トップ

基調

映画紹介 1分科会 2分科会 3分科会 4分科会 5分科会

第51回人権交流京都市研究集会

  第 51回人権交流京都市研究集会基調

 

はじめに

  昨年50回の節目を迎えた私達の人権交流京都市研究集会は、半世紀という長いあゆみを経て、今回また新たに51回へ一歩を進めようとしています。10年ひと昔というならば、随分長い道のりを歩んで来たようにも思えますが、人権が尊重される社会を実現していくという道のりに照らしたとき、一体どれほどの進歩を遂げたのかとの問い明確に自信をもって答えることは困難です。それは、ある時急速に前に進んだようにも見えたかもしれません。またあるときは、急にそのあゆみが止まったかのように感じられる時代もあったかもしれません。

 1995年、保革連立政権が組まれ、当時社会民主党の村山富市さんが総理大臣となったときは、大きく山が動いたように思えました。敗戦50年での総理談話では、はじめて植民地支配について反省し謝罪したのです。しかし阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件という未曾有の大きな出来事が社会を揺るがし、人心の不安は再び保守的な政権を生じさせました。人権にかかわる政策については、前進するというよりも、性教育やジェンダーの分野ではむしろバッシングがはげしく退行する傾向もあり、またサリン事件により刑法は厳罰化が進行し、社会から寛容さが失われていきました。

一方、部落解放基本法制定を求める運動は、部落問題の解決を先行させるのではなく、様々な人権課題とともに、全体としての人権状況の底上げが必要であるという認識から、人権政策確立に向け、他の人権課題とともに法制定の必要を訴え、人権擁護法の成立が目指されてきました。けれども、国際基準に合致した人権委員会の設置と、人権侵害救済の法律は今もって成立していません。2009年に民主党が与党になったときには、ようやく人権の法制度が整うかと期待されましたが、沖繩基地問題の解決を公約としつつ、日米安保条約や日米地位協定の壁に厚く阻まれ、頓挫したうえ、外交や軍事に関して与党としての意思統一を果たすことができないまま、東日本大震災と福島第一原発の大事故というこれも、国を震撼とさせる出来事にみまわれました。人権擁護法は閣議決定にまで至りましたが、その直後に衆議院の解散、政権はまたもや交代しました。

第二次安倍政権以降7年以上が経過しました。従来の保守のイメージを逸脱するような、急進的な金融政策、大企業重視、格差拡大路線を展開する現政権は、アメリカでの共和党トランプ政権の誕生とも歩調をあわせ、消費税を8%、10%と上昇させることで、富裕層優遇、低所得者層の暮らしを圧迫しつつ、軍事費を増大させてきました

 オリンピック開催を目玉として人心を統括していく政策のもと、様々な社会矛盾から人々の目をそらせてきた政策のもと、復興五輪として、いまだに回復しない福島の現状をも隠蔽してきました。しかし一方で、オリンピック憲章の根本原則には次のような文言があります。「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく確実に享受されなければならない」 まさに、世界人権宣言や日本国憲法に呼応する文言です。誘致にあたり、この原則からかけ離れた社会状況を改善するため、政府は2016年には部落差別解消推進法をはじめとする人権3法を成立させました。さらにアイヌ新法の成立、LGBT差別解消に向けた議論もあります。あくまでも総合的な人権侵害救済法の制定を拒む現政権は、理念法にとどまる個別法の制定により対外的に取り繕おうとしてきました。私たちは、今こうした個別法に謳われた理念をできるかぎり具体的に実現させ、各々の人権課題を意識的に連携させることで、総合的な人権状況を前に進めていこうとしています

 

 1.私たちを取り巻く情勢と課題

 (1)天皇代がわりから見える戦前回帰

  昨年、天皇の代替わりに伴う儀式は、人間天皇を神格化する本質を隠蔽したまま、マスコミはこぞって無批判に寿ぎの言葉を垂れ流しました。「貴あれば賤あり」と身分の世襲そのものが差別であると指摘した、故松本治一郎委員長の思いを受け継ぐ部落解放運動とすれば、昨年の天皇代替わりと改元にともなうキャンペーンが、私たちの社会にどのような影響を与えたのかを、この際考えておく必要があります。

 代替わり儀式は、大きく、天皇位の象徴である三種の神器を受け継ぐ践祚(せんそ)、天皇位に就いたことを内外に宣言する即位式、そして秘儀として神座で神になる大嘗祭の3つがあります。

 まずは、昨年4月30日に明仁天皇の生前退位を受けて、5月1日に新しい元号である「令和」が発表され、同日践祚と「即位後朝見の儀」が執り行われました。以降、昨年の「平成最後の〇〇」という言葉に代わり、「令和最初の〇〇」というフレーズがワンフレーズとして繰り返し表明されることとなりました。一世一元制は明治から始まり、時間(歴史)も空間(国土)も、天皇一人の身体のもとに支配するものであることが明確化されました。繰り返されるワンフレーズは、その支配を民衆が無批判に受け入れることに役立ちました

 10月22日、皇居での「即位礼正殿の儀は高御座と御帳台にそれぞれ天皇、皇后が並び、憲法と皇室典範特例法の定めで即位したことを宣言し、安倍晋三首相が祝いの言葉である寿詞(よごと)を読みあげて、万歳三唱をしました。続いて11月14日、15日には、新穀を天皇が神と共食する大嘗祭が皇居で執り行われました。今回の大嘗祭は、1989年「平成」へと変わる閣議見解を踏襲するとされましたが、それは「国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」という農耕儀礼としての大嘗祭の解釈でした。国事行為として行うことは困難であるが、「世襲制」であるから公的な費用の宮廷費から支出することが適当という政府の判断は、容易に納得できるものではありませんでしたが、ただ皇族である秋篠宮一人がそれに反対し「私費」に当たる「内廷会計」で賄うべきと批判したことは記憶されるべきでしょう。

実際には、大嘗祭は単なる農耕祭祀ではありません。天皇が「天照の子孫」であるとの神話に基づく宗教儀式であるところが最大の問題なのです。18世紀の本居宣長に起源し、近代に公式に定められた大嘗祭神学の核心は「大嘗宮の神座の儀において、天照大神から高天原の斎庭の稲穗を授けられた天孫=ニニギノミコトが天孫降臨する神話を繰り返すこと」、つまり、天皇が神の裔(すえ)であるとの系譜を表明する儀式であることです。  

第二次世界大戦の敗北により、1946年1月1日に発せられた「天皇の人間宣言」では「現御神(あきつのかみ)」としての天皇は「架空なる観念」と否定されたはずであり、無謀な戦争に突き進んだ根本に、この天皇の神格化があったのだという反省は、戦後民主主義の原点としてあったはずです。にもかかわらず、天照大神の孫であるニニギノミコトにつながる「万世一系」の系譜、そこにつながる身体を持った天皇という神学は、実のところ象徴天皇制においても不可分に「意図的に」継承されてきたのであり、昭和から平成への代替わり時には、裕仁の戦争責任という問題意識もかかわり、批判的言説が一定表面化していましたが、今回そうした批判は、ほぼ封殺させられたと言えるでしょう。

 このように、とうてい理性では容認しようのない神話としての宗教的イデオロギーを、巧妙に言い換えて国事行為として民衆の税金をもってして執り行うこと私たちにどのような影響をもたらすのでしょうか。

 

(2)戦争への反省と歴史認識

  視点を少し広げ、文化財保護や歴史観に係ることとして、世界遺産登録について考えてみましょう。昨年2019年7月6日、ユネスコ世界遺産委員会は、百舌鳥.古市古墳群の世界遺産登録を決定しました。その代表的な巨大前方後円墳である「大山古墳」は倭の五王の一つの王墓でしかないにも関わらず「仁徳天皇陵古墳」という遺産名とされ、あたかも「仁徳天皇」が被葬者として確定しているかのような、疑義のある先入観を人々に与えることになってしまいました。実は「仁徳天皇」はそもそもその存在さえ疑わしい天皇なのです。しかし戦前の国定教科書では、高台から民のかまどの煙を見る仁徳天皇の姿を通じて「天皇の赤子」としての日本国民の在り方を描いたように、神話の復権が天皇中心の道徳的価値観として、当時人々の心に植え付けられたことが問題であり、今またそれが繰り返されようとしていることです

 昨年4月には、文化財保護法の改正施行がされました。そこでのコンセプトは文化財の「活用」と商品化です。観光至上主義がはびこり、歴史が「真実か、事実か」ということより「神話や物語」が優先します。従来の文化財行政が「保存」重視で「地域の魅力が十分に伝わらない」との批判から「ストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化」し、「地域のブランド化・アイデンティティの再認識を促進」するとは、文化庁のHPに記された日本遺産認定の方針です。文化庁の京都移転についても、無批判に歓迎するだけではなく、私たちの「文化遺産」が捏造され、隠蔽されることで、私たち自身の歴史認識が歪められることがないように、事実を事実として見極める視点が大切です。

 戦争はおそろしい、二度と繰り返してはいけないという強い思いの根拠は、「ひどい目にあったから」とか「大国のアメリカに歯向かうなど無謀だった」ということではなく、人々が理性では納得できないことを、無理矢理に教え込まされ、理解できないままに飲み込まされたこと。その苦々しさ、矛盾を抱え込み「本当のことを言えない」息苦しさ。先の戦争に対する大きな反省点とは、そうした社会を作り上げてしまったことだったのではないでしょうか。現在に生きる私たちは、そうした過去の過ちをもう一度心に刻み、じわじわと、モノの言えない社会がつくられていく状況を、分析し、批判し、抵抗する力を持たなければ同じ過ちを、若者たちに強いることになりかねないと危惧するのです。

 現実問題として、権力を持つ為政者にとって都合がよく、聞こえの良い、あるいは利用価値のある「物語」の方が、真実や事実よりも価値があり、人々に信じさせるべきであるという考え方は、現政権の国会答弁にも反映されているのかもしれません。国の根幹に関わる、神話や歴史、王の墓にまつわる事実さえ、平気で改ざんできるのであれば、私立学校の認可に関わる「モリカケ」や「桜を見る会」などに拘る嘘やごまかしなど、小さな出来事だと考えているかのようです。

 自国第一主義を掲げ、差別を扇動し、排外主義をあおることで国民の歓心を買い、自らの権力の維持に利用するという手法は、世界の様々な国、様々な政権に見受けられます。それらの政権は、危機を煽り、危機を利用し、あるいは、危機がなければ、あえて危機を作り出す(戦争はその最たるものです)ことさえやってのけ、権力を手中に納め、富の集中をはかります。

 

 2.福祉で人権のまちづくり

 (1)京都市人権文化推進計画と人権条例に向けた取り組み

  2015年に制定された京都市人権文化推進計画は10年間の計画期間の中間年度にあたる今年度に改定が行われます。一昨年11月に行われた「市民意識調査」の結果を受けて、昨年11月に改訂版が提示され、12月にかけてパブリックコメントが募集されました。部落解放同盟京都市協議会としても意見を表明しました。特に、「同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会報告」が10年の年月を経たのちにも、いまだにその報告書に記された「残された課題を完全に履行することが、同和問題の解決であるかのように書かれているという点に関して、具体的にどういった問題が残され、何を解決(終結)したのかを提示しない限り、市民は何かまだ、特別な政策がなされているかのような誤解を生むだけではないかと指摘しました

 201612月に「部落差別解消推進法」が制定されて以来、多くの自治体が「部落差別防止条例」や「人権平和基本条例」等を制定しています。兵庫県たつの市、加東市をはじめ、福岡県、奈良県、愛知県津島市、宮崎県えびの市、高知県土佐市、高知市、和歌山県湯浅町でも新たな条例が制定されました。とくに「湯浅町部落差別をなくす条例」では、差別行為に対する指導や勧告を規定したほか、インターネット上の部落差別情報のモニタリングについても盛り込まれています。さらに、神奈川県川崎市では「ヘイトスピーチ解消法」制定をふまえて、罰金刑を盛り込んだ条例制定が検討され、素案に対する意見募集(パブリックコメント)では、全国的に「賛成・反対」の表明が双方から呼びかけられましたが、賛成が多数となり、条例は制定されました。京都市においても条例制定に向けた議論を、早急に開始していかなければなりません。まずは、行政と市民が差別をなくすために取り組んでいける中身を、共に考えていくことが重要です。

 インターネット上の差別情報の氾濫については、総務省が電気通信事業者協会、テレコムサービス協会、日本インターネットプロバイダー協会、日本ケーブルテレビ連盟の通信事業者関連4団体に、適切な対応を取ることなどを要請し、またここに加盟していない海外通信業者を含めた意見交換も進めています。また、法務省は20181227日付で「インターネット上の同和地区に関する識別情報の摘示事案の立件及び処理について」を全国の法務局に通知しました。これは、全国の被差別地域をネット上に公開する鳥取ループ・示現舎による「部落探訪」が悪質な部落差別にあたるとの法務局の判断によるものですが、鳥取ループは法務省からの説示を回避するために「学術・研究:部落探訪」などとHP上のタイトルを変更して掲載するなど、悪質なごまかしを続けているのです。引き続き削除要請の活動を強めていかなければなりません。

 (2)人権のまちづくりから地域共生社会へ

  京都市内の被差別部落としては部落解放同盟として11の支部があり、そのうち10の地域で1960年代から改良事業における市営住宅が建設されました。明治以降の近代国家の形成過程で、江戸時代の身分制社会から曲がりなりにも四民平等、解放令が出されたものの、一方でそのことの意味するところは、これまで幕府直轄で請け負っていた仕事が奪われた上に、さらに「平等」に徴税、徴兵の義務が生じるということ。そこに従来からの差別意識、忌避意識に加え、関わり合いを拒む一般民衆の暴力的な排除に晒され、まともな職業を得ることも叶わないという過酷な貧困状況を招いたのでした。かつてから定められた居住地にひしめくように暮らしていた人々にとって、当時は2の風呂なしアパートであっても、雨がしのげ、台所とトイレが自宅にある我が家は、夢のように立派だったといいます。しかし、築40年〜50年も経過し、老朽化した住宅、また、風呂もなく、バリアフリーもなく、狭小な間取りは現代のライフスタイルと合致することがありません。何よりも耐震構造的に問題があることから、命の危険にも及んでいました。

 昨年のまちづくりにおける画期的な進展は、現状が看過できない状況であると認識され、京都市の方針において、建て替えの方向性が明確に示されたことです。千本地域に一定の目処がついた段階から、さらに具体的に錦林、東三条、西三条、田中の4地区候補地として表明されたです。京都市協の部会で確認されたことは、千本地域の先行事例が、じうん千本ふるさと共生自治運営委員会)」というまちづくり組織を作り、解放同盟という特定の団体だけでなく、地域の各種団体を巻き込み、住民の代表としてのまちづくり組織を立ち上げて、行政と、地域住民との橋渡しとしての役割を担うことの重要性でした。そのことにより、被差別地域のまちづくりを核として、周辺地域(学区)、さらに広げて北部地域を人権尊重と福祉が充実した共生社会をめざす取り組みを実践していくのです。

 

(3)同和奨学金返還問題について

  10年前の同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会が最も早急に打ち切るべしとした施策が「同和奨学金」の返還請求でした。奨学金を支給する段階で、当初子どもたちに奨学金を受けるように勧めたときには「返さなくて良い」とした奨学金でしたが、総点検委員会がまだ、最終報告を提出する前の段階で、奨学金の専門委員会において、返還を決定し地域住民に対して、市長のお詫びの文章とともに返還決定を通知したのです。返還の必要がないということは、返還金として京都市の債権として残したまま、返還に充てる自立促進援助金という「補助金」を執行し、プラスマイナスをゼロにするという制度設計を行なっていたということですが、その複雑な制度が市民に理解されないということで、2001年(平成13年)度以降に返還始期を迎えた人への請求が今もおこなわれています。

 部落問題の実態、部落差別の実態が、当時の裁判所や行政の委員会の人々にもう少しリアルに理解されていたら、20年に渡って、同和奨学金の借受者であるという規定から免れない人生を送ることがどのようなことか、また、そうしたことに配慮しながら、行政の側が、返還請求あるいは、返還免除に関わる手続きを引き受けることにどれほどデリケートな配慮を強いるのかということを想像することができたのではないかと思われます

 ましてや、奨学金に関しては、一般の学生たちが卒業と同時に多大な借金を負うことの理不尽に対してやっと、社会が共感するようになっている昨今ではあります。しかし、当時卒業と同時に多額の借金を負う理不尽に対する批判を、社会ではなく、免除されているマイノリティの「不当な優遇」であると矛先を向けた事実をどのように評価するべきでしょうか

 一方で、返還請求をされた借受者は、国の返還免除基準に順じて「生活保護の1.5倍以下の収入」であれば、5年間免除されることになりました。その5年に一度の免除申請の年に今年当たっています。これまでの10年で返還免除になっていた人が、収入の増加等によりあらたに返還を迫られることに戸惑う場面が想定され、また、これまで「子ども」のこととして、親が「連絡対象者」となっていたところ、高齢化により本人が対応しなければならないケースなどもあり得ます。返還年度が10月から9月末までということで、昨年から京都市人権文化推進課の事業担当チームが慎重で丁寧な対応をしているようですが、万が一にもそのことで、奨学金を借り受けた人の人生が壊れたりしないよう、慎重のうえにも慎重な取り組みが求められます。

 

(4)事前登録型本人通知制度について

  部落差別が大きく顕在化する局面というのは、ごく普通に日常生活を送っている個人に対して、ある日突然「お前は部落民である」とレッテルを貼ることでしょう。住んでいる場所によっては地域住民同士の関係性から、互いに常に意識しあっているという日常生活での差別意識もありますが、地域の外で生活していても、ネット上の検索や戸籍や住民票を不正に取得することで、身元調査を行い、そのレッテルを貼った上で、結婚などを忌避しようとする差別意識は、いまだに社会に存在します。個人情報保護法の施行以来、戸籍や住民票の第三者による取得は、弁護士や司法書士などの8つの専門職しか請求できないようになっています。また、請求用紙もナンバー管理された専門職だけが入手することのできる用紙にしています。しかし、数年前におきた大量不正取得では、コピーをして別の市町村で使用した行政書士のケースもあり、どのような防衛策を講じても完全に防ぎきることは困難でした。そのような状況で不正取得の防止に役立つと同時に、市民のプライバシー、自己情報のコントロール権として提案されたのが、事前登録型本人通知制度です。これは、事前に区役所等に登録した市民は、第三者が本人の戸籍や住民票を取得した場合に行政が通知するという制度です。これによって、身に覚えのない請求があれば、請求者を突き止めることが可能となります。不正を働こうとする業者は、その制度がある自治体では、戸籍謄本等の取得を断念する傾向があり、抑止効果が期待されるのです。戸籍を取得して結婚を忌避しようとする事案は、部落差別だけにとどまりません。婚外子であるか、外国人であるか、届出人が誰であるか等々出自に関する、センシティブ情報が戸籍には載せられ、しかも本人以外が取得可能な制度としてあるからです

 この制度では、登録数を増やすことが大事となります京都市は、昨年12月段階で、住基人口1,409,061人に対して、登録者数は3,612人、比率は0.256%に過ぎません。京都府では、現在人口の少ない町村に対して、全通知型を進めるという方針があります。しかし、京都市でそれを実現しようとする場合、現状では予算や人員配置として困難だとされています。そうした中、少しでも登録数を増やそうとする取り組みも今年1月からはじまりました。証明書発行コーナーにある封筒の折り返しに、「住民票の写しや戸籍謄本等を第三者に交付したことをお知らせする『事前登録型本人通知制度』に登録しよう!」という文言が印刷されたのです。また、区役所等での待合にあるモニターにも、広告が映されるようになっています。ただし何よりも大事なのは、区役所等の窓口にいる一人一人の職員の人権意識です。丁寧に、時間の許す限り、説明し勧めてほしいと思います

 

 3.多文化共生社会を目指して

 

(1)多文化共生の現状

 法務省によると20196月現在、日本には約283万人の外国人が在留していると発表しています。1位は中国人の786,241人、2位は韓国・朝鮮人の480,518人(注)次いでベトナム人371,755人、フィリピン人277,409人、ブラジル人206,886人となっています。

<>この人口統計発表で、法務省は20156月まで韓国・朝鮮として発表していたのを、201512月から突然韓国と朝鮮を分けて発表しています。これは在日朝鮮人を分断させる悪質な統計操作であり、そもそも朝鮮は国籍ではなく、朝鮮半島出身者とその子孫をさす言葉で、多くの在日韓国・朝鮮人の存在が、日本の朝鮮植民地支配に起因することを考えると、当然従来通り「韓国・朝鮮」としなければなりません。法務省発表では2位は韓国人の451,543人となっていますが、正確には朝鮮籍者を加えなければなりません。)

在留外国人数で近年顕著なのは、ブラジルを除きベトナム、フィリピン、ネパール(92,804人)、インドネシア(61,051人)など、東南アジアからの労働者や留学生が多くなっています。例えばベトナム人は5年前の約3倍、ネパール人とインドネシア人は約2倍になっています。これらの多くは技能実習生や留学という名目の労働者です。アジアからの外国人労働者の中には、低賃金、長時間労働、タコ部屋に押し込めるなどの劣悪な労働環境や、悪質ブローカーによる賃金ピンハネなど、労働者・人間として最低の権利を奪われた状態に置かれています。劣悪な環境に耐えられず、労働現場から失踪する外国人労働者は後を絶たず、不法在留者となり、官憲の目を逃れ、病気になっても医療機関に診て貰えず、絶望のあまり自死する人、入管に強制収容される人が多く出ています。技能実習生の実態などは、すでに多くのマスメディアなどで報道され、SNSを通じ日本政府や企業の外国人に対する人権侵害は、広く世界に知れ渡っています。(国連の人種差別撤廃委員会からも是正勧告が出ている)また、亡命や難民申請をしても、日本政府は亡命や難民をほとんど認めず(認定率0.2%)、長期間にわたり入管収容所に隔離・拘留し、自由を奪ったままの状態です。抗議のハンガーストライキを決行して尊い命を落とされた方も出ています(20196月、大村収容所にてナイジェリア人が死亡)。世界で悪評高い日本の外国人に対する人権侵害を、世界の人々はどのように見ているのでしょうか。グローバル化した世界の中で、日本政府と日本社会全体の外国人、特に発展途上国の人々に対する差別・排外主義を根本的に改めなければ、日本の未来は訪れません。

日本政府は、急速に進む少子高齢化によって労働者不足が叫ばれる状況下、外国人労働者を受け入れやすくするための「新入管法」(「『出入国管理及び難民認定法』及び『法務省設置法』の一部を改正する法律」)を、ほとんど国会での議論がないまま、20181127日に強行可決させ、20194月から法を施行しました。2024年の5年間に約34万人の外国人労働者を導入する計画ですが、「新入管法」の目玉である「特定技能12号」は、当初年間47千人程見込んでいた政府の目論見とは裏腹に、201910月末時点ではたった520人の現状です。外国人労働者を人間ではなく、単なる安価な労働力としか見ない日本政府に対する外国人労働者の回答が、ここに示されているのではないでしょうか。

日本政府がいくら「移民」政策は採らないと叫んでも、労働者は単なる労働力ではなく人間であり、労働以外に趣味の時間を持ち、恋愛をし、結婚をし、子どもも生まれるのが必然でしょう。そこには労働問題だけでなく、当然福祉や教育、医療、防災問題など、様々な問題が生じてきます。新たに受け入れる外国人労働者だけの問題ではなく、1990年施行の「改正入管法」以来、この30年間、日本社会に受け入れてきた南米やアジアの労働者に対し、抜本的な社会統合(包摂)政策がなければなりません。そのためには先ず、技能実習制度は直ちに廃止すべきです。第2に 「特定技能1号」「特定技能2号」の区別をやめ、就労可能な他の在留資格と同じように始めから家族帯同を認め、永住権申請が可能となる在留資格にすべきです。第3に技能実習生への搾取構造に酷似した受入れ機関や登録支援機関などの仕組みを排除し、新しい在留資格による受け入れを公正な機関の受け入れのプロセスと企業マッチングによる直接雇用によるものとすべきです。第4に外国人労働者に日本人と同一の賃金と待遇を実質的に保障するためには、労働基準法や最低賃金法の遵守はもとより、社会保障の適正運用も民間任せにするのではなく、公正な機関が管理できる体制を整備するべきです。第5に「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」では、「専門的省庁」を創設してその役割を担う必要があります。第6に外国人労働者が社会の一員として暮らすための体制を整備するためには、家族帯同、日本人と平等の社会保障(健康保険、年金等)等の社会統合政策がなければなりません。国籍差別や人種差別の実態を踏まえ、移民基本法、差別禁止法を制定し、移民の権利保障の体制を整えなければなりません。

一方、外国人労働者にかかわる問題の中で、特に外国人の子どもたちの「教育問題」「貧困問題」「人権問題」は深刻な状況です。外国籍の児童・生徒を持つ親に「就学通知」が出されていない場合があり、学校に行けない子供たちが多くいます。また、多くの子どもたちは日本語理解が不十分で、授業の進度についていけず不登校になる子どもたちや、発達障害とみなされ特別支援学級に編入させられたりしています(日本人児童・生徒の2倍強)。昨年9月文部科学省の発表では、日本語指導が必要な外国籍または外国にルーツのある児童・生徒の数は50,759人に達しています。これに対し、学校側では日本語指導教師が圧倒的に不足しているのが現状です。(京都市の場合も同様)ここで私たちが気を付けなくてはならないのは、単に「日本語教育」だけをすれば良いのではなく、親子のコミュニケーションと、子どものアイデンティティを大切にするためにも、母語教育も行わなければなりません。これらを実施するには多くの費用と労力が必要ですが、子どもの権利を保障するためには必要なことではないでしょうか。(本日午後の第4分科会では、「大阪ミナミこども教室」で、外国にルーツを持つ子どもたちと、多くの問題を共有しながら実践されている金光敏〈キムクァンミン〉さんを講師に招き、実践報告を話して頂きます。

 

(2)多文化共生社会実現のために

 現在の日本社会は、多民族、多文化社会として成り立っています。にもかかわらず、先ごろ麻生財務大臣は「2000年の長きにわたり、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」と、またもや問題発言をしましたが、これはアイヌ民族を先住民と規定した「アイヌ新法」に反するだけでなく、沖縄・琉球の人々や、500万人以上の外国や外国にルーツを持つ人々を貶める発言で、絶対許すことはできません。一方、巷ではヘイトを煽る「嫌韓」「嫌朝(鮮)」「嫌中」本が売られ、週刊誌の広告には「断韓」と書かれた文字が大きく踊り、公共交通機関の中吊り広告にまで登場しています。それに対し、一部マスコミまでもがヘイトを煽るような情報を流しています。本年16日川崎市の多文化交流施設「ふれあい館」に「〜在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう。生き残りがいたら、残酷に殺していこう」という内容の年賀状が送られてきました。これと同じような内容の文言は、ネット上では日常茶飯事となり、ネット右翼の街宣車からは「チョーセン帰れ!」「ゴキブリ・ウジ虫」と聞くに堪えられない、民族差別を煽る言葉が流されています。

在日コリアン12世たちは、厳しい民族差別の中で、民族教育権の闘い、就職差別との闘い、指紋押捺拒否闘争等々、様々な差別と闘ってきました。これらの闘いは、自己解放目指すと同時に、子や孫たちの世代には、自分たちと同じ被差別の辛い想いをさせたくない、日本人やあらゆる人々と「共に生きる社会」を築いていきたいという願いでした。このような願いを実現するために、私たち一人一人は、自分たちの置かれた日常生活から、あらゆる差別と闘わなくてはならないと思います。        

2016年、国会は与野党一致で、外国人に対する不当な差別的言動のない社会の実現を基本理念とした、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」を成立させました。しかしこのような理念法だけではどうしようもないのが、上記に見られるようなヘイトの現実です。早急に、根拠法となりうる基本法を制定し、入管法に一つの独立した章として社会統合に関する規定を盛り込み、政府として諸政策を統合的に立案・実行できる体制を整えることが必要です。また、昨年11月川崎市が制定した、ヘイトに対する「罰則を伴う条例」を、各都道府県、中でも私たち地元京都府・市にも働きかけ、条例を制定していかなければなりません。

今日「日韓関係」は、戦後最悪と言われていますが、この責任の多くは、戦前の植民地支配に対する反省や謝罪の言葉もなく、韓国との対話に誠実に向き合おうとしない安倍政権にあります。また安倍政権は、冒頭の人口統計改ざんに見られるように、露骨な朝鮮人差別政策をとり続けています。私立高等学校への授業料無償化に対する朝鮮学校排除に加え、昨年10月消費税増税に伴う「幼・保無償化」でも、在日朝鮮人も同じ住民として税金を支払っているにもかかわらず、朝鮮幼稚園を排除しました。私たちはこのような差別政策を許すことはできません。一刻も早く、朝鮮高級学校と幼稚園に対し、無償化を実施すべきです。

国連・人種差別撤廃委員会は20188月、人種差別撤廃条約の実施状況に関する日本報告審査を行い、審査結果を発表しました。その中でオールドカマーに対する@永住権者の参政権問題、A公務員への就職差別(管理職に就けない)、B無年金者に対する救済措置、C朝鮮学校に対する差別問題、D朝鮮籍者に対する再入国差別問題などを指摘し、是正を勧告しています。ニューカマーに対しては@移住女性に対する暴力、A外国人技能実習制度、B難民および庇護希望者の問題、C移住者の状況、Dムスリムに対する警察の監視と情報収集、E人身取引、F未批准の人権条約(「移住労働者権利条約」「雇用及び職業についての差別待遇に関する条約」(ILO111号)の批准、などが指摘され、是正勧告が出されています。

少子高齢化が進み、人口減少が続く日本社会は、今後多くの外国人を受け入れていかなければ社会活動が成り立ちません。昨年のラグビー・ワールドカップ日本大会で日本チームは、7か国の国・民族を背景に持つ選手が「ワンチーム」となって大活躍をしました。ここに将来の日本を占う鍵があるように思われます。それには、日本社会や日本人が乗り越えなければならない課題が、数多くあります。まず、日本の歴史を、特に近・現代史を根本から見直すことから出発しなければなりません。「脱亜入欧」「富国強兵」思想が、アジア蔑視と差別を生み、台湾、朝鮮に対する植民地支配と、中国から全アジアへの侵略、その結果アジア民衆約2000万人、日本人約300万人という尊い命が奪われた侵略戦争と敗戦。その侵略戦争の総括が為されないまま、戦後も天皇制は姿を変えて生き残り、日本政府は対韓国・朝鮮、対中国、対アジア政策を行ってきました。1965年韓国の民衆は、朴正煕政権が軍隊を投入し、戒厳令を敷く中、命を賭して「日韓条約・基本協定」に反対し、闘いました。「戦後最悪の日韓関係」を言う前に、歴史を見直さなければなりません。特に学校現場では、将来日本社会を担う子どもたちに、教科書だけでなく、教科書にも書かれていない侵略の歴史の事実を教えていかなければ、日本はアジアや世界から孤立していくことでしょう。アジアだけでなく、世界中の発展途上国の人々と「共に生きる社会」を築いていきましょう。

 

 4.人権確立に向けたこれからの運動展開

 

(1)国際状況と日韓関係

  アメリカトランプ大統領が提唱する自国第一主義に象徴されるような内向き志向は、グローバルな世界情勢における現在的な課題として存在し今年の年頭には中東イランに対して、その軍事司令官をイラクにおいて殺害するという戦闘行為がなされました。イランの報復がどの程度であるか、世界中に緊張がはしり固唾をのんで見守るなか、全面戦争のシグナルは退けられたことで、当面は小康状態が維持されるとされました。しかし、トランプ大統領は中東の火種であるイスラエルの首都をエルサレムとするとして大使館を移転させ、パレスチナへの入植を違法に強行する右派のネタニエフを支持し続けるなど、かねてから中東での混乱状況をあえてつくりあげてきました。さらに、イランだけではなく、キューバやベネズエラなど、自分の意に沿わない国に対して経済封鎖を強め、米中の経済戦争も続いています。不安定な世界状況において、自国だけの安定を志向するナショナリズムや排外主義は、国際社会の混迷をますます深めることになってしまうでしょう。

こうした中、日本は、日米安保条約、日米地位協定等戦後から引きつづくアメリカとの関係性と同時に、アジアの一員として、中国ともどう向き合うのか真剣に考えなければなりません。日本が地域の安定のために寄与し、考えることのできる独自の立場を模索することが重要です。

 一昨年、韓国の「元徴用工」への日本企業に対する賠償を命じる韓国大法院判決をきっかけに、日本政府は「約束違反」「国際法違反」と声高に韓国政府を非難することで、愛国主義的な勢力をいきおいづけ、支持率をあげてきました。けれども、『日韓条約にある請求権の放棄とは、国対国の(外交保護権としての)請求権を行使しないということであって、個々人の訴えに向き合うことまで「放棄」するものではない』との学説も有力であり、戦争によって被害を被った個人に対して、補償をするということは、国レベルでも企業のレベルでも世界的におこなわれています。今回の徴用工問題は、原告が、日本の「企業(新日鉄住金・三菱重工業)」を訴えた裁判であるにも関わらず、安倍政権が、企業に対して「補償を行わないように」圧力をかけているという構造があることに、原告たちも韓国の国民たちも納得がいかないのです。政権は、いずれ変わったとしても企業は続いていく以上、その企業イメージや、企業としてのモラルとしても、裁判結果に従うべきだと考えるのは特異なことではありません。

 一方で、国レベルの補償では、日本政府は、日本人の戦没者遺族や、元軍人たちへは、非常に手厚い補償を続けています。本人のみならず、配偶者、子、そして孫にまで、その補償金を支払い続けているのです。そうした予算執行については、国会で、常に全会一致で賛成されています。戦前、植民地化政策において、「日本人」として戸籍に搭載されていた朝鮮半島の人々に対しては、1952年のサンフランシスコ平和条約を持ってして、その日本国籍を剥奪し、日本人としての「補償」から外してきた経過がそもそも問題ではなかったのか。歴史を知ることで、今に生きる私たちも考え続けるべきことです。知らないということ、興味がないということ、ただそのことがまさに「差別」であるということも、時にはあるのですから。

 日本人以外には、補償も、補助も必要がないというその端的な差別意識は、同じくこの日本社会に暮らし学ぶ子どもでありながら、朝鮮学校には補助金を支給しないというその政策に現れているのであり、その根に戦後処理に関わる、個人への補償問題に通底する、払拭されることのない『差別意識』があるのではないかと考えさせられます

 (2)国際基準に合致した人権状況

 様々な人権課題を考えるうえで、国連で締結した人権条約を遵守すること、また、それぞれの委員会からの勧告について真摯に対応することはとても重要です。けれども、日本のマスコミは、こうしたテーマに関してほとんど報道することがなく、世界において日本がどのような視線を向けられているのかということが、一般の民衆に伝わる機会が少ないのが現状です。

さまざまな課題に関して、多くの勧告がされていますが、国連人種差別撤廃委員会における世系の差別に、日本の部落差別が当たるという事実、そのことを日本の政府が認めようとしないという態度に対して、人権規約委員会からの勧告を受けているということをもう一度明記しておきたいと思います。部落差別解消推進法が施行されて3年以上が経過し、日本政府は「部落差別」という文言により、その差別が現存していることを認めた点が大きな事実であり、状況の変化なのですから、国連への対応も変わってしかるべきであり、真摯に向き合い、日本政府としては誠実に対応するべきだと考えます。

そのことは、部落差別が、日本の歴史に深く根付いている問題であるという事実と同時に、この地球上、人類が解決することのできていない普遍的な課題の一つとして、部落問題をとらえることに通じます。また、歴史的に形成された差別であるという側面と同時に、現在、世界がグローバルに抱える格差や貧困の問題とも重なる課題と捉えることで、私たちの部落問題の解決が、より根源的な(ラディカルな)問題解決に相通じるという方向性で、思考していくことが可能となります。

 しかし、そもそも、国連で議論されている人権状況に日本が示唆を与えることができるほど、日本の人権状況が国際基準となり得ているのかというと、決してそういうことはありません。まずは、そのレベルに追いつくことが先決なのだと言えるのかもしれません。

  過ちを認め、反省し、これまでと違うやり方を選択していくということは、一人の人間にとって難しいけれど大切なことです。とりわけ、その過ちが、自分や周りの人を決して幸せにはせず、苦しませていたことに気づいたかぎりは、直ちに態度を変える努力が必要です。

 一人の人間ができたことを、次には学校や会社などの「組織」において実現することも、また可能なのかもしれません。今年の全体集会で共有する映画『みんなの学校』では、大阪市立大空小学校の取り組みが描かれます。不必要なルールを断シャリすることをとことん議論する中で残ったルールは「「たった一つの約束」自分がされていやなことは人にしない・言わない」だけだったといいます。

 約束は、たった一つであっても、守ることはそう簡単ではないのかもしれません。けれども、わたしたちの社会を、「共に、協働でつくりあげていこう!」というこの集会の目標のために何を実践していくべきか、51回目の集会を契機として、一人一人が、あらためて問いかけ考え続けていきたいと思います。

 

 

5.教育をめぐる状況

 昨年は国連総会において「子どもの権利条約」が採択されて30年目になりました。我が国も5年遅れて批准しました。この条約は、子どもが幸せに暮らせることを願って作られ各国が批准したものですが、日本国内に目を向ければ、虐待、いじめ、不登校など、子どもの人権をめぐる問題が深刻化しているという現実があります。また、我が国でも、家庭の経済状態によって子どもの学力の獲得や自己実現が阻まれるなど、貧困が進路・学力保障に深刻な影響を生じさせてもいます。

 一方で、心身に障がいのある子どもに対する理解や対応は、「合理的配慮」の考え方が一気に普及するなど、まだまだ不十分ではあるものの近年急速に進んできたように思います。

 子どもの教育に関わる私たちは、先人が取り組んでこられた同和教育や外国人教育に学びながら、目の前のすべての子どもの権利が保障され、彼らが幸せに生きていけるよう、自分たちの取組を見直し実践を点検し続けなければなりません。

 今回も、先輩方の理論や実践を振り返りそれに学びながら、私たちの実践を点検し、進むべき方向性を探りました。以下に紹介して参ります。

 

(1)京都市小学校同和教育研究会

 

21世紀は、「人権の世紀」といわれています。一昨年は国際連合の「世界人権宣言」採択から70年という節目の年でした。しかし、今、世界に目を向けると様々な対立や分断が起こり、そして、「人種差別」や「難民にかかわる問題」も拡大・深刻化しています。また、日本では、子どもにかかわる内容だけでも「貧困」や「いじめ」、「不登校」、「児童虐待」、「インターネットによる人権侵害」、「東日本大震災に起因する人権侵害」等、新たな課題も多く見られるようになりました。

このような中、今後の人権施策の推進に向け、より効果的な方策を検討するための基礎資料を得るため、昨年の11月に京都市文化市民局による「人権に関する市民意識調査」がなされ、昨年3月にその報告書が出されました。また、「各校においては、人権教育の重要性を再確認するとともに、教育に携わる者としての自覚と責務を深く認識し、人権という普遍的な文化の確立した社会の構築を目指した人権教育の創造に向け、あらゆる教育活動を推進していきたい。」という基本的方向のもと、「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」の改訂版が昨年1月に発行されました。

そこで、今年度小学校同和教育研究会では、この「人権に関する市民意識調査」の結果や「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」の改訂について確認し、「同和問題解決のための教育の成果を基盤にあらゆる人権問題を解決するための教育を研究・推進する」というテーマのもと活動を進めてきました。

 

今回の調査は、市内に居住する外国籍市民を含む18歳以上の市民3000人が対象で、有効回答数が1059件、有効回答率は35.3%でした。これは2013年実施の前回調査より約5ポイント低下している結果でしたが、人権問題に関する新しい法律などについて問う問題では、世界人権宣言を知っている人が8割を超えるなど、人権意識の高まりを伺わせる結果も出てきています。

 調査結果の概要には、「人権問題について、自分に身近なことや関係が深いと考えることであれば興味関心を持っているが、そうでなければ関心が薄いと考えられる。今後は、全ての人権問題を『自分ごと』として捉え、暮らしの中でお互いに尊重し合うことができるような意識の醸成が必要である。」とまとめられていました。

これを踏まえ、項目別に見ていくと「教育・啓発」については、学校等での教育が、人権意識の醸成のために重要だと考えている市民が多く、今後は、人権教育を受けた人たちが講演会や研修会に参加し、継続的に人権に対して関心を持ち続けることができるような取組を検討していく必要があるとまとめています。学校教育を通して、様々な人権意識を向上させることが重要で、そのために、まずは様々な人権課題に出会い、その不合理に気づくことが大切であると考えます。

「日常の場面での人権意識」については、人権課題に関する意識が醸成されている部分もありますが、新たに出てきた課題や概念、考え方が定着していないことも明らかになりました。今後は従来の啓発活動に加えて、これらの新しい課題や考え方について、誰もが知る必要があります。様々な人権課題が増加しているように見えますが、「根っこは同じ」です。人間らしく生きていくために互いのできることを考えられるかが肝心ではないでしょうか。

人権相談・救済については、人権が侵害されたと思う人は増加しています。一方、相談ができていない人は減少していることが分かりました。しかし、今後も公的な相談窓口などについて認知度を高めること、そして、そうした相談窓口へスムーズに相談できるように啓発を行い、人権侵害が起こったとしても、解決に向けて迅速に動けるような体制をつくることが必要です。

さらに質問項目別調査結果を見ますと「学校で人権教育を受けたことがある」人は約5割で、前回と比較すると「全く受けたことがない」が10.6ポイント低くなっています。年代別に見ると、年齢が高いほど「全く受けていない」割合が高く、1020歳代は「よく受けた・ときどき受けた」が8割を超えています。つまり、学校における人権教育がさらに広がっている結果ではないでしょうか。

また、前述の世界人権宣言についても、やはり年齢が若ければ若いほど「どんな内容か知っている」割合が高くなっています。

一方、障害者差別解消法やヘイトスピーチ解消法、部落差別解消推進法については、全体として知っている人が6割を超えていますが、いずれの法律についても1020歳代における「知らなかった」割合が高いのです。一概に言えるものではありませんが、「世界人権宣言」は教材化しやすく、法令については難しいと捉えられているのではないでしょうか。しかし、これらの法令は現代社会で今問題となっている現実があることを物語っているのです。子どもたちにとって、より身近な出来事として認知できるよう、発達段階に応じた指導の形を探っていく必要があります。

また、今回調査の中で、次のような結果が出ていることは知っておかなければなりません。自分自身の結婚相手、自分の子どもの結婚相手、それぞれにおいて「結婚相手を考える際に気になること」で、その対象が同和地区出身かどうかについて、「気になる」と答えた割合が、3割弱でした。前回調査よりも低くなったとはゆえ、まだまだゆわれなき差別が存在しているという厳しい状況にあります。そして、家を購入したり、マンションを借りたりするなど、住宅を選ぶ際に、近くに生活が困難な人や外国人が住んでいること、同和地区があることを気にする人がそれぞれ2割を超えているという結果も見逃すことはできません。

学校現場においては世代交代も進んでいますが、「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」ため、厳しい現実から目をそらさず、子どもや保護者と寄り添い、学力向上と進路の保障を目指していかなければなりません。そして、わたしたちは「学校の人権教育が役に立つと考える人は7割を超えている」という調査結果を深く受け止め、期待にこたえられるよう取組を推進していきたいと考えています。

 

このような調査結果も踏まえながら「《学校における》人権教育を進めるにあたって」の一部改訂と人権教育の重要性について述べます。

19994月、これまでの人権教育の成果と課題をまとめ、今後の人権教育の方向性を示す「《学校における》人権教育を進めるにあたって(試案)」が策定されました。その後、社会の情勢や動向を注視し、何度かの改訂が行われてきました。しかしながら、2010年の前回の改訂以来、8年が経過し、その間には、人権教育を取り巻く様々な変化が起きています。「いじめの防止等」のための取組を総合的かつ効果的に推進するため「京都市いじめの防止等に関する条例」が施行されたり、「性的マイノリティ」とされる児童生徒についてきめ細かな対応にあたっての具体的な配慮事項をまとめた通知が出されたりしています。一方、これまで、特別対策として進められてきた同和対策事業は、その集中的な実施により、同和地区の住環境には一定の成果が見られ、2002年に同和行政の終結が宣言されてきたところですが、そのことが同和問題の解決を意味するものではなく、引き続き、取組を進めていくべき課題であるとされてきました。かつての「同和地区児童・生徒の学力向上を本市公務員としての至上目標とした『同和教育方針』」はその役割を終えたとされましたが、未だ残る社会の根強い差別意識の解消に向け、2016年には「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。そして、このような状況の変化に対応するため、2019年再び改訂がなされました。

本改訂は、個別的な課題の内容を中心に行われましたが、忘れてはならないことは、「一人一人の子どもを徹底的に大切にする」ということが本冊子の根本理念であり、これを機に、各学校は人権教育を学校教育活動の基軸に据えた取組推進に繋げているかの再検討をすべきではないかということです。「子どもの貧困」「LGBT等の性的少数者」等の新たな人権課題は加わりましたが、人権教育の底流には、「自尊感情の高揚・掛け替えのない自分見つけ」と「共感的他者理解・よい所見つけ」という大前提があります。自分自身が周りから愛され、期待されていると感じることができる子どもは、友だちの良い所に目を向け、その良さを自分の生き方に取り込めるはずです。

子どもの豊かな将来展望に繋ぐためにも、学校全体に人権教育を浸透させ、人権尊重を基盤に、あらゆる学校教育活動を進めていくには、人権教育をすすめる四つの視点が機能しているかどうかに立ち返り、学校教育活動を見直すことが肝要です。

その内容の1つ目は、「人権としての教育」です。教育を受けることそのものが人権であるとの認識に立つと、その機会の均等はもとより一人一人の子どもたちの学力向上が求められます。そして、その達成に向けては、本人の責に帰さない事由に起因する家庭事情等により、その能力が十分に発揮できない子どもが存在することを忘れてはなりません。そのような子どもの自己実現に繋がる学力保障こそが、人権としての教育です。学力保障なくして子どもの人権尊重はないのです。

 2つ目は、「人権を通しての教育」です。一人一人の子どもが自己の能力を最大限に発揮することこそが、課題解決への最短の道のりとなります。そのためには、子どもが生活する教室が、誰にとっても過ごしやすい居場所でなければなりません。教室は、間違ってもよい所、その間違いが受け入れられる所、そして、もうひと頑張りしようと思える所でありたい。そんな「ひとにやさしい学級経営」を進めることが大切です。

3つ目は、「人権についての教育」です。誰にとっても住みやすい居場所づくりに欠かせないのが「ポジティブ思考」です。友達の成果をたたえ合ったり、認め合ったりできる関係づくりは大切です。人権や差別問題について学ぶ時、「差別をしてはいけない」ということに留まらず、差別の解消に向け、「自分自身にできることは何か」を考えるとともに、「まず行動してみよう」という行動化に繋げることが大切です。

4つ目は、「人権のための教育」です。人権尊重を基盤とする取組は、教室内に留まらず、学校全体で共有し、進められなければなりません。そして、その取組で獲得した力は、学校という枠を超えて、生涯に渡って培われていくべきものです。つまり社会でも通用する豊かな人権感覚を、学校教育活動全体を通して育むことが重要です。そういう意味においては、家庭や地域とも連携した取組の展開が望まれます。

先程、個別的な課題の内容を中心に本改訂が行われたと述べました。「同和問題にかかわる課題」に対する「取組にあたっての基本的な考え方」については、「すべての子どもの自立と家庭の教育力向上の支援など、人権教育としての取組を一層充実させるとともに、社会科での同和問題の指導をはじめ、人権尊重の観点から、発達段階に応じて、同和問題を児童・生徒に正しく理解させる指導を推進する。」「新たな差別を生むことがないよう、指導が真に部落差別の解消に資するものとなるよう、内容、手法等に関する研修を実施するなどその指導体制を構築する。」というように改訂がなされました。

これまでにも、同和問題にかかわる授業は、様々な工夫を凝らし各校で取り組まれてきました。同和問題に直結した授業としては、6年生の社会科における「同和問題にかかわる単元の指導」があります。

小学校の授業で取り扱う同和問題にかかわる内容は全部で9つあります。「室町時代の庭園」から「日本国憲法・基本的人権の尊重」に至るまでを、子どもも指導者も繋がりがあるものとして考える必要があります。その時代、その時代の出来事を別々の事柄としてとらえるのではなく、9つの内容を一本の線のように関連づけて扱うことによって、子どもが、同和問題を現代にも残る人権課題としてとらえることができると考えます。また、同和問題解決に向けた「同和問題にかかわる単元の指導」は、より広く人権について考える授業として、特に子どもたちが今直面している「いじめ」の課題を未然に防ぐための授業に繋げることもできるのではないでしょうか。

授業の中で、差別の問題を「いじめ」や「仲間はずし」など児童の身近な問題と関連づけて考えさせることが大切です。「差別されていた人」がいるということは「差別をしたり、差別を肯定したりしていた人」がいるということです。そして、「差別はおかしいと感じていた人」「差別を傍観していた人」がその時代にいたということです。このような差別を生み出す構造を意図的に提示することで、「いじめ」についての指導に生かせるのではないかと考えます。

差別の問題を他人事、昔のことに留めず、誰もが自分事として、自分自身の身近な生活から差別を見抜き、差別を許さず、差別をなくしていこうとする心情を育てていくことが大切だと考えます。そして、考えたことは一つでも行動化に繋ぐことができるよう実践力を培うことが重要です。そのためにも、低学年のころからの人権指導を校内で系統立て、計画的に実施していくことが、6年生の同和問題にかかわる単元の指導の素地となり、深い学びへと繋がると考えています。

小学校同和教育研究会では、今年度も、「同和問題にかかわる単元の指導」を充実・発展させるために公開授業(単元「世界に歩み出した日本」の中の『全国水平社創立』)を計画し、多くの先生方と共に考える機会を設けました。同和問題にかかわる単元の指導は、正しい知識を持たずに指導したり、伝え方を間違ったりすると、新たな差別を生み出すという危険性もあります。教職員の世代交代が進み、若い教職員が増えてきた今だからこそ、同和問題にかかわる単元の指導や部落差別についての知識を深める機会になったと思います。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる水平社宣言が京都市岡崎公会堂で読み上げられた192233日の全国水平社創立大会から97年が経過し、202233日には100年という節目を迎えます。全国水平社の創立宣言は、世界で初めて被差別マイノリティから発信された人権宣言であり、すべての人間への尊敬と自由・平等がうたわれています。今の社会は約100年前に水平社宣言の中で願われたような人と人が尊重し合える社会になっているでしょうか。「互いに尊重し合い、大切にすることで差別はなくしていける」という水平社の考え方を今の子どもたちにも授業や日々の学校生活の中で伝えていくことが同和問題解決をはじめ、あらゆる人権課題を解決するために大切なことだと考えます。

 

(2)京都市立中学校教育研究会人権教育部会

 「人権教育を学校教育の根幹に据えなおす」この言葉を7年前から中学校人権教育研究部会では大切にしてきました。そこで、改めて今、同和教育とは何だったのか人権教育とはどんなものを言うのか、そもそもなぜ人権を大切にしなければいけないのかということを再考する時期にきていると思います。

 同和教育とは「同和問題の解決を目指す教育の分野での取組」です。いま私たちは「法律に基づいて施策として行われていた同和教育を復活せよ」というようなことを言いたいのではありません。そうではなく「同和教育や同和教育施策」とは何だったのか、どんな良し悪しがあったのか、現在に引き継ぐ面があるとすればどんな面なのかを多角的・多面的に捉えなおす必要性を感じています。今も残念ながら学校現場では同和教育施策を「同和関係校を特別扱いしていた」「不公平だった」「逆差別だ」と評する声を聞きます。しかし、この場でそれらに対して「ああだこうだ」とジャッジするつもりはありません。そうではなく「みんなで一緒に考えよう」ということです。同和教育の在り様を振り返ることはこれからの人権教育を創造していく営みのうえで避けては通れないことだと思ってのことです。

 よく学校現場では「しんどい子」という表現がされます。何となくその言葉への共通理解もできていそうな言葉でもあります。ここで「しんどい子」の定義づけをします。「しんどい子」とは端的に言うと「著しく家庭の教育力が低い子」や「著しく生活習慣や学習習慣が身についていない子」「学校に来にくい子」、そして「教師や親の指導に素直に従えない子」だと考えられます。例えば家庭訪問に行くとき、その子を想って、その子のために行きます。施策があった頃もそうでした。その子のためという想いは「同和」という二文字に内包されていません。「教育」という二文字に内包されています。決して同和地区の生徒だけを「同和」の二文字の名の下に大切にしてきたわけではありません。決して少数者の生徒だけを大切にしてきたわけではないのです。「課題」や「困り」の多い生徒、つまり「しんどい子」に寄り添い手を差し伸べた結果、その手の先にいたのは同和地区出身者や在日外国人生徒や一人親家庭の生徒などの少数者が多かっただけのことなのです。教育者であればあろうとするほど、教育とは何たるかを肝に銘じれば銘じるほど「しんどい子」から目を逸らさずに関わろうとします。

  現在で言えば、不登校の生徒や心身に障害のある生徒を始めさまざまな困りのある生徒、性的マイノリティや外国籍および外国につながりを持つ生徒(オールドカマー・ニューカマー)など枚挙にいとまがないですが、これらの個人的な資質や境遇、家庭環境の厳しい生徒に積極的に関わろうとしております。このようなしんどい子を「自己責任」の一言で置き去りにしてしまったらそれは教育ではありません。家庭の教育力の高い子は家庭が支えになってくれるでしょう。でも「しんどい子」はそうはいかないのです。そこに目を向けてきた、目を逸らすなと言い続けてきた同和教育はやっぱり教育そのものだと思います。でも、「とにかく同和地区の子を大切にしていればいい」「同和、同和って言っていればいい」って勘違いをしていた人、してきた人が未だにいることも事実だと思うのです。こういう人達は「教育」の二文字ではなく「同和」の二文字で考え動いていたと考えられます。でも、学校は教育現場なのです。私たちはどのような教育を大切にしていかなければならないのか、さらに深く考えていきます。

 

「今、大切にしていること」

 昨年度の全国の在留外国人数は約263万人です。外国人労働者の受け入れを拡大したから今後も日本で生活する外国人は増えていくことでしょう。子どもの貧困の問題もあります。17歳以下の貧困率は13.9%(2015年)、7人に1人が貧困状態に陥っています。日本社会の在り様はそのまま教育現場に影響をもたらします。そんな中これからの教育現場はそういった子どもたちの対応に苦慮して手をこまねいている状態になるのでしょうか。困ったときは先人に学べばいいのです。大先輩の先生方は実践を重ねてきてくれました。例えば家庭訪問です。現在も熱心に家庭訪問をされている方も多いと思います。家庭訪問は効果抜群です。その子の保護者や本人との関係性を考えれば電話で5分話すよりも30分掛かったとしても家庭訪問した方がよい。働き方改革という言葉もよく聞きますが、家庭訪問は大切にしたい取組だと思います。

また、現在は「合理的配慮」という言葉があり、その不提供が差別であるという考え方があります。根底を流れるのはかつて同和教育の中で使っていた「実質的平等」という言葉と同じです。つまり、11人の課題に応じた支援を行っていくということです。「学力向上」という言葉はよく聞きますが、同和教育では「学力保障」と言い続けてきました。すべての生徒に社会で生きていく上で最低限必要な学力を保障するためにこれらの取組が行われてきたのです。かつて行われていた補習学級の考え方が現在の放課後学習や土曜学習へと形を変え、つながっています。多様化の進む現代だからこそ、格差をなくすための学力保障が必要なのです。これらはすべて同和教育や同和教育施策を行う上で実践されてきたことです。先人が実践してくれたことは現在にも引き継がれています。なぜ引き継がれているのか。必要だからでしょう。効果もあるからでしょう。ここでこの話をするのは「だから同和教育なんや。だから同和教育施策なんや。同和関係校の取組は先進的ですごかったんや!」ということが言いたいからではありません。呼び方や形は変わりましたが残っているということ、引き継がれているということに意味があると思うのです。

 

「人権について学ぶ場面」

 家庭訪問をすることも合理的配慮も補習もどれも全て大切なことです。しかし学校教育においてこれらは根幹とまでは言えない。やはり根幹は授業だと考えています。ここでは授業を次の2つの視点で捉えたいと思います。

@ 個の人権に配慮した授業の在り方

A 人権学習

@は様々な場面で言われていることです。ICT機器を用いた文字や言葉の視覚化や資料の拡大化、学習の見通しをもたせるための展開の掲示、思考の流れに沿いそれを表した板書など。また、より具体的な場面では性的少数者の生徒に配慮した「恋人」という表現の仕方。例えば男子生徒に対して「将来、彼女ができたときに・・・」などという発問や質問、何気ない問いかけをすればその場にいる性的少数者の生徒は「自分はいてはいけない、いないと想定されている存在なのだ・・・」と認識してしまいます。女子生徒の場合も然りです。外国人教育の場面で「国籍や民族が異なっていても、みんな同じ。関係ない。みんなで仲良くしよう。地球人じゃないか。」というような意見が教師、生徒双方から出されることもあります。これでは外国籍の生徒や外国にルーツのある生徒は「同じじゃないし。というか異なっていたらダメなのか。そこは関係ないと言われたら自分のルーツを否定とまではいかないがないがしろにされた気にもなる。確かに地球人かもしれないし同じアジア人かもしれない。(*アジアルーツの場合)でも、日本ではないということは同じところもあるが違うところもある。それではダメなのか・・・」と葛藤することになるでしょう。こういった細かな事柄への配慮を散りばめながら日々の授業づくりを意識したいです。

 次にAの人権学習についてです。人権学習の教材開発や研究を進めていきたいと考えています。人権学習の感想で「(当事者に)がんばってほしいと思った。」「差別をしている人がいれば注意しようと思う。」「身近な社会にはこんなに差別に苦しんでいる人がいることを知った。」というようなものが出てきたことがあるはずです。このような人権学習では生徒の人権意識を高めたり、人権感覚を鋭くしたりすることには繋がりません。

このような人権学習は例えば「コロシアム的授業」と言えます。日本社会という名のコロシアムで苦痛や悲しみを相手に闘っている当事者を観客席から見つめ応援するようなイメージです。外国人や障害者など当事者を教材にし、その当事者が置かれている社会的立場や差別事象について学習する、自分(観客席)と剣奴(当事者)との距離感があり絶対的な立場性の区別があるからです。この距離感を縮めることと立場性を重ねることが肝要なのです。例えば次のような感想文が生徒から出てくることを狙いとして授業づくりをしていきましょう。

「自分も生きづらさを抱えている。その意味で自分も社会に障害があるのだから障害者と呼ばれる人と重なる面に気づいた。」「私の祖父は韓国から来たと聞いた。私は日本人でもあり“韓国に縁のある日本人”でもあると表現できることを知った。」「障害者への差別があることを知った。では障害者は誰を何で差別しているのかが気になる。その差別を知ることは互いに“差別をする者同士”という同じ立場で意見交換をできると思う。」「自分は本当に異性愛者なのか。もしかしたら0100でいえば5ぐらいは同性愛者なのではないだろうか。隣に座っている生徒は20なのかもしれない。そんなことを思うと異性愛や同性愛は0100で表現できるものではないと考えた。」今後開発していきたい人権学習の理念としては「当事者と自分の距離を縮められるもの」「自己の内面に当事者を照らし合わせられるもの」以上の2つ、言い換えるならば「自己の当事者性に気づく、自己の当事者性を見つめる、自己の当事者性を表現する」です。この理念を基に人権学習を開発していきたいです。この理念を共有し、みなさんで開発できればと考えています。そんな人権学習をみんなで作っていきましょう。

 「京都市の人権教育の結晶」

 先人たちの実践という視点で私の話をさせていただきます。私の父は1948年生まれなので今年72歳になります。父には兄が三人います。9歳上の兄、7歳上の兄、3歳上の兄の三人です。父の兄はそれぞれ戦後すぐや10年も経たない間に小学生になりました。小学3年生にもなれば当時は労働力として扱われました。在日朝鮮人2世である私の伯父さん達は小学校で学習するどころではなく、当時営んでいた豚小屋の切り盛りに駆り出されていました。毎晩、祇園の方まで三輪にドラム缶を乗せ押していき飲食店が棄てる残飯をもらって周っていたそうです。それが毎晩のことですから次の日学校に普通に登校できません。それでも遅刻して登校していたそうです。特に三男の頃には給食も始まっていました。そんな境遇で育った私の父は低学年の頃から給食も始まっていたこともあり真面目に登校していたそうです。京都市立伏見住吉小学校です。

3年生の春、なかじま先生という方が父の担任となりました。3年生ですから労働力としてみなされる頃です。父は、なかじま学級で学級委員に任命されました。ものすごくうれしかったそうです。「じぶんのかしこさをみとめてくれた」と感じたと言います。それだけではありません。なかじま先生は桃山にある自宅へ父を呼びお菓子(当時、お菓子なんて高級だった時代です)を食べさせてくれたそうです。父は思いました。「べんきょうをがんばりたい」。その思いを家族に伝えてなんとか自分は残飯集めを免れることができました。4年生もなかじま先生が担任でした。そして4年生でも学級委員に任命されました。よりうれしかったといいます。

5年生では、ゆり先生という男性が担任になりました。ここでも学級委員に任命されます。父の思いは確信に変わります。「ぼくはべんきょうが好きや。ぼくはべんきょうをがんばる。」6年生でもゆり先生が担任をしてくれ学級委員に任命されます。この頃には兄弟の中で父だけは労働力としてみなされなくなったといいます。ゆり先生も墨染にある自宅に父を呼びご飯をごちそうしてくれました。伏見中学校に入学すると数学科のなかの先生という方が顔を合わせれば褒めてくれたと言います。美術科のすわ先生という方はいじめられている父をよく助けてくれたそうです。中学3年時、東京に修学旅行に行った際、なかの先生は父にはっきりと「祖国と日本の間をよくする人になってほしい」と伝えてくれました。当時、父は通名で通っていましたし父は誰にもカミングアウトしていませんでした。父は実家では異例の高校進学まで果たします。もうこの頃には父に対して誰も「働け」と一言も言わなかったそうです。

桃山高校に進学し2年生になると一人の先生に父は在日朝鮮人であることをカミングアウトするまでになりました。週に何度も22時過ぎまで話に付き合ってくれたそうです。苦手な科目の試験で30点そこそこしかとれない父に先生は「このテストを30点以上とっているのはすごい。筋がある。」と褒めてくれました。まさかそんなことを言われると思っていなかった父はより親近感を感じたといいます。とにかくこの先生も接し方が抜群だったといいます。「本気で話を聞いてくれた。その一点。」だったといいます。

自宅に招くとお菓子やご飯をごちそうするとか、それは教育の二文字に内包されているものではないかもしれません。しかし、その他はどうでしょう。もしも今、外国籍の生徒で労働力として扱われそうな生徒がいたら父の先生たちと同じようなアプローチをするはずです。学級に居場所をつくり自己存在感や自己有用感を与え共感的人間関係をつくる。これは現在、生徒指導研究会が生徒指導の三原則として重要だとされていることです。先人たちも同じだったのだと思います。「何とか目の前にいる少数者のこの児童を3年生からも登校させたい。」、「この子の家は3年生になったら労働力として扱う。」、「3年生の春が勝負や。どうしたらええんやろ。」、「学級委員に任命しよ。学級での居場所づくりや。」というようなことを学年会で話されていたと思います。5年生になり身体が大きくなる少年を学校に引き留めるには学級委員という称号が必要だと考えてのことでしょう。方法論は置いておいて自宅に招いてまず自らをさらけ出すことで共感的人間関係を育もうと考えてのことではないでしょうか。伏見中学校の二人の先生も父の支えになってくれています。兄のようにぐれないように何とかするための策だったのだと思います。なかの先生はこれも方法論は置いておいて父に社会的立場やその立場性を考える言葉を送ってくれています。どうでしょうか。京都市の先人たちがいなければ父も兄と同じ道を歩んだと思います。3人の兄にとって学校には自己実現につながる舞台装置はありませんでした。社会でその場しのぎの腕力や体力を得たと言えます。父は学校こそが自己実現を叶える舞台でした。そうなったのも担任や学年の先生方あってのことです。これこそが京都市がずっと大切にしてきた教育、人権教育の実践例だと思うのです。

 

 父はその後、京都大学への受験で失敗します。「京都大学なら学費を払ってやる」と兄たちが言った言葉を父は鵜呑みにしました。失敗してから以降の話は私に中々してくれません。私の母から聞いたことですが現在の仕事に就くまでに60近い転職を重ねているそうです。もちろんその中には1日で辞めたものもあるそうですが、相当な多さです。父は大人になり高校時代の先生に会う機会に恵まれました。卒業してから30年の月日が流れていました。その先生は開口一番こういったそうです。「苦労した30年やったやろな」、「辛かったやろな」、「あんなに勉強していた君が職を転々としていると聞いたわしは何とも言えん気持ちになったんやで」と。

 先人たちがつないでくれた実践はここで終わりになりません。私は1980年に生まれ父と同じ伏見住吉小学校から伏見中学校、そして伏見工業高校に進学しました。私はこれまで一度たりとも父や母の口から小中高時代の先生の悪口を聞いたことがありません。教職に就いたある日その理由を父に聞いてみると父はこう言いました。

「僕の人生の扉の前まで連れていってくれたのは学校の先生たちやった。可能性を見出してくれたのも可能性を拡げてくれたのも先生たち。勉強が好きになり読書が好きになったのも先生たちのお陰。その恩返しの一つ。子どもの前で先生の悪口を言うなんてできひん。せめてもの恩返しや。」

 父は私が京都市の教員として採用された春、高校時代の先生に報告にいきました。自分は夢を叶えられなかったけれど息子が叶えたことを。なかじま先生が小学3年生である父を学級委員に任命してから47年後の出来事でした。

 現在、先生達はもしかしたら悩んでおられるかもしれません。「この子にここまですることに意味はあるのか」、「家庭訪問せなかんのかな。何かに繋がるんかな。」など。即効性はないかもしれません。でも私の父の例のように何十年も経って先生方の実践が花開くこともあると思うのです。もしもあの時、先生方が父に関わってくれなかったら現在こうして私が皆様の前で話をするなんてことはまず無かったと言っていいと思います。母とも出会えてないでしょうから私の存在すべてが「京都市の教育の結晶」のようなものだと感じます。

どのクラスにも私の父のような生徒はいるはずです。思い浮かべてみてください。その生徒を「教育の結晶」にしてほしいのです。

 

(3)京都市立高等学校人権教育研究会

 

さて、20194月に改正入管法が施行されました。産業界の要請を受けて外国人労働者導入の拡大を意図したものです。しかし、受け入れ態勢が不十分なため、新たに問題が起こる可能性があります。「働き方改革」が標榜され「同一労働同一賃金」という言葉がしばしば使われますが、外国人労働者の労働条件を含む劣悪な人権状況の改善がなされないと、新たな階層化を生み出し、そのことが排外主義に結びつくことが危惧されます。

また、韓国の大法院が植民地時代の徴用工に対する個人賠償責任を認めたことをきっかけに、日韓両政府が激しく対立しています。この政治対立が、輸出規制などの経済摩擦や文化交流の抑制につながり、日韓の感情的なもつれが生じています。

さらに、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」における企画展「表現の不自由展・その後」が中止されました。これは歴史認識の違いからくる意見の相違、誤解による抗議、特に暴力的な脅迫によるものです。表現することによって異なる意見の間に相互理解が進むことが期待されましたが、そうした場が失われたことで大きな課題を残しました。

このように、日韓関係における負の感情をあおる言説が、「嫌韓」「嫌中」「反日」という言葉とともにネット空間だけでなくマスコミの論調にも見られ、それが現実の世界に剥き出しのヘイトスピーチを噴出させました。他者の存在の否定は教育とは相容れません。差別や人権侵害の土壌を再生産させない取組が求められています。過去の歴史を直視することは、未来を志向するうえでも必要です。

また、4月の東京大学入学式での祝辞において、入試における性差別や東大生による性暴力にふれつつ「がんばってもそれが公正に報われない社会」でどう学ぶかが語られました。女性の社会進出が語られる一方、責任ある立場につく女性の割合は不十分です。政治の世界では「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が制定され、7月の参議院選挙では女性候補者の数は過去最高になりましたが、OECD加盟国内では女性議員の数は最低水準であり続けています。一方、重度の障がいのある2名の参議院議員が新たに登院することとなり、国会のバリアフリーが課題として可視化されました。

 さらに、「格差社会」や子どもの貧困が問題になる中、進学志望者が学費を払えず進学を断念する事態が少なからず起こっています。進学しても生活費を稼ぐためのアルバイトに明け暮れざるを得ない状況、「ブラックバイト」横行の問題は、生徒たちの未来を考えるうえで無視することはできません。それゆえ奨学金制度の改善が求められています。

 このように社会が変動する一方、高校生を取り巻く情報環境も大きく変貌しています。社会問題をどのように認識するかも一筋縄ではいかない課題です。特に高校生年代は大人の考えた枠組みを踏襲することに違和感をもつ時期です。その一方、自らを社会の中にどう位置づけるかを模索する時期でもあります。そのような中で社会問題を考えるには、その前段でどれだけ豊かな人間関係を育てることができるかが重要となります。

そこで高等学校では、小・中学校での実践をふまえたうえで、身近なところから人権を考える多様な取組を、各校の状況に合わせて継続的に行っています。例えば、ネットいじめをめぐる問題やLGBTなど社会的少数者を取り巻く状況の学習は、社会的要請もあり各校で継続的に行われています。また、車いすバスケットに取り組む選手達の生き方に触れる取組では、生徒たちは「中途半端な気持ちで勉強やスポーツをやっていた自分が恥ずかしくなった」「強い気持ちが伝わってきた」と勇気づけられ、障がいへの理解を深めるだけでなく、自分の生き方を見直す機会にもなっています。また、盲導犬と視覚障がい者を取り巻く現状を学ぶ取組は、今まで見えにくかった問題を可視化させるものでした。

さらに、団体鑑賞を通じて人権学習に取り組む学校もあります。生徒たちが演劇を鑑賞し、様々な問題を考えるきっかけにしています。それを文化祭での演劇表現につなげる中で自己肯定感を育てています。また、授業の中で自らの意見を安心して語ることで他者と共感し、異なる意見を受容する事例も報告されました。さらに、学年を超えた人権学習の中で生徒から「意見交流会を行いたい」という要望を掬い上げて取り組んだ事例もあり、生徒の自発的な学びの支援が大切だとの共通理解がつくられてきました。

 夏期学習会においては、「多様性」を重視していくべきであるという提言が出されました。社会的少数派は同調圧力にさらされやすく、自己肯定が困難になりがちです。特に、ナショナリズムの強調や、性的少数者に対する無自覚な発言が当事者を追い込むこともあり得ます。また、夏期学習会では『被害者にも加害者にもさせない!性教育講座』を開催し、教職員の学習を深めました。さまざまな社会的困難を当事者の自己責任とするのではなく、学びあう中で困難に負けずに共に生きていく力を育てることが求められています。

 以上の点を踏まえて、私たちは、次のような視点から教育活動を行います。

@基本的人権の保障が重要な課題であることを理解する。これまでの研究会での成果に学びつつ、多様性を重視した活動のなかで、学校の教育活動のあり方を見直していく。

A日常の教育活動の中にある課題を主題化して人権をめぐる問題を学ぶ。その中で自己肯定感を育て、他者と共に学び合う中で他者性の獲得を目指す。

B生徒の自発的な学習活動を支援し、互いに学びあう場をつくる。特にホームルーム活動・部活動・生徒会活動などの自主活動を積極的に援助して、民主的な組織運営の手法を体験することで生きた人権意識を身につけることを目指す。

C多様化する課題のなかで人権にかかわる組織・予算が縮小する傾向が見られるが、校内の各部署との連携を深めることで学校教育全体での取組に進化させていく。

D課題を明確にするため研究会での学習と情報交流を充実させる。また校外の諸機関との連携を模索する。     

このように、私たちは、小・中の実践を継承・発展させ、教育の結晶として結実させることを目標に教育実践を継続し、展開していきたいと考えております。

上記に示したように、私たちは、様々な職種において、あらゆる差別を許さないために、過去を振り返り、現実をみつめ、未来を見据えた教育活動を続けています。同和教育から培われたその精神を忘れずにいきたいと思います。

 戻る