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第55回人権交流京都市研究集会

  第 55回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

 

 この1年間で私たちが目にし、耳にしたニュースには、「人権」の名の下に目標とし、理念として受け入れていた価値観をことごとく覆すものが多くあり、私たちの社会の脆弱性に気づかされる1年でした。第2次世界大戦への反省と教訓から設立された国際連合とそこで1948年に発せられた「世界人権宣言」は、世界共通の普遍的な指標としてあったはずです。しかし、現実に勃発している戦闘や紛争に対して、拒否権を発動できる大国(常任理事国)の政治的対立により、実力行使して停戦を実現する力はもとより、停戦を求める意思表示の決議さえも成立しない現状を見せつけられました。それと同時に、国連という舞台においてさえ、今まさに失われつつある多くの命を救うための対話による歩み寄りよりも、自国の利益を尊重する政治的な思惑が優先される現実を認識させられたのです。

 2022年2月に勃発したロシアによるウクライナへの侵略では、NATOを中心とした西側諸国が一斉に反発し、経済制裁によりロシアを疲弊させると同時に、アメリカを中心としたウクライナへの軍事支援を継続してきましたが、戦闘は長引くばかりで、その終結への道筋は誰も見つけることができません。その間にも、ロシア反体制派の調査・計算を根拠とするとロシア側の死者数は5万人と推測され、ウクライナ側の喪失(戦死者、重傷者)はおそらく20万人を超えます。ロシア側により膨大に埋め込まれた地雷を無謀に突破する作戦により手足を失ったウクライナ兵は数万人とされ「すでに民族の再生産が妨げられるほどの犠牲」です。武器だけが着実に消費され、軍需産業が潤っていく世界です。安易な正義論により、さらなる人命を失うことは許されません。停戦に向けた道筋を真剣に模索するべきです。

 ウクライナに世界中の耳目が集中している間にも、南コーカサスではカラバフをめぐる戦争が続き、ポピュリズム政権が台頭するなど、多くの国やそこに生きる人々が苦しみ、疲弊し、見捨てられるのではないかという焦りを募らせてきました。一方、中東でも、パレスチナの人々の怒りや焦燥は頂点に達しようとしていました。巨大な軍事力を持つアメリカを後ろ盾とすることで、中東屈指の最先端軍備を備えるイスラエルの建国以来、75年の長きにわたって占領され、住居を追われ、農園を焼かれ、それこそ度重なる国連決議にも救われることがなかったからです。

 イスラエルによるパレスチナへの支配と監視の日常は壮絶です。パレスチナはヨルダン川西岸とガザ地区に分けられつつ、壁に覆われ狭小な地域に閉じ込められ、監視のために飛び交うドローンの不気味な音が鳴りやまず、チェックポイントと呼ばれる検問所を経由せずには移動の自由も認められない状況にあり、高い失業率に希望のない日々を強いられています。特に、ガザ地区は海側を除き全て壁に覆われ、天井のない監獄と呼ばれています。昨年10月7日、ハマスの軍事部門によるガザからのミサイル攻撃と不意を衝く越境により、死者が約1200人、人質が241人という抵抗のための戦闘行為がなされました。イスラエル側はその抵抗を、2001年にアメリカで勃発した9.11テロ行為に見立て、あるいは第2次世界大戦中のホロコーストの犠牲を重ねつつ、徹底的な反撃を表明し、住居や建物のみならず人道的に安全地帯であるべき学校や病院をも爆撃し、民間人(死者の7割が女性と子ども)をすでに2万人を超えて殺傷するという暴挙を継続しています。

 これに対して国連ではグテーレス事務総長が人命尊重を訴えるなど責任を持った発言や主導性を発揮しようとしますが、イスラエルのネタニヤフ首相は耳を貸すことはなく、アメリカもまた再三に渡って停戦決議に対して拒否権を発動し続けました。

 実際にガザ地区で行われている戦闘は、国として衝突し軍隊が対戦するのではなく、人々が住む生活圏を爆撃しています。事前に爆撃を予告していますが、そこに住む多くは、攻撃する手段も力も持たない子どもや女性、病人で、およそ不可能な移動を強制しており、逃げることができない人もいます。その生活圏を攻撃し尽くすという考えられない残虐行為ですが、公然と正当性を主張して、今も継続しているのです。しかし、住民の抵抗として特筆すべきことは、生活圏であるからこそスマートフォンで撮影された現地からの映像が即座に発信され、広く世界中にガザでのジェノサイドが知れ渡ったこと。これにより、様々な国や地域で、殺戮を止めて停戦をと呼びかける集会やデモが繰り広げられたのです。

 イスラエルからの戦闘開始の折にネタニヤフ首相はパレスチナ人を「獣」と呼びました。人間を人間として見ない。この呼称こそが如実にその考えを表しています。世界大戦中にナチスによるユダヤ人への民族浄化を経験した人々が、犠牲者としての立ち位置を絶対化することで、同様の行為を侵略した先の人々に行うこと(行ってきたこと)に対して、世界は冷淡でありすぎたのかもしれません。イスラエルの立場を否定することは自らの侵略性に対して自己批判する行為に通じるからだったのかもしれません。人が人を獣のように扱うこと。それは第2次世界大戦中に日本が敵側を「鬼畜米英」と呼んだこととも通じます。たアメリカ側も長く日本をイエローモンキーと呼び、さらには、時代を超えて日本では、穢多・非人と名付けた被差別民の墓標に「畜」と書き込んだ歴史とも通底する差別意識。「人を人間扱いしない」という考え方が根底にあり、これらの問題点はつながっています。人間が他者をどのように意識し、捉え、関係性を結んできたのかという問いかけと同時に、他者を敵と見立てたり蔑んだりするのではない見方を、どのようにして構築していくのかという問いかけが、改めてなされるべきです。

 

 

 

1.私たちを取り巻く情勢と課題

 

(1)国内情勢と日本の人権状況

 

 国内においては、「人権侵害救済法を作らないこと」を掲げ、「反人権」の立ち位置や特色を表明して憚ることがなかった安倍長期政権が終焉した後も、菅政権、岸田政権と消極姿勢が引き継がれてきましたが、ここへきて当時の強硬姿勢により生じた矛盾や課題が、ほころびとして一気にほどけたかのような現状が散見します。政治資金の裏金問題しかり、統一教会との癒着、選挙法違反、また、公安警察の勇み足による冤罪事件での国賠裁判の敗訴等々をめぐり、岸田政権への支持率も低迷を続けています。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」等で指摘された不正や、文書改ざんの問題は、「知らぬ、存ぜぬ」との官僚の答弁で切り抜け、嘘も言い続ければ本当になるというような姿勢がここへきてやっと、指弾されつつあるようです。

 しかし、戦前から現在に至る根深い問題については、本質的にその課題が解決することなく今に至っています。中でも沖縄における米軍普天間飛行場から名護市辺野古への移設計画に関しては、2023年12月28日、国は新たな区域の埋め立てに必要な設計変更を県に代わって承認する「代執行」を戦後初めて行いました。玉城知事は「国家権力により、知事の権限を一方的に奪うことは、多くの県民の民意を踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするものだ」と批判しました。戦後27年を経て米軍の占領下から日本に復帰した沖縄に、米軍基地の7割が集中する構図がつくられています。戦争中、唯一の地上戦を強いられた沖縄は「本土」の防波堤として犠牲となった歴史があり、それゆえにこそ平和を希求し命は宝であるとする思想が根付いています。その沖縄の人たちの民意は県民投票や選挙などを通じて何度も示されていますが、その都度黙殺されてきました。近年は、ネット上でのヘイトスピーチにより、根拠のない誹謗中傷もすまじく、「金欲しさにゴネているだけ」などという典型的なマイノリティへの侮蔑的言説が政権内でも聞かれると報道されました。まさに戦中から戦後にかけて貫かれている差別的視点が、この基地問題を多くの国民にとって見えないものとして機能してきました。それでも玉城知事が何度も対話を呼びかけるのは、かつて自民党政府内にも橋本、小渕首相時代、また野中官房長官等、戦中を知る世代が何とか沖縄に寄り添い、米軍との関係も変えていこうとする姿勢があった故とされます。現政権が沖縄の人々の暮らしを一切顧みることなく、事務的に冷淡に国家権力を行使する姿は、国と地方自治が対等であるとして機関委任事務を法定受託事務としてきた経緯をも無視し、他の自治体へも最終的に権威を振りかざす要因へと通じています。

 辺野古滑走路の北側に工事途中で発見された軟弱地盤はマヨネーズ状と言われ、設計変更によってどれほどの強度が保てるのか、そのための費用がどれくらいなのか、その費用に見合う施設として十分に機能するのかどうか。沖縄県はもとよりアメリカ側とも、そうした具体的な協議を行うことが政府の責任であり、その過程や結果についての説明は沖縄県だけではなく、全国民に対してなされなければなりません。まるで判を押したように「危険な普天間基地問題を解決する唯一の選択肢」と同じコメントを繰り返す政権に人間的な温かみを感じることはできず、沖縄に対する侮蔑意識はまさにそうした姿勢に見ることができるのです。

 結局、民意をくみ上げ深く対話することにより社会を安全に、より良くしていくということに民主主義の本旨があるはずですが、そうした理解を広め深めていくという規範が失われていくところに、現代社会の危うさがあるのではないでしょうか。

 また昨年は、日本の芸能界に多大な影響力を行使してきた旧ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川元社長が、自宅や合宿所や公演先の宿泊ホテル等において、ジャニーズJr.のメンバーを含む多数の未成年者などに性加害をおこなっていたことが明らかになりました。昨年9月7日に行われた事務所の会見では「加害の認定」と「謝罪」をおこない,あわせて救済や補償の実行が表明されました。被害の実態としては「オーディションに呼ばれた日に性加害を要求されて断ったらジャニーズに入れなかった」「入ったのは良いが苦痛に耐えられずにすぐに辞めてしまった」「芸能界での活躍をエサにスカウトやナンパで声をかけられて被害に遭ってしまった」などの証言があります。

 国連人権理事会「ビジネスと人権」の作業部会による「ジャニーズ性被害者」への聞き取り調査が昨年7月に行われ,この性加害は「人権侵害」に及ぶ非常に深刻な問題であるとの認識が共有され、8月4日の会見で、被害者の救済が必要であることが言及されました。加害側である旧ジャニーズ事務所に対しても、また政府やメディアに対しても、強いメッセージで是正の必要性を発信しています。業界や関係者等がうすうす気づきながら見ないふりをしたこと、あるいは勇気を持って上げられた声を黙殺、放置してきたことに対しても、責任が問われるべきでしょう。

痛ましいことに昨年10月、「当事者の会」に所属していた大阪府内の40代の男性が、山中で亡くなっていた事件がありました。発見場所には遺書があり自殺と判断されました。男性はメディアに性被害を告発後、「うそはすぐバレる」「金が欲しいんだろう」といった誹謗中傷を受け悩んでいたということです。やはり偏見や差別は、人を死に追いやるむごい反社会的な行為なのです。

差別行為を法律で禁止するする必要がありますが、日本では包括的反差別法はありません。また、差別を受けた人々への救済も必要です。現状では、救済のための最終的な機関として裁判所がありますが、裁判にはお金も時間も必要で、被害者側にとってかなりの負担がかかります。被害の立証についても当事者に求められ、相当な精神的な苦痛が伴うことから、裁判へ至るには相当な決断が必要となります。このため差別を受けても泣き寝入りをする人が少なくないのです。この点を補うものとして、独立性と専門性を備えた人権委員会の設置等の必要性があり、こうした国内人権機関の設置は世界の120カ国で達成されています。早急に、包括的反差別の制定や人権委員会の設置が必要です。

 

 

(2)部落差別をなくすために

 

 「全国部落調査」復刻版出版事件裁判の控訴審で昨年6月28日、東京高裁が「差別されない権利」を認める画期的な判決を出しました。この事件の発端は、神奈川県の出版社である示現舎が2016年2月、戦前の調査報告書である「全國部落調査」の復刻版を出版すると告知したことでした。部落解放同盟が仮処分を申し入れ、横浜地裁相模原支部は出版差し止めの決定をおこないました。同年4月、247人と解放同盟が原告となり、示現舎代表らを相手に出版差し止めなどを求めて東京地裁に提訴しました。地裁判決は2021年9月に出ましたが、内容が不十分だったため、双方が控訴していました。その後も示現舎代表は研究と称し、ネットで動画「部落探訪」の公開をつづけています。模倣犯も現れ、全国各地の部落を撮影した動画が公開されています。

 高裁判決では憲法13条と14条を根拠に「差別されない人格的利益」があると認められました。また、差し止め範囲も掲載されている41都府県中の31都府県へと地裁判決から拡大されました。原告側は残りの10県を含めて、すべての差し止めとするよう求めています。双方が上告しており、最高裁で判断されることになりました。

 被告は「行政文書で部落地名が記されている」と主張しました。しかし、判決では「全國部落調査」はもともと非公開文書であるにも関わらず公表しようとしており、行政の作成した文書は差別の解消が目的で、「趣旨、目的」がそもそも違うと指摘し、被告らの行為が悪質であることを示しました。さらに被告らは、「部落の地名を公開することで差別は解消する。公開しないことでかえって差別が温存される。さらに研究の自由を奪うことになる」と正当性を訴えていましたが、高裁は、@公開することで部落差別がなくなる具体的な根拠がない、A公開することで部落差別が広がることは明らか、B差別の被害と比較しても「研究の自由」は比べることができないぐらい小さなもの、と切り捨てました。被告側の主張をことごとく退けた裁判所の判断を見ると、部落差別の本質を理解した判決であることがよくわかります。行政においても、「人権行政」「人権教育」だけでなく「同和行政」「同和教育」は、部落差別をなくすために行うものであると再認識し、正面から積極的に取り組むべきです。

 示現舎の模倣犯は京都市内にも出没し、部落を撮影した動画や写真をネットへ投稿する行為が繰り返されています。特に、京都市内の部落にある市営住宅を執拗に撮影しているのが「昭和チャンネル」と名乗るアカウントです。このアカウントは市営住宅マニアを標榜し、差別をしていないかのように装っていますが、動画の一覧を見ると部落の地名リストとなり極めて悪質です。昨年5月と7月、京都市は京都府と連名で京都地方法務局に対し、京都市営住宅の動画、計15本の削除要請依頼をおこないました。これら動画の削除が必要であることの根拠を示すにあたり、2022年5月に発表された「インターネット上の誹謗中傷をめぐる法的問題に関する有識者検討会」の取りまとめを引用しています。この取りまとめには、インターネット上での差別情報の削除へのプロセスについての考えが示されています。これによると、ネットで部落について語ったり地名を出したりすること自体に違法性はありません。しかし、偏見や差別を助長する情報とあわせることで名誉棄損や侮辱となり違法で、申し出があれば削除する必要性が出てきます。ネット上で部落のことを公開する行為である「識別情報の摘示」についても詳しく示しており、「部落」「同和地区」といった直接的な表現が用いられていなくても「一般の読者の普通の注意と読み方に照らして、同和地区であることを示す情報が含まれていると認められる場合には、識別情報の摘示に該当し得るものと考えられる」とあります。例として「部樂」などと当て字を使うこと、「ある地域に隣保館があることを指摘するもの」などが挙げられています。法務省は「識別情報の摘示」を削除するべき情報とした見解を示しています。国内事業者はこの判断に則った運営をおこなっていますが、海外事業者は部落差別への理解が十分とは言えず、対応に遅れがあります。「昭和チャンネル」の動画があるのはYouTubeで、部落差別への知識が乏しく、社会的な問題との認識ができていません。

 部落解放同盟京都府連合会のホームページに差別・脅迫メッセージを送った人物が昨年9月に逮捕されました。この人物は神戸市の30代の男性で、5年前に不起訴とはなったものの、兵庫県連にも差別・脅迫メールを送っていた人物でした。京都府連のほかにも、兵庫県の金融機関などに同様のメールを送っていたこと、4年前に逮捕されて執行猶予付き判決が出ていたこともわかりました。12月、犯人に対して威力業務妨害の罪で懲役1年8か月の実刑判決が出ています。5年前の事件で兵庫県連は、犯人からの聞き取りをおこないました。犯人は部落に関する具体的な知識はなく、インターネットの間違った情報を鵜吞みにして部落へのマイナスイメージを抱き、差別・脅迫メールを送っていたことが判明しています。

 全国の動きと京都市での実例をみて明らかなように、ネットでの部落差別を解消する地道な運動が各地で繰り広げられています。問題の解決にはまだ至っていませんが、歩みを止めることなく、粘り強い取り組みが必要です。そしてネットでの差別の極めて深刻な課題が、子どもたちへの対応です。今や子どもたちの多くは、スマートフォンを使い、ネットで様々な知識を得ています。そんな中、「部落はこわいところ」「部落民と結婚すると血が汚れる」といった従来の差別意識による言説だけでなく、「部落を優遇する法律があってずるい」「部落差別はなくなったのに、まだ差別を訴えて利益を得ようとする人がいる」などといった事実にもとづかない情報による現代的な差別意識(現代的レイシズム)による言説が野放しの状態のネット空間では、何の知識もない子どもたちが間違った情報に晒される危険性も非常に高く、これを放置すれば、インターネットが部落差別を温存・助長する環境として機能してしまいます。ネットで部落に対するマイナスイメージをインプットしてしまう前に、子どもたちへ部落差別についての正しい知識を教える必要があり、その緊急性はますます高くなっています。

また、京都市内ではネットだけでなく、現実世界でも部落差別事件が発生しています。昨年8月、京都市清掃職員に対して一般市民が「同和もんが」と発言する事件がありました。停車中のゴミ収集車に路線バスが接触、その事故処理中にバス乗客が発言して立ち去ったとのことでした。現場には警察もいたのですが、発言者を追いかけることはありませんでした。発言は部落差別のみならず、名誉棄損・侮辱であり、少なくとも警察は発言者へ事情聴取するべきでした。部落差別発言であるとの認識の薄さ、部落差別への理解不足など、問題点を挙げると枚挙に暇がありません。

その他、部落差別と密接にかかわりのある事件として、行政書士等による戸籍不正取得事件があります。昨年10月にも愛知県で戸籍等の不正取得が発覚し、石川県の行政書士と愛知県の調査会社代表が逮捕されました。発覚のきっかけは、事前登録型本人通知制度でした。これは戸籍等を本人以外が取得した時に通知を受ける制度で、不正取得の抑止力となるものです。警察の調べによると、調査会社に依頼した者は、被害者の戸籍を調べることで、本人の知らないうちにルーツを探ろうとしたのです。暴いたルーツをもとにして差別や排除されることがあってはならず、決して許されるものではありません。戸籍不正取得の被害は、部落などにルーツのない人にも起こりうるものでもあります。

このようなことから、あらゆる人々への教育・啓発のアプローチも必要と考えられます。差別は構造的な社会の問題です。差別をなくすための取り組みと、差別についての正しい知識を獲得することは、車の両輪のように作用します。ただ、現代的レイシズムへの教育・啓発のシステムは確立されておらず、これを知識で克服できるものではないとの調査もあります。それでも、何もせずに差別がない社会を築けるわけではありません。社会から差別を撤廃するため、それぞれの立場でできることを考え、実行するべきです。

 

(3)被差別部落のまちづくり

 

被差別部落にはそれぞれ、時の権力者による支配、管理、強制移住等の土地の歴史が伴いますが、京都市内の部落は特に、豊臣秀吉による都市計画で張り巡らされた「御土居」の外にその集住を固定化されてきた経過があります。時代は、江戸から明治へ移り、急激な近代化において都市のインフラ整備も進んでいく中、被差別部落は上下水道の整備や道路状況等の計画で、最後まで取り残された地域でした。そうした住環境の改善を軸として運動が展開され、全国的に大きなうねりとなり、1969年に「同和対策事業特別措置法」が成立しました。そこから一気に予算が投入され、狭隘な住宅が立ち並ぶ部落の風景が、鉄筋コンクリート5階建の改良住宅が立ち並ぶ風景へと変貌していったのです。

1970年代から1980年代に多く建てられた住宅は、当時としては雨風を防ぐに足りる頑丈な建物であっても、築40年から50年を経て、エレベーターもお風呂もない2Kの住宅で、耐震その他の安全性を保つことのできない危険な建物となっています。

2002年、同対法の延長としての「地域改善対策事業法」の期限も過ぎることで、行政用語として「同和」の文字を消し去り「特別なことはしない」方針を打ち出しました。特に京都市は「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」の設置によりその方針を徹底させてきましたが、法律の有無や行政用語の有無によって、地域そのものが有ったり無かったりするものではなく、ましてや社会的な差別が急に改善し、なくなるというものでもありません。法律があった時代に「改良事業法」として建てられた住宅の建て替えが迫られているのです。

そこで錦林、養正、壬生・壬生東、三条・岡崎市営住宅の4地区6団地については、「京都市市営住宅ストック総合活用指針」において「団地再生実施団地」と位置付け、2020年度に策定した団地再生計画に基づき、2021年度から、道路等のインフラ整備や更新棟の設計、入居者移転、既存住棟の解体工事、更新棟の新築工事等を順次実施しており、2029年度以降、入居を開始できるよう事業を進めています。

しかし、一方で改良事業法により建てられた住宅でありながら、上記の「法失効」によりその入居や家賃基準が一般の公営住宅と同様となったことから、安定的に収入を確保するようになった壮年世代やその子ども達は地区外に出て行かざるを得なくなり、人口は減る一方で高齢者、あるいは一人親家庭等の社会的配慮を必要とする立場の人の割合が極端に高い地域となっています。既存の住宅の約半分が空き家であるというような状況で、建て替えが終了した後には空き地が生じることとなり、その活用法についても、これまでの経過を踏まえつつ、十分に議論していく必要があります。

すでに崇仁地区のまちづくりについては、「崇仁地区将来ビジョン検討委員会報告書」や「京都駅東部エリア活性化将来構想」を踏まえたまちづくりを推進しており、住宅地区改良事業や団地再生事業が取り組まれ、京都市立芸術大学の移転が終了するなど、京都市としては「文化芸術都市・京都」の新たなシンボルゾーンの創生に向けて、文化芸術と経済、大学、まちづくり、教育、福祉など、様々な文化の融合により、新たな魅力や価値を創出する機能の誘導を検討するとしています。

華やかで一面的な歴史だけではなく、そこで生き、暮らしてきた住民達の苦しみや、それを跳ね返すべく積み上げてきた努力にも光が当たる文化、芸術、教育、福祉が求められます。

 

 

 

2.多文化共生社会をめざして

 

(1)21世紀は「難民」の世紀

 

世界の難民は2022年末時点で1億840万人に上ります。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計によると、その内訳は難民3,530万人、国内避難民6,250万人、庇護希望者540万人などになります。庇護希望者は、自身の故郷から逃れて、他の国の避難所にたどり着き、その国で庇護申請を希望する人々のことをいいます。

難民や国際保護を必要としている人の52%は(1)シリア650万人、(2)ウクライナ570万人、(3)アフガニスタン570万人、(4)ベネズエラ550万人、(5)南スーダン230万人で、2022年に起きたロシアのウクライナへの軍事侵攻により、810万人以上がヨーロッパへ避難し、推定530万人が国内避難民となりました(UNHCR統計2023年4月時点)。

難民問題とは、何の罪もない人々が人間としての尊厳や人権を奪われる不条理な問題で、人命まで脅かされるような深刻な状況に追い込まれることもあり、最優先で対処しなければならない人道危機です。難民問題は政治・経済・民族・宗教・歴史的背景が複雑に絡み合い、国境を越えて複数の国が関係しており、当事国だけでは解決できません。国際社会が協調して向き合うことが求められるグローバルな課題と言えます。個々の紛争が起きた経緯はさまざまですが、国家の破綻と内戦、自然災害が混合した「複合的人道危機」と呼ばれるように、複雑で深刻な事態が発生しており、難民問題は大規模化かつ長期化しています。

日本で暮らす私たちにとって、難民問題は本当に他人事なのでしょうか。グローバル化した今日の世界にあって、紛争地や難民キャンプは、テレビやインターネットの映像で見るだけの遠い世界の出来事ではなく、今この瞬間、この地球上で起きているリアルな現実です。難民支援は「かわいそうな人々を助けてあげる」ことではなく、グローバルな安全保障の問題でもあります。難民に手を差し伸べられるのは、同じ世界で同じ時代を生きる私たちしかいないのだということを忘れてはなりません。

 

(2)難民に対するドイツと日本の違い

 

現在、難民を受け入れている上位5か国は、(1)トルコ360万人、(2)イラン340万人、(3)コロンビア250万人、(4)ドイツ210万人、(5) パキスタン170万人の順になっています。

難民問題の解決には(1)難民の本国への帰還、(2)難民を受け入れた国での定住、(3)第三国への移動・定住、という3つの解決策があります。

 最も理想的なシナリオは、難民が安全な環境で祖国や故郷に帰還し、平和な暮らしを取り戻すことです。この時に重要なのは、再び迫害を受ける恐れがある地域に難民を送り返すことを禁じた国際的ルール「ノン・ルフールマン原則」を遵守すること。難民が自発的で安全かつ尊厳を持った帰還でなければならないということです。

第三国定住難民受け入れの現状を見ると、人口8,300万人のドイツは現在までに210万人の難民を受け入れています。直近ではウクライナ難民が105万人、ドイツを目指して流入しています。

日本における難民受け入れの枠組みは、1978年から20年以上をかけて、合計11,319人のインドシナ難民を受け入れたことから始まりました。当時は、ボートピープルが象徴的でした。その後1981年に難民条約に加入し、2010年に第三国定住難民受け入れを開始、2017年からは、シリア難民留学生の受け入れがおこなわれ、2017年から2021年の5年間に24人でした。2022年にはウクライナ「避難民」の受け入れを開始し、2022年11月末時点で2,100人以上のウクライナ人が日本へ入国しています。

日本政府はウクライナから逃れて来た人を「避難民」と呼び、「難民」と区別しています。2023年度の入管法改定では「補完的保護対象者」を新設しました。認定されれば難民認定と同じ「定住者(5年更新)」の在留資格を得ることができることになりますが「補完的保護対象者」は特例措置としての受け入れであり、難民条約に基づく「正規の難民」ではありませんので難民条約に基づいた同等の保護を受けられる保証はありません。諸外国と比べると、日本は難民受け入れに極めて消極的であり、2021年の難民申請数2,413人に対し、難民認定数はわずか74名。認定率は0.7%に過ぎず、60%を超える英国やカナダ、32%の米国、26%のドイツなどには遠く及ばないと評価されています。

日本とドイツでは、状況と対応が大きく違っています。その背景には、第一に、難民認定の在り方があります。ドイツには、ユダヤ人迫害への反省から憲法にも庇護条項があり、もともと難民受け入れに対して前向きでした。2015年にはメルケル首相が「シリア難民は全員を受け入れる」と宣言して大量流入と混乱を招いたものの、政府の基本姿勢はゆるぎませんでした。2015年には89万人が流入しましたが、うちシリアやイラクなどの紛争国から来た44万人が難民認定されました。残りの申請者はバルカン諸国が多く、大半が「経済移民」とみられて不認定となっています。

日本の難民認定の少なさは地理的条件から日本まで来るのは難しいことに加え、「日本語の壁」などで日本を目指す難民はそもそも少ないことがありますが、法務省が1951年の難民条約での難民の定義を厳格に解釈する上、申請者に「帰国すれば生命と自由に対する重大な侵害に直面する」ことなどの立証を求めるため、立証不可能なことが多く、過去10年間の平均認定率は0.2%にすぎません。国際的に「難民鎖国」と批判されるゆえんです。

 

第二は、受け入れられた難民の社会統合政策の違いです。ドイツは移民国家(移民ルーツ27%)を自認し、多様な文化的背景を持った移民に対し、ドイツ社会への早期統合に力を入れています。それは難民にも適用され、各州政府が中央政府からの補助金で社会統合支援策を実施しています。難民申請者もドイツ語教育や職業訓練を受けることができ、不認定となっても職業訓練中であれば滞在を認められ、5年たてば永住の可能性もあります。難民の労働市場参加は国益になるという考え方で、難民は将来のドイツ国民であり、彼らの統合支援は「人的投資」だという国家戦略をとっているのです。

日本は、近年では毎年数十万人の外国人労働者が流入していますが「移民国家ではない」という建前を堅持し、「日本は移民政策をとらない」という姿勢を頑なにしています。外国人は特定目的のために特定期間だけ日本に滞在し、いずれ帰国するということが前提とされているため、政府は外国人の日本語訓練、子弟の教育、職業訓練などの社会統合インフラを整備しません。統合支援のない社会で難民が自立していくのは難しく、難民申請者への支援はないに等しいため、日本は難民にとって救助を求める国として魅力的でなく、来る者が少なく、見事に「難民鎖国政策」を成功させています。

 

積極的な移民政策、人道的な難民政策を進めてきたドイツでも、その歩みは順調ではありません。移民や難民への排斥が一部のドイツ人たちの間で吹き荒れた90年代の10年間に、ネオナチや極右団体に襲撃されて殺された移民、障がい者、ホームレスの人は100人を超えます。

ナチス・ドイツの犯罪を矮小化し、イスラム教徒、黒人らを中傷し、排外主義を標榜する右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持率は昨年、17%に増えたという調査結果もあります。移民・難民に対する国家負担の増加は2017年に208億ユーロ(約2兆5千億円)、2018年に256.5億ユーロ(約3兆3400億円)で、これに対する経済的不満やレイシズムが排外主義に向かわせています。ドイツの場合は難民受け入れに対して賛成する人と反対する人、立場が明確でない人も含め、様々な勢力が熾烈にせめぎ合っています。その中で、排外主義と対峙しながら、高い次元で現実的に統合される過程を歩んでいると考えることができます。

 

(3)日本は移民のいない国?

 

2022年6月末、在日外国人の人口は322万人を超えました。217万人(67%)は日本社会で経済活動を行い、家庭があるなど、移民としか言えない人達です。そして労働人口の減少対策として「期間限定で使い捨て」の機能をしているのが技能実習・特定技能・留学の在留資格者で、約84万人になります。特に技能実習制度は「低賃金長時間奴隷労働」「転職の自由の制限」「多額の負債による債務奴隷化」「人権侵害や不適正な就労を防止・是正できていない監理団体」など数々の問題点があり、世間の批判を浴びました。

 

昨年5月11 日、「外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議」の下に置かれた「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」から「中間報告書」が提出され、「技能実習制度を廃止して人材確保及び人材育成を目的とする新たな制度の創設を検討すべきである」とされました。しかし、本当に技能実習制度は廃止されたのでしょうか。その後、6月16 日に閣議決定された骨太の方針では、早くも「中間報告書を踏まえ、現行の技能実習制度を実態に即して発展的に解消して……新たな制度を創設する」と表現が変更されています。「いかに労働力として確保していくのか」ということだけに議論が終始しています。「労働人口の減少」「少子高齢化による社会制度維持の困難」などから、いま社会は外国からの労働者を求めていますが、それは労働力としてだけでなく、地域社会の一員としての参加を求めるもでなければなりません。

政府が「移民政策をとらない」と言ってきていることと、実際に社会で起きていることとの間に大きなギャップが生まれています。実際には移民によってこの社会が成り立っているということを政府はどうしても認めず、事実を直視しません。なぜこんなことが続けられるのでしょうか。

 

(4)アンミカ(モデル・タレント)CM騒動の本質

 

 昨年、韓国名で活躍するアンミカさんを日清食品の宣伝に起用したことにより、日清食品の不買運動を呼び掛ける騒動が発生しました。彼女の家族が「密入国者」であり、「イメージ悪すぎてもう買わない」「これはダメ 食べる気しない」などといった批判がSNS上に噴出したのです。一部で「アンミカは密入国者」といった根拠のない情報が拡散されていましたが、東京都・港区議会新藤加菜区議が12月に自身のX上で言及したことで、問題が大きくなりました。政治家が根拠のない情報を信じて発信したこととなったためです。

 

 この問題を二つの視点から見ます。@「密入国」とは何か、歴史的に紐解き、日本の難民問題としてとらえ直すことが必要です。1945年日本の終戦時250万人いた旧植民地の人々は60万人余りを残し、日本の旧植民地の連合軍占領下の地域に帰還しました。朝鮮半島では経済混乱の上に建国に伴う虐殺・テロなど、激しいイデオロギー闘争に巻き込まれ、かつての生活基盤は無くなっており、その生活は困難を極めました。在日朝鮮人は、植民地支配の終了から、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約発効までの期間は「日本国籍を有する」とされながらも、1947年5月2日に在日朝鮮人は「当分の間外国人とみなす」とする「外国人登録令」が公布・施行されました。これは、最後の勅令と言われる勅令207号です。

日本での定住期間が長く、ある程度の日本の生活基盤のあった人々から、安全に暮らせる日本へのUターン現象が起こります。その後、1948年の「済州島4・3事件」での虐殺からの避難民や、1950年から1953年の「朝鮮戦争」で、数百万に及ぶ避難民が発生します。その大部分は国内避難民になりましたが、相当数が隣国の中国や日本へ避難しました。

 GHQ(連合国軍最高司令官司令部)の管轄下にあった日本は、大量の難民発生に直面しました。

 1952年4月28日サンフランシスコ平和条約が発効し、同時に「外国人登録法」が公布され即時施行されるとともに「外国人登録令」は廃止されました。同日、法務府民事局長は「平和条約に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」の通達で、「朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本の国籍を喪失する。」としました。

サンフランシスコ講和条約以前はGHQの許可を得ない中での避難であり、これ以降の避難を「密入国」としているのです。これらは社会の混乱のなかで生じた問題であり、本来は難民そのものととらえるべきで、単純に「密入国者」とすることには大きな違和感があります。

 

 

 総人口3500万人のうち350万人が死亡した朝鮮半島の歴史的悲劇は、アメリカとソ連が舞台監督を務め、李承晩と金日成が主役を果たしました、そして舞台を創った日本がこの悲劇のおかげで大儲けをしました。そして在日朝鮮人や「密入国者」が最底辺労働者として日本経済を支える重要な役割を果たしてきました。

1952年サンフランシスコ条約の発効により日本は主権を回復し、同時に旧植民地出身者が日本政府の通達により日本国籍を失い、一律に朝鮮籍とされ外国人登録法の適用を受けることになりました。在日朝鮮人は一切の補償を受けることもなく、日本政府の社会保障対象から外され、その状態が1997年の世界人権規約の批准まで続くことになります。

このようにみた場合、戦後直後での在日韓国・朝鮮人の「非正規滞在者(密入国者)」は、60年代から始まる高度経済成長期において「非正規滞在化」したアジア系外国人とは、まったく状況を異にするものなのです。高度経済成長期は、国内における労働市場の逼迫とそれに伴う国内賃金の上昇を背景として、アジア各国から多数の外国人が就労を目的として来日し、1993年には入管の推計で非正規滞在化した外国人は30万人に達したのでした。

在日韓国・朝鮮人に対する「密入国」批判は歴史に対する無知と無恥の表れであり、レイシズム以外の何ものでもありません。

 

そして、Aレイシズムはその無知から始まり、インフルエンサーや公人がそれを扇動したということです。レイシズムとは、相手を「自分たちとは違う人間だ」「差別してもいい人種だ」と考えることです。今、イスラエルがパレスチナで行っているジェノサイドはまさにこれではないでしょうか。

日本にもレイシズムとジェノサイドが結び付いた事例があります。関東大震災における朝鮮人虐殺です。100年前の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺は、軍隊や警察、自警団などの日本人が、誰が朝鮮人か、そうでないか人種を選別し、殺していったのです。そうした虐殺は、震災直後のパニックのせいで起きたのではありません。朝鮮の植民地化によって日本社会には朝鮮差別がまん延していましたが、だからといって、それが一足飛びに虐殺につながるわけではありません。虐殺が起きたのは、軍隊や警察のような国家権力が、朝鮮人が「爆弾を所持している」「放火している」というデマやヘイトスピーチを公認し、それを理由に戒厳令を出したからです。国家権力による差別扇動が、ジェノサイドに火を付けたのです。レイシズムの暴力を加速させる行為はヘイトスピーチやヘイトクライムですが、中でも最大のアクセルが、国家権力や政治空間での発言、極右勢力からの扇動です。

反差別には、「加害を止める反差別」と、「被害者に寄り添う反差別」があり、この二つはセットでなければいけません。しかし、日本社会では差別を心の問題とし、「やさしさや思いやりで克服できる」と考える風潮があります。差別事件が起きるたびに、自分の中にある差別する心に向き合おうというメッセージも飛び交います。しかし、心の問題だけではレイシズムを解決できません。ジェノサイドや差別行為を止めることこそ重要なのです。例えば、相模原障害者施設殺傷事件に対して、日本政府はこの犯罪を「障害者差別に基づくジェノサイド」と批判したことは、一度もありません。また、杉田水脈衆議院議員のような差別を利用して支持層を増やそうとする政治勢力を止める力もありません。

 

(5)反レイシズムは世界の共通認識

 

第二次世界大戦後の世界では、人種をもとにした差別は絶対悪であり、レイシズムを許すとジェノサイドや植民地主義、人種隔離を正当化することになるという共通認識が生まれました。それが、国連における人種差別撤廃条約や、ドイツにおける民衆扇動罪やナチス司法訴追につながっています。ドイツは、ナチズムとの連続性や類似性という観点から、暴力や差別で民主主義を破壊するような極右を取り締まっています。日本は人種差別撤廃条約に1995年に加入しているものの、それに基づく包括的反差別法がありません。法制定のためには、より強い社会運動が必要です。

最も重要なことは、市民社会レベルで極右勢力やレイシストと戦うことです。私たちは、『はだしのゲン』やマルコムXのように、ファシズムやレイシズムに対して、全力で戦わなければいけません。人類は、歴史の教訓としてレイシズムや植民地主義、人種隔離政策が戦争や破壊を生み出すことを学び、75年前の世界人権宣言で差別と闘う決意をしました。日本社会だけそれをさぼるわけにはいきません。

差別行為を止める実践としては、「第三者介入」と「ヘイトウォッチ」があります。差別行為を見掛けたら、記録したり、告発したり、差別を扇動する政治家を監視したりすることです。そうした行為の抑制効果は大きく、政府・自治体が事あるごとに「差別は許されない」とのガバメントスピーチを繰り返し、地方自治体が反差別条例を制定することなどで反差別の姿勢を強く示すことも大きな抑制効果があります。

レイシズムは、死んでもいい人間をつくり出すことにつながるため、これを放置してはいけなせん。レイシズムから社会を守ることは、国のみならず市民の義務として不断の努力が必要です。差別のない社会は、誰もが生きるために不可欠なものです。レイシズムに対しては、全力でNOを突き付けていきましょう。

 

そして、レイシズムの反対語は反人種差別、反義語は多文化共生です。レイシズムと闘うということは、同時に「多文化共生社会」を創造して行くことも必要となります。そのためには、国際人権基準に基づく移民政策に転換するべきです。すべての人々の自由、尊厳、権利を非差別に、平等に保障する移民政策とし、人種差別の禁止はもとより、非正規滞在者に対する人権尊重とアムネスティ(合法化措置)の促進などをめざすものでなくてはなりません。この社会に住むもの同士が互いに尊重しながら協働し、暮らしやすい国にしてゆく関係を築いていくことが「多文化共生社会」につながります。これは、実現困難な理想かもしれませんが、関東大震災における朝鮮人虐殺のあった100年前を思えば、社会の在り方が大きく変ったように、長い目で見れば実現は可能です。そのために今できること、例えば反ヘイトの集会をのぞいてみたり、毎週開催されているガザのジェノサイドに反対するデモに参加したり、移民・難民たちと知り合ったり話せたりする催し物があれば、「隣にいること」からでもしてみませんか。

 

 

 

4.人権確立に向けたこれからの運動展開

 

(1)暴力を暴力で解決しない世界に向けて

 

 19世紀から20世紀にかけて、先発的に産業化を推し進めてきた欧米諸国は、南へ東へと資源や労働力を求めて進出・侵略し、富を獲得してきました。時には圧倒的な力を行使し、または戦争によって支配し、略奪をしてきたのです。さて、一方で管理・支配された側の人々は、時には移動を強制され、あるいは根拠もなく無為に殺され、このようなことが日常的に継続していました。そこで生きる人々は不平も不満もないでしょうか。抵抗も反撃もすることも考えず、支配者に従順に屈服したままでいることができるでしょうか。暴力での圧倒的な支配を前にして、それに打ち勝つ対等な力を獲得することは不可能だとしても、自分たちの身の丈にあった「暴力」を行使することは許されるでしょうか。許されないでしょうか。

 少なくとも支配者は許しません。そして報復します。徹底的に叩きのめそうとするでしょう。それを「暴力の連鎖」と呼べるのでしょうか。そもそも牙を剥いて屈服させた歴史的事実があれば、支配者に暴力性がないかのように仮面をかぶって隠していても、その関係性から支配構造が構築されていることになります。当初からの支配構造が、現在になお尾を引く抵抗の「地雷原」なのだとすると、その武力による抵抗の手段を単に「暴力の連鎖」と呼ぶことは、ふさわしいと言えません。連鎖を「断ち切る」という行為は双方に求められるというよりも、その源を「除去」することへの合意が必要であり、その場合、支配者と被支配者だけでなく第三者を含めて議論することも求められます。

 しかし、支配者が自らその根源となる支配関係を認め、支配関係そのものを捨て去ることは考えにくいことです。むしろ、その自己肯定のための支配関係を温存・強化し、さらに自らの安全や安心を保とうとすることでしょう。では、私たちはどうするべきか。

 抑圧を強いられ続けた人々に、これ以上の我慢を要求することは、フェア(公正)ではないことはわかっています。それを知りながらも、暴力によって解決するのではない世界を築いていくために、私たちは、被支配者らの苦しみや怒りにギリギリまで寄り添いつつ、それでもその抵抗や反撃については、暴力ではない手段で行うように要請しなければならないでしょう。支配関係を断ち切るためには、非暴力による闘争を提示し、政治的抵抗、社会的抵抗を戦略の軸とするべきです。このような手段を用いられれば、暴力的手段を用いる支配者側は、人道的観点からの正当性を主張することはできません。支配構造を取り去るべきことは言うまでもなく、これは支配者側に大きな負担や苦痛を覚悟させるものです。支配構造を取り去り、関係性を再構築するなかで、被支配者の立場に立って我に返った時、かつて支配者側であった者は、暴力が取り返しのつかない事態を引き起したことの責任を理解するはずです。補償の必要性も考慮に入れなくてはなりません。

 戦争、紛争と言っても圧倒的に非対称な現実があります。地震などの自然災害についても、トルコ・シリア大地震では5万6千人の犠牲、モロッコ地震/リビア洪水では死者行方不明者が1万3千人と報じられました。双方とも内戦によるインフラ整備の崩壊、援助の手が届かない状況が被害を甚大にしています。

 社会を変革し、より良い未来を築いていくためには、被抑圧の立場にいる人々への理解や共感が欠かせないことはもちろん、その立場性を共有することも求められます。これは「我が事としてとらえる」とした人権尊重の規範でもあり、これを個々人の能力として身につけ、上滑りのスローガンではなく社会にしっかりと根付かせるべきです。立場性を共有し合うことの価値を、尊重すべきものとして広げていくことが重要です。

 

(2)「人権の21世紀」を紡いでいくために

 

 世界中の国々に普及したインターネット、スマートフォンにより、それぞれの地域の距離はますます狭まり、情報は瞬時に伝わるようになっています。蓄積された情報は「AI」により学習され、その物理的量は圧倒的に一人の人間を上回るものとなっています。しかし、蓄積された情報量に比例して社会が豊かになり、未来が確かなものとなる保障もありませんし、人類を含む生物や地球そのものに未来をもたらす、適切な判断や柔軟な知恵となるわけでもありません。逆に、フェイク情報により差別や偏見が拡散する状況もあります。これからを生きる私たちにとって必要なことは、むしろ人類の能力の限界を自覚し、自分自身の立場を知り、そこから互いに補い合い、支え合う個人個人の関係性を地道につくっていくことではないでしょうか。

 何事も即決するのではなく、立ち止まり、悩み、多角的で長期的な視野で考える力を「ネガティブ・ケイパビリティ」と言います。時間をかけなければ解決しない問題もあるということを認識すれば、効率至上主義でマイノリティの人権を切り捨てることを踏みとどまるはずです。特にネットで差別投稿をする加害者は、安直にマイノリティを攻撃して留飲を下げ、自らを上の立場に保とうとする傾向にあります。報われない社会にある弱い立場の加害者が、さらに弱い立場を攻撃する構造となっています。ネットの匿名性から歯止めがかからず、立場を守ろうとして転げるように加害に走ってしまう、いわば被害者のような状況にあるのです。このような加害者の被害者性から、差別をする者にも、なぜ差別行為をしてしまうのか、対話によって理解させる必要があります。そして差別行為を繰り返させてはいけません。マイノリティの立場性を共有し、自らの状況と照らし合わせ、「やはり差別はいけないものだ」と深く理解した時、誰もが「差別しない力」を獲得できるのです。

 より強く、より早く、より高く、より遠くへと「発展」してきたこれまでの世界ですが、さまざまな問題は山積しており、これを直ちに解決できる方法はすぐに見つけることはできません。世界の「発展」に足並みをあわせて、息を切らして前へ前へと進むより、世界の困難な状況を受け入れ、ゆっくりとじっくりと、本当に大切なものを取捨選択しつつ、ねばり強く共生を目指すことこそ、これからの「人権の21世紀」に求められています。

 

5.教育をめぐる状況

(1)はじめに

新型コロナウイルスの対応が緩和され、これまで当たり前とされていた日常が戻ってきました。しかし、新型コロナウイルスによるこの3年間の大きな変化により、様々なところで子どもへの影響がでています。学校が一斉休校になり、外へ出かける機会が奪われ、「ステイホーム」「おうち時間」などの言葉が使われるほど家にいる時間が増えました。学校でもマスク生活が強いられ、対面での会話が制限されたことでコミュニケーションの機会が失われました。その結果、様々な場面で人と人がつながる機会が奪われ、孤立する子どもも多くなりました。このように、子どもを取り巻く社会の変化が子どもたちの生活を一変させました。

その影響からか、子どもの自殺は増加傾向にあり、厚生労働省が警視庁のデータを元にまとめた統計によると、2022年に自殺した小中高生は514人となり、初めて500人を超えて、統計が始まった1980年以降で過去最多になりました。また、不登校児童は増加の一途で、不登校の小中学生が一昨年度24万人を超えたことが分かりました。内訳は小学生約8万人、中学生約16万人で、文部科学省の調査結果において、不登校児童・生徒が20万人を超えたのは初めてのことでした。高校でも長期欠席の生徒が約11万8千人を数えました。前年度にくらべて約3万7千人以上も増加し、過去最多です。このほかに虐待、いじめ、貧困、性被害等、子どもに関する人権問題は後を絶ちません。現在の状況をしっかり把握し、学校として何ができるのか、常に考える必要があります。

20234月に京都市立美術工芸高校が、10月には京都市立芸術大学が、崇仁地区に移転しました。学生に少しでも崇仁地区を知ってもらうために、実際に街を歩きながら学ぶフィールドワークや学習会、講演会、各種プロジェクトに参加するなど、地域との交流を大切にされています。その中で学生たちは「差別の中でもよりよい生活を求めて工夫してきたことを知ることができた」、「崇仁のまちを知って、崇仁のことをもっと知ってもらいたいと思った」、「フィールドワークで崇仁のまちを知り、差別の実態を知った時、今まで自分がどれだけ無自覚に差別を行ってきたのだろうと思い、心が非常に痛くなった」と、語っています。やはり、「知ること」「出会うこと」は、人の考えを変え、大きな影響を与えることが学生たちの声からわかります。

高校と大学が移転するにあたり、協議を重ね、地域を歩き回って開校を迎えたことと思います。よりよいまちづくりと、部落差別の解消に向けた正しい認識の醸成につながる議論が交わされたことでしょう。京都市立芸術大学の学生は、自分たちの大学が崇仁地区に移転することをきっかけに、部落差別を知り、自分や社会の差別意識に気づくことができたのです。やはり「知ること」、特に「正しく知ること」が大切です。

このように京都を舞台とした身近にある素晴らしい取組を、京都市に勤める教職員が知ることの意義は、言うまでもありません。これを差別解消に向けた新たな人権教育の在り方について考える良い機会としましょう。

 

(2)京都市小学校同和教育研究会

人権教育に関する教職員の意識調査より

202211月から2023年1月に教職員の人権意識の高揚、人権教育を推進するための研修の充実・改善、人権教育の一層の充実を図るために、京都市教育委員会が教職員を対象とした人権教育に関する意識調査を実施しました。

その中で同和問題にかかわる認識を問う設問について20代、30代、40代、50代を比較するデータを分析、考察したことをお伝えします。

「子どものある人が家を購入しようとしたが、近くに同和地区があり、同じ通学区域になることがわかったので、買うのを取りやめた。」という質問で、「差別」「どちらかといえば差別」と答えた割合は、年代が上がるごとに高くなっています。つまり、明らかに「部落差別」を示す設問に対し、若い世代ではそれを差別だととらえにくく、年代が上がるにつれて差別だととらえる割合が増えます。各世代の意識の違いがグラフに表れています。

「部落差別はいけないことだが、私には関係のない話だ。」という設問では、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」と回答した割合は、20代は71.7%、50代以上は96.8%、でした。若い世代にとって部落差別が身近ではなくひと事ととらえる傾向がみられます。

「そっとしておけば、部落差別は自然になくなっていく。」という設問では、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」と答えた割合は20代では73.7%、50代以上は94.2%でした。これは、「寝た子をおこすな」という考え方の是非を尋ねています。この考え方では差別は解決しないのですが、若い世代では、前出の設問の回答と連動して自分と部落差別との距離感や、問題を直視する感覚の弱さがうかがえます。

これらの結果をみなさんはどう思われますか。まず、世代による「部落差別」に対する認識の差が数字として示されたことは画期的です。今までは、現場の肌感覚だったことが明らかになりました。

まず、3つの設問から、若い世代ほど知識の弱さや差別や偏見とされる考えや行為を否定しない傾向がクリアに出ています。この傾向は、若い世代の回答は「正しい答え」を知らないと解釈できますが、率直な回答をしているとも解釈できます。これは、自分自身を素直に振り返って自分に足りていないところを見つけだすきっかけになったり、葛藤や揺らぎが生じたりしているととらえることができます。

では、なぜ、このように世代間ではっきりと違いが出てきたのでしょう。

50代の教職員が20代のころは同和地区の学習センターで様々な活動が行われていたり、特別就学奨励費という同和地区の子どもたちに対する奨学金が支給されたりして、同和施策が全盛期の時代でした。40代の教職員は、法切れにより同和施策が終結する時代を経験しています。30代の教職員はその名残があったのでしょう。このように考えると、年代によっての意識に違いがあるのは当然といえます。それでは、世代間の意識の違いがあるのは仕方ない、で済むでしょうか。答えはNOです。違いがあるからこそさらに教職員として意識を高めるための行動をおこさなければなりません。今日こうして研修会に参加していることこそ、その行動の一つです。

次に、現実の社会に目を向けてみます。社会の中には、まだまだ部落差別を容認する意識が根強く残っています。それを確認するために、市民の人権に関する意識調査の結果を見てみましょう。

2019年3月に報告された京都市の人権に関する市民意識調査報告書の中で、「結婚相手を考える際に気になること」で、その対象が同和地区出身かどうかについて、「気になる」と答えた割合が3割弱、家を購入したり、マンションを借りたりするなど、住宅を選ぶ際に、近くに同和地区があることを気にする人がそれぞれ2割を超えているという結果がでています。このように現在も部落差別を容認する意識は根強く残っています。

また、部落差別は形を変え、見えにくくなっています。特にネット社会が普及してきた現在、動画投稿サイトでは、被差別部落をまざまざと暴露するような動画が数多く投稿され、偏見に満ちたコメントが当たり前のように語られています。子どもたちがそれらを目にするかもしれません。だからこそ、我々大人が正しい知識を身に付け、子どもたちに正しいことを見抜く力をつけることは部落差別だけでなくすべての人権問題を解決に導く「生きてはたらく力」になるのです。

部落差別は見方によっては、本当は大変身近です。そして、解決には全く至っていません。この現状をしっかりととらえ、人権教育に関する教職員の意識調査の結果や人権に関する市民の意識調査の結果をしっかりと受け止め、今後どうしていかなければならないのかを考えていく必要があると思います。

 

これからの方向性

今回の教職員や京都市民の調査結果から、今も部落差別を容認する意識が残されていることが明確になりました。この結果を個人の意識の問題として捉えるだけでは、今後も改善はみられることはないでしょう。時代の変化とともに、社会を取り巻く情勢や学校現場の状況も変化し、部落差別が見えにくく、また何が差別かが分かりにくくなっているのは事実です。

今回の教職員の意識調査の中で「人権学習において困っていること」の回答として「間違ったことをしないか不安」「何をしていいかわからない」が多くありました。また「人権学習においてどのような知識や情報が必要か」の回答として「現在の差別の実態」「人権問題の解決に向けた取組」が多くありました。今の若い教職員は「やらない」「できない」のではなく「知りたいけど知る機会がない。」「やりたいけど方法がわからない。」が現実ではないでしょうか。そう考えた時に、今後学校現場に求められることは、「正しく知る」ことができる研修の機会を増やすことだと思います。世代間に関係なく正しい知識を学び続けることが大切ではないでしょうか。

また、知識として学ぶだけでなく、実際に子どもの家に足を運んで実態から学ぶことが大切です。かつては「同和教育は足で稼ぐ」という言葉をよく耳にしたそうです。電話ではなく、家に出向いて話し合うことで、保護者の子育ての悩みや喜びを共有することができます。また、生活の実態やその子の背景にあるものを教師が肌で感じることができます。被差別部落にルーツを持つ子、外国にルーツを持つ子、被虐待児童や貧困家庭、ヤングケアラー他、困りを抱えた子どもの家には、家庭訪問でしかわからない生活の背景そのものがあります。正しい知識の獲得とともに、家に足を運んで子どもの実態から学ぶことを通して、一人一人の背景を理解し、気持ちや考えに共感し、寄り添いながら関わり続ける教師を目指しましょう。同和教育が大切にしてきたこの営みは「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という京都市の教育の礎となっています。 

 

(3)京都市中学校教育研究会人権教育部会

 

人権教育に関する教職員の意識

私は生まれも育ちも青森県で、学校で人権教育をするということを知ったのは京都市で働くようになってからです。正しくは、学生の頃に京都市とはあつかう内容は異なっていただろう人権教育を受けてきたのに、それを人権教育とはとらえられなかったということなのでしょうか。大学では教員採用試験の対策講座で、西日本の自治体を受験する際には同和問題を勉強しておくことは必須であると知らされました。私はこの時、社会の問題を自分の問題として捉えられていなかった、ということに気づきました。

私は人権教育を通して、一人一人が自分を大切にしたり、周りの人に優しくできたり、相手に敬意を持って接したりすることができるようになることが大切だと思います。でもそれは普段からの積み重ねによって少しずつ培われるものだと考えています。私はずっと野球を続けてきたので、自分のチームや相手チームなどの集団の中の関わりで学んできたことが多かったと自分では認識しています。京都に来る前までに青森県で3年間働きました。出生地から120q離れた同じ県内の自治体の学校に赴任すると、「あっちから来た人か」と言われました。私の仕事が丁寧ではなく雑だったことに対して、「木を見て育ったか森を見て育ったかの違いだ」と言われたこともあります。これらをネガティブにとらえたわけではありませんが、津軽藩と南部藩の隔たりを歴史的な背景として考えました。また、同じ県内でも方言は異なり、バラエティー番組で青森弁と紹介していると、あれは南部弁なのだから津軽弁や下北弁と分けて説明するべきだなどと自然に思ってしまいます。住んでいるところからその人となりを一括りにすることが差別につながるということは、京都で人権問題学習として扱った経験があります。場所や歴史は違いますが、そういった発言が人の気持ちに与えるものや発言にいたる心境には通ずるところがあると感じました。津軽藩と南部藩に隔たりがある、自分の出身地は他と分けてほしいといった私の中にある考え方は、子どもたちに学校で気付かせよう、考えさせようとしている差別性そのものだといえるのではないかと内省しています。人権に関わるさまざまなことをすべて知っている人はおそらくいないのでしょうが、より多く、正しい知識を得ている方が、人をより大切にできます。対象となる相手を世界に広げると、知っておきたいことは無限に広がります。京都市で初めて教員として人権学習を行い、研修会でさまざまなお話を聴き、青森にいては知ることができなかったことを知ることができて、とてもよかったと率直に思います。この基調提案に自分の考えをまとめていく中で、私自身の差別性を自覚し、それと向き合うことも少しできた気がします。

自分と違う文化や価値観を持つ相手をどう認めていけばよいのかという問いに対して、フラットな視点を持つことが大切であることを中国の日系企業にお勤めの方は話しておられました。それは、物事を一歩引いた視点から俯瞰すること、自分の持つ利害関係や偏見を取り払うこと、なのだと理解しています。学校で進んでいる校則の見直しについても、服装や頭髪など規律面についての指導はどうあるべきか、何が大切か、何を大切にすべきなのかを日々考える上で、フラットに物事を視ていく、その視点に立とうとすることが大事だと感じています。多様な価値観が存在する現代社会においても、人権を認めることの尊さこそが、これまでにたくさんの人によって力を尽くして獲得された、変わらない価値であると私は思います。人権を大切にして教育を進める、人権が大切だということを子どもに伝えることの価値は変わることはないと考えます。さまざまな形の違いはありますが、人権教育を通して育ってほしい子どもの姿として、人を大切にできることは共通するものなのではないでしょうか。

ここまで、私の思いを述べさせてもらいました。

 

教職員の人権問題に関する実態と認識

昨年度行われた、京都市教育委員会による「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果の一部を、ここで紹介します。

問11「児童生徒に人権について考えさせる際に、現在あなたが困っているのはどのようなことですか(3つ以内で選択)」という設問では、「こどもの意欲や関心を高めるのが難しい」に次いで、「間違ったことをしないか、差別をばらまいてしまわないか、不安」という回答が多かったです。教職員が、人権問題に関する適切な情報を得られていない、または不足している現状が分析できます。問14「同和問題について深く考えた契機はいつか」、問15「同和問題について深く考える契機となったのは、どのような出会いや学びか」という設問では、圧倒的に多数の回答者が、学生時代ではなく「教職に就いた後」、そして「職場の人権教育の取組」が契機になったと答えています。上で述べたように、私自身もここに当てはまると考えます。このような傾向は、同和問題以外の人権問題についても、同じ結果となっています。人権文化を担う教職員の学びの場は、実際に働いている学校現場であるということがはっきりしました。各学校や各支部単位での人権研修に励んでおられることとは思いますが、それでも行き詰まるところ、分からない部分は出てくるはずなので、中人研がもっと力を入れて活動をしていかなければならないと考えます。本集会も含めた、年間に数回行われる様々な研究集会などについて積極的に情報を発信し、「中人研だより」の発行によって、すぐにでも学校で使えるような教材や話題を提供していきたいと思います。意識調査の問18「人権教育に携わるに当たって、あなた自身が特に身に付けなければならないことは」という設問では、「人権に関わる知識を深めること」と「人権感覚を養うこと」という選択肢が多くを占めました。このようなことを推進していく役割を、中人研という組織が担っていることを改めてここで確認します。

また、問17「学校における人権教育を進める上で特に重要だと思うこと」という設問について、最も多かったのは「児童生徒の関係づくり、学級等の集団づくり、人権が尊重される環境づくり」という項目でした。学校体制や人権学習の教材、教職員の知識・理解も大切ではあるけれど、それ以上に、生徒と教職員の人間関係、学級での生徒どうしの人間関係が人権教育の基礎となることについては、多くの方が同じ思いを持っておられることが分かります。人権教育を進めるために、ひとり一人の生徒の背景まで深く理解し、関わっていこうとすればするほど、次のようなことが見えてくるのではないでしょうか。

家庭という背景では貧困、家庭内暴力、ヤングケアラー。本人に発達障害などの特性があり、合理的配慮を要する生徒や、性的マイノリティの可能性がある生徒。社会的な背景としては外国にルーツのある生徒や、被差別部落にルーツのある生徒…。目の前にいる子どもたちの背景には様々な社会問題や、人権課題が横たわっています。「自分のクラスにも人権課題を背負っている生徒がたくさんいる。どの人権課題にも向き合う必要がある」と考えることが大切です。一つの人権課題に絞って学習を進めることも大切ですが、それぞれの課題に共通している構造について考えを深めていくことが、これからの社会を生きる子どもたちにとって必要なのではないでしょうか。そして、その学習で得た視点を、学校、学年、学級で機能させることが重要です。

特に若手教職員が人権学習担当あるいは人権教育主任を任されたときに「よくわからないから嫌だな」「今年の指導案はどうしよう…」という不安や悩みがあるのではないでしょうか。人権や同和、部落問題というだけで重たいイメージがあったりするかもしれません。「教職員人権意識調査」に再び目を移すと、問16「同和問題を初めて知った時の気持ちに最も近いと思うもの(1つ)」という質問については、「早く解決したいと思った」「差別をなくす活動や運動に共感した」という前向きな回答に次いで、「差別の悲惨さだけが強く残った」という回答も少なくありませんでした。部落問題や人権問題=「暗い・悲惨」という後ろ向きなイメージが、教職員の一部にも根付いてしまっていることが分かります。もちろん、教職員は差別の実態について深く学び、残酷な差別についてきちんと教えることが求められます。しかし、それに加えて、なぜ社会では差別が起こるのか、ということを考えていかなければなりません。それは誰でも「差別する人」になりうるからです。人権学習はそれに気づくことから始まります。そこから、どうすれば私たちは自らの偏見に気づき、差別という事象に対峙し、乗り越えられるかということを考えることが大切です。そうすることで、差別を許さない姿勢を子どもたちが身に付けることができるはずです。このように前向きで、これからの希望がもてるような人権学習へと発想を転換していけばよいのではないでしょうか。

過去の研修会では、「同和問題を人権学習で扱わない方が、社会から自然と消えていくんじゃないか。教えるから知識だけが残って差別がなくならないのではないか」という質問がありましたが、既に述べたように、インターネットが普及したことで、過去の情報が蓄積され、どこまでも拡散していく現在、それはあり得ません。現代にふさわしい、これからの社会に必要な人権学習を、知恵を出し合って構築していきましょう。

 

(4)京都市立高等学校人権教育研究会

 

社会情勢

明治時代から今日まで約140年間、日本での成年年齢は20歳と民法で定められていました。この民法が改正され、202241日から、成年年齢が20歳から18歳に変わりました。これによって、2022年度以降高校生は在学中に新成人となります。民法が定めている成年年齢は「一人で契約をすることができる年齢」という意味と「父母の親権に服さなくなる年齢」という意味があります。成年に達すると、親の同意を得なくても、自分の意思で様々な契約ができるようになるということです。高校生は今まで以上に様々なルールを知った上で、その契約が必要かよく検討する力を身につけておくことが重要になります。

オリンピック憲章(2014128日改正)では「このオリンピック憲章の定める権利及び自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由によるいかなる人種の差別もうけることなく、確実に享受されなければならない」と述べられています。実際、2021年東京五輪では182人のLGBTsが参加したと報じられており、7年前のリオデジャネイロ五輪の56人を大きく上回っています。日本国内では、20213月に札幌地裁で同性婚を認めないことは違憲だとしています。一方で20226月に大阪地裁で同性婚を認めないことは合憲だとしており、司法の判断が分かれています。現在国会では、LGBTなど性的少数者への理解増進法案が可決されましたがなかなか理解が進まないのが現状です。このように国内の課題が山積しているからこそ、私たちはこれらのことに目を向けて教育活動を行っていかなければなりません。

 

各校の取組

このように社会が変動する中、高校生を取り巻く情報環境も大きく変貌しています。社会問題をどのように認識するかも一筋縄ではいかない課題です。特に高校生年代は大人の考えた枠組みを踏襲することに違和感をもつ時期です。その一方、自らを社会の中にどう位置付けるかを模索する時期でもあります。そのような中で社会問題を考えるには、その前段階でどれだけ豊かな人間関係を育てることができるかが重要になります。

そこで高等学校では、小・中学校での学びをふまえたうえで、身近なところから自分事として人権を考える多様な取り組みを各校の状況に合わせて行っています。ネットトラブルをめぐる問題、性の多様性についての学習は、社会的要請もあり各校で継続的に行われています。ネットトラブルをめぐる問題では、ネットいじめの悲惨さを学ぶことに加え、トラブルが起こる原因や、起こさない対策、コミュニケーションの実態について学習します。生徒からは「SNSに投稿する際、受け取る人や見る人のことを考え、言葉を選ぶように意識していきたい」「ストレスの発散をネットではなく、別の方法でできるようにしていきたい」と自分を振り返る機会となっています。性の多様性についての学習では、社会や家庭の中での仕事や役割を「女性」だからとか「男性」だからとかというイメージにあてはめて決めていないかということを学習します。学習を通して性のあり方は人それぞれであり、「受け入れる」ことよりも「知っておく」ことの大切さ、性的マイノリティだけでなく、社会には様々な理由で生きづらさを感じている人がたくさんいることへの理解を深めます。性に関わる学習として、デートDVについて学ぶ高校もあります。生徒たちは動画を視聴して、どこがデートDVになるのかを考えます。学習を通してDVは高校生にとって身近な存在であることを認識し、自分がDVに合ったときや、友人がDVに合っているときの対応について理解を深めます。

車いすバスケットボールの体験と選手との対話や講話を通して人権について理解を深める高校もあります。生徒たちは体験を通して、車いすの操作の難しさや日常生活のバリアを痛感します。更に対話や講話を通して、すべての人にとって当たり前のことが当たり前にできる社会、共存する社会を実現していく考え方への理解を深めます。さらに生徒たちは「中途半端な気持ちで勉強やスポーツをやっていた自分が恥ずかしくなった」と自分の生き方について考える機会にもなっています。

世界に目を向けた人権教育に力を入れている高校もあります。生徒たちは紛争、災害、貧困の地で医師として現地の人たちのカウンセリングをされていた方のお話を写真や動画を観ながら聴きます。カウンセリングを通して被災地や紛争地の子どもたちが自ら未来を切り拓いていく様子から、国や言語を越えて人とのつながりを大切にしながら生きていくことを考える機会となっています。

卒業後の進路として就職希望者が多い高校では就職差別について学びます。生徒たちは性別や出身地、家柄などは採用判断基準にならないことや、違反質問に対する対応を学びます。

演劇鑑賞を通して全校人権学習に取組む学校もあります。事前学習では鑑賞作品で表現されている人権課題を各クラスで考えます。考えたことを踏まえて作品を鑑賞することにより、様々な人権課題について考えを深めます。また、自分の生き方を振り返ったり、これからの生き方について考えたりする生徒もいました。生徒たちは文化祭の演劇表現にもつなげ、人権問題をテーマにした演劇をする学級も多くあります。

崇仁地域に移転した学校では「部落差別、同和問題」について学びます。この学習を踏まえたうえで、被差別の歴史をもつ地域に建つ学校の生徒として、自分や周りを守る力を身につけ、そして地域の人と協力してみんなが幸せになる町づくりに関与する気持ちをもつことを目的とします。

 

教育活動の方針

以上の点を踏まえて、私たちは、次のような視点から教育活動を行います。

 

@基本的人権の保障が重要な課題であることを理解する。これまでの研究会の成果に学びつつ、多様性を重視した活動の中で、学校の教育活動のあり方を見直していく。

A日常の教育活動の中にある課題を主題化して人権をめぐる問題を取り扱う。それらの学習を通じて自己肯定感を育て、他者とともに学びあう中での社会性の涵養を目指す。

B生徒の自発的な学習活動を支援し、互いに学びあう場を作る。特にホームルーム活動・部活動・生徒会活動などの自主活動を積極的に援助して、民主的な組織運営の手法を体験させることで生きた人権意識を育むことを目指す。

C多様化する課題の中で人権にかかわる組織・予算が縮小する傾向がみられるが、校内の各部署との連携を深めることで学校教育全体での取組に進化させていく。

D課題を明確にするため研究会での学習と情報交流を充実させる。また校外の諸機関との連携を模索する。

 

このように、私たちは、小・中学校の学びを継承・発展させ、教育の結晶として結実させることを目標に教育実践を継続し、展開していきたいと考えています。

 

(5)おわりに

 

法務省・文部科学省が出した今年度版「人権教育・啓発白書」の「刊行にあたって」の中で、『我が国では、いじめや児童虐待等のこどもの人権問題やインターネット上の人権侵害、障害のある人や外国人、性的マイノリティ等に対する不当な差別や偏見、部落差別(同和問題)、ハンセン病問題といった多様な人権問題が依然として存在している。5年ぶりに実施された内閣府による「人権擁護に関する世論調査」では、こうした人権問題の解決に向けて国が力を入れるべきこととして、約半数の人が「人権教育の充実」や「啓発広報活動の推進」と回答していて、人権教育及び人権啓発に関する施策に期待を寄せている。』という内容が冒頭に書かれています。また最後には、『共生社会の実現に向けて、人権について一層理解を深め、様々な人権問題を、自分以外の「誰か」のことではなく、自分自身のこととして考え、人権を尊重した行動をとるきっかけにしてほしい。』という内容で締めくくられています。人権教育や人権啓発は、ますます必要とされており、学校教育の役割はこれまで以上に期待されていると言えるでしょう。

京都市では、「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という理念のもと、人権教育を基盤とした教育を大切におこなっています。これは、京都市の同和問題をはじめとするすべての人権問題を解決しようと取り組んできた普遍的な取組が、次第送りされ、今の京都市の教育につながっているのです。

20233月、文化庁が京都に移転されました。京都には、文化財が多く伝統文化が蓄積していること、文化財を活用した観光を強化できること、地方文化の多様性の確保につながること、といった点が評価され、文化庁の移転先に選ばれました。京都市のこれまで大切にしてきた人権文化も京都の誇るべき伝統文化と呼ばれるよう、未来の担い手である子どもたちにしっかり受け継ぎ、だれもが幸せに暮らせる京都を発信していきましょう。

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