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第37回部落解放研究京都市集会

  7分科会

 共に生きることをめざして

〜これからの人権教育の課題と展望を考える〜

                                 みやこめっせ大会議室

   

司会:土佐雅一・原田琢也      記録:金谷直樹・山口基之

1:30〜 分科会の流れ,討議の柱,パネリスト紹介

1:40〜 パネリスト 松本柳子さん(金閣小学校)

「人とのふれあいを求めて」〜コミュニュティセンターの活動を通して〜

2:20〜 パネリスト 北川 ゆきさん(向島東中学校)

「日本語教室の生徒に関わって」〜私の体験を重ねながら〜

2:40〜 パネリスト 金 泰泳さん(福岡教育大学)

「マイノリティ性は,アイデンティティになりうるか」

3:25〜 質疑応答

 

 

 

討議の柱と分科会でこれまで話し合ってきたこと

     外国人教育方針の具現化

     総合的な学習の時間で展開されている人権教育

     ダブル・外国にルーツを持つ児童・生徒や,中国帰国及び新渡日の児童・生徒に対する教育保障やアイデンティティの形成

     互いの違いを認め合う「共生」の視点から被差別の立場におかれている児童・生徒のアイデンティティの確立と生きる力の育成

 

T 松本柳子さん実践報告内容要旨

 同和地区に生まれ,育った自らの生い立ちや,自分なりの運動を模索してたどり着いたダンスサークルでの人権を大切にした取り組みの実践をお話しされました。

・私の場合は部落に生まれたからといって,差別されたり嫌な思いをしたりしたことはない。

・人生のいろんなことを教えてくれたのは周りのおっちゃん,おばちゃんや,おにいちゃん,おねえちゃん。そこで生活している全ての人の生き方が今の自分に繋がっている。

・朝鮮との出会いは,向かいの在日の家庭だった。辛い料理,法事の時に食べるシリットなどごちそうになった。今思いかえせば,そこのおばあちゃんは怒ると,朝鮮語で話していた。

2年生まで不良住宅といわれる家で過ごすが,あまりに劣悪な状態であったため,改良住宅鷹峯第1棟に最初に入居する。鷹峯小へ転校,新3年生として,新任担任とふたりで登校。そこから地区児を含む同和校として歩みだす鷹峯小と私との関わりが始まる。

・友達に言葉がおかしいと指摘され,周囲の友達との違いを感じ始める。放課後,特別に残って勉強する。「アパートの人だけ勉強するんやなあ…。」「勉強を教えてくれるんやし,がんばらな。」(同和教育との出会い)

・仲間に支えられて成長した。

子育て・仕事・家事・運動をかかえて,初めて気づく。「優先順位をつけて,できることをできる範囲でするしかない。」私にしかできない運動を「ダンス」と「人権」というキーワードで進めていこう。人権とダンスというキーワードが自分の中で確立する。

・現在も人権の輪は広がっている。

・技術だけでなく人権の大切さを自然に伝えたい。

(250人を超える登録者) 

・ダブルの子ども(母子家庭)・同和地区の子どももいて,仲間との関わりの中で,あいさつやがんばることを覚えている 

・教師1年目―R小の保護者啓発の場で「歩いているだけで部落の人ってわかりますね」という発言に,何も言えなかった自分がいた。「これからは言葉で,部落差別のことをきちんと説得出来るようになろう。」と思った。

 

U 北川 ゆきさん 実践報告内容主旨

 中国からの帰国生徒として,自らの生い立ちを振り返るとともに,日本語教室の講師としての生徒との関わりについてお話しされました。

・自分は中国残留婦人の三世だ。9歳までは「劉雪蓮」という名前を使っていた。日本に来てからはずっと通称名を使っていたが,通称名は私にとってはずっとわけの分からないものだった。しかし,自分のルーツを調べていくにつれ(祖母の事),わけの分からない名前じゃなかったって事が分かり,今はそんなに嫌じゃなくなった。しかし,やはり今でも自分の名前は「劉雪蓮」だと思っている。

・中国では小学校3年の途中まで行っていたが,日本に来てからは,言葉が分からないという事で小学校2年に入った。私はこの年齢については,大学に入るまでクラスの中が同年齢の人ばかりの日本の学校生活の中で,私がひたすら隠さなければならないものとなった。

・学校では,全てのことで人と違うことにすごい恐怖感を感じていた。持ち物が違うと忘れてきたと嘘をつく。学校から帰ると「今日は何も違うことがなくてよかった」安堵する日々。やがて日本と違う価値観をもっている親に対しても否定的になっていく。

・日本語教室は唯一「私」のままでいられる場所であった。特に中学校の日本語教室の先生とは中学卒業後も親しい交流があり,自分自身のルーツを調べるきっかけとなった。

・自分を否定的に捉えなくなったのは,@自分のルーツを調べる中で自分について知る経験 A学校現場で働くようになり,研修の場で様々な人の体験談を聞いて,「自分だけじゃなかったんや。」という共感をもつ経験があったから。

・日本語教室で関わっている生徒達にも自分のように自分を見つめる経験を積ませたいという思いで全国外国人生徒交流会や子ども作文コンクールへの参加を働きかけた。

・生徒との関わりと変容

生徒C…「日本に来てからの記憶がない。周りの子らはちゃんと日本語をしゃべっていたというが,自分は覚えていない。」と言ったので,私は,「私もそうやで。小学校で何を勉強したか,ほとんど記憶がない。」と話したことがあった。Cは同じ思いを共感できた事がうれしいと作文に綴った。
 その後,「言葉を忘れるということは記憶をなくすことである。」と講演で聞き,胸が熱くなった。

  生徒D… Dは作文の中で,ずっと日本人として生活していたが,保育園の頃に送り迎えに来ていた父親に対して,他の園児に肌の色をいわれて,傷ついた事を書いている。しかし,色々嫌な事もあったけど,ダブルに生まれてよかったとも書いている。

・生徒が広い世界に目を向けて,自分と同じ立場の人や自分と違った考えをもつ人の存在に気づくことができるように,いろんな人と出会い,考える機会をつくることが自分の今の課題である。

 

V 金 泰泳さん

金さん自らのアイデンティティの形成の過程と,研究のテーマでもあるアイデンティティをどのように捉えるかということについてお話されました。

 

・在日3世 父は1世 母は広島生まれの2世

・高校までは周囲に自分が朝鮮人であることを隠していた。

・同和地区と在日部落を含む町に生まれる。同和教育も受けた記憶がなく,差別的な見方が根強く残る地域だった。

・「朝鮮」や「朝鮮人」という言葉を聞くのがこわかった。嫌で嫌で仕方がなかっ た。

・家では父親の存在に緊張し,本心を語れない自分の家庭の境遇に辟易した。

・目立たないように神経を使っていた。空白の時間が多く,卒業アルバムをみても自分とは思えない

・大学1年の9月から在日のサークルに入ったことをきっかけに,自分の立場を表明して本名を名乗るようになった。

本質主義的アイデンティティと現実的アイデンティティ

・本質主義とは,民族が違い,文化が違う他者を固定的な存在として位置づけること。生まれた時から民族としてのアイデンティティをもっているという見方。

(在日とか部落出身とかで一括してアイデンティティを固定すること)

・現実的アイデンティティとは,在日だからといって常に民族を背負って生きているわけではない。ひとりの生活者として多様な自分がある。

・一人の人間の中にいろんなアイデンティティが存在する(多元的アイデンティティ)

・自分を語る上で,在日韓国人ということはアイデンティティの大きい部分ではあるけれども,それがすべてではない。(*昨年度パネラーの林さんも同じようなことを主張されていたように思う。)

・アイデンティティは葛藤や対立,議論の中で培われる要素がある。

・本質的アイデンティティは時には,抑圧として働くことがある。

自分に大きな影響を与えたのは

・夜間の大学に通っていたころの在日の先輩・友人の存在は大きいが,それだけではない。

・学部に11年間在籍。その間にいろんな経験をした。在日はもちろん。障害をもった人との出会いや部落出身者との出会い。

大学時代,交際していた女性との会話の中で,在日(マイノリティ性)を盾にとって「お前に在日の気持ちがわかるかと」批判すると,彼女は,「それであなたは幸せになれるのか」と返してきたことがあった。そのことから,自分の在日朝鮮人としての生き方を考えさせられた。

・高校までは朝鮮人であることをずっと隠してきた。大学に入っていろんな人と知り合う中,「在日朝鮮人の金です。」と言って自己紹介すると「ああ,そうなのか。」と言って喜んでくれる人間関係ができていったということが,自分にとって大きな力になった。

 

質疑 

原田(司会) アイデンティティは一元的なものではなく,多元的なもの。現代社会のリアリティを見極めるには対話しかない

Aさん    中国からの帰国の子ども達と夜間中学に通うオモニの姿を重ねながら聞いていた。…どのようにアプローチしていくのか。

北川さん   私も今は日本籍だが,中国人であることに誇りやアイデンティティをもっている。日本人と結婚して,生活していく中で日本籍をもっていた方がスムーズにいくことが多い。保護者の意識としては日本籍をもてば,差別されなくなるという期待感があるのではないか。

Aさん    学習言語としての日本語が定着していない児童・生徒にとっては日本語で行われる日々の授業が頭の上を通り過ぎていく。日本国籍で日本語指導を必要とする児童・生徒にとって,多くの課題がある。また,子どもが日本語指導が必要な場合その子の親はもっと日本語指導が必要な場合も多い。

Bさん   (資料から)行政施策の問題上,国籍で区切ると排除される児童生徒が出てくる。国籍法の改正により,ルーツが見えづらい現状がある。法の対象としての区切りと現実を区別しなければならない。子どものマイノリティ性にいかにつながっていけるか,返していけるかが問われている。

金さん    生徒にどう関われるかだけでは不十分。教師自身がどう生きるかが問われている。教師が子供に自分自身のアイデンティティを追求する姿,日本の子供がアイデンティティを追求する姿が求められる。また,公立学校の教育システムのあり方も変革を求められる時期にきているのではないか。

北川さん  今の学校に望むことは自分のもっているもの(ルーツ)に自信をもつことができる場がもっと学校にあればいいと思う。いろんな立場の人(マイノリティ)の姿が見えるクラスや学校の取り組みがあれば。

松本さん  「主体的な生き方」がキーワード。ダンスサークルは「考えることで豊かになれる」

Cさん   自分の親の昔の写真から母親は,朝鮮人やろなと思う。そして,「僕は何やろ」と関わり始めたことが障害児教育であり,カウンセリングであった。
 今,集まりを持っているが,自分が何者かわからない人,障害者,部落出身者, ニート,ひきこもりの人々も来る。学校を出てからの受け皿がない。
 臨床発達心理士の資格とった自分に相談できることがあれば,相談してほしい。

Dさん   自分の中では一部マイノリティ性(差別されてきた在日として)がアイデンティティにつながっている。自分が教員になっていることに意義があると思っている。在日教師がまとまれない。多様化や考え方の違いが背景にある。

金さん   在日のアイデンティティとして既存のもので求めてきた。部落出身者のアイデンティティとは。アイデンティティの差別性,マイノリティがアイデンティティの線引きによって排除される人がいる。
 ある集団がある集団から蔑視をうけるか周りの者から秀でるしか道がない。…同じにしてもらった時には,(社会的平等)おかしいといっていた集団(一般?)に入ったとたんに,自分も他者に対してその(差別的な)論理を行使してしまわないだろうか。
 マイノリティ性をアイデンティティにするのは戦うための手段でもあった。

松本さん  父の言葉「運動せんでええねん」「新しいビジョンをうみだせ」ということだったのではないか。(解放運動でなく,人権を大切にする教育ビジョン?)

金さん   経済面で職業を選ぶのではなく,自己実現のために職業を選べるようになれたらいい。Dさんは在日の教師とつながることにこだわるよりも,在日,日本人にかかわらず,仲間づくりをしていければいいと思う。
 新しいネットワークを作っていってほしい。

Eさん   アイデンティティは多元的ではあるが,被差別に繋がる部分を大切にしたい。「本名指導」にこだわる意味はそこにある。「自分が自分を差別すること」がない子どもをつくる教育が命題。本名を名のることがなくても「自分の名前がすきになった。」と子どもが言える関係を作りたい。

Aさん 自分がどう生きるかと問われたが,中途障害者」になっていろいろ考えた。     「当事者を矢面に立たせて,後からついていく運動はやめろよ。」なぜ,部落    民でも在日でもない自分が何で関わっているのかが大切。

最後に一言

松本さん 何のための同和教育かを考え,明日からの実践に変えていきたい。 

北川さん 今,私は何をしなければならないのかを考えられた。今,目の前にいる子ども達に名前(本名)を選べる選択肢を与えていきたい。

金さん  議論の途中で,つい語気が強くなってしまったのではないか。反省しています。今日は,どうもありがとうございました。

    (*Bさんが日本語の必要な児童・生徒の資料説明に対して,金さんが教師としての主体的な生き方を求めたこと。)

まとめ

今回は,3人のパネラーとも,自らの生い立ちを振り返りながら,今の自分のアイデンティティの有り様や教育実践について語ってもらいました。表面的には,話の内容が深く,十分な交流ができていない感もしましたが,今後,参会者の中で実践を通して,自問自答しながら深めていく課題のように思います。特に,被差別の側のアイデンティティの内容や自己規定の仕方についての金さんの発言については,示唆されるものが多かったように思います。

また,北川さんの話からは,北川さんと同じような立場の子どもたちが多くいて,新渡日や中国帰国者に対する教育的な保障が急務であるように思いました。適応指導だけでなく,母国語の保障や独自のアイデンティティを認めることのできるクラス・学校づくりの大切さを痛感しました。

最後に,松本さんが投げかけられた「何のための同和教育か」を人権教育の立場から

再考し,新たな解放教育を創造していきたいと強く思いました。

 

 

 

アンケート

・マイノリティーの方のアイデンティティーは,何かというテーマに興味を持ちました。
 「自分がどうこだわって,生きるか。」「自分を肯定するために,もっと自分を見つめたり,いろいろな人に出会う。」「人権とは,生活である。」という言葉が心に残りました。

・松本先生のお話を聞いて,「今,自分ができることを精一杯やっていけばよいのだ。」という勇気を与えて頂いたと思います。ダンスサークルの子どもたちがとても輝いていたのが印象に残りました。私も自分の生徒たちの輝きを共に育てたいと思いました。

・教師として,人としてどう生きるかが問われているという言葉を糧に明日からがんばりたいと思いました。金先生の話が示唆に富みました。

・自分の在り方を見つめ直す機会になりました。来年も是非参加したい。

・「自分が主体的にどう生きるかのかを考えること」それが生徒に伝われば,きっと新しいつながりが生まれると思います。これを1年のテーマにします。

・同和教育のこれからの課題に自分自身の中に重要な指針を与えられた気がした。

・多元的アイデンティティというものを見直す必要があると思った。

・「自分がひたすら隠してきたこと」「私だけでは,なかったのだ。」という話の部分に共感を覚えました。共に考える,共に生きる,そして共に生きる人を大切にする,そんな学校にしなければと強く思いました。…来て良かったと思いました。

・お話を聞いて,心が揺さぶられました。三名のパネラーの先生方の生き方を聞き,自分は,これからどう生きていくのか…改めてよく考えていこうと思います。

・広く人権問題を提起することで,多くの人々の共感を得て,部落問題の解決に繋がっていくものだと思います。…今の部落差別は,部落にたいする無理解というだけでなく,他者に対する無理解からではないかと感じるからです。

・素晴らしい分科会でした。アイデンティティは,必要ですが,ある部分にのみ固執してしまう…人間は,一点から出発するのではなく,多心的なものではないかと。

・興味深く,新しい発見がありました。特に,松本さんと金さんのお話は良かった。…日本人であることの意味,日本人としてのアイデンティティを子どもたちに問うことから差別問題の解決,他者を認める心は生まれてくるのだと思っています。

・この「人権」ということに思いを深め,生き様に映し出していかねばならないのだと感じました。…今後もこのような集会に積極的に参加し,知識を深めた上で,自分の考えを深めていけたらと思います。

・アイデンティティ,マイノリティという言葉を漠然と考えていたので,とても自分が深まり,よかったです。

・三人のパネラーの先生からの問いかけは,差別問題に対して,何が大切な教育活動であるのかを明確にしてくれました。人格の一部である被差別の部分を隠すことなく生きることのできる学校…今までの同和教育・人権教育が試され,発展できる機会です。

 

 

 

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