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第45回人権交流京都市研究集会
司会:金谷直樹・松川洋祐 記録:山口寛人・亀井英治 1:30〜 分科会の流れ,討議の柱,パネリスト紹介 1:40〜2:10
パネリスト 中山 美紀子さん( 実践報告「この子たちが日本で生きていくために 〜日野小・春日丘中におけるフィリピンルーツ児童・生徒への指導・対応〜」 2:10〜 質疑応答 2:25〜2:55 パネリスト 文 真悠さん 報告「在日コリアンとして14歳の生徒たちに伝えてきたこと〜人権講演を通して気づいたこと〜」 2:55〜 質疑応答 3:20〜 榎井 縁さん(大阪大学 未来戦略機構第五部門 未来共生イノベーター博士課程プログラム特任准教授)
討議の柱と分科会でこれまで話し合ってきたこと ・一人ひとりの違いを認め合い,全ての子どもの人権が保障され,自尊感情が持て,アイデンティティ確立に向けて支援できる学校づくりをめざして ・在日韓国・朝鮮人児童・生徒が民族性を自然に発揮できるクラス・学校とは ・新渡日の児童・生徒に対する教育保障の内容について ・外国人教育から多文化共生を目指す教育への展開について
T 中山 美紀子さん 実践報告内容主旨 ・日野小,日本語教室在籍児童17名(内1名中国ルーツ)。春日野中学校,日本語指導対象生徒6名(内1名中国ルーツ)年々外国にルーツをもつ児童・生徒は増加している。 ・介護施設がフィリピン人介護ワーカーを継続的に採用している。 ・フィリピンルーツ児童・生徒の背景・実態として@新日系人児童・生徒A既に日本国籍を有する児童・生徒B日系人児童・生徒(3世,4世)Cフィリピン児童・生徒(日本ルーツなし。呼び寄せ)である。 ・母語として(フィリピンには約80の言語が存在)@タガログ語Aビサヤ語Bパンパンゴ語Cイロカノ語Dイロンゴ語である。子どもたちには共通の母語はなく,共通言語は日本語である。 ・フィリピンとの日本の教育の違いとして,学習の進度(落第・飛び級)や学習に対する姿勢・態度,定着度,日本の指導内容及び指導方法も違う。 ・児童・生徒は日本語が全くできない状態で転入してくる。(定住予定)よって日本語を学習しつつ,未熟な日本語で学年相当の学力を獲得せねばならない。しかし,学習に気持ちが向かない子どもたちもいる。 ・児童・生徒は保護者に都合(就労)の為,来日・定住)してきた。つまり子ども自身が望んだ来日,日本語学習ではない。よって学習に意欲が持てず集中できない子がいる。 ・子どもたちの置かれている学校の状況は,言葉が分からないことにより人とコミュニケーションがとれない。また授業が分からず学習についていけない状況である。緊張・疎外感・孤立を感じ,年齢相当の認知発達・思考力が育たないでいる。 ・日本語が不十分な親なので,家庭での学習支援困難により親を尊敬できず,親子のコミュニケーション不足があり,母語・母文化の継承がなされないでいる。 ・社会的な子どもが置かれている状況として,日本と出身国の関係や日本社会での母国や母語集団の位置づけにより偏見・差別を受けている。 ・子どもや親たちが抱えている問題がたくさんあり,地域のフィリピンコミュニティーとの交流が少なく,煮詰まった人間関係をもたらしている。 ・児童・生徒の指導の考え方として,まずは日本で定住する力をつけることである。また日本の生活や文化と折り合い,両方の文化を大切にするような指導を心掛ける。日本人化ではない。
質疑 (Aさん) 日野小・春日野中の日本語指導を行う時間はもっと増やすことはできないのか。他の学校にもこのような指導・支援体制はあるのか。 (中山) 授業時間だけでは不足なので,放課後に学習している。また他の学校への情報提供をしている。 (榎井さん)日本語教室の先生はどのくらいいるのか。 (中山) 現在(非常勤講師を含む)18名ぐらいいる。中国語が多い。 (Bさん) フィリピン児童・生徒は持ち物を持ってくることができているのか。また閉じこもる児童・生徒の様子について詳しく教えてほしい。 (中山) 親にチェックしてくれるよう頼むが家庭によって違う。親は外に出ないように言うから,病院の寮の子どもと遊ぶのみ。(保護者の多くが病院の介護士として働く。)
U 文 真悠さん 在日コリアンとして14歳の生徒たちに伝えてきたことや人権講演を通して気づいたことなどを話されました。
・私は在日コリアン3世,主人も在日コリアン3世,つまり我が子は4世。 ・上着の方をチョゴリ,スカートはチマ。ズボンはパジなのでパジチョゴリという。 ・生い立ちは兵庫県伊丹市生まれ,父・母は在日2世,姉・弟・妹の4人兄弟(姉妹),幼稚園から高校まで民族学校(朝鮮学校)で学んだ。 ・朝鮮学校とは基本的に朝鮮語である。「国語」は朝鮮語。別で日本語と英語を学ぶ。歴史や地理は朝鮮半島のものが中心である。民族学校は私学のように学費と寄付などで運営されている。大きな体育館やプールはない。制服は,男子ブレザー,女子チマチョゴリである。 ・なぜ私が,教師を目指したのかというと歴史の参考書から衝撃を受けたからである。国や立場が違えば人のイメージが違うことに気づく。みんなが気づけば朝鮮・韓国と日本が仲良くなると考えた。そこで社会の先生になれないか14歳の時思った。 ・差別されたことについては高校生の同級生に嫌がらせを受けたり,自転車のおじさんに「朝鮮帰れ!」と言われたり,高校卒業の資格がないので通信制の日本の高校に通わなければいけなかったり,妹が日本人との結婚し,現在親戚とは絶縁状態になっている。 ・在日コリアンは中途半端な存在。私たちの帰る場所は韓国?北朝鮮?それとも日本?大学生の時,韓国人留学生に「あなたは韓国人じゃない,日本人よ」と言われた。 ・わたしには2つの名前がある。<本名>文 真悠(ムン チニュ)<通名>木村 真悠(キムラ マユ)。どちらもわたしの大切な名前である。 ・わたしの子どもたちのことについては,名前は通名(あるけど)で呼んだことはない。日本の幼稚園に通わせている。 ・これからのことでは,席の隣の子とは,にこっと笑える関係であってほしい。 ・私の話を聞いて,生徒たちは色んな感想を言ってくれて「クラスを良くします!」と決意表明してくれる子もいた。 ・中学校では外国人教育を担当したが,当事者としてどこまで求めていいのか難しかった。 ・取り組みを通して,講演のたびに少しずつ環境の変化や心境の変化があり講演の内容を修正している。変わらないのは人権問題を身近な問題として生徒たちに受け止めてもらい,身近な人から大切にしてほしいという思い。自分の平凡さがちょうどいいのかもしれない。自分がステレオタイプにならないようにしたい。
質疑 (Aさん)ありがとうございました。今日は竹島の日とニュースで放送されていました。 社会科の先生も含め,教科書が改訂されることにより竹島の問題もしっかりと学んでおかなければ子どもたちに伝えていけないなと感じています。自分の経験を通して社会科の先生に「こういう面は,ちゃんとしてね。」という面があれば教えてほしい。 (文) 実際にどう教えたらいいのか揺れています。逆に教えてほしいです。 (Aさん)自分の経験を含めて伝えることは大切。隣に住んでいる人たちを大切にしていかなければならない。 (Cさん)在日コリアンであり,中途半端な立場でありながら,文さんはなぜ自分の考え方を変えたのか教えてください。 (文) 自分の母が「あんたらが,考えなさい。」と言われたから。 (司会) 今,日本の社会には学ぶ場がある。お母さんの世代では,サポートされたことがないのでは。何か聞いておられることはありますか。 (文) 母の時代の人は生きるエネルギーやハングリー精神みたいなものがすごくあった。結婚指輪を売ってでも学校に寄付していました。今の時代の在日コリアンは,日本人化してもよいなど多様化していっている。
V 助言者 榎井 縁さん パネリストお二人の発表を受けて,助言と問題提起をして頂きました。
・大阪大学は理系の人間をつくろうとしている。また多文化共生社会をつくる人間をつく ことも今大切である。 ・私は外国人支援を15年間行ってきた。識字教育が原点。 ・少しも変わっていない。1990年から在日教育をしている人が今も同じことを言って いる。犠牲になる子は一層減らない。 ・フィリピン児童・生徒は耳に新しい。(新渡日として) ・国際のブローカーによって「日本に行ったらお金がもらえる。子どもは良い教育が受けられる」等伝えられ,ベトナムやフィリピン,インドネシア人が日本に連れてこられている。 ・社会的に外国からきた人で活躍している人はほとんどいない。自己実現できなく挫折している。日本の社会構造に原因がある。 ・健常者に合わせて社会が作られている。つまり日本人には配慮されている。つまり外国の子には身分があまり保障されていない。 ・オーストラリアの先住民は,住んでいる場所を奪われた。みんなはもう忘れている。つまり歴史的な背景をしらなければならない。先住民は虐殺され,追い払われたのだ。 ・お二人のお話を聞き,差別の根が深くいつまでも繰り返されている。これからの子どもたちのためにどうすればいいか考えていかなければならない。 ・多文化共生とは誰のための共生なのか今私はひっかかっている。
討議 (Aさん) 榎井先生の仕事のポジションがどんどん変わっていく。そしてその度に榎井先生の言葉がパワーアップしていっている。今日の資料を見てこの数字を子どもの姿に生かしていかなければならない。今まで京都市の外国人児童・生徒の調査をしてきたが,調査が生かされてなかった。見えてくるものを拾い集めて取り組みを行っていくことが大事。 (榎井) しんどい子をちゃんと見てほしい。しんどい子を支える集団を作ってほしい。
(司会) 文部科学省のニューカマーに対する施策に対してどう思われるか。 (榎井) 日本語ができないと,お落ちこぼれる。母語が必要でなくなるのでは・・・。 当然,日本語教育をすることが必要であるが、母語や母文化を通してアイデンテイテイ確立の支援や日本人児童・生徒への理解も必要。 (Dさん) 洛友中(夜間)は中国在留の方が多い。「16歳以上の人々は,洛友中へ行くのも一つの方法です。」と伝えてほしい。ニューカマーの人々は中学校を卒業してから洛友中へ行く選択肢があっても良いのでは・・・。統計に出ない人々はどうしたら把握できるか。 (榎井) 15歳以上は義務教育ではない。学校へ行けるとは思ってない。親も。できることは,地域の日本人学校で把握できるくらい。住民登録で把握できるのでは。 (Dさん) 洛友中では,意欲的な生徒が多い。そんな中で学ぶことは,意欲のない子どもに有効。夜間学校を紹介してほしい。 (司会) 進路の就学支援制度が問題点。 (中山) 大人や社会の事情より,子どもを中心に考えるべき。大人として何ができるのかを考えることが重要。 (文) フィリピンルーツの子どものお話を聞き,今後に生かすことができると思う。 (榎井) 二人のパネラーさんを京都で大切にしてあげてください。外国籍の教師を育ててほしい。期限のない常勤講師という差別を撤廃してほしい。
榎井さんの発言で,「少しも変わっていない。1990年から在日教育をしている人が今も同じ(課題)ことを言っている。犠牲になる子は一層減らない。」という言葉をしっかり受け止めたいと思う。今一度、京都市外国人教育方針(教育長通知も含む)に立ち戻り、実践を進めていく必要がある。
アンケート
・教員という仕事の中で、常に外に目を向け、私自身の考えやおかしいと感じることの認識の場でもあります。 ・自分が今からやることは、たくさんあるように考えます。 ・オールドカマー、ニューカマーが背負う問題について、多角的に話して頂き、たいへん勉強になりました。今日、学習したことは、必ず現場の子どもたちに返していきます。 ・フィリピン児童のお話は、興味深かった。 ・司会の方が上手にまとめられ、話がわかりやすかった。 ・もっと教師として、頑張らねば!と元気というか、エネルギーをもらいました。 ・「配慮の平等性」−健常者が配慮されていると意識することで、マイノリティへの配慮が特別なものでない(当然されるべき配慮である。)との考え方が新鮮に感じられました。 …夜間中学校の話がありましたが、義務教育を実質的に終えられていない人にも開かれているといいのにと思いました。 ・勉強になりました。「一番しんどい子を育てていく」大切にしたいことです。 ・社会制度の変化がニューカマーに顕著に表れている現実を初めて知り、その意味について考えさせられた。少子高齢化が進む日本において人間のつながり、人権の重要性という要素は新たな局面を迎えているのだと感じた。 ・勤務校にフィリピンにルーツをもつ子がいます。何かフォローが出来ただろうかと考える機会になりました。…榎井先生の「支援の平等」という言葉に何か勇気づけられました。…目の前の子どもをよく見て、大切に育てていきたいなと思いました。 ・以前より参加者が少なかったのが残念でした。若い先生方に聞いてほしい話だったので、これからもっと若い人が増えてほしいです。
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