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第51回人権交流京都市研究集会

第2分科会

 さまざまな人権課題

障害当事者の現状と法制定

 

 2号館2302教室

コーディネーター  

宮崎 茂(部落解放同盟京都市協議会議長)

 

パネラー

阪本 一郎(京都市保健福祉局障害保健福祉推進室企画課長) 

粟津 浩一(きょうされん京都支部支部長)         

 

分科会責任者  谷口 眞一(部落解放同盟京都市協議会)

 

 

 今回この分科会を担当します、宮崎です。2016年に人権3法ができて、障害者差別解消法もその一つとして成立しました。昨年はアイヌに係る法律もできましたが、それぞれ個別法ということで専門性もあり、学習も必要です。今回、障害者差別解消法をめぐっては、成立以前にたゆまぬ努力があり、京都市では2014年から条例ができて、法制定に先駆けた取り組みもされてきました。

 また、障害者といっても一つにくくることのできない障害種別があります。大きくは知的障害、身体障碍、精神障害と3つの障害があるわけですが、それぞれの障害において団体がありバラバラの活動でした。また、当事者の活動がなかなかできない知的障害の場合は、親の会というのがつくられました。そこをまとめてくださった、「きょうされん」の粟津さんを招いてお話を伺います。

 もう一つは、法律に基づいて地域支援協議会というのが立ち上がっています。これは、障害当事者の側から差別の実態を報告、訴える先の機関としてあり、その担当をされている京都市保健福祉局障害保健福祉推進室企画課より阪本課長から障害者差別解消法について説明をいただこうと考えています。

 

阪本:差別解消事業の推進についてお話します。京都市では、平成281月に対応要領を策定しています。対応要領とは、障害者差別解消法で、地方公共団体における策定を努力義務とされているもので、「不当な差別的取り扱いの禁止」や「合理的配慮の提供」について適切に対応するため、具体例を盛り込んで策定するものです。その特色としては、交通局や水道局などの地方公営企業及び市設立の地方独立行政法人も含めた全庁を対象としたこと。職員の指針としてだけでなく、組織的に各局区としての取り組みの指針と位置付けたこと。3つ目は法第5条の環境整備について独立した項目を設け、「みやこユニバーサルデザイン」を推進していること。4点目は関係団体へのヒアリング、障害者及び家族の意見を多く反映したことです。

 また平成28年から30年にかけて障害をテーマとした研修が661件、28,983名への研修がおこなわれています。

 次に相談体制と障害者差別解消支援地域協議会について。まず、相談窓口は京都市の事務事業においてはそれぞれの所管課が対応することとしていて、わざわざ特別な窓口を設置しなくても、それぞれの事業所で受けられる体制となっています。民間業者に対する相談は、京都府が調整窓口となり、必要に応じて府と市が連携して啓発をおこなうこととしています。また、法第17条では、相談及び相談事例を踏まえた差別の解消に向けた取り組みを効果的かつ円滑に行うため「障害者差別解消支援地域協議会」を設置することができるとされていて、京都市では、「京都市障害者自立支援協議会 権利擁護部会」にその機能を付加しています。協議会では情報共有のうえ、課題解決に向けた意見交換を行い、意見や好事例と対応のポイント等をまとめ、各局区にフィードバックしています。年に2~3回の開催実績となっています。

 相談対応事例からは、障害の多様性個別性について学ぶ、外見からはわからない障害者の社会的障壁に思いを致す、障害者が参加しにくい環境(会場)での工夫についてなどが協議されました。解決まで多少時間がかかった事例もありますが、権利擁護部会に報告し、意見をもらい相談者を交えた協議を行いました。バリアーはいくつもあり、一気になくすことはむずかしいが、できないことが当たり前ではなく、障害がある方が参加することが当たり前になるようにしっかりと考えていくことが大事。例えば京都市内にある公園のバリアフリー状況について、P型車止めにより電動車いすが入れないが、入れるようにしてほしいという相談では、次年度の再整備をおこなう公園について90pの幅員を確保することとしました。ただ現状を非難するのではなく建設的な解決を導けるよう、また、相談者に寄り添った解決をみつけていくことが大切だと思います。

 環境の整備については、ユニバーサルデザインの推進に準じた考え方により、合理的配慮を的確に行うため、ヘルプマークの普及啓発や、ヒアリングループの設置、「分かりやすく伝えるため」の手引きを作成するなど解決に向けた対応が協議されました。

 5番目として市民、事業者への啓発活動を上げています。啓発リーフレットの作成、活用です。京都市の窓口・関連施設での配置。関連団体等への配布を7万部配布しています。また、啓発ポスターの作成・各種メディアの活用、講座の開催・講師派遣等、理解を広める活動をしています。最後にこれからのこと、ということで、人権に関する市民意識調査の結果を載せています。これは平成30年度に文化市民局で行った調査ですがその中で、認知度ですが、障害者差別解消法について知っている人は約6割という結果になっています。この数字は非常に高い数字だと認識しています。他の設問もあり、施設の管理者が耳の不自由な人の安全確保のため耳の聞こえる人の付き添いを条件とするのは差別に当たるかと言う質問がありました。そう思う、どちらかと言えばそう思う、という回答割合はさほど伸びず、解消法の中身まで踏み込んで周知する必要も感じています。(条件を課すことは過剰な義務付けとなるということに思い至ってほしい)。言葉としての認知度は上がっていますが、今後は内容の浸透が必要だと思っています。

 最後に障害者差別解消法の見直しについてです。国の方で法施行3年後の見直しの議論が現在進められております。ここでは国の方で議論している4点について紹介します。1差別の定義・概念をより明確化することについて、どう考えるか。2 事業者による合理的配慮の提供は努力義務とされているが、その義務化も含め、事業者の取り組みを促すための方策についてどう考えるか 3 相談・紛争解決体制について個別事例の把握に資するとともに、差別解消を効果的に推進する体制の在り方をどう考えるか 4 障害者差別解消支援地域協議会の設置を促進するとともに、活性化を図るための方策についてどう考えるか。私たちは障害当事者の方々が、法律はできたがまだまだ差別は解消されていないと感じていると思っています。取り組みは端緒に就いたところであり、建設的な対話を通して、相互理解を深めることが大事。何が差別にあたるかということも、社会の状況や技術によって条件は変わってくるかもしれない。線引きをきちっとするという必要もなく、障害者が生活において何を困っているのかを把握して、寄り添い、いったん受け止めて何ができるかを考える。事例を積み重ね、次に生かしていきたい。

 

宮崎:ありがとうございました。対応要領についての話がありましたが、京都府内の自治体においても実はまだまだ作られていないところもあり、市町村により、あるいは対応した職員により差別と受け止めるかどうか統一されていないと言う問題があります。また、この人権3法については、特に例えば、部落差別について、またあらたな同和対策がされるのかと言われるのですが、全くそうではありません。今、話を聞いてもらったように、障害当事者に何かをしてあげるという法律ではなく、健常者の側に対してこれが差別ですよ、差別をしてはいけませんよ、という法律なのです。

 では次に粟津さん、お願いします。

 

粟津:宮崎さんが京都市の障害の仕事をしていたときに私もきょうされんの仕事をしていましたので、声をかけていただきました。障害者差別解消法の話ということですが、私は、条例作成に係りましたのでそのときの、苦労話や経過をお話ししたい。

「きょうされん」は、もともとは共同作業所の連絡会です。障害を持つ人が18歳を超えて社会に出ていくとき、なかなか通う先の数も限られているということで、親御さんも含めてそういった場所をつくりました。共同作業所は40数年前に全国ででき、京都にもできました。私はもともとは学校の先生になろうとして、教育免許をもっていました。そのときにライトハウスの講師をしないかと誘いがありました。私はもともと理科系だったのですが、何ができるだろうと思いながら勤務しました。そして18歳をすぎてからの通所場所として千本北大路の作業所の立ち上げを手伝ってくれということでも関わりました。当時は無認可の共同作業所ということで、全国最大6000か所くらいそういう場所があったということで、突然増えたんですが、実はその前の時代を振り返りますと、本来義務教育ですから、どんな子どもたちも地域の学校に通う権利はあるわけですが、当時障害の重い人たちは、環境整備もなければ設備もないなか、通うことのできない時代が本当に長く続いていて、昭和54年になってはじめて、国の方でどんなに重い障害があっても学校に通えますよということで、養護学校ができたり、地域の学校に条件がそろえば通うようになりました。しかし学校を卒業する18歳になると社会に出ると言っても行き先がない。もちろん大学などありますが、ほとんどは家にもどって、家族と暮らすということが続く中で作業所がつくられた。京都でもたくさん作られて、今は社会福祉法人として事業をしています。

 障害者権利条約というのを日本も2014年に批准して、人権にかかわる条約というのは全体で32あるそうなのですが、日本はその中で14しか批准していない、その中の一つが障害者権利条約でした。その中に、差別禁止という1項目がしっかり描かれている。国連では2006年にできて2008年から発行して、世界では181か国が批准しています。日本もやっと2014年に批准しましたが、条約と言うのは国の約束ですから、日本で言えば憲法が1番上の法律であり、その下に様々な法律がありますが、条約は憲法の下にあり法律の上にありますから、条約に即した法制定をしなければならないということで、障害者に関しても様々ン法律がつくられたり、改正されたりしています。条約では差別禁止が盛り込まれているのですが、実は2006年当時日本政府は、現状でともかく条約を結ぼうかという動きがあったんです。そこを障害者団体が、拙速に結ぶのではなくしっかりとした法律を策定してから条約をするべきだと運動をしたんです。そこで、基本法がかわったり、差別解消法ができたりしました。

 京都では「障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会」をつくって、国の法制定はあるのですが、地域ごとに実効性のある有効なものとするために、各自治体ごとに条例を制定していこうという動きが全国的にすすみました。10年前ですので、権利条約はまだ批准されていませんでした。京都の障害者団体として障害者権利条約の批准をめざし、かつ完全実施しようということです。資料(注)にある一覧表ですが、大きな団体から小さな団体まで、我々が知る限りの京都の障害者団体に呼びかけました。また、身体障害、知的障害、精神障害、発達障害、内部障害や、難病等、生きづらさを抱えている人たち、さまざまなところに声をかけました。実行委員長は竹下義樹という全盲の弁護士の方です。これだけの団体が集まること自体大変なことですが、一度にテーブルにつくことは障害者運動が始まって以来のことでした。それぞれが老舗の団体です。日本の障害者運動、はじまりは身体障害、もっと言えば、戦後の傷痍軍人ですね。もう一方は、知的障害の人たちは、本人たちが明確に意思表示をしにくい人たちがたくさんいますので、なかなか当事者というよりも親の会が中心です。身体障害(視覚、聴覚、四肢等)の人たちも互いのつながりを持つことが難しい。知的障害の人を差別することもあったということで、まとまることはなかった。しかし、権利条約を実現することを目指す中で、障害者同士がいがみ合っていてどうするのか、一緒に考えていこうというのがはじまりでした。目的を京都府に対して、条例を作ることとして、障害当事者が主体となって社会を変えていくということです。知的障害の人たちは、社会に迷惑をかけてはいけないといった、何か引け目のある位置づけでしたが、しかし、権利条約では、障害者があたりまえに生きていけるために社会が変わるということで、私たちの価値観も変えていかなければなりませんでした。

 様々な困難のなかで、行政へ要望活動をおこなってきていました。その中でも経済的な困難と言うのが一番の課題であり、自分たちで集まって行政に要望するのが精いっぱいですので、自分たちの困難さ以外の障害の困難さに思いをいたすことが難しかったのです。それが、同じテーブルについて、世界水準の権利、そして、自分たちの権利だけではなく、障害のある人もない人も同じ人として、生きることのできる社会をめざすことが、大きなスローガンでした。

 合理的配慮というのが権利条約にうたわれていますが、それぞれの障害の配慮を全体として満たすことのむずかしさもありました。お互いの配慮の仕方にも初めて気づき、まずはお互いの障害を知ろうという機会になりました。障害当事者同士が、気づき合うことが多かったです。視覚障害の方と聴覚障害の方が同時にコミュニケーションを取ることが不可能ですし、知的障害の方が長時間人の話を聞き続けることの困難などです。

 京都府で条例をつくると決まった時に、それぞれの障害の特性や要望があるので、委員会の構成もそれぞれの障害当事者が委員となるよう、構成員の半数以上が障害当事者となり、知識人だけでなく一般市民も入ってもらおうということになりました。京都独自の中身として、対象となる民間企業も、労働組合や商工会議所の方々も入っていただく中で、率直な意見交換をしていきました。十数回の会議をして、取りまとめ、やっと条例として国に先駆けてつくりました。様々な声をたくさんあつめようということで、府内各地でフォーラムを開催、舞鶴、亀岡等、地元から800くらいの要望項目をまとめました。どうしても障害当事者が中心となるので、一般市民にプロレスも含めて入ってもらえたらよかった。一般市民からすると、障害者問題は特別なものとなる、ヘイトスピーチにもありましたが、多数派と少数派の問題とも重なり、あくまでも障害者はマイノリティですので、関係性の理解も必要です。例えば、私の体験でもありますが、私は手話通訳ができないのですが、ある聴覚障害の方々の集まりに行ったときには当事者全員がお互い手話で話をしている中、私だけが手話を理解しない、そのなかでは私自身が少数者であるという体験もしました。

 とりわけ、子どもたちの障害者への理解を広げることが重要で、共同作業をすると、子どもたちは率直に、純粋に興味をもち、素直に質問をしたりします。

 障害があることは、様々な生きづらさがありますが、それを障害当事者の方々の努力で解消していくのではなく、社会の側が変わることによって、当事者の生きづらさを解消していこうと言うのがこの法律の趣旨なので、様々な差別にしても、共通して考えていける。

 今、大きなテーマとなっているのは、複合差別です。障害当事者であり女性である。障害当事者であり、国籍が違う。差別の要因とるものを複数持っている方の困難さもしっかりと条例に入れていかなければならない。多様性という概念のもと理解していかなければならない。どうすれば、広がっていけるか考えますが、多くの人に人生のどこかの段階でも気づいてもらえるように、取り組んでいきたいと思います。

 社会がいろいろ進歩してきているのは事実ですが、運動内部においても高齢化がすすんでいます。会員が減っていることもありますが、他の課題とも連携して今後も取り組んでいきたいと思います。

 

宮崎:これほど多様な障害者団体を一堂にまとめたというのは、本当に大変なことだったと思います。親の会の立場とすると、親なき後の子どもの問題は切実であったというのは私も京都市の担当者だったときに、訴えられたことでした。

 阪本:みなさんが質問を考えている間に捕捉したいと思います。個人として困りごとを訴えるのではなく、組織的に対応するために対応要領というのがあります。

 宮崎:私どもが今問題提起しているのは、阪本課長が各市町村の障害担当のレベルや力量で対応要領をつくっているわけですが、では、隣の市町に行ったら違う見解だと。そのようにバラバラでいいのかと、国に対して対応指針を作るべきだと言っています。しかし、国も資料がないので、先ほど阪本課長が出したような事例を自治体からもらって、ガイドラインをつくろうとしています。統一的な内容を提示して、それに沿って市町も要領をつくろうとしている。やはり、僕らもマイノリティですが、少数者と言うのは声を出していかないと、大多数に声は届きません。

 会場A:今日は人権というテーマで集会を持っていると思います。少し言葉は違いますが、体罰や、虐待、パワハラ、セクハラ、という関係性によって生じる事象もあります。今裁判になっている、やまゆり園での障害者殺傷事件では植松被告が障害者は人間ではないというようなことを言っている。さらにインターネットでの書き込みなどを見ると、賛同するような主張がたくさんあって、社会的に役立たないなどと言う意見が、匿名性においてなされる。我々障害者運動をやっている中にはそういう意見はないですが、一般市民のなかには確固たる差別意識がまだまだあるのかと思っている。何かできることはないのかと考えている。

 

宮崎:今の発言を受けて、グループホームという在り方を想起しますが、粟津さんのところでもやっていると思いますので、親御さんの助けになることとして、コーディネートの中身について教えてください。

 粟津:やまゆり園のような入所施設は親御さんからすると安心ではありますが、閉じた場所に24時間365日過ごすことが人間らしい暮らしなのかと言えるかと言うと、やはりそうではないんですね。だから、うちのグループホーム(今後GHと略す)は9人ですが、昼間は作業所に通い、夜はグループホームに帰り、土日はまた家族の元に行くという生活を送っています。

 宮崎:京都市にとってもグループホームは必要な施設として把握されていますか?

 阪本:GHはこれからニーズが高まっていくと思います。今、親御さんの団体が言われるのは、「親業の卒業」です。子どもが育っていったら当然、子離れ親離れしていくわけですね。それが、子どもに障害があると、ずっと親としてかかわっていかなければならない。しかし、子どもが自立、あるいは自立が難しければGHという集団生活という場が有効ではないかと思います。もっともっと増やして、そのために事業補助の制度もつくって、参入を促していきたいと思います。

 粟津:大きな問題で、うちの親御さんも、よく言われるのは、この子より一日でも長く生きたい、ということです。それは切ない話で、社会が支えていかなければならない。

 宮崎:私の経験でもその言葉が大きかったです。普通親であれば、子どもに自分よりも長く生きてもらいたいと願うものですが、現実問題として子どもを看取ってから自分が死にたいと言う。これが今の障害者問題のひずみとしてあると思います。市内の部落の改良住宅が、ちょうど50年、60年近くたって建て替えの時期にきている。それを契機に、「福祉で人権のまちづくり」と言っていますが、そこにGHを持っていこうと提案しています。

 

伊藤:お話をうかがって、考えをめぐらしますが、障害を持った方が、見えない存在にされるということがよくない。今日の午前中の映画にもありましたが、困難を抱えた子どもも一緒に学ぶことで、回りが変わっていき、回りが変わることによって、本人のしんどさが軽減されていくという在り方をめざしたい。いろんなマイノリティも含めた共生社会というのを実現していけたらいいと思います。いろいろな立場や、困難、障害にも様々あり、それらを知るというためにはやはり、教育が必要だと考えますが、教育という領域ではどのような取り組みがなされていますか。

 粟津:障害の種類にもよりますが、私共のGHで暮らす障害者も例えば町内会で役に就くとか、地域の人とかかわりを持って、コミュニティの中で一緒に役割分担していくことが大切で、地域の方にも理解される。障害のある人が特別であり、特別なことをしてもらいたいと、そういうことではなく、お互いに係るということが大事だと思います。

 宮崎:私の経験でも、施設ができるというので、地域での説明会を開催すると、はじめから反対の意見表明をするために参加している住民は、マイナスイメージを吹き込むための発言をして、そうした意見は他の住民にもすっと入ってしまうということがあります。しかし、障害もひとつの個性なんだというふうに理解すれば、見方や接し方も変わってくる。最初から門前払いではなく、やはり、障害者問題というのは、関わって、触れあって、はじめて理解できることだと思います。

 阪本:知らないことによっての恐怖心や不安感というのはあります。例えば薬物依存の方のGHへの反対や偏見もありました。犯罪をおかし、刑期を終えて出所した方々に対する目線などもあります。これらは時間をかけて理解を得ていかなければならない。今回、新型コロナウイルスに対しても、知らないことによって対応を誤るということがあると思います。感染症にかかった人たちへも、単に排除すればいいんだとならないように、私たちも試されています。

 宮崎:これで、ほぼ終わっていいきますが、「障害当事者の現状と法制定」ということで話をしていきましたが、国が策定した人権の個別法はどれも、理念法であり具体的な規定はありません。そこで、私たちは最終的には差別を禁止する法律、また差別を受けた人への救済法、この二つを条約に基づいて求めていきたい。当面私たちが考えていることは、理念法ではあっても法律ができることで、やはり社会は変わりました。法は人の心を動かし、法は人の態度を変え、法は社会を変えていくと言われていますので、理念法であっても、具体的に差別をなくす方向として、自治体へは条例制定という方向として今後も求めていきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

(注)資料

 

【障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会 参画団体名簿】

実行委員長 竹下義樹(弁護士)

京都障害児者親の会協議会

京都ダウン症児を育てる親の会ト ラ イ ア ン グ ル

京都市生活介護等事業(障害者ディサービス)連絡協議会

京都障害児者の生活と権利を守る連絡会

京都精神保健福祉士協会

京都精神保健福祉施設協議会

京都知的障害者福祉施設協議会

京都聴覚言語障害者の豊かな暮らしを築くネットワーク

京都府自閉症協会

京都ユーザーネットワーク

財団法人 関西盲導犬協会

(社福)京都府社会福祉協議会

(社福)京都市社会福祉協議会

京都府障害者厚生施設協議会

京都府身体障害者団体連合会

社団法人 京都市身体障害者団体連合会

社団法人 京都社会福祉士会

社団法人 京都精神保健福祉推進家族会連合会

社団法人 京都手をつなぐ育成会

社団法人 京都府視覚障害者協会

社団法人 京都府聴覚障害者協会

社団法人 京都ボランティア協会

障害者防災会議

社団法人 日本てんかん協会京都支部

NPO法人 京都市肢体障害者協会

NPO法人 スリーピース

NPO法人 京都頸髄損傷者連絡会

日本自立生活センター

特定非営利活動法人 京都難病団体連絡協議会

ピープルファースト京都

NPO法人 I&I

作業所・憩いの場つぶすな全国連絡会

京都中途障害者の会

きょうされん京都支部

ほっとハウス

京都インクルーシブ教育を考える会

京都肢体障害者友愛会

京都手話通訳問題研究会

 

 

 

 

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