ごあいさつ

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第34回 第八分科会

第八分科会 【私と部落問題】


          わたし自身と差別問題

        〜自由な対話が成り立つ人々との交流の場を求めて〜

 

 

  日 時  2003年2月15日(土)午後1時30分〜4時30分

  場 所  京都会館 第1会議室

 

       進  行    松田 國広(京都市職員部落問題研究会)

       話題提供    野町  均(高知県立高岡高等学校)

 

    参加者数 47名

 

内  容

 

■概  要

 水平者宣言のなかに「犠牲者がその烙印を投げ返すときが来たのだ」という一節がある。

 *烙印とは、昔、刑罰として罪人の額などに押した焼印のことである。また、広義には烙印  を押されるという言葉にあるように、消し去り難い汚名をさす。 

 今回は、この「烙印を投げ返す」をめぐる話題提供3件に基づき、参加者同士の自由な議論、意見交換を行います。

 

主な意見

1 自分自身は、同和地区の周辺校に通った。当時は、同和地区の子どもだけが何か特別な扱 いがあり、そのことから子ども心に差別意識を持っていた。その後同和地区の園の保母となり、同僚に地区出身者がいたこともあり、付き合いの中で自身の認識は広がった。また私の 親の世代、私の世代、子どもの世代と代が変わるにつれて同和問題は薄まってきていると思 う。不平不満を言っているだけではダメで、自己を向上させ、個人の評価を上げて社会に貢 献していくことが大事である。人間は勝手なもので本性が出るのは子どもの結婚の時であり、 その実態を見てきている。私は自分の子には、「育ってきた生 活環境の差をわかった上で結婚するなら構わない」と 言う

2 会社で人権啓発を担当している。従来同和問題はこわいという認識があったが、担当になり、自身の問題として真剣に考えるようになったとき、意識が変わった。差別、人権と何な のか。それは皆が幸せになるためにどうしたら良いのかというように解釈している。他の人権問題についても、実際に体験してみてその場に立たないと本当の気持ちはわからない。人を蹴落として幸せになるという気持ちを皆がなくせばこの問題はなくなる。

           

3 差別意識を持った両親のもとで育った。教員となり自己変革ができた。アカンものはアカンと言う高校生がいる。かつてはそういうことが言えなかった。同和教育を受けてきた成果 で、人としての生き方を学んできたのではないか。時代を背景として意識は変わってきている。

 

4 補助金問題について、かつて行政対運動体という構図があった。それと貧困からの脱  却。こうした中からヤミ融資問題がでてきた。団体対団体となるとイエス、ノーでは片付かな いことがある。交渉の場になると保身が第一となり、このようなことが出てくる。差別を自分のものと捕らえられるかどうかに尽きると思う。自身が差別問題に当たってはじめてわかってくる。今は差別とは何だと運動体とも話ができるような状況になった。かつては部落の人が差別だと言えばそれが差別だと言われていた。相手の立場を互いに考えていける かどうかということ。

 

5 民間企業では差別的な会話が日常多々ある。そういう状況で烙印を投げ返すのは難しい。 今なおこうした状況がある。りっぱなことをしても評価されないという側面がある。マジョリティがマイノリティを押し込む状況はある。

 

6 情報公開が進み、情報公開制度として定着した今、透明性が問われている。透明性をどう確保していくかがこれからの課題。インパクトを十分に認識して改善に努めることが必要。

 

7 60〜70年代は行政が負担するのが当然という考えが支配していた。若年層の流出等人の流れを止めるには過去のやり方ではダメ。対行政だけではなく人間同士のつながりをどうするのかといった議論を運動において進めていくべきである。  

      

8 「物を買いにきた人が運動体の幹部やったら何で安くなるんや」という話を勤務先の売り 場の人が言うのを聞いた。このことで売り場の人は、運動体に対しても又店の上層部に対しても不信感を持ったのではないか。犠牲者は売り場の人である。運動体も自ら律する必要がある。

 

9 自分より下の者を作りたいというのが人間。地区内でも朝鮮人に対する差別や地区内に嫁いできた人に対してよそ者呼ばわりすることがある。人間は皆同等であるという意識を持つこと。

 

10 情報公開制度については、情報を得てそこから何を見ようとするのかという情報を知りた い側の思いが深く関わっている。親自身の人権に関わる問題がそれぞれの子どもが抱えている問題に根深く存在している。

 

11 運動と行政のみで問題を回せば従来と同じことになる。住民の自治力をいかに高めていくのかということが課題である。近所同士の連帯を蜜にする等日常生活が基本となる。

 

12 セクシュアルハラスメントも10年前であれば、言われた人もそのことをイヤだと思ってい ても切り返す概念がなかった。部落問題と情報公開と補助金が結びついたとき、知らん顔では済ませられない。そういう時代であるということ。部落問題を解決しようとする者はどのようにすれば良いのか考える必要がある。

                                                   以 上

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