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第42回人権交流京都市研究集会
多文化共生の内実をうめるまちづくり 京都市内には4万1295人の外国籍住民が暮らしており、その国籍は100カ国以上にのぼる(2009年12月末)。京都市においても2008年に『京都市国際化推進プラン』がまとめられ、外国籍住民が暮らしやすく、活躍できるような京都市が目指されている。しかし、実際のところそれぞれの地域は「多文化共生のまち」にどこまで近づけているのだろうか。 第2分科会では、京都市でもっとも外国籍住民が多い地域である東九条においてまちづくりに取り組んできた方々を中心に多文化共生の内実をどのようにうめているのか、これまでの実践の経緯や今後の課題などについてご報告いただいた。 基調報告 「多文化共生のまちづくり〜東九条マダンに託す願い〜」 最初に、京都・東九条CANフォーラム代表であり、前東九条マダン実行委員長である朴実さんに東九条について説明いただいた。JR京都駅の南側に位置する東九条地域は、京都で最も在日朝鮮人が多く住む地域である。特に、鴨川に近い地域の東側は在日の割合が高く、東松ノ木町は61.9%である。この地域に在日朝鮮人が住むようになったのは1920年代からで、植民地時代祖国を追われた朝鮮人が職を求めこの地に移り住んだ。1965年には人口が3万人を超えたが、その後人口流出が続き、現在は当時の約1/2の人口になっている。韓国・朝鮮籍者も日本籍への移行により減少傾向にあるが、日本籍者を加えると、約3割が在日コリアンという状況は変わらない。 1960年代から1980年代まで、劣悪な住環境のために大火災にたびたび見舞われ、多くの犠牲者が出た。1990年代半ばより市営住宅が建設され住環境は良くなった反面、以前の風景やコミュニティはなくなった。 東九条では1993年から11月3日に民族の共生・交流のまつり「東九条マダン」が盛大に行われている。ここでいう東九条は単なる地域名ではなく、日本の朝鮮植民地支配の結果としての在日朝鮮人、高度経済成長期に排除された被差別部落民、農漁村からの出稼ぎ労働者、障がい者、独居高齢者、近代日本社会の低賃金労働力としての外国人労働者等々、現代日本社会の矛盾の象徴である。マダンは民衆のまつりであり、共生と交流のまつりである。このまつりは内外の住民たちの手によって自主的に進められ、京都市全体から大勢の市民が来場する。 しかし、行政としての全体のまちづくりとしては住環境改善が中心であり、それ以外の課題に対する対応ができていない。町の活気であったり、教育問題、なかでも2012年4月に陶化・東和・山王小と陶化中が統廃合され「凌風小中学校」として開校されるにあたって陶化小、山王小の民族学級(コリア民族教室)がどうなるのかという点は若い世代の民族的アイデンティティの保持に関わる大問題である。 これらの問題に対して、2009年に東九条で活躍する様々な市民運動・団体のネットワークを目指してCAN(Community
Action Network)フォーラムが結成されている。今後はネットワークだけでなく、多文化共生のまちづくりの活動の拠点となる東九条にチャンゴが叩ける「多文化共生活動センター(仮称)」設立が必要だと提案がなされた。 報告1 「多文化共生保育の現場から」 金 光敏さん(希望の家カトリック保育園・保育士) 次に様々な立場で多文化共生のまちづくりに関わっている4人に報告いただいた。 金光敏さんが働く保育園の母体になっている「希望の家」は戦後、京都駅裏周辺にバラックが立ち並ぶ中、1959年デフリー神父によって東九条に暮らす子どもたちに勉強や遊ぶ場を提供する場として誕生し、「希望の家カトリック保育園」は1967年に設立された。 保育園で多文化共生保育に取り組むきっかけになったのは崔園長が就任した1980年に起こった出来事である。卒園児が公園で在園児に「朝鮮人 殺したる」とオモチャのピストルをむけたのだ。そのことが契機となり、「人権意識に目覚めた保育」「地域に根差した保育」を柱とする「保育園基本方針」が明文化される。在日コリアンが多く在園することから、ハングルでの挨拶や歌、給食でのピビンパやチジミが取り入れられ、「共に生きる喜び」を保育の中で実践されている。 2002年からは「多文化共生保育」を対外的に掲げ、京都YWCA・APTと連携する中、毎年様々な国の方に関わってもらっている。タイ、フイリピン、中国、ロシア、インドネシア、フィンランド出身の方々が、月2回1年または2年間継続して、自身の国の遊びや歌、料理などを紹介したり、子どもたちと一緒に遊んだりし、園児と触れ合っている。 多文化共生保育を通して、自分がありのままでいれて、相手のありのままを受け入れることが、子どもたちの感性の中で育っている。違う民族や国の人があたりまえにいて、子どもどうしも民族名で呼び合う環境を、子どもたちが自然に受け入れている。多文化のお祭りである「東九条マダン」にも保育園として積極的に関わり、子どもたちや職員が「プンムル」(民族楽器)隊に参加している。卒園児や保護者がマダンでつながり、多くの卒園児、保護者が、それぞれの現場で、ひとりひとりの違いを認め合い尊重する「多文化」の花を咲かせていることに誇りを感じていると金光敏さんの報告は締めくくられた。 報告2 「関わり合おう
〜じぶんから
こころから〜」李 大佑さん(京都市立春日野小学校教員) 李大佑さんは在日2世の父親と日本人の母親の間に生まれた在日3世で、希望の家カトリック保育園の卒園生でもある。現在、常勤講師として京都市立春日野小学校で6年生を担当しており、小学校教員として在日としてどういうことを考えているのかについて報告いただいた。 李さんが大切にしているのは、子どもとの関わりである。授業後に職員室に戻れなくなるくらい、様々な場面で気になる様子の子どもたちに声をかけている。ありとあらゆる関わり合いを続けていく中で、子どもたちのことを理解することができるし、自分のことも理解してもらえる。「知り合い」ではなく、「関わり合い」「触れあい」「学びあい」「助け合い」でないといけない。そして、それが多文化共生の基本的な部分である。 最近は韓流ブームでいい時代になったと言われるが、どこか他人事である。韓流スターが日本でも人気があるが、彼らと関わり合うことはできない。一方通行なので多文化共生にはなりえないし、在日コリアンへの理解にはつながらない。小さい頃「大人になる頃には、韓国人に対する差別なんかなくなっている」と言われた。教員になれば「あんたが校長先生になる頃には、そんなんなくなっている」と言われた。完全に他人事である。自分自身が多文化であるということを内省化し、客観的に見つめる時間を持つ必要性が語られた。 報告3 「モアネットの実践から〜外国人高齢者・障がい者生活支援からみえること」 金 周萬さん(京都市外国人高齢者障がい者生活支援ネットワークモア) 在日高齢者はいま高齢化しており、その文化に基づいた相談および生活支援の必要性が高まっている。これらの課題に取り組んでいる京都市外国人高齢者障がい者生活支援ネットワークモアの金周萬さんからその経過と活動概要について報告がされた。 1980年ごろまで、在日外国人には100を超す国籍条項という制度的差別があった。国民年金の国籍条項は1979年の「国際人権規約の批准」と1982年「難民の地位に関する議定書」等への加入により一部を除いて撤廃され、在日外国人へも国民年金への加入の道が開かれ、1986年には基礎年金制度として制度改革され、在日外国人にも加入が義務付けられた。 しかし、その際救済措置が取られなかったため60歳を超えていた在日外国人と20歳を超えていた障害者たちが制度的無年金者になった。当事者たちは裁判闘争を起こし、憲法14条(法の下の平等)と国際人権規約(内外人平等)を主張した。最高裁まで争われたが結果は「法の下の平等は外国人にも適用されるが外国人を後回しにすることは合理的理由がある」ということだった。 そこで京都市では当事者団体と民族団体と地方自治体との協議に基づき、1994年障がい者、1999年高齢者への特別給付金制度をスタートされた。画期的な制度だったが、実施段階で住所地不在、識字問題、制度理解など特別給付金制度を当事者に知らせることが困難であるという現実の壁にぶち当たった。そこで、2006年8月に京都市の助成事業として、「京都外国人高齢者・障がい者生活支援ネットワーク『モア』」がスタートした。 モアは外国人高齢者・障がい者が福祉サービスを平等に受けられるように、歴史性と特性(文化性)に配慮した「外国人福祉委員」制度を設け、言葉の問題・識字の問題解消
、専門機関へのつなぎ役 、傾聴・エンパワメント、
アドボカシー等の活動を行ってきた。 4年が経過した現在、相談内容の多様化→専門能力の不足
、対応事例の複雑化・長期化→福祉委員の不足
、孤立した方に届いているか→リーチアウトの方法、民生児童委員・老人福祉委員との連携などが課題となっている。これらを克服するために、2010年4月「外国人高齢者障がい者生活支援研究会」を立ち上げ、大学の研究者とNGOが一緒になり、東九条と小栗栖で外国人多住地域高齢者生活実態調査を行っている。この調査では@高齢者をコミュニティで支える仕組みづくり、A日本人と在日コリアン、中国帰国者の特性の可視化、B外国人福祉委員と民生児童委員・老人福祉委員との連携関係の構築などを目的としている。在日コリアンや中国帰国者へのアプローチと同時に、同じ地域に暮らす他の住民も対象としたアプローチがインクルーシブコミュニティ(ひとりの人も排除せず全ての人を包み込む地域の関係)につながるのではないかと期待がよせているとのことだった。 報告4 「京都市国際化推進プラン〜多文化が息づくまちを目指して〜の理念と現状」糟谷 範子さん(京都市国際化推進室) 最後に、京都市国際化推進室室長の糟谷さんから、ご自身の留学体験もふまえた上で京都市の取り組みが紹介された。 京都には約41000人の外国人が在住し、うち60
%が在日コリアン、他地域で増加するペルー・ブラジル人などが少ない特徴がある。また大学関係者が多いが外国人登録者数だけで見えないものもある。例えば中国帰国者や国際結婚の結果などで多様な外国文化をルーツに持つ人が増加している。糟谷さんが留学したボストン市は各国文化をルーツに持つ人々が増加し、文化的アイデンティの保持が図られていた。市内にはチャイナタウンやアイルランド人街・イタリア人街が作られ街の活性化に繋がっていた。アメリカはサラダボウルと言われルーツの違い食べ物の違いで固まり交わらないが、一方でアメリカではルーツを大切にし、文化を守るために努力している。他の文化の存在を知ること、想像することから違う文化も理解できる。京都にある国宝、建物、祇園祭りなどの凄さとは長い時間守り育ててきたことにある。東九条マダンも祭りを続け支えるエネルギー、文化を守るパワーは凄い。京都活性化の観点から大事なキーワードになる。 京都市は1998年に外国籍市民施策懇話会を発足させた。医療通訳派遣、行政相談の言語問題などで成果がある一方、残った課題を検討した結果、地域で多文化交流が進んでいないこと、専門知識含め情報提供の不十分さなどが明らかになった。2010年度には外国籍市民のみではなく外国にルーツを持つ人も対象にした多文化交流市民懇話会を立ち上げた。国際化推進プランは全体で215項目中209項目が着手されているが、これからは内容が問われる。また京都市基本計画の中でも地域と行政が共通の目標を持つこと、国際交流会館でのネットワーク作りや国際感覚持つ人材育成などが目標とされている。多文化共生社会の実現は交流と教育・学習から。多文化共生をまちの活性化に繋げていきたいという抱負が語られた。 まとめにかえて〜多様な市民によるまちづくりの支援を 分科会では、法律や地域における差別が存在する一方、文化的アイデンティティを大切にした育ちや生活を支えようとする力強い実践が京都の中で育ってきていることが共通して語られた。しかし、アイデンティティや生活のスタイルはステレオタイプなものではない。また、李さんが指摘したようにセクシャルマイノリティを多文化の中に位置づけることも必要だろう。一人ひとりの経験や思いに根付いた多様な実践が更に生まれること、そして今後、既存策に加えて多様な市民の力を重層的に支援する支援環境が整えられることが求められている。
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