され、1月13日には京阪神と東海地方、福岡等7府県まで拡大されました。
コロナ禍の影響を最も受けているのは、外国人労働者です。現在日本には約166万人の外国人労働者がいますが、そのうち約40万人は「技能実習生」という低賃金労働者です。また、約31万人の外国人留学生のうち、アジアからの多くの留学生は、コンビニなどのパート労働で生活費や学費を賄っています。(留学生は週28時間まで、アルバイトやパート労働が認められる。)そのうちの約20万6千人が、宿泊業や飲食業などのサービス業に従事しています。例えば全国のホテル稼働率を見てみると、2月はまだ52.7%だったのが、5月には12.8%になり、「Go
Toトラベル」の影響で一時的に向上したものの、休止や今回の「緊急事態宣言」再発令で、多くの飲食店が閉店に追い込まれ、約5000人の外国人労働者が職を失い、居場所がなくなりました。昨年、全国の「反貧困ネットワーク」などの市民団体の呼びかけで行われた集会では、仕事を失った外国人技能実習生が、川や海で魚を取って生活をしのいでいるという報告があり、また30を超す団体で構成される「新型コロナ災害緊急アクション」が生活困窮者に緊急支給している給付金の8割は、外国人労働者でした。収入がなくなった外国人労働者の中には、家賃が払えず、ホームレスになっている人も多くいます。技能実習生は、職種を変えることが認められず(2020年4月からコロナ対策として、介護職など一部緩和)、失職しても転職が非常に困難な場合が多くあります。また、全国一人一律10万円が支給された「特別給付金」も、4月27日時点で住所が定まってない人や、母国に帰るのが困難な「難民申請者」、何よりも日本語が理解できない外国人は受給できていないことも多く、全国の社会福祉協議会が実施している生活困窮者のための、無利子で最大20万円借りられる「緊急小口資金」融資や、今回のコロナ禍で設けられた個人10万円、法人20万円支給される「持続化給付金」なども、申請書類のほとんどが日本語で書いてあり、日本語の理解が困難な外国人は受けられない場合が多くありました。また、日本の国公私立大学、大学院、短期大学、高等専門学校、専門学校、日本語学校などに在籍する留学生約43万人を対象として、10万円〜20万円給付される「留学生給付金制度」では、出席率8割以上で成績優秀者などの制限を設けている学校が多くあり(京大や京都市立芸大は設けていない
)、生活のためにアルバイトをせざるを得ない多くの留学生は給付金を受けられないのが実情です。
このように、日本政府は外国人政策について「共生社会の一員として、これからの日本社会を形成する人々」(総務省・文科省の文章から)と謳っていますが、今回のコロナ禍に対する政策では、外国人に対する差別政策が後を絶ちません。
◎人権を無視した「外国人技能実習制度」
少子高齢化が加速する日本社会にとって、農・漁業や工業生産の現場に外国人労働者は欠かせません。その外国人労働者の中心を担っているのが「技能実習生」という外国人労働者で、現在日本全国に約40万人います。近年はベトナムやネパール、フィリピン、インドネシアなど東南アジアからの労働者が多く占めています。しかし、昨今マスコミなどでは「技能実習生」の失踪、窃盗事件などの犯罪報道が後を絶ちません。これらの報道を見る限り「技能実習生」たちが罪を犯している反社会的犯罪人であるかのように見られますが、本質は技能実習制度そのものに問題があります。
第1として、技能実習制度の本来の目的・趣旨は、主に発展途上国の労働者が、一定期間(最長5年)日本の労働現場で働き、技能や知識を学んで本国の発展に寄与してもらうことにありますが、これは名目にしか過ぎず、多くは劣悪な労働環境に置かれています。低賃金・長時間労働の例が多く、時給405円しか支払われず摘発された事件や、連日10時間以上の長時間労働を強いながら、残業代を支給していない例など枚挙にいとまがありません。また、パワハラ、セクハラなどのハラスメント被害の報告も多々あります。
第2に、労働者を送る側と受け入れる側との搾取関係があります。例えば、近年最も増加しているベトナムからの労働者の場合、日本へ渡るための斡旋ブローカーが介在し、労働者は100万円近い借金をしています。受け入れ側の日本業者も、相手側ブローカーと裏契約などを結び、労働者が現場から逃亡しない仕組みなどを作っています。これらは次にあげる人権侵害につながっています。
第3に、労働者への人権侵害です。最も深刻なのはパスポートの取り上げや、たこ部屋のような1室に閉じ込め、労働者が逃亡しないために監禁する例があることです。労働環境などに対し不満を訴える労働者に対し、本国へ強制帰国させる例もありました。昨年、国連の人種差別撤廃委員会でもこの問題が取り上げられ、技能実習生が「劣悪で債務労働型の状況にある」として日本政府に対し「懸念」を表明しました。
日本政府も2017年に「技能実習法」を施行し、受け入れ側の管理団体への監督強化に乗り出し、2019年には「入管法」を改定して、技能実習制度に代わる「特定技能制度」を設け新たに初年度4万7000人の外国人労働者導入を計画しましたが、諸外国では日本企業の外国人労働者に対する悪評が高く、昨年までに約4000人が認定されたにすぎません。
◎安倍・菅政権の対韓国政策と、在日朝鮮人に対する差別政策
次に、戦前の「朝鮮植民地時代」以来、日本と歴史的関係の深い、韓国・朝鮮(人)問題について考えてみたいと思います。
約7年8ヵ月もの最長政権が続いた安倍前政権は、世界を俯瞰すると言いつつ80か国以上を訪問しましたが、隣国である韓国へは一度も足を踏み入れていません。そればかりでなく、「元・徴用工裁判」を盾に、韓国敵視政策を取り続け、安倍政権を引き継いだ菅政権も同じ路線を辿っています。また今年1月8日、韓国ソウル中央地裁は、日本に対する損害賠償を訴えていた元・日本軍「従軍慰安婦」12人(故人を含む)の裁判に対し、日本に一人当たり1億ウォン(約950万円)の損害賠償を求める判決を出しました。これに対し、日本政府は国家の行為が他国の裁判所で裁かれない国際法上の「主権免除」を主張して、対抗措置として国際司法裁判所(ICJ)への提訴を検討し始めています。同時に「元・徴用工問題」「元・従軍慰安婦問題」などは、1965年締結された日韓条約の「請求権協定」で解決済みだと主張しています。しかし、解決済みという「請求権協定」には、反人道的不法行為は適用されません。また、日韓協定で締結された無償3億ドル、有償2億ドルの「協力金」は、経済協力金であり、「賠償金」ではありません。(日本は朝鮮植民地支配に対し「合法」だと主張し、韓国は「不法」だと主張し、根本から食い違いがあります。)したがって、個人の損害賠償請求権は解決していません。何よりも先ず、日本を代表する責任者が、強制的に連行された「元・慰安婦」や「元・徴用工」の方々に対し、真摯に謝罪をしなければ、解決の糸口は見出せません。
日本の歴史認識問題や戦争責任問題は、歴史的事実に基づき問題を直視しなければなりません。日本の負の歴史に対し、事実を歪曲し、美化するところからは、未来への展望は開かれないでしょう。戦後最悪とまで言われている今日の日韓関係を、日本政府だけでなく私たちを含め、一刻でも早く正常化に向けた働きをしていかなければなりません。安倍・菅政権の在日朝鮮人に対する差別政策は続いています(ここでいう「在日朝鮮人」は、朝鮮半島にルーツを持つ韓国籍、朝鮮籍、日本籍者を指します)。
法務省が年間2回発表する在留外国人の人口統計を見ても、在日朝鮮人のほとんどは、戦前日本の「朝鮮植民地時代」に渡日して来た人と、その子孫であることから韓国・朝鮮籍としなくてはならないところを、6年前から意図的に韓国籍と朝鮮籍を分離しています。現在の朝鮮人民共和国(北朝鮮)と、朝鮮籍は別のものです。ところが日本政府はこの別個のものを、さもつながりがあるかの如く、朝鮮籍者や朝鮮学校に対し差別・敵視政策をとり続けています。日本の子どもたちが受けている「高校無償化」から朝鮮学校を排除し、消費税増税還元による「幼保無償化」から朝鮮幼稚園を除外し、コロナ禍対策の学生支援「緊急給付金」から朝鮮大学校生を除外する等々。その根底にあるのは、日本政府には在日朝鮮人の民族教育権を認めないところにあります。朝鮮学校には朝鮮半島にルーツを持つ韓国・朝鮮・日本籍者が民族教育を求めて在籍しています。日本政府は早急にこのような差別政策を撤廃しなければなりません。
このような日本政府と相まって、現在、日本社会では在日朝鮮人などに対するヘイトスピーチ・ヘイトクライムが後を絶ちません。2016年国会は与野党一致で「ヘイトスピーチ解消法」を成立させましたが、これは単なる理念法であり、ヘイトスピーチは増加し、悪質化するばかりです。このような事態に対し、川崎市は一昨年ヘイトスピーチに対する「罰則を伴う条例」を制定し、昨年7月初めてこの条例を適応させました。現在京都に於いても「罰則を伴う条例」制定に向け、市民団体と京都府・市との話し合いが行われていますが、京都でも一刻も早く、川崎市のような条例が制定されることを望みます。
(2)共に生きる社会実現のために
◎外国人にも住民投票権を
昨年11月1日政令指定市である大阪市の解体と4つの特別区への再編の是非を問う(「大阪都構想」)の住民投票が大阪市で実施され、僅差で否決されました。しかしこの住民投票に外国籍を持つ住民は排除されました。大阪市は政令指定都市の中でも外国籍住民が最も多く14万5857人(5.3%)の外国人住民が居住しています(2019年12月末)。これだけの人々が自分たちの生活に大きな関わりのある住民投票に参加できないことは重大な問題です。しかし、各マスコミや政党もこの問題を大きく取り上げませんでした。日本政府は1952年のサンフランス対日講和条約によって在日朝鮮人や台湾人から投票権を剥奪したところからこの問題は始まっています。それ以来、在日外国人は公職選挙法の選挙権を奪われ、様々な地方自治に関する選挙にも参画できませんでした。しかし地方の住民投票については、2002年3月、滋賀県米原市が市町村合併に関する住民投票で、外国籍住民に投票を認めた例をはじめ、現在全国38市町村で、外国籍住民に投票権を認めています。最高裁判所に於いても、1995年2月28日の判決で地方自治に関する投票権を否定していません。大阪市の松井市長は、「外国籍住民にも住民投票を認めるように」という市民の陳情に対し「外国籍住民が住民投票に参加したいのであれば、ぜひ日本国籍を取得してもらいたい」と述べましたが、大阪に最も多く居住する在日コリアンの歴史的背景などを考えると、この発言は外国籍住民に対する冒とくです。
今後、外国人の地方参政権だけでなく、地方公務員と小・中・高校教員の任用制限や職種制限の撤廃、人権擁護委員や民生委員、児童委員など地域生活に密着した役割を担う職種も外国籍住民の参画を認めるべきです。
◎多文化共生社会の実現を
日本政府は、急速に進む少子高齢化によって労働者不足が叫ばれる状況下、外国人労働者を受け入れやすくするための「新入管法」(「『出入国管理及び難民認定法』
及び『法務省設置法』の一部を改正する法律」)を2019年4月から施行しました。2019年から2024年の5年間に約34万人の外国人労働者を導入する計画ですが、「新入管法」の目玉である「特定技能1・2号」は、当初年間4万人程見込んでいた政府の目論見とは裏腹に、現在実数は1割にも達していません。日本政府は「移民」政策は採らないと言い続け、外国人労働者を人間ではなく、単なる安価な労働力としか見ていません。その結果、諸外国から日本の外国人労働者施策に対し、厳しい批判が寄せられ、国連の人権委員会からも「改善勧告」が為されています。外国人労働者は単なる労働力ではなく、その前に人間であり、労働以外に趣味の時間を持ち、恋愛をし、結婚をし、子どもも生まれるのが必然でしょう。そこには労働問題だけでなく、当然福祉や教育、医療、防災問題など、様々な問題が生じてきます。
日本は1990年施行の「改正入管法」以来、この30年間に受け入れてきた南米やアジアからの多くの労働者に対し、抜本的な社会統合(包摂)政策がなければなりません。そのために第1として、技能実習制度は直ちに廃止するべきです。第2に
「特定技能1号」「特定技能2号」の区別をやめ、就労可能な他の在留資格と同じように始めから家族帯同を認め、永住権申請が可能となる在留資格にすべきです。第3に技能実習生への搾取構造に酷似した受入れ機関や登録支援機関などの仕組みを排除し、新しい在留資格による受け入れを公正な機関の受け入れのプロセスと企業マッチングによる直接雇用によるものとすべきです。第4に外国人労働者に日本人と同一の賃金と待遇を実質的に保障するため、労働基準法や最低賃金法の遵守はもとより、社会保障の適正運用も民間任せにするのではなく、公正な機関が管理できる体制を整備するべきです。第5に
「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」では、「専門的省庁」を創設してその役割を担う必要があります。第6に
外国人労働者が社会の一員として暮らすための体制を整備するためには、家族帯同、日本人と平等の社会保障(健康保険、年金等)等の社会統合政策がなければなりません。国籍差別や人種差別の実態を踏まえ、移民基本法、差別禁止法を制定し、移民の権利保障の体制を整えなければなりません。
一方、外国人労働者にかかわる問題の中で、特に外国人の子どもたちの「教育問題」「貧困問題」「人権問題」は深刻な状況です。外国籍の児童・生徒を持つ親に「就学通知」が出されていない場合があり、学校に行けない子供たちが多くいます。また、多くの子どもたちは日本語理解が不十分で、授業の進度についていけず不登校になる子どもたちや、発達障害とみなされ特別支援学級に編入させられたりしています(日本人児童・生徒の2倍強)。一昨年9月文部科学省の発表では、日本語指導が必要な外国籍または外国にルーツのある児童・生徒の数は50,759人に達しています。これに対し、学校側では日本語指導教師が圧倒的に不足しているのが現状です。(京都市の場合も同様です)ここで私たちが注意しけなくてはならないのは、単に「日本語教育」だけをすれば良いのではなく、親子のコミュニケーションと、子どものアイデンティティを保障するためにも、母語教育も行わなければなりません。児童生徒一人一人の母語による「多言語教育」が必要です。これらを実施するには多くの費用と労力が必要ですが、子どもの権利を保障するためには必要なことではないでしょうか。
グローバル化した世界の中で、日本政府と日本社会全体が、外国の人々に対する差別・排外主義を抜本的に改めなければ、日本社会の展望は切り拓かれません。
4.人権確立に向けたこれからの運動展開
(1)「優生思想」の克服を
ウイルスや感染症について考察するときに、私たちにとって負の歴史的記憶として、極端な排除・隔離政策をおこなったハンセン病の歴史が想起されます(ハンセン病そのものは、実際には、強い感染力はなかったのですが)。「一人のらい病者も出さない」という「無らい県運動」が、1930年から戦後の1960年まで展開され、官民一体となった摘発、一般市民による監視制度という側面もあり、警察への通報が強制収容へとつながりました。ハンセン病が疑われただけで、家族から引き離され、収容施設に送り込まれ、生殖能力を奪う手術さえ強要されることがありました。また、残された家族も、地域から非難の目を向けられ、排除されたと言います。患者協議会は、らい予防法が制定された1931年から1970年代の半ばまで法改正の運動に取り組みましたが実らず、1990年代になってようやく見直しの動きとなり、1995年に、ついに法は廃止されました。しかし、国は充分な科学的根拠もなく隔離・排除してきた理由について説明し謝罪することはせず、患者たちの怒りや悔しさは癒えることはありませんでした。その後患者やその家族たちによる国家賠償請求訴訟が起こされ、国は敗訴しています。
このような病者や障害者を、立法府を含めた権力であるところの国家が、法律を駆使してまで「上から」差別や排除を扇動する理由として、イデオロギーとしての「優生思想」があります。これは、旧優生保護法を根拠として「不幸な子どもを産まさない」として、障害者の「強制不妊手術」を強制した歴史にも通じ、裁判は現在も継続していますが、裁判所は、旧法の規定は違憲であったとしつつも、不法行為から20年の除斥期間の経過で賠償請求権は消滅したとして、請求を棄却する判決が続いています。
ゲルマン系の白人のみを優秀な民族として、その他の民族、障害者を大量殺りくした例としては、第2次世界大戦中のナチスドイツの人類を震撼させた所業として世界的に注目を集め、ナチスに対する批判、論考、原因の追究は現在も継続しています。何よりも、ドイツは国としての謝罪、補償は法的根拠を背景に徹底的になされています。それに比べて、日本が行った戦争責任は明らかになったとは言えません。21世紀になってさえ、日本という私たちの国、社会に欠けているのは、こうした徹底的な振り返りと、反省、自らがおこなった行為がどれほどの人権侵害であったのかという究明と、それを国策としておこなったことの責任を自ら遂行していくという決意だったのではないでしょうか。
生物多様性条約は、1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロでの地球サミット以降、各国の批准が開始され、日本は1993年に締約国となっています。全世界での加盟国数は196ヵ国と、国連加盟国のほぼすべてが参加する条約です。生物多様性条約第二条による定義は「生物多様性とは、すべての生物の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」となっていますが、ここで言う「変異性」とは、英単語では「variability」=「多様に変わる力があること」と意訳してもよく、その定義をわかりやすくいうと「生物多様性とは変わる力があること、あるいは変わる力がある状態を意味する。それは遺伝子・種・生態系の三つのレベルで考えられる」となります。生物には各々、多様に変わる力があるということ、それは私たちがこれから未来を志向するときに、大きな力と自信になるのではないでしょうか。
これまで経済の発展を志向し続けてきた私たちの社会は、その方策として「機能分化・単純化・効率化」をはかってきました。目的を一つにしぼり、あらゆるものごとを規格化し、作業を単純化。一つ一つの工程にかけるコストを下げることで利益を追求してきました。けれども田んぼ一つを例にとっても、単位面積当たりの収量をいかに増やすかだけを重要視し、大規模化・機械化を推進し、農薬や化学肥料によってトンボやドジョウや昆虫が死滅しても頓着しないと考えれば、多様性は消滅し、単純化したシステムが脆弱性を生むこととなります。こうした「生物多様性」の劣化は絶滅危惧種と呼ばれる生物を発生させ、近年では2002年の絶滅危惧種数は約1万1千種であったのが、2020年では3万5千種になっているといいます。
人間以外の多種多様な生き物たちが住まう地球が、人間たちの振る舞いによって疲弊している現状については、若い世代がより敏感に反応しています。それは、「生物多様性」という言葉の認知度にもあらわれ、ビーガンと呼ばれる菜食主義や、化学繊維や石油製品をなるべく身に着けない暮らし方などを模索する人々も増えています。このことは、多様性の尊重こそが、私たちの生命を持続させるための重要な考え方であることが徐々に認知されているということです。様々な文化的背景を持つ国や地域の人々、障害のあるなし、性別など、違いや多様性を認め合えることが社会の強靭さを担保するのだと理解し、これからも共に働き、共に生きる「共生・協働の社会創造」をめざして歩んでいきたいと思います。
5.教育をめぐる状況
(1)京都市における同和教育の歴史(佐藤養正小学校長)
京都市は,これまで教育を支えてきた豊富な経験と資質・指導力をもった管理職・教職員が退職する大幅な世代交代の時期を迎えています。京都市の「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という教育理念を引き継ぐためにも様々な事柄を次第送りしていく必要があり,その中の一つに同和教育があります。同和施策が行われていたことを知らない教員も増え,「オールロマンス事件」という言葉を初めて聞いたと話す若手・中堅教員もいるほどです。また,人権教育はわかるが同和教育とは一体どんな教育か理解していない教員も多い状況です。これまで我々が大切にしてきた同和教育の精神をしっかりと次第送りし,現在の社会に合った同和教育を継続していかなければなりません。そのためには,若手・中堅教員に今まで同和教育を実践してきた教員が歴史や経験,思いなどを知らせる場が必要となってきます。諸先輩方から脈々と受け継がれてきた京都市の同和教育の精神を絶やすことなく,現在目の前にいる児童・生徒を徹底的に大切にしていく教育の在り方を考えていかなければなりません。
同和教育の歴史は,被差別部落の厳しい生活実態から始まります。戦後の混乱期が終わり,ようやく安定した世の中になってきた頃(1950年代),場所によって異なりますが被差別部落では,狭い道路に家がひしめき合い,バラックやトタンといった非常に粗末なつくりの住宅に住んで生活している状態でした。水道はひかれておらず共同で井戸を使用している,共同でトイレを使用している,大変狭い部屋に家族数人で暮らしている等の状況がありました。「オールロマンス事件」で描かれていた厳しい生活環境そのものでした。
その厳しい生活実態の中,生活のために保護者は朝から働きに出て夜まで帰ってこない,子どもが家事をしたり子守りをしたりしなければならない,居住地で共同で使っている場所(トイレや井戸等)の掃除や管理などを子どもたちに任されている等,しなければならないことがたくさんあるので学校へ行けない,また経済的にも大変苦しい状態で一人の稼ぎ手として働かざるを得ない状態「今日も机にあの子がいない」が続いていました。当時の被差別部落の長欠・不就学児童・生徒の数は,全市平均の約10倍もの格差がありました。学校に行けない子どもたちは,中学校を卒業しても安定した仕事に就くことができず,経済的に苦しい状態に置かれ,働き続けなければ生活が成り立たない状況になる,そうすると子どもが学校へ行けない・・・。こういった負の連鎖が続いている状態でした。そして、周りからの厳しい差別がそれに追い打ちをかけたのです。
この「負の連鎖」を断ち切り,部落差別をなくすために学校ができることがないかという考えのもと,同和教育が始まっていきました。まずは経済的な負担を軽減するために「特別就学奨励費」が支払われ,夜学校,教員の手弁当による隣保館等での補習が行われ,行政の施策として補習学級が開設されました。低学力からの脱却を目指し,日々取組が進められました。その甲斐あって1960年代には長欠・不就学児童・生徒の格差はほとんどなくなりました。しかし,今度は高校進学率が大きな問題となりました。その頃,全市的には約75%の生徒が高校へ進学していましたが,同和地区では約35%と全市の半分以下になっていました。そのため,経済的にも雇用的にも安定した仕事に就くことができず,そのことが部落差別を助長していました。この格差を何とかしようと,進学促進ホール等の取組が進められ,1970年代にはほぼ格差はなくなりました。
(2)特別施策と現在の課題(大西竹田小学校長)
このような厳しい実態の中,負の連鎖を断ち切るためには,子どもたちの学力を高めていくことが不可欠でした。しかし,同和地区児童・生徒の学力定着に向けては,学校教育の場だけでは保障しきれない状態であり,教師が,学力保障のため勤務時間外に地域に入り補習学習に取り組みました。そして,1953年(昭和28年)の12月補習学級開設の申請書を当時の京都市教育委員会に提出しました。このような教師集団の動きが,教育委員会に認められ,全市的に補習学級開設への動きに広がっていきました。
それから,約10年後の1964年1月9日「京都市同和教育方針」が出され,同和地区児童生徒の「学力向上」を至上目標とした実践活動が本格的に始まっていきました。また,国も同和問題は,人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり,日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。よって,早急な解決こそ国の責務であり同時に国民的課題であるという「同和対策審議会答申」が1965年8月11日に示されました。そして,この答申を踏まえ,1969年7月,同和対策事業特別措置法が制定されました。この法律は時限立法であったことから数回にわたり改正と延長がなされ,33年間にわたる特別施策が実施されました。特に教育の分野では,子どもたちの学習の拠点ともいうべき学習センターが建設され,自学自習の習慣や経験の拡充をねらった取組を進めていきました。そして,同時に家庭の教育力を高めるための懇談会や家庭訪問の取組も重点的に行っていました。このような特別施策の取組は,2002年3月をもって終了となりましたが,今も「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という京都市の教育理念に受け継がれていると考えています。
ただ,現在においても部落問題が解決されたという状況ではありません。2019年3月に報告された京都市人権に関する意識調査の中で,次のような結果が出ていることは知っておかなければなりません。「結婚相手を考える際に気になること」で,その対象が同和地区出身かどうかについて,「気になる」と答えた割合が,3割弱でした。前回調査よりも低くなったとはゆえ,まだまだゆわれなき差別が存在しているという厳しい状況にあります。そして,家を購入したり,マンションを借りたりするなど,住宅を選ぶ際に,近くに同和地区があることを気にする人がそれぞれ2割を超えているという結果も見逃すことはできません。
また,特別施策が終了した後,14年間部落差別に関する法律はありませんでした。しかしながら,部落差別により結婚が妨げられる等,偏見に基づく差別が現在もなお存在し,インターネット上に差別を助長するような情報が掲載されるといった問題も後を絶たないことから2016年12月に部落差別は許されないものであり,部落差別のない社会を実現することを目的とした「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。
このような現状も踏まえながら,2019年1月,「京都市教育委員会《学校における》人権教育を進めるにあたって」の一部改訂がなされました。本改訂は,個別的な課題の内容を中心に行われましたが,「同和問題にかかわる課題」に対する「現状と課題」では,学校教育においてこれまでの同和教育の成果の普遍化を通じて,すべての子どもたちの学力向上を目指す今日の本市教育に受け継がれていることや「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行され,これを解消する取組を進めることが引き続き求められていることが記されました。また,「取組にあたっての基本的な考え方」については,「すべての子どもの自立と家庭の教育力向上の支援など,人権教育としての取組を一層充実させるとともに,社会科での同和問題の指導をはじめ,人権尊重の観点から,発達段階に応じて,同和問題を児童・生徒に正しく理解させる指導を推進する。」「新たな差別を生むことがないよう,指導が真に部落差別の解消に資するものとなるよう,内容,手法等に関する研修を実施するなどその指導体制を構築する。」というように改訂がなされました。
社会の仕組み,学習の仕方や内容は,どんどん変化してきていますが,子どもたちが抱えさせられている負の連鎖が完全に断ち切れたかと言えばそうではない現況があります。このような現状を踏まえ,学校現場においては世代交代も進んでいますが,「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」ため,厳しい現実から目をそらさず,子どもや保護者と寄り添い,子どもたちの力を高め,生きていくための選択肢を広げていくとともに部落差別解消に向けた取組を一層進めていかなければならないと考えています。
(3)なぜ,同和教育に情熱を注いできたか(澤田二条中学校長)
一言でいえば,「差別の不条理とその前で苦しむ生徒やその保護者,地域の皆様に出会ったから」ということだと思います。
同和関係校に赴任したのは教師になって4年目を迎えた時です。それまでの3年間で,私は完全に「天狗」になっていました。教科指導に学級指導,生徒会指導や部活動指導など,自分にできないことは何もないとまで思い,驕り高ぶっていたと言ってもよいかと思います。同和関係校に赴任して,前年度まで当たり前にできていた指導が通じない,上手く指導できないことの理由を,はじめの頃は生徒たちのせい,保護者のせいにしていました。『自分のやり方は間違っていない。指導が通じないのは彼らが悪い。やっぱり部落の生徒や保護者は難しいなあ。』とそんな風に捉えていました。部落問題を抱える生徒やその保護者と関わろうとした時,はじめに向き合わなければならなかったのは「自分の中にある差別性」でした。
当時26歳だった私は,26年間の人生の中で,知らず知らずのうちに,部落やそこに暮らす人々に対する偏見をもたされていることに気づきました。
自分の中にある差別性と闘うのはしんどかったです。しかし,そんな私を目の前にいる生徒や保護者の方が変えてくれたと思っています。
「お前に俺らの気持ちが分かるのか」当初の私は,部落の生徒やその保護者からそう言われることを常に恐れていました。しかし,部落問題に関して自信のない私は,この生徒や保護者と部落問題抜きで話をすることでは十分に通じ合えないと分かってはいてもそれが出来ずにいました。所謂,「“ぶ”抜き」「“サ”抜き」の指導しかできなかったのです。今にして思えば,そんな指導が届くはずがないことは十分分かりますが,当時の私にはできなかったのです。同和関係校での勤務が長く続かない教師もいましたが,多くはこのことに限界を感じて転勤していったのではないかと思います。
同じ学校に長く勤務し,徐々に徐々に部落の生徒や保護者,地域の皆様との関係ができていくにつれて,見えてくることや分かってくることがありました。例えば,生徒の“荒れ”の問題です。彼らは,自分がいくら努力しようがどうしようもない部落差別の壁の前で苦しみ抗っているのだと気づいたとき,共感的に理解ができ,そうすると指導が届くようになりました。保護者や地域の皆様との対応も同様です。『難しいことを言ってくる保護者(人たち)やなあ』言葉だけから判断するとそうなりますが,その人たちが置かれている社会的状況を考えた時,それが理解できるようになり,不思議とぶつからなくなっていったのです。
3年,6年,9年と時間が経過するにつれて,私自身が変化していくことに気づきました。生徒指導や授業の在り方や保護者対応や地域の運動団体の方との付き合い方も明らかに変化していったと思います。具体的なことで一番の変化は,自分の考えや意見を言うよりも前に相手の声を聞くようになったことでしょう。
「生徒指導は生徒理解から始まる」今では当たり前のようにそう考えますが,生徒との関係で自然にそのように感じるようになりました。
生徒と腹を割って,つまり部落問題を間において話ができるようになり,学校としても「語り合いの人権学習」を行うようになって,部落に住む生徒の想いや願いを直接に学年や学校全体で共有できるようになると,この子たちを苦しめている部落差別を心から憎むようになりました。ある卒業生から聞いたことを紹介します。この生徒は小学生の頃から部落問題に対して正面から向き合い,自分の意見をもっている生徒でした。
大学1回生になった彼女は,彼氏に自分が部落に住んでいることを打ち明けるのが怖かったと言います。
彼氏も彼氏のご両親も彼女のことを可愛がってくれておられる状況の中,そのことで関係が崩れたらどうしようかと思ったと涙ながらに語ってくれました。
この世の中に部落差別がなかったら,自分にとっての大事な教え子のひとりであるこの生徒はこんな思いをする必要がないと,真剣に部落差別を憎み,失くすためにできることを考え,実践していかなければならないと決意を新たにしたものです。
また別の場面もあります。翌日にその生徒が学級で「立場宣言」をすることになっており,激励のために家庭訪問をしていたときです。因みに「立場宣言」ですが,それは部落に住んでいる生徒が,学級の前でそのことを語る場面を設けるのです。当時の教育においては,多くの学校で重要な場面と位置付けて取り組んでいまいた。別にそれをさせなくても,学級の生徒たちはその子が部落の生徒だと知っています。しかし,自ら話すことで,それをきっかけとしてその生徒の生き方に変化が現れるのです。具体的に言えば,進路の獲得に向けた取り組みに拍車がかかったりするのです。その生徒と話している際,突然次のように言ったのです。
「先生,先生も部落か?」その問いに対しては,多分直接には答えてはいないと思います。ただ涙がハラハラと流れたのを覚えています。その学校に赴任した頃,「お前に俺らの気持ちが分かるんか」と問われることにおびえていた自分を思い出しもしました。そして,次のように答えました。
「この世の中に部落差別があることを本当におかしいと思うし憎いとも思う。だから,それをなくしていきたいと思う気持ちはお前とおんなじやで。」
このような生徒や事象との出会いがあったことで,自然と部落問題解決に向けての取組に一生懸命になっていったのだと思います。
(4)同和教育に関わってきて,教育はどう変わったか(佐藤養正小学校長)
同和教育は,最初は同和地区児童・生徒を対象にしていました。しかし,周りに目をやってみると同和地区児童・生徒だけでなく,いわゆる「しんどい子」は他にもたくさんいました。そこで,課題を背負わされた,困りを抱えた児童・生徒を対象に進めていきました。同和地区児童,課題を背負わされた,困りを抱えた児童・生徒の共通点は学力が低位であることでした。そこで,学力向上を最重点課題として取組が進められました。この子どもたちに響く授業をしようと,焦点化指導を行いました。京都市教育の根幹として「一人一人を徹底的に大切にした教育」が叫ばれ,家庭背景・成育歴を考慮した教育,寄り添った生徒指導,その子に合った声掛け・手立て,ユニバーサルデザイン教育,総合育成支援教育,外国人教育等,様々な分野での取組を進めてきました。
学力向上の取組や一人一人の課題に合った教育は,現在どこの学校でも取り組まれています。これは,これまで同和教育の精神を大切にしながら京都市の子どもたちにために尽力してきた諸先輩方の功績であります。現在は同和問題をはじめとするすべての人権問題を解決すべく,一人一人を徹底的に大切にした教育が進められています。
具体的には,
家庭背景・成育歴を考慮した教育
・家庭訪問を積極的に行い保護者と顔を合わせて話し込む。「足で稼いで空気を感じる」
・母子・父子家庭への配慮をした言葉がけをする。「明日のお弁当お父さんに頼んだか」
・被虐待児童への対応をする。「朝ごはん用に晩御飯少し残しとき」
寄り添った生徒指導,その子に合った声かけ・手立て
・見捨てない,あきらめない生徒指導「「しんどい子から目をそらすな」
・その子に響く声かけをする。「殴ろうと思っていたけど,我慢して言葉だけやったんやな」
・温かく相手を受容した声かけをする。「何してんねん!」 ⇒ 「どうしたんや。なんかあったんか」
ユニバーサルデザイン教育・総合育成支援教育
・視覚支援 ・ヒントカード ・個別の声かけ ・学習の流れの掲示
・だれもがわかる・できる・楽しい授業のデザイン
・障害がある児童・生徒への支援・配慮
外国人教育
・言葉に配慮する。「日本人」 ⇒ 「日本で生活する人たち」
・政治が起因する誹謗・中傷・差別への配慮
現在学校では,目の前にいる児童・生徒を大切にする教育として,同和教育の精神を大切にした教育活動がおこなわれています。「この子を何とかする」「しんどい子から目をそらさない」という同和教育の精神こそ,真の教育の在り方ではないでしょうか。
(5)同和教育から私が学んだこと(大西竹田小学校長)
同和教育から私はたくさんのことを学びました。そして,それは自分の教育の基本となっています。私は,当時識字学級の指導者をしていましたが,一人の学級生さんに出会いました。お子さんが小学校に通っていた時には,保護者でもあったのでご本人や子どもとは以前から面識はありました。幼い時は,家の手伝い等でなかなか学校へ行くことができず,文字の獲得が十分ではない方でした。高齢の学級生が多い中,一番若手ではありましたが週1回の文字の学習を楽しみにされていました。
私は,その方の子どもが中学3年生の時に個別学習の担当となりました。普段は,問題集を使って文字の読み書きの練習をされていました。しかし,ある時子どもの高校受験で必要な願書を持ってこられました。これを自分の力で書いて提出したいということでした。まだまだ,ひらがなも十分ではなかったので,提出しなければならない大切な願書を書くということは大変難しいことでした。ある程度,きれいに仕上げなくてはなりません。先生たちに頼むこともできたはずですが,「子どもの願書は,自分で書きたいねん。」と言って,努力されていた姿は,忘れられません。願書を数枚コピーし,何度も何度も下書きをされました。完成させるまでには,何日もかかりましたが,仕上がったときの笑顔は最高でした。
私は,この時の経験を通して,やっぱり子どもは何があっても学校へ来て様々なことを学ばせなければならないと思いました。また,部落差別に起因する負の連鎖を改めて感じ,差別解消が必要であることを強く認識しました。
プリントを配布するだけですべての子どもや保護者が,すべての内容を理解することができるのでしょうか。宿題や持ち物を忘れることは,単に子どもが悪いのでしょうか。子どもの背景をしっかり見て指導することが重要であるとよく言われますが,「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」ためにその家庭を知ることは本当に不可欠なのです。
(6)「同和地区生徒だから関わるのではない教育」とはどういうことか
(澤田二条中学校長)
私の場合は,法律に裏打ちされた同和施策の一つとして同和関係校へ異動しました。事前にそのように説明も受けましたし納得もしての異動です。同和教育との出会いはこの異動がきっかけです。それがなかったら,おそらく私は全く違うタイプの教師になっていただろうと今でもそう思っています。
同和教育とは,同和問題の解決を目指す教育の分野での取組です。当時は,センター学習や特別就学奨励金制度など特別施策が色々とありました。「同和関係校に勤務すればセンター学習や家庭補習や家庭訪問などがあって帰宅時刻が遅くなる」当時はそんな風に言われもしました。私もはじめのうちは,“行かなければならないから行く”という感覚で,『面倒くさいなあ。なんでこれくらいのことで家庭訪問をせなアカンねん』と不満をもったことがあります。生徒が荒れていた頃はセンター学習もその指導がしんどく,理想と現実とのギャップに苦しんだこともありました。しかし,この考えも時間をかけ,経験を積むことによって変化していったと思っています。
厳しい現れ方をしている生徒にばかり目を奪われていましたが,真面目に取り組む生徒が力を付けていく様子を見ることで施策の意味と重要性に気づけるようになっていきました。そしてそのことが厳しい状況にある生徒の指導に対するエネルギーとなっていきました。
はじめは,部落の生徒だからこういう特別な取組をするんだと思っていましたが,部落問題の本質が見えてくると,その子たちの課題がその他の生徒に比べて圧倒的に大きいのだからそうあることが当然なのだと思えるようになりました。今は,課題の大きさ・深さによって取組の量や質が変わることは当たり前であると思っています。所謂「結果の平等」を求める考え方です。
これまで本市で培われてきた同和教育の考え方は,同和地区の児童・生徒だけに対して取り組むのではなく,厳しい社会的状況に置かれたすべての児童・生徒に対して,その課題に応じた取組を計画して実践することです。
障がいのある人に対する差別,在日韓国・朝鮮人に対する差別,女性や性的マイノリティーに対する差別,琉球民族やアイヌ民族に対する差別,その他,いじめや老人,施設出身者や貧困家庭や単親の子どもに対する差別など,差別は色々とありますが,その本質は皆同じです。私はそのことを同和地区生徒に集中的に取り組むことによって理解しました。そして今,それぞれの差別に「より厳しいもの」などないということも断言できます。
本人の努力ではどうしようもないこと,本人に責任の負えないことで不当な扱いを受ける可能性の児童・生徒に寄り添い,彼らに力をつけさせ,将来,もし差別に出会ったときに倒れてしまわないようにすることは私たち教師,特に公立学校に勤務する教師の使命だと考えています。児童・生徒の課題は,社会的な背景に裏打ちされたもの(社会問題)ばかりではありません。例えば低学力や学習障害や発達障害という課題のある子どもたちもいます。その児童・生徒一人ひとりに応じた手立てを創造し丁寧に取り組むことで一人も置き去りにしない教育,一人も取り残さない教育が同和教育の精神であり,私たちが実践し続けていかななければならない教育です。
(7)京都市立二条中学校の取組
京都市の小学校,中学校,高等学校において,その学校に適した人権教育につながる独自の取組がなされております。その中でも京都市立二条中学校の取組について,一例として紹介させていただきます。
手話劇について
二条中学校には,50年以上の歴史を持つ京都市の中学校では唯一の固定制難聴学級があり,京都市内の対象となる生徒達が通っています。多いときには,1学年に10人の生徒がいることもありましたが,ここ数年は,各学年2〜4人程度,3学年あわせて10人程度の生徒が在籍しています。多くの生徒は,同じく固定性難聴学級のある小学校(二条城北小学校・九条弘道小学校)から入学しますが,あわせて,地域の「ことばときこえの教室(通級指導教室)」からや,それまで全く難聴教育を受けていない生徒が入学してくることもあります。
つまり,京都市全域から難聴学級の生徒たちは通ってくるのです。中には,公共交通機関を乗り継ぎ,1時間近くの時間をかけて通っている生徒もいます。そして,その子たちは授業の多くを学年ごとにある難聴学級において少人数で行います。しかし,行事や生徒会活動,部活動などすべては通常学級の生徒と共に取り組むのです。そして,文化祭では,難聴学級生徒がいることがきっかけで始まったのであろう全校手話コーラスや,コンクール形式ではない形の合唱や難聴学級による太鼓演奏の発表を行っています。
さて,その文化祭では,難聴学級生徒と通常学級の有志の生徒によって,毎年手話劇を実施しています。手話劇とは,台詞をいいながらその内容を手話で表現する劇のことです。最近,二条中学校の難聴学級の生徒はほとんど,日常的では手話を使うことはありません。しかし,手話劇の取組を通して「難聴」である自分のことを考えます。
手話劇の内容について具体的には,ここ5年ほどは生徒の想いを劇にしたてて発表しています。脚本づくりは夏休みに実施する難聴学級独自の行事,「サマーキャンプ」の中で行う「自分の思いの発表会」から始まります。テーマについて形式はありません。ただし,自分の「きこえ」について触れることを約束としています。1年生にとっては,初めての発表です。自分の普段思っていることをいろいろな内容で発表することとなるのですが,
2・3年生ともなると,1年生の時に感じた先輩達の「きこえ」についての熱い想いを受けて,自らについて語るという成長を見せてくれます。発表の合間,合間にその想いについて意見を言い合う中で,難聴学級の卒業生,高校や大学,さらには社会人になった立場の先輩からアドバイスをもらう場面もあるのです。その内容,つまり悩みや想い,その子たちの心の声が台本の元となっていきます。
今年度の手話劇では,コロナ禍のもと「マスクのせいで口元が見えなくて,話がわからない」という生徒達の悩みをもとに,「こんなことに困っている」という内容で劇の練習に入りました。しかし,取り組んでいるうちに生徒達は,自分たちが困っている様々な現状はもちろんのこと,自分達のために,わかる工夫をしてもらったり,手作りの透明マスクを持って来てくれたり,むしろ温かい応援をたくさんもらっていることに気が付きました。最後には,自分達にも返せるものがあるだろう,だれかに思いやりを届けることができるようになりたいという言葉で劇をしめくくり,自己開示,周りへの感謝,自分への振り返りが散りばめられたメッセージ性の強い劇となったのです。
この手話劇の取組を通して,難聴学級の生徒達は自分の「きこえ」について,より深く考えるようになります。それが悩みにつながる時もありますが,決して自分一人ではない,同じ「きこえ」に悩みを持つ仲間がいるということを強く実感する場面でもあるのです。劇が終わり,鑑賞した人達から心からの感想をもらうことで,さらに想いを深めていくことになるでしょう。日々の学校生活の中で実際には,難聴学級の生徒達から通常学級の生徒達へ積極的に関わっていくことは少ないのですが,劇を見たすべての生徒達も,何かしらの熱い想いを感じ,身近な仲間について考えるきっかけとなっているはずです。この手話劇は,難聴学級の生徒と通常学級の生徒それぞれが自らを振り返るための大切な取組の一つであります。
このように,二条中学校の全生徒にとって,お互いの多様性を認め合う学校生活そのものが人権学習であり,本校の人権教育の根幹となっております。
京都市立二条中学校 人権宣言
今年度は総合学習の中で「人権」をテーマに,学年ごとに学習を深め,12月に学習発表会・研究報告会を催しました。本校ではシンボルツリーとして「カナリーヤシ」があることから,総合の時間を「カナリータイム」と称しております。「カナリータイム」で中心となる係として,カナリー委員をすべての学級から2人選び,活動をしていくことになりました。その子たちが1年間をかけて作り上げた「人権宣言」がこの学習発表会で採択されることとなったのです。その「人権宣言」作成に至った,目的と取組の流れ,そして採択された「人権宣言」を紹介させていただきます。
目的
*二条中学校のこれまでの取組と今年度の取組との結びつきを生徒に実感させる。
*今年度の総合的な学習の時間での学びを簡潔な文章にまとめ,学習を振り返る。
*総合的な学習の時間の学びを,今後にどのように活かし,そして行動していくかの指針となる。
採択までの取組
@カナリー委員の設置
Aカナリー委員内で前文係と条文係の設置
B昼休みに限定し,係会
C英語通訳者3名,手話通訳者5名を選出
Dカナリー委員が講堂の舞台で発表する練習を3回(群読)
E研究報告会・学習発表会当日に宣言
F全校生徒の拍手をもって採択
二条中学校 人権宣言
我々,二条中学校生徒は皆が人を大切にする,また人から大切にされるために,この宣言を立案した。この宣言は,二条中学校の生徒全員が幸せになるためのものである。私たちは一人ではない。思いを語り合い,互いに信頼を育むことで,真の仲間になった。誰も取り残されない学校,それが私たちの学び舎,二条中学校である。
PROJECT NIJO
2020!
N! 仲間を信じられる
I! 居場所がある
J! 自分の弱さをさらけ出せる
O! 思いを語り合える
この1年間,
1年生は仲間を想い,いじめをしない,させないことの大切さを学んできた。
2年生ははたらくことの大切さや多様性を理解することの重要性を学んできた。
3年生は多角的な視点から「平和」について考え,SDGsを追究し,自分たちに何が出来るかを学んできた。
第1条
いじめをしない,させない。校外学習やいじめ問題の取り組みを通し,信頼できる仲間のいる喜び,認め合えない悲しみを知った。私たちはここにいる誰一人,つらい思いをさせない。互いが互いを認め合い,いじめの発生を阻止し,自然に笑顔があふれでる学年でありたい。
第2条
多様性を認め合い,共に生きる。「もし自分たちが会社をつくるなら」のカナリ―学習を通して,多様な人たちが共に楽しく働く工夫を考えてきた。その中で,話し合う力を高め合うとともに,人を大切にする力も高め合った。これらの力を,将来の職業選択や一人一人の良さを大切にして生活することに活かしていきたい。
第3条
当たり前の幸せに感謝を,すべての人に当たり前の幸せを。「本当の幸せ」「本当の豊かさ」が平和の上に成り立つことを学んだ。一つのことを多角的に捉え,お互いを認め合い,人を大切にする力がついた。人と人とがつくる身近な幸せを大切に,平和な未来を広げていきたい。
私たちが受け継いできた,そしてつくり上げてきた素晴らしい伝統は
すべて人が人を大切にし,また,大切にされるためのものである。この「二条中学校人権宣言」を,次の学年に進級しても,卒業しても生徒一人一人が守り続けることをここに誓う。
令和2年12月8日 京都市立二条中学校 生徒一同
このように,生徒たちに,自らの人権や周りの仲間たちの人権について考える場面を,「対話」そして「仲間づくり」を通して日々設けております。ほんの一例ですが,これが二条中学校の人権学習につながる取組であります。
※ 学習発表会では,手話通訳を付けるのはもちろんのこと,英語通訳を行い,宣言されました。
以下が英語通訳された「二条中学校 人権宣言」です。
Nijo junior high school Human rights declaratio
All students in our school value all people.
To be valued by a lot of people, we made this declaration.
We want to bring joy to all students with this declaration.
We are not alone.
We are friends, talk with each other, and having each other’s
trusts.
All students should be with their friends, and not alone.
This is our school.
PROJECT NIJO
2020
N! “N”
means that we believe in our friends
I! “I”
means that we make a comfortable atmosphere
J! “J”
means that we overcome our weaknesses
O! “O”
means that we express our opinions and ideas freely
For one year,
1st grade students have learned not to bully and to value their
friends
2nd grade students have learned importance of hard work and
diversity
3rd grade students have thought about peace from multiple
perspectives, pursued
the SDGs, and learned what we can do.
[ Article1 ]
Don’t bully anyone. Don’t let anyone bully.
Through the field work and program for anti-bullying, we learned the
joy of having reliable friends and the sadness when we can not see
eye to eye.
No one here is going to have a hard time.
We believe that we are the members who can recognize each other,
prevent bullying and make everybody smile naturally.
[ Artilcle2 ]
Recognizing diversity and living together,
through integrated studying on the theme of “If we establish a
community”, we have considered ways for a variety of people to enjoy
working together. In this context, we improved our ability to
discuss each other, and we also improved our ability to take good
care of each other.
We want to make use of those strength to decide our future career
and live with valuing our advantages.
[ Article3 ]
To appreciate happiness that we usually have, and we hope that
everyone will have it.
We learned that “real happiness” and “real abundance” are based on
peace.
We have gained the ability to see one thing from different points of
view, to recognize and take good care of each other.
We want to expand our peaceful future by cherishing the happiness
that people make.
The tradition inherited and created for everyone is to value each
other and be valued.
This “Declaration of Human Rights at Nijo J.H.S” is a pledge that
each student will continue to keep even if we move up to the next
grade or graduate.
December 8, 2020
All the students at Nijo junior high school
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