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第47回人権交流京都市研究集会

  第 47回人権交流京都市研究集会基調

 

  はじめに

 

1 私たちを取り巻く情勢と課題

(1)  人権侵害救済法制定に向けたこれまでの経過

(2)  人種差別撤廃推進法の成立を

(3)  おさまらない人権侵犯事件

 

2 福祉で人権のまちづくり

(1)  子どもの貧困への支援事業

(2)  人権のまちづくり

(3)  事前登録型本人通知制度

 

3 多文化共生の社会をめざして

(1)多様化する日本社会

 (2)社会的弱者の絆を強めよう

 (3)「共に生きるまち東九条」〜東九条の実践〜

 

4 人権確立に向けたこれからの運動展開

(1)全国水平社創立宣言を「世界の記憶」に

(2)歴史理解から人への理解―人権確立の道筋を足下から

 

5 教育をめぐる状況

 (1)はじめに

 (2)同和教育の成果を“次第送り”するために

 (3)研修の場としての「京都市小学校人権教育研究集会」の充実

(4)教科書改訂を踏まえた同和問題指導のあり方

(5)同和教育の成果を生かした取組の事例

〜すべての子どもに教育保障・学力向上を〜

(6)人権教育を学校教育の根幹に据え直す視点から

(7)今を生きる子どもたちを取り巻く状況と課題

(8)中学校のある生徒の事例から

〜負の連鎖から脱することを支援する姿勢と実践

(9)学校教育の将来像と人権教育〜教育的な共同体の構築にむけて

 

47人権交流京都市研究集会 基調提案

 

はじめに

 

 「憲法9条」を基軸とした戦後日本の対外政策は、大きな岐路に立たされています。本来であれば戦後70年という節目の昨年は、あらためて周辺アジア諸国との友好・連携を深め、平和の構築に向け決意をかためる年でありながら、昨年、参議院特別委員会では、採決とは言えない混乱の中で「安全保障関連法案」が通過し、919日未明、本会議で自衛隊法改正案、重要影響事態法案(周辺事態法の改正)、船舶検査活動法改正案、国連平和維持活動協力法案、国家安全保障会議設置法改正案など10法案を一括した「平和安全法整備法案」と、新法「国際平和支援法案」が強行採決されました。「存立危機事態」の新設により、日本が直接武力攻撃を受けていなくても、他国の武力攻撃に対して自衛隊が武力行使できる。「周辺事態法」が「重要影響事態法」に変わることにより、地理的制限をなくし、世界中に自衛隊を派遣できるようにする。「国際平和支援法」で、国際社会の平和と安全などの目的を掲げることで、戦争している他国軍をいつでも自衛隊が後方支援できるようにする法律です。そもそも、それぞれが重要な改正法案を10本にまとめて一括審議し、「国際平和支援法」との2本立てで採決すること自体が乱暴な行為でした。その内容は、与党が招致した憲法学者や、歴代の内閣法制局長官、最高裁長官さえもが「違憲」と明言する内容です。

 一方で多くの市民が、法案に反対するために、デモ行進や集会へと具体的な行動で自らの意志を表現しました。特に、この法律によって具体的に戦争へとかり出される若い世代の人々は、ソーシャルネットワークの呼びかけで、これまでにない、大規模な取り組みを展開しました。それは、単に戦争に反対するだけではなく、国の形であるところの憲法が、法的整合性をもたないまま空文化し、立憲主義、ひいては、個人の尊厳さえもが否定されようとすることに対する危機感であり、異議申し立てでした。国会という、政治に携わる専門家集団(議員)だけで国の進路を決めるのではなく、一人一人の市民が、声を挙げ、意思を表明することの重要性に様々な世代の人々が気付き、連帯したのです。それは「平和」や「安全」という言葉が、時に180度回転して、「戦争ができる」「攻撃する」という言葉と同義にさえなってしまうという、危うい現状に対して、人々がより注意深く、慎重に対応したということでもあり、民主主義そのものを私たちに再考させる機会でもありました。

 日本は、人権に関わる国際基準に大きく届いていない点がいくつもあり、国連の条約委員会からの勧告も続いています。特に、人権侵害が発生したときに、被害者を救済する法制度と同時に、人権侵害を禁止する法律を作れていないこと。また、明治時代につくられた民法がそのままであったり、戸籍法も3代にわたる登録は戦後禁止されたものの、家族単位での登録という形式や本籍地や筆頭者を附票で追跡することで、第三者がどこまでも経歴を追うことができるなどの問題は変わらず、それゆえの、女性差別や部落差別の根拠は、国(権力)によって放置されています。

 それは憲法に謳われた個人の尊厳が実現されるために、いまだ法改正がすすんでいない現状をあらわしています。むしろ憲法から「個人の尊厳」を削除し、「家族の尊重」や「個人の義務」を強調する憲法改正草案を党是とする与党が国会の多数を占め、「権力の濫用に制限をかけ国民の権利を保障するため」にある「憲法」の主旨そのものを改ざんしようとすることは、人権尊重という概念そのものが否定される危うい状況だと言えるでしょう。

 今年は、東日本大震災、そして福島第1原発事故から5年が経過すると同時に、チェルノブイリ原発事故から30年という年にもあたります。人類が、その滅亡を自ら招きかねない「核」の技術を手に入れたということは、私たちの世界観を、これまでとは全く違う地平へ導きました。原子力発電所の建設でエネルギー転嫁に用いようと、原爆・水爆という武器として使用しようと、それが招く結果について、将来の子どもたちはもちろん、水・空気・動物・植物、すべての地球環境に責任を持つことのできない大惨事の危険性を孕んでおり、私たち人類は理性の力で自制しなければなりません。

 チェルノブイリ原発事故からの30年は、ウクライナで、ベラルーシで、ロシアで、事故現場の30キロ圏内、50キロ圏内で暮らしていた人々に重大な影響を与えました。昨年のノーベル文学賞にスベトラーナ・アレクシェービッチさんの「チェルノブイリの祈り−未来の物語」が選出され、30年経った今、当時の人々の記憶と記録が、あらためて世界中に共有されるきっかけとなりました。福島の事故についても、現状の困難や問題点が伝えられる機会が少なくなっています。それどころか、被害を少なく見積もり、あの重大な悲劇をなかったことにする「帰還」に向けた圧力さえも高まっています。当事者は、常に悲しみのただ中にいますが、それ以外の人々が、その悲しみに寄り添い続けるのには、力と想像力が必要です。「忘れられることを恐れる人」がいるから忘れないのではなく、私たち自身が忘れることを恐れなければならない、その当事者であることを自覚したいものです。

 沖縄の基地問題は、県と国が裁判闘争に突入するという切迫した状況となっています。戦争が終結したという19458月、沖縄はまだアメリカの占領下にあり、日本に返還されたのは1972515日、44年前のことです。当時沖縄の人々は、戦争放棄をうたった、憲法9条をもつ「日本」へ「帰る」ことを願い「返還運動」を繰り広げましたが、その帰結が、米軍基地との共存を強制され、自治権を否定され、環境破壊の辺野古基地移設をめぐり国と対峙することになろうとは、誰が想像をしたでしょうか。

 思えば、私たちは「多数の安寧のためには、少数の犠牲はやむを得ない」とするその考え方に、長く縛られすぎて来たのではないでしょうか。その少数者の排除こそが、差別であり、人権侵害であるということが、ようやく少しずつ認知されてきたのです。人権を基軸にした社会を実現するために、異なる立場、異なる状況にある人々と出会い、丁寧に議論し、互いを知るという、私たちの集会の意義があらためて重要になっています。

 

 

1    私たちをとりまく情勢と課題

 

(1)     人権侵害救済法制定に向けたこれまでの経過

 

人権擁護関連の法制定は、現政権のもとでは足踏み状態となっていますが、これまでの経過について、振り返っておきましょう。

日本での人権擁護関係についての法整備は、国際的にも極めて遅れているところ、法案の着手は、2001年5月、1996年に設置された人権擁護推進審議会が「人権救済制度のあり方について」を法務大臣に答申したことから始まります。答申を受けて法務省は、人権擁護法案としてまとめ、第1次小泉内閣により、2002年3月8日、第154回国会に提出されました。 

  人権擁護法案は、人権侵害に対する一般救済手続きとして被害者に対する助言・援助、加害者への説示、啓発その他の指導、被害者と加害者と関係の調整、関係行政機関に対する人権侵害の事実の通告、犯罪に該当する人権侵害の告発等を規定しました。また、特別救済手続きにおいては、強制処分が認められ、報道機関等による人権侵害もその対象とされました。さらに人権委員会を法務省の外局とされたことから、野党だけではなく、弁護士会、報道機関なども法案の反対に回ったのです。

 このために、法案は、第154回国会、第155回国会、第156回国会と3会期連続で審議されましたが、成立に至らず、2003年10月の衆議院解散により、廃案となりました。

  当初、反対する側は法務省の外局では独立性が担保できず、1993年に国連総会で採択された「国内人権機構の地位に関する原則(パリ原則)」を踏まえたものでなければならないとの主張でしたが、その後は「保守派」を中心とした反対運動が活発化しました。報道機関を特別救済の対象としないこと等の修正を加えた上で国会に再提出するべく法案の見直しが行われましたが、2005年、与党執行部は断念しました。同年8月、野党民主党が「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」を第162国会に提出しましたが、8月8日の「郵政解散」により、審議未了。廃案となりました。法案提出に「慎重な姿勢」をとる第1次安倍内閣が2006年に誕生し動きはさらに下火になります。

2009年9月、第45回衆議院議員総選挙で民主党が政権を握り、法制定は目前かと思われましたが、2012年9月「人権委員会設置法案」を閣議決定したものの、12月の衆議院解散により、審議未了で廃案となりました。

 結局15年経った今も、人権擁護行政が法律のないまま、訓令等に基づいて実施されるという不正常な状態が続いています。法律がないために、何が「許されない差別」であるかという「共通の尺度」が定められず、禁止されるべき差別が放任され、「救済されるべき差別被害」が救済されません。被害にあったにもかかわらず、気にしないようにしたり、自分にも落ち度があったのかと悩んだりしつつ、傷ついた心を抱えてしまうことにもなるのです。

また、啓発や研修の分野においても、2000年に「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が施行されましたが、何が差別に当たるのかという基準なくしては、一般論、抽象論に落ち入る危険性があるといわれます。こうした法的不作為が継続する現状については、もっと多くの人々によって危機感が共有される必要があります。人権という観点での進展がないまま、戦争を準備する法案は議論が尽くされないままに、スピード成立させてしまう現状は、ブレーキのきかない車を運転する危険性に似ています。

 

(2)人種差別撤廃推進法の成立を

 

  一方、ヘイトスピーチへの規制に関しては、昨年5月「人種差別撤廃推進法案」を、民主党を中心とした野党が提出し国会で8月まで審議されました。この法案についても、そもそもは、1995年に加盟した人種差別撤廃条約で定められた義務を具体化するため、本来であれば20年前につくられるべき法律です。その内容は、国の基本原則・方針を定める基本法であり、ヘイトスピーチを含む差別の禁止を宣言してはいるものの、罰則のない「理念法」です。しかし、これもまた「表現の自由」との両立で与野党の協議は折り合えず、継続審議となりました。経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国中、30カ国が人種差別や差別の扇動に対して刑事罰を設けている現状で、基本法さえ持たない日本は、「致命的に取り組みが遅れている」と指摘されています。

また、この条約における人種(的)差別とは、第1条に「人種、皮膚の色、世系または国民的もしくは民族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ、又は害する目的又は効果を有するものをいう」とあり、批准時に日本の外務省はここに部落差別は含まれないと公言しましたが、条約委員会からは、「部落差別を含め、実態調査を行うように」との勧告を何度も受けています。条約の定義に従い、在日韓国・朝鮮人をはじめとした在日外国人だけでなく、アイヌ、沖縄、部落民等々、多様な文化的歴史的背景を持つマイノリティの社会生活が、何らかの対策を講じないことで不利益、不平等な扱いを受け続けるということは、「しない」ということが結果的に差別となります。例えば障害者差別解消法に規定された「合理的配慮不存在」が差別であるとする定義のように、「差別」は当事者に責任があるのではなく、社会の側にその責任があるのだという考え方は、同対審答申でも示されたものです。

 このように、人権侵害救済法制定の見込みが立たない状況で、人種差別撤廃推進法の成立がまずは望まれると同時に、差別に関する実態調査を政府・自治体が責任をもって行い、共通の尺度としての差別の定義を法律に盛り込むべきです。

 

(3)おさまらない人権侵犯事件

 

  円安誘導の政策によって大企業は大きな収益を上げる一方、 資本の内部留保、非正規雇用の増大、またそれを後押しする労働法の改悪もあり、格差はさらに広がっています。そしてこのところの世界経済の悪化によりアベノミクスは失速し、経済の先行きは誰にも見通せません。

そのような殺伐とした社会状況で、労務管理においては、ある大手引っ越し業者が採用に関わり、差別を助長する悪質な職員研修を行ったことが発覚しています。非正規労働者のユニオンが公開した動画で研修中に採用基準についての講義内容メモがあり、「三国人」「ヨツ」などと差別的な表現を使って、韓国人や朝鮮人、部落出身者も採用しないことが強調されたのです。また、昨年4月、5月には大阪、京都、兵庫の広範囲にわたり「部落差別は当然」とする大量の差別文書が公営住宅や皮革業者、県・府連解放同盟事務所にばらまかれるという人権侵犯事件もおこっています。

戸籍等の不正取得事件もおさまることなく、昨年もまた、東京の司法書士が全国の自治体から526通の戸籍や住民票を不正取得しています。本来であれば、個人に遍く番号を振り分け、継続的に登録・管理するマイナンバー制度が始まる以上、業務遂行上では戸籍制度の必要はなくなっています。家系概念の温存により、部落差別、女性差別、婚外子差別の温床となっているこの制度そのものが、国による差別存続の意思表明になっています。日本の植民地化政策によって朝鮮半島にも戸籍制度を持ち込んだ結果、韓国にも同様の家族単位の戸籍があったものの、2008年に個人番号制が導入されるのにともない撤廃されています。それは、韓国での人権委員会設置を含む人権行政の推進、女性たちの運動の成果とも言われています。日本よりも儒教の影響が強いとされている韓国でも戸籍制度は撤廃され、家族単位の国民登録を行っているのは、もはや、世界でも日本だけとなってしまいました。

 

 

2  福祉で人権のまちづくり

 

福祉で人権のまちづくり運動は、地域における足もとの課題を丁寧にすくい上げ、その課題解決に必要な一般施策の調査や研究を行い、取り組みを進めています。

 

(1)     子どもの貧困への支援事業

 

地区の現状は、無年金や低年金の独居高齢世帯と、ひとり親(特に母子家庭)世帯が過半数を占めています。親の職業もパート、臨時雇い、生活保護世帯など最低生活を余儀なくされ、子どもたちは親の帰宅までの間カギっ子として過ごしています。貧困による家庭の学習環境の低下など教育・進路・就労にも影響しています。教育の機会均等と就職の機会均等の保障は、まさに部落差別の本質でもあります。

国の調査では、子供の6人に1人が貧困家庭の子どもと言われています。「同和」教育の始まりは、「今日もあの子が机にいない」と、部落差別による同和地区児童生徒の低位な環境を改善するために、部落解放運動の高まりにより「補習学級」「センター学習」「進学促進ホール」「奨学金」などの施策が進められ、学力の向上と徹底した家庭訪問などが相俟って、高校・大学進学率は飛躍的に向上し、希望する就職が実現するなどの成果が見られました。私たちは、これまでの同和教育の成果を学区周辺にも視野を広げ、貧困・ひとり親家庭のこどもに視点を当てた教育行政、福祉行政、人権・同和行政を地域課題として取り組みを進めなければなりません。一昨年10月から施行された「いじめ防止対策法」をはじめ「子どもの貧困対策の推進に関する法律」を具体化させた「子どもの貧困対策推進計画」を柱に取り組みを進めていきます。

その手法は、地域住民だけでなく、学区内外の各種団体や当事者などと連携して取り組むなかから、豊かな関係性を築き、差別や人権問題などの現状を訴え解決にむけた営みを実践することです。

市内でもいくつかの地域で、いきいき市民活動センターを活用し、「ひとり親家庭のこどもの居場所づくり事業」に取り組み、週に23日、夕食、入浴などの生活支援、学習支援、交流事業を行っています。

年々めまぐるしく変化する福祉施策(高齢福祉、障害福祉、児童福祉、地域福祉等)を学習する機会として、京都市協における「福祉・教育」、「人権確立」、「まちづくり」の各部会における学習会を積み上げていきます。

 

(2)     人権のまちづくり

 

 人権のまちづくりにおける新たな課題は、空き店舗の入居基準の見直し問題があります。千本地区では、楽只市営住宅の空き店舗を使って、創造的な出会いを生み出す場として地域の魅力を発信する「1000KITA PROJECT(センキタプロジェクト)」を進めています。千本通に面した店舗付き住宅の四店舗を使い、「出会う」「学ぶ」「伝える」をコンセプトに賑わいをつくり出し、地域や世代を越えた多様な交流が生まれるイベントを行っています。しかし、これは実験的な試みであり、他の地域での取り組みは、店舗への入居基準が見直されない限り広がらない現状があります。

高齢者・子育て世代等が共存するコミュ二ティバランスを確保し地域の活性化と賑わいを図るために、住宅の承継基準の緩和と家賃問題があります。狭隘で築50年を経過した改良住宅では、戸数の半分以上が空き部屋になっています。京都市住宅行政は、「京都市市営住宅ストック総合活用計画」を進めていると言っていますが、同計画期間の後期5年計画(今後5年間)では、七条地区のような市立芸大移転という大型プロジェクトと一部の地区以外は次期計画に先送りされた状況であり、これでは差別の再生産になりかねません。

また、「同和」行政の完全廃止を受けた入居基準の見直しでは、立ち退きによって補償された改良住宅の居住者の基準が一般公営住宅の基準と同等扱いになり、明け渡しを余儀なくされている現状があります。国土交通省住環境整備室交渉では、京都市の基準は一般公営住宅の入居基準に合わせ、改良住宅の歴史的経過からみれば厳しい内容だと言われています。この基準によって、新たな住宅難民が全地区で発生して大きな課題になっています。住宅を必要とする市民は、福祉を必要としており、京都市住宅政策は「福祉とは何か」の視点が欠けているところを厳しく指摘して進めていく必要があります。

私たちは、この際、従来型の建て替や住替えだけでなく、思い切った提案として、民間活力を活用した借上型改良住宅の建設やコーポラスティブ住宅の建設なども視野に入れたまちづくりを検討していきたいと思います。さらに、地区の中には、JR、地下鉄、私鉄などの公共交通機関や道路整備、公共施設などのインフラ整備が進み利便性の高いところがあります。また、近隣には世界文化遺産である下鴨神社、金閣寺、醍醐寺等をはじめ大学、商業施設もあり、周辺地域の特色を生かし共存共栄できる方策を地域住民が主体的に論議を起こすことも大切です。

 

(3)     事前登録型本人通知制度

 

人権確立の課題については、戸籍等の不正取得の抑止と市民の知る権利を保障するため、一昨年6月、京都市は全国のモデルとなる事前登録型本人通知制度を導入しました。昨年9月より、広島県尾道市では京都市型の制度を導入し、さらに、府内の自治体でも改正にむけた動きが始まっています。「事前登録型本人通知制度」の周知と登録拡大を進めていかねばなりません。しかし、登録者数はいまだに伸び悩み、昨年12月段階で、1,105人と全人口の0.078%です。ただし、通知件数は94件と意外に多く、登録者数の8.5%となっています。窓口職員の意識向上、市民への周知について本腰を入れるべきでしょう。

なお、全国の先進事例として、鳥取県江府町では、この登録制度を廃止して、全ての町民のプライバシーと知る権利を保障するために、全通知型制度を今年の1月1日から施行しました。全国にある約1600の自治体では初めての制度として、私たちも参考にしながら、登録数が伸び悩んでいる現状を打破するためにも、先進事例を学び議論を深める必要があります。

同時に、聞くに堪えないヘイトスピーチについては、一昨年12月の京都市会において全会一致で意見書が採択されましたが、法規制を求める内容にまでは至っていません。大阪市では、ヘイトスピーチ規制条例が制定され、国会でも、参議院で議員提案として同法を制定させる動きがあります。今後は、京都市会や府内の自治体にも働きかけ、法制定を求める国会活動を強化していかねばなりません。

他方、「障害者差別解消法」を受けて、昨年4月からスタートした「京都府障害のある人もない人も共に安心していきいきと暮らしやすい社会づくり条例」の運用を注視し、障害者団体との連携を強めて、真の差別解消につながるように要求していきます。

これらの三課題の共通点は、差別を受けた当事者への支援や対策が不十分であったり不透明であったりして、救済制度が十分なものではありません。現行制度(侮辱罪や名誉毀損罪等)の欠陥や限界を指摘して、泣き寝入りをさせず差別を許さない国民的世論を高揚させて「人権侵害救済法」の制定を求めた闘いを押しすすめます。

 

 

 

 

3.多文化共生の社会をめざして

              

(1)       多様化する日本社会

                                    

いわゆる「団塊の世代」と言われる人たちが全て65歳以上となった日本社会は、急速に少子高齢化社会に向かいつつあります。若者の労働力が不足し必然的に外国から労働力を求めなければならず、一般の日本人が敬遠しがちないわゆる3Kと言われる劣悪な労働現場を外国人労働者で補おうとしています。京都に於いても介護や清掃等の深夜労働に外国人労働者が多数従事し、その労働環境が問題となっています。この背景には、日本が戦前から引き継いできた欧米に対する崇拝、アジアや発展途上国に対する蔑視という差別意識があります。本来「共に生きる社会」とは、お互いが平等な立場に立ちお互いの違いを認め合い、固有の言語・文化・歴史などを尊重するところから出発しなければなりません。  

日本社会の国際化・グローバル化傾向は近年ますます進み、京都市内には144カ国、4万人以上の外国籍住民が暮らしています(2014年末)。また国籍は日本でも本来は外国にルーツを持っている人々や、両親や祖父母のどちらかが外国出身の人々が私たちの周りに多く生活しています。このような状況に立って京都市は、2008年に「京都市国際化推進プラン」を発表し10カ年計画を推進中です。一昨年には5年間の経過を経た「改訂版」が発表され、ヘイトスピーチに対する取り組みなど多くの項目が新たに加えられました。また京都市教育委員会は24年前に「外国人教育方針」を策定する中で「主に韓国・朝鮮人児童・生徒に対する差別をなくすために」という取り組みを掲げましたが、近年は国籍にこだわらず外国にルーツを持つ全ての児童・生徒へと対象を広げています。一方で外国籍住民への支援や外国にルーツを持つ児童・生徒の学習支援などに取り組むNPO法人・市民団体等も数多く誕生していますが、そのネットワークや連携・情報交換などが不十分であり日本社会全体を見るとまだまだ課題が山積しているのが実情です。

 

(2)       社会的弱者の絆を深めよう

 

 戦前の日本の朝鮮植民地化政策により、数多くの朝鮮人が日本に流入してきました。彼らが居住した地域の多くは、被差別部落周辺でした。京都でも被差別部落周辺に在日朝鮮人集落が形成され、戦後の経済的社会的な混乱をくぐり抜け共に生きてきました。しかし近年これらの地域では人口減少と少子高齢化が進み、まち全体から活気がなくなり空地や空き家が目立つようになりました。

今日の日本社会は、社会的弱者を輩出する格差社会です。新たに生み出される社会的弱者の多くが、戦前から形成されてきたいわゆる被差別地域周辺で生活せざるをえない傾向があります。劣悪な労働環境で働かざるを得ないニューカマーの家族。子どもに食料や教育を十分に与えられないシングルマザーの家庭。年金制度から見放された高齢者。精神や身体に障害がある人たち。刑を終え出所しても社会から受け入れられない刑余者。定住する家を持てないホームレスの人たち等々。私たちの周辺には、このようないわゆる社会的弱者と呼ばれる人々が数多く生活しています。昨年4月に施行された「生活困窮者自立支援法」は、そもそもが生活保護受給者の増加を抑えるための法律であり、生活困窮者が増加する社会構造の根本を見直すものではありません。私たちには、差別と抑圧、社会の偏見と闘ってきた先輩たちの歴史と遺産があります。これらを礎に社会的弱者と呼ばれる人々が手を携え、共に生きる社会を築いていかなければなりません。

 

3)「共に生きるまち東九条」〜東九条の実践〜

 

多文化共生社会とは「国籍や民族の異なる人が、互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として、共に生きてゆくこと」(2006年総務省)です。また多文化とは、民族文化ばかりではなく障害者や高齢者などの文化も「多文化」として尊重されなければなりませんし、今日の超高齢化社会を思うとき高齢者が培ってきた文化はもっと尊重されなければなりません。

東九条には永年地域に根を下ろした様々なNPO団体や市民団体などがあり、地域の「まちづくり」に貢献してきました。その一つである東九条マダンは、1993年から毎年11月初旬に多民族共生・交流のまつり「東九条マダン」を盛大に開催し、毎年地域内外から約5000人の参加者があります。また20117月には東九条の地に「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」が開設され、現在51もの市民団体が登録しています。またそれらの団体が中心となった「春まつり」が恒例化し、本年も416日に「第5回東九条春まつり」が開催される予定です。その他にも「多文化交流夏まつり」「多文化交流餅つき大会」など多彩な行事が行われてきましたが、今年から「多文化交流秋まつり」が開催されるなど地域に根を下ろした多文化共生の実践がされています。また在日コリアン集住地域である東九条では、永年在日コリアンへの差別に反対し人権を擁護する運動が積重ねられてきましたが、近年では「在特会」らのヘイトスピーチ(憎悪表現)に対する取り組みなども行われてきました。これらの運動の歴史と実績を踏まえ、本集会の構成団体の一つである「京都・東九条CANフォーラム」では昨年より「共に生きるまち東九条」をスローガンとして高齢者問題、留学生問題、障害者問題、生活困窮者や精神障害者の居宅問題など、様々な生きづらさを抱える人たちの問題などをテーマに学習会やシンポジウムなどを開催してきました。今後は在日コリアン問題だけでなく、地域の人々が共に生きていけるまちづくりを目指して行きたいと思います。

「多文化の息づくまち・京都」の実現こそ、これからの京都を展望するキーワードになることでしょう

 

 

4 人権確立に向けたこれからの運動展開

 

(1)全国水平社創立宣言を「世界の記憶」に

 

  私たちは、「全国水平社創立宣言と関連資料」をユネスコが主催する事業のひとつである「世界の記憶」に登録すべく、活動を展開してきました。各地での集会開催や、関連資料の展示などを行い、短期間ながら全国的に15万5千を越す個人署名と、530を越す団体賛同署名を集め、昨年7月には、京都府議会、京都市会で登録実現のための決議が、全会派一致で採択されるなど、全国水平社創立宣言に込められた、人間への尊敬を謳い、自主的集団的解放運動へ立ち上がっていった精神が、多くの人々に共有されました。しかし、今回国内で16件もの申請が上げられ、9月24日、文部科学省の日本ユネスコが国内委員会は群馬県の古代石碑「上野三(こうずけさん)()」と第2次世界大戦中ユダヤ難民にビザを発行し続けた杉原リストの2点の推薦を決定し、残念ながら「全国水平社創立宣言と関係資料」は選定されませんでした。

水平社創立大会宣言の意義は、アイヌの解放組織「解平社」の結成(1926年)や、朝鮮半島の白丁(ペクチョン)と呼ばれていた被差別民による衡平社(ヒョンピョンサ)の結成(1923年)に影響を与え、またその後もヨーロッパのスィンティ・ロマの活動にも影響を与えています。このように、日本の被差別部落の人々が、当時の英知を集め、人権擁護の国際的パイオニアであったこと。あるマイノリティ集団が、他のマイノリティ集団に、勇気と、差別撤廃に向けた希望を発信し分かち合うことの意義についても、さらに多くの人々と共有できるよう取り組みを進めていきます。

 

(2)歴史理解から人への理解−人権確立の道筋を足下から

 

  同和対策審議会答申50年ということで、本日は50年前の被差別部落の状況を写した映画「人間みな兄弟」を上映しますが、地域の環境改善、その変貌した姿からすれば、当時の劣悪な環境に誰もが目を見張ることでしょう。共同炊事、共同便所、崩れかけた長屋の一間に5〜6人の家族がひしめいて暮らしている情景は過去のものとなりました。それは、答申に基づく特別措置法、そして、地域住民の要求がもたらした成果ではありますが、そこに建てられた公営住宅は、かつての住人たちが、自らの土地を格安で差し出し、行政に売り渡すことで建設可能となったものです。当時、ほとんどの地域住民は協力的でしたが、中には、どうしても渡したくないと主張した人もおり、ごく少ないケースですが、強制執行された土地もあります。その土地をめぐる記憶には、行政が一般市民に向けて建てた市営住宅等とは、別の歴史的経過があり、何よりも、そこで築いてきた住民たちの関係性が、現在も存在するのです。

そうした建設経過の違いによって、「同和地区」の市営住宅は根拠法も異なり、「改良住宅法」に基づきます。公営住宅の高齢化率は、市内の高齢化率を上回りますが、改良住宅ではさらに高い率となっています。そのような中でも、一旦地域外で独立した「子ども」が、親の介護のために地域に戻り、同居するケースも増えています。現在の自分の住居を引き払い、思い切って地域に帰ってくる人もいます。そのうえで、親を看取った後に、そこに住み続けたいと願う場合もありますが、承継にまつわる京都市の条例は、過去1年間の同居を要件として叶わない人もいます。介護のために同居を始めた当初は元気そうにしていた親も、思いがけず早く寿命が尽きてしまう場合もあるのです。そもそも人間の亡くなる日を選ぶことなどできません。京都市のこの規定は2009年の「同和問題終結後の行政の在り方総点検委員会」の最終報告以降のもので、当時、京都市行政の至上命令は「特別を一切許さない」ということでした。しかし、マイノリティの権利擁護という視点からすると、様々な歴史的背景を尊重し、暮らしやすい環境に配慮するということもまた、必要な視点として人権の国際基準に合致したことです。行政は、一人一人の事情に丁寧に向き合い、子ども時代にそこで暮らし、親のために戻ってきた人々が住み続けることができ、地域コミュニティの紐帯が継続する方途をむしろ手助けするべきではないでしょうか。新しい社会も、新しい地域も、それまでの経過、歴史を無視しては、未来へ向け作り上げることはできません。そうして、目の前にいる人も、目の前にある現実も、その生い立ちや歴史を知ることなくしては、理解することはできないのです。

  昨年は、戦後70年、同和対策審議会答申50年ということで、長いスパンでものごとを考える機会が多い年でした。戦争を体験した世代からは、戦前と時代の空気が似ているとの指摘も受けながら、厳しい社会状況が続いています。私たちは、もう少し視野を広げ、明治国家成立以降の歴史を今一度振り返るべきかもしれません。解放令の発布から融和政策を経て、水平社の創立があったものの、路線をめぐる対立があり、その後大政翼賛会へとなだれ込んで行った事実についてその原因を探り、その時代にすり込まれた私たちの意識や世界観は、どれくらい変わったのか変わらなかったのかを知る事。知ることなくして、これからの展望も開けないからです。

第2次世界大戦の反省と教訓のもとに発せられた、「世界人権宣言」のもと、地道に繰り広げられてきた国連の、様々な人権委員会活動が続いています。遠い世界のことと感じられるかもしれませんが、人権の視点に立ち、国や民族の違いを認め合い、一人一人の個人が個人として尊重され、他者を傷つけないという価値観が普遍的なものとなることは、足下の私たちの社会から作り上げていかなければならないのであり、批准された各条約は、国だけが守るべき対象ではなく、各自治体や行政区に対しても、その遵守が義務づけられています。だからこそ私たちもまた、世界とつながり、戦争がない世界を具体的に想像することは可能なのであり、その責任を負っているのだと言えるでしょう。

 

 

5 教育をめぐる状況

 

(1)はじめに

 

今年度は,同和対策審議会答申(同対審答申)が出されて50年目という節目の年にあたります。現在の市民意識がどのようなものかを,京都市の「人権に関する市民意識調査」(平成26年3月)を参考に見てみましょう。調査からは,「人権問題を市民全体の問題である」と捉えたり,学校教育における人権教育の必要性を強く感じたりしている姿が見られます。一方で,結婚を考える際に,「同和地区出身者かどうかが気になる」と回答した人が3割を超え,また,住宅を選ぶ際に,「近くに同和地区があるかどうかが気になる」と答えた人が,5割近く存在しています。

このことから,私たちが日々接している保護者や地域の方々の中にも,未だに根強い偏見をもっている人がいるということがわかります。また一方で,そのような偏見の目を恐れ,不安な気持ちで過ごしている人も存在しているということを見逃してはなりません。さらに,同和問題が存在する限り,将来,差別や偏見にさらされる可能性のある子どももいるということなのです。

現在,子どもの貧困や家庭環境の影響から,子どもの人権が十分に守られていないという状況も生まれています。また,LD等の発達障害や様々な障害によって,個別の支援を必要としている子どもも普通学級に在籍しています。従来から大きな人権課題であった在日韓国・朝鮮人の問題に加え,様々な国にルーツをもち,学力面,生活面,言語面において支援を必要としている子どもも増えてきています。さらには,いじめに起因する様々な事案や不登校の問題等,学校現場は,課題が山積しています。このような現状を踏まえ,「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」とする京都市の教育理念や実践の重要性が,さらに高まっていると言えるでしょう。

ところが,学校現場においては世代交代が進み,昭和39年(1964)に出された「同和教育方針」を知らない,あるいは同和教育の理念や実践そのものを知らない世代も増えてきているのです。

「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」という京都市の教育理念が,同和教育の実践から生まれたとするならば,このことは看過できないことであり,次第送りの重要性が強く指摘されている所以です。

 

(2)同和教育の成果を“次第送り”するために

 

次世代へ伝えていくべき教育実践とはどのようなものなのでしょうか。

同和教育施策が進められていた時代に,全市の小中学校現場で行われていた取組として「抽出促進授業」「分割授業」「基礎学力定着対策(責任指導体制)」等がありました。このような多様な指導形態による取組は,現在の学校現場においても取り入れられている手法です。また,通級指導教室や日本語教室の取組でもその理念が生かされているのです。

「基礎学力定着対策」は,焦点化児童生徒に対して学力や生活面での課題を明らかにし,具体的に課題克服の達成時期や達成基準を明示することで,より細かな目標設定や学習方法の見直しを行っていくものでした。これは,まさに現在の「個別の指導計画」「PDCAサイクル」等につながっています。このように,同和教育での学力向上の実践が,今の時代にもさまざまな姿で生きているように,生徒指導や生活指導,また保護者へのはたらきかけの分野でも,「一人一人を徹底的に大切にする」という教育理念に基づいた様々な実践を,確実に次の世代の取組につないでいくことが重要なのです。

Plan(計画)・Do(実行)・Check(点検・評価)・Action(改善・処置)の頭文字。物事を実行する際の手順を挙げたもので,Actionを生かして次のPlanへつなぐことによって,繰り返されていくという考え方。

 

(3)研修の場としての「京都市小学校人権教育研究集会」の充実

 

小学校人権教育研究集会(小学校同和教育研究会主催)は,各校の人権教育実践の貴重な交流の場や切磋琢磨の場となっています。また,全市の人権教育のあるべき姿と方向性を,多くの教職員が共有したり議論したりする場ともなっています。

これまで,京都市には,同和教育の取組をはじめ,様々な障害のある児童,在日韓国・朝鮮人の児童に対する取組等,個々の人権課題解決をめざした実践の歴史があります。現在,子どもの虐待や貧困の問題,LD等発達障害のある児童への対応,ニューカマーも含めて様々な外国にルーツをもつ子どもたちへの対応等,各校では,学校固有の人権課題解決のための取組が求められているのです。したがって,このような状況に呼応する形で,小学校人権教育研究集会も集会の内容の検討や充実が必要であると考えます。

 

(4)教科書改訂を踏まえた同和問題指導のあり方

 

今年度,教科書が改訂され,小学校6年生社会科教科書の同和問題に関わる単元の記述も変容し,その指導のあり方,授業展開にも少なからず影響を与えています。

教科書には,江戸時代の「さまざまな身分」として「武士」「百姓」「町人(職人)」「町人(商人)」が示され,「人々のくらしと身分」の記述では,「武士」「町人」「百姓」の暮らしの様子を示した後,「このほか,皇家や公家(貴族),僧や神官などの宗教者,能や歌舞伎をはじめとする芸能者,絵師,学者,医者など多くの身分が見られました。また,百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々もいました。」と示されている等,その当時の身分制度や被差別民の存在のありようが,具体的に示されるようになりました。

一方,中学校の社会科では,中世の箇所で,「…庭石の裏には,庭づくりの河原者であった二人の名が刻まれています。」とあり,近世の部分では,「江戸時代の身分制」のところで「…さらに百姓・町人のほかに『えた』や『ひにん』などとよばれる身分がありました。」と,明確に賤称語が表記されています。このことを踏まえ,小学校では1年生から5年生までで人権尊重の基礎・素地を培い,6年生社会科で初めて同和問題に出会わせるその意味をしっかりと考え,指導を工夫していくことが大切です。

 

(5)同和教育の成果を生かした取組の事例

〜すべての子どもに教育保障・学力向上を〜

 

 同対審答申から50年のこの時期に,(2)でも「同和教育の成果の次第送り」が必要であると記しましたが,今学校現場では,様々な人権課題をもつ子どもたちに対して,個別に丁寧に関わり,働きかける取組が進められています。それは,同和施策を全面的に展開していた時代の同和教育の取組の理念が,今の時代に新たな形となって生かされた実践となっています。以下に,ある小学校での実践例を紹介します。

 

事例1) 発達障害のある児童への理解と保護者の願いに応えて

「高機能自閉症スペクトラム障害」の診断を受けて入学してきたA児は,対人関係に困りをもっていました。保護者は,入学前から教育相談に来ていて,入学前には,管理職が通園していた保育園を訪問して保育参観を行ったり,保育園の担任と話をしたりしました。

両親は,民間の学習会等にも積極的に参加し,学んできたことを学校に対しても要望しました。入学後の通級教室についても希望しましたが,当初は,学級内でのA児の様子を担任からこまめに伝え,保護者自身が他の保護者にA児の障害について説明することなどを確認しました。

年度途中から,通級教室への入級を強く希望しましたが,「通級することを他の児童にも,他の保護者にも一切知られたくない」と申し出る等,思いが二転三転することもありました。通級教室が始まってからも,まずは通級教室の担当教員との関係づくりが重要であると考え,一か月あまりは,担任の授業の様子を観察するだけにしました。その取組を踏まえ,再度,担任と担当教員,両親とで話し合いを持ち,家庭では両親がA児に身に付けてほしい力について話をし,通級教室で教えてもらうことについてA児から了解を得ました。通級教室は別室指導となるため,担任が学級の児童に説明を行い,理解を得ました。

通級教室での様子を教員間で共有するとともに,保護者と担任や担当とは,連絡ノートで情報を共有しています。発達障害の児童をもつ保護者は,様々な情報に振り回されたり,不安に思ったりすることがあります。時には,教員以上に専門的な知識をもっている場合もあります。学校側が,真摯に保護者の気持ちに寄り添い,児童の様子をつぶさに報告したり,保護者と情報共有したりすることが大切です。

                                          

事例2)不登校傾向にあるB児への働きかけ

昨年,B児は両親の離婚により父に引き取られ,姉(現在中1)は母に引き取られました。現在,父は生活保護を受け,就労もしていません。昨年度,B児は両親の離婚や引っ越し,祖父母の病気入院等のため,父と一緒に行動して,年間の欠席日数が70日を超えました。

今年は,当初,担任の積極的な働きかけにより欠席日数が大幅に減少したものの,夏季休業前から担任のこれまでの働きかけに対して,父親が反発し,B児自身も様々な言い訳をして登校をしぶるようになりました。 B児には,児童相談所も関わっており,姉も不登校傾向があることから,小学校の働きかけによって児童相談所,区福祉事務所,子ども支援センター,小学校,中学校の各関係者や担当者が集まり,ケースカンファレンスが開かれました。                         

父は,本人が登校渋りをすることへのいらだちを高めているものの,自ら積極的に登校させようという動きはなく,B児本人の意志次第だという姿勢を続けています。

一方B児は,その場限りの言い訳を繰り返し,言い逃れ的な対応を続けています。欠席日数は,12月末現在で,すでに60日を超えました。B児は,地域のNPOが行っている,支援を必要とする家庭の子どもたちに対する「夜の学習会」にも,週2回参加していました。生徒指導主任や教頭がB児の様子を見に行ったり,登校への促しを行ったりしています。しかし,父子の生活のリズムが崩れ,ますます学校へ来にくくなる状況が生まれています。教頭が保護者とも継続的に連絡を取り合い,週末のお便り等もできるだけ顔を見て手渡しできるように努力していますが,それも難しい場合があります。NPOの関係者や関係機関との連絡・連携も図り,働きかけを続けています。

 

かつて,施策の時代,当時の同和関係校を中心に,同和地区児童のもつ様々な課題に対して丁寧な取組が進められました。そして,特別対策の中で個々の教員の努力や熱意ある取組,いわゆる「足でかせぐ」「靴減らし」の実践が多くありました。また,その当時も同じ地区を含む中学校と,保育所とあるいは隣保館(コミュニティセンター)との連携が積極的に進められていました。法切れから14年経った今,それは新たな枠組み・システムの中で一般対策として,京都市教育委員会の各課や各教室,また京都市児童相談所,各区子ども支援センター,そして認定こども園として新たな仕組みでスタートした就学前教育機関との連携という形で取組が進められているのです。

 

(6)人権教育を学校教育の根幹に据え直す視点から

 

中人研では,昨年度来,「人権教育を学校教育の根幹に据え直す」という提案を行ってきました。人権教育を根幹に据えた学校を創造していくために,今ある学校やその周辺地域の中で実践される教育的な活動のすべてに人権教育が深く関わっていることも確認してきました。同和対策審議会答申(以下,同対審答申)の策定や日韓基本条約の50周年と同様に,第50回をむかえた今年度の研究集会では,人権教育を根幹に据え直す過程とはどういうことなのかを問いかけました。

同対審答申では,「実態の差別」があり,こうした面の差別からおこる同和地区の人びとの生活の厳しさが,よりいっそう「心の差別」を広げ,それがまた生活を苦しくさせるという悪循環を繰り返してきたと指摘しています。今現在,我々の目の前にいる子どもたちの中には,同和問題のみならず,貧困,虐待,家庭環境の崩れ,外国人差別など様々な課題を抱えた子がいます。その子たちもまた悪循環に巻き込まれ,親から子へ生活実態が連鎖してしまうことは少なくありません。その循環を断ち切るためにも,目の前にいる子どもと向き合い,その実態の把握に努めることを忘れてはなりません。その子が生きていくためには教育の力は絶対に必要とされています。同対審答申の言葉を借りるのであれば「教育条件を整備するとともにいっそう学習指導の徹底をはかること」。実態の把握からその背景にせまり,学習指導の徹底をはかることを記した同対審答申が出されて50年です。今なお,学ぶべき精神があるのではないでしょうか。

人権教育を根幹に据え直す過程とは,公立小中学校とその学校教育の役割をあらためて考え直す機会であり,今こそ,公教育の現場である学校が,校区の実情や児童・生徒の実態を臨床的に深く認識し直す中で,教育活動の本質とは何かを理解し,現在の子どもたちに必要不可欠な活動を編み直し,行動すべきときであると呼びかけてきたのです。本研究集会においても,中人研として考察した現状分析を下に,公立中学校における人権教育の方向性を示したいと思います。

 

(7)今を生きる子どもたちを取り巻く状況と課題

 

まず,今を生きる子どもたちの周りにある課題の軸を示します。第一には,子どもたちのつながり観の変容についてです。2015年版「子ども・若者白書」において分析されたように,子どもたちの多くが中学3年生までに,いじめの中で順番に加害/被害の役割を変えていく「いじめの輪番制」という状況の中で,子どもたちどうしの日常的な関係性は益々希薄なものになり,トラブルが急増するという事実です。私たち大人の生活の反映であることも考えつつ,放っておけば,他者への想像力は無く,表面的な関係ばかりで,人権感覚や人権意識の低下が生じ,負の連鎖に陥ることになるでしょう。

第二に子どもの貧困という問題についての考察です。子どもの相対的貧困率が16.3%と数値的に過去最悪な状況であると言うことは深刻です。ある説によると「貧困」と「貧乏」は違います。お金が無くても他者とのつながりや将来への展望がある「貧乏」と違い,「貧困」はお金が無いだけでなく,様々なものとの「縁」が断ち切られた状態なのです。家族・親類との縁,安定した労働環境との縁,地域との縁,社会保障制度との縁など…。この上に教育との縁が断ち切られたら,その子どもはどうなってしまうのでしょうか。ここ数年,行政が調査を行ってもなお,行方がつかめていない「居所不明児童」の問題や,今年1月に起きた川崎市での中学生殺害事件などは,学校,家庭,地域や社会保障制度から無縁になってしまった子どもたちが,いかに脆い存在なのかを示したと言えるでしょう。また部落問題や差別によってもたらされる貧困の実情は,貧困という現象は同じでも,背景に起因する状況が違うことも深く留意しなければなりません。続いて,子どもの貧困の問題に付随しているのは,女性の貧困の問題です。この問題は,社会における男女の性差に潜む格差の問題や子どもの貧困の問題と大きく絡んでいると考えられます。社会の構造から考えても,女子が自立して生きるには分厚い壁とも言うべきものが,旧態依然と残っているからです。義務的な学校教育の環境から出ることになって顕在化する課題かもしれません。しかしながら,女子に限らず,確かな進路をつかみ取り,将来設計を持たせることによって負の課題から脱却することは,学校教育の力に負うところが大きいことは間違いありません。

さらに,学校現場で,子どもの貧困に起因するネグレクトなどの問題を背景としてあらわれる現象は,主に学力低下や不登校傾向などの形ではないでしょうか。たとえば一つの傾向として,貧困家庭で長く生活する多くの子どもが,自分の欲しいモノ・社会経験・文化的体験などを色々な場面で諦めざるをえなくなり,それらの諦めの感情が,無力感や虚無感につながるからだと分析されます。自分の成長や達成に興味を持てない生徒―そのような生徒を「無気力だ」「意欲がない」と教師がみなして関わりを希薄にした時,第二のネグレクトが起こると言われます。家庭で起こる「養育ネグレクト」に対して,これを「教育的ネグレクト」と呼ぶそうです。この言葉には,冷酷な現実を感じます。今一度、私たち自身を振り返ってみなければなりません。自分は果たして,無気力状態にある生徒を無視してはいないか,放置してはいないか,指導を諦めてはいないか,自問自答が必要です。ネグレクトという負の連鎖を,学校で断ち切るためには,なぜ授業への意欲が乏しいのか,なぜ提出物が出せないのか,なぜテストにおいて解答欄を懸命に埋めようとしないのか,なぜ学校に来る気力を失くしているのかを,必死で考えなければなりません。簡単に答えや方策がえられるものではありませんが,それでも少なくとも,今と将来に向けて「何とかしたい」という思いを子どもに見せて,関わり続けることを諦めてはいけない,やめてはいけないと思います。

どの課題の軸にも,子どもたち自身に責任の主体があるわけではなく,社会の大きな負の流れの中で翻弄され,連鎖から抜け出すことができずにもがき苦しむ姿から認識を深め,目を背けず,行動をためらってはいけないとあらためて強く感じています。

 

(8)中学校のある生徒の事例から

〜負の連鎖から脱することを支援する姿勢と実践

 

事例3) 他者との関わりから前進する機会を得た女子生徒の例

この女子生徒の家庭は,まさに「貧困」と言うべき状況でした。生活保護を受けながらの生活で経済的に困窮しているにもかかわらず,モノがあふれ,生活リズムは乱れ,冬休みに家庭訪問をすると,薄い服装でヒーターを効かせ,夕方まで昼寝をしている,という様相でした。生活の乱れと,そこからくる体調不良,制服や髪に染み付いた異臭をからかわれたことなどから,その年の最後まで教室には戻れませんでした。現在も彼女の両親はギャンブルにお金をつぎ込み,彼女を含めた3人兄妹は,近隣の心ある婦人のところで食事を世話されているとのことです。この様に,地域から手が差し伸べられていることはせめてもの救いでしょう。彼女自身は,2年生のときに,生き方探究チャレンジ体験において,希望したペット関係の事業所に行くことができ,トリマーになりたいという夢を再確認することができました。進学を控えた今,地域の大学生サークルが開く無料の学習会に頼み,学習補助を受けることができました。彼女は前向きに勉強に取り組み始めています。他者とのつながりや将来への希望が生まれたとき,子どもは前に進めるということを明らかに示してくれました。

事例4) 関わり続けることで将来展望を持ち得た男子生徒の例

彼は家庭環境や人間関係,部活動,学習のつまずきから1年生のときに不登校傾向になりました。自分が被差別部落にルーツがあることを,その頃に認識したこともどこかで関係していたのかもしれません。2年生になっても遅刻や欠席を繰り返し,授業に出てもほとんどペンを動かさず,時に「死にたい」と口にしたり書いたりしてきました。夏休み明けの登校がかなり不安であったので,私たちは,休み中に生活リズムを崩さないこと,学習会に来ることを約束しようとしました。彼は素っ気なく,見たい深夜アニメがあるから夏休み中は3時ぐらいまで寝ない,だから学習会なんて行けない,などと言いました。大人である私たちのことを信用していないという表れでした。しかし,生活のリズムの確保のために,自宅でその深夜アニメを録画したり,彼と連絡を絶やさなかったりしながら,諦めずに関わり続けました。彼は遅刻しながらも学習会に出席し,長い時間をかけて宿題を1つ終わらせました。夏休み明けからは大きく崩れることなく登校し,友人たちの支えもあって,高校進学を口にするようになりました。どんな形でも,誰かが関わりを持ち続ければ,必ず何かが変わるということを,教育現場に立つ私たちは,経験として知っているはずです。

 

(9)学校教育の将来像と人権教育〜教育的な共同体の構築にむけて

 

公立学校の担う一つの使命は,あらゆる生徒を受け入れて,学習の機会を保障することです。私たちの仕事は,排除ではなく居場所を作ることです。拒絶ではなく居心地の良さを感じさせることです。ここ数年,「荒れる生徒」が見られなくなりましたが,それに安心しているのではなく,見えにくい「不安定さ」に目を凝らしていかなければならないのではないでしょうか。「しんどい生徒が,声をあげられなくなっている」。これは,ある教員が昨年度の末に指摘した言葉です。いわゆる同和地区にルーツをもつ生徒を始め,自らの意思ではなく課題を負わされた生徒は,荒れることはなく,それでもひっそりと思いを溜め込んでいるということです。ていねいに,簡単には見えない問題を見て,聴こえにくい声を聴く。それが同和教育から受け継ぐべき理念ではないでしょうか。目の前にいる子どもの実態を把握し,その子どもの将来のために「いっそう学習指導の徹底をはかること」を今なお同対審答申から学ぶべきではないでしょうか。私たちは,学校教育の現場において,すべての子どもたちがその生い立ちに関わらず,あるいは現在の生活実態に関わらず,生徒指導の領域でも学習指導の領域でも,居心地のよい場を保障され,安心と信頼の中で,日常的に過ごすことのできる集団形成とそれによる社会形成を常にめざして行動していかなければなりません。大阪大学の志水宏吉は,学力の格差は「つながり格差」であるという最新の調査研究を発表しました。「つながり」とは,地域,家族,友人たちとの関係性の状態と質を言います。その中では,学校内でのつながりの質的な状況が,学力に肯定的にも否定的にも影響するということが具体的に示されています。日常的に安定して良好なつながりを実感していることが,学力を向上させる主な要因になっていることが明らかだと報告されています。これまでもそうであるように,これからも,人権教育のめざすべき方向と行動の有り様は,仲間づくりをめざし,仲間づくりに終わるという認識にあらためて至るということなのでしょう。そして,子どもたちの確かな自己実現のために,義務教育の最終段階で幅広い意味での「力」を付けること,また同時に家庭へも働きかけることが,公立学校の使命に違いありません。なおかつ進路保障はすなわち人権保障だと思うのです。

これからは,社会関係資本,つまり「つながり」が質的に向上することは,学校教育の場において,校内だけで生じるものではないだろうと考えていかなければなりません。地域・校区をもつ学校が核となって,校区に住み生活する児童・生徒はもとより,子どもたちの成長に関わる大人たちのすべてがその人的資源となった共同体であることを自覚する必要があります。とくに私たち教職員は,この共同体の中では,社会関係資本としていつでも私たちが居るという存在感と安心感によって,校区全域の中で,学校を中心に据えた人権文化となり,人権教育を根幹とした教育活動を積極的に発信する担い手となっていくことが肝要です。公教育が最も忘れてはならない指針,すべての子どもたちに教育の機会均等を保障し,学力と将来の自己実現を保障する場としなければなりません。課題を多く負う,負わざるをえない子どもたちにとっては,セイフティ・ネットの役割を果たす場として築き上げ,つねに質的な向上を図ることを求めていくべきが,人権教育の体現としての学校教育の将来像と言えるのではないでしょうか。

学校を中心とした教育的な共同体を構成し,多くの人々とのつながりによって,一人一人の子どもたちの成長を保障しなければならないとすることは,将来展望を拡大し保障する行動に移らなければならないという方向性をも示します。一方で,多様な場面での貧困の連鎖は,かつて部落問題を実態として捉え分析し,その背景から認識を形成していったころの構造と似ていますし,人権問題を必ず含んでいます。背景理解と実態から行動方策を編成した先人たちの手法の再検証は,今こそ実質的な行動方針となるのではないでしょうか。すなわち歴史から学ぶときです。最後に確かめておくべきことは,教育活動の本性は,鋭い人権感覚をもって,人権教育の考え方と実践的姿勢として体内に充満させることによって生まれる行動だということです。人権教育が学校教育の太い根幹とならなければならない考え方であると,あらためて,この場にいる私たちは強く深く自覚したいと思います。

 

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