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第54回人権交流京都市研究集会
はじめに
1.私たちを取り巻く情勢と課題
(1)明らかになった負の側面
(2)戦争の回避と人権
2.福祉で人権のまちづくり
(1)部落差別解消推進法の具体化にむけて
(2)人権侵害救済法の必要性
(3)京都市内のまちづくり
(1)入管法案再提出に反対します
(2)ヘイト事件裁判の後に来るものとは
(3)京都にもヘイトスピーチ規制条例を
(4)「多文化共生社会」を実感し創造するために
(1)格差社会の克服にむけて
(2)「人権の21世紀」を紡いでいくために
5.教育をめぐる状況
(1)はじめに
(2)京都市小学校同和教育研究会
(3)京都市中学校教育研究会人権教育部会
(4)京都市立高等学校人権教育研究会
(5)おわりに
第54回人権交流京都市研究集会 基調提案
はじめに
昨年は、水平社創立100年ということで、その歴史と歩みに思いをはせる機会が多い一年でした。また、その歩みの只中の重要な時期に戦時体制下における制約があったことにも気づかされました。1922年3月3日に創立され、1942年1月20日に消滅するに至る歴史は、大正デモクラシーから日中戦争、国家総動員に至る経過そのものだったのです。1941年12月「言論出版集会結社等臨時取締法」の成立により、新たな思想結社は認められず、既存の結社も1942年1月20日までに許可申請書を提出することが義務付けられることとなり、内務省は、全国水平社に解散届と解散声明書を提出させるという強硬な姿勢を示しました。しかし全国水平社は激しい攻防の末、解散届を提出することを拒否し続け、自然消滅に至ります。20年の活動に幕を閉じ、その後多くの活動家が「同和奉公会」に参入することで、アジア・太平洋戦争への戦争協力を余儀なくされました。
ただし1945年8月10日に、ポツダム宣言の受諾を申し入れ、8月15日昭和天皇による「終戦の詔書」ラジオ放送、9月2日の降伏文書調印という状況において、10月にはさっそく松本治一郎をはじめとする全国水平社の同志たちによって、部落解放運動の再建が模索されたのは、自ら解散届を出さないとした「抵抗」の証だったのかもしれません。そして翌年2月19日に京都市の新聞会館で全国部落者代表者会議が開かれ、早くも「部落解放全国委員会」が結成されたのでした。
100周年を記念する集会が、部落解放同盟中央本部の主催で、水平社創立大会が開催された京都岡崎の「京都ロームシアター」で昨年3月3日に開催されました。しかし、まさにその1週間前の2月24日にロシアによる隣国ウクライナへの侵攻が、衝撃的なニュースとして世界中に伝わり、集会の挨拶の中で組坂繁之委員長(当時)は「戦争は最大の人権侵害」と述べました。
なぜ今、この時期にこのような事態になったのか。連日膨大な報道がなされ、建物の崩落や負傷する人々の映像が放映されることで不安や混乱が広がり、私たちはあらためて「人権の21世紀」という言葉を思い出し再考を迫られたと言ってもよいでしょう。その言葉は、20世紀が「戦争の世紀」であったことのアンチテーゼとして、その次の世紀に理想を対置して発せられたとする認識が一般的かもしれません。けれども戦争と人権は単純に対置して語られる概念というよりは、二度にわたる世界戦争を終結させた1945年の時点においては、二度と戦争をしないための、具体的な防御の手段と認識されていたはずなのです。ましてや、最後まで戦争を遂行し続けた日本に対して、原子力爆弾が2度にわたり投下され、その破壊力を世界が目の当たりにした以上、「第3次世界大戦」は地球の滅亡になるに違いないという危機感が共有され、そうならないための叡智として「世界人権宣言」は発せられたのですから、それは、遠い先にある理想や夢などではなく、現実的な政策でなければならないと判断されたはずです。
それゆえ、EU連合への加盟は加盟国の人権状況が厳しく審査されています。また人権は「文明国」である西欧だけに通じるとして、植民地争奪戦では虐殺や人種差別も横行していましたが、そうしたことへの反省も含め、全ての人の生きる権利としての普遍的価値として「人権」が捉えられるにいたりました。世界の様々な国や地域における人権状況は、もちろん完璧ではありませんが、様々な法制定、差別禁止条項、条約の批准等々により、人権尊重に向けた努力が続けられている、そのことが重要なのです。「人権の21世紀」が、ただ掛け声にすぎない理想であると、あきらめ嘆息するのではなく、その努力の渦中に生きているという自覚を人類の一員として持つことが大切です。
「人権」は万人のもので、かつ社会的なものだとする国際秩序は、切実な要望であり構想でした。「人権」は基本的に西側、西洋から提供された理念であり、西洋諸国家内部のことであって、植民地やその他の地域、つまり「非文明的」な地域の住民は一人前の人間とはみなされず、人権など認められない時代がありました。この「人種差別」がヨーロッパ内部においてもユダヤ人の大虐殺という事態を引き起こしました。だからこその「普遍的人権」だったのです。それゆえ、人権は、どんな小国にも、民族にも適用されなければなりません。ましてや、人権を錦の御旗として「それが足りない」といって攻撃したり侵略したりするなどということは、本末転倒です。本来人間一人一人にそなわったはずの生きる権利とは何か、私たちは再考してみる必要があります。
1. 私たちを取り巻く情勢と課題
情勢を国内に目を移せば、2021年10月の衆議院選挙、昨年2022年7月の参議院選挙と2度の国政選挙において、与党の大勝を果たした岸田政権は、盤石な国会運営を手に入れたかのようでありつつ、参議院選挙期間中に生じた安倍晋三元総理への銃撃事件を一つの大きな区切りとして、ここ10年の特に長期安倍政権がもたらした負の側面が噴き出している状況があります。
まずは、犯行に及んだ容疑者の動機として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みが語られたことから、すでに数十年前から霊感商法や合同結婚式等で、悪名をとどろかせていた宗教法人と元首相をはじめとした自民党現役議員との緊密な癒着や、政策協定の存在などが明らかになったこと。「勝共連合」とのつながりから、「反共」イデオロギーと結託し、築いてきた関係性は、岸信介の時代から継続するものでありつつ、選挙におけるあからさまな協力関係は、2009年旧民主党が政権を取ることで落選した議員へ食い込んだとされます。岸田首相は、昨年12月10日に閉会した国会において、「旧統一教会被害者救済法」の成立を急がせましたが、違法な勧誘の被害に留まらない政権の闇、またこの間の政策への影響などについて解明すべきことは山積しています。しかもこの会期中2カ月の間に4人の閣僚が辞任するという異常事態となっています。
特に家族主義の強化により、専業主婦への税制上の優遇制度と同時に、家庭内での一般的な家事労働以外にも介護、育児等、社会で引き受けるべき福祉についても家庭内で無償で女性に担わせようとする政策を掲げることで、日本のジェンダーギャップ指数は万年最下位に近く、少子化はますます進行し、女性活躍の掛け声に応える現実的条件を欠いたまま、企業や社会の活力も失われた10年だったのです。
性は、一人一人の個性としてあり、生きること、生むこと生まれること、人格と人権に直結するものです。国家統制を強め人々を管理したい権力にとっては、だからこそ手中におさめたいのかもしれません。学校教育において、性教育を行わない指針が文科省から出され、知識としての性のありようのみならず互いをいたわり尊重する感性まで排除されてきたのではないでしょうか。それに関連し、昨年、アメリカ合衆国の中間選挙において、「人工妊娠中絶」の是非が大きな争点となり、それが選挙結果に大いに結びついたとされるのも、女性の性(からだ)を軸とした人口管理、人種管理、人種差別というふうに、事柄の本質が非常に根深いものであったがゆえに、激しく世論を二分する争点となったのでした。
先の国会では、婚姻をめぐる女性や子どもへの差別、特に、無戸籍の子どもを生じる最大の原因としての民法772条にある「離婚後300日以内に生まれた子どもは前夫が父であると推定する」などの改正は長年の懸案事項だったのですが、結局、300日以内であっても救われる女性と子どもは、次に婚姻の制度内にいる人に限られることとなり、4割程度の救済と言われています。法律婚(戸籍)を遵守することに重点がおかれ、人権の視点が軽視されることとなりました。一括採決であったので、子どもへの懲戒権削除の項目等が報道され、若干前進する風を装いつつ、認知をめぐる民法改正に乗じて、日本人男性の認知撤回により外国籍の女性が産んだ子どもの国籍が任意に剥奪される法律(国籍法3条3項)がどさくさに紛れて成立してしまうなど、法務大臣の交代という醜態の一方で、家族主義を強化する方向へと相変わらず舵を切り続けているということです。明治民法から一度も改正されることなく、差別を温存してきた制度を根本的に見直す絶好の機会であり、また、民法という身近で人々の生活に大きな影響を与える法改正でありながら、社会的な注目もなく成立してしまいました。このことは旧統一教会と政権の方針が、現に今も息づいていることの証左かもしれません。
さて、閣僚辞任にともなう、首相の任命責任を問う声が高まっていた国会閉会後、岸田内閣は閣議決定により防衛費のGDP2%増強を表明。今後5年間で防衛費を現行計画から1.6倍の43兆円に拡大するとしました。安保関連3文書では敵の領域内への攻撃を可能とし、平和憲法の制定により専守防衛に徹するとした戦後日本の防衛政策にとっての大転換です。2015年、安全保障関連法として集団的自衛権の閣議決定があったものの、そこでさえ盛り込めなかった、憲法9条の改正が、今回、改正を待たずに完全に死文化することになるという指摘もあります。結局、けじめを持って民意を測ることもなく、米軍の指揮下において軍隊(自衛隊)が国民から乖離して活動するという事態は、すでに戦時を体現しているとも言える非常事であり、主権在民それ自体が名目となりかねません。
ウクライナの事態に危機感を煽り国民の反対をかわそうとしても、アメリカの目論見は東シナ海における対中国の軍事的布陣に日本を配し、防波堤とし、自国の軍需産業を潤おすということでしょう。近隣の国々との無用な緊張を高め、自分の足元を危うくするだけの行為です。
昨年は中国との国交正常化50年という節目でありました。多大な被害を受けつつ、損害賠償請求権を放棄して、未来の関係を築くことに同意した中国側の当時の決断は、日本と中国の双方に恩恵をもたらしました。台湾との関係も保ちつつ現状のバランスの下で、外交する手腕を発揮できるのが日本の立場でしょう。急速な経済成長が多少鈍麻している中国ですが、10倍以上にも膨らんだ貿易関係が、一気に縮小されるわけでもありません。古代から中世、近世に至るまで長い歴史的経過のもと、関係を紡いできた隣国の背景と現状をよく知り理解し、あくまでも外交的に課題を解決する姿勢を示すことが重要です。中国大陸や朝鮮半島への植民地政策により、多大な被害を与えつつ、真摯な謝罪と反省の機会を十分に持つことさえできなかった日本が、それでも東アジアの一員としてふるまうことが可能だったのは、戦後の「日本国憲法」にしっかりと人権が位置付けられ、9条に「戦争の放棄」をはっきりと謳ったことによって、再び軍事大国とならないという安心を近隣諸国に与えることができたからに他なりません。
脱亜入欧の掛け声のもと、アジアの一員であることをかなぐり捨てた「戦前」の態度や考えは、アジアの民衆に対する差別や侮蔑の態度として今も周辺の国々は記憶されているはずです。どの国の文化や歴史も尊重されるべきであり、そこに生きている人々への敬意を失ってはなりません。
2.
福祉で人権のまちづくり
(1)部落差別解消推進法の具体化にむけて
「部落差別解消推進法」が2016年に施行されてから6年が経過しました。理念法である以上、この法律をもって具体的な「差別解消」の実感を得ることは難しい現状ですが、
法の名称に「部落差別」と「解消」が明確に書き込まれたことの意義は、失われるものではありません。むしろ、被差別当事者に対する事業法ではなく、部落外の人々の意識を変えること。部落問題の課題を理解し、一人一人の痛みに寄り添い、この社会にあってはならない差別であるという思いを持続させ、法律の理念を風化させないことが大切です。第5条に謳われている「教育・啓発の推進」は、自治体や教育現場の責務において、まさに具体的に推進するべき項目です。インターネット上にあふれる情報は玉石混交であり、適格な情報を得られる場合もありますが、あからさまな偏見や虚偽によって差別が増長される場合が多大にあるからです。
特に、「部落探訪」と称して、全国の被差別部落に足を踏み入れ、住宅や公園、道路などを撮影し動画としてウェブサイトにアップしてきた鳥取ループ・示現舎に対しては、「差別を助長する行為」として削除や損害賠償を求める裁判が提起され、現在も控訴審で審議がなされています。類似のサイトや模倣犯も多数存在し、京都市内についても例外ではありません。中には、市営住宅の住民の名前までもアップされるなど、個人情報のあからさまな侵害事例もありました。そうした状況を何とか打開していこうとする試みとして、被差別部落出身者や支援者でつくる啓発団体「ABDARC(アブダーク)」が昨年11月13日から動画の削除を求めるオンライン署名を開始しました。すると2週間あまりで2万8千筆を超す署名が集まり、その成果としてか、11月30日にグーグル社は「部落探訪」の動画224本を削除したのです。削除理由としては「ヘイトスピーチに関するポリシー(指針)に違反した」とのことです。これほど短期間に多くの署名が集まったことに関しては、当事者たちにとっても予想外のことであり、差別に反対する人々の言葉や存在が明らかになったことは、一つの希望として受け止められました。
また、身元調査を防御するための「事前登録型本人通知制度」については、京都市において登録数は伸び悩んでいます(140万人弱の人口に対して4200人弱)。そうした状況で、一昨年8月、探偵業55社からの依頼を受けた栃木県宇都宮市の行政書士が1通2〜4万円の報酬で3500回にわたって戸籍謄本や住民票を不正取得した事件が発覚しました。京都市は無断で取得された「被害者」への通知が、他都市に比べると、比較的すみやかに行われました。しかし請求理由が「遺言」のため通知されなかったケースが32件中12件あり、不正請求を行う側の抜け道になっていました。これは制度ができた当初から運動の側が指摘してきたことですが、昨年12月1日に、京都市は「遺言」を事由とするケースについても、通知する旨の決定をおこないました。このように、様々な現場で少しずつ人権が守られる方向に変わっていくということが大切です。
それにしても、結婚や就職に際していまだに「身元調査」をおこない、本人の評価にかかわりのない出自等の理由で排除しようとする行為が横行している事実は、許しがたいことです。ネット上の所在地情報と戸籍の不正取得がセットとなって、アウティングがなされます。「出自」の自覚など、特にないまま人生を歩んでいる人が、外側から「身元」を暴かれ大きな打撃を受けるのです。自治体は、市民窓口がこうした不正を見抜き差別をさせないための最後の砦であることを自覚するべきであると同時に、そうした人権感覚のレベルアップを統一的におこなうためのマニュアル作成や研修が常に求められています。
また、特に子どもたちが動画を見つけた時の対応については、現実的に全く対策が講じられていないことが問題です。被差別部落においても、今の親世代は、出自の伝え方に悩みながら暮らし、不意打ちのように子どもに動画のことを聞かれたとき、どう対応すべきかの心の準備ができていない場合が多数です。親の対応によっては、子どもが傷つく場合もあります。部落差別がどのような差別であるか。差別に立ち向かうための学習が、子どもにも大人にも求められているのです。
(2)人権侵害救済法の必要性
2016年は、「部落差別解消推進法」の他にも「ヘイトスピーチ解消法」「障害者差別解消法」などの個別法も制定されました。2020年の東京オリンピックを控えていた日本では、人権にかかわる救済法も、差別禁止法も国内法として存在していない中、オリンピック憲章とも何とか折り合いをつけるべく、個別法で対応する方針を打ち出していたからです。しかし、様々な人権課題は縦割り的に解決するべき問題ではありません。例えば部落差別解消推進法に掲げられた相談体制の充実にしても、解決のための具体的権限をもった「人権委員会」を設置することなくしては、救済にいたる道筋を見出すことはできません。被害当事者が裁判を提起したとしても、長い時間と労力と、経済的負担を覚悟しなければなりません。世界では、各国の国内人権機関が協力し、情報交換や相互の発展に向けた活動を行うことを目的としたネットワーク「国内人権機関世界連合」(GANHRI)が作られています。この連合は、世界各地の国内人権機関をメンバーとし、国連人権高等弁務官事務所が事務局を務めており、各国内人権機関がパリ原則に適合しているかどうかを判断する認証委員会を設置しています。
2021年1月現在、GANHRIのメンバーは117機関、そのうちA認定(完全にパリ原則に適合)は84
機関、B認定(部分的にパリ原則に適合)は33機関です。国内人権機関はまた、「持続可能な開発目標」(SDGs)の達成についても重要な役割を果たすことが期待されているといいます。つまり、人権侵害に対する救済の他、人権がさらに尊重されるための機関だということです。国連自由権規約委員会、子どもの権利委員会、女性差別撤廃委員会等々、様々な国連機関から、何年にもわたり幾度も勧告をうけながら、いっこうにその設置に向けた努力をしようとしない日本は、人権に関して、周回遅れどころか、二周、三周にわたって遅れていると指摘されているのです。
法制定がなされ、人権機関が設置されたとしても、ただちに人権状況が改善され、人権侵害がなくなるということではないかもしれません。しかし、国として、社会として、人権を尊重するのだ、国民のみならずそこに暮らす全ての人々に対する人権尊重の意思を示すことであり、どのような社会を築いていくのかのメッセージなのです。
逆に言うならば、人権侵害救済法を「つくらない」とする表明は、人権を大切にする意志が「ない」という意思表示にもなりかねず、国際社会の標準に背を向けることになるのではないでしょうか。2002年、人権擁護法案が政府与党として提出された時点に立ち返り、パリ原則に適合した国内人権機関の設置に向けた研究が、与野党をこえてなされ、一刻も早く実現にこぎつけなければなりません。
また同時に、国連に対しての個人通報制度である、選択議定書の批准もなされる必要があります。
(3)京都市内のまちづくり
2002年3月末、「同和対策事業特別対策措置法」の延長としての「地域改善対策事業法」の期限となり、部落問題を解決するための特別対策(事業法)は失効しました。それと同時に、行政として法律を適用していた地域についても「同和」という文言を消し去りました。しかし、歴史的経過としての被差別部落(=地域)は、現に在り続けるのであり、事業法のもと建築された市営住宅(=改良住宅)は、築年数を重ね、老朽化を迎えることになります。かつての被差別部落は、共同の井戸、共同の便所を地域の人々が使用し、5〜6人の家族が6畳一間で生活するというような、劣悪な住環境でした。そのような状況から鉄筋コンクリートで、雨もりもせず、それぞれに台所がある「アパート」になり、狭くてもそれだけで大いなる生活向上であるということで、地域住民が事業に協力して土地等の売却に応じることで建築されたのが改良住宅でした。1970年代から80年代に多く建てられた住宅は築40年から50年が経過しました。エレベーターもお風呂もない住環境は、現在では、一般的な公営住宅の基準にも満たない建物となり、何よりも、耐震その他における安全性が保たれないという状況は、ただちに改善されなければなりません。
そこで、一昨年「京都市市営住宅ストック総合活用指針」が京都市により示され、まずは市内4地区(田中地区、錦林地区、東三条地区、西三条地区)で、昨年から、測量と更新棟の設計がすすめられました。2023年度以降いよいよ着工ということです。
京都市住宅室すまいまちづくり推進課では、年に数回「団地再生ニュース」を発行し、地域住民に間取りの提示や、イメージパース等を通じて、あたらしい地域のイメージを提供しているということで、部落解放同盟京都市協議会は昨年10月に「まちづくり部会」を開催し、それぞれの地域の進捗状況を共有しました。
千本地域と清井町地域では、先行して建て替えが完了している状況もあり、今後はソフト面でのまちづくりを地域住民と共につくっていくために、除却後の空き地の活用などについて、知恵をしぼっていく必要があります。過去の「同和行政」では、周辺地域の住民に対する啓発等が不十分であったことから、一部に「ねたみ意識」から「逆差別」が生じるという、部落差別の解消から逆行する現象が少なからず生じたこともありました。こうした過去の教訓を生かし、それぞれの地域で「まちづくり協議会」を組織し、学区自治連など、日常圏域を共有する人々とともに、まちの未来を構想することが求められています。
3.
多文化共生社会をめざして
(1)
入管法案再提出に反対します
ロシアによるウクライナ侵攻によって国外に避難した人の数は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2022年8月時点で1千万人を越えています。この大規模な緊急事態に対する国際社会の取り組みは手厚く、日本もその例外ではありません。保護を必要とする人々に手を差しのべることは、人間社会の誇るべき良心の発露ではありますが、なぜウクライナだけ特別扱いするのか?との疑問も生じています。ヨーロッパから来たからか、外交的思惑からか、あるいは白人を優先してしまう潜在意識なのかと。ただ言えるのは「命が危ないために日本に来た」人はウクライナからにとどまらず、アフガニスタン、ミャンマー、スリランカ、クルド、シリア等々、その他の国・地域からの人々もいるという事実です。保護・支援は、そうした他の人々にも適用すべきで、それを実現する底力と包容力が日本社会にはあるのです。国と自治体・市民の連携で、2023年1月現在で約2200
名のウクライナ避難民を受け入れています。今回の経験は大きな布石となるはずです。現在、ウクライナ避難民については保証人さえいれば就労可能な1年間の「特定活動」のビザが発給されています。
そうした人々が、日本での滞在が長引き、仕事を持ち、家族を形成し子ども達の将来を考えた時、定住をのぞみ難民として認定されれば、「定住者」として本国での危険におびやかされることなく安全な生活を送れます。しかし、日本での難民認定率はよく知られているように、カナダの75.4%、ドイツの52.0%に比べ極端に低く、低いと言われるアメリカの7.6%に比較しても、著しく低い1%前後の実績しかありません。
報道によれば、2022 年4月16
日、岸田文雄首相は、難民条約上の「難民」に該当しない紛争地からの避難民らを「準難民」と位置づける制度の創設を検討していると明らかにしました。そして、5月17
日、古川法務大臣は閣議後記者会見で、「出入国在留管理制度全体を適正に機能させ、真に庇護を必要とする方々を適切に保護するとともに、送還忌避・長期収容問題という喫緊の課題の一体的解決に必要な法整備に向けて、着実に検討を進めたい」と答えました。この発言からは、2021
年に国内外から多くの批判、反対を受け廃案となった旧法案を再提出しようという意向がうかがえます。これは、ウクライナ避難民を口実にしたとんでもない「火事場泥棒」的な政策です。ウクライナ避難民に特別の地位(在留資格)を与える人道主義の仮面を被りながら、他の国・地域からの難民と支援者たちにはより一層の過酷な刑罰を与えようとする「入管法改正案」の再上程であり、決して許されません。むしろ私たちは、ウクライナ避難民問題を契機に他の地域からの難民受け入れを緩和し、日本の排外主義政策を是正する方向に転換させるよう、声をあげるべきです。
(2)ヘイト事件裁判の後に来るものは
2021年7月から8月にかけて、在日朝鮮人が多く住む宇治市伊勢田町のウトロ地区の建物や愛知県名古屋市の在日本大韓民国民団愛知県本部、韓国学校に放火したなどとして、非現住建造物等放火、器物損壊などの罪に問われた23歳の被告人は2022年8月30日、京都地裁で懲役4年の実刑判決を受けました。また別の30歳の被告は、「日本を滅亡に追い込む組織」などと辻元清美・参議院議員(立憲)の事務所と、インターナショナルスクール「コリア国際学園」、創価学会の施設を連続襲撃する事件をおこし、大阪地裁は2022年12月8日、建造物損壊などの罪で、懲役3年執行猶予5年の判決(求刑懲役3年)を言い渡しました。
社会的関心を集めたこの二つの裁判は、在日コリアンへの「嫌悪感」を持ち、「日本から追い出す」ことを目論んでいたという被告たちの差別・憎悪感情を根底にして、それを扇動し他者を排除する危険な「ヘイトクライム」でした。しかし判決は「歪んだ正義感に基づいた独善的な犯行」「民主主義社会ではあってはならない」と指摘しましたが「ヘイトクライム」「差別」には触れませんでした。
1995年、日本は人種差別撤廃条約に加入しました。人種差別撤廃条約の締結国は、条約に見合った国内法を整備する義務を負っていますが、日本には人種差別を禁止する法律がなく、差別の被害を救済する国内人権機関やシステムもありません。被害は、名誉棄損や業務妨害・放火罪など差別がもたらした事象でしか裁かれません。2018年国連人種差別撤廃委員会は4回目の日本政府報告書の審査を行いましたが、日本政府は「日本には法律をもって禁止しなくてはならないほど深刻な人種差別は存在しない」と明言しました。また、「他の法律でも差別事象に対して適正に対処できている」という趣旨の報告もありました。そのためか、日本の裁判所は日本政府の立場同様に、人種差別撤廃条約を含む国際人権諸条約を裁判でほとんど使わないのです。
ヘイトクライムは、民主主義社会における根本基盤である対等で平等に生きることを否定しています。その矛先は障害者や被差別部落民、性的少数者、社会的弱者、アイヌ民族、琉球沖縄住民等にも向けられ、個人にとってだけでなく、社会にとって危険な犯罪でもあります。「井戸に毒を入れた」などのデマをもとに、一般市民が朝鮮人や社会主義者を虐殺するという凄惨な事件が起こった関東大震災(1923)から100年が経ちます。20代の若者が相次いでヘイトクライムを起こしたという事実が与えた衝撃は少なくありません。コリア国際学園の代理人を務めた張界満弁護士は、「ヘイトは人を人として見ないことから始まりますが、関東大震災と本質的に変わっていないということは、非常におそろしく感じます」と言及しています。
「敵基地攻撃能力」「防衛費倍増」などが当然のように語られる昨今の日本の状況を見ると、ヘイトスピーチ・ヘイトクライム(以降「ヘイト」)が在日コリアンや中国人に向けられたものが多いのは、日本の再軍備を進めるために「過去のあやまち」意識からの脱却(歴史修正主義)とアジア人(特に北朝鮮・中国)への差別意識・嫌悪感を持つ国民が多くなることが再軍備に有利な状況をつくるためとも見えます。2022年12月9日共同通信記事によると、防衛省がAI技術を使い、SNS上で国内世論を誘導する研究に2020年ごろから着手したことが判明しました。その内容は「本人も気づかない間にネット上などで影響力を持つインフルエンサーを利用して防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成、国民の反戦・厭戦の機運を払拭したりするネット空間でのトレンドづくりを目標としている」という内容でした。これは、今日本社会で起こっている現象を利用しようということに他なりません。
「ヘイトを許さない」「自分は差別をしない」というだけでは「ヘイト」は無くなりません。それは日本の歴史的構造的問題であり、様々な人権条約を批准しているにも関わらず遵守しようとしない政府の差別政策にあるのです。技能実習生制度や朝鮮学校への教育無償化制度からの排除はその典型と言えます。ナチスドイツの被害を経験したヨーロッパの国々では「ヘイト」を厳しく規制するのは差別による人権侵害から個人を守ると同時に、公益(民主的社会の秩序・公共の平和)を守ることとしています。イギリスでは、「公共秩序法」の規制する類型のひとつとして、人種的嫌悪を煽動した者、あるいは文書等を所持・頒布等した者は、7年以下の拘禁、又は罰金、若しくはその両方となっています。ドイツ連邦議会は2017年インターネット上のSNSで刑法の民衆扇動罪を貫徹するための法律案を成立させました。この法律は、FacebookやTwitterなどのSNSのプラットフォームにおける人種差別表現について削除などを求めることを目的としています。利用者が簡単にアクセスでき、しかも常に利用できる苦情手続を提供し、
明らかに刑法上問題になる内容の表現は、苦情を受け入れてから24時間以内に削除又はブロックすることを求めています。そして、
SNSの運営者は、苦情に関する有効な処理システムを整えず、特に処罰に値する内容の表現を完全または迅速に削除しない場合には、法を犯したことになります。苦情処理に関する責任者には最高500万ユーロ、企業に対しては最高5000万ユーロ(約70億円)の科料を科すというものです。ヘイトスピーチの問題は本来被害者が矢面に立つ民事事件ではなく、刑事事件として国(検察官)が担うのが原則なのです。そのための法的根拠になる「人種差別撤廃施策推進法案」が2015年5月に国会に提出され審議されましたが、その結果与党から対案として出されたのが「ヘイトスピーチ解消法」でした。
(3)京都にもヘイトスピーチ規制条例を
世論に押され日本でも2016年「ヘイトスピーチ解消法」(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が施行されました。この法律では基本施策として(相談体制の整備)(教育の充実等)(啓発活動等)の3項目を掲げています。当初から「罰則規定のない理念法に実効性はあるのか?」という批判が出ていましたが、そうではなく「たったこれだけの施策で実効性が期待できるのか」というべきでしょう。また、(国及び地方公共団体の責務)では地方公共団体は「当該地域の実情に応じた施策を講ずる」とあり、地方公共団体に具体的施策を丸投げする形になっています。ある程度の裁量権を得た各地方公共団体では様々な取り組みが行われています。大阪市から始まり積極的にヘイトスピーチを規制する条例を制定した自治体もかなり増えつつあります。中でも、2019年に施行された神奈川県川崎市の「ヘイトスピーチ規制条例(川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例)」は(人権教育・啓発)(被害支援)(情報収集・研究)(推進協議会の設置)(公の施設の利用許可)(差別言動の禁止勧告→命令)(違反者・法人の氏名公表)(条例違反による刑事告発)(インターネット表現活動に係る拡散防止措置及び公表)(罰金刑の罰則規定)などの内容が盛り込まれ、ヘイトスピーチ規制の「実効性担保」を考慮したものとなっており、国ができないことを地方が先行し、新たな可能性を見せてくれました。
私たちのいる京都では、2009年「京都朝鮮学校襲撃事件」や2021年「ウトロ放火事件」などの誰もが知るヘイト事件があり、世間の耳目を集めた地域でもありますが、「ヘイトスピーチ解消法」が施行されてから6年が過ぎた今も、京都府市ともに未だ「公の施設利用に関するガイドライン」を施行しただけに留まっています。差別を許さない社会づくりの歩みがあまりに遅い京都の現状に、情けない思いを持っておられる方はたくさんおられるのではないでしょうか。
2015年「京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会」が発足しました。会ではたたき台になる人種差別撤廃条約をベースにした条例案の制作を終え、制定を求める市民の声を大きくする活動に取り組んでいます。現在は意見集約のためのワークショップを開催していますが、今後は春の統一地方選挙に向けて選挙ヘイト監視や議員候補者へのアンケート活動、条例制定に向けた請願や署名活動などをおこないます。そのために重要なのがマンパワーです。
神奈川県相模原市では、多様な活動団体(マンパワー)が協働し「反差別相模原市民ネットワーク」という連絡会を結成し、1年余りの間に11万筆もの条例制定を求める署名を集めました。市では現在「人権施策審議会」で条例制定に向けて条例の内容を検討する審議を開催しています。そして、規制対象の議論では、海外をルーツとする人への不当な差別的言動に限定せず、市内で起きた津久井やまゆり園事件(障害者ジェノサイド)を念頭に障害者、性的少数者などにも広げることが検討されています。ヘイトスピーチ規制に始まった条例制定活動が新たな質の転換を見せようとしています。国の思惑はどうあれ、市民の力が社会を変えてゆくダイナミックスを我々は目にしています。
(4)「多文化共生社会」を実感し創造するために
2022年12月末現在の在留外国人統計によると279.5万人が日本で暮らしています。その内151.3万人が永住者などの長期滞在で、特定技能・技能実習などが55.2万人、留学生が20.7万人と続きます。中国帰国者家族、日本国籍取得者、日本籍のダブルを含めると軽く300万人を越えています。人口順位13位の京都府人口が約258万人であることと比較するとその数の多さを実感することができるでしょうか。
京都でも、外国人入居差別のない古いUR公団(松の木団地など)、古い公営住宅(向島団地、小栗栖団地など)には多く居住しています。同じエリアに住んでいない人でも、東九条マダンや東九条春祭り、団地や国際交流機関で開催されるイベント、ウトロ平和祈念館(2022年4月開設)に出かければこの人達と交わることができます。
京都には京都市立洛友中学校という中学校夜間学級があります。夜間中学は戦後の混乱期の中で、生活困窮などの理由から昼間に就労または家事手伝い等を余儀なくされた学齢生徒が多くいたことから、それらの生徒に義務教育の機会を提供することを目的として、1945年以降に設けられたものです。
国は2017年の「教育機会確保法」で夜間中学設置を促しており、全国に15都道府県40校あります。現在では、義務教育未修了の学齢超過者や、不登校など様々な事情により十分な教育を受けられないまま中学校を卒業した者、本国や我が国において十分に義務教育を受けられなかった外国籍の者を中心に教育を行っています。2022年の調査では生徒は中国22%、日本33%、ネパール15%、韓国・朝鮮8%、ベトナム3%、フィリピン7%、などとなっており、外国籍の生徒は67%を占めています。夜間中学校は社会全体から見れば小さな空間かもしれませんが、多文化共生の観点から見れば歴史・文化の相違を乗り越え、偏見・摩擦・葛藤を繰り返しながらも、外国にルーツを持つ人を含めすべての人に平等に学ぶ権利を保障することを実現するのに最も近い場所と言えます。しかし現実として、夜間中学にさえ通うことのできない人も多数存在しているのです。
2022年11月13日京都新聞に「公立夜間中に通えなくても諦めないで」という記事が掲載されました。京都にも自由度の高い「自主夜間中学」を創る活動が始まっているという記事は、京都にすむ外国人コミュニティにも広まり、早くも問い合わせが来ています。今後の課題ではありますが、京都自主夜間中学校にも多数の外国ルーツの人が来ることになると思います。そして、また新たな多文化共生を実現して行く場所が生まれることに、大いに期待をしたいと思います。
4.
人権確立に向けたこれからの運動展開
(1)格差社会の克服にむけて
新自由主義経済のもと、人々の間にある格差は広がるばかりです。たった1%の人々に富の99%が集中するといういびつな世界を、何とかしてただしていかなければなりません。企業がその利益を大きくするためには、労働者の賃金を低く抑えること。雇用形態を非正規に置き換え、あるいは、安く雇える地域に生産の拠点を移すなどがなされます。しかし、産業社会が成立し、人々は労働することが前提となると、労働者の権利が保護され、組合活動も保障されなければなりません。第一次世界大戦後の国際秩序の構築においてILO(国際労働機関)が設立されたのも、そうした理由からでした。働く人々、つまり社会を支える人々の権利が守られないと、国内問題が外に向けられて戦争になる。そうした反省のもと、繁栄の追求が戦争に繋がらないように作られたのです。それは、西洋文明、資本主義の修正をもたらす役目を負って生まれたことを忘れてはなりません。世界が産業化して、産業経済システムが共通構造になると、「雇用」が基本的課題になります。貧困や飢えが、働いて賃金を得ることと結びついたのが産業社会でした。戦争を避けるためになされた1944年のILOの目的に関する宣言である、フィラデルフィア宣言で「労働は商品ではない」とまず掲げられ、「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」ことも確認されました。どこの人たちも自分たちの国をつくって、自立した生活を送れる。それを保障し合うという体制を構築していこうという宣言であり、戦争状況の終結直前での世界秩序への合意でした。
同一労働同一賃金はもとより、同一価値労働同一賃金は、人権の基礎だろうと考えます。アルバイトやパートなどの非正規雇用であるために、「正社員」と同じ労働をしながら時間当たりの報酬に大きな差があること、そのこと自体が差別であり人権侵害だということです。ここでもまた、欧米並みの最低賃金が日本で適用されなければならず、外国人へも、女性へも、平等に適用されるよう是正されなければなりません。
日本の子どもの7人に1人が貧困であるという事実は、子どもが働かずに貧困であるということではもちろんなく、親の貧困が原因であり、しかも、その多くがシングルマザーの世帯であるとの統計がようやくここ14~5年で日の目をみることとなりました。母子家庭についても、死別、離別、未婚で、細かく税制上の差をもうけ、同じ境遇の女性たちに分断や差別を持ち込みながら、「氏」を同じくする夫婦と子どもを、世帯の標準として生き様を管理するというような政策は、やめるべきです。同性カップルや、養子縁組をした親子、事実婚など、多様な家族を認める社会であることが、少子化の課題が克服され、経済効果もあげているという統計結果もあります。伝統的家族観にしばられることで、むしろ未婚化が進行したのがこの間の日本社会です。
社会主義体制の構築を志向したソビエト連邦が崩壊し、「自由主義体制」の勝利を謳歌した西洋、西側諸国は、主に、アメリカ合衆国からの発信により、世界経済を市場に委ね、公共的な政策を排除した自由放任こそが、資本主義の発展に貢献するのだとする「新自由主義」を打ち出しました。グローバル化した世界経済での弱肉強食の競争が激化したのです。そのような21世紀の幕開けは、皮肉なことに2001年9月11日、アメリカの世界貿易センタービルに旅客機が衝突し崩落した事件を皮切りとして、ブッシュ大統領(当時)が「テロとの戦い」を宣言することでした。しかし、テロリストとの戦いとは、国や地域を超えて、相手を名指しすることで攻撃対象とすることで、新たな報復、新たな憎しみを世界に増大させたと総括されています。首謀者であるオサマ=ビーン・ラディンをかくまったとして、アフガニスタンに侵攻したアメリカは、20年間にわたる戦闘行為を現地で展開し、民衆の生活は破壊されましたが、結局は平和的な新体制をつくることなく撤退しました。20年にわたる戦争は、ベトナム戦争を超える世界最長の戦闘行為となり、現地ではふたたびタリバーン政権が復活。女性の地位や教育を含む、民衆の人権状況について危惧されています。
また、2003年にはイラクに大量破壊兵器が存在するとして、アメリカを主体とした有志連合が「イラクの自由作戦」の名のもとに侵攻し、サダム・フセイン政権を崩壊させ占領しましたが、問題となった破壊兵器は存在せず、ISILなどテロ組織の伸長をうながし、中東地域のみならず、西欧そして世界中に不安定な混乱をもたらしました。
占領されているパレスチナの状況も深刻さを増しています。第二次世界大戦におけるユダヤ人大量虐殺から、戦後のユダヤ人の処遇をめぐり、イギリスの二枚舌外交をきっかけに、ヨーロッパさらには、ロシアから多くのユダヤ人が中東パレスチナに移動しイスラエルを建国。現に居住している人々を武力で追放し、多くの難民を生み出し、その占領地を相次ぐ戦闘により広げています。こうしたことは、20世紀から引き続く、人類全体の責任であるといえます。
世界大戦が終結して80年近くが過ぎたということは、この世界に生きる、わずかな人々しかその戦争を体験していない現実が到来しているということです。親の世代の記憶、親の親の世代の記憶となっていきますが、想像力を働かせ、現実の課題と連動させながら、戦争を回避する知恵を共有していかなければなりません。市場における自由な競争を、無批判に礼賛することで、踏みつけにされ犠牲にされる人々を放置することは許されません。「自助」を自己責任の名のもとに強要するだけでなく、「共助」と「公助」を、社会全体の規範としていくことが大切です。そのためには、硬直したイデオロギーを振りまき、壁をつくるのではなく、できるだけ見晴らしの良い環境で、相手の立ち位置や状況を理解することが大切でしょう。
人権の21世紀の真の意味は、これまで施しの対象であったり、不利な状況の改善を要望したりしてきた、被差別当事者、マイノリティの人々が、自分たちこそが、この世紀を担っていくのだという自負において、その創造の主体となる世紀であるということであると、私たちの集会は定義してみたいと思います。それはもちろん、日本社会における特有の部落差別であり、日本社会に特有の他のアジアの国の人々に対する差別であり、日本社会における北海道侵略の結果である、アイヌへの差別であり、また、歴史的に琉球王国を支配してきた延長線上の沖縄差別であったりもしますが、さらにグローバルに、アメリカにおける黒人差別、先住民差別、ヨーロッパ諸国におけるアフリカからの移民問題、中東政策、イスラム教などの宗教的差別も含め、多くの顕在化され、克服されるべき課題として提示されている、その当事者である人々。それから、そうした様々な課題のそれぞれにつきまとう、性に関する課題。ジェンダーや、LGBTQの諸課題で、自覚的に世界を変革していこうとする意思を持つ多くの人々は、もはやマイノリティとも言えない多種多様な人々であり、これまでの歴史において、権力から除外された人々です。そのように排除され、端に寄せられた人々の意識や主張こそが、これからの世界にとっていかにも有用であろうとする予感です。
この世界に生きる、全ての人々が平等かつ、対等であるということを原則として、あらゆる領域で、あらゆる場面で、それぞれが意識的にその主張をすること。それがある種の痛みを伴うものであったとしても、そこを乗り越えてその足元を変えていく自由と、力を、個人の一人一人が持ち合わせているのだ、という、そのことをはっきりと自覚して生きていくということが、私たちにとっての「人権の21世紀」の内実であると考えます。
5. 教育をめぐる状況
(1)はじめに
1922年(大正11年)3月3日、京都の岡崎で全国水平社が創立され、様々な願いや思いを込めて「水平社宣言」が高らかに読み上げられました。明治維新から水平社創立までの半世紀、身分が解放され、差別はなくなると信じていた被差別部落の人たちにとっての、この50年間の苦しみや悲しみは想像を絶します。その中で、差別をなくすために自ら立ち上がり、「人間を尊敬すること」「すべての人間の自由と平等」を訴えました。最後には「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で締めくくり、これからの社会が差別のない、明るい未来を作り出そうと願った宣言文でした。この「水平社宣言」は、世界で初めて被差別マイノリティから発信された人権宣言であり、この100年間、大切に語り継がれてきました。
現在に目を向けてみますと、子どもへの虐待、新型コロナウイルスによる差別、セクシュアルマイノリティへの差別、在日コリアンに対するヘイトスピーチやヘイトクライム(憎悪犯罪)、SNSによる誹謗中傷、いじめによる自殺・・・。人権問題に関するニュースは絶えません。「水平社宣言」で語られた部落差別についても、SNSや動画投稿サイトや人間関係の中でいわれなき差別がいまだに続いています。現代にも残る差別の状況を知ったとしたら、100年前に立ち上がった人たちの思いはいかなるものでしょう。
さて、学校教育の現場における現在の状況に目を向けてみますと、京都市ではこれまで京都市の教育を支えてきた豊富な経験と指導力を兼ね備えた先生方が退職する、世代交代の時期を迎えています。京都市の「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という教育理念を引き継ぐためにも、様々な事柄を次第送りしていく必要があり、その中の一つに同和教育があります。
私たち教職員は、以下のような質問に真 に向き合って答えることができるでしょうか。
1.
部落差別はどんな差別ですか。
2.
部落差別はなくなりましたか。
3.
水平社とは何ですか。
4.
水平社宣言とはどんな宣言ですか。
5.
水平社創立大会はどこでおこなわれましたか。
6.
「寝た子を起こすな」という考え方はどんな考え方ですか。
7.
「オールロマンス事件」とはどんな事件ですか。
8.
現在ある部落差別に関する法律は何という法律ですか。
ここに書かれている質問は、教職員であれば、だれもが知っておいてほしい内容です。このような同和問題にかかわる校内研修はどれくらいおこなわれているか、残念ながら不明です。昨今、同和問題は見ようとしなければ見えないものになってしまいました。もしかすると部落差別はなく
なったのかもしれないという誤解が生じるほどです。ただ、水平社宣言が出されて100年以上たった今も、解決せず差別が残っている事実を教職員がもし知らなかったり、問題意識が低かったりするとすれば、これは大きな問題です。
これまでの京都市の同和教育
被差別部落の厳しい生活実態から同和教育は始まります。厳しい生活実態の中、生活のために家事や子守りなど様々な理由で学校へ行けない子どもがたくさんおり、「今日も机にあの子がいない」状態が続いていました。当時の被差別部落の長欠・不就学児童・生徒の数は、全市平均の約10倍もの格差がありました。学校に行けない子どもたちは、中学校を卒業しても安定した仕事に就くことができず、経済的に苦しい状態に置かれ、働き続けなければ生活が成り立たない状況になる、そうすると子どもが学校へ行けない・・・。いわゆる差別のスパイラルが続いている状態でした。またこれに追い打ちをかけるように社会全体からの差別が平然とある状態でもありました。
この「負の連鎖」を断ち切り、部落差別をなくすために学校ができることがないかという考えのもと、京都市の同和教育が始まっていきました。教職員の手弁当による夜学校、隣保館等での補習、行政の施策としての補習学級など、低学力からの脱却を目指し、日々取組が進められました。1964年1月9日「京都市同和教育方針」が出され、同和地区児童生徒の「学力向上」を至上目標とした実践活動が本格的に始まっていきました。多くの地域で子どもたちの学習の拠点ともいうべき学習センターが建設され、自学自習の習慣や経験の拡充をねらった取組を進めていきました。そして、同時に家庭の教育力を高めるための懇談会や家庭訪問の取組も重点的に行われていました。このような特別施策の取組は、2002年3月をもって終了となりました。
この同和教育は、大きな成果をあげ、まずそれまで学校に行くことができなかった被差別部落の子どもたちの多くは、学校に行くことができるようになり、それにともない学力も向上し、高校進学も全市平均と変わらないまでになりました。それまで将来展望をもてなかった子どもも、様々な職業に就くことができ、厳しい生活実態は解消されていきました。ただし、部落差別による様々な格差が是正されたわけではなく、まだまだ厳しい状況におかれている子どもたちも存在し、学力や経済面において二極化している実態もあります。引き続き同和教育の取組を進めていく必要があり、その精神は、「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という京都市の教育理念に表れています。
(2)京都市小学校同和教育研究会
小学校における同和問題に関する指導
学校教育においては、全教科全領域にわたって、人権尊重の精神を養う教育を推進していかなければなりません。なかでも、同和問題の早急な解決を図るためには、同和問題の指導の充実により、人間としての尊厳と平等を深く自覚し、あらゆる差別を許さない人権意識の徹底を図る指導を推進していかなければなりません。
小学校では、6年生社会科で同和問題に関する学習をおこないます。公民
分野においては、日本国憲法の基本的人権を通して、誰もが幸せに暮らす権利を有していることや差別をしてはいけないことを学びます。歴史分野では、歴史を学びながら歴史的背景、どのように差別が起こってきたのかを学習します。
同和問題に関する指導においては、これまで、すべての児童・生徒に同和問題解決の実践的態度の基礎である、人権尊重の精神を基盤とした同和問題についての正しい理解と認識を培うために、京都市教育委員会は指針や試案を出してきました。どの学校でも指針や試案をもとに同和問題に関する指導をおこなってきました。また、人権尊重についての正しい考え方を積み上げるために、同和問題に対する認識の素地を育てる指導を、1年生から6年生まで社会科や道徳をはじめとする様々な教科でおこなってきました。保護者には、同和問題に対する認識を深め、あらゆる差別を許さない人権意識の高揚を図ったり、意識の行動化につなげたりするために、すべての学校で啓発参観・懇談会をおこなってきました。教職員に対しては、同和問題解決への責務を自覚し、すべての人権問題の解決を目指す、子どもたちに人権尊重の精神を高め、実践的態度を培う指導を推進していくために、どの学校においても同和研修が行われてきました。
近年では、2019年1月、「京都市教育委員会《学校における》人権教育を進めるにあたって」の一部改訂がなされました。「同和問題にかかわる課題」に対する「現状と課題」では、学校教育においてこれまでの同和教育の成果の普遍化を通じて、一人一人の子どもを徹底的に大切にする京都市の教育に受け継がれています。「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行され、これを解消する取組を進めることが引き続き求められていることが記されました。また、「取組にあたっての基本的な考え方」については、「すべての子どもの自立と家庭の教育力向上の支援など、人権教育としての取組を一層充実させるとともに、社会科での同和問題の指導をはじめ、人権尊重の観点から、発達段階に応じて、同和問題を児童・生徒に正しく理解させる指導を推進する。」「新たな差別を生むことがないよう、指導が真に部落差別の解消に資するものとなるよう、内容、手法等に関する研修を実施するなどその指導体制を構築する。」というように改訂がなされました。
現在使用されている5・6年生社会科の指導計画「京都市スタンダード」には、○人というマークがついています。これは、その学習での人権に関する指導の留意点です。以前は、同・外・男女・人というマークがついており、○同は同和問題に関する指導、○外は外国人教育に関する指導、男女は男女平等教育に関する指導、人はすべての人権問題に通じる人権に対する認識を育てる指導の留意点が明示されていました。最近、同和問題に関する指導はなくなったのではないか、という話を耳にしますが、以前「同和問題にかかわる単元の指導」と呼んでいた内容がなくなったわけではなく、現在の指導計画では、○人と記されており、今も同和問題に関する指導という位置づけとなっています。
(3)京都市中学校教育研究会人権教育部会
中学校より〜若手教職員の同和問題に関する実態と認識
中学校の現場では、どのように同和教育施策が行われてきたかを知らない若手が増えています。その中には、人権が関わる授業に、苦手意識を抱いている者も少なくないでしょう。その裏付けとして、昨年5月に行われた人権教育主任研修会の協議では.「学校における人権学習の時間に同和問題を扱うか」という課題提起がなされ、「同和問題を扱う予定は今のところない」と答えた学校も複数ありました。苦手なことを避けるのではなく、教職員が同和教育について研鑽に励み、生徒とともに考え、差別問題の理不尽さに共感を広げていく必要があると思います。学校で起こりうる差別も、もしかしたら、教職員が無知や無関心であることで見逃してしまうことがあるのかもしれません。
同和問題を含め、人権に関する様々な問題は、生まれながらに有する自由と平等が侵害されるという、まさに不合理な問題です。この問題の解消に向けて考えを深めることが、現代社会における様々な人権の諸問題を考えるうえでの基礎になると考えています。そのため、学校現場で同和問題を扱うことは、これからの社会を担っていく子どもたちを育てていく上では、欠かすことはできないと考えます。
そして、一人ひとりの生徒を深く理解し、関わっていこうとすればするほど、次のようなことが見えてくるのではないでしょうか。「Aさんの背景には貧困、虐待が横たわっている。ヤングケアラーになっている可能性もあるな。」「Bさんは支援を要する子の一人だから、合理的配慮をしなければならないな。」「Cさんは性的マイノリティの可能性を十分感じるぞ。」「あ、外国にルーツのある子がいるのも忘れてはいけない。校区に隣接したところに被差別部落があると聞いた。そして、そのルーツの子が本校には多く在籍しているとも聞いたことがあるな。うちのクラスにも人権課題を背負わされている子がたくさんいる。どの人権課題にも向き合う必要があるな。」と。このように、目の前にいる子どもたちの背景には様々な社会問題や、人権課題が横たわっていることに気付かねばなりません。それぞれの諸課題の根底にある構造について考えを深めていくことも、これからの社会を生きる子どもたちにとって大切な感覚を育むことにつながるでしょう。そして、その学習で得た視点を、学校・学年・学級で機能させることが重要ではないかと思います。ここからは、学校における人権教育のあり方を再考していきたいと思います。
教育現場における人権教育の位置づけ
中学校教育研究会人権教育部会では、「人権教育を学校教育の根幹に据え直す」という目標のもと、活動しています。この目標の裏を返すと「かつて人権教育は学校教育の根幹であった」ということが見えてきます。それでは、なぜこのように変化していったのか、考えてみたいと思います。
京都市教育委員会発行の「学校における人権教育をすすめるにあたって」の冒頭を読む限り、人権という概念は人類が長きにわたり努力し獲得した成果であり、人間が生み出した数多くのものの中でも普遍的で全ての人に保障されるべきものであると定義されています。ひいては、学校教育における教育活動すべてに関わる最も重要な考えであり、子どもの育成のためには欠かすことのできない重要な要素であるといえます。このことが京都市立学校の学校教育目標とも深くつながりをもつものであることは言うまでもなく、これらのことから「人権教育は学校教育の根幹である」といえます。
中人研としても、新聞記事や指導案などを集めて発信する準備を進めています。特に最近では、様々な差別を題材にした映画が公開されたり、関連施設の整備が進んだりしています。そういった情報も適宜発信していこうと考えています。そして、各学校の実情に応じた人権学習が実践されるように後押ししていくことも、中人研としての役割の一つではないかと考えています。
(4)京都市立高等学校人権教育研究会
高等学校での人権教育実践
社会が大きく変動する中、高校生を取り巻く情報環境も大きく変貌しています。社会問題をどのように認識するかも一筋縄ではいかない課題です。特に高校生年代は大人の考えた枠組を踏襲することに違和感をもつ時期です。その一方、自らを社会の中にどう位置付けるかを模索する時期でもあります。そのような中で社会問題を考えるには、どれだけ豊かな人間関係を育てることができるかが重要になります。
そこで高等学校では、小・中学校での学びを踏まえたうえで、身近なところから自分事として人権を考える多様な取組を各校の状況に合わせて行っています。
近年ネットトラブルの件数は増加しています。高校生のほとんどがスマートフォン等を所持しており、SNSを利用する生徒も非常に多いです。また、多くの教育活動で情報端末を一人一台利用する時代です。これらの状況を受けて、各校でネットトラブルをめぐる問題を継続的に扱っています。過去に起こった事件からネットいじめの悲惨さを学ぶことはもちろんですが、ネットトラブルが起こる原因や、起こさない対策、コロナ禍での対面のコミュニケーションとSNS等を介したコミュニケーションの実態について学びます。生徒からは「SNSに投稿する際、受け取る人や見る人のことを考え、言葉を選ぶように意識していきたい」、「ストレスの発散をネットではなく、別の方法でできるようにしていきたい」と自分を振り返る機会となっています。
性の多様性についての学習は保健の授業だけでなく、様々な場面で取り扱われています。ある高校では図書館にLGBTQコーナーを常設しています。普段何気なく目につくところに設置することで、当たり前の題材であるかのように気づきを促しています。人権学習で性的マイノリティの方に講演をしていただき性の多様性について学ぶ高校もあります。講演を通して性自認と性的指向の多様性について学び、人の数だけ考え方があることへの理解を深めます。また、講演者が使用するトイレや更衣室で悩んでいたこと、カミングアウトすることへの不安やアウティングされることへの恐れについてのお話から、身近なところに課題があることや「知っておくこと」、「受け入れること」の大切さを学びます。生徒からは「LGBTQという言葉を知っていたが、知っているつもりだったと気づいた」、「一人にできることは少なくても、それが広がれば今より多くの人が過ごしやすい世の中になると思うから、まず自分は心遣いができる人になりたい」と多面的に学ぶ機会となっています。
デートDVを人権学習として扱う高校もあります。生徒たちは動画を視聴して、どこがデートDVになるのかを考えます。学習を通してデートDVは高校生にとって身近な存在であることを認識し、「お互いに尊重できる関係づくり」について考えを深めます。
世界に目を向けると紛争や貧困問題など多種多様な人権問題が山積しています。これからの社会を支えていくためには日本だけでなく広い視野で社会に関わる想像力が大切になります。ある高校では紛争、災害、貧困の地に医師として現地の人たちのカウンセリングをされていた方に写真や映像をもとに講演いただき、世界の現状について学びます。カウンセリングを通して被災地や紛争地の子どもたちが自ら未来を切り拓いていく様子から、国や言語を越えて人とのつながりを大切にしながら生きていくことを考える機会となっています。
卒業後の進路として就職希望者が多い高校では就職差別について学びます。生徒たちは企業の人事担当者向けのDVDを視聴して性別や出身地、家柄などは採用判断基準にしてはならない
ことを学び、自ら差別に気づく力を養います。また、就職調査結果報告書を見てどのような違反質問が実際にあったかを学びます。生徒たちからは「場を和ませようとする質問が違反質問につながると知ってびっくりした」、「人が不快だと思うようなことは聞かないようにしたい」、「差別する側にならないようにしたい」と就職指導だけでなく、自分の生き方を考えるきっかけとなっています。就職試験の面接後は各校で生徒に質問内容を聞き取り、問題がないか確認しています。
演劇鑑賞を通して全校で人権学習に取り組む高校もあります。事前学習では鑑賞作品で表現されている人権課題を各クラスで考えます。考えたことを踏まえて鑑賞し、人権感覚を養っています。全校生徒の感想文を学年ごとに集約して、全学年に還元することにより、一学年だけでは気づけなかったことや、学年ごとに着目する人権課題が異なることに気づきます。また、生徒たちは文化祭の演劇表現にもつなげ、人権問題をテーマにした演劇をするクラスも多くあります。
各校は人権教育を通して「自己理解」と「他者理解」を深めながら人権感覚の涵養を図っています。私たちは生徒たちが学校という小さな社会で、様々な活動に取り組む中で、生徒一人ひとりが自分を大事にし、他者への寛容さを身につけて、お互いに安心できる居場所をつくっていけるように育むことが求められています。そして、生徒たちが他者との違いを認め、自分を信じて大きな社会で活躍してくれることを願っています。そして私たち市高人研は、小・中学校での学びを継承・発展させ、教育の結晶として結実させることを目標に教育実践を継続し、展開していきたいと考えています。
(5)おわりに
現代の学校において、「人権教育」が求められる2つの要因と理由について、考えを述べます。
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「社会の変化」
コロナ禍の影響で、我々はこれまでに体感したことのないようなストレスや経験を重ねてきています。それまで当たり前であった、現実世界で人と人とが面と向かってコミュニケーションをとることも制限され、人間関係は以前にも増して希薄になってきた印象があります。それと同時に、近年の社会の変化のスピードはめまぐるしく、日々刻々と様々な状況が変化していく時代になっています。これまでは目に見えていたものが見えにくくなってきています。このことが現代を生きる人の不安やストレスを増幅させているのではないでしょうか。社会は変化していくからこそ、普遍的な人権という概念が指針となり、私たちの心を強くしてくれている。当たり前が当たり前ではない状況に気づいた今だからこそ、根本に立ち返る必要があると考えます。
A
「教職員の大幅な世代交代」
先ほど述べた社会の変化に伴って、学校においてもたくさんの変化が起こる時代に差し掛かってきています。学習環境の面では、タブレット端末が一人一台必須の学習用具になりました。また、様々な価値観や考え方が大切にされる時代になったことで、数十年にわたって守られてきた校則が改正されたり、教職員の長時間労働・時間外勤務が問題視され、「働き方改革」が進んだり…学校現場も目まぐるしく変化しています。そして冒頭にも述べましたが、現在、多くの学校で世代交代が進んでいます。このことで一番懸念されることは、人権教育に対する熱意、見方や考え方の継承が途切れることです。もちろん、時代に応じて変化していく柔軟さとバランス感覚はとても大切なものであるといえますが、先輩の教職員が積み重ねてきた実践や考え方、生徒との関わり方などは、一朝一夕に伝えられ、身につくものではありません。生徒や保護者との関係づくりの際に、先輩の教職員の方々が獲得されてきた人権を通しての視点などは、普遍的なものとして継承していく必要があるのではないでしょうか。そのことが、子どもに寄り添い、一人一人を徹底的に大切にする教育の実践につながると考えています。
情報化の進展により複雑化する社会の中で、学校教育を取り巻く状況は急激な変化の渦中にあります。社会のグローバル化、価値観の多様化などから人権に関する諸課題は次々に認識されるようになり、世の中のスタンダードが刻々と変化しています。このような状況を複雑・困難と考えるのではなく、今まで潜在的にあった人権問題がようやく表舞台に出てきたのだととらえ、小学校・中学校・高等学校、各校種で児童・生徒の実態に合わせ、心の通った芯のぶれない人権教育を行っていくことが大切です。そのためには「一人一人を徹底的に大切にする」ということは具体的に何をすることなのかを常に考え、実践していく教職員集団でなければなりません。
これからの新たな100年
2019年3月に報告された京都市の人権に関する市民意識調査報告書の中で、「結婚相手を考える際に気になること」で、その対象が「同和地区出身かどうか」について、「気になる」と答えた割合が3割弱でした。前回調査よりも低くなったとはいえ、まだまだいわれなき差別が存在しているという厳しい状況にあります。そして、家を購入したり、マンションを借りたりするなど、住宅を選ぶ際に、近くに「同和地区があることを気にする」という人がそれぞれ2割を超えているという結果もでています。
これから、また新たな100年が始まります。100年後に同和問題は解決しているのでしょうか。水平社が創立し、水平社宣言が出されてから、差別のない世の中を作っていこうという機運が高まりました。戦後、法が整備され、学校教育における同和教育の力は絶大なものだと思います。現在も学校では、同和問題をはじめとするすべての人権問題に対して向き合えるように指導しています。ただ、その同和教育が影を潜め、教職員の意識も低くなっていけば、依然、誰もが差別はいけないものと知りながらも、心の差別が横行していた時代に逆戻りするのではないかと危惧されます。
この100年間で解決しなかった同和問題を、教育という分野で見直し、現代に残る差別をどのように解消していくのかという、新たな同和教育
を始めていかなければなりません。これは、教育者の使命であり、責務だと思います。差別のない、互いに尊重し合える未来を願い、101年目のスタートを切りたいと思います。
これからの100年も「人の世に熱あれ、人間に光あれ」
これをもって、基調提案とします。
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