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基調

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第48回人権交流京都市研究集会

  第 48回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

 

. 私たちを取り巻く情勢と課題

(1)包括法としての人権侵害救済法と個別法の制定

(2)部落差別解消推進法の成立過程と制定の意義

(3)理念法を具体化し活かすために

 

.福祉で人権のまちづくり

(1)子どもの居場所づくり事業

(2)人権を視座とする特別養護老人ホームの建設

(3)人権のまちづくり

(4)本人通知制度の活用

 

.多文化共生の社会をめざして

1)「多文化共生社会」とは 

2)「多文化共生社会」と真っ向から対立する「相模原事件」

3)強まる格差社会と子どもの貧困

4)「共に生きるまち東九条」〜東九条の実践から学ぶ〜

 

.人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)水平社と衡平社アジア太平洋地域世界記憶遺産へ

(2)何を大切に生きるか 連帯と排外の狭間で

 

5.教育をめぐる状況

(1)はじめに

(2)同和教育とその普遍化のはざまで

(3)「学校教育の根幹に人権教育を捉えなおす」ことの意義

(4)学校における人権学習の状況から

(5)おわりに〜あらためて同和教育にまなぶ教育のあり方

 

 

48人権交流京都市研究集会 基調提案

 

はじめに

 

 昨年7月におこなわれた第24回参議院議員通常選挙によって、与党の自民党・公明党が非改選の議員と合わせて参議院の過半数を獲得し、与党に加え、改憲に前向きなおおさか維新の会・日本のこころを大切にする党・無所属の参議院議員の「改憲勢力」が3分のの2を確保しました。これで、すでに3分の2を確保している衆議院と合わせて憲法改正の国民投票の発議が可能となる状況が産まれています。

 ふたたび戦争のできる国への道筋は、先の戦争への反省や、多大な被害を与えた周辺への謝罪が十分に届かないまま、日本の外交政策上も不利益であり、また、国内の私たちの暮らしも、「国民主権」「個人の尊重」等これまで培ってきた価値観を覆されかねない状況へと進んでいく懸念を抱かせます。

 しかし、そもそも憲法に謳われたそうした理念が、実際、充分に浸透してきたのかということも、部落問題をはじめ様々な人権課題がいまだに解決していない現状を見るにつけ疑問です。戦前においてはまさに、「国民主権」「個人の尊重」の主張こそが、『国体』を揺るがす危険思想であり、厳しい取り締まりの対象となっていました。そうした価値観を払拭していない権力者が、戦後早々に政権に返り咲くことにより、反動的な勢力が、常に本音と建て前を使い分けながら、自らの価値観の復活をもくろんできたという歴史があります。保守派による「改憲」の悲願は、そのように連綿と続いてきた意志であり、岸信介という戦前戦後をまたいで政界に座を占めた人物の孫として、現在の総理大臣が思い描く国の姿は、少なくとも人権を基軸にした平和な社会の在り方と逆行するものだと言わざるを得ません。

 「世界大戦」とされる大きな戦争は、1945年に日本の降伏をもって終結したものの、朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめとして、アジア地域では長く政治的な混乱が続くことで、日本への本格的な賠償請求はなされず、日本もまた、円借款という形での「経済支援」をおこなったものの、一方でそれをテコに経済発展をしてきた経過があります。1990年代に入り、政局が安定してきた時期に、日本が湾岸戦争において支払った膨大な拠出金は、アジアの人々にとって自分たちの被害に対する支払いがなされていないことを思い出させるものでした。

 例えば、「軍隊慰安婦」をめぐる少女像について、つい最近も、日本と韓国との間に見過ごすことのできない軋轢が生じていますが、そもそも謝罪をする側が「これ以降二度と謝罪しないこと」を条件として「謝ってやる」という態度が、謝罪として被害者に映るかどうかという問題があり、悲惨な歴史のメモリアルとして設置される少女像の撤去と日本の拠出金を交換条件とすることは、蹂躙の記憶と結びつけられかねないのではないでしょうか。

 「戦後補償」というきちっとしたけじめをつけることなく、それでも周辺の国々と関係を築き「経済発展」を遂げることのできた背景には、日本が二度と侵略行為をおこなわないとした憲法9条の存在があり、その条項が少なくとも侵略によって被害をこうむった国の人々に一定の安心をもたらせた結果であったと言えます。それゆえ、集団的自衛権の名の下の海外派兵、その既成事実に追随した憲法改正は、日本という国の立ち位置やアイデンティティの破壊ともいえる暴挙です。

 2008年のリーマンショックが世界中の経済失速をもたらしたように、グローバル経済と呼ばれるこの世界のありようは、もはや一国だけの繁栄を約束するものではなく、互いの国が繋がりあい影響を与え合っています。IMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)が主導する新自由主義に基づく市場経済は、一部の富裕層に富が集中し、市民社会を支えていた中間層が縮小され、その弊害は多くの経済学者によっても指摘されています。固定化された格差と見通せない未来への不安は、難民問題を切り口に、排外主義を唱える勢力の台頭を抑えることができず、英国のEU離脱を許してしまったヨーロッパしかり、また、メキシコとの国境に壁を建設するとまで主張し、自国中心主義を唱える大統領が選挙で勝利したアメリカ等、世界中の多くの人々が予測もしなかった現状を産んでいます。

 インターネット上に飛び交う膨大な情報は、人々を翻弄し、真実も虚構も合い混ざった言葉の氾濫に、冷静な判断力を奪われる危険性もあります。このように、困難な状況にあるからこそ、信頼しあえる関係性を築き、交流しあい、理解することが重要です。それはもはや、人間としての教養のレベルを超えて、生き抜くために身につけるべき力なのだとさえ言えるでしょう。

 

 

1.  私たちを取り巻く情勢と課題

 

(1) 包括法としての人権侵害救済法と個別法の制定

 

 昨年の「第47回人権交流京都市研究集会」基調報告では、人権侵害救済法が望まれる現状と、2002年「人権擁護法案」が国会に提出されて以来、現在に至るまで攻防を繰り返しながら成立に至っていない経過について、参加者のみなさんと共有しました。人権擁護行政が法律がないために「何が許されない差別」であるかという「共通の尺度」が定められず、教育や啓発の現場においても、一般論、抽象論に陥る危険性があることを指摘しました。昨年も、包括的な人権侵害救済法は法案の糸口さえも見いだせませんでしたが、人権に関わる3本の重要な個別法が制定されました。41日に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(以下、障害者差別解消法)が施行、63日に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(以下、ヘイトスピーチ対策法)が公布・施行。また、1216日に「部落差別の解消の推進に関する法律」(以下、部落差別解消法)が公布・施行されたのです。このうち、障害者差別解消法は2014年に法律は制定され、施行を待つものでした。また、ヘイトスピーチ対策法は、人種差別撤廃推進法において、当面ヘイトスピーチに特化した理念法と言えます。

 

(2)部落差別解消法の成立過程と制定の意義

 

 「部落差別解消法」については、20163月に、自民党の二階俊博総務会長の強い意向を受け『部落問題に関する小委員会』が設置され、4月半ばまでに各団体や個人からのヒアリングを受け、法律案の審議を4月末までに終えた上で、519日に自民、公明与党に、民進党、日本維新の会の賛同も得て法案提出に至ったものです。

しかし、共産党による質問等により、61日継続審議となり、192回臨時国会で、衆議院法務委員会へ付託され、10月末から審議に入りました。1117日衆議院本会議で可決、続く参議院法務委員会では、126日に部落解放同盟中央本部西島藤彦書記長を含む4人の参考人招致を経て、128日に採択、9日に参議院本会議において賛成多数で可決成立(賛成220、反対14)しました。

 成立に至る過程での重要な動きとして、20151116日、東京で「人権課題解決に向けた和歌山研修会」(実行委員長:二階俊博)が開催されました。この集会は、部落解放同盟和歌山県連合会などの努力で、和歌山県の自民・公明・民主各党、和歌山県、それと和歌山県連などを構成団体として開催されたものです。ここで稲田朋美政調会長(当時)を招いて講演してもらっています。その講演の中で稲田政調会長は「包括的な法律は、安倍内閣は考えていない。個別法で考える」と発言しています。

 また、法律の必要性の背景としては、インターネット上の悪質な差別発言の氾濫があり、中でも「鳥取ループおよび示現舎・M」による「全国部落調査」復刻版の出版とウェブサイトの掲載という事件があります。昨年2月「41日に復刻・全国部落調査を発売する」との宣伝がインターネット上のMのウェブサイトに掲載され、部落解放同盟が法務省に具体策を講じるよう申し入れ、通販会社アマゾンに「違反出品」として抗議します。アマゾン側もそれを認めて販売中止にしました。また出版大手の取次店に対しても文書で申し入れ、「取り扱わない」との回答を得ました。解放同盟中央本部西島書記長はM本人に会い出版を止めるよう追求もしましたが、Mは勧告を受け入れず、解放同盟は出版禁止の仮処分を横浜地裁に申し立てました。裁判所は掲載禁止の仮処分決定を行ったものの、Mはその後も引き続きサイト名を変え、海外のプロバイダーを利用する等の巧妙な手段で、部落の地名を公開し続けています。

 部落解放同盟京都市協議会も昨年323日、京都市長と京都市教育長宛に「差別図書『全国部落調査 部落地名総鑑の原典 復刻版』発行・販売に関する申し入れ」を行い、こうした事案の発生を周知し、許さない姿勢を要望しました。

 Mが行っているような所在地暴露は、これまで部落差別と闘ってきた地道な運動の成果を根本から破壊するものでした。興味本位で誰でも、子どもたちでさえ、被差別部落を検索することが可能であり、地区に暮らす住民に対する差別意識が煽られ、就職差別や結婚差別を受ける危険性が増幅するという状況が生じているのです。

 またMは「全国部落調査」とは別に「部落解放同盟関係人物一覧」というウェブサイトで勝手に解放同盟の役員や関係団体の役員の名前、住所、電話番号を流していました。これに対しては、全国の30都府県から211人が原告になり、裁判闘争が展開されています。裁判を通じて、Mの反社会的行為を明らかにすることは重要ですが、裁判では厳しく処罰できない法的不備欠陥があったことも、また明白になっていったのです。

 以上のような、大きな時代的転換において、「部落差別の解消の推進に関する法律」が制定されました。

  この法律の意義としてあげられるのは、

@  法律の名称として、はじめて、「部落差別の解消」が明記されたこと。 

A  現在もなお部落差別が存在していることを認め、部落差別は許されないものであるとの認識を明確にしたこと 

B  相談体制の充実を、国と地方団体に求めていること

C  部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を国と地方団体に求めていること

D  国は、地方公共団体の協力を得て部落差別の実態に関わる調査を行うこと

E  期限の定めのない恒久法であること

一方で、問題点として指摘されている点は

@  被害者救済のための機関(人権委員会)設置の必要性まで踏み込んでいないこと

A  予算措置の裏付けのない理念法であること

B  悪質な部落差別に対する法的規制の必要性まで踏み込んでいないこと

以上の点があげられています

 

(3)理念法を具体化し、活かすために

 

 理念法とはいえ、法律の名称に「部落差別」が使われたことの意味は、ことの他大きいことだと言えます。これまで、行政用語として「同和地区」が使われてきたのは、被差別部落の中でも1969年から実施された同和対策事業の対象地区に限られていたためで、その対象となっていない被差別部落が入らないこととなっていました。しかし、上記のごとくインターネット上で差別の対象となる地域は、「同和地区」とは限らず、事業法の適用からはずれた地域もターゲットとなっているのであり、その意味で、法律が「同和地区」に特化することなく部落差別という名称を使用したことは、同和対策に関わる事業法では解決することのできなかった、部落問題の課題についてまさに、現在的に対応するために、必然的な名付けであったとも言えるでしょう。

 理念法とその名称について述べるならば、「ヘイトスピーチ対策法」が名称に「本邦外出身者」がつけられたことの意味は、日本に在住する外国人の中でも、不法入国や難民ではない外国人を指すことと、ヘイトスピーチの対象は外国人以外でも、女性・部落・障害者・アイヌ・沖縄出身者等々に及ぶにも関わらず、それらの人々を除外したことを表しています。そのことは、それ以前に議論されていた人種差別撤廃推進法のごく一部を切り詰めて、当面法律にしたということですが、ヘイトスピーチに対するカウンターとして現場で闘い続けてきた多くの人々が、特に当面それを足がかりに闘いを継続していくための法律として承認されたという経過があります。

 この2本の理念法が参考にしたいのが、障害者差別解消法です。この法律は、200612月の国連総会本会議で採択された「障害者の権利に関する条約」に2007年に日本が署名して以来、201312月に参議院本会議において批准に至るまで、7年間の歳月をかけて、推進会議での検討、当事者や諸外国の法制度についてのヒアリングにはじまり、論点整理から政策委員会、その下に設置された差別禁止部会でも21回にわたる議論を踏まえ法律案が作成されています。そこでは、障害を理由とする差別の原因は、社会的障壁にあることを明言し、その除去を怠ることが差別であることを明確化し、法的義務として謳われ、差別を解消するための紛争解決や相談体制整備、差別解消支援地域協議会の設置等、より具体的に踏み込んでいる点が評価できます。

 このように、当事者の意見も取り入れつつ丁寧に議論を積み上げ法制定に至った法律の内実を、他の2本の理念法を実効する模範として、随時適用していく視点も有効だと考えられます。

 

 

2.福祉で人権のまちづくり

 

(1)子どもの居場所づくり事業

 

いきいき市民活動センター(旧隣保館)では、NPO法人等が中心となり、「京都府ひとり親家庭の子どもの居場所づくり事業」を活用して、2013年度は夏休み短期型(15日間)を、2014年度からは生活充実通年型(年100日間)を地域内外のひとり親家庭の児童を対象に行い、今年度で4年目を迎えています。

北区、中京区、南区の3箇所で取り組まれていますが、例えば、中京いきいき市民活動センターでは、登録児童は15名、毎回、約12〜13名の児童が利用しています。学習支援は市内の大学生の学生ボランティアの方々に協力をいただき、生活支援は地元のボランティアや支部女性部が夕食や入浴、あいさつなどの生活指導にあたっています。

この事業の主眼は、ひとり親家庭や貧困家庭のこども達へ、食事や学習環境を提供し、健康で思いやりと仲間を大切にする優しい心を育むこと。保護者に対しては、事業を通して子どもとの会話や人との繋がりを大切にし困りごとを抱え込まず、相談できる支援体制を確立し、福祉で人権のまちづくり運動を推進することです。

 大きくは以下の5つの事業を中心に取り組んでいます。

@   学習支援事業…学校で出された宿題やセンターで用意したドリルを45分間学習します。

A   生活支援事業 夕方5時〜学校や児童館から帰ってきた子どもたちにスケジュールに沿って、施設周辺の清掃、入浴、食育、勉強会、反省会や終わりの会などを実施。

B   相談事業 … 保護者からの相談は随時受けつつ、2ヶ月に1度はセンターから懇談形式で活動や家庭での日頃の様子などの意見交換を行っています。

C   親子の交流事業…事業の中で参観できる時に見学に来てもらい子どもや親子での交流を実施しています。

D   地域交流事業 … 毎年8月上旬に開催される「あかしやふれあい盆踊り大会」に参加。また、社会見学や校外学習、季節や行事ごとの食材の工夫など、体験を通じた物事への関心ややり遂げた感動を与えることを意識的に取り組んでいます。

ここまでスキルアップするのには、たいへんな道のりがありました。3年前に実施した短期型で経験したことや反省点などを総括し、より良いものにするため、どんな些細なこともスタッフ同士で協議し合い方向性を見出しています。こども達も家ではできない体験ができたり、友達と話したり遊んだり有意義な時間を過ごす中で、ルールを守ることや協調性を養うこと、友達同士への思いやりなど、小さなこども達ですが人間性も育み、スタッフも向き合うことで成長させられ、共に学び合えています。

差別と貧困に苦しみながらも、部落解放運動によって住環境や教育、就労などが改善されてきたように思いますが、子どもの生活の中に多くの課題が浮き彫りになっています。こうした新たな課題を、地域、家庭、学校などが協働して取り組むことが重要です。地域外からの児童や親も参加しており、学区に「同和」地区があってよかったと思われる取り組みを進めて行きたいと思います。

 

(2)人権を視座とする特別養護老人ホームの建設

 

財団法人京都府部落解放推進協会が中心となって、人権を視座とする特別養護老人ホーム(以下「特養」)の建設が旧右京区役所跡地を活用して始められ、いよいよこの4月オープンに向けて準備を進めています。この施設の特徴としては、聴覚の障害、在日外国人、部落等、これまで社会的にハンディキャップを背負い生きてこられた高齢者が、「ピアケア」を行うことによって、気兼ねなく安心して過ごせる施設運営をめざしている点にあります。視覚障害の方はせっかく特養に入所することが決まっても、手話ができない施設職員が多いため、在宅介護を余儀なく強いられている実態があります。在日外国人高齢者の場合、食文化の違いから、たまには「キムチ」が食べたくてもそのことが言えない。また、部落の高齢者の場合、差別による閉鎖性からコミニューケーションがうまく取れず、意思がなかなか伝わらないなど課題を抱えた高齢者がおられます。そうした課題に、同じ立場の職員を配置することで入所者の背景を理解し細かく配慮できる施設として建てられています。

まさに福祉で人権のまちづくりを太秦の地で実践し、部落解放運動の社会的貢献と使命を果たして、市民的共感の構築と人権草の根運動の裾野を広げる取り組みが進められようとしています。

 

(3)人権のまちづくり

 

 人権のまちづくりで新たな課題となっているのは、一つには空き店舗の入居基準がオープンに設定されていないこと。また、高齢者・子育て世代等が共存するコミュ二ティバランスを確保し地域の活性化と賑わいを図るために、親の介護等で、生まれた地域に帰って来ようとする、子ども世代が住宅を引き継ぐための、承継基準の緩和と家賃問題があります。狭隘で築50年を経過した改良住宅は、戸数の半分以上が空き部屋になっています。京都市住宅行政は「京都市市営住宅ストック総合活用計画」を進めていると言っていますが、同計画期間の後期5年計画(今後5年間)では、崇仁地区のような市立芸大移転という大型プロジェクトと一部の地区以外は次期計画に先送りされた状況であり、これでは差別の再生産になりかねません。

楽只地区では、京都市が推し進めているストック活用計画で集約棟の耐震補強や新棟建設にむけた議論がなされています。また京都市が主導し、店舗付き住宅を活用したにぎわいづくりを創設する1000KITAフェスタを実施していますが、地元との協働という観点では課題はあります。また2014年度、民間事業者が一般入札で地区内に土地を取得しましたがその後の計画、集合住宅等の実現とまでは至っていません。いずれにせよ現段階での「まちづくり」の問題点は山積しており、より一層の行政のまちづくりに対する熱意、創意工夫が不可欠です。

また、「同和」行政の完全廃止を受けた入居基準の見直しでは、立ち退きによって補償された改良住宅の居住者の基準が一般公営住宅の基準と同等扱いになり、明け渡しを余儀なくされている現状があります。国土交通省住環境整備室交渉では、京都市の基準は一般公営住宅の入居基準に合わせ、改良住宅の歴史的経過からみれば厳しい内容だと言われています。この基準によって、新たな住宅難民が全地区で発生して大きな課題になっています。住宅を必要とする市民は、福祉を必要としており、京都市住宅政策は「福祉とは何か」の視点が欠けているところを厳しく指摘していく必要があります。

私たちは、この際、従来型の建て替や住み替えだけでなく、思い切った提案として、民間活力を活用した借り上げ型改良住宅の建設やコーポラスティブ住宅の建設なども視野に入れたまちづくりを検討していきたいと思います。さらに、地区の中には、JR、地下鉄、私鉄などの公共交通機関や道路整備、公共施設などのインフラ整備が進み利便性の高いところがあります。また、近隣には世界文化遺産である下鴨神社、金閣寺、醍醐寺等をはじめ大学、商業施設もあり、周辺地域の特色を生かし共存共栄できる方策を主体的に地域で論議を起こすことも大切であります。

 

 

(4)本人通知制度の活用

 

人権確立の課題については、戸籍等の不正取得の抑止と、市民の知る権利を保障するため、一昨年6月、京都市は全国のモデルとなる事前登録型本人通知制度を導入しました。昨年9月より、広島県尾道市では京都市型の制度を導入し、さらに府内の自治体でも改正にむけた動きが始まっています。「事前登録型本人通知制度」の周知と登録拡大を進めていかねばなりません。しかし、昨年12月末現在の登録者数は1906人であり全市民の0.134%にすぎません。取り組みの不十分さが如実に表れています。この登録の意義や目的を、全ての市民のプライバシー権の保障としてより広く周知し、登録手続きについてもハードルを下げていく必要があります。なお、全国の先進事例として、鳥取県江府町や佐賀県吉野ヶ里町では、この登録制度を廃止して、全ての町民のプライバシーと知る権利を保障するために、全通知型制度を導入しています。全国に約1,600の自治体では初めての取り組みとして、私たちも参考にしながら、登録数が伸び悩んでいる現状を打破するためにも、先進事例を学び議論を深める必要があります。

 

 

3.多文化共生の社会をめざして

 

1)「多文化共生社会」とは 

                                     

多文化共生社会とは「国籍や民族の異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として、共に生きていくこと」(2006年総務省)とされてきました。しかし私たちは、国籍や民族の違いだけではなく、生まれも生い立ちも、子どもも高齢者も、女性も男性も、障害のある人もない人も全ての人々の人権が尊重され、生き生きと暮らせる事こそが多文化共生社会だと定義づけています。京都市が提唱している「多文化の息づくまち・京都」(2010年京都市国際化推進プラン)の多文化の概念を、幅広く理解するように進めていきたいと考えています。

急速に少子高齢化社会に向かいつつある今日の日本社会では、外国からの労働力流入は避けて通ることの出来ない課題です。政府は従来の「外国人技能実習制度」に介護職を加え、研修生を拡大しようとしています。しかしこれまで、「研修生」とは名目だけで、実態は低賃金・長時間労働を強制する現場がほとんどで、国内外から日本社会全体がブラック化していると批判に晒されています。既に一般の日本人労働者が敬遠しがちな、いわゆる3Kと言われる劣悪な労働現場を外国人労働者が担っています。その多くは、フィリピン、中国、ベトナムなど、アジアからの労働者です。私たちは、今後急速に増加する外国人労働者と、どのように「共生社会」を築いていくかという課題に直面しています。近年ヨーロッパや北米社会では、右派の民族排外主義勢力が横行し、アメリカのトランプ大統領誕生は、まさしくそれが現実化したものだといえます。日本社会でも、全国各地で毎日のように「在特会」(在日朝鮮人の特権を許さない市民の会)等、ヘイトクライム団体による「日本から出て行け!」「殺せ!チョウセン人」など聞くに堪えないヘイトスピーチ(差別・憎悪表現)がまき散らかされています。それに対し、昨年5月国会においてやっと「ヘイトスピーチ対策法」が成立しましたが、罰則規定を伴わない法であり、実際の運用は各自治体に任せられています。私たちは今後とも、京都府・京都市に対し、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを許さず、人権を擁護するための条例化を求めていきたいと思います。

今日の時代こそ、明治から続いてきた日本社会にある、欧米に対する崇拝、アジアや発展途上国に対する蔑視という差別・排外主義を克服することが求められています。

 

2)「多文化共生社会」と真っ向から対立する「相模原事件」

 

昨年726日未明、相模原市の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起こった元職員による19人の大量虐殺事件は、私たちに重大な衝撃を与えました。私たちが願ってきた「共に生きる社会」への願いを踏みにじるだけでなく、これまでの運動を根本的にひっくり返す大事件でした。私たちはこれまで何をし、一体何を為し得たのだろうか。私たちがこれまで取り組んできた運動は一体何だったのか等々、自分たちの生き方に対する疑問がわき起こると同時に、心の底からこの事件を絶対許すことが出来ないという怒りがこみ上げてきました。

この事件の背景にあるのは、障害者を「価値の無い生命」とみなす優生思想であり、ナチスの障害者大量殺戮の理論的根拠となった思想です。日本においても戦前から戦後にかけて、この思想は絶えることなく続き、1996年まで残っていた「優生保護法」に見られます。今の日本社会は、この優生思想を克服するどころか、出生前診断に見られるように社会の隅々まではびこっています。この根底にある考えは、障害者だけでなく、高齢者、外国人(外国にルーツを持つ者も含む)など、社会的少数者や弱者を抹殺する思想と結びつき、ヘイトクライム団体ともつながっています。私たちは「多文化共生社会」実現を目指すことを通して、このような思想を克服していかなければならないと思います。

 

3)強まる格差社会と子どもの貧困

 

現在日本の子どもたちのうち、6人に1人が貧困状態だと言われています。子どもの貧困問題は、突然発生したものではありません。1990年代からの企業のグローバル化や産業のIT化は、雇用を不安定化させ非正規や派遣労働者の増加をもたらしました。また新自由主義的構造改革による社会保障制度の後退が行われる一方で、1999年に所得税が70%10.5%15段階から37%〜10%の4段階になり、金持ちには有利で貧しい者には不利な結果となりました。進行する雇用の不安定化と家族形態の変化(独居やひとり親世帯の増)に適応した税制に組み直さず、社会保障制度を後退させた事に格差・貧困を強めた原因があります。 国民基礎調査で子どもの相対的貧困率をみると14.2%(2008年)から16.3%(2012年)と増加し、公立小中学に通学する児童生徒の15.6%が就学援助費を受給するなど、まさに子どもの6人に1人が貧困を強いられています。更に問題なのは、ひとり親世帯(ほぼシングルマザー)の相対的貧困率が2012年の同調査で54.6%となることです。子どもが貧困に曝される事で学力不足に陥り、親の健康保険証喪失により、病気でも受診が出来ず健康に影響が出ています。子どもたちが平等に教育を受ける権利や、守られるべき健康すら保障されていないのが現状です。子どもを大切にしない社会が、大多数の人間を大切に出来るはずがありません。

 2013年に「子どもの貧困対策法」、翌年には「子どもの貧困対策大綱」が出されました。また2015年には「生活困窮者自立支援法」も成立しました。しかし、子どもの貧困対策法・大綱が子どもの貧困を解消に向かわせるのかは疑問ではないでしょうか。第1に対策法・大綱は25項目の「子供の貧困に関する指標」を掲示していますが、貧困撲滅の数値目標自体がないことは極めて不可解です。「子どもの貧困」という何か特別な貧困がある訳ではなく日本社会の格差・貧困の現状にこそ問題の本質があります。しかし子どもの貧困対策が取られる一方で、生活保護基準の切り下げ等社会保障制度の後退が進められています。これで本当に貧困の撲滅が出来るのでしょうか。第2に大綱において教育の支援(学校のプラットホーム化・学習支援等)、生活の支援(居場所作り・子ども食堂等)が重点施策として強調されています。しかし貧困が子どもたちに及ぼす影響を考慮するなら、乳幼児やその親たちへの支援も大切ですし、また養護施設で暮らす児童の退所後の支援や給付型奨学金の充実も強めていかねばなりません。子どもの貧困撲滅のためには、貧困をもたらす社会・経済体制(雇用形態・税制等)の改革や社会保障制度の充実により、子育て・教育への支出を増やす以外にありえませんし、子育てを社会全体で取り組むという視点が必要と云えます。第3に「学校のプラットホーム化」が打ち出されていますが、学校だけに全てを押しつけていないでしょうか。子ども達にとって学校は大きな存在ですし、教師の果たす役割は大きいと云えます。しかし学校にそこまでの役割を求めるならば、それに見合ったクラスサイズの縮小や教師増という条件整備や地域との連携がなければ教師の負担が増すばかりです。

 

4)「共に生きるまち東九条」〜東九条の実践から学ぶ〜

 

戦前日本の植民地だった朝鮮半島から仕事を求め、あるいは徴用や徴兵で多くの朝鮮人が日本へ渡ってきました(約200230万人)。JR(旧国鉄)京都駅東南部の東九条にも、1920年代頃から多くの朝鮮人が生活するようになりました。日本の敗戦によって祖国解放と独立を成し遂げた後も、様々な事情によって帰国できなかった人々が残り、過酷な差別と貧困と闘いながら、1世〜5世へと世代を繋いで来ました。また東九条は被差別部落出身者が多く住む地域でもあり、彼らとも摩擦や葛藤を乗り越えて、共に地域で生活してきました。一言で言えば「共生」という美しい言葉ですが、「七条署事件」や「オールロマンス事件」を乗り越えた、闘いの歴史でもあります。近年東九条とその周辺に、中国、韓国、フィリピン、ベトナムなど、アジア諸国からの新たな渡日者が暮らすようになりました。彼らの多くは、劣悪な労働条件での労働と生活を強いられています。また、東九条にはいくつかの障害者団体や、多くの障害者が生活をしています。一方、少子高齢化の波はこの東九条にも極端な形で押し寄せ、65歳以上の高齢者が住む率は36%(京都市平均23%、2010年)となり、独居高齢者も多く暮らしています。このように東九条は、社会的弱者と呼ばれる人々が多く住む街です。7年前に京都市によって設立された「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」には、様々な外国人問題に関わる市民団体や、障害者団体など54団体が登録をし、日常的に「多文化共生社会」実現への取り組みや行事が行われています。また、今年25周年を迎える「東九条マダン」や、季節ごとに開催される〜多文化交流〜「春・夏・秋まつり」「もちつき大会」などのイベントに加え、昨年から「東九条音楽祭」も開催されてきました。6年後に隣接する崇仁地域に移転する京都市立芸術大学との連携も模索されています。これらのイベントや行事は、長年地域に根を下ろした様々な住民団体、市民団体、NPO団体が支え、地域の「まちづくり」に貢献しています。現在京都市は、東九条地域東部のまちづくりのために「京都駅東南部エリア活性化方針」を策定中ですし、地域の住民や各種団体との協働による新しいまちづくりに取り組んでいきたいと思います。「多文化の息づくまち・京都」の実現こそ、これからの京都を展望するキーワードになることでしょう。

 

 

.人権確立に向けたこれからの運動展開

 

(1)水平社と衡平社アジア太平洋地域世界記憶遺産へ

 

 私たちは「全国水平社創立宣言」の「世界の記憶」登録をめざし、2015年、2017年を目途に活動を展開しましたが、2件に制限されている国内候補に選ばれませんでした。しかし「水平社創立の思想を世界へ」と活動を続けることで、昨年519日に「水平社と衡平社(ヒョンピョンサ) 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」(5点)が、ベトナムのフエで開催されたMOWCAP(アジア太平洋地域世界記憶遺産委員会)総会で審査され、登録が決定され、日本初のアジア太平洋地域世界の記憶となりました。

 衡平社は1922年の水平社創立に影響を受け、日本による植民地下の朝鮮の被差別民を中心として1923年に創立されました。

 全国水平社が19243月の第3回大会での議決に基づき衡平社大会に祝辞を送り、それを受けた衡平社連盟本部が水平社との連携を決議し、「我々は国境を超越し世界同胞主義に立脚して、我々の理想社会を建設しようではないか」と謝辞を述べたことから両社の連帯がはじまったのです。その後も両者はそれぞれの全国大会に代表を派遣するなど交流を続けました。日本の被差別民・部落民と朝鮮の被差別民・白丁(ペクチョン)に対する厳しい差別の中、登録された資料は、人類の普遍的原理である人権、自由、平等、博愛、民主主義を基調とした記録で、世界中の人々が共有するに値する記憶です。

 このように同じ苦難を背負った民衆同士の連帯が記憶として登録されることは、現在、そして未来へ向けても、排外主義的な風潮や言説に対抗していく私たちの指標となるでしょう。

 

(2)何を大切に生きるか 連帯と排外主義の狭間で

 

 国際条約の批准をきっかけに法制定が進んだ経験として、最も古い例として1985年「女性差別撤廃条約」とその後の「男女雇用機会均等法」があります。しかし、禁止も罰則規定もなく、企業の努力義務にとどまったこの法律が女性たちにもたらした成果はさほど大きなものとは言えず、世界経済フォーラムが毎年実施しているジェンダー・ギャップ指数の日本の順位は、世界145カ国中111位で、前年の101位からさらに順位を落としました。この指数は、経済、教育、政治、保健の4つの分野のデータから作成されていますが、経済と政治分野での指数が、日本の場合特に低いのが特徴です。このことは、均等法の成立と同時期に、専業主婦を優遇する社会保険や税法の改正がなされ、労働法の改悪もあいまって、女性たちは家庭に、非正規労働へと政策的に誘導された結果だと言えます。

 このように一つの法律ができたとしても、政策的な方向性として一貫性がなければ、人権が尊重され人々が平等である社会へと具体的に向かっていくことはできません。昨年施行された人権に関わる3つの法律(障害者差別解消法、ヘイトスピーチ対策法、部落差別解消推進法)についても、どのような具体的政策に結びつき、実際的な解決となるのか、大いに議論する必要があります。と同時に、一人一人の市民の行動が試されているとも言えるでしょう。ヘイトスピーチ対策法が施行されたにも係わらず、公権力である機動隊員が沖縄でのヘリパット基地建設の現場で「土人・シナ人」などという暴言をはき、さらに、その発言に対して鶴保庸介沖縄担当相が「差別ではない」と容認する発言をするという、許すことのできない前代未聞の事件に対してさえ、大臣の罷免に至らない政治と社会の状況は断腸の思いであり、「許されない」という連帯の声を現地に届けることで、排外主義的社会風潮の対抗していかなければなりません。

多くの人々が、格差を実感しつつ暮らし、変わらない社会に苛立ちつつも、変わることもまた恐れているように見える現在です。私たちはより良く変わっていくことを恐れず、そのために、日々進行していく社会をよく見極め、知ることが、何よりも重要だと考えます。世界の隅々まで、知ろうと思えば知ることのできるこの状況に対し、やみくもに怯むだけではなく、自分の意思で情報を選択する力量をつけること。

私たちが生きていくために、他者をおしのけ排除するのではなく、互いに等しく尊重され共存していこうとするその連帯の姿勢こそが、一人一人の人生を豊かに幸福にするのだと、改めて確認し合いたいと思います。

 

 

 

5.教育をめぐる状況

 

(1)はじめに

 

昨年の夏は、4年に一度のスポーツの祭典、リオデジャネイロ・オリンピック・パラリンピックが開催されました。オリンピック報道の陰に隠れてしまった感がありますが、日本国内では残念ながらこの夏も人権が踏みにじられる出来事が多発しました。

7月26日に発生した神奈川県の障害者施設で起こった大量殺人事件の捜査は、その後どうなっているのでしょうか。容疑者は逮捕されましたが、それで事件が解決したわけではありません。彼の父親は私たちと同じ教師で、彼は子どもの頃は近所でも評判のよい明るい子であったといいます。何がこの人物をこのような残虐な犯罪者に変えてしまったのでしょうか。なぜこのような残虐な行動が起きる社会状況が生まれているのでしょうか。そこが明らかにされなければならないと考えます。

また夏休み中には、虐待による子どもの死が何件も報道されました。最近では『またか…』と感じてしまうくらいに頻繁に起きるこのような事件ですが、私たち教育に携わる者は、これらを未然に防ぐ術をもっともっと真剣に考えていかなければなりません。更に、8月の終わりには、2件のいじめが原因とみられる中学生の自殺が青森県で起こりました。家庭や学校は、もっとも安全が保障され、安らぎや楽しさが感じられなければならないはずの場所です。『もし自分の勤務する学校の子どもの身に起こったとしたら…』『自分が担任する学級の子が、虐待によって亡くなるようなことが起こってしまったとしたら…』そのように考え、身近な問題と捉え直して目の前の子どもたちの様子を見直してみる機会にしたいところです。同時に、これらの事象が起こらないような集団づくりの意義と方法について、今こそ考え直さなければならない時だと考えます。

 

(2)同和教育とその普遍化のはざまで

 

「今日も机にあの子がいない」という言葉は、同和問題解決のために、教職員にできることは何かを考えるきっかけとなった言葉です。当時の教員たちは、「なぜ、その子は学校に来られないのか」そのことを真剣に考え、「すべての子ども達に教育を受けさせたい」という思いから、学校へ来させる取組を始めました。不就学の子どもを見ると一定の地域に集中しており、保護者に「学校に来るように」と説得に回ったと聞いています。その地域が部落と言われる地域だったのです。その子ども達が学校に来られない背景に部落差別が大きく関わっていたのでした。ここから、同和教育が始まりました。

部落だから同和教育が始まったのではなく、すべての子どもに同じ教育を受けさせたいと思って取り組んだ結果、部落差別と向き合わなければならなかったのです。子ども達のもつ具体的な課題とその解決を目指すために同和教育の取組が形作られたのです。

 かつて、いわゆる「法の時代」は、同和地区児童・生徒と地区外児童・生徒との『格差の是正』、および同和地区児童・生徒の『自立の促進』をめざした同和教育施策の様々な取組が展開されました。当時は、まず何よりも先に、「同和問題」を取り上げて、研修しなくてはならないという考え方が基本にあったのです。しかし今では、「多大な成果を築き上げた実績を土台にして、あらゆる人権問題の解決をめざす教育にいかしていく」という考え方となっています。つまり同和教育は、決して過去の特別な教育ではなく、法がなくなってからも、教育本体の中で普遍的に営まれるべきものであると私たちは確信しています。

 近年、学校現場では、団塊の世代の大量退職に伴い、新しい教員の採用が増えています。必然的に、若年教員の増加に伴い、当然、経験年数の浅い教員が増え、様々な課題も見えてきています。同和問題や同和教育に関しては、すでに特別施策が終結して15年が経とうとしている現在、特別施策を必要とした時代背景や同和地区に見られた厳しい実態、さらにはその課題解決のために取り組まれた先人の実践については全く知らない、全く経験していない教員が大半を占めるようになってきました。

同和問題は、いまだ日本に残された主な人権課題として国も認めています。法務省のホームページには、次のように書かれています。「同和問題は、日本社会の歴史的過程で形づくられた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態におかれることを強いられ、今なお、日常生活の上でいろいろな差別を受けるなど、我が国固有の人権問題です。」

このように述べた上で、現代社会においても、結婚や就職に未だ差別が現存していることを次のように表現しています。「結婚、就職問題を中心とする差別事案はいまだにあとを絶ちません。国は、同和問題解決に向けた取組を積極的に推進しており、法務省の人権擁護機関も、問題の解決を目指して、啓発活動や相談、調査救済活動に取り組んでいます。」ところが、多様すぎる情報収集が容易な現代社会においては、インターネット上で部落差別を助長・温存・容認するような書き込みなども、同和問題の解決を阻む大きな要因となっています。

私たちは、同和地区にルーツをもつ児童がどの学校にも在籍している可能性があることを忘れてはなりません。しかし、一方で、学校現場において今、特に気にかかるのが、6人に一人と言われる貧困状態に置かれている子ども達のことです。子どもの貧困は、もちろん主には親の経済的な困難に起因しているのですが、貧困は、経済的な問題にとどまらず、親の精神的なストレス、長時間労働、不十分な衣食住や厳しい生活環境を生みだします。さらには、貧困が、虐待やネグレクトへとつながっていったり、子どもの健康面や発達面・情緒面にも影響を及ぼしたりします。貧困によって、子ども達の自尊感情や自己肯定感も下がります。当然、文化的な資本も不十分となり、学力を伸ばす土台が築けなかったり、学力を保障する条件が整わなかったりします。学力不振や不登校、問題行動を生むといった、残念な結果に結びつく例も少なくありません。同和教育の普遍化が言われてきましたが、その理念と実践は、このような課題を背負わされているすべて子ども達の課題解決にも大いに有効です。

なお、教科書には、同和問題にかかわる単元の指導があることからも、指導する私たち教員は、同和問題の歴史的背景とともに、同和教育の実践から大いに学んでいかなければなりません。もちろん、同和問題に限らず、国が認める十六の主な人権課題については、学び続けると共に、課題解決のための具体的な実践を推し進めていかなければならないことは言うまでもありません。

 

(3)「学校教育の根幹に人権教育を据えなおす」ことの意義

 

ここ数年、市立中学校の現場では「学校教育の根幹に人権教育を据えなおす」として「仲間づくり」の大切さを訴え続けています。そのなかで、現代に大きくクローズアップされる課題として、「つながり」の希薄化に対する危機感を指摘してきました。たとえば、SNSでしか他者や外の世界と接触できなかったりする生徒の姿に現れるものです。しかし本当の「つながり」とは、「切ろうとしても切れない」人との関係だと言えます。別々の道を歩んでも、また自然と集まる仲間。ケンカしたり迷惑かけられたりしても、それでもやっぱり顔が見たくなる相手。スマートフォンの電源を切れば途絶えてしまう関係ではなく、この人がいなかったら寂しい…と思えるような誰かを、子どもたちには見付けてほしいと思います。ネット上のサイバー空間のような「広く・浅く・薄い世界」ではなく、「狭く・深く・濃い世界」である学校で、さまざまな違いを認めた上で、分かり合い、支え合っていく姿を目指したい。それこそが、共に生きる、「共生」の姿です。そのような「共生の場」をつくり出し、その場の中で、子どもたちを守り育てていくのが、私たち教職員の一つの責任であると思います。

しかしながら、人権を無視した痛ましい状況はいまだに無くなりません。昨年の8月30日京都新聞の朝刊から引用します。

 

「ストレスでもう生きていけそうにないです。…さすがにもう耐えられません。…学校生活も散々だったし、…噂流したりそれを信じたりいじめてきたやつら、自分でわかると思います。もう二度といじめたりしないでください。…家族へ、先立つ不孝を許してください。…みんなに迷惑かけるし、悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にないし、綺麗な死に方すらできないけれど、楽しい時もありました。本当に13年間ありがとうございました。」      

【8月30日京都新聞朝刊から】

 

読み進めるのが苦しくなります。昨夏8月25日に青森市で列車に飛び込んで自殺したとされる中学2年女子生徒の遺書が公開されました。29日には、同じ月の19日に青森県東北町の中学1年男子生徒が自宅の小屋で首をつって自殺を図っていたことが報道されたばかりです。「いじめがなければもっと生きていた」との趣旨の記述が書置きの中にあったそうです。

 亡くなってしまった子どもたちの気持ち、このような形で子どもを失った親の気持ち、遺書や書置きを見つけた時の気持ち、それを知らされた学校関係者の気持ちを綴る言葉を見つけられません。

 毎年、長期休業が終わる頃に自殺者が急増するそうです。私たちの多くは亡くなった生徒たちのことは全く知りません。私たちは遠くにありすぎて、直接この子たちを救うことができませんでした。しかしながら教育に関わる者の一人として『自分に何か出来ることはなかったのか!』と考えてしまいます。そう思いながら報道に触れている教育関係者は多いのではないでしょうか。

 自殺を選んだ子どもたちは、『死んだ方がまし…』『死んだらきっと楽になる…』そう思うほど苦しかったのでしょう。しかし、彼らの周りにはじっくりと時間をかけて話を聴き、解決への道を一緒に探ってくれる親や教師や友人など、そんな人がきっとたくさんいたはずです。『死にたい』『死のう』と思うまでに、何とかできなかったものかと考え込んでしまいます。

今、教育界だけでなく社会全体が「いじめが起こったらどのように対処すればよいのか」という議論をしているように思えてなりません。文部科学省は、各自治体の教育委員会に対して「いじめへの対応マニュアル」を作ることを求め、全国の学校が既にそれを作成し終えています。

いじめが起こってしまったら、学校が保護者や関係機関と連携をとりながらその解決に向けて取り組むのは、いわば当たり前のことです。しかし、対症療法ではなく、もっと大事なことは、いじめが起こらない集団をつくることなのではないのでしょうか。仲間づくりを目指して取り組まれる人権学習は、その中心をなす営みであったはずです。学校教育の場にあっては、集団の中のすべての者が個々の違いを認め、一人ひとりが“かけがえのない存在”として互いを尊重し合えるような集団をつくる取組にこそ今一度重点が置かれるべきです。人権学習の充実なくして、いじめ問題をなくしていく方法はないと考えます。

もう一つ、考え直してみなければならないことがあります。

今、世の中の大半は、いじめを生徒指導の問題だと捉える風潮です。起こってしまったいじめを解決することに力点を置いて考えるからそういうことになります。敢えて言います。いじめは人権問題なのです。学校教育の場としての社会では、「差別をしたら罰せられる」という法律が制定されたとしても、それが制定される社会の状況や歴史、背景を正しく理解できる高い倫理観がなければ、差別は潜在化し、なくなりません。同様に、いじめも対応策だけを練り上げていてもなくならないと考えます。いじめのない集団づくりは、差別を起こさない人間づくりに繋がるのだと思います。その仲間づくりの過程で差別に関わる事象や課題を知ったとき、その差別性への憤りを感じ表し、法を遵守することへの倫理観を培うという教育本来の活動を先行、充実させることによって、差別をなくすことができると考えます。

今こそ人権学習の充実と、学校教育の根幹に人権教育が据え直されなければなりません。

 

(4)学校における人権学習の状況から

 

人権教育を根幹に据えようとするとき、人権学習は各校でどのように取り組まれているのでしょうか。情報交換などで聞いていると、比較的多いのが年間2回、5月の憲法月間のあたりと12月の人権月間のあたりにまとめ取りをしている、という学校です。

 しかし、以前は人権学習に相当多くの時間を割いていました。指導案を作成し、模擬授業を行い、意見を出し合いさらに改善していくことを繰り返して、実際に授業を行っていました。その後、反省点を出し合い、次の人権学習につなげていくということが当たり前でした。

 近頃、生徒指導、授業準備、部活動指導、事務処理等に大きく時間を取られることで人権学習に取り組む時間を削らざるを得ないとよく耳にするようになってきていますが、本当にそうなのでしょうか。その背景には、各学校において、人権学習を実践することに対する私たち教員の意識を薄れさせる環境やシステムが広がっていることがあるのではないかと思います。それでも、人権学習は変わらず実践する必要があると考えます。

例えば、大阪府豊中市が2013年に実施した「人権についての市民意識調査」(関西大学 石元清英『京都府民だより 2016 5月号』)の中で「小学校から高校までの間に、同和問題について学んだことがあるか」というアンケートがありました。その回答で、50歳代は82.7%、40歳代は78.5%、30歳代は78.2%が「ある」と答えています。それに対して、20歳代の回答では45.6%と急激な減少傾向が見られ、人権学習の機会の減少による影響が顕著に現れてきているのではないかと思います。

 また、『「こどもの貧困」に対する教員の意識と人権教育』(平成27年 京都教育大 伊藤悦子…以下のグラフ参照)という調査によると、「役に立った研修」では「先輩教員から」が最も多く、実に60%に上っています。つまり、同和問題をはじめさまざまな人権問題について学んだ経験が少ない先輩教員が増えていけば、さらに若手教員は人権について学ぶ機会が減っていくのではないでしょうか。                               

したがって、「校内研修」についてもその必要性を強く感じます。「教員になるより、教員であり続けることのほうが難しい。教員であり続けるためには、常に新しい情報や動きにアンテナを張り、自分自身を成長させることが大切」。この言葉も重要で、生徒に教える立場にある私たちが学び続けなければ、生徒たちの人権意識を高めることはできません。もう一度各校での研修の在り方を見直し、人権教育を学校教育の根幹に据え、授業、部活動、生徒指導…すべての教育活動を「人権」の視点から見ることができるよう、学ぶ必要があるのではないでしょうか。

そう考えるのは、次のような例からも理解することができます。ある教員が、新たな赴任校にあいさつにいったときに、ある一人の生徒が一方的に一人の男子生徒に馬乗りになり、殴っており、すぐにその生徒を止めに入りました。そのときにその生徒が、「おまえは俺の何を知っているのか。知らないのに止めるな。止めるならすべてを知ってからとめろ。俺をかえられるのか」と言い放ちました。もちろん力で解決する手段を肯定はできません。それでも、教師とは、子どもたちの表面的な言動だけではなく、彼らの成育歴や生活の背景にまで踏み込んで理解するべきなのだと考え行動するきっかけとなったと言います。担任として、部活動顧問として、そして地域や学校の一員として、「仲間づくり」という視点を重視し、すべての生徒にとって“居心地がよい”“居場所がある”“安心できる”“認められている”そんな集団と教育環境を作っていくことが大切だと思います。

今後も、若手・中堅・ベテラン教員が様々な意見を交わし話し合うなかで、今も昔も問題は多くありますが、問題を考え続け、つねに研修を深めれば、何等か解決の道がみつかることに変わりないことを再認識しています。

(5)おわりに〜あらためて同和教育にまなぶ教育のあり方

 

 現在、国内にはさまざまな課題が山積しています。昨今の社会経済状況にも影響を受け、「いじめ」に関する事件、SNS関連の新たな人権問題、DVや様々なハラスメント、格差社会の拡大、雇用問題、貧困問題やそして「ブラック企業」・「ブラックバイト」などの労働問題、社会的弱者や少数者に対する排外主義の動きなど、この社会には、さまざまな人権問題が存在します。従来からの人権問題についても、在日コリアン、障害者に対する偏見、差別、排除の動きが残念ながら絶えることがありません。子どもの貧困から生じる様々な面での格差は、子どもたちの現在の生活だけでなく将来の人生をも不安定なものとしていきます。政府や地方自治体は、その対策に乗り出し始めています。しかし、法令によって人のこころの中から差別が消えることはない、ということを、私たちは部落差別の歴史から知っています。ヘイトスピーチのデモ行動は減少する傾向にあるものの、いまだにインターネットを覗けば、在日コリアンを差別する言葉が飛び交っています。障害者差別も部落差別も同様です。

 未来を生きる子どもたちが社会人として社会とのかかわりをもったとき、差別のない社会であると体現することができるために、学校教育の中で、今、何をしなければならないのか。差別を許さず、その解消を求めることが健全であるという社会の実現をめざし、その礎となる構成員を育てようとする教育活動の軸とは何なのか。

教育の場にあって、差別心と偏見が火を噴いてからでは、遅いのです。そうなる前に、学校教育で何ができるか、ということを私たちは考えなければなりません。差別を解決できる方法があるとしたら、それは「法律」があるから行うというたてまえの教育ではなく、「法律」を正しく理解し遵守する意志を培う「教育」そのものの活動であると私たちは信じたいものです。日々止まることなく成長する過程にある子どもたちが集う学校とその社会にあっては、差別を解消するための法律が制定されるという結果を待って、教育的な活動をすることはできません。社会的な法制度の成立を待望する姿勢とは別に、人権に係る課題や多様な差別的な考え方に対して憤り、その考え方を共通の価値観として共有できるつながり社会を築いていく営みを続けていなければなりません。かつて法の期限切れとともに、特別施策に裏付けされた同和教育の表層的な活動が消え去り、背景を知らないものたちの多くが、もう同和教育をしなくてもよいと大きな勘違いをしている教育的な環境の拡大は憂うべき状況です。あらためて、法があるから教育をするのではなく、差別のない仲間づくり、人づくりという人権教育を根幹に据える教育活動を進めることが、ひいては広い社会における法令の理解と遵守を促すことにつながり、教育そもそもの活動の体現となると思います。

私たちの先人が始めた同和教育には、学校に来ることができず、教育から離れてしまった被差別部落の子どもたちを「何とかしなければならない」という強い思いが根本にありました。被差別部落の人々を取り巻く教育をはじめとする様々な困難が一向に解消されない現実を変えたいという思いがそこにはあったのです。教育は子どもを変えていく営みです。子どもたちが変わるということは、将来の社会が変わるということです。私たち教職員たちが、責任感と誇りを感じて、目の前の児童・生徒のためにつながり、できることを取り組んでいきましょう。

  

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