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第55回人権交流京都市研究集会
s ●基調講演●
上杉 聡 (元大阪市立大学 教授/じんけんSCHOLA 共同代表)
司会進行:木下 松二(京都市協)
責任者 :西條 裕二(京都市協)
記 録 :筒井 絋平(京都市協)
【講演要旨】
これまでから「部落の歴史」分科会で何度かお話されてきた上杉聡先生に、今回は「宗教」の観点から、またさらにそれによってもたらされた「民衆意識」によって、差別が生じた原因や経過について講演をいただいた。
まずは、仏教界(宗教界)においてなされた差別を「町田発言」、差別戒名・墓石、過去帳など列挙されたうえで、仏典「観無量寿経」に記された「是旃陀羅」の説明に入った。
観無量寿経にある「王舎城の悲劇の物語」には、父の王位を奪還し、幽閉したうえ餓死させようともくろんだ息子(王)が父がまだ健在であることを知り、その理由を母が食物を秘密裏に運んでいたせいであると母までを殺害しようとしたところ、その臣下が「これ旃陀羅なり、われらはまたここに住すること宜しからず」と説き、これに対して王はおそれて害することを思いとどまり、母を幽閉したとある。
日本に来た仏典は5000点以上あり、そこで調べた限り5%くらい旃陀羅が出てくる。これを使い説教した人は奈良時代から多くいて、これが非常に悪質な差別を含む仏典であった。ただし、その旃陀羅という文言ははたして必ず差別語として使用されてきたかというとそう簡単に言えないということもわかってきた。文脈から判断するべきということだ。
■インドのチャンダーラと日本の部落
もともとインドにはチャンダーラという人たちへの差別がある。それを漢字の音読みにして旃陀羅となった。部落差別の発祥はインドと言える。岩波文庫から出版されている「ブッダのことば」にチャンダーラが出てくる。そこには「彼らとの交友を断ち、婚姻は同一カースト間でおこなうこと。チャンダーラは王による命令による徽章をつけて労務のため出歩くべきであり、行き倒れの死体を運び、有罪者を処刑すべし」とある。日本でこれをやらされた人を「エタ」と呼び、村はずれに居住させられた。排除され清掃の仕事をやらされ、動物や人間の死体処理をさせられるというのは、まったく同じだ。
これは紀元前後200年頃の「マヌ法典」に書かれている一部だが、それが日本にやってきた。そこから中国語に訳され、漢字から私たちのお経となって伝わった。
上杉さんは仏典の全部を調べたところ、8割から9割は悪く書かれているが、1割から2割はこの人たちを差別してはならないと書いてあるとする。日本に入ってきた5000点に旃陀羅は差別すべしとあるので、当時の為政者がそれを読んで旃陀羅は悪いものと理解するのは当然だ。仏典が入ってきたのは古墳時代。当時は直接的に差別に結びつかなかったが、中世、近世になりこの差別を利用しようとする権力が生じてきた。
■部落差別の形成過程での権力と宗教の関係
部落差別に直接言及する言葉が最初に出てくるのは「塵袋(ちりぶくろ)」という文献で1281年、鎌倉時代中期のこと。エタと非人という言葉と同時に「まじろいもせず」と、人と交際できない、排除された人たちだと書かれている。「天竺旃陀羅というのは屠者なり、生き物を殺すエタの悪人なり」とあり、真言宗の僧侶が書いたものである。これは仏教がヒンズー教の差別をそのまま仏典にのせて日本におくり、忠実に勉強したということでしょう。部落差別を克服するには仏教のこうした側面も含めて問題にしていくことが大切。しかし、原因は仏教だけではなく、その情報を取り込んで部落をつくった権力にも目を向けなければならない。
それを天皇のためにしたのが藤原道長だと考えるべき。まず、西暦538〜552(古墳時代)朝鮮半島の百済から仏教が伝わり、それが675年、天武天皇による農耕期の肉食禁止令とにつながり、691年には肉食の禁止となる。こういったことがずっと続いて1015〜1016年までくると、日本の中に、動物を殺すことは悪いことだとするのが定着し、動物を殺す人たちは恐ろしい人だということに変わっていく。最初は行為をやめればそれで終わり、一時的についた穢れは祓えばよいというふうだったのが、やがて、「あの人たちは怖い人たちだからあのような仕事をしている」「あの人たちは残酷な人たち」という偏見に変わっていった。それは為政者=権力がそうした職業の人たちを組織していったことが原因である。
■日本へ仏教が伝わった経緯
仏典が百済から日本に伝わった理由は、当時、高句麗に侵攻されていた百済が日本に援軍を要請し、その見返りとして仏教を持ってきた。同じ文明国であり、同じ価値観をもってもらうためだった。国家を通じて「一切経」という言い方で受け入れ、権力者たちも勉強した。論語も同時にきたが、論語よりも仏典が大事にされた。これが世界で最高の知識であり文明の力だということ。やがて写経を民衆に伝えていき、漢字が定着していった。
部落の形成過程で「怖い」と「穢れ」の意識が存在する。「穢れ」は神道がつくった言葉で、仏教では基本的に見当たらないが、仏教にヒンズー教が深く入ってくると仏典にも「穢れ」というのが出てくる場合がある。奈良時代まではなかったが、平安時代、最澄や空海が持ってきたものの中に出てくる。古墳時代から奈良時代までは、土地は口分田としてあり、比較的安定していたが、平安時代になると荘園ができて世の中は分割されて生活するようになる。荘園の中に入れる人はいいが、そこに入れない人たちもたくさん出てきて、それが河原に住んでいる人たち。そうした新しい時代に、社会を支配する目的で人の嫌がる仕事をさせるべく組織し、差別するということが全国に広がっていく。
これは仏教がヒンズー教を取り込んだ結果でもある。仏教徒が少数派であったインドではヒンズー教的教えを取り入れ、妥協していく。だから仏教も時代が下ればくだるほど悪くなっていく。密教として空海や最澄がもってきたのは一番悪くなったものだったが、一番新しいものとして皆、勉強してきた。それを受けて権力者が日本に部落差別をつくった。
しかし、これらを勉強するなかで、面白いこともわかってきた。
インドでは旃陀羅のことを人間と考える場合もあった。
カーストで言うと2番目の身分にあたるクシャトリアの旃陀羅。宰官の旃陀羅、役人の旃陀羅、長者の旃陀羅、僧侶である沙門の旃陀羅、婆羅門の旃陀羅もある。この場合の旃陀羅は抽象的な例えば悪魔のような存在というふうに考えるべきとわかってきた。かつて水平社の書記長であった井元麟之は自分も信者である浄土真宗の観無量寿経の中に旃陀羅が出てくるのはけしからんと糾弾闘争をしてこられたが、この中に出てくる是旃陀羅は人を指すのではなく、悪魔のような、あるいは煩悩のようなものを指しているのではないか。旃陀羅という言葉は多くの場合悪い意味でつかわれ差別を広めてきたが、もっと広い視野で仏典を捉えれば、良い仏典もある。仏教の良い面を伸ばしていくという観点から考えるべきと思っている。
おわりに しかし仏教徒としての責任はある。視野を広げたうえで仏教を改革する人間にならなければならない。今回の東本願寺の「御同胞(おんどうほう)を生きる」は、その端緒であると思う。これを出発として仏教が部落差別の成立に大きな影響を与えたというその悪い面を克服し、それを学びながら仏教という全体を変えていってもらいたい。
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