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第50回人権交流京都市研究集会
基 調 講 演
妻木 進吾 (龍谷大学経営学部准教授)
◆
パネルディスカッション
コーディネーター 坂田 良久 (京都市立中学校教育研究会人権教育部会)
パネラー
大嶋 慧 (京都市小学校同和教育研究会)
長谷川良知 (部落解放同盟京都市協議会)
分科会責任者 大西 一幸
(京都市小学校同和教育研究会)
司会:弓削 会場責任者:大西
<基調講演 龍谷大学経営学部准教授 妻木進吾>
『部落の実態調査からみえてくるもの−自己責任時代の部落問題について考える−』
大阪のある都市部落の実態を調べたことから,京都の部落にもつながる実態が見えると考える。
日本最初の人権宣言と呼ばれる水平社宣言以降も,部落出身であることを理由に安定就労から排除され,貧困から抜け出せず,子どもたちの学力は低いままに置かれていた。こういった不利が不利を産む連鎖が繰り返され,困難な実態に部落差別がドライブをかけ,貧困な生活実態がさらに心理的な差別意識の連鎖を加速させてきた。やがて,実体的な困難さ自体が差別であるという理論により,行政の責任を追及する部落解放運動の高揚と,それを受けて本格化した同和対策事業特別措置法以降33年間,住宅環境の改善などの特別対策事業が行われた結果,格差は概ね縮小していった。住環境整備だけでなく学力保障・学歴保障により,高校進学率は,地区内と地区外での差がなくなり,若年層に関していうと差が縮まる。しかし,日本社会全体の不安定化傾向に加え,同和対策の特別事業が2002年に終結した影響もあり,被差別部落の生活実態は再び不安定化・貧困化しつつあると指摘されている。 1992年以降,調査が行われなくなり,実態がわからなくなっていった。一方で,心理的差別は,かつてに比べればましになったが,なくなっていはいない。現在,ネットでは,部落地名総艦が誰でも見られる状態になっている。一方で,地域の実態がわからない状態にある。そのような状況の中,2009年に大阪市内の被差別部落A地区で,500世帯を個別に,学生と一緒に公営住宅の一室を拠点にして聞き取り調査を実施した。その結果を紹介する。 大阪市の人口は横ばいだが,A地区では人口が10年で17%減った。高齢化率は31%になり,大阪市よりも少子化が進んでいる。世帯年収が著しく低く,生活保護率も遙かに高い。50代では,中学卒が多い。高校より上の高等教育に関しては,世代が若いと高学歴化しているが,地区外と比べると明らかに学力が低い。正規雇用比率(男性)中高年層は大阪市と変わらないが,若年層は差が大きい。女性の官公庁雇用率,数値自体は違うが大阪全体と傾向は同じ。45歳から55歳では,官公庁に勤める割合が高い。現業職で選考採用された中高年層が安定の背景となる。一方で,公務員層の厚みが若年層でちがう。かつては官公庁勤めが,この地区では多かったが,施策の終了で,働き先が閉じられた。若者は,どういった職業に流れていくのか調査すると,フリーターが受け皿になっている。同和対策事業の終結で,安定世帯の家賃が上がって,生活が安定した世帯はごそっと人がいなくなった。現在は,地区自体が不安定化しているといえる。実際に,個別の地区に入り込んで調査するのは大変だった。 フリーターに焦点を合わせてみる。15歳から34歳の若年層で非正規雇用が多い。90年から2000年までは,10人に1人だったのが,5,6人に1人となっている。しかし,世間一般では,「フリーターになったのは,自業自得で自己責任でしょ」「本人や親がちゃんとしていない」「税金の無駄遣い」などと言われる。自己責任で一蹴され,努力や意欲の問題と考えられることが多いが,若者に意欲が足りないからという理由で,フリーターが何百万人も増加したことは説明ができない。急増の背景に何があったのか。実は,企業が人の雇い方を変えたことが原因にある。国際競争の激化で,日本の企業がもたないことを理由に国が人の雇い方を変えた。つまり,6,7割はパート的に雇うことで,10数年で400万人の正規職員が減った。現在は,イス取りゲーム的な状況にある。安定した正規雇用が減ったことで,必然的にイスが減っている。単に若者のやる気や意欲がないのではなく,構造的なことが問題となっている。このようなことを授業で話すと学生は,「なるほどそんな恐ろしいことになっているんですね。」というより,「なんとか自分はイスに座れるようになろう」と思う傾向にある。フリーターになるのは,自己責任で,みんな同じスタートラインからの競争だと思っている。 フリーターをしている部落の若者40人にインタビューを行ったところ,「母はたこ焼き屋,父は土方をしていたが,糖尿病で今は生活保護。」「生家の暮らし向きは貧乏。父は土木作業で,母は飲食店。僕と母親は,生活保護。お父さんも生活保護をずっともらっている。」などの回答に驚いた。「生育家族が経済的に不安定」,「常態的に貧困」,「母子世帯が圧倒的に多い」,「親の離婚経験」という実態が多かった。ある10代男性は,「しんどい家庭で育った。小学校楽しくない。意味わからへんから。先生嫌い,寝たら起こされる。学校行くのだるくなった。成績は最下位。」と入った瞬間から勉強について行けない実態があり,学校に行っても苦痛で,離脱・脱落・排除。インタビューの謝金の領収書に自分が16年間住んでいる場所の住所が漢字で書けなかった。このように,早い段階で学習についていけなくなり,中学卒で学歴を終える人が多い。その結果,男性は,建築業か工場作業で,女性は倉庫や作業ラインで働き,1月8万円くらいの稼ぎしかない。中卒では仕事がない。ある女性は,学校や友達,地域の人に支えられ福祉系大学に入ろうとするが,学費も奨学金を集め,書類選考も通って,最後の面接を受けに行く途中で,結局諦めてしまった。入学金を立て替えるのを親に言えない。たった二十数万円を払うことができないという理由で,大学進学を断念してしまった。その後も不安定な仕事をしている。 いずれにせよ,どのようなスタートラインに立って現在に至っているのか。不利が不利を呼ぶプロセスがあり,半ば選択肢がない状況にまでおいやられており,世代を越えた再生産へとつながっている。たった40人のインタビューで何がわかるかと言われるが,大阪の高校生に行ったアンケート調査でも,似たような傾向が示された。家庭の所得で,上位・中位・下位と三つの層に分けた調査でも,上位ほど,「テレビでニュース番組を見ている」,「手作りの菓子を作ってくれる」,「絵本を読んでもらった」,「博物館に連れて行ってもらった」,「授業内容を理解している」,「大学進学を希望する」などの割合が高かった。中学でも,同じ傾向がみられ,どのような家庭で育ったかによって,階層差があり,高卒後の進路や進学先の割合が数量的にも確認できる。 これらの調査結果を踏まえると,先ほど挙げたイス取りゲームの比喩は適正ではなく,むしろ,ビーチフラッグスの方がしっくりくる。20m先に1.2m感覚で旗を立て,一斉にスタートして旗を取り合う。しかし,スタートラインは,非常に斜めに引かれている状態にある。こういう実態が部落にはあり,フリーターが生まれる仕組みが機能しているといえる。この話を学生に話すと,「後ろからスタートしても根性を出して自分で旗をとらない」という受取をする者がおり,「実際,自分のおじいさんも苦労してきたから」と,自己責任否定論を批判する。「資本主義社会では,避けがたい,後方からでも自分で頑張るしかない」という学生は,自業自得・自己責任と主張し,その意見が周りの学生にも広がる現状にある。
大学では,そのような学生たちが,社会の理不尽な状態を実感できるような授業を行っている。思考実験と称して,成績評価の変更をアナウンスし,学籍番号で点数差を付け,不利な状況がいかに理不尽なものであるのかを認識できるように働きかけをしている。スタートラインの斜めさがいかに理不尽な状況であり,なんとか頑張って,ではなく,理不尽な仕組みそのものを変えるような集団的な社会解決が有効である。厳然として格差が残っている現代社会において,自己責任とでしかアプローチできていないなら,考えさせられる。 <パネルディスカッション>
コーディネーター 坂田良久 京都市立中学校教育研究会人権教育部会
パネラー 大嶋 慧 京都市小学校同和教育研究会
三田村結香 京都市中学校教育研究会人権教育部会
長谷川良知 部落解放同盟京都市協議会
分科会責任者 大西 一幸 京都市小学校同和教育研究会 司会
迫力のある妻木先生の話を聞かせていただいた。貧困・教育・就労の負のサイクルを教育はどうやって断ち切るのか。同和教育は何を伝え,どうしていかなければならないのかを考えていかなければならない。フロアのみなさんからもご意見を頂きたい。 長谷川さん
妻木先生のスライドにあった1970年代前半の写真は,自分も暮らしてきた環境であった。自らの生い立ちが子育てにどのように影響しているのか。また,解放運動に参画して,先輩や仲間と支え合いながら自分自身が変革できたことから,改めて子育てに向き合ってきたこと等などを語っていけたらと考えている。自分の生い立ちを話していきたいと思うが,先生方,保護者の方々に自分だったらこの時このように関わることができるとか,このような刺激を与えることができたんじゃないかといったことや,自分のような親をもつ子どもたち,それにも到達していない状況にある子どもたちや保護者には,どのような刺激や関わりが必要なのかを少しでも見いだして,実践につなげてもらえたらと思う。 大嶋さん
妻木先生の話を聞いて,現任校の子どもの実態が似ていると感じた。経済的に厳しい環境にいる子どもたちを抱える学校に勤務していて,これまでどうしてきたかを,目の前のこととつなげて話せればと思う。 三田村さん 中学校で理科を担当し,2年の担任をしている。また,研究主任をしている。現在,採用14年目で,この集会にも何度か参加してきた。自分の人権感覚や毎日子どもと向き合う姿が正解なのかどうなのかいつも考えさせられている。 司会
妻木先生のお話を聞いてどのような感想をもったか。 三田村さん
学生が書き込みの中から,理不尽な仕組みを変えようとする姿勢があるというお話が大変印象的だった。現任校には難聴学級があり,障害をもつ生徒が通ってきている学級がある。今日の話とつながるものがあるのではないかと考えている。難聴学級の担任は,子どもたちに厳しく接しているという印象がある。これから生徒たちが直面する社会の厳しさが,就職や結婚も含めた,たくさんの困難に覚悟を決めていくように,愛をこめて指導している。しかしながら,高校進学したものの不適応を起こしたり,新しい環境になじめなかったり,人間関係でトラブルになったりする生徒もいる。難聴学級は,通常学級と同じカリキュラムなので,社会のシステムとしてどのようにしていくのかという点において教育現場にも課題が残る。 司会
課題なのかシステムなのか。厳しい実態。目の前の子どもたちが,どのような実態の中で過ごしているのか。 大嶋さん
妻木先生のお話の中で,自己責任というのが印象に残っている。教師も自己責任という目で子どもたちを見ていないだろうか。若い教師が子どもたちを見ていく中で,子どもと保護者に寄り添った指導が大切。現任校は,同和地区を抱えた地区ではないが,公団が多い地域。困りを抱えた子どもたちがいる。赴任当初は,前任校と実態が違い,やっていけるのか悩んだ。当時の学校長の言葉から学んだ。「今までのやり方が通用すると思うな。子どもの背景を知ること。子どもの一生を預かると思って,丁寧に寄り添って関わる」と。全く宿題をしない子に,「やり方はお母さんに聞きいや」と。親にも家庭訪問をして勉強を教えてほしいと話すと,「そんなん学校で教えるのがあんたの仕事やろ。」と怒られた。また,「次の日に習字があるので,新聞紙をもっておいで」と言っても新聞を取っていない家庭がある。「夏休みどこいったん?」と尋ねると傷つく子もいる。頻繁にいける家庭もあれば旅行に行ったことのない家庭もある。今まで自分が思っていたことが,当たり前だと限らない。生活面や学習面を丁寧に指導することが,将来的に自分を支える力となる。体験活動も多く取入れている。そして,言葉づかいにも気をつけることで,子ども同士も丁寧な言葉づかいができるようになり,保護者も丁寧な言葉で話してくれるようになった。生活面では,子どもたちが休まずに毎日学校に来られるように取り組んでいる。保護者が子どもを夜遅くまで連れて出ることもあり,遅れて来た子を叱るのではなく,「よく来たな」とほめるようにしている。学校に来ない子が悪いではなく,原因は何か,困りはないかを考えている。 司会さん
教師の当たり前の価値観についてお話があった。子どもたちが持ち物をもってくるのが「当たり前やろ」というのは,果たしてそれでいいのか。長谷川さんより,ご自身が経験されたところからお話し下さい。 長谷川さん 自分は,解放運動に参加してから,本が読めるようになった。「エリートの作り方 グランド・ゼコールの社会学」という本の中に,機能する文化的要素ということが記載されていた。獲得された趣味,教養,感性,蓄積物を文化資本といい,家庭にある書物やピアノやものが親から子へ資産として受け継がれる。子どもは親の文化資本の中から育つという。部落の家庭では,そのような文化資本がない中で,自分がどんな生い立ちで育ったのか。子どもたちに受け継がれていくのかを考えさせられた。
同和地区で生まれ育った自分に母親は,「2年生になったから,もうおまえの勉強はみてやれん。」と話した。親としては精一杯の思いで言ったと思う。自分の家庭には,本や新聞は一切なく,唯一の活字が教科書だった。自分は主に隣保館で勉強し,家には勉強するスペースもなかった。地区内の友達は,同じような状況だった。地区外の友達のところに遊びに行ったとき,家に百科事典,新聞,本,地球儀があり,なんとすごいと驚いた。地区で暮らす日常生活は明らかに違っていた。3年の担任の先生を信頼して,家族ぐるみで高校受験を頑張った。しかし,学年が上がるにつれ,成績が下がった。そこで,自学自習ができない自分に気づいた。当時は,地区の大人の最高の職が,現業職。公務員になり現業職は,安定していた。解放運動に入って,雇用促進に入ることができ,多くの先輩・仲間との出会いがあった。そして,解放運動で自学自習することを学んだ。勉強するのがしんどかったが,仲間に支えられながら,今がある。何より,本が読めるようになったことが財産になった。支部では,機関誌を作っている。そういう姿を見せることが子どもたちに影響を与える。新たな教育的刺激を意識的にやらないといけないのがしんどい。自然に文章を書くことが育つ家庭からすれば,格差があると実感した。 親の役割を果たしたのが,センター学習だった。学習センターに自分の子どもが行くことで安心できた。週3回通うことで,勉強する習慣がついた。また,すその学習で経験体験ができた。一方で,下の子の頃には,学習施設がなくなっていた。下の子は学習することが十分に身についていない。家庭の中では,学習するきっかけが与えられなかった。また,学習センターは,町内の保護者が集まれる機会にもなった。親同士励まし合ったり,悩みを話し合ったりすることができた。同じような同級生でもっとしんどい思いをしている者がいるのは事実だ。親の生育歴が,子どもに反映していく。自分は新たな教育的刺激が必要だと考えている。今,1歳2ヶ月の孫に絵本の読み聞かせをしたり,絵本を買ったりしている。教育は積み重ねが大切だと考える。子どもより孫が成長していくと思って,もっと,学校・家庭・地域が子どもたちに文化資本を与えられればと思う。 司会さん
聴覚に障害をもつ子どもたちとの関わりについてお願いします。 三田村さん
自校では,難聴学級に視点を当てた取組を進めている。創立70周年。難聴学級が50周年を迎え,京都市内で唯一常設となっている。毎年15,6名が在籍している。遠いところでは1時間ほどかけて登校する子もいる。文化祭では聞こえをストーリーにして手話劇を行っている。音楽発表会では合唱ではなく,合奏,サインダンス,和太鼓演奏などに取り組んでいる。サマーキャンプでは,難聴学級の生徒が自分たちの今の悩みを発表し合い,おもいを共有したり,難聴学級独自の新入生説明会を行ったりしている。難聴学級は,通常学級と同じ教育課程で,教科担任制で授業を行うことで,教職員の誰もが難聴学級の授業をするようにしている。チャイムの音が聞こえにくいので,パトライトで知らせるようにしている。非常時も別のライトがつく。
自校のよいところは,体育大会で仲間と一緒に汗を流す。全校で行う手話コーラス。音楽発表会は,他校では合唱で競い合うが,お互いをたたえ合う活動をしている。難聴学級の視覚支援があるという環境が整っている。資格支援,文字化,スクリーンを用意している。そのことが,他にも困りをもつ生徒の支援にもなっている。教職員が入れ替わるなど課題もたくさんあるが,時代とともに,しっかりと考えていく必要がある。 司会 フロアの中から,ご意見をお願いします。 フロアより
妻木先生のお話は,数値を出して誰もがわかるようにして頂いたのはすごくよかった。
長谷川さんのお母さんが2年で勉強を教えることができないといって,学校でしっかり勉強するように話された。現任校では,お母さんが「無理に宿題させんといて」といわれる家庭もある。自分の母が「子育てに失敗したと思っている。あんたは教師にしかなれへんかった。」と。選択肢は豊かであればあるほど,いい。 子どもの背景を見るだけでなく,背景を見た上で,何が足りないのか,何を教えなければならないのかを考えて,その子に教育していく必要がある。「怒ったらあかん」という話で,怒らないと子どもは変わらない。友達を蹴った子がいたら,なぜ蹴ったのか,蹴られた相手はどう思ったのかなどをきちんと指導することも必要だと思う。かわいそうと思うのではなく,自分ができることを探す。どんなの力をつけなければならないのか。差別と戦える子どもたちに育てていくことが必要。 フロアより
大嶋先生のいる学校で以前勤務していた。様々な厳しい状況の中で,外国籍児童,貧困家庭,虐待など,目の前の子どもたちにどんな力をつけていくのかを考えてきた。背景を知った中で,どんな力をつけるのかが教師のすべて。子どもに自尊感情をつけていくことが大切。一歩前に出るのに必要なのが自尊感情。自分の描いた将来展望に近づける。全校集会で児童の前に立つと子どもたちが話を聞こうと静かになる。絶対に怒らない,その子を否定しない。行為を止める指導が大切。遅刻してきた子には,「ようきたな」という声掛け。そうすることで,学校は自分を守ってくれる砦になる。 子どもたちは安心して,自分たちはどんな方向に進んでいくのかを考えられるようになる。朝ご飯だけでなく,前の日に夕食を食べているか。食べていない子には職員室でご飯を食べさせる。虐待をしている親とは戦う。保護者に対してもケアしていく必要がある。子どもの貧困が課題。様々な状況がある。学校がどれだけ子どもや親に寄り添うことができるかが課題。 フロアより
学習センターの学習会に小学校では入っていた。逆差別と言われたので,中学ではいかなくなった。高校になり成績が下がったが,支えてくれたのが学習センターだった。高校の先生に,「どうせ私らあほやしな」と言ったことがある。先生は,「君たちがそんな風に思わない方法がある。学問は自分を解放する方法だ」と。自分で問いを立て解決する。大学に行っても文化資本がないので卒業まで苦労したが,学問が解放といってくれたことが支えになった。問いをもち自己解決する力を育んでいくことが大切だ。 フロアより
自校の難聴学級の子どもたちに自分のハンデに対して向き合わせように取り組んでいる。以前に勤務していた学校では,地区の生徒たちに,「部落に生まれて育って,だから将来こんなことがある」と差別の実態と向き合わせる指導をしてきた。それがキャンプの取組で,花背山の家で自分に向き合わせる。生徒たちは「なんで,そんなこと言わなあかんの」と最初は吐露するが,語り合う中でお互いの理解が深まっていく。そして,劇を作っていく。向き合うことから,自分の足元を見つめる。だから,自分の将来を見つめることができる。京都市の同和教育で取り組んできたことを,難聴学級でこのように生かしている。 妻木さん
自己責任,自業自得を切り口として話してきたが,少し加えて話したい。経済的な成育家庭の下位層要因は子どもたちのこれまでとこれからを規定する。それは,学校の先生からの対応はかなり難しい。学校だけじゃなくて社会的に取り組む必要がある。高校3年生を対象に調査をしたとき下位層要因以外に,下位層要因と独立に進路文化に効いている項目があった。「どんなネットワークに包摂されているか」である。例えば,ある地区では,朝みんなネクタイをして出勤する人がいない。つまり,多くは作業労働者である。その中で育ったある女性は自分の将来を,「早く結婚したい。でも,ネクタイしてる人はいや。なんか,ペコペコしてそう。鳶や土方がいい」と。また,ある男性は,野球もしたことがないのに「プロ野球選手になりたい」,「もしかなわなかったら,トラックの運転手か建築現場で働く」と。非常に限定された人しか知らないネットワークの中で,自分がなり得るものとして,つながっていない現状がある。 大嶋さん
その子のことを思って,子どもたちのことを怒ることはしないが,叱るのはしている。様々な子がいる中で,今日学んだことを目の前の子どもに還元して頑張っていきたい。 三田村さん
難聴学級の存在をしっていただけた。映像に字幕を付けたり,手話による環境も当たり前になってきている。先輩教員に,「手厚くしていますよね」というと,「それが当たり前だ」と言われ,まだまだ自分の人権感覚を磨いていく必要があると思っている。困りを抱えている子,親御さんの次に長い時間接する自分たち教員が,頑張っている子どもたちを応援していきたい。 長谷川さん
与えることができない教育的な刺激は,関わりから生まれる。子どもたちに教育的な刺激を実行できる身近な環境は学校であり,先生だと思っている。自分たちの方も地域のコミュニケーションをきちっと再構築していかなければならない。家庭の条件で決定されるのではなく,厳しい条件にある子どもたちすべてが,教育的な刺激を与えられることが必要だと考える。 司会
高校生のアンケート調査で,信頼できる先生の割合が下位ほど少ない,下位の方が信頼できるようにしていきたい。教育の力が問われている。 大西さん
本日はたくさんのご参加ありがとうございました。
平仮名日記。この絵本は貧困や差別によって苦労して識字学級で学んだおばあさん。1ページ目が社会科の教科書に載っている。識字学級で文字を学び,病院で自分の書いた字が呼ばれたとき,うれしくて病気も治った。「読み書きの力を身につけることは自ら社会に参加すること。」「基本的人権として保障されている。」今日もあの子が机にいない。なんとか学校に来てほしい。まだ,来にくい子はたくさんいる。背景や理由も多様になった。たくさんいることをこの分科会で確認できた。社会の仕組みを変えることが今後より一層必要。同和教育を基軸として高め,若い世代に引き継いでいきたい。話し合ったことを,会場に来られなかった人に伝えていってもらいたい。
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