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 第35回部落解放研究京都市集会

第1分科会  部落の歴史 

京都部落問題研究資料センター通信No.12・灘本論文

「部落解放に反天皇制は無用」をめぐって

                  司会:丸山義和(部落解放同盟京都市協議会)

            コーディネーター:山内政夫(部落解放同盟京都市協議会)

               パネリスト:灘本昌久(京都部落問題研究資料センター所長)

                       吉田智弥(花園大学非常勤講師)

                       田中和男(龍谷大学非常勤講師)

                  記録:北尾真一(京都市職員部落問題研究会)

                       向井雅昭(京都市職員部落問題研究会                                                       

                                                                京都会館第2ホール参加者数=506人

 

【前半の部 各パネリストの意見】

<コーディネーター>

第1分科会では、従来から歴史をテーマに議論を深めてきました。今回は、京都部落問題研究資料センター通信 No.12 に掲載された灘本氏の論文「部落解放に反天皇制は無用」について討議したいと思います。部落問題と天皇制という部落差別の基本にかかわるこの問題を避けて通るのではなく、きちっと議論し検証することにより、問題の核心に触れたいと考えています。

<灘本氏>

 部落解放運動は、日本の大衆運動の中でも最もマルクス主義的、社会主義的理論の痕跡を深く残しているように見えます。これから新しい部落解放運動を進めていこうとすれば、土台から考え直す必要があり、そのうちの一つに天皇制の問題があると考えています。

 部落解放同盟は、1997年に綱領を改訂し、新しい綱領の前文には、「天皇制は部落差別を助長・拡大した元凶であり、日本は階級支配されている不平等な社会である。」といった以前の綱領の前文に記載されていた階級闘争的な記述はなくなりましたが、前文に続く13の基本目標の第3項目には、反天皇制についての記述があります。部落解放運動を進めるうえで、天皇制と部落差別が固く結びついていて、部落差別をなくすには天皇制をなくさないといけないのか、それとも、部落差別と天皇制はそれほど深い結びつきはないのかによって、部落解放運動の力点の置き方は変わってきます。部落の歴史を研究する中でわかったことは、天皇制と部落差別は固く結びついているのではない、天皇制があるから部落差別が続いているのではないということです。

 天皇制と部落差別が結びついているというのは、第二次大戦後の新しい考え方であって、戦前はそんな考え方はしていません。例えば、京都の部落学校の廃止の経過を見ると、部落差別は地元では強いが、政治のピラミッドの上に行けば行くほど部落の肩を持つということが言えます。それまでは、部落差別は階級支配の道具としてつくられ、政治権力の上から降ってくるものだと思っていたのですが、そうではなく、部落差別は下の方から湧き上がってくるもので、上の人にとっては、部落差別は近代化の妨げになるのでなくしたいという考えが強く、部落差別があることはそれほどいいことだと思っていません。部落差別は、下でこそ維持されようという力がかかっているが、上に行けば行くほど維持する力はかかっていないということが、私の研究している範囲では言えるのです。

 また、日本の近代の歴史研究における従来の理解の仕方にも問題があると思います。例として、美濃部達吉の天皇機関説事件を挙げると、従来の左翼的文献では、天皇はファシズムの頭目のように書いてありますが、実際に史料を読むとそうではなく、天皇は天皇機関説を支持していて、それに批判する人たちに反対し、それを押し止めようとしています。日本の近代の歴史全般について、ある誤解が戦後歴史学の人たちにあり、それにあてはめてつくられた古い戦後歴史学をそのまま投影したのが、現在、我々が使っている部落問題の歴史だと思います。左翼的な部落史を読んでいると、部落は、昔から天皇や支配階級の人に差別や迫害を受けてきた印象を持つかもしれませんが、実は、中世以来、御所に出入りして御所のメンテナンス業務を一手に引き受けていたのは河原者です。このように、明治以前の中世社会から考えても、天皇と部落の関係は相当親密なものがあり、明治以降、部落が天皇に対して親近感を抱いているのは、理由のないことではありません。しかも、部落解放運動史はそういうところをうまく外して、「部落と天皇は敵対的関係である」と言おうとするけれども、一つひとつ見ていくと、それは後世のつくり話に近いものであることがわかります。

 では、最終的に、天皇制批判がどこから出てくるかというと、1932年のコミンテルン、国際共産主義運動から出てきたテーゼの中に、「反天皇制」という条項があり、それを日本の共産主義者が機械的に受け取って、部落問題の中に持ち込もうとしたのですが、戦前は持ち込むことができなかった。それが、1960年の綱領改正のときに、戦後の左翼運動の高まりの中で、部落解放運動に持ち込まれたものだと思います。また、部落解放同盟中央本部機関紙「解放新聞」の反天皇制の記事の変遷を見ると、第二次大戦後は年1件ぐらいで、1976年の天皇在位50年あたりから増えてきて、80年代末に天皇が亡くなったときに自粛問題があって大きく増えています。部落解放運動自体もそれほど反天皇制に力を入れてきたわけではないことがわかります。

 もし、本当に天皇制の問題と部落差別の問題が重大な結びつきがないのであれば、特別それを綱領に明記し、今後、展開していく必要はないと思ったわけです。

<吉田氏>

 「天皇と政府は、部落差別を一貫して解消しようとしてきており、その努力に消極的、積極的差はあっても、拡大・強化・再生産しようとしてきたことはない」という灘本氏の結論には、納得できません。天皇や政府がその支配体制を維持するためにつくった政治・社会・文化の構造は、その深層部分で部落差別を組み込んできたのは明らかです。

 また、二・二六事件や天皇機関説事件で、天皇が個々にどういう発言をしたかによって、天皇制に関するすべての理論、思想、制度を語ることはできないと思います。天皇制の制度的・思想的な本質について考えるときに、このような個々の発言を取り上げて天皇制そのものを肯定する考え方には賛成できません。

 最近発掘された河原巻物には、自ら天皇と近い存在であることが部落の中で語り継がれてきたことが記されており、部落と天皇は対決する存在ではありません。しかし、その点に関する誤解や認識不足によって、反天皇制の方針が主張されているわけではありません。部落差別の意識が、地域の日常生活に存在することは事実ですが、上層部は、地域で起きる部落差別の解決に積極的に取り組んだのではなく、支配秩序を維持するために必要だと判断した場合に限り、その解消に取り組んだのであり、「部落解放運動のスローガンに反天皇制はなじまない」ということにはならないと思います。

 憲法に規定されている法の前の平等や主権在民と、憲法第1条の天皇制とは明らかに矛盾していますし、皇室典範第1条「皇位は男系の男子がこれを継承する」は、男女平等に反しています。また、皇室典範第3条及び16条には、障害者差別ではないかと思われる項目があります。

 天皇制として現に果たしている機能の中には、様々な差別が内包されていて、それとセットで天皇制が私たちの前にあるというとき、部落解放を願う者、反差別を願う者が、天皇制を糾弾の対象から外していいのでしょうか。すべての責任を天皇に帰して議論するのは明らかに政治主義的だと思いますが、私たちは、この国の政府、天皇を頂点とする権力機構全体が、部落差別にとって看過できない思想的な根拠を築いていると見なすべきではないかと思います。

<田中氏> 

 「天皇」と「天皇制」の概念を区分けしないといけないと思います。また、実態を考えても、前近代の天皇と明治期の天皇、1945年以降の敗戦後の象徴天皇と、1990年代の冷戦崩壊後の天皇では、ずいぶん違っています。

 明治期から敗戦期までは、部落解放運動について、灘本氏の評価と同じところがあります。共産党とつながった場合、反天皇制を前面に出すことがあるとしても、それは特別な局面であって、大きな流れとしては、水平社運動も「天皇のために、天皇のもとでの平等」をうたっています。日本の近代国家としての国民としての同一性をつくりだしていく国民形成運動の中で、被差別部落民が自分たちの権利を確保していこうという流れの中にあったと思います。

 それが敗戦以降になると、天皇制自体の意味合いが違ってきます。天皇から距離を置くことは当然考えられると思います。反天皇制を一貫して普遍的なものと考えるのではなく、時期によって天皇制の現れ方が違うということを考える必要があると思います。

【後半の部 パネルディスカッション】

<灘本氏>

 そもそも、天皇制に対する批判は、日本が第二次大戦で負けた原因を考える中で、でてきた問題だと思います。日本があの時の戦争を回避することができていたら、特別、天皇制がいいとか悪いという議論は起こらなかったと思います。昭和の初期に天皇がどういう態度をとったかが重要な問題であって、昭和天皇の個人的な言動を検証しないと、天皇制の問題は考えられないと思います。日本の歴史の問題を考えると、天皇に押しつけておけば事足れりということが相当強いので、具体的に昭和天皇がやった事柄について掘り下げていかなければならない。部落問題についても、天皇がどうかかわったかということを具体的に考えないといけないと思います。

 1975年くらいから、部落解放運動の中で反天皇制の記事や闘争が増えていることを発展とみる人もいますが、これは、全共闘運動の残党が解放運動に流れこんで、反天皇制を繰り広げただけであって、部落解放運動の内的発展が反天皇制を盛り上げたとは思えません。また、明治政府が政策を実施するときに、特殊部落などと表現したから差別がばらまかれ、それによって新たに差別が生み出されたという人もいますが、そんなことはありません。

 解放令以降、松方デフレ政策で部落の経済が破綻を来し貧困に陥るので、近代に入ってから部落は大変であったことは間違いないけれども、全体としては、部落差別はずっとなくなってきており、ここまでなくなってきている中で、「天皇制が部落差別の原因だ」も何もないように思います。

<吉田氏>

 昭和天皇の発言に関しては、木戸幸一日記や寺崎英世日記をみると、天皇の発言として容認できない部分があり、総体として議論することが必要だと思います。また、昭和天皇個人がどう発言したかとは別に、天皇の名のもとに大逆罪や治安維持法が生まれてきたことは、近代日本における天皇制全体の役割だと考えざるを得ません。

 部落が天皇を軸に自らの解放を切実に願うことは、方便ではなく存在しましたし、水平社も、末期になると天皇万歳となってしまいますが、このことだけをとらえて、天皇は部落民にとってありがたい存在であったと決めつけるのは、その時代背景を無視してあまりにも単純に結びつけすぎなのではないでしょうか。これは、取り得る選択肢が限られる中、やむを得ず取った方法、即ち、政治的な組織防衛上、そうせざるをえなかったと考えるべきであり、当時の運動の思想的な限界としてそのことを見ると同時に、虐げられ差別された者の叫び、天皇を抱くことによって解放されたいという思いを受け止めないといけないわけで、部落解放運動に反天皇制はいらないという結論にはならないと思います。

 昭和天皇が、個々に部落問題について発言や指示をして、その結果、部落差別の深刻さが増したということは言えないかも知れませんが、全体的に天皇がかかわってきたさまざまな制度や思想が、この国の差別的な機能を果たしてきたことは事実としてあると思います。天皇制の呪縛、天皇制が持っている抑圧性を議論する中で、憲法第1章を含めた今日の歴史、文化、制度、構造を正面に据えて初めて部落問題が別の見え方をするのではないかと思います。近代の歴史の中では、部落の裏側、さまざまな背景や構造に天皇制が影を落としていることはたくさんあったと思います。天皇が持っている全体の役割の差別性について、文化も含めて正面から議論していかないといけないと思います。

<田中氏>

 明治の解放令は、賤称の廃止という形で、身分解放をしたことは確かですが、そのことによって、違う意味での差別を固定化する面もありました。政府の官僚などが、これまでの「エタ非人」という言葉を「特殊部落」「細民部落」という言葉に再定義する作業を、地域に入って行うことによって、部落差別をつくりだしていったこともあると思います。差別が広がる要素は、民衆の方にあったかもしれませんが、歴史的に差別が形成されたと考えた場合、民衆側より支配層の役割が大きかったのではないか、制度的なものになるとき、上からのリーダーシップによって生まれてきた差別もあったのではないかと思います。

 一方で、天皇の存在自体が人権侵害の状態になっています。天皇自身は、憲法で政治支配者に位置づけられているにもかかわらず、本人は国民でもなく、戸籍や参政権もなく、両性の合意に基づく結婚もできないなど自らの人権をないがしろにされています。天皇制があるにもかかわらず差別がなくなってきたのは、国民の意識、被差別部落の人たちの意識の変化によるということを認識してほしいと思います。天皇の存在自体が非人権的な差別の両極にあることも踏まえつつ、差別の問題に取り組んでいただきたいと思います。

<コーディネーター>

 個人的には、「部落解放同盟が1960年代から反天皇制を綱領に明記し、1980年代から先鋭的に反天皇制運動を広げたことがなぜいけないのか」ということを単純に疑問に思ったわけです。ある人間を上に置いて、ある人間を下に置くという社会の制度は間違っているのではないか。何でもかんでも平等であればいいということではなく、生まれながらにそういうことがあることはよくないと思います。灘本氏の意見はちゃんと正面から受け止めて議論しないといけない。言論を封鎖することはありえない。皆で議論することが大事で、問題をタブー化することがあってはならない。そういうことを我々部落解放同盟の見解として述べておきたいと思います。こういう議論は積み重ねていかなければならないので、今後、「NPOネットからすま」の連続講演会でも採り上げ、議論を深めていきたいと思います。

 

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