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第36回部落解放研究京都市集会

  8分科会

 私自身と差別問題

自由な対話が成り立つ人々との交流の場を求めて

                              京都会館第1会議室

 

   行  廣瀬 光太郎(京都市交通局部落問題研究会) 

話題提供  松田 國広(京都市職員部落問題研究会) 

参加者数  38名

 

【話題提供】   

1 2002年3月31日・・・・とは?

 呼びかけ文にも書いたとおり,2002年3月31日にこだわっています。その日は基点で部落問題にとって大きな意味を持っていると思っています。

 1969年に公布されて10年を期限とした時限立法であった「同和対策事業特別措置法(特別措置法)が,その日(2002年3月31日)をもって失効した。法が切れたら,様々な形で分離・分散していくだろうと予想した人がいました。

  2002年3月31はどういう日なのか,もう一度考えてみよう。

  【*同和対策事業特別措置法〜地域改善対策特別措置法〜地域改善対策特定事業に  係る国の財政上の特別措置に関する法律(地対財特法) 2002年3月31日 法切】         

 あなたは法切れ後,どうしましたか?どう感じていますか? 

  法切れして三年を迎えようとしていますが,この三年間だけを自分自身で考えてみて総括してみましょう。法切れでほっこりしている人もいます。何も変わらない人もいます。

  さて,あなたはどう感じていますか。

  法制定に向けた運動の努力が,施行後成果として「いい意味でも悪い意味でも」を点検・総括することなく期限切れを迎えたのでしょうか。

  

3 部落問題は特別じゃなかったんですか?

  部落問題が差別問題ランク付けでは,これまでは最高位だったのがこの三年で陥落た。

  クレームがつきそうですが,あえてそう言います。だって,部落問題を語るのが極端になくなりました。部落問題は特別じゃなかったんですね。

 

4 部落問題や差別問題にいつまで関わるんですか?

  自分のことで恐縮しますが,中学校や高校で同和問題や差別問題に熱心に関わってくれた先生は,いまどうしているのか,ふと思い出すことがある。あぁー,やっぱり学校を退職したら関わりがなくなるんですね。さて,自分自身はいつまで関わるのでしょうか。

       

5 もう一度,部落問題を語ろう!

  運動は新たな形を志向する時を迎えた。特措法下の「要求型」から住民主導の「実践型」まちづくり運動の展開と言われているけど,本当にまちづくり運動で新たな志向が見出せるのでしょうか。住民主導と言うけれど,住民に対して本当の意味で語ってきたのか大いに疑問です。住民に語ろうから住民の意見を聞こうとするほうがいいのではないでしょうか。さぁー,部落問題を語りましょう。

 

主な意見 

1 男性 行政

  法期限後3年を迎え,どう感じているかと言えば,従来,行政は運動体からの要求に応じて行動してきた。法期限以降,運動体からの要求はほとんどなくなり,行政の連携もなくなってきたのでは。

 従来自治基盤が弱いところは運動体がカバーしてきたという側面があるが,自治がまだ育ってない。運動が弱い。NPOが運動体に変わってやっていけるのか。

2 男性 行政

  部落差別により教育や就職の機会が奪われるということがどの程度今あるのか。そうした実態は今は全く無いと考える。必ずしも所得が少ないからといって高い教育が受けられないということにはならない。また部落差別の結果教育が受けられないといったこともない。奨学金制度が終わったが,一般施策に移行するのは不可能である。親の所得が少ないから進学できなかったという人は減った。(1点は所得が上がったから,1点は行く気がないから)部落内にも勝ち組負け組がある。各層の視点に立つ必要がある。部落自体が教育を生み出す力に乏しい。

 部落の子どもは安易に親が公務員だからと公務員の道を選んではいないか。将来展望が持てない。

3 女性 中学校PTA

  午前中の全体集会においても中学退学や携帯電話の話があった,現実に部落の実態がそうであるのか。コンサートも暗かった。もっと明るい雰囲気があっても良いのでは。小中学校での同和懇談会の話であるが,同和と言うだけで親は帰ってしまう。広く人権問題を捉えることが必要では。参加して良かった,夢を持てるような集会にしてほしい。

4 男性 行政

  教育の問題は,退学者が多いことである。友達が教育を受ける人が少ない。進学者が少ない。中途退職者が多い。部落差別だけでなく,その中に入った部落の人の心の問題として捉えるべきではないか。

5 男性 行政

  同和問題も他の人権問題も同じである。自分自身に関わりのあることであれば関心を持つようになる。いかに自分自身のことと捉え,考え,携わっていくかということにかかっていると思う。法期限後3年間過ぎたが,以前とそう変わらないと思う。今現在の親層は,共働きで公務員というのが多いので,子どもたちは安泰である。しかし,30年後を考えるとその子どもたちが今のような生活を送れるのかどうか懸念する。

6 男性 教員

  22年間同和校で勤務してきた。ここ5〜6年は目に見えるあからさまな差別は減ってきていると思う。子どもたちの悲壮感もなくなっている。今は,誰ももうそのことには触れてくれるなという感じである。そういう事を気にしなくても暮らしていける時代になったのでは。

7 男性 行政

  どこまで関わるのかということであるが,仕事上でもいろんな話が入ってくる。そうした時に如何に対処するのか。また世間でも人を傷つけるようなことがいろいろ起こっているような状況の中で,一体何をなすべきか。こうした研修はそうした際の対処にも役立つと思い参加している。職場研修では,いろんな事が言えるような研修にしたいと思っている。小中学校時代に,無償で教科書をもらっていた。そうした解放運動の中でできたことを積極的に説明すべきである。

8 男性 大学生

  こうした事を考える機会は,一般の大学生にはほとんどないと思う。一般の人にももっと知らせ,開かれた集会にすべきである。例えば,この集会を大学の授業としても良いのではないか。自分に関わりのある問題であるか否かによって差がでると思う。子どもの中にある知識を正しいものへと導いていくのが教師の仕事であると思う。

9 男性 行政

  部落問題が暗いのは分かりにくいからだと思う。むずかしく言うから通じなくなる。人にわかる自分の言葉で語ればおもしろく,明るくなる。部落の人は一生部落問題に関わっていくと言うが,本当にそうであるのか。どの程度の重さをその時々に持つのかという事を伝えなければなない。

 誰が部落民かという事が一番わからない。元京都精華大学長 柴谷篤弘氏によれば3〜4千万人の人が部落民の祖先に繋がるという。部落に住んでいる人のみが部落民であるのか,部落差別の対象である部落民とは誰なのか,わからない。

10           男性 行政OB

 公務員時代,ゼッケンをつけられた集会へ行ったが,異様な雰囲気であった。また,各支部へ交渉に行った。京都市集会も当時は歴史の話や差別はダメですよといった内容で面白くなかった。PTAの方が言っていた同和研修には誰も参加しないということであるが,自分と関わりがないというだけであろうか。同和はこわい,部落問題に触れると何かやっかいなことにならないかという思いがあるのではないか。

 いつまで関わるのかということであるが,行政を退職後,差別問題は一切聞いたことがない。しかし年に1回程度こうした集会に参加しないと自身が人権呆けしないかという心配がある。最近の色々な社会問題を見るにつけ,ずっと関わりを持って生きていくだろうと思う。  京都市集会も人権研究京都市集会と名称を変えれば参加者が増えるのではないか。

11           男性 行政

 解放運動をしている人や在日外国人等知り合いになり,付き合いをしていく中で,部落問題や在日問題がわっかってくる。人間関係の広がり,つながりができれば他人事ではなくなる。かつては,誰が見ても明らかに差別ということがあったが,今は,そうしたことはなくなってきている。私自身が関わった30年前から見ると前進したと言える。

12           男性 教員

 毎年参加している。10年間堂々巡りのようであるが,話の中身は変わってきている。解放動動はなくなってもいいのではと思っている。いつまでも運動が続くことはいいのか。運動が行政を動かす。我々の目も同和地区の人はこうだという見方になってしまう。人権問題は,全てがこうだという見方は正しくない。一人ひとりの人権が大切にされ,一人ひとりがどう輝いていくのかという社会になることを望む。 

       少人数参加の分科会であったが,多くの方々からの意見が出されました。複数年この分科会に参加された方からの意見。初めて本集会に参加されて発言された方。それぞれの意見が新鮮で,また意表を突くような指摘もあり大変有意義であった。

  はじめて参加されたPTAの方からは,「部落」「同和」という言葉や会合に対しての暗い イメージが,自分の周りに蔓延しているという意見は,的を得ていると感じました。 とりわけ,はじめて参加された方からの意見は,どきっとすることもありますが,あなが ちこの問題に対しての素直な意見であり,市民集会としての意義を感じる貴重な意見であり ます。分科会運営や本集会に携わっている者としては,その意見に対しては真摯に受け止め なければいけません。

 文字どおり,話せる,聞かせる「場」を作れたことは良いことである反面,その議論をど う展開していくかが課題として残った。

課題は課題として,次の分科会運営に生かしていきたいと考えています。

                                 (文責:松田國広) 

 

 

  

 

 

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