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第43回人権交流京都市研究集会
はじめに 1 人権をめぐる現状と課題 (1)
わたし達を取り巻く情勢と課題 (2)
「同和」奨学金返還問題について (3)
京都市いきいき市民活動センターの現状 (4)
改良住宅をめぐる部落の現状 2 これからの解放運動と人権のまちづくり 3 人権教育の現状と課題 (1)
はじめに (2)
小学校の取組 (3)
中学校の取組 第43回人権交流京都市研究集会基調提案 はじめに 1922年京都市岡崎公会堂で産声を上げた全国水平社の結成から今年で90年をむかえます。人を勦る事が何であるかをよく知っているという被差別部落の若者の訴えは、同情や融和ではない、人としての尊厳を高らかに謳ったマイノリティ当事者による、世界でも初めての人権宣言として、今も私たちを奮い立たせます。 しかしながら、90年前、血を吐くような思いで宣言を発した当時の人々が今日の現状を見たとき、一体どういった評価を下すのかと考えずにはいられません。一見あからさまで暴力的な差別は潜めたような印象を与えつつ、インターネット上の陰湿な書き込みや、土地不動産にまつわる差別事象、また、結婚や就職にまつわる身元調査が当たり前のようになされている現状を見るとき、市民社会の中にある差別意識というものが、実はそう変わらずに存在しているという現実に愕然とするかもしれません。あるいは長きにわたり、「よき日」の実現のために奮闘し、その意志を引き継いできたことを賞賛するでしょうか。 90年という年月の中で、私たちの「人権交流京都市研究集会」も時を刻み、今年で43回目をむかえます。部落解放研究京都市集会(当時の名称は部落解放京都市研究集会)の第1回集会は、前年の「同和対策事業特別措置法」の制定をうけ、答申完全実施・特措法の具体化を推進するべく、1970年に開催されました。初期の10年は、何よりも部落問題が一部の人の問題ではなく、この国に生きる全ての人々の課題であることを訴え「部落問題をみんなのものに」というメインスローガンが掲げられました。第11回から19回は、具体的な行動実践を念頭に「部落問題の解決をみんなの力で」のスローガンのもと、運動・行政・教育それぞれの分野での実践を深化させてきました。また20回からは「差別を許さない行動の輪から、人権のまちづくりを」というスローガンが打ち出され、反差別の取り組みを、「人権のまちづくり」として打ち出し、広範な市民の参加のもとに具体化させていくことをめざしてきました。 そして2008年の第39回目からは、「人権交流京都市研究集会」へと名称を変えて、この度5回目となります。メインスローガンを「めざそう!共生・協働の社会創造」と定め、さまざま被差別マイノリティとの交流・連帯を通じて、それぞれの当事者の苦悩に思いを馳せ、また課題の共通項を見出すことで、「水平社会」の実現をめざしています。 しかしながら、長きにわたる研究集会を経てなお、道半ばであるという認識は、時代状況の厳しさとともに易々とは払拭できません。スローガンは高く掲げつつも、私たちは、日常に、地域に、一人一人の思いを持ち帰り、地道に実践につなげる営みを継続していくしかありません。 1 人権をめぐる現状と課題 (1)
わたし達を取り巻く情勢と課題 昨年11月、またもや新たな戸籍不正取得事件が発覚しました。結婚や就職の際に当人の身元を探り、本籍地や転籍状況・出生時の届出人・続柄記載などにより、部落差別、婚外子差別、また出生に関わる差別等を助長させる行為は、過去何度も発覚し、摘発されてきました。弁護士や司法書士など8業士は「職務上請求用紙」で戸籍謄本等を取得できますが、2008年におきた大量不正取得では、その用紙が乱発され使用されたことから、それ以降は用紙に番号をつけ、どの番号の用紙をどこの事務所の誰に渡したかを、司法書士会・行政書士会などが把握できるようになっていました。また、一度に購入できる用紙を100部までとし、その控えについてもそれぞれの会に提出しなければ次の用紙を購入できないこととし、不正使用を抑止する努力と工夫がなされてきたのです。ところが、暴力団捜査の過程で愛知県警の警察幹部ら7人が住民票や戸籍謄本などを不正取得され、脅迫に使われたという事件の取り調べ過程で、偽造有印私文書行使の疑いで逮捕された東京都内の司法書士事務所が、その制限されていた職務上請求用紙をコピーして、2008年11月からの3年間で約1万件もの不正取得を行っていたことが発覚したのです。 事件を受け、落解放同盟京都市協議会も京都市区政推進課に事件に関わった司法書士の請求に関わり、情報公開請求を行いました。その結果、市内でも78件の不正請求があったことが発覚しています。 人権を配慮するために行われている、さまざまな取り組みや努力を、あざ笑うかのように、この身元調査にかかわる事件は繰りかえされます。その理由は、身元を探りたいという欲求が社会にあり、調査を依頼する「普通の市民」がなお多数存在するからに他なりません。 また、ここ数年問題になっている土地差別事件では、広告代理店が、複数の市場調査会社に部落差別調査を依頼していることが明らかになり、調査の結果をデベロッパー(マンション開発業者)に提案書として提供している実態が明らかになりました。提案書には「地域下位地域」や「一部敬遠される地域」「不人気地域」「低位エリア」などいずれも被差別部落を表現するために業界で造語として使われています。このような実態が何十年も放置されてきたのであり、真相究明と改善が求められてきました。 このような状況を受けた行政側の改善策としては、昨年10月に大阪府で「部落差別調査等規制等条例」を一部改正し、興信所・探偵者に加え、土地調査に関わる規制監督を強化しています。また、京都府では、「京都府宅地建物取引業における人権問題に関する指針」を策定し、研修・啓発の取り組みを強化するとしています。 身元調査と土地差別という主には部落差別に関わる大きな問題を挙げましたが、誰かと婚姻関係を結ぶことや、不動産を購入するということは、一人の人の人生でそう頻繁に訪れる機会ではありません。しかし、普通に暮らす市民にとってはごく普通に訪れる機会でもあり、いわば日常に生起することです。昨年の部落解放研究第45回全国集会で、2010年に行われた大阪府民意識調査の結果が発表されましたが、それによると、結婚を考えるときに同和地区出身かどうか気になると答えた本人は20.6%。親の場合21.2%。また、住宅を選ぶ際には、「小学校区が同和地区と同じ区域になる」ことを気にする人43.0%。「同和地区の地域内である」ことを気にする人は54.9%とのことです。京都府が宅地建物取引業者におこなったアンケートでも、取引物件の所在地が同和地区かどうかを聞かれた業者が44%もあり、そのうち88%は一般消費者(市民)からのものという高率です。そのような質問が差別につながるという認識をもった業者はわずか28%というものでした。 希望の見えない、閉塞感のただよう社会の中で、憂さを晴らすために社会的弱者、マイノリティをターゲットを定め、差別や偏見をあおるといったことがインターネットという匿名性に守られた空間で常態化しています。「捕まらない」という安心感もあり、また突出した者が英雄視されるなど、増長し、「差別を取り締まる法律がない」という「法的根拠」をもって部落の地名をネット上に列挙する者、部落民や在日コリアンなどへの賤称語を書き連ねる者もいます。そして、今や堂々と名を名乗り、街頭にも進出し、手前勝手な法律論を武器に排外主義の扇動をおこなう者すらあらわれています。さらには、彼らに鼓舞され、「共感」がひろがり、より広範に、より先鋭的に差別扇動がなされ、差別しても大丈夫とか、「差別はいけない」というタブーに挑戦すること、差別することに爽快感をもつ者まで生まれています。 私たちは「違いを認め合い一人一人を尊重しよう」という啓発の言葉に頷き、普通に暮らす日常において、特に部落の人だからとか、外国人だからとか障害者だからと差別する感情から自由であると思っているかもしれません。自分自身の頭の中に差別がないのだから、この社会にも差別がないのだと考えるかもしれません。しかし、人生に強い影響を与えるであろう婚姻や不動産購入に関わった時点で、忌避する意識が持ち上がる可能性が存在するのだということは認識されるべきでしょう。そのことは「部落問題など、もう存在しない」「解決した問題について言い続けるべきではない」と考えている人にとってもまた、訪れる可能性は否定できません。むしろ、普段意識せず、「差別する側にもされる側にも自分はない」との思いが、ある日突然「差別される可能性」を身に帯びるときに、忌避する意識がもたげるのだと考えられます。 (2)「同和」奨学金返還問題について ここで、京都市における「同和」奨学金の変遷を概観しておきましょう。 京都市における「同和」奨学金は、1961年、国に先駆けて高校生分を制定。1963年に大学生も対象。1966年、高校生分に対する国庫補助制度が開始され、1974年に大学生分に対する国庫補助制度が開始されました。その後、1983年に国が大学生分の奨学金を貸与性に変更したことを受け、1984年に京都市は奨学金の実質支給を担保するために、形式的な貸与に対し、返還時に「自立促進援助金」を補助金形式で執行することを制度化しました。2001年には国が奨学金の国庫補助制度を廃止しましたが、京都市は5年間の経過措置として独自に奨学金を継続しつつ、2004年には自立促進援助金要綱を改正し、ここで始めて、返還の可能性があることを奨学金受給者に説明しました。そして2006年同和奨学金は廃止されました。 一方、京都市はこの援助金制度について2003年から継続して、年度ごとに第4次にわたる住民監査請求、住民訴訟を提起されていましたが、2006年3月、ついに大阪高裁において2001年以降に新規に自立促進援助金を一律支給したことが違法であるとの判決が出てしまいます。そのため2007年9月の確定を受け、京都市は制度の改正を待つことなく、07年度からの執行を停止しました。問題は、この時点では「実質支給である」と説明を受け、「奨学金の借金」を負っているという自覚がない人々にとって、全く知らない間にその借金がかかってきたということです。2008年に援助金制度廃止の条例が施行され、京都市が文化市民局人権文化推進課に、奨学金返還に関わる部署を設置し、「借受者」にお詫びと説明を開始したのは、2009年2月のことでした。 仮に「同和」奨学金がはじめから、給付を維持していたのであれば、2006年に終了した時点で「特別施策」も完全に終わっていたところ、制度上の形式を貸与とし、実質給付を継続したという形式と実質の乖離が、「特別施策」が完全終結した時点で問題として顕在化し、問われ、違法とされ、そのため、さらに20年間にわたって、「同和」奨学金返還に関わる諸問題が継続することになってしまったこと。逆説的に言うならば、「自立促進援助金制度」が特別施策後も継続することによって、その後20年間「同和」奨学金返還という特別な事情を免除していたものが、その制度廃止により、20年間にわたり、借受けたその当時の子どもたちに対し、「あなたは部落民である」というプレッシャーを与え続け、プライバシーを侵害されるおそれを与えてしまったこと。この「特別な事態」を招いたのが「特別はいけない」とする圧力によってもたらされたということは皮肉であり不条理ですが、当事者達は、今後まだ16年間にわたり乗り切っていくことになります。 借受者本人が若年であるということもあり、また、経済状況もよくない中、免除申請(生活保護の1.5倍以下の収入)をして受理された人は、1404人中1159人とのことですが、どうしても納得できない、面談できない、あるいは裁判で問題を明らかにしたいとする「返還拒否」等が22人存在するということであり、そのうち昨年10月時点で返還額が100万円を超えた2名について、京都市は3月、訴訟に踏み切ると表明しています。訴訟に注視しつつ、2009年から5年間の免除申請が受理された人々にもまた、再来年(2014年)からの第2次免除申請の要請が行われることを見据え、問題が形骸化することで丁寧な対応を怠り、プライバシー侵害が生じないように、訴え続けなければなりません。 (3)京都市いきいき市民活動センターの現状 2011年4月1日からスタートした「京都市いきいき市民活動センター」は、旧隣保館を転用し13ヶ所で行われています。管理運営も民間のNPO法人や企業など指定管理者制度を活用して事業展開しています。この指定管理者制度は、小泉内閣時代に「民」でできることは「民」で行うとうい政策に基づいて、2003年6月「地方自治法」の一部改正により、それまでの「管理委託制度」が廃止、「指定管理制度」に変更され、公の施設が民間でも運営できるようになったものです。全国の自治体も同法を根拠法令として条例を制定しています。京都市は2004年3月「京都市公の施設の指定管理者の指定の手続等に関する条例」を制定して、2010年11月「京都市いきいき市民活動センター」についても募集を始め30団体が応募し、審査の結果、13ヶ所の施設に12団体が決定しました。 運営主体となった各団体は、「京都市いきいき市民活動センター」の管理運営だけにとどまらず施設のコンセプトである「交流」「協働」「進化」を具体化するため、地域の実情を見ながら「地域活性化事業」を行うことが定められています。 昨年12月12日、13施設の代表が一同に会した京都市主催の研修会が開催されました。各団体から日常の運営、市民活動活性化事業などの現状や課題について意見交換が行われました。2005年からNPO法人として事業委託を行ってきた団体は、これまでのノウハウを活用して事業展開が繰り広げられていますが、他の新規団体は手探りの状態で苦慮している状況が報告されました。 中には、コミュニティセンターを廃止した経緯について、京都市による住民への周知が十分でないため、「公的機関からの通知について解説や手続きを教えてほしいなど、住民からの生活上の相談が多く、説明できなくて困惑している」と、市の不親切さを指摘する団体もありました。当時、市は住民の困りごとは「京都市いつでもコール」で対応しますと説明していましたが、地区の住民の多くは読み書きが不自由な高齢者であり、周知チラシを見て、見知らぬ人に電話などできるはずもありません。その実態を無視して一斉に引き上げたのです。これは人間の尊厳に関わる重大な問題であります。その一例として、2011年10月に行われた「国勢調査」では、一部の同和地区の高齢者世帯では十分に理解できず「調査不能」になり、行政の対象外に放置されていました。 京都市がコミュニティセンター条例を廃止し、国の隣保館運営費や、築年数の浅い一部隣保館の施設整備費などを返上してまで、市内から「同和」対策と名の付くものを排除した事由は、「同和」行政の終結を政治的にアピールするため以外の何ものでもありません。そもそも「隣保館」は社会福祉法に規定された第2種社会福祉事業あり、同和対策特別法でなく一般法です。北海道ウタリ対策や東北地方の過疎地対策、九州地方の旧産炭地区対策などに運用されてきました。関西以西では、貧困と不良住宅が密集している地域がたまたま「同和」地区であったため、社会福祉法を活用して隣保事業(特に生活相談事業)が進められてきたのです。また、在日コリアンが多く暮らす京都市南区東九条では社会福祉法に基づき「生活館」が設置され、地域住民の相談を行っていましたが、コミセンの廃止と同様に生活館も廃止されました。しかし、京都市以外の他の自治体では、隣保館の名称を変え、指定管理へ移行を行いつつも、センター内に相談機能を残しつつ、「交流」「協働」などの機能強化に取組んでいるところもあります。生活困難な住民が暮らしている以上、隣保事業そのものは否定されるものではありません。むしろ厳しい経済状況の中で、ワンストップの総合相談機能は社会的にも求められていると言えます。 地区施設に関して、そうした枠繰りを失われた状況にありつつも、私たちは、現指定管理者と連携し、市民活動活性化事業をより広範な人々と共に取組みを進め、人権問題や福祉問題を日常生活圏域で深化していくことが求められています。そして「いきいき市民活動センター」だけではなく、他の地区施設の運営への挑戦も視野に入れ、地域における主体的力量を高めていくことが求められます。 (4)改良住宅をめぐる部落の現状 京都市内には99団地702棟23,616戸の市営住宅があり、そのうち公営住宅は78団地565棟19.060戸あり、改良住宅は21団地137棟4,556戸あります。市内の被差別部落地域の多くは改良住宅で形成されており、その現状が現在の部落のありようと深く関係しています。 京都市は、昨年2月に策定した「京都市市営住宅ストック総合活用計画」において、市営住宅の現状と、従来通りの建替えではなく現在ある住宅ストックを活用するという今後の方針を示しました。以下、計画の概要を検証しましょう。住宅建設の経過の違いから、京都市も「公営住宅」と「改良住宅」の特徴の違いを分析しています。 立地状況は、公営住宅の約90%が郊外にあることに比較すると、改良住宅は比較的多く都心部に位置しており、交通その他の利便性が高いと言えます。竣工年数は、全体の60%以上が築30年以上で老朽化が進んでいますが、特に築40年以上50年未満の住戸数は、公営住宅で約13%であるのに対し、改良住宅は26%です。 住宅の構造については、公営住宅が27.8%の低層住宅があるのに対し、改良住宅は、階段の上り下りが欠かせない中層・高層が95.6%を占めています。住戸面積も改良住宅は狭く、50u以上の住戸は、公営64%に対し、改良住宅は42%であり、特に30u未満の住戸の割合は、公営住宅1%に対し、約7%あります。 設備に関しては、全体でエレベーター等(スロープ設置含む)設置率が51%、住戸内の段差が解消されている高齢者等対応率が18%で、公営・改良共にその充実が求められています。顕著に違いがあるのが浴室設備です。浴室設置率は、公営住宅が83%に対し改良住宅はわずかに17%です。またお風呂がない上に、設置スペースがない住戸も公営住宅5%であるのに対し、改良住宅では約76%と非常に高くなっています。 また、特に問題となる耐震性能ですが、補強の必要のない新耐震基準を満たしているのは、市営住宅全体で約56%、公営住宅63%に対し改良住宅は29%と非常に少なくなっています。その基準を満たしていない中でも、さらに特に補強が必要な住戸の割合が公営住宅13%に対し、改良住宅は50%もあります。これは住民の命が常に危機に晒されていることを示しています。 以上のような現状を見るとき、京都市内の市営住宅は老朽化が著しく、耐震構造上も安心・安全が確保できていないこと。さらに、市営住宅の中でも公営住宅に比較して改良住宅について、問題がさらに深刻化していることもわかります。 これに対し京都市が打ち出した今回の住宅ストック計画では、それぞれの問題に対し指標が示されています。耐震化率を2015年までに90%とする。エレベーター設置率を70%以上とする。段差解消、手すり設置等の高齢者等対応を、2020年度までに75%とする。国の定めた住生活基本計画では、基本的に浴室を設置することが求められていることから、早期に浴室を住戸に設置するか、それに変わる簡易な施設を住棟内に設置するなどです。 しかし、これらの指標を達成するために、公営住宅については最小限の建て替え。改良住宅については、建て替えをせず、適切に改善された住棟への住み替えにより、早期に集約するとしています。また、改良住宅には木造低層住宅が少ないことから、用途廃止よりも継続活用と集約という手法が主だったものとなります。 そのため団地ごとに「団地再生計画」を策定する必要があり、策定に当たっては、市営住宅を地域資源と位置づけ、団地を含む周辺地域も含めた課題(住環境、高齢者対応、子育て支援等)を出し合い、対応を検討するとしています。また周辺地域も含めた高齢化に対応するための福祉機能については、福祉施策との連携をしながら積極的に導入すること。さらに、団地内のコミュニティの弱体化に対応するため、集約で発生した敷地の活用や空き住戸の転用により、多様な住宅供給、既存施設の活用により、団地内に地域の様々な活動拠点を導入するともあります。ただし、活用予定のない敷地については、売却を検討し、今後の京都市の財源にすることも明記されており、入居者や周辺住民が主体的な提案を行い、要望をまとめていく住民主導のまちづくり運動が今、まさに求められています。 2.これからの解放運動と人権のまちづくり 京都市では、総合企画局市民協働担当がこれからのまちづくりについて共に考えるきっかけとするため、14分野、234のテーマで「出前トーク」を実施しています。関心があり学びたいテーマを選び、注文すると10人以上が参加する集まりに対し、担当部署の職員が出向いて説明に来ます。 部落解放同盟京都市協議会は、この出前トークを活用して、昨年6月から10月まで5回にわたり学習会を開催してきました。これは、各地域において「福祉で人権のまちづくり」を実現するため、一般施策での基本的な方向性を見出そうとする試みです。第1回は=住宅ストック計画(住宅局すまいまちづくり課)。第2回=長寿すこやかプラン(長寿福祉課)。第3回=京(みやこ)のほほえみプラン(障害保健福祉課)。第4回=未来こどもプラン(児童家庭課・保育課)。第5回=開かれた学校づくり(総務課・学校指導課)。 そうして、第6回はこれまでの学習を踏まえ、1990年代から自前の活動を展開している大阪府箕面市の北芝まちづくり運動について、支部長代行の丸岡さんを招き、講演をしてもらいました。また、12月の第7回解放学校では、直接北芝現地を訪ねフィールドワークを行いました。 この一連の学習会、特に北芝のまちづくりから学ぶべき視点を述べてみましょう。 まず、北芝の運動を1990年代前半に大きく転回させた事柄として、1989年箕面市教育実態調査があります。この調査から見えてきた内容は、子どもたちの学力到達点が、同和教育が始まる以前とほとんど変わらず低い段階であったこと。それから、子どもたちの自己評価が「自信がない」「自尊感情が低い」などの結果と、保護者もまた、子どもや自分自身に対して低い評価しかできていないという現状が見えてきました。また、親子の共通意識としては「いつか、どこかで、だれかが、なんとかしてくれる」という発想がかなりあることも残念な結果として明らかになりました。結果を受けた諸団が話し合いで得た結論は、公的機関としての保育所や学校に、「もっと何とかして」というものではなく、学習会を有料化し、団体指導から個人指導へ、北芝の子どもから、北芝地区を含む非自律層を軸とした活動へと転換していくことでした。「みんな一緒、みんな平等」運動から、やる気と主体性を培う運動へと軸を移すきっかけとしたのです。そうした中、公務員層を中心として、個人給付や活動補助金を自ら返上する取り組みへとつながっていったのです。 1995年1月17日の阪神淡路大震災をきっかけにはじまった復興支援は、地域施設の「らいとぴあ21」を拠点として、様々なボランティアグループが大きくつながる力となり、動員ではなく、自主的な参加による活動スタイルを見出しました。また、地域のコミュニティ道路の整備にあたり、「未知なる道で遊ぶ会」の取り組みでは、地区住民、周辺住民、小学校の子どもたちでワークショップを開催し、一人一人の発見や、思いを、全員で検討し、協議し、形にするという実感を手にしました。道にまつわる歴史や特性を共に学びながら、安心して生活できる空間づくりは周辺との豊かなつながりの中にあることに気付いたのです。そうして、北芝解放太鼓保存会の結成や、一度は途絶えたお盆の「たいまつ」復活を通じ、自然体としての部落と部落外の関係が、子ども・おとなを含めて生まれていきました。 そのような経験を生かし、2001年に設立された北芝まちづくり協議会(きたしばお宝発掘隊)は、個人個人の‘やる気’や‘つぶやき’を「お宝」として発掘し、拾い集めて形にしていきます。高齢化が進む地域での住宅や福祉の分野でも積極的にワークショップを開催します。それは、ローカルコミュニティ(おたがいさま)(たすけあい)の発展により、これからの社会的流れを「地方分権」から「コミュニティ分権」として捉え、地域のことは地域が責任を持って課題の解決を推進するという貴重な提起を、部落から発信するということでもあります。 これまで、長い歴史の中で「閉鎖されてきたが故の閉鎖的傾向」(地域住民の中に差別が厳しかったが故に心を閉ざしてしまっている傾向が見受けられること)があることを、北芝の人たちも実感しています。しかし、だからこそ、この閉ざされた心を解き放つことが部落解放と位置づけられ、「安心して生活できる空間づくり」=「まちづくり」に部落解放の展望があると言います。 北芝地域で行われている様々な取り組みや事業を、そのまま地域で行うことが目的ではなく、「まちづくり」の考え方、特に、地域やその周辺に住む人々の具体的な要望や夢を、本音として語り合い、拾い、形にしていくということの大切さを、改めて共感することは、私たち、京都市内のこれからの運動にとっても必ず有益なことであると考えます。 京都市内でも、これまでから、様々な取り組みが継続されています。 千本地域では、学区各種自治団体がNPO法人を立ち上げ、千本の文化と歴史を伝える夏まつり・盆踊り大会、障がいを持つ子どもたちと一緒に行うダンスサークルでの青少年育成など、いきいき市民活動センターにおける交流事業が展開されています。田中地域では、「養正田中まちづくりの会」として、クリーンキャンペーンや学習会を重ね、いきいき市民活動センター指定管理へのチャレンジをきっかけにNPO法人「YTまちづくりの会」を立ち上げ、取り組みを進めています。東三条地域では、在宅デイサービス事業などの福祉活動や地域の歴史を学ぶ啓発が行われています。西三条地域は、見守り安全活動を通じた学区全体の高齢者実態調査とその活動の支援組織化が進められ、学区を単位とした広範な夏まつりイベント事業が進められています。七条地域でも、学区自治連合会が核となり発足したまちづくり委員会が、教育問題・住宅建設の促進・高齢者福祉問題に取り組み、柳原銀行記念資料館での事業のような人権啓発と歴史保存活動にも力を入れています。吉祥院地域では、ふれあいジャンボリーなどのまちづくりイベントに加え、吉祥院六斎念仏踊りを継承するための伝統文化活動が進められています。久世地域では、広く周知してレインボーフェスティバルが継続的に取り組まれています。改進地域でも人権教育・資料収集・講座・ネットワークづくりを取り組むNPOの活動が継続しています。 これらの、各地域での特色ある取り組みをさらに広げることで、これまで差別の対象となっていた地域がむしろ人権の尊厳をみずから発信していく拠点となっていくことが重要です。それが可能となる根拠は、被差別地域においてこそ様々な課題が顕著に浮き彫りとなり、可視化されるからと言えます。部落差別のみならず、差別の痛みを知るからこそ、他の人権課題とも共闘しつつまちづくりを展開することは、まさに「全国水平社」の精神を受け継ぐことに他ならないでしょう。 3 教育を取り巻く現状と課題 引続き,教育に関わる基調を提案いたします。 先にも述べたように,今年は東北地方太平洋沿岸を襲った大震災とその直後に襲った大津波による大災害,さらには人災と呼ぶべき福島第一原子力発電所の事故による広範囲にわたる放射能汚染,また,台風による大規模な土砂崩れ等の豪雨による自然災害などで多くの人命が失われました。震災から11カ月が過ぎた今もなお被災地では避難生活を余儀なくされた方々が多くおられます。ようやく復興への道のりがスタートしましたが,被災地の完全な復旧,復興は遠い彼方にかすんでいるかのように見えます。 こういった自然の脅威を目の当たりにして,改めて昨年1年間を振り返り,学校教育を行っている立場に立って考えてみると,子どもたちにとって「教育を受けることが保障されている」という当たり前に思われていることがいかに大切なものであったかということを痛切に感じざるを得ません。被災地での教育,とりわけ学校教育が一日も早く以前の姿に戻ることを願いつつ,私たちは目の前にいる一人一人の子どもの教育に全力を傾けていかなければなりません。このことを改めて確認しておきたいと思います。 さて,京都市では,特別施策の終結を目前に控えた時期に,人権教育検討委員会が発足し,1999年4月,「《学校における》人権教育をすすめるにあたって(試案)」が,さらに2002年には,現場での実践に基づく意見を反映させた完成版が出され,各学校での人権教育推進の指針として積極的に活用されてきました。そして,小学校での新学習指導要領完全実施を目前に控えた2010年には,その改訂版が出されました。その中で本市「人権教育」の目標を,「『人権という普遍的文化』の担い手を育成することとし,「人権という普遍的文化」が確立した社会とは,人権の概念および価値が広く理解され,人権尊重の精神が日常の行動の規範となる社会のことだ」と定義しています。同和教育についても,法のもと進められてきた同和教育の取組の成果が,「一人一人を徹底的に大切にする」,「すべての子どもたちの学力向上をめざす」本市教育に継承されていることを強調しています。 一方で,京都市の学校現場をみると,団塊の世代の大量退職期に合わせて,新規採用教員数が増加し,小学校だけでも今後およそ10年間で定年退職を迎える教員が,約1200名に上ると予想されており,急激な世代交代が進むことは確実です。旧同和地区を含む学校においてすら,特別施策時代の取組を経験した教員の数はわずかとなっています。特別施策の終結とも相まって,若い教員の中には,当然知っていなければならない同和問題に関する知識が乏しい教員もいます。かつて鋭い人権感覚と同和教育の実践から深められた,人権に対する認識や経験に基づく指導力により,目の前の重い課題を背負わされた児童・生徒に対し熱心に関わり,徹底的に指導してきた教員の姿を,今の若い世代に求めるのが難しくなってきている状況にあると言えます。このような今だからこそ,人権感覚を磨き,人権に対する認識を深め,人権意識を高めるための,人権研修,同和研修の重要性が高まっているのです。 「一人一人を徹底的に大切にする教育」,これは同和教育から生まれた言葉です。これまでから,旧同和地区を含む学校では,「同和教育は足で稼ぎなさい」「生育歴も含め,子どもの背景に迫りなさい」と先輩から教わり,実践を進めてきました。教室の中だけでは見えてこない側面が確かにあります。本人のせいではない課題を背負わされている子どもが,どのような気持ちで学校に来ているのか,その子の保護者はどのような道を歩んでこられたのか,また,どのような願いをわが子に託しているのか,それらのことを踏まえた上で,焦点化した取組を進めてきました。つまり,焦点を当てるべき子どもの背景にまで迫り,子どもを理解することから具体的な実践が始まるのです。 (1)小学校の取組 では,ここからは小学校の具体的な取組を紹介していきたいと思います。現在は,学力向上に向けて各校独自に「学力向上プラン」を策定し,焦点を当てた児童を中心に据えて取組を進めています。同和問題だけではなく,外国人問題,障がい者問題,男女平等の問題,さらには,発達障害・いじめ・不登校,虐待など,どの学校・学級にも手を差し伸べるべき子どもが在籍しています。見守る必要のある子どもを明確にした上で,その背景に迫る取組をすべての学校・学級で進めていかなければならないのは,今も同じです。 法を根拠とした特別施策の時代は終わったとは言え,そのことが同和問題の解決を意味するものではありません。今なお,差別発言や落書きは絶えません。また,インターネット上での悪意に満ちた書き込みは,一瞬にして不特定多数の人へと広がって行きます。正しい認識と確かな人権感覚がなければ,差別への加担者は増え続けるのではないかと危惧されます。私たち教職員がアンテナを張り,最新の情報を手に入れ,指導に生かすことが必要でしょう。 これからは,一人の子を多くの教職員の目で見ていくことも必要になってきています。多種多様な問題を抱えた子どもたちを,担任一人だけの目で見て,担任一人だけの力で解決することは,極めて困難です。しかも,その子どもにとっても決してよいものであるとは言い切れません。できる限り多くの教職員が,課題を背負わされている児童・生徒とのつながりを積極的にもち,担任を中心とした情報交流をしていくことが必要なのです。このように,学校全体で共通理解し,かかわり,多くの知恵を出し合って,組織として担任をサポートしていくことで,子どもは必ず変わっていきます。 さらに,必要に応じて,外部機関との連携も考えていかなければなりません。その上で,授業の進め方や家庭への働きかけについて学校としてのビジョンを決定していくことが望まれます。 人権に直接かかわる学習を行う「人権学習」では,「人権教育」の全体計画に基づき,6年間を見通した「人権学習」が進められています。今までの経過や児童の実態,学校の中心的課題によって,各校で計画の内容は異なっていますが,あらゆる教育活動の中に様々な形で位置づけられています。とりわけ総合的な学習の時間においては,少なくなった指導時間数の中で,内容を見直し,精査した「人権学習」を再構築しています。このように,学校としての継続的な取組を通して,子どもたちに人権感覚を育んでいこうとしている一方で,差別や偏見についての知識や理解にとどまっていないかという点を絶えず点検をしなければなりません。つまり,「人権学習」は,自分の身の回りの問題を考え,その解決に向けて行動を起こしていこうとする実践的なものでなければならないのです。 若手教職員が急増している今,「同和教育」に関して言えば,たとえばオールロマンス事件などの歴史的事実を知らない,また,6年社会科での同和問題指導について指導した経験がないなど,今後に向けて不安な要素もあります。これらについて正しい知識と実践力を身につける研修の機会を設けることが必要であると考えます。今こそ,経験の少なさを補うベテラン教職員の存在価値が非常に大きいと言えます。時として学年の枠を超えた支援体制をとることも欠かせません。子どもたちに影響を与える学級作りについても,若手教職員がチャレンジしつつ,常に相談したり,アドバイスをもらえたりする環境を整えなければいけません。現代の多様化した子ども・親の意識に対応するには,教職員同士が柔軟に連携し,対応していくことが必要です。また,日常的な教職員同士の関わりこそ,教職員一人一人の人権感覚を研ぎ澄ますことにもつながるのです。そして,子ども一人一人ととことん向き合っていくことで,目の前の子どもたちに確かな人権感覚を身に付けさせる教育活動ができるのです。 私たちは,これまで京都市が大切にしてきた「人権教育」と現代における人権課題に対する教育について改めてしっかりと学び、実践をしていかなければなりません。また,子どもの人権感覚を養うためには,特に保護者の人権に関する正しい認識が必要なことは言うまでもありません。これまで以上に,積極的に保護者啓発の場をつくり,「今,子どもの世界で起こっていること」をきちんと伝えることも必要です。 今一度原点に立ち返り,一切の差別や偏見を許さないという姿勢で教育に向かうことが求められています。まさに,われわれ自身だけではなく,家庭や地域を含めた大人全体が,社会にある様々な差別事象とどう向き合うのかを問われているのです。 (2)中学校の取組 続いて中学校の取組を報告します。かつて,私たちの先輩は「同和教育は教育の原点である」と語ってこられました。また,「同和教育とは,同和問題の解決を目指して取り組まれる教育活動の全てを指したものである」とも言われていました。「同和教育」の普遍化という言葉が叫ばれるようになって10年以上の年月が経った今,それぞれの学校において「同和教育」がどのように「人権教育」に受け継がれているのか,それぞれの学校が創造してきた「人権教育」とはどういうものなのかを語れるようにならなければならない時期にきていると考えています。具体的には,本市における「同和教育」がどのように「人権教育」に受け継がれているかを検証し,各校において「人権教育」が根付き,発展していくことを目指した教育活動を広げていくことが重要です。とりわけ小学校と同様に,職場の中で若い世代の教職員が占める割合が高まりつつある今,これまで積み上げてきた実践を次の世代にどのように引き継いでいくかが大きな課題だと捉えています。 そこで今,改めて「人権教育」とは何かということを考えてみたいと思います。先にも述べられていた「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」に示された, ・すべての人々の人権が尊重される社会, ・すべての人々の個性と能力が正しく評価され,その発揮が保障された社会 ・すべての人々の社会の発展に寄与する機会が均等に保障された社会 ・これらのことが社会共通の規範となり差別と排除が容認されない社会 こういった社会の実現を目指して行われる全ての教育活動こそが「人権教育」であると定義できると思います。さらに,「人権としての教育」,「人権のための教育」,「人権についての教育」,「人権を通しての教育」という4つの視点で考えるならば,学校教育のあらゆる場面のなかに一人一人の人権を守る,人権問題の解決を目指して行動できる生徒を育てるという教職員の共通した認識があり,学習指導,生徒指導,部活動指導や生徒会を育てる取組などの中に「人権」という考え方がきちんと位置付けられているかどうかが,自校における「人権教育」を考えていく上での指標となるべきだと考えています。 そして,その上で個別の人権問題の解決を目指した学習が展開されていることが重要です。ともすると,「人権教育」と個別の人権問題の解決を目指した学習,いわゆる「人権学習」が混同されているのではないかという懸念を感じることもあります。それぞれの学校で「人権教育の全体計画」を点検・検証し,今一度「人権教育」として何が出来ているのか,出来ていないことがあるとすればそれは何なのかを考えてみる必要があると思います。学校現場に大きな世代交代の波が押し寄せている今だからこそ,このことを常に忘れずに実践を行っていくことが大切です。 では,ここからは子どもたちを取り巻く世の中に目を向けてみたいと思います。厳しい経済状態が続く日本の社会において,様々な人権問題は解決の方向に向かっているというよりも,より弱い立場の人々にしわ寄せがいき,むしろ新たに生じている人権侵害の問題も含めて課題の方が多いと言わざるを得ないと思います。 次に,学校教育に直接関係する家庭の状況に目を向けてみると,世帯収入の減少による不安定な生活や少子化,家族が触れあう時間の減少によるコミュニケーションの不足,近所づきあいなどの希薄化による家庭の孤立などが課題として上げられます。さらには,今,子どもに対して起こっている様々な問題,例えば育児放棄や放任,しつけと称する虐待なども家庭における教育力の弱さと直結しています。 また,現在の経済状況は保護者だけでなく,その子どもにも深刻な影響を与えています。例えば,生活保護世帯の増加,
特に,単親家庭の経済状況は非常に厳しいものとなっています。子どもの家庭環境の差が,そのまま社会へのスタートラインの差につながることは,学校教育の現場,とりわけ義務教育の最終の3年間を預かる私たちには到底許されることではありません。もし,本人の努力では乗り越えられない壁が未だに存在しているというのであれば,社会の在り方に矛盾を感じてため息をつくのではなく,目の前にいる一人一人の子どもを徹底的に大切にし,壁を少しずつでも崩していかなければなりません。 一方,学校に目を向けると,不登校や自殺,また新しいメディアの発達により,複雑化・多様化が進んでいるいじめの問題,そして家庭の経済的要因による学校生活への不適応,学力格差の問題など,現在の社会問題が子どもたちの育ちに大きな影響を与えている状況があります。しかし,どんな状況であろうとも,学校という場所は全ての生徒にとって互いに認め合い,それぞれが持つ可能性を発揮していける場所でなければなりません。 そのためには,「子ども一人一人の人権を徹底的に大切にする」いわゆる「子どもを守る」視点からの取組と「子どもの人権意識を高め,そのよさを引き出し伸長させる」いわゆる「子どもを育てる」という視点からの取組が不可欠です。 「人権教育」が生徒と接している時間の全てで行われているからこそ,どのような瞬間でも私たち教師が人権尊重の視点を持ち,また,自ら人権について考え行動することが出来ているかどうかが大切になってきます。言い換えるならば,「人権教育」とは私たち教師がどのように子どもと向き合っているかが問われる場でもあるのです。そういう意味でも,私たち自身が常に研鑽を積むことで成長し続け,自分自身の生き方の中から得た言葉のみが様々な立場の生徒の心に直接届くのではないでしょうか。 これらの前提に立った上で,一人一人の子どもたちに確かな学力を身につけさせることが学校教育の原点であるということを,肝に銘じて取組を進めなければなりません。しっかりと基礎学力を身につけて,目の前にある壁を乗り越えて未来を切り拓いていける力をつけることが,生徒一人一人のよりよい自己実現につながるのです。この信念のもと私たちは,日々の取組を模索しています。しかし,学習環境の厳しい生徒に対して,なかなか効果的な手だてが見つからないのも現実です。学校の授業と家庭での学習とで学力・進路保障を完結するという教育の原点にもう一度立ち返り「目の前の一人一人の生徒を徹底的に大切にし,その背景にまで踏み込んだ取組を続けていく」,また「目の前の生徒に寄り添い,希望を語り,その背景にまで迫って共に歩んでいく」ことをすべての学校で実践していくことが大切ではないでしょうか。 しかし,これらの様々な問題は,学校による支援だけでは限界があるもの現実です。このため学校は,家庭や地域そして関係諸機関と緊密に連携,協力した上で有効な支援を模索していく必要性が以前にも増して強くなっています。全ての中学校で,全ての生徒が共に考え,判断し,行動することができる実践的態度の育成を目指して実践を進めていきたいと考えています。 来年度からは中学校でも新しい「学習指導要領」が完全実施となります。これまで980時間だった年間の総授業時数が35時間増えて1015時間となり,これまで選択教科としてそれぞれの学校が創意工夫して開設していた特色ある教科学習が廃止され,必修教科と「総合的な学習の時間」,道徳,特活で編成されることとなります。また,「総合的な学習の時間」の時間数が大幅に削減され,音楽,美術,技術・家庭を除く6教科で週当たりの授業時数が増加することとなります。 こういった状況の中で人権教育を大切に守り発展させていくこと,なおかつ教科学習にも力を注ぎながら「生きる力」を総合的に育てていくために守るべきは守り,変えるべきは変えるということを基本に据えて教育課程を編成していかなければなりません。学力保障,進路保障と同時に将来の生き方を豊かにする人権問題に対する認識を深め,自らの行動に繋がる実践的な学習を創り上げていくことが来年度に向けての中学校の大きな課題だと思います。 また,小中9カ年を通して「人権教育」が教育活動の基盤に据えられるように連携を深めていくことも求められています。これらの課題の解決に向け,小中学校が共同して取り組んでいくことが重要です。このことを確認して教育に関わる基調といたします。 |