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第53回人権交流京都市研究集会
分科会責任者 稲垣 知裕 (京都市立小学校同和教育研究会)
分科会庶務・司会 弓削 雅哉 (京都市立中学校教育研究会人権教育部会)
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第2分科会の流れと基調講演のおもな内容
開始にあたって,第3分科会の方向性とすすめ方について,庶務の弓削雅哉さんから説明がなされた。分科会の前半では,全体集会の記念上映会で鑑賞した『かば〜西成を生きた教師と生徒ら〜』の制作で制作総指揮・原作・脚本・監督の川本貴弘さんと,出演女優のさくら若菜さんを交えて,コーディネイターによるトークセッションを展開した。製作過程でのエピソードや,監督像にも迫りながら,映画に描かれている社会問題とどう向き合うのかをなどをテーマに話がすすめられた。分科会後半は,教員や被差別当事者の方々によるパネルディスカッションを行った。前半と引き続きコーディネイターを李大佑さん(中人研)がつとめ,川上哲也さん(小同研)橋明さん(中人研)邉一峯さん(大阪市立西生野小学校指導教諭)栄井香代子さん(市協事務局)と総合司会の弓削雅哉さん(中人研)の6名で,映画に描かれた人権問題や諸課題について自分との関わりや向き合い方などを表明し,実践の紹介も交えて議論した。
【トークセッション】(分科会の前半)でのやりとりは,以下の通りであった。
まず,コーディネイターの李さんから監督の川本さんへ「映画『かば』を製作された動機は,何だったのか」と問いかけた。川本さんは,「蒲先生のエピソードを知る先生方の思いから,自伝映画を作成して欲しいと依頼が
李さんから「この問題は2022年の現在でもあてはまる問題であると感じるが,どうですか?」と問われた川本さんは,「映画出演の生徒役などの若い世代には『自分で勉強しろ』と伝えてきた。『無知は危険』という考えが自分にあり,まずは自分で何が問題なのかを調べて知ることを要求した」と述べ、さらに「大阪の西成や大正(の地域)には,歴然とした差別が今もあり,映画のシーンにあった朝鮮と韓国の国籍の違いでさえ,無知であれば相手を傷つけ,怒らせることがある」と語った。次に李さんは,「インターネットの記事(書き込み)などにはエセ同和行為などの誤った情報があり,調べた若い世代に誤解が広がらなかったか?」という問いがあり,それに対して,さくらさんは,「情報は簡単に手に入るが,良い情報も悪い情報もあるので,先生や父母とも話し合って何が正しいのかを見極めることが大切だと思う」と答えた。
そして李さんから,現実に大きな問題となっているヤングケアラーの役割を演じたさくらさんに「この問題に対して,どれくらいの知識がありましたか?」と問いかけられ,さくらさんは「当事者には話が聞けなかったが,大人になられた方からは話が聞けた。今、私の周りでは先生と生徒が勉強以外で話をすることは無いと感じている。家庭訪問も玄関先が原則になっているのが現状で,自分の思いを吐き出せないのはつらいし,しんどくなると感じる。背景を見つめることが大切だと思う」と話した。
最後に李さんから,映画のラストシーンで,さくらさんが演じるセリフとして「在日なんてどうでもいい。お父ちゃんが生きていてほしかった」を取り上げ,そのシーンについて問われた川本さんは,「このシーンだけは,シナリオに創作で書き加えた。制作段階では『よそ者は入ってくるな』とか,『金儲けのために(映画を)作っているのか』といった言葉も言われた。そんな中,ひとりの女性から『出自を隠して生きている人がいることをわかっているのか。その人の人生を背負えるのか。私は,離婚経験もあり,妹にも(問題を)背負わせたくない』と言われた。その女性に対して『作品を作ったという責任は背負う』と伝え,DVD製作も考えておらず,金儲けが目的ではないとも伝えた。だからこの映画が盛り上がれば盛り上がるほど,悲しい思いをする人の口を塞いでいないかと心配しているが,どうだろうか?」と逆に問い返した。李さんは「知って初めて向き合える問題があり,お互いに語り合うためにも必要な問題提議だと感じている」と答えた。
最後に一言ずつメッセージを求められ,川本さんは「この『かば』の上映会を全国に広げて展開し,話したいし,質問や疑問に答えたい。どこでも上映に行くので呼んでください」。さくらさんは,「学校でもこの映画を題材にして話題を取り上げてほしい。正しい知識を教える先生も逃げずに向き合ってほしい」と述べた。
【パネルディスカッション】(分科会の後半)でのやりとりは,以下の通りであった。
冒頭、各々のパネリストに対し、自己紹介と印象に残った映画のシーンが問いかけられた。川上さんは,「今回2回目の視聴だが,『何気ない呟きや働きかけ』が見つけられた。学校現場では見逃しがちな『手のかからない生徒』には生徒の話を聴き取れていない現実が描かれていると感じた。」と述べられた。高橋さんは「主人公の一人である加藤先生がバットを握りしめて打席に立つシーンが自分とオーバーラップして観えた」と述べられた。栄井さんは,「蒲先生の教え子である卒業生のエピソード。目立たない女子生徒であった由貴に恋人ができて、うれしそうに居酒屋で会食するシーン。彼が外回りの営業で西成に行くことに伴い、差別発言をする。結局別れてしまうが、こうした身近な、大切に思っている人から突然つきつけられる言葉の痛さが描かれていたのが印象的だった」と話した。邉さんは,「生野区で生まれ育った経験から,西成と似ていて『あの地域の子とは友だちになってはいけない』という発言は経験してきた。映画のシーンでは新任の臨時女性教師に対して先輩教員が『自分の得意で勝負しろ』と言った場面に共感し,生徒指導上の問題がない生徒にまで入り込む先生の姿が印象に残った。」と話された。
李さんからの「目立たない生徒への働きかけも熱心でなければ生徒とは向き合えないと感じるがど
う思うか?」という問いかけに,川上さんは「支援の見極めや関わり方の温度差は必要だと考える。
授業だけでは関わりきれない場面でもサポートする必要がある」と述べ,橋さんは「同和問題学習
をどう作るかを学年の先生と話し,綺麗事では終わらせたくないと考えて,現実に差別を受けた人の
インタビュー映像を使用したことでリアルな問題として目立たない生徒へのインパクトも高まった。」
と語られた。
また李さんからの「配役のユキちゃんが浴びせられた言葉のシーンは,自分にとっては日常茶飯事
であったので,あまり憤りは感じなかったが,栄井さんはどう捉えられたのか」という質問に対して,
栄井さんは「あの居酒屋の彼氏との会話では、難しいことではあるが、ゆきちゃんに『私は部落出身だけど,あなたは好きになれる?』と勇気をもって聞き返してほしいと思った。それから今回2度目の視聴で,気づいたことだが冒頭シーンの女子トイレで性を売る女子生徒の場面が衝撃的だったが、状況説明のようにあっさり描かれていて驚いた」と話した。観客席でディスカッションを聴いておられた川本監督にマイクが向けられ,「その当時の先生方のインタビューでは『殺人以外は何でもあった』と言われていた。(このような会場で述べるのは恐縮だが…とことわった上で)先生からの取材で,『三姉妹の父が亡くなった葬儀の場で三姉妹は大笑いしていた。不謹慎だと感じて,生徒である三姉妹から話を聞いたら,これで身体を売りに行かなくて済む』と呟いた。」というエピソードを紹介された。
在日のルーツについて,邉さんは「私は2つの名前(通称の日本名と本名)を持つが,学生時代に
アメリカに行かれた際に詰問を受け,その時から『世界で通じる本名』邉一峯(ピョン・イルボン)の本名を名乗ることを決意した」と語った。栄井さんから「当時、1985年までは、日本の法律は父系血統主義』で生まれた子どもの国籍は父の国籍と決められていたが、女性差別撤廃条約の批准にあわせて『父母両系主義』に法律が改正されて,母の国籍を選ぶことが可能になった。しかし二重国籍は18歳までしか許されず、その後どちらかを選ぶこととなったが、現在さらに改正されているのでしょうか。それに対し観客席におられた朴実さん(canフォーラム)にマイクが向けられ,「現在では,満22歳までに,父母のいずれかの姓を選ぶことになっているが,二重国籍のままで生きることが可能な国が多い中で,どちらかの国籍を選ばせる日本の制度には問題があると指摘した。
さらに李さんから,「映画と学校現場の感覚のズレはないか?」との問いかけに対して,橋さんは「映画のシーンで『マッコリ』を持って先生が保護者(おじ)に会いに行くのは現状なのですか?」
と聞き返され,李さんは「自分は常套手段ですよ。」と述べられた上で,橋さんは,「顔を見て
話したいと思い,生徒と関わり続けたいと考えるから,何とかして会いに行くと思う。」と述べられ
た。川上さんは「YouTubeなどでは同和地区の映像が流されたりしているが,改めて家庭訪問などで
繰り返し生徒や保護者と関わり続けようとする先生の姿を,先生方に観てほしい。」と話した。
邉さんは生い立ちを振り返り,「父は済州道出身の在日1世,母は日本生まれの在日2世として
私が生まれ,父の工場近くで私を遊ばせながら,ある日自分が工場に入り込み右手の2指を失った。
指が無いから友だちに『お化け』と揶揄され,母に『指を買ってきて』と訴えたことを覚えている。」
と語られた。
栄井さんは「映画では,女性教員の成長の姿が描かれていて,ヤングケアラーの状況で頼ってきたさくらさんが演じる裕子に対し、向き合えなかったことを素直に謝り和解し、支える姿があった。子どもと向き合える大人は素晴らしいと感じた。1980年代の姿なのかもしれないが,今の大人の姿として真摯に子どもと向き合えている教員はいるのだろうかとも考えた」と話した。
李さんから観客席で参加されていた川本さんとさくらさんにマイクが向けられ,感想を尋ねられた。
川本さんは,「自分としての後悔は,女性の先生方からの取材での聞き取りができなかったことで,
そのかわりとして生徒や町の人への取材は,女性を中心に行った。そのことで違う角度からも描写で
きたのではないかと考えている。」と述べ,さくらさんは「この映画を見終えた後の感想で,いろん
な人との共有が大切だと思うし,いろんな捉え方を感じ合うことも勉強になると思う。」と述べられ
た。
さらに,観客席に映画の製作委員会委員長である古川先生が来場されており,マイクが向けられた。
古川さんは,「退職金もつぎこんで,この映画を8年間で製作した。映画に描かれた当時の中学校の
女性教員は大変だった。つらいこと苦しいこともたくさんあった。映画のモデルは何ひとつ解決されていない。在日の問題では,婚外子差別の方が外国人差別よりもきつくないということで,婚姻届けを出さないという保護者もいる。差別の問題は,現実に残り続けている」と話した。
総合司会の弓削さんからパネリストに対して,「トークセッションの最後にさくらさんが,『学校
でこの映画を題材にして話題を取り上げ,正しい知識を教える先生であってほしいし,逃げずに向き
合ってほしい』と述べられたが,現実の学校現場では教員にその力があるのか?」と質問があった。
邉さんは,「1995年に私が鶴見橋中学校に赴任した当時は,生徒にとって学校が一番落ち着く
場所であったと感じる。子どもの目線で動ける教師がいた。ネグレクトも日常だったが,家庭への入り込み方が違っていたので,生徒や保護者との向き合い方も強かった。現在は,家庭訪問や家庭連絡さえもしていない現状がある。今年度は,自分の姿を後輩の教員に示す意味でも,私が小学6年生の担任を申し出た。子どもたち自身が自分を大事にして,仲間を大切に出来る集団をつくりたい。」と述べた。
川上さんは,「主体的に人と関わろうとすることは,時代が変わっても変わらない教員の姿勢だと
考えている。子どもや親のせいにするのは簡単だけど,それは教師の逃げです。しっかり向き合える
教師であり続けたいと考えている。」と述べ,橋さんは「しっかり自分で勉強して,正しい認識を
持ちたい。また改めて映画を観直したい。」と述べ,栄井さんは「映画で描かれていた犯罪加害者の
家族が置かれた状況が非常に厳しいという点と,部落出身であるという二重の厳しさが,生徒の強さ
や優しさにつながったと感じた。非常に多角的に様々な課題を描いている映画であり多くの人に見てもらいたい」と話した。
分科会の締めくくりとして,分科会の責任者である稲垣知裕さんから参加者へのお礼と本日の分科会で議論されたことを,それぞれの現場で啓発活動や実践に活かしていきましょうと呼びかけがなされた。来年度の第54回大会への積極的な参加を呼びかける形で,分科会を閉じた。
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