トップ

基調

1分科会 2分科会 3分科会 4分科会 5分科会

         

第42回人権交流京都市研究集会

  第42回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

 

1 これからの部落解放運動

  1. 部落を取り巻く情勢と課題
  2. 改良住宅をめぐる部落の現状

 

2 属地属人主義がもたらしたもの

  1. 約50年前のある出来事について
  2. 今日の部落がおかれている状況
  3. 属地属人主義と「いきいき市民活動センター」

 

3 今後の部落解放運動とまちづくり

 

4 「同和」奨学金返還問題

 

5 共生・協働の社会創造を!

 

6 人権教育の現状と課題

  1. はじめに
  2. 小学校では
  3. 中学校では
  4. 啓発と人権教育の在り方

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第42回人権交流京都市研究集会基調提案

 

 

はじめに

 

第1回の部落解放研究京都市集会は、1970年2月に開催されました。そこには、1965年の「同和対策審議会答申」、1969年の「同和対策事業特別措置法制定」という部落問題の解決に向けた国、地方の取組の進展、そして何より部落解放運動の大きな前進がその背景にあり、「答申完全実施・特別措置法の具体化」をこの京都の地で進めていくことが大きな目的としてありました。

 第1回から10回までは、「部落問題をみんなのものに」というメインスローガンが掲げられ、部落問題が「一部の人の問題」ではなく、「みんなの」「国民的な」課題であることを広く知らしめる取り組みを進めてきました。第11回から19回は、「部落問題の解決をみんなの力で」のスローガンの下、差別をなくす具体的な行動の組織化、運動・行政・教育それぞれの分野での実践の深化を図ってきました。

 第20回からは、「差別を許さない行動の輪から、人権の町づくりを」というスローガンが打ち出され、広範な市民の参加を得る中で反差別・部落解放の取り組みを「人権のまちづくり」として具体化させていくことをめざしてきました。

 そして、2008年の第39回目からは、「人権交流京都市研究集会」へとその名称を変え、今回42回を迎えることとなりました。「格差社会」が構造的なものである以上、多くの社会的な矛盾を解決してきた部落解放運動や同和行政、同和教育の成果を普遍化していく必要性が説かれ、人権確立、反差別の為に活動している人たちが結集し、その実践に学び交流し連帯していくことが急務を要するとされたのでした。人権課題に大小、軽重はあり得ません。もちろん各々の課題には特異性があり、決して一律に論じられるものではないにしても、いずれも同じ社会基盤から生じ、同じように差別・被差別の構図がそこに作り出されている以上、各々の課題に取り組む者同士がお互いの課題の間の共通性を見出し、共通の目的に向かって対等な立場で連帯し行動していくことは可能なはずです。

 私たちにとって今大事なのは、他の人権課題に取り組む人たちとの対等な立場での交流・相互理解・連帯・協働を通して、部落問題を解決に導き、他の人権課題をも解決に導き、そうすることでより幅広い社会変革の実現をめざすことです。言い換えれば、部落解放運動とは本来部落問題に特化した運動ではなく、さまざまな被差別マイノリティと交流し、ともに社会変革を志向する「水平運動」であったことを思い出すことです。これからの部落解放運動および「同和」行政・「同和」教育の拠って立つべきはこうした「水平」な共生・協働の場所なのです。

1 これからの部落解放運動

 

 (1)部落を取り巻く情勢と課題

  部落問題をめぐる社会的状況は、2006年に吹き荒れたバッシング現象以降、2008年の「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」の設置から翌年の報告書を受け、行政的には完全終結とも言うべき状況が生じています。部落問題の課題を「運動」の側から再度、あらためて提出していく必要性にせまられています。

 

 私たちは長年にわたり、被差別部落地域における経済的な「二極化」の問題を指摘し続けてきました。また、「二極化」の一方の層である経済的に比較的安定した世帯が子どもとともに地域から流出することにより生じる「空洞化」に対しても危機感をつのらせ、指摘してきました。本来各地区のリーダーとなるべき有為な人材の多くが地域から離れ、高齢者や不安定就労世帯、いったん部落を出ながらリターン流入してくる母子・父子世帯が増加している傾向については、京都市が行った2000年の実態調査にもすでに顕著にあらわれていました。このまま放置するならば、またかつての「スラム化」を招きかねないという危機感さえあります。私たちはそうした実態を克服するための大きな基軸として「まちづくり運動」を掲げ、取り組んできました。「住み続けられるまち」「人権と福祉の息づくまち」そうしたまちづくりの理念は今も失われてはいません。

 しかし、前出の総点検委員会の方向性と危機的な京都市財政の悪化があいまって、ハード面である住宅の建て替え、あるいは定期借地権住宅の建設などは、市内全般にわたって計画そのものの打ち切りや、そもそも計画の予定もたたないという状況の中で、遅遅として進んでいません。

 

  (2)改良住宅をめぐる部落の現状

 改良住宅は、1960年代の後半から1970年代に多く建設されました。当時の平米数は、概ね35平米台が中心で、間取りは6畳、4.5畳、3畳、キッチンというのが一般的でした。

当時の部落の劣悪な住環境の実態からすれば、改良住宅の建設は、住環境の改善に大きく寄与しました。当時の一般的な部落の住民の家族構成(夫婦と子ども1人から2人)から考えると、一般的な状態と思われます。

 しかしながら、子どもが青年となりやがて結婚するとなると、35平米では狭く生活することができません。従って、青年達の多くは結婚等を機会に部落を去りました。このような状況の中、当時、改良住宅で生活をしていた部落の人々は今日では、多くは70代後半から80代の一人暮らしの高齢者となっており、生活保護を受けているか、年金暮らしの人がほとんどで、若者の姿はあまり見かけません。

 当時建設された改良住宅は、ほとんどが5階建てエレベーターがなく、高齢者にとって毎日、階段を利用するしかありません。さらに、安全のため台所等を電化にしたくても、住宅にその容量の電源がなく、電化にすることができません。また、部落には住宅に風呂場がない関係上、市営浴場がありますが、その目的は、市民の保健衛生及び生活環境の改善向上を図ることとして設置したものです。しかしながら、その料金は、2009年に290円から330円になり、今後、さらに民間浴場並みに値上げも検討されております。

 また、住宅の入居については、旧棟では 入居率は約50%以下で半分以上が空き家状態となっています。

 多くの部落を今日のような状態にしているのが、今日の京都市行政の姿です。このような状況が部落問題が解決した姿と言えるのでしようか。

2 属地属人主義がもたらしたもの

 

(1)約50年前のある出来事について

 

 京都駅近くにある崇仁部落は、地理的に多方面から生活に困りそこに住まわれた住民のケースが多々あります。改良住宅の建設があまり進んでいない時代、民間のアパートには部落民も部落民以外の人と一緒に生活をしていました。母子家庭の子どもをはじめ両親が共働きをしている家庭が多く、当時は非常に貧しい時代でありました。お互いに肩を寄せ合い、子ども達も一緒に遊び、親たちも生活を支え合い暮らしていました。夕食も働きに出た母親の帰宅が遅い場合には、他の家で食事をする等、アパート自体が一つの家庭であるかのような暮らしがありました。部落の人々の暖かさが、部落に流れ着いた人々を支えてきたのです。

 しかしながら、その民間のアパートを取り壊し、改良住宅か建設されると部落の人々は改良住宅に住まい、部落以外の人々はそこに住むことができませんでした。いわゆる「属地属人主義」です。部落外の人々は、他の住宅のへの斡旋さえ全くされなかったのです。その背景には、「部落問題の解決は国の責務であり、行政の責任として解決する。」という同和対策審議会答申があります。いわば、部落以外の貧困については「自己責任である」という立場をとり、行政施策をしてこなかったことに問題があると思います。

 このような中で民間でのアパートの暮らしは崩壊していきました。お互いに支え合ってきた生活は、引き裂かれ、共に遊んでいた子どもたちもバラバラになっていきました。

 

(2)今日の部落がおかれている状況

 

京都市の部落とは、ほとんどが改良住宅とそこに住んでおられる部落の人々であります。

多くの改良住宅は老朽化し、高齢者も多い関係からエレベーターのないところでは、不要になった家具や電化製品など処分することができず、通路に放置されている状態の所もあります。また、寂しさから愛犬を飼われているところも多々あります。

 独居老人の孤独死も昨年数件ありました。長期に入院されているところもあります。空き家が多いところでは、安全上の対策もありません。昨年、ある部屋で小火がありました。そこに住んでおられる方は脚が悪く、乳母車を杖代わりに歩いていました。小火が出ても歩くことがままならず、段差のため避難しようとしてもできません。近所の人が小火が出ているとのことをすぐに消防に連絡したので大事に至らなかった事は幸いでした。「なんとかスロープを付けてあげて」という住民の声が上がりましたが、行政は動こうとはしませんでした。

 このような現状にもかかわらず、行政は放置したままです。京都市はこのような状態を部落問題は解決したと言っているのです。

 

(3)属地属人主義と「いきいき市民活動センター」

 

多くの青年層が改良住宅では狭く、結婚等を契機に部落を離れていきました。今住んでおられるのはほとんどがその親であります。年齢からして母親や父親が亡くなり、独居老人となっております。さらに独居老人化は進んでいきます。

 また、結婚をして部落を出た青年(特に女性)が離婚をし、子育て等の関係から両親の元へ帰るにしても狭い部屋で同居するしかありません。35平米の狭い部屋で同居することは不可能です。空き家についても一旦部落外に出てしまうと戻ることはできないのです。

 また、一旦地域を出てしまうと同和対策事業があった時代でも、同和対策の対象外に置かれました。また部落に戻ることもできませんでした。今日でも、自分の生まれ育った部落=故郷に戻りたくても戻れないのが現状なのです。両親が高齢化し、近くで両親を看ようとしても看られないのです。これも過去か続いている「属地属人」の考え方なのでしょうか。

 他方、コミセンについては、かつては隣保館として部落問題解決の拠点としてその役割をし、それがこの4月から「いきいき市民活動センター」として広く一般活用できるような役割を持たせていくというのが京都市の方針です。一方では「属地属人」的な考え方、他方では多くの市民活動に供するというのは矛盾ではないでしょうか。

 

注】※一部の改良住宅ではこのような空きや対策として、わずかながら一般公募をしていますが、故郷の部落に戻るために抽選扱いとしています。

 

 

 

3 今後の部落解放運動とまちづくり

 

 先述したとおり、京都市の多くの部落は改良住宅であり、そこに住んでいる部落の人々の生活と暮らしをどのように考えていくのかが運動として問われている課題です。水平社創立から約89年、部落解放同盟設立から約68年になります。今日の部落の状態がこの歴史的な闘いを繰り広げてきた結果でしようか。緊喫な課題として、部落及びその周辺と連携したまちづくり対策が急務であります。今のままでは、5年、10年後を考えたとき、部落のほとんどは廃墟となってしまいます。

これまで、本集会の基調では、何度となくまちづくり運動の重要性が指摘されてきました。そして、その中心的テーマとして「人権文化の拠点」と位置づけられたコミュニティセンター(旧・隣保館)がありました。しかし、「同和問題終結後の行政の在り方総点検委員会」の答申を受け、2009年4月からコミセンは公としての施設としてはなくなり、2011年3月をもって廃止となる条例が施行されました。貸館機能だけを継続しながら、今後の在り方を検討する2年間で、京都市から出された方針は、京都市ひと・まち交流館のブランチ機能を持たせた、市民活動の活性化を支援する「いきいき市民活動センター」への転用であり、管理運営は指定管理者が行うことに決定しました。すでに公募とプレゼンテーションを昨年12月終え、1月18日には、選定結果が公表されるに至りました。NPO組織をつくり、従前からコミセンの事業委託を受けていた地域では、引き続き指定管理者として選定がかないましたが、それ以外の地域では、さまざまな地域交流の実績がありつつも管理運営に関する力が認められず、民間業者や他のNPO法人が選定されました。冒頭に述べた地域における二極化現象とともに、これからは、全市的にいきいき市民活動センターの管理運営ができているところと、できていないところとの二極化が生じかねません。私たちは、地域交流事業から地元住民が排除されないような仕組み作りを働きかけていく必要性があります。

 

 

4 「同和」奨学金返還問題について

 

 「同和」奨学金返還問題については、特に2007・2008年の経過措置に関わる「返還」について、昨年3月に履行期限を向かえたことから、すでに督促を行う旨の連絡が当事者に入っている状況があります。免除規定が生活保護の1.5倍以下の収入でなければならないという、新たな返還基準を設けた2009年度以降の返還分についても、同じく昨年の9月に履行期限を向かえました。納入指導、督促、指導、催告と、1年をかけて丁寧に4回の手続きを踏むとされているものの、早ければ、今春にも民事訴訟、裁判が視野に入ります。私たちは、免除可能な世帯には、免除申請も一つの権利であることを丁寧に説明しつつ、あくまでも反対の意思を貫こうとする仲間を支え、裁判闘争となったあかつきには、奨学金受給にいたる経過をつぶさに明らかにし、裁判所や社会に対し、教育格差の実態の上に立った制度設計を有する「同和」奨学金の歴史的意義を知らせていかなければなりません。

 貧困の連鎖がもたらす、教育格差については、近年日本社会において特に顕著となり、その改善が求められています。公立高校の無償化が実現している現在、所得判定に基づく恩恵的福祉ではない、当然の権利保障としての教育権が子どもたちにはあるのだということも、社会的な認知として広がっています(ただし、朝鮮学校の無償化適用の審査手続きは停止されている)。マイノリティ集団がこうむっていた教育格差を是正するための措置としての「自立促進援助金制度」への評価も、再考される余地があると言うべきでしょう。その上で、より広汎に社会的に不利な立場にある子どもたちの学力保証をどのように培っていくべきかを、同和教育の普遍化として考え、取り組んでいく必要があります。

 奨学金返還に関わり、もう一つ大きな問題が生じています。それは、親として子どもに対しどのように部落民であることを伝えるのか、あるいは、部落民宣言(カミングアウト)がどのように果たされるべきなのかという、アイデンティティの問題です。地区外への流出や、学習センターでの学習機会が失われ、部落民であることの自覚がないままに成人を向かえている子どもも少なくありません。奨学金を受け取った本人が知らされてないケースもあるのです。その場合、「同和」奨学金返還に関わり不本意な形で本人に告知が行われる、あるいは、新たな家庭の家族に知られるというプライバシー侵害が生じます。現在の所、奨学金の返還に関わり、京都市職員が様々な連絡を行う「連絡対象者」は、受給した本人ではなく、大半はその両親であるという現実があるのです。しかし、裁判にいたる過程では本人に確認する必要があるとしていることから、あらたな部落差別が生じるのではないかとの懸念も生じているのです。

 私たちは、従来から部落差別の現実から逃げない、それに立ち向かっていける子どもに育てるという教育理念を掲げつつ、いつ、どのような機会に子どもたちに伝えるかについては、個々の主体的な選択に委ねてきました。人生を左右する微妙な選択について、不本意に、外側から暴かれるなどということを許すことはできません。私たちは、主体的なアイデンティティ形成を教育によって勝ち取ると同時に、カミングアウトが当たり前にできる社会を築いていかなければなりません。

 

 

5 共生・協働の社会創造を!

 

 「人権の21世紀」とうたわれた2001年から10年となる現在も、世界では紛争が絶えることなく、世界的な金融資本の暗躍がもたらしたリーマンショック以降の世界経済はその傷跡を癒すことはありません。日本も例外ではないどころか、極端な競争原理の名の下に、人々に「自己責任」を強いて、多くの労働者を非正規で不安定な立場へと追いやった後の大不況は、失業や生活破壊をもたらしました。格差を拡大し続けてきたこれまでの政策の付けは、一朝一夕には解決しない社会的矛盾として人々を苦しめています。

 人々の鬱憤は時に、より弱い立場の人々に向います。「過去」の「同和行政」に対する過剰なバッシングとともに、部落解放運動を含む、在日韓国・朝鮮人、障害者、など他のマイノリティ集団、人権を尊重しようとする勢力に対して、排外主義的な極右集団が台頭し、インターネット上、またはマスコミの扇動、街頭での扇動など、攻撃をエスカレートさせています。

 このような社会状況において、本集会の役割はますます重要なものとなっています。反貧困を掲げるネットワークなどとも連携をとることが重要です。在日外国人、女性、障害者、先住民族など様々なマイノリティの抱える課題にも真剣に目を向け、学び、問題を共有することで、すべての人々の人権が尊重される社会の在り方を、共に模索していきましょう。

 また、部落の中には将来を担う子ども達がほとんどおりません。組織することもできません。かつての子ども会活動も存在しません。空きや対策、高齢者対策、青年対策、周辺との連携を目指したNPO活動の活性化など解放運動は取り組むべき課題が山積しています。

 先人達がそれこそ血と汗と涙で築いてきた部落解放運動の火を消さないために、5年、10年先を見据えた取り組みを進めていかなければなりません。

 

 

 

6 人権教育の現状と課題

 

(1)はじめに

 

 まず,現在の学校教育,とりわけ人権教育を取り巻く状況を見ていきたいと思います。

昨年の基調でも述べたように,2002(平成14)年3月末をもって,事業対象を縮小して延長されてきた『地対財特法』が期限切れになりました。これに伴って,同和教育の分野でも同和地区児童生徒を対象とした「同和教育施策」は廃止となり,一般施策の下で学校が主体的に同和問題の解決を目指した教育活動を行うこととなりました。

以来,9年の月日が流れようとしています。法期限後に小学校へ入学した子どもたちは中学校3年生になり,高校進学を目指す年を迎えました。今後は学習施設(かつての「学習センター」)を知らない子どもたちが小学校の高学年になり,中学校へ入学してきます。そんな時代が目前に迫っているのです。

子どもたちだけでなく,教員の側に立ってみても「法の時代」に中心となって同和教育を実践してきた世代が管理職となり学校における人権教育を進める上での牽引車としての役割を果たしてきましたが,その管理職も退職期を迎え大幅な世代交代が起こってきています。

そして,この傾向は暫く続き,大幅な世代交代により同和教育施策やこれまでの同和教育の実践を経験していない教員が現場で多数を占める時代が近づきつつあります。実際,「水平社宣言」や「オールロマンス事件」のこと,「部落地名総鑑」のことなど,かつてであれば皆が知っていたであろうということすら十分に理解できていない若い世代の教員が増えています。人権教育が,真に同和問題や外国人問題,障害者にかかわる問題といった「個別課題」の解決に繋がる教育であるためには,それぞれの人権問題が生み出されてきた歴史的な過程や,解決に向けて取り組まれてきた流れを知っておかなければなりません。このことも改めてここで確認しておきたいと思います。

そんな中で今年度,2002(平成14)年5月に出された京都市内の学校・園で人権教育を進めていく上での指針である「《学校における》人権教育を進めるにあたって」がほぼ8年ぶりに改訂されました。この冊子の中で,本市人権教育の目的は『人権という普遍的文化』の担い手の育成であり,「人権という普遍的文化」が確立した社会とは,人権の概念および価値が広く理解され,人権尊重の精神が日常の行動の規範となる社会のことだと定義されています。

 具体的には「すべての人々の人権が尊重され」,「すべての個性と能力が正しく評価され,その発揮が保障され」,「すべての人々の社会の発展に寄与する機会が均等に保障され」,「これらのことが社会共通の規範となり差別と排除が容認されない」ことが確立された社会の実現を目指すことが人権教育のねらいだとされています。

しかし,現在の社会や学校に,人権という普遍的文化が根付いていると言えるでしょうか。残念ながら,出口の見えない経済不況が続き,「勝ち組」,「負け組」という言葉が一般的な語彙の一つになってしまったとさえ言える今日の社会状況に目を向けると,経済格差を中心とするさまざまな格差が拡大するだけではなく,その格差が固定化しつつあるのではないでしょうか。こういった現状は新たな「階級社会」の出現であるともいわれています。

 そして,余裕のない閉塞した状況の中で人々の不安や不満のはけ口は,時として自分より社会的立場が弱い存在に向けられています。文部科学省から出された「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」では,個別的な人権課題として女性,子ども,高齢者,障害者,同和問題,アイヌの人々,外国人,HIV感染者,ハンセン病患者,刑を終えて出所した人,犯罪被害者,インターネットによる人権侵害などを挙げています。

特に,同和問題においては,就職や結婚に際しての差別など,いわゆる「法の時代」は終わっても,未だにこの問題が解決したとはいえない状況にあります。「電子版部落地名総鑑」の存在や,ネット上での巨大掲示板等に見られる被差別部落への露骨で悪意に満ちた誹謗中傷は,差別がなお根強く残っていることを示しており,その深刻さを物語っているといえます。実社会では経済問題ばかりが議論され,経済効率優先による弱者の切り捨てもやむをえずという意見が堂々とまかり通りそうな時代であるからこそ,人権教育をこれまで以上に充実させていくことが必要不可欠です。

 私たち教育に携わる者にとっての至上命題である進路実現につながる学力保障のためには,一人一人を徹底的に大切にしていくことを目指して取り組まれる人権教育が重要であるといえます。文部科学省が実施している「全国学力・学習状況調査」の質問紙調査では,京都市の子どもたちの規範意識の低さが明らかになっています。学習規律,集団規律の根幹にあるのは自分自身を大切にすると共に,周りにいる仲間を大切にするという思いです。

言うまでもなく,人権教育では「他者との違いを認め合うこと」と私たちは「あらゆる違いによらず平等である」ことを学習します。この「一人一人が違う」けれど「みんな平等である」という捉え方を知識としてだけではなく,一人一人の生き方にまで高めていくことが人権教育の課題の一つであるといえます。また,このような理解の上に立ち,生徒が自律的に互いの人権意識を高めあうこと,そして,そのようなことが自然に実践できる学校にしていくことが,人権教育の中心的目標の一つであるといえます。

さらに家庭に目を向けてみると,世帯収入の減少や少子高齢化,家族団らんの時間減少,近所づきあいの希薄化などが問題として取り上げられます。果たして,1日を終え疲れて帰ってきた子どもたちにとって,家庭が心身ともに安らぐ,明日への鋭気を取り戻せる場所となっているでしょうか。今,子どもに対して起こっている様々な問題,例えば育児放棄や放任,しつけと称する虐待などは,家庭教育力の弱さに起因するといっても過言ではないと思います。これらの様々な問題は,家庭の経済的な要因に加えて,核家族化や少子化,さらにはコミュニケーションの不足など個々の家庭の構造的問題がその背後に存在する場合が多く,学校による支援だけでは限界があると考えています。

このため学校,地域そして関係諸機関が緊密に連携,協力した上で有効な支援を模索していかなければなりません。片方で,教育条件に恵まれた家庭では,より多くの教育機会が与えられている生徒もいます。そして学校では,このように教育条件に差がある子どもたちが,一緒に学習しています。指導する側にとっても学力の二極化の拡大傾向は年々強く感じるところで,学習指導法や学習形態にも一層の工夫改善が必要になってきている現状です。

では,ここで小学校,中学校の現場で行われている人権教育の現状を見ていきたいと思います。

 

(2)小学校では

 

 言うまでもなく「地対財特法」が失効したのは同和問題が解決し,法としての役割を終えたからではありません。これまでの同和施策等による取組で一定の状況の改善が達成され,同和問題の解決に向けては教育や啓発などに課題を残しながら,一般施策の中で,学校教育の総力を挙げて同和問題の解決を目指す取組を進める時代になったと捉えるべきだと思います。「同和教育の普遍化」が叫ばれたのは,まさにこのことを示しているのです。では,学校はこれまでの同和教育の何を継承し,普遍化し,新たな人権教育へと繋げていかなければならないのでしょうか。

小同研ではこれまで京都市の教育理念として掲げてきた「子ども一人一人を徹底的に大切にする」という考えを根幹に同和教育に取り組んできました。2002(平成14)年末に同和問題解決に向けての様々な事業実施の裏付けとなってきた「法」が期限を迎え,それに合わせて同年5月には「《学校における》人権教育を進めるにあたって」の初版が出されました。

先ほども述べたように,今年3月には,8年ぶりに「《学校における》人権教育を進めるにあたって」の改訂が行われました。もう少し具体的に中身を見ていくと,改訂方針の特色として

  1. 学力向上の取組について
  2. 環境や多文化共生の理念と関連させた取組について
  3. 「人権という普遍的文化」の担い手として必要な技術や態度について 
  4. 学校における組織的取組や連携について
  5. 個別的な人権課題に対する取組について 
  6. 同和教育の成果の普遍化について

などが挙げられています。

繰り返しになりますが,現時点において同和問題が解決したわけでも解消したわけでもありません。かつて京都市では,部落の子どもたちの不就学や低学力,進学率の低さに,社会の差別状況が映し出されているとして,1964(昭和39)年1月に「教育の全分野において,それぞれの公務員がその主体性と責任で同和地区児童生徒の『学力向上』を至上目標とした実践活動を推進する」という「京都市同和教育方針」を提示し,様々な実践を積み重ねてきたのです。

しかし,教育の面において未だなお課題を残しつつも,同和問題にかかわる現状と課題では,「同和教育の普遍化を通して,すべての子どもたちの学力向上を目指す今日の本市教育に受け継がれている」と明記されているとして,その「同和教育方針」はその役割を終えたとされています。私たちは,法や特別施策に頼らず,これまで実践してきた同和教育の普遍化を目指し,一人一人の子どもを徹底的に大切にした教育の実践,同和問題をはじめとするあらゆる人権問題の解決に向けて,全ての児童に確かな学力を保障していかなければならないのです。

しかし,一方でわたしたちが忘れてはならないことは,本当に支援を必要としている児童や課題を背負わされている児童にも学力が保障されているかということです。一人一人の子どもはそれぞれに家庭があり,背景をもっています。その背景にまで教職員は踏み込んで共感的に理解することで,一人一人に応じた支援や指導が生まれると考えられます。言い換えるならば,「一人一人を大切にし,一人の子どもを見ていくことで,背景としての親が見えてこなければならない。また他の子が見えてこなければならないのです。」児童理解をすることは確かな学力をつけることにもつながり,一人一人の思考を考えながら授業を行っていくことは一人一人の学力を保障することにつながります。また,学力をつけるだけでなく,生き方を学ぶことや生き方を探究することにつなげていくという考え方も本市では大切にしています。それは児童の将来展望をもつことにつながってきます。そこで,自己実現に向けてそれを支える基礎学力として小学校でつけるべき力をつけていくことを目標にして日々の授業を進めています。

 具体的には各校において,独自の学力向上プランを策定し,同和地区児童や課題を背負わされている児童を中心に据えて,全ての児童の学力向上を目指しています。授業の中ではT・T(チームティーチング)と呼ばれる複数の教員によるきめ細かな指導体制の充実や少人数授業など授業形態の工夫をするとともに全校を通して帯時間を設定し基礎的な計算や漢字の書き取りなど段階的に進めています。また家庭学習においては基礎基本の定着を図るとともに家庭学習の習慣化を図るように取り組んできています。

 また,豊かに生きていくためには狭義の学力だけでなく,「生きる力」として広義の学力が必要になってくるでしょう。人権を尊重するという考え方を知識として知ることだけでなく,人権を尊重されている時には感覚として望ましいものと感じ,侵害されている時には許せないと感じるような人権感覚を育てていかなければなりません。人権に関する知的理解と人権感覚の両方を育てていくことが児童自身の人権を守り他の人の人権を守ろうとする意識・意欲・態度につながり,いま課題とされている「行動化」につながっていきます。そのためには,児童一人一人が大切にされていると感じられるような環境すなわち学級・学校づくりが必要です。また,教職員も入れ替わりが激しくなり,若年齢層の教職員が増え,教職員間においても人権尊重の理念について十分な認識が必ずしもいきわたっていないなどの問題もあります。小学校では4年間で約1000人の新規採用教員が教壇に立っています。これまで培ってきた同和教育の理念や成果を「次第送り」し,京都市の教育の次代を担う教職員を育てていくことが,これまでの京都市の取組を守るとともに人権教育として確立していくための喫緊の課題であると言っても過言ではありません。

 どれだけ実践的態度の育成を図れたかについては,まだまだ課題が残りますが,同和問題を中心とした人権学習を積み重ねることで,児童一人一人に届く教育実践を今後も推進していきたいと考えています。

 

(3)中学校では

 

 中学校では,かつての『中同研(京都市立中学校教育研究会 同和教育部会)』から2007(平成19)年度に『中人研(京都市立中学校教育研究会 人権教育部会)』と名称を変更してからも,あらゆる人権問題の解決を目指し,同和教育を基軸にした人権教育の創造にむけて活動を続けてきています。人権教育を実践する立場から社会に存在する人権問題を解決しようとするとき,長年にわたり京都市の人権教育を牽引してきた同和教育の普遍化とその実践の具現化がその基盤となっているという認識に変わりありません。これまで通り,本市における同和教育の普遍化を目指し,同和教育を基軸にした人権教育の創造に向けて,各校においての具体的な取組を交流し合い,今後の人権教育の実践をさらに確かなものにしていきたいと考えています。

今年度の「京都市人権教育研究集会」では義務教育の最終段階を担う中学校として「学ぶことの意味」,「学ぶ権利」を考え,次のような提案を行いました。

1985(昭和60)年3月29日,第4回ユネスコ国際成人教育会議で採択された,学習権宣言の冒頭に,「学習権とは,読み書きの権利であり,問い続け,深く考える権利であり,想像し,創造する権利であり,自分自身の世界を読み取り,歴史をつづる権利であり,あらゆる教育の手だてを得る権利であり,個人的・集団的力量を発展させる権利である。」と,宣言しています。この文章は国際識字年の基調となった文章であり,なぜ人は学ぶのかを端的に表現した文章です。国際識字年から20年目にあたる今年は,あらためて進路・学力保障を担う義務教育最後の場としての中学校の「人権としての教育」の取組に重点を置いて考えたいと思います。

今,中学校は義務教育最後の場といいましたが,現実には様々な理由からいわゆる昼間の中学校に通えなかったり,学校へ通うことすら出来ずに義務教育を終えることが出来なかったりした人たちがいます。特に戦後の混乱期には生きることを優先せざるを得ないという状況の中で,多くの弱い立場の人たちが昼間は働いて家計を助けるために夜間にしか学校に通えなかったり,また学校へ通うことが出来ず,義務教育であるはずの中学校教育を終え卒業することが出来なかったりするという状況にありました。そんな生徒たちに義務教育を保障してきたのが二部(夜間)中学校なのです。それではここで,京都市の二部(夜間)学級の歩みを簡単にふり返ってみたいと思います。

1950(昭和25)年5月 京都市内の12の中学校に二部学級が開設されました。3年後の1953(昭和28)年には市内の二部学級に在籍する生徒は599名とピークを迎えます。1954(昭和29)年,二部設置中学校は西院・陶化・修学院・近衛・洛東・弥栄・藤森・山科・高野・九条・皆山・朱雀・北野・烏丸・嘉楽の15校となり,第1回全夜中研究大会を洛東中で開催しています。

そして,1968(昭和43)年5月1日に郁文中学校二部学級が3学級で開設し,1970(昭和45)年3月31日には学齢生徒対象の二部学級がすべて廃止となり,郁文中のみで夜間中学校を存続することになりました。その郁文中学校は,2007(平成19)年3月31日に下京区内の5中学校が統合され下京中学校として開校するのに伴い,郁文中学校の二部学級という位置づけから昼間部・夜間部併設校として洛友中学校が単独開校し,全国初の不登校を経験した生徒と夜間部(二部学級)の生徒たちが共に学ぶ学校として新たな歴史を作っています。

このように,京都市の二部(夜間)学級の歩みを見ると,二部教育の開始から60年,全国に先駆けて二部授業を実施し,二部教育に関する全国研究集会が京都の地で開催されたことがわかります。また,二部学級が市内の同和地区や在日コリアンの集住地域や,西陣織や友禅染などの京都の伝統産業を支えてきた,子どもたちが住み暮らす地域を校区に含む学校に開設されてきたこともわかります。そのことは,子どもたちの生活にしっかりと目を向けた教育活動が行われてきたことを示しています。そして,就学援助をはじめとした子どもたちへの支援の中で,二部教育は学齢期を過ぎた義務教育未終了者の人々を対象とする学級として設置され,40年余りが過ぎてきたのです。

その間,戦中戦後の混乱期の中で学習の機会を奪われた人々,同和地区の不就学者,在日コリアン,新渡日の若者たち,そして,中国残留孤児・邦人の帰国者やその家族が,学びの場を求めて,二部学級の門をたたいてきました。 そこには,日本社会の歴史,外国にルーツを持つ子どもたちや親,祖父母の暮らしが見えてきます。

 今日,外国にルーツを持つ子どもたちや保護者に対し,日本語指導や通訳ボランティアの活動,多言語による進路ガイダンスなどの世代をつなぐ支援が行われ,ますますその重要性が増しています。

国際識字年から20年,識字教育運動の中で提唱されたエンパワーメントの概念が焦点を絞っているのは,人間の潜在能力の発揮を可能にするよう平等で公平な社会を実現しようとするところに価値を見出す点であり,たんに個人や集団の自立を促すだけではないのです。それは,『人権文化の創造』に深く結びついているのです。 

実社会では,経済問題ばかりが議論され,経済効率優先による弱者の切り捨てもやむをえずという意見が堂々とまかり通りそうな時代「12年連続で自殺者が3万人を超え続けている」現実を見るときこういった現状は新たな「階級社会」の出現であるともいわれています。

 子どもたちを取り巻く状況を見ても,不登校や自殺,また新しいメディアの発達により形態の多様化が進んでいるいじめの問題,そして家庭の経済的要因による学力格差の問題など,現在の社会問題をそのまま映しこんだ状況が見られます。しかし,どのような社会状況にあっても学校は全ての生徒にとって安全で安心できる居場所でなければなりません。他者との違いを認め合い,信頼しあうことができるような,人権尊重の精神がみなぎる環境が学校の中で実現されることが必要です。そして学校がこのような環境になり,生徒にとって安全で安心できる居場所になれば,自らの進路実現に向けて学力の向上に専念することができるようになるでしょう。そのためには人権教育をこれまで以上に充実させていくことが必要不可欠です。かつて京都市が中核に据えて推し進めてきた同和教育は,個別の人権課題解決への道筋を示し,具体的な実践を産み出してきました。そしてこの取組は同和教育の普遍化として,あらゆる人権課題の解決を目指すという今日の人権教育につながっているのです。

私たち中学校教育における至上命題である進路保障と進路実現につながる学力保障のためには,支援が必要な子どもたちに本当に教育の成果が届いているのかを点検し,真に一人一人を徹底的に大切にしていく人権教育が重要なのです。そういった意味からも,一人一人の子どもたちに確かな学力を身につけさせることは,改めて学校教育の原点であるということをここで再確認しておきたいと思います。しっかりと基礎学力を身につけて,壁を乗り越え未来を切り拓いていくことができる力をつけることが,生徒一人一人のよりよい自己実現につながるのです。やはり,私たちが第一の使命とすることは,学力保障であり進路保障なのです。

学力保障は学校でやりきる。わたしたちは,日夜各学校で学力保障の取組を模索しています。しかし,学習環境の厳しい生徒に対して,なかなか効果的な手だてが見つからないのが現状です。そのような中,学校の授業と家庭での学習とで学力・進路保障を完結するという原点にもう一度立ち返り「目の前の一人一人の生徒を徹底的に大切にし,その背景にまで踏み込んだ取組を続けていく」,また「目の前の生徒に寄り添い,希望を語り,その背景にまで迫って共に歩んでいく」ことをすべての学校で実践していくことが大切です。これは京都市の教育が大切にしてきた「不易」とでも言えるものです。そのために諸先輩方が営々と築き上げてきた同和教育を大切に受け継いでいかなければなりません。そして,なにより社会の波に揺れ動く子どもたちのために,同和教育が目指してきた教育をすべての中学校の教育の中で具体化していくことが急務であり,それこそが同和教育の普遍化であることを,わたしたち教師は肝に銘じておかなければなりません。

 学力保障そして進路保障を学校においてやりきる。この原則を達成するには,家庭,地域の協力が不可欠です。生徒に寄り添い,家庭やその背景にまで迫り,保護者や地域と共に協力して取組を推進していかなければ,なかなか対応することが困難な状況になってきています。学校では,授業や土曜日の活用も含めた課外学習等の見直しを行い,一人一人の確かな学力の充実を図ると共に,基本的な生活習慣の確立など家庭での自学自習の推進を図り,全ての大人が一丸となって,子どもたちを「自立した立派な大人に成長させる」という思いを持って,『子どもたちの居場所としての学校』,保護者や地域としっかりと結びついた,人権文化の構築に向けた取組を進めていきたいと思います。

 

(4)啓発と人権教育の在り方

 

 もうひとつ大きな課題として考えられるのは啓発です。

「すべての人間は,生まれながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。人間は,理性と良心とを授けられており,互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」というのは有名な「世界人権宣言」の第1条です。この「世界人権宣言」は,1948年12月10日に第3回国連総会において採択されました。さらに世界人権宣言が採択された日を記念して,毎年12月10日を「人権デー」として,世界中で記念行事を行うことが,1950年の第5回国連総会において決議されました。

以来60年の歳月が過ぎようとしています。「すべての人間は,生まれながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。」と胸を張れる世の中が実現したでしょうか。また,「人間は,理性と良心とを授けられており,互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」と謳われながら,世界の各地で戦火が治まらず,貧困に苦しむ人たちも依然として大勢暮らしています。そのために命を落とす人さえ後を絶ちません。「理性と良心」という言葉が実態のない空虚なものにすら感じられます。

日本でも残念ながら,個別の人権課題を挙げていくまでもなく,「尊厳と権利」とが平等に認められているというわけにはいきません。だからこそ「啓発」の重要性が大きな意味を持っているのです。正しく知らないために,予断や偏見に基づいて行動をしてしまう。その結果として相手の人権を傷つけてしまうことが往々にしてあります。

だからこそ,小学校・中学校を中心とする学校教育の場でも「人権教育」を更に充実させ,「差別をすることが許されない社会の構築」を目指すとともに,子どもたちのみならず,地域や保護者への啓発を進めていかなければならないと言えます。さらには,家庭・地域のみならず校種間の連携や関係諸機関との連携も重要です。

改訂された「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」でも,「4 家庭・地域,関係機関との連携及び校種間の連携」の項で,

 

○学校での人権学習をより確かなものにするために,家庭や地域社会における環境づくりが求められる。保護者懇談会,家庭教育学級等の機会をとらえて,学校での取組内容を家庭や地域に伝えることにより説明責任を徹底し,PTA,学校運営協議会等とともに,地域ぐるみの行動につながるように働きかけることが重要である。

○社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者・家庭を総合的に支援するためのネットワーク整備等を推進する「子ども・若者育成支援推進法」に基づき,学校と専門家,相談機関等の関係諸機関との連携協力体制を確立することが必要である。

○小学校と中学校の連携はもとより,保育所・幼稚園や総合支援学校,高等学校とも,子どもの発達段階に適した学習活動を計画することが必要であり,各校種間における学習計画の調整や相互協力等の具体的な連携が不可欠である。

 

と記されています。改訂前は文言として記されていなかった校種間の連携や関係諸機関との連携が新たに加わったことからもわかるように,より幅広い力を集めることが真の啓発になっていくのです。

人権教育を進め,児童生徒の人権感覚を磨いていくためには,教育内容や教育方法の在り方とともに,教育・学習の場そのものの在り方がきわめて大きな意味を持っています。また,全ての生徒の進路実現のために,課題学習・家庭学習の充実による自学自習の習慣の定着を図ることが急務といえ,生徒だけでなく家庭の教育力をつけるための取組が必要です。生きていく力を保障するための基礎基本の徹底には学校教育と共に家庭・地域・社会の力が必要であることは言うまでもないことなのです。子どもたちを取り巻く全ての環境が「人権を守る」「人権侵害を許さない」という思いで繋がっていくことこそ大切だと考えています。教育を取り巻く考え方は常に変化しています。

今回は詳しく述べることが出来ませんが,「特別支援教育」の考え方,また「特別支援教育」の手法が学校において,また学級において「特別なこと」でなく当り前に実践されていくことが求められています。そういう意味からも,一人一人の生徒の変容に繋がる教育実践を進めていかなければなりません。「一人一人を徹底的に大切にする」「背景にまで迫る徹底した指導」「生きる・自立する力をつける」ことをめざして,学力向上プランに反映させることで,学校でやりきる姿勢を確立する努力を続けていかなければならないと考えています。

一人一人の子どもが,そして何よりもわが子が大切にされているという保護者の学校教育への理解と協力,教職員への信頼が啓発を可能にする土台となります。生徒の背景に存在する同和問題をはじめとする人権問題に対して,生徒・保護者にどのように取り組んでいるか,人権尊重のための取組が今問われているのです。   

人権とは,「人々が生存と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」と定義されます。生徒の幸福追求権を保障すること,とりわけ,義務教育を保障することが,人権教育の目標であることを,同和問題をはじめとするあらゆる人権問題の解決は「教育に始まり,教育に終わる」ことを忘れてはならないのです。

 

 

戻る