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第44回人権交流京都市研究集会

第2分科会

 共生社会と人権

  「多文化共生のまちづくりをめざして」

 2号館2101教室

 

2分科会は、冒頭に京都・東九条CANフォーラム代表朴実さんの挨拶があり、本年より京研集会実行委に正式に参加したことが報告された。また京都市の国際化といわれて久しいが地域での多文化共生はいまだに不十分であること、一方で在日コリアンを中心にした「まちづくり」からニューカマー含む新たな「まちづくり」や「多文化共生」のありかたをこの分科会の中で考える必要があること、等の提起が行われた。 

1部 基調提案・金光敏さん

1部は、コリアンNGOセンター事務局長金光敏さんの基調提案が行われた。金光敏さんは在日コリアンの子供達の教育権保障の取り組みから出発し、多様な国籍の子供たちへの教育権保障の活動を行っている。現在の日本社会は多文化共生を考えるうえで大きな転換点にたっており、日本社会は多様性について余りに無関心だとしつつ、国際社会と比較して日本社会の3つの問題点を指摘した。

1に少子高齢化の問題。日本は2008年にインドネシアと、2009年にはフィリッピンとEPAを締結したが、多文化共生施策との関係で注目されるのはインドネシア・フィリッピンからの介護士・看護師の募集人員が充足されない点。日本では看護師・介護士として働く環境が全く整っておらず、また受験の制限がきつすぎてほとんど資格を取れないと金光敏さんは述べる。その為インドネシア、フィィリッピンから少子高齢化が進む韓国や台湾へ行くケースが増えていることから、いまや「移民者が国を選択する時代」との認識を示した。福祉社会を支える若年者や労働人口を海外から受け入れなければ成り立たない時代なのに、外国人受入れに極めて消極的な日本社会の保守傾向は「国益」(こんな言葉を使いたくないがと述べつつ)に反しているのではないか、日本が天皇を中心とした古い国体概念で単一民族を維持しょうと日本を固めると、持続可能な発展は疎外される状況にあると指摘した。在日外国人の人権を考える時、在日コリアンの処遇を見ねばならないというのが金光敏さんの問題意識だ。金光敏さんの家でも長年国籍条項により健康保険に加入できなかった。国籍条項の大半が撤去されたのは、1982年に難民条約が批准され内外人平等の原則が国内法に適用されてからであるが、現在も高齢の在日コリアンや障害者の無年金問題が存在している様に在日の現実は多文化共生を考える起点になると金光敏さん提起する。なぜなら在日への基調が現在も他の外国人に適用されているからだ。日本政府は在日への政策が基本的に成功したと考えているが故に、他の外国人にも制度上の壁を作っていくことがその政策の基本となっている。

多文化共生を考える上での第2の課題は、中国残留孤児とその家族の受け入れ問題だ。1974年から77年に2195世帯を受け入れたが、ほとんどなんの援助もなく失意の内に中国へ帰っている。帰国事業が始まってから2011年までに1547世帯役23000人が日本へ帰国し永住を希望しているが、中国帰国者とその家族に対する法的処遇が余りに不公正との裁判が起き、訴えが認められた。この裁判では帰国した当事者約2500人の8割が原告になっているが、中国残留孤児とは日本の政策が間違ったことによる戦後処理の問題なのに、極めて厳しい状況に置かれているのが現状である。大阪府営門真団地がある公立小学校の児童の3割は中国残留孤児の子供達。古くて狭く、風呂もない団地で皆が暮している。国際人権規約では、品位を欠く扱いは人権侵害であるとされている。中国残留孤児への日本社会の扱いは品位を欠く、やってはならない行為ではないのかと金光敏さんは提起した。

第3は、1980年の出入国難民認定法改正に伴う南米日系人への取り扱い。国内に民族問題を持込ませない、単純労働者に門戸解放をしない日本政府の基調は一貫している。バブルに伴う労働力不足に対し、3代にわたり日本人であるとの血統が証明される日系人の導入を図ったが、彼らを送り出したペルーやブラジルの社会は日本社会に比してはるかに多民族社会で多様性を抱えている。あえてジャパニーズという民族的アイデンティティを強調せずとも生きていける社会。そこが日本政府の誤算だった。また彼らを生活するための社会整備をほとんどせずに受け入れた。日系人労働者のピークは32万人で、現在20万人程が在留している。彼らは派遣労働者として日本の好景気を支えてきたが、リーマンショック後真っ先に仕事を切られ、その子供たちは更に困難を受けることになる。金光敏さんは、文科省の調査員として豊中市での不就学児童の調査(200506年)をした経験を持っている。その際の日本全国サンプル調査では、外国籍児童生徒の明らかな不就学1.1%、通学しているか否か不明18.5%、合計19.6%となっている。実際には23割が不就学状態ではないかと推定し、その原因として外国人に義務教育を認めない現状を指摘する。そして外国籍児童生徒の教育権すらまともに保証されないのは、民族教育は認めないという在日コリアン政策の基調がそのまま適用されたからと述べた。

以上の3点から、今後の日本社会のあり方を議論する時期に来ていると述べた。昨年から新入管法が始まり、外登法が廃止され在日コリアンも住民票に搭載されることになったが、便利な面もあるが基本は管理強化。出入国管理の強化は日本のみならずヨーロッパ諸国でも厳しくなっているが、日本との決定的な違いは、ヨーロッパ諸国では人種差別を禁止する法律があり、外国人を内外人平等の原則で処遇している。日本は外国人の教育・住宅・就労などの支援の社会的枠組みを決める法的環境が整っておらず、在留資格も法務大臣の裁量だ。日本政府が外国人に行っているのは出入国管理及び難民認定法による処遇のみで、あとは全て裁量に委ねられて結局放置されている。放置された目の前にいる外国人住民に対しては自治体が対応せざるをえず、多文化共生施策は自治体側が先行し国が丸投げしているのが現状である。社会が停滞期に入ると移住者・新参者への厳しいまなざしが生まれるが、私たちの社会の価値としてそれがよくないと判断しているのか否かの意思表示が求められていると述べた。

次に金光敏さんは定住外国人に参政権を認めないため有権者基本台帳への登録が無いため定住外国人は民生委員への委嘱がされない日本の現状を指摘した。大阪市生野区の外国籍人口は新宿区についで多い行政区で、地域福祉の担い手を誰にしていくのかは重要な問題となっている。生野区の場合人口の25%の住民は最初から担い手から外さねばならないことになる。在日でも地域福祉の担い手として民生委員になれる様に特区申請をしたが、「公の意思形成に日本国籍が必要」が回答。地域福祉の切実な申請に対し、生涯1度たりとも桃谷駅や鶴橋駅を見たこともない霞が関の官僚がノーと返してきたのが現状だ。金光敏さんは、多文化共生とは住民自治、地方分権であり、多文化共生社会の実現は中央集権体制を打破する試金石という問題意識を示した。長屋の独居の高齢者の最後をみとってあげたいという、コア中のコアの地域福祉の要望に霞が関はノーという社会が活性化するはずがない。多文化共生とは住民自治の活性化であり、地方分権である。単に外国人を理解するというだけではなく、コアな人と人とのネットワークを作ることこそ、まさに多文化共生を形成することだと述べられた。

金光敏さんは、これからの日本の社会は外国人との共生や多様性に価値をおくことが大切であり、また多文化共生分野は成長分野だとも指摘した。外国人宿泊に負担感を持つ旅館業者が全体の3分の1を占めているとの国土交通省の調査もあるが、言葉が通じないなど社会のインフラ整備が遅れているからではないのか。多言語の会話帳を整備する、観光協会の中にトラベル電話をおいて通訳が可能なシステムを作る、また在日外国人がバイリンガル、トリリンガルな能力を生かして日本社会に参画する社会的な支援システム作り等々。フィリピン人がタガログ語と英語をしゃべれるのは大きな戦力ではないか。中国の子どもたちが日本語指導を受けるとともに、母語である中国語もしっかり磨ける環境を整えたら両言語を通じた日中の架け橋になるのではないか。そしてポルトガル語やスペイン語も同じで日本に暮らしている外国人が皆戦力であることを社会全体が考えていく必要がある、と述べられて基調提案を締めくくられた。

 

2部 パネルディスカッション

 2部は2名の報告があり、金光敏さん朴実さんも入りパネルデスカッションが行われた。

 

報告者@:小澤亘さん(立命館大学教授) 

 小澤さんは、「報告レジュメ:DAISY電子ブックによる教育支援の新たな展開」に基づいて報告を行った。DAISYシステムは25年程の歴史を持っている。視覚障がい者向けバリヤーフリー図書などの国際標準化の中で進められてきたことをレジュメに沿って報告された。2008年に教科書バリアフリー法が成立したが国は仕組みを作りながら予算を付けず、利用者は1000人程にとどまり、現在外国人児童・生徒の母語学習支援への活用を図っているが苦戦している。学校にとっては極めてメリットのあるものだが、教師の理解も少なく取組がすすんでいない。教育委員会や学校側の感度の悪さに驚かされるとのこと。教育委員会の人権教育課・情報システム課・学校支援課などが縦割りになっている弊害もあり、ボランティアの熱意で多文化共生教育が保たれているのが現状であるとの報告があった。現在京都では、看護職・介護職の日系フイリッピン人移民労働者の増加に伴いその子供達の就学が増えている。市内のある小学校では、78人の在籍が来年度は倍近い入学が予想され、教育委員会からも相談されDAISYを提案している。昨年多文化共生推進条例が制定された滋賀県湖南市では、DAISYを使用した母語教育が3年目を迎えた。国際協会が中心となり、日本語教育に合わせて母国語での学習支援が図られているが、DAISYを使い母国語でのテスト受験も可能なため大幅な点数アップとなり子供たちの理解度が向上している。また国際水準のまちづくりが必要との観点から、DAISYシステムに取り組むワークショップが開催され、子供達も教材作りに参加している。これは明らかに条例制定の成果といえる。今後は、日本社会を開放することはマジョリティにもメリットがある事を提起しながら多文化共生社会の実現を図る必要がある。

 

報告者A:糟谷範子さん(京都市国際化推進室室長)

糟谷さんは、「京都市における外国籍の住民基本台帳登録者数」「京都市多文化施策懇話会ニュースレターno7no8」「自治会・町内会活動ハンドブック」「京都市避難所運営マニュアル」「京都市国際文化市民交流促進サポート事業」等の資料を配布の上報告をおこなった。

現在京都市には、138カ国、4万676人の外国人が住むが、大企業が少ないため日系人が少ない、また留学生が多い点が他都市との違いである。中国帰国者と家族は統計上出ないが、明らかに文化的背景の異なる方々が向島に約1000人程居住している。また教育委員会の調査では日本語指導が必要な多くの児童の存在が指摘されている。2010年には外国籍市民の声の反映の為に多文化施策懇話会が設置されたが、言葉・無年金・医療の問題、外国人福祉委員育成や多文化学習推進プラン等がテーマとして検討され提言されてきた。外国籍市民はかっては支援の対象だったが、今は京都市民として共に育ち合う対象と考えている。また国際交流協会は従来姉妹都市間の交流をメインにしていたが、昨年の財団化に伴い多文化共生を明記した定款に変え組織を変えた。また国際感覚を持った人材育成には海外留学ばかりではなく、市内での国際交流が必要と考えるが、市民レベルの国際化はいまだ進んでいないという視点もある。25年度中に国際化推進プランの見直しをするが、外国籍市民の力を活かすため、自治会・町内会活動見直しの中で外国人加入が地域コミュニティ力の再生に繋がらないか検討したい。ニュースレターにあるように、向島では文化の違いによるトラブル発生の事例もあったが、中国帰国者の地元イベント参加により顔の見える交流が始まったと懇話会で報告されている。また京都文教大学が住民の中で触媒の役割となり、向島住宅商店街の一角に活動拠点をおき中国帰国者との交流や孤立防止の活動を地域住民と行っている。また防災=人権問題という視点から、日常的な声掛けの必要性も報告されている。こうした様々な顔の見える交流が差別解消や地域力強化に繋がるのではないかと報告された。最後に現在国際化推進室が行っている市民への「国際交流・国際協力」アンケートへの参加者への協力が呼び掛けられた。

 

質疑応答  以上の報告に基づき、この後質疑応答が行われた。

冒頭朴実さんより東九条の現状が述べられた。1昨年に多文化交流ネットワークサロンが出来て、現在42団体が登録し活動しているが、昨年末にはフィリッピン人の団体が200人も集めていた。現在東九条は、人口が最盛期の5分の1となり空き地が目立つ、学校も統廃合され、活気がなくなっている。今は転換点と考える。サロンを中心として新しい層が入ってきた。またエリアマネジメントの手法による「まちづくり」も構想されている。皆さんとともに頑張っていきたい。

そのあと小澤さんより群馬県高崎市の「まちづくり基本条例」の市民の定義に外国籍住民をいれるかいなかでもめて廃案になったケースをあげられ、それを是とする学生が増えているとの報告があった。これにたいし会場の参加者からは、外国籍市民の為の施策が自治体でも国政でも必要、そのために参政権を考えたいとの発言があった。また現在日本語教師を目指し勉強中の学生から、試験に出る入管法の本質を初めて知ったこと、DAISYを日本語教育で使えることも初めて知ったとの発言もあった。また金光敏さんからは、若者の生きづらさに関し、非正規労働者を増やす今の経済界の在り方や、桜宮高校のいじめ自殺に見られる子供の教育権より教育界の既得権益を守るのに必死な大人の世界の問題等が指摘された。朴実さんからは、数年前に東九条に来た在特会が差別発言をして在日の人々を傷つけたこと、こうした犯罪行為を許さない社会の仕組みが必要との提案もあった。同時に糟谷さんからは、社会の仕組みや意識を変えていく事が大切であるとの発言があった。そして小澤さんからは、国の仕組みを変えていくには膨大な労力がいるが、周囲を少しずつ変えて実例を作っていこうとの呼びかけがあり、分科会を終了した。

 

記録 北澤宏市朗

                     

 

 

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