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 全体集会記念 上映会&講演

 

 

上映「人間みな兄弟」

監督:亀井文雄 原作:杉浦明平

制作年:1960年

製作: 松本酉三/大野忠/木村繁夫

撮影: 菊池周

音楽: 長沢勝俊

製作会社:日本ドキュメント・フィルム、芸術映画社、松本プロダクション

提供:日本ドキュメント・フィルム

ブルーリボン教育文化映画賞

毎日映画コンクール教育文化映画賞

 

 こんにちは。龍谷大学の妻木と言います。今、「人間みな兄弟−部落差別の記録」という映画を見ていただきました。圧倒的な映像で、その後で、僕がしゃべるよりも、皆さん方で今の映像について、あれやこれやと語っていただいた方がいいと思うのですが、この映像を受けて、現在の被差別部落の状況について少しだけ考える補助線を提供できればと思っています。この映像は、1960年に公開された映像ですが、撮影されたのは前年の1959年からほぼ1年ほどかけて作られたようです。ということで、白黒映像ということもあって、かなり時代を隔てているような感じもしますが、考えてみるとこの映像に映っていた赤ん坊というのは、今の年代で言うと1960年としたら55〜6歳。ということを考えてみると、それほど大きく時代を隔てているわけではないと言うことがわかってきます。さらに、この映像が公開されてその後すぐに、この状況が変わったかというと、そういうことはなくて、地域によっては70年頃までほとんど変わらない状況があったわけですから、そう考えると、この会場におられる皆さんと同じ世代の人が、あの映像の登場人物として生きていた。それくらいの時間的感覚かと思います。

1960年、映像で見てもらったような状況の中で、総理大臣が、同和対策審議会に同和地区に対する社会的及び経済的諸問題を解決する基本的方策を示すようにという諮問を行いました。この諮問が行われたのが、先程の映像が描いていた時代です。その後、実態調査などが行われつつ、たくさんの小委員会が行われた末、1965811日に当時の総理大臣に対して審議結果が答申されます。これが同和対策審議会の答申です。答申が出されて去年でちょうど50年でしたが、その答申が出される背景というのが、先程の映像で流れていたような状況だったわけです。この答申というのは、以後同和行政の基本的指針としての役割を果たしていきます。

 簡単に振り返っておくと、同対審設置法ができて、その後、65年に答申が出されました。それから4年経って同和対策事業特別措置法、10年の時限立法で制定されました。この69年からというのが、同和対策事業の特別対策の時代。本格的な特別対策の時代が、ここから幕開け。その後、期間の延長などが繰り返されて、最終的に2002年の3月末で、特別対策というのが終結されます。ということで、69年からすると33年間にわたって特別対策の時代が続いたのです。その間、様々な問題、特に近年で言うと、いろんな不祥事などもメディアに取り上げられて問題化しました。部落を見渡してみれば、近代的な中高層の集合住宅が建ち並ぶ地域が目の前に広がっている。それに対して、おびただしい資源を投入してこんな行政にどんな意味があるのだという声も聞こえたりするわけですが、その出発点となった状況が、先程見ていただいたような実態だというわけです。

 この映像を見た直後で言うと、あのような実態。先程の映像は、被差別部落、同和地区が、悲惨一辺倒だとか、被差別部落の人々は、差別に泣き濡れて惨めな暮らしをしていると、そういう一辺倒に塗りつぶされているかというと、そういう映像でもなくて、しんどい状況の中でもたくましく生きている姿であったり、したたかに生きてるような姿もたくさん描かれていましたし、そこから、その状況を何とか変えていこうという動きも描かれていて、非常に多面的な映像だったわけですが、とは言え、かなり厳しい実態というのは描かれているわけで、その実態に対して何らかの対応はやはり必要だろうと、多くの方は思われたのではないかと思います。その出発点となった同和対策審議会答申をちょっと振り返っておこうと思います。

 少しだけ中身を紹介したいと思います。非常に有名な前文ですが、「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の探求に努力した。」

描かれていた現実というのは、いかようにも捉えられるわけですね。あのような、言ってみれば悲惨な現実というのは、実際にあったとしてもそれが「お前らがちゃんとしないからだ」と、「もっと努力すれば何とかなった」というようなロジックでもって「お前の責任だ」と自己責任、最近よく言われますが、自業自得でしょ、とも言えてしまうわけですが、ここで示されているのは「その早急な解決こそ国の責任であり、国民的課題である」。要するに、個人的問題ではなくて社会的問題、取り組まなければならない課題なのだという認識をはっきり示したというのは重要かなと思います。その前提として、詳細な実態調査というのがやられているわけですが、ちょっとだけ脱線してお話しさせてもらうと、繰り返しになりますが、悲惨な現実というのは目の前に広がっているからと言って、それがすぐに何らかの対応が必要だとして、対応がなされるわけではもちろんありません。

当時、1960年代、今から55年前、その時代の日本社会というのは非常に人道的でなかったとか、人権感覚が非常に乏しかったからとか、というわけでもなさそうです。というのも未だに同じような悲惨な現実というのが目の前にあったとしても、私たちはその悲惨な現実を解決する必要がある問題と捉えず、放置する場合がままあるわけですね。今回分科会で報告があるようですが、例えばホームレス問題というのを考えてみれば、まさにそうですね。ホームレス問題。これぞ貧困、非常に深刻な貧困状態があきらかです。例えばホームレスと呼ばれる人々が日本において最も多かった時期というのは、2000年代初頭ですが、その時期、例えば大阪市の西成区という一つの区で、年間道ばたで死んでいる、あるいは死にかけ状態で発見されて救急搬送されて病院に着いて死んでいたというケースがとれくらいあったかと言うと、300人を上回った。西成区だけで。つまり、1日西成区をうろうろしていたら、1人路上で亡くなっているという状態です。そのような深刻な実態があったわけですが、それに対して、ホームレスについてどんな意識、どんなイメージ持ちますかというと、自業自得とか、汚いとか臭いとか、「ああはなりたくない」とか「生きていて楽しいのか」とか、これ、僕が教えてる大学で学生に「ホームレスに対してどんなイメージを持ちますか、自由に答えて下さい」というとそんなのがいっぱい出てくるんですね。それは、学生にとって差別的だという認識はないわけですね。なぜなら、汚いとか臭いというのは、本当に汚いとか臭い、単なる事実の描写であって、差別ではない。怖いというのも、本当にだって怖いもん。そういう人々が、現に目の前にあって、なぜその状態にいるんだろうか、なぜその状態から抜け出せないのかとかといった所に目が届かなければ、それは自業自得のなれの果てで、野たれ死にしようが、私たちは関わりたくないという認識になってしまうんです。深刻な実態が目の前にあったとしても、それがすぐに何らかの対応が必要な問題となるわけではない。深刻な実態というのはまず、発見されなければならないし、発見された事実は、問題として認識されなければならない。認識されてはじめて、何らかの対応がスタートするわけです。という意味で、同和対策審議会答申においては、まずは詳細な実態の把握がなされ、それが単に部落に住む人々の個人的な責任に還元できないような社会構造的な背景を持った問題なんだと。そのように問題を把握した上で、解決が必要なんだというふうになってきました。

 問題把握として、「日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」このように認識します。「わが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支えている歴史的社会的根拠である。」

さらに、「実に部落差別は、半封建的な身分的差別であり、わが国の社会に潜在的または顕在的に厳存し、多種多様の形態で発現する。それを分類すれば、心理的差別と実態的差別とにこれを分けることができる。」これも、同対審答申を紹介するときには、必ず参照される一文ですが、差別の現実というのを、心理的差別と実体的差別とに分けて認識しました。心理的差別、ちょっと一部だけにしますが、「人々の観念や意識のうちに潜在する差別であるが、それは言語や文字や行為を媒介として顕在化する。」婚約破棄であったり、差別的な言辞であったりというものですね。もう一方の実体的差別は何かというと、「同和地区住民の生活実態に具現されている差別のことである。たとえば、就職・教育の機会均等が実質的に保障されず」あるいは劣悪な生活環境、特殊で低位の職業構成、貧困状態、こういった現象というのは、差別の具象化なんだと。これを実体的差別と捉えましょうといいました。このように心理的差別と実体的差別というもので分けて捉えた上で、さらに心理的差別と実体的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用し合っていると。すなわち、心理的差別が原因となって実体的差別をつくり、反面では実体的差別が原因となって心理的差別を助長するという具合に相互関係が差別を再生産する悪循環を繰り返していった、とこのように把握しました。差別的言辞をはいたり、結婚などの場面で忌避される、そういうことが差別であると認識されがちなのですが、それだけじゃなくて就業の不安定さであったり、劣悪な住環境であったり、それらも差別として捉えましょうというのが同対審答申のとらえ方です。

 そういった、劣悪な住環境。あんな貧乏ったれのところに娘を結婚させるわけにいかないから、あいつはダメだという形で、それらが結びつき会っている。それぞれが原因となり結果となるという形で結びつき合って問題的現実を作りだしている。このように把握しました。映像で見たような現実をこのように捉えていったんですね。このように捉えていくと、どうなるかというと、問題をこのように捉えたのですから、それに対する対応というのは、その問題認識に添った形になります。ちょっと紹介します。

「すなわち、近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住及び移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。」だから、今言ったように、それぞれの側面について、対応が必要ですよというのが、同対審答申で示されています。

 具体的には、例えば、建設省関係でいうとずらっとあります。不良住宅の改良事業であったり、公営住宅の建設、上下水道、道路整備、共同浴場の整備、隣保県の設置等々ですね。労働関係でいうと、主要な生産関係に参入することができるように、様々な制度が出された。厚生省関係でいうと、進学奨励事業であったり、奨学金の給付であったり、学用品購入するための費用の補助であったり、これはごくごく一部なわけですが、このようなものが様々な形でなされました。各省庁が勝手にやっているわけではなくて、それを総合化するためのまとめ役も作られていきます。ということで、どういう対応がなされたかというと、差別、先程の同対審答申の整理でいうと、心理的差別への対応だけではなくて、実体的差別の対応も含めた総合多元的な、教育も就業も住居も心理的差別も様々あるんですが、そういった様々な側面に対応する多元的で、さらにそれを個々バラバラにやるのではなくて、総合的有機的に連関させるような、そういった施策を集中的に行うという同和対策事業がなされました。このような同和対策事業、今になって振り返ってみると、社会的排除に抗するための社会的包摂の取り組み。これが今、貧困であったり差別の問題に対する対応を考える場合に、特にヨーロッパを中心に使われ出して、かなり広がってきています。日本にも輸入されて、こういった考え方が認識されてきていますが、差別とか貧困という捉え方じゃなくて、それを解決しようと思うと、非常に多元的な多次元的な問題認識が必要なんだ。例えば、政治的次元、経済的次元、社会的次元、文化的次元、様々な次元においてその問題というのは絡み合っている。それに対する対応というのは、様々な面に対する、総合的で多面的な対応が必要なんだという理解が広がっていますが、同和対策事業、同対審答申が示した問題認識、その後なされてきた取り組みというのは、いってみれば、社会的排除に対する社会的包摂の典型的な形なんじゃないかと思います。そういった取り組みというのは、ここ10年くらい注目されるようになって、貧困問題への対応は、こういった視点が非常に重要だと言われていますが、同和対策事業というのは、そういった視点がヨーロッパから導入されるずっと以前から、そういった視点をもって取り組んできたと言えるのではないかと思います。

 その後、33年間かかって、同和対策事業、特別対策がなされます。結果どうなったか。ご存じの方も多いかと思いますが、一例として、大阪のA地区の状況をちょっと紹介したいのですが、詳しく紹介する時間がありませんので、町並みだけ見てみましょう。

 1970年代初めまで、大阪市のある被差別部落は、先程の人間みな兄弟で描かれていたのと大きく変わらない状況がありました。今40歳そこそこの人が産まれたとき、こんな状況だったんです。共同便所で、雨が降るとトイレから水が溢れて眼病が広まってという状況が70年代頃まであったそうです。それがその後、改良住宅公営住宅が、次々と建っていくことになります。結果、2000年頃までには、このようなまちへと。老朽した木造住宅の密集市街地であったところが、再開発によって中高層の集合住宅が建ち並ぶ地域へと生まれ変わったんです。住宅だけじゃなくて、例えば人権文化センター、あるいは解放会館といいますが、設置されたり、福祉センターができたり、診療所ができたり、子ども会活動の拠点である青少年会館ができたり、銭湯ができたり、乳児保育所ができたり、次々と建設されていきました。多面的総合的な対策としての同和対策事業で、集中的に資源が投下されていったんですね。全く新しいまちへと生まれ変わることになりました。落ち着いた、緑の多い、集合住宅の建ち並ぶまちへと生まれ変わっていきます。

 このプロセスで、住環境だけではなく、教育の状況あるいは就業の状況がどう変わっていったかというと、ご存じの通り、かつての状況とは比べものにならないくらい、進学率は上昇してきました。不就学長欠児童があふれかえっていた状況から、多くは中学校を卒業し、その後高校へ進学し、どんどん高まっていきます。さらに就業状況に関しても様々な仕事保障の取り組み。例えば、公務員に採用されることも積極的にやられた結果として、かなり就業状況も安定しました。かつてのような非常に高い生活保護率の状況も、徐々に変わっていきます。結果として1990年代の半ば頃、これが実質的に同和対策の特別対策のピークというか、最後の方ですが、1990年頃には、中高年層にはまだいろいろ課題があるけれども、青年層に限って言うと、もはや層としてかなり上昇している状況にまでなってきました。

その後2002年に同和対策の特別施策は終わるんですが、その後どうなったかというと、それが、わからない。よくわからないんです。

 なぜなら、法律がなくなりましたから、同和対策事業の成果を確認し課題を発見するために行われていた実態調査。これまではかなり執念深く繰り返し繰り返し行われてきたんですが、それを行う根拠となる法律がないので、実態調査をしませんという自治体が、かなり広がってきました。実質的に調査をしたいと、こちらが言っても、同和地区の範囲をデータとして示せない。だってもう地区の指定がないんです、という回答が出てくるようになってしまいました。実態がわからなくなってしまいました。ちょっとまずいな、と思いますが、33年間も同和対策事業をやっていたのが、その成果がどう出たかというのを、きちんとした実態調査で把握するべきだと思うんですが、全国的な実態調査というのは1993年で最後です。その後全然わからないですね。その後どうなっているか。でも部落に暮らしている人々にすれば、なんか最近、また昔のように不安定な就業状態が増えているんじゃないか。特に若者に増えているんじゃないかという問題意識というのは、持たれている方が多いんですが、実態としてどうなのかはわからない。その同和対策事業が切れた時期というのは、どういう時期だったかというとちょうど日本において非正規雇用の拡大などが劇的に進んでいった時代です。正規から非正規への置き換えというのが劇的に進み、とりわけ若者において不安定就労の問題が一気に顕在化してきたのがその時期だったんですね。基調報告にもありましたが、格差の拡大だったり、貧困層の増大というのが、大きく話題とされた時期でもあったわけですが、そういった日本社会全体を襲った社会的な変化に被差別部落がどのように直面したのかしなかったのかというのは、わからない。先程も言ったように、問題的な現実が実際あったとしても、それを把握されなければ問題として認識されないし、問題として認識されなければ何らの対応もなされないんですね。これはけっこうまずいんじゃないか。ということで、実態調査をやらなくても実態を把握できる方法はないのかというので、ちょっとやってみました。

 大阪府、国勢調査2010年のものを使ってやりました。大阪府の協力の上でやったんですが、完全にかつての同和地区の範囲というのを切り出してやっているので、同和地区と大阪府全体の正確な実態を示していると理解してもらっていいと思うんです。これで見ると学歴。中学卒以下の学歴の割合は近年、若者になればなるほど大きくその割合は低下していますが、大阪府平均に比べると、ずっと高いですね。高等教育卒の割合、大学、短大、専門学校、大阪府平均と比べると一段低いですね。失業率、男性も女性も一段高いですね。正規雇用比率、男性ですが、大阪府平均と比べるとぐっと低いです。女性で見ると、中高年の被差別部落の女性は大阪府平均と同じくらいなんですが、若年層になると大阪府女性よりもぐっと低い。さらに職業構成を見ると、ブルーカラー、いわゆる建設現場であったり製造業の現場仕事の割合というのは、大阪府平均よりもぐっと高い。逆に事務職や管理職、専門技術職といったホワイトカラーの比率というのは大阪府平均よりもぐっと低い。女性にとっても同様です。

 この差というのは、先程見た人間みな兄弟における、数字で示さなくてもわかるようなギャップとは違います。数字でもって、何ポイント高い、何ポイント低いというので把握される格差なわけですが、この差をどう認識するのか。例えば、じゃあ、ここで示されている同和地区と同じくらい中学卒割合が低い地域というのは、京都府、大阪府の同和地区以外にもあるんじゃないか。例えば、改良住宅とは違う公営住宅など。あるかもしれません。実際お手元の資料にもありますが、変数によっては中卒割合で見ると、同和地区よりも公営住宅の方が高くなっています。もっとしんどいところがあるから、同和地区のこの中学卒、低学歴割合の高さはさしたる問題じゃないのか、どう

把握すべきなのか。もっと詳細な把握がこれから必要になってくるだろうなと思います。これから、もっともっと詳細な分析を進めて、きちんとした現実を実証的なデータでもって把握し、それを出発点にどんな対応があり得るんだろうというのを考えていきたいと思います。そういったものが、同対審答申で力強く掲げられている、今も引き継ぐべき事なんじゃないかと思います。長くなりました。終わります。ありがとうございました。

 

 

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