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第41回人権交流京都市研究集会

  第41回人権交流京都市研究集会基調

 T はじめに

 

 世界人権宣言60周年を迎えた2008年は、皮肉にも人権確立に向けて、多くの課題を突きつけられた年でありました。その中でも、9月15日にアメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが突如倒産したことを契機として始まった世界同時不況のため、世界中で多くの失業者が生まれ、貧困と格差がますます拡大しています。しかし、「自己責任」と「競争原理」の名の下で、貧しい多くの人たちが切り捨てられ、生きることすら危うい状況におかれているという現実は、人権確立のための大きな壁となっています。

 日本も例外ではありません。11月ぐらいから大量の派遣労働者が解雇され、12月には「年越し派遣村」まで設置される事態となりました。しかも、この段階で日本の労働者の3分の1が非正規労働者であることが明らかになりました。日本の労働者の実に3人に1人が、いつ解雇されても文句を言えない無権利な労働者となっていたのです。

 その背景には、橋本政権時代から始まった構造改革による規制緩和があります。1986年に『労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律』が施行され、13業種への労働者派遣が認められました。その後、16業種、26業種へと業種が拡大され、1999年には、制限を原則とする方向から自由化を原則とする方向転換により、更なる派遣業種の拡大がなされるという法律の改悪がなされました。更に、2004年には、物の製造業務への派遣が解禁され、紹介予定派遣への法制化がなされるという改悪まで行われるのです。その結果、今回のような「恐慌」とも呼ばれる経済不況のさなか、低賃金で不安定な労働条件の派遣労働者が、大量に解雇されるという暴挙が可能となったのです。

 また、小泉内閣の構造改革路線は、税制においては、老人に対する少額貯蓄非課税制度の廃止、配偶者特別控除の一部廃止、発泡酒等の税・たばこ税の税率引き上げ、消費税の中小企業者に対する特例措置の見直し、65歳以上の公的年金控除の上乗せ措置の廃止、老年者控除の廃止、定率減税の廃止等を、医療・年金制度においては、健保本人負担増などの医療制度関連法の制定、保険料率の引き上げや給付水準の仕組みを変更した年金制度の改悪、70歳以上の自己負担の引き上げ等の医療保険制度の改悪、後期高齢者医療制度の創設等を、介護や社会保障においては、雇用保険料率の引き上げ・給付率と給与上限の引き下げのための雇用保険法の改悪、65歳以上の介護保険料の引き上げ、生活保護費の老齢加算・母子加算の廃止、施設入所者の食費と居住費を全額自己負担とする介護保険法の改悪、障害者自立支援法の制定等を行い、税や社会保険料等の負担増大、社会保障制度の縮小・削減などを行ってきました。それらの政策は、失業者や不安定就労者、高齢者、障害者、病者、介護保険受給者、生活保護受給者等の、社会的・経済的基盤の弱い人たちを直撃し、今日の不況下においては、過酷な重石となり日々の生活さえ脅かしています。その上、貧困と格差の急速な拡大をもたらし、「貧困の連鎖」すら招いています。しかも、最後のセーフテイネットである生活保護も、申請すら受け付けないという不当な方法で拒まれるなどするため、餓死事件や経済的理由による自殺が相次ぐようにすらなっています。

 「自己責任」と「競争原理」の名の下、構造改革路線では社会的支援を必要とする人々を切り捨ててきました。「負け組」に属すのは、競争に敗れたからであり、それは自己責任だというのです。しかし、各個人やその所属する集団の経済的・社会的・文化的条件の不平等をのこしたまま、競争機会だけ平等化しても、結果の平等は得られるはずがありません。誰しも平等に競争に参加できる条件を社会が保障しなければ、競争に参加する以前から結果は明らかです。当然貧困も、遺産のように引き継がれていきます。

 しかも、このような社会状況の中で、部落差別をはじめとするあらゆる差別が、有効に機能していきます。「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という意識が強くなり、抑圧され鬱積した不満の捌け口を、差別される人たちへの攻撃によって解消しようとする人たちが増えてくるからです。すでに、インターネット上のいじめや誹謗中傷・差別書き込みの横行、部落差別をはじめとする差別事象の続発は、それが顕在化している証です。そのような社会情勢の中では、出自等による就職や結婚等の差別も増えていきます。

 さすがに2009年は、この国に暮らす人たちの怒りが頂点に達し、衆議院選挙において政権与党が惨敗し、新政権が生まれました。しかし、政権が変わったからといって、そのまま黙っていても、人権の保障はありません。人権の確立には、一人ひとりが自らの権利を行使するために、闘っていくしか方法がありません。

 部落解放運動は、個人の出自によって一生が決まるという社会に対して、「差別と貧困の連鎖」を断ち切るために、社会の中で平等に競争に参加できるための権利の保障を求めて闘ってきました。その結果、同和行政や同和教育は、「差別と貧困の連鎖」を断ち切るための行政、教育として成果を上げてきました。しかし、失業や不安定就労による低賃金労働者の増大、社会的・経済的基盤の弱い人たちへの負担の増大と社会保障の縮小・削減がなされていくのと軌を一にして、同和行政や同和教育の完全撤退が進められています。この本質を見抜き、真の人権確立のために、同和行政や同和教育の普遍化を、あらゆる人たちと連帯しながら模索していく必要があります。

 

U 京都市の同和行政をめぐる動き

 

1 同和行政に求めたもの

 

 1951年のオールロマンス差別事件以降の部落解放運動や世論の高まりの中で、国や京都市は、部落の劣悪な住環境を放置しておくことはさすがにできなくなり、最低限の住環境の改善には着手せざるを得ませんでした。しかし、部落解放運動や、1965年に出された『同和対策審議会答申』は、部落の環境改善だけを求めたのではありません。

 『同和対策審議会答申』では、「近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民に対しては完全に保障されていないことが差別なのである。これらの市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である。なぜなら、歴史をかえりみても、同和地区住民がその時代における主要産業の生産過程から疎外され、賤業とされる雑業に従事していたことが社会的地位の上昇と解放への道を拒む要因となったものであり、このことは現代社会においても変わらないからである。したがって、同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、同和地区に滞留する停滞的過剰人口を近代的な主要産業の生産過程に導入することにより生活の安定と地位の向上をはかることが、同和問題解決の中心的課題である」と部落差別の本質を規定しています。そして、「同和対策は、日本国憲法に基づいて行われるものであって、より積極的な意義をもつものである。その点では同和行政は、基本的には国の責任において当然行うべき行政であって、過度的な特殊行政でもなければ、行政外の行政でもない。部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない」として、「したがって同和対策は、生活環境の改善、社会福祉の充実、産業職業の安定、教育文化の向上及び基本的人権の擁護を内容とする総合対策でなければならないのである」とした同和対策の具体案を提言しています。

 部落解放運動も、部落民の自立を促進する同和対策を強く求めてきました。自立とは広辞苑に「他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること、ひとりだち」と書かれていますが、要するに、自分の力で食べていくことができるということです。

 人間が食べていくためには、人間の労働、労働対象−自然、労働手段−労働のためにつかう道具や機械という三つの要素が必要だといわれています。労働対象と労働手段を一括して、人間の労働にとって外在的であるという理由で生産手段と呼ばれていますが、近代社会では、生産手段の所有者がその非所有者を雇うという形で生産手段と労働が結合されます。そのため、雇用者が必要とする労働能力を持つ人ほど高賃金で雇用され、そうでない人ほど低賃金の仕事にしか就けません。近代社会において、生産手段を持たない者は労働力を売るしかなく、自立の条件とは、自分のもつ精神、肉体能力、それらを一体とした活動能力、労働能力を、自分の所有するものとして認められ、自分の自由な意思によって、それをどのように使うかを決める権利をもつということであります。

 1872年に出された『学制領布』には、「人々がその身を立て、資産をおさめ、その事業をさかんにして、その人生を完成するものは他でもなく、身を修め、知識を広め、才能や技芸をみがくことによるものである。そして、其の身を修め知識を開き、才能をのばすのは、学ばなければできない。これが学校が設けられるわけで」「人民は華士族農工商および婦女子を問わず、必ず村に無学の家がなく、家にも無学の人がないように」(『日本史史料集成』より通訳引用 福尾猛一郎監修 第一学習社発刊)と書かれており、そのことが明確に示されています。

 さらに福沢諭吉は、1872〜1876年に渡り『学問のすヽめ』を発刊し、そこに「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』といえり」としながらも、「されど今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、そのありさま雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第ははなはだ明かなり」「されば賢者と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」「すべて心を用い心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大いなる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし」「人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勧めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」(土橋俊一校訂・校注 講談社文庫)と、近代社会における労働力所有の自立化にとって、学問こそが必要であり、その差による職業に貴賤観が生じることを示唆しています。

 しかしそこには、学ぶ条件のない者への視点はなく、学ぶ、学ばないは「自己責任」であるという視点で貫かれていました。

 明治体制を、司馬遼太郎は「維新政府は武士と大名の兵力によって遂げられただけに、それらの名誉や権益を多く保存した。華族をつくらねばならず、旧武士階級に対しては士族という俗称をのこすことによってかれらの名誉心と家格意識を慰撫しなければならなかった。一君万民ということが維新の鮮烈な革命思想であったにもかかわらず、地方在郷の地主たちの権益ものこさざるをえなかった」とし、「それが、終戦までつづいた。戦前、日本の読書階級というのは、徳川時代もそうであったように多くは旧士族や地主によってつくられていた。どの家も十代以上もつづいている家々で、代々の知的訓練によって家風が十分に深耕され、そこからいわゆる知識階級のにない手が多く出た。戦前の大臣、高級官僚、学者、芸術家、教育機関の主宰者などの出身家庭の多くが、旧士族か地主であったことをおもえば、ほぼ想像できるであろう」(『歴史と小説』 集英社文庫)と分析しているように、学べる条件のあった旧士族や地主が新たな支配階級を形成したことを指摘しています。それは、学べる条件のなかった者は被支配者階級を形成し、中でも労働力所有の自立化が成し得なかった者は、職業差別とも結びついて、新たな差別の対象となったことを意味しています。

 部落に対して、明治政府は1871年に「穢多非人等ノ称被廃候条、自今身分職業共平民同様タルベキ事」という、いわゆる解放令を出しました。しかし、それを保障する政策は何一つとらないどころか、「職業共平民同様タルベキ事」という一文をもって、これまで部落民に許されていた皮革等の専業に誰でも参入できるようになり、皮革や食肉などを扱う近代化に必要な職業は、やがて政府が育成する資本に奪われたため、部落は経済基盤を失い、そこへ、免除されていた租税の負担が平民同様に課され、兵役・教育の義務も負わせられたため、困窮化の道を歩むことになりました。さらに、皇族・華族・士族・平民という新たな身分秩序を設け、その中で、部落民は「新平民」と呼ばれ、平民と区別され差別されたのです。その上、1871年に布告された戸籍法によって作成された『壬申戸籍』には、多くの部落民の戸籍簿に、賤称名や「新平民」「元穢多」といった差別記載がなされており、この『壬申戸籍』は、1968年に部落解放同盟の闘いによって全面閲覧禁止になるまで、就職や結婚等で部落民を排除するための身元調査につかわれていました。

 経済基盤を奪われ、重い負担を強いられ、なおかつ社会の厚い差別のために、思うような仕事に就けなかった部落民が、自立のための条件を身につけるのは極めて困難でした。『経済学辞典』(大阪市立大学経済研究所編 岩波書店発刊)によれば、失業・半失業者を相対的過剰人口と呼び、それは三つの形態で存在するとされています。一つは派遣労働者のように「労働者が時にはじき出され、時にはいっそう再びひきよせられる」という流動的形態、もう一つは「農業人口の一部はたえず都市プロレタリアートまたは非農業的人口に移行しょうとしている」という潜在的形態、最後は「就業はしていても、その就業が全く不規則な層」という停滞的形態です。まさしく部落民の多くは、家内労働や日雇労働に就き、労働者の平均水準以下で生活する停滞的過剰人口として存在し、差別と貧困の連鎖に苦しんできたことが、『同和対策審議会答申』にも指摘されているのです。 だからこそ、「同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障」することこそが、部落民の自立にとって緊急の課題でありました。

 しかし国は、その課題にはほとんど手をつけませんでした。それどころか、『同和対策事業特別措置法』という法律の名称を、1982年には『地域改善対策特別措置法』という環境改善事業に特化した名称に変更をし、環境改善事業が完了すれば同和対策事業は終わりであるという立場を鮮明にしました。そしてこの年に、大学の同和奨学金が「給付」から「貸与」へ改悪され、1987年に財政措置だけに限定した『地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律』(以下『地対財特法』)が制定されると、高校の同和奨学金も「給付」から「貸与」へと改悪しました。

 これは、部落問題の解決にとって、一番大事な問題の解決を残したまま、国が同和行政から撤退することの意思表示でありました。

 

2 同和行政の撤退へ

 

 1996年に地域改善対策協議会は、「特別対策は、事業の実施の緊急性に応じて講じられるものであり、状況が整えばできる限り早期に一般対策へ移行することになる。一方、教育、就労、産業等の面でなお存在している較差の背景には様々な要因があり、短期間で集中的に較差を解消することは困難とみられ、ある程度の時間をかけて粘り強く較差解消に努めるべきである」「同対審答申は、『部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない』と指摘しており、特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものでないことは言うまでもない。一般対策移行後は、従来にも増して、行政が基本的人権の尊重という目標をしっかりと見据え、一部に立ち遅れのあることも視野に入れながら、地域の状況や事業の必要な把握に努め、真摯に施策を実施していく主体的な姿勢が求められる」という意見具申を出し、「同和行政の特別対策から一般対策への移行」を提言しました。

 京都市はその方針を受け、『〜21世紀・人権文化構築のために〜 特別施策としての同和対策事業の終結とその後の取組』を出し、「平成14年度(2002年度)以降は、施策対象を同和地区又は同和地区住民に限定することなく、住民一人一人の置かれている状況を踏まえた課題に焦点を当てることにより、個々のニーズに応じて施策を実施し、同和問題を解決するうえで残された課題の解決を図っていくことになります」とした上で、「更に、同和問題を解決するうえで残された課題の解決に当たっては、地対協意見具申の『なお残された課題については、その解決のため、』『工夫を一般対策に加えつつ対応するという基本姿勢に立つべきである。』、『特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものでないことは言うまでもない』や、同懇意見具申の『特別措置としての同和対策事業の終結が、今後における同和問題解決のために必要な行政の取組を否定するものではない。』、『同和問題の一日も早い解決のために実効ある積極的な取組が行われることを強く要請する』という認識を市政に携わる者一人一人が持つことが不可欠です」という立場から、「同和行政の特別対策から一般対策への移行」を行っていくことを明らかにしました。

 そして、2002年3月末をもって、『地対財特法』は完全に失効しました。しかし、「同和行政の特別対策から一般対策への移行」をどのように行っていくのか、具体的に示されないまま年月が経過しました。

 法が失効した4年後の2006年に、大阪の部落解放同盟の支部幹部が逮捕された事に端を発して、多くの部落解放同盟員が摘発、逮捕される事件が各地で相次ぎ、京都市においても職員による不祥事が多数発覚しました。マスコミによる攻撃は、部落解放同盟に集中し、それは不祥事だけでなく、同和行政に問題があるという方向に世論が誘導され、同和行政そのものが諸悪の根源であるかのような風潮が蔓延しました。

 翌2007年暮れに行われた京都市長選においては、世論の動向を受けて、全ての立候補者は同和行政の打ち切りを公約に掲げました。そして、門川市長が当選した早々の2008年3月には『京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会』(以下「総点検委員会」という)が設置され、2009年の3月には『京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会報告書』(以下「報告書」という)が京都市に提出されたのです。提出された報告書は、予想通り、同和行政打ち切りだけをめざしただけのものとなっていました。

 総点検委員会の委員には、当事者である部落、同和行政の在り方について異議を唱えている市民団体だけでなく、部落問題を専門に研究している研究者すら選ばれませんでした。ほとんどの委員が部落問題をよく知らないと発言するなど、部落問題に対して知識も経験も乏しい委員たちが、1919年から始まった京都市同和行政の終結後の在り方を検討するという、前代未聞の暴挙がなされたのです。

 しかも、総点検委員会では、傍聴は許されるが、傍聴者の発言は許されず、一定の枠内なら意見は表明させるが、総点検委員会の委員以外の人たちとの意見交換は行われませんでした。

 しかも、総点検委員会は同和行政終結後の行政の在り方を検討すると言いながら、部落の実態を総合的に判断する調査すら行いませんでした。個々の検討事項においては、総点検委員会には京都市の恣意的なデータが出されたのみであり、それらは、部落の現状がどうなっているのかを、総合的に示すものではありませんでした。もし、どうしても実態調査を行えないなら、直近の実態調査である『平成12年度 京都市同和地区住民生活実態把握事業』(2000年度)を基礎資料とすべきであり、その要請があったにもかかわらず、総点検委員会は無視し続けたのです。京都市が行った実態調査を総点検委員会が黙殺したのは、この調査結果を見れば何らかの対策を必要とするのが一目瞭然であったからだと推察できます。しかも、この調査結果の公表は、2006年の一連の不祥事による、部落や部落解放同盟、同和行政へのバッシングがなされ、同和行政全てが悪であるかのような風潮が蔓延していた2007年であったのは、同和行政からの撤退を進める京都市にとって絶妙のタイミングであったといえるでしょう。

 このような総点検委員会が出した報告書の基本姿勢は、同和行政が悪く、その責任は部落民や運動団体にあるというものです。そして、当事者との議論すらないままに、「不利益不遡及」の原則まで無視して、年度を遡ってまでの自立促進援助金制度の廃止を骨子とした中間報告を2008年8月に出し、同和行政からの撤退を促す報告書を2009年3月に出したのです。

 部落問題解決のための行政課題があることは、国や京都市は認めてきており、何よりも実態調査の結果がそのことを如実に示しています。しかし、京都市はそれらの実態を一切無視し、2009年に入ってから同和奨学金の返還請求、コミュニティセンターからの職員の引き上げなど、性急な同和行政からの撤退をはじめています。

 このことは、「差別と貧困の連鎖」を断ち切ることを目的に始まった同和行政の途中放棄であり、今までの成果を無にしてしまう危険性を孕んでいます。経済不況の中で、多くの人たちの生きる権利すら危機にさらされている今こそ、問題点を正しく把握し、同和行政を普遍化した真の「人権行政」の確立が必要ではないでしょうか。

 

V 同和教育の現状と課題

 

1.はじめに

 

 2002年3月末をもって、事業対象を縮小して延長されてきた『地対財特法』が期限切れを迎えました。これに伴って、同和教育の分野でも同和地区児童生徒を対象とした「同和教育施策」は廃止となり、一般施策の下で学校が主体的に同和問題の解決を目指した教育活動を行うこととなりました。

 隣保館はコミュニティセンターと改称され、学習センターもコミュニティセンター付属の学習施設(以下「学習施設」)として新たな進路・学力保障の拠点としてスタートを切ることになったのです。「補習学級」や「進学促進ホール」をはじめとする、いわゆる「センター学習」についても共同利用の流れの中で周辺の児童生徒も活用できる取組へと変わり、学習施設を地域の学習拠点として活用していくことが目指されていきました。

以来、8年間の月日が流れようとしています。法期限後に小学校へ入学した子どもたちは中学校の2年生になりました。今後は学習施設(かつての「学習センター」)を知らない子どもたちが小学校の高学年になり、やがて中学校へ入学してきます。

言うまでもなく「地対財特法」が失効したのは同和問題が解決し、法としての役割を終えたからではありません。これまでの同和施策等による取組で一定の状況の改善が達成され、同和問題の解決に向けては教育や啓発などに課題を残しながら、一般施策の中で、学校教育の総力を挙げて同和問題の解決を目指す取組を進める時代になったと捉えなければなりません。「同和教育の普遍化」が叫ばれたのは、まさにこのことを示しているのです。では、学校はこれまでの同和教育の何を継承し、普遍化し、新たな人権教育へと繋げていかなければならないのでしょうか。

2008年度からは学校が学習施設を組織的かつ計画的、継続的に使用しないという方針が示され、学力向上をはじめとする取組は学校教育本体の中で行うことになりました。さらに、2009年3月に総点検委員会が出した報告書に記された提言を受け、1971年の錦林学習センターの建設に始まり、市内で15か所を数えた学習施設(学習センター・学習室)は歴史的にその役目を終えることとなりました。

今年3月に、総点検委員会から出された提言は、次の6項目についてです。

 

1 自立促進援助金制度の見直し

2 コミュニティセンターの在り方について

3 改良住宅の管理・運営及び建て替えの在り方について

4 崇仁地区における環境改善について

5 市立浴場等の地区施設の在り方について

 5-1 市立浴場の在り方について

 5-2 学習施設の在り方について

 5-3 保健所分室の在り方について

6 市民意識の向上に向けた人権教育・啓発の在り方について

 

この6項目の中で、とりわけ学校教育に大きな影響を与える提言は、先に述べた「学習施設」の原則廃止を打ち出す根拠となった「5市立浴場等の地区施設の在り方について 52 学習施設の在り方について」と今後の人権教育や啓発のありかたに関わる「6市民意識の向上に向けた人権教育・啓発の在り方について」だといえます。

5-2 学習施設の在り方について」では、「学習施設の見直しに当たっては、コミュニティセンターをはじめとした周辺施設の在り方を含めたまちづくりの観点を踏まえ、全市的に活用していく観点から、現在の事業の廃止を含め、教育センターとしての用途にこだわらない抜本的な見直しを検討すべきである。」という見直しの視点が示され、「(5) 今後の在り方について」としてソフト(機能)面では「学習施設は、旧同和地区児童生徒の学力向上に大きく寄与してきたが、京都市では、学力の定着・向上は学校でやりきるという本来の在り方のもと、全市的な取組を推進しており、学習施設事業については、小中学校での土曜学習、全小学校での「放課後まなび教室」、さらに「みやこ子ども土曜塾」での体験学習等、全市の子どもたちを対象としており、学習施設で独自に実施する必要はなくなっている。このような状況を踏まえれば、従来の学習施設における事業は廃止し、その機能を終結すべきである。」とされました。

また、ハード(施設・設備)では「施設そのものについては、図書室の規模、内容の相違等の施設の特性や、コミュニティセンターと合築されているか単独施設かなどの立地条件に留意し、不登校児童生徒の活動の場など、既に取り組んでいる事業を踏まえつつ、他の地区施設とも合わせて、市民参加の手法も活用しながら、全市的な観点から市民ニーズに応じた多様な活用方法を検討していくべきである。」と提言をまとめています。

さらに、「6 市民意識の向上に向けた人権教育・啓発の在り方について」では、これまでの意義と役割を、「京都市においては、同和問題の解決を市政の最重要課題の一つに位置付け、市民啓発等に取り組んできた結果、同和問題に対する市民の認識は深まり、差別意識は着実に解消されつつある。また、同和問題に関する市民啓発等に集中的に取り組んできた結果、行政において全庁が一体になった推進体制が構築され、市民自らが人権問題に気付き、考え、行動するための条件が整備されてきた。また、コミュニティセンターでの交流事業(啓発事業)や資料展示施設における啓発事業により、人権問題の解決に向けた市民の自主的な活動も生まれつつある。」と振り返りながらも、「これまでの人権教育・啓発の取組の進展や市民が主体となった取組に対する支援等により、人権問題について市民自らが気付き、考える意識は高まったものの、市民の日常的な行動に十分には結びついていないことが考えられる。市民の間で人権尊重の意識は着実に定着しつつあるものの、差別意識は今なお厳然として存在し、同和問題に関しても、戸籍等の不法取得やインターネット上の掲示板への悪質な書き込みなど、人権侵害につながるおそれがある行為が見受けられることからも、未だなお、差別することが許されない社会が構築されているとは言い難い。」との現状認識、課題を挙げています。その上で、「人権教育・啓発の取組について、今一度、その在り方を検証する必要がある。」としました。この考え方を踏まえ、今後の在り方については「ア 市民との協働による推進」、「イ 行政の役割」、「ウ 人権侵害に対する相談と救済の推進」の3つに分けて示しています。

このように、同和問題がいまだ全面的に解決したわけではないという状況の下、教育活動を進めるにあたっては、あらためて全ての児童生徒を対象とした「学力向上」の取組を「学校でやりきる」という理念の下で取り組んでいかなければなりません。その中でも「低学力に悩んでいる児童生徒はいないか?」、「安定した生活が送れず、苦しんでいる家庭で育っている児童生徒はいないか?」、「なぜ、そのような実態であるのか?」など、その子に現れた課題をそれぞれの背景にまで踏み込んで捉え、実践に結びつけていくことが不可欠になってきます。

学級を少人数で編成し、一人一人の児童生徒にきめ細かな教育を行う取組は小学校低学年での35人学級や中学校3年生での30人学級の実現という形で、全市で行われています。また、中学校においては分割授業や、そのなかで習熟の程度に応じた授業の展開なども行われています。「授業改善」を行う中で学習の「ねらいと指導と評価の一体化」を図り、その授業改善が本当に児童生徒に届いているかを検証するため「児童生徒による授業評価」も実施しています。

しかし、残念ながら教育課程内の授業だけでは十分な「学力」を保障しきれない児童生徒が存在するのも現実です。

学習施設を地域での学習の拠点として学校が主体的に活用できなくなった今、多くの中学校では放課後や夜間に学校での補充学習を行うということで一人一人の生徒に「確かな学力」を育てようとしています。また、全ての学校ではないにせよ土曜学習などの学習機会の充実を目指している学校も増えてきています。

一方で、これまで同和教育に携わってきた教職員も団塊の世代の大量退職に伴い、急激な世代交代が起ころうとしています。

こんな時代だからこそ、かつて学校で、学習センターなどで行われてきた「法の時代」の同和教育の実践を語り継いでいかなければなりません。しかし、それは補習学級や進学促進ホール、あるいは抽出促進授業や夏の校外学習や中三校外学習など具体的な施策として何をしてきたかを語り継ぐことではなく、それぞれの施策(取組・実践)が「何のために」、「何を目指して」進められてきたかを、次代を担う教職員に語り継いでいくことだと考えています。これまでの実践の中から得てきた「子どもたちを見る視点」、「学力保障・進路保障」が至上命題とされた中で取組を進めてきた時々の思いや実践を、今の学校教育にきちんと位置付けていくことが「同和教育の普遍化」の中で目指されたことなのです。

さらには、校内での人権研修はもちろんのこと、人権教育主任に対する研修の充実や京都市小学校同和教育研究会(小同研)や外国人教育研究会(小外研)、京都市立中学校教育研究会 人権教育部会(中同研)や外国人研究部会(中外研)といった今回の人権交流京都市研究集会に参画している研究会の活動の充実はもちろんのこと、人権問題の解決に向けて取り組んでいる様々な研究会の活動の底上げ、充実を図り、若い世代の教員が主体的に人権問題の解決にむけた実践を進めていけるようにしなければなりません。今や、「水平社宣言」や「オールロマンス事件」のこと、「部落地名総鑑」のことなど、かつてであれば皆が知っていたであろうことすら十分に理解できていない若い世代の教員が増えてきています。人権教育が、きちんと同和問題や外国人問題、障害者問題といった「個別課題」の解決に繋がる教育であるためには、それぞれの人権問題が生み出されてきた歴史的な過程や、解決に向けて取り組まれてきた流れを知っておかなければなりません。このことも改めてここで確認しておきたいと思います。

 さて、ではここで簡単にこれまでの本市の同和教育を振り返ってみましょう。

1963年、同和地区生徒の進学率は全市平均の2分の1に届いていませんでした。これこそが、「学力向上が至上目標」とされた時代の現実でした。この進学率に見られる格差の是正をめざし、様々な教育活動や「法の下での特別施策」が行われてきたのです。

同和地区児童生徒の低学力や進学率の低さにこそ、社会の差別状況が映し出されていると受けとめた京都市が、1964年1月に「教育の全分野において、それぞれの公務員がその主体性と責任で同和地区児童生徒の『学力向上』を至上目標とした実践活動を推進する」という同和教育方針を提示してから45年が経ち、同和教育の実践・取組の成果や時代の変化の中、数字だけをみると格差は是正されたかのように見えるようになりました。

不就学の実態は改善され、「高校進学率」において格差はほぼ解消されるに至っています。しかし、学力を保障し、進路を保障するということは単に高校への進学を意味するものではなく、将来を逞しく生き抜く力を同和地区児童生徒につけきれたかどうかで判断すべきものだと思います。そういう意味では学力・進路が十分に保障されていると言い切ることはできません。具体的には「高校進学内容」や「進学希望達成率」さらには「高校中退率」「大学進学率」などに、今でも格差は存在しています。

社会構造の二極化、格差の増大が叫ばれる中、同和地区児童生徒に見られる学力格差は完全に解消したとは言い切れない状況が続いており、「高校進学後の不調」や「大学進学状況」などにおいては、依然として格差が残っているのが現状なのです。

ここ数年、「学力定着調査」や「全国学力・学習状況調査」の結果を各学校で分析し、学校ごとに「学力向上プラン」を立てていますが、これらの分析の結果からは、その格差が再び拡大する傾向にあるのではないかということが、多くの教員の声から聞こえてきています。だからこそ、私たちは改めて、これまでの学力向上に向けての様々な取組を振り返り、検証していく必要があります。

教育現場に「今何が必要なのか」又「何が欠けているのか」を実態に即して分析し、明らかにしていく必要があり、又、これまでの取組を、人権教育にどのように生かし、取り込んでいくかが課題となっています。

自らの責任でない様々な制約により、個性や能力が充分に伸ばしきれていない児童生徒、社会的に厳しい状況におかれている児童生徒に焦点を当て、その主体的な努力を引き出し、自己実現に向けた支援を模索してきた本市教育の継承・発展こそが今求められているのです。

それでは、ここからはもう少し詳しく小学校、中学校で行われている実践を見ていきたいと思います。

 

2.小学校では

 

小学校においては、これまで京都市が掲げる「子どもたち一人一人を徹底的に大切にする」という同和教育の理念のもとに、普通授業の充実・指導形態の工夫・家庭訪問など様々な取組を進めてきました。個々の課題を明確にして焦点化する授業においては、焦点を当てるべき同和地区児童を念頭に置き、その子に届く教材研究、授業展開を長年継続して実践してきました。この、「焦点化」の手法については、これまでの同和教育を象徴する取組であり、同和地区児童の学力向上に有効な手立てであると考えています。

同和教育における根幹は「学力保障」です。学力向上に向けた取組は、ひいては子どもたちの将来につながる生き方を学ぶ、生き方探求につなげるという視点も大切にしています。自分の将来展望を持つことができ、自己実現に向けて、それを支える基盤としての確かな学力を小学校段階でしっかりと身につけておくことが大切だと考えています。

現在、すべての学校で独自の「学力向上プラン」を策定し、同和地区児童の課題を中心に据えながら、全児童の学力向上に向けて取組を進めています。具体的な取組としては、授業の中で少人数指導や、TTを活用した学習、習熟度別学習など様々な工夫を凝らした取組を行っています。また、始業前や放課後の時間を利用した課外学習も同和地区児童をはじめ全児童の学力を保障すべく、個々の課題に応じて取組を進めています。家庭学習においては、基礎基本の定着を図るとともに、児童の生活実態や学力実態にも対応した取組となるようにしていかなければなりません。

 さて、今、私たちが抱えている子どもたちの現状はどうでしょうか?

年々多忙化する学校現場の中で、子どもの「荒れ」、「不登校」や「仲間外れ」「いじめ」は依然としてなくなりません。子どもと子ども、子どもと教師をつなぐ営みが、新しい教育改革の流れの中でなかなか中心課題とはなりえません。教師の思いや意図がなかなか伝わらない子どももいます。私たちの予想を超えた言動を繰り返す子どももいます。私たち教職員の中に、さまざまな教育課題を、「制度」や子どもや親の責任として、自らを省みない、指摘し合えない弱さはないでしょうか。気になりながらも日々の忙しさに流され、1年が過ぎ去り、一度も気になる子の心の中や生活に足を踏み入れることなしに終わってしまうことは教育責任を果たしているとはいえません。

そのため、今改めて家庭との連携が重要になっています。同和問題の解決を目指す特別施策が失効し、同和教育そのものに対する認識も希薄化してきている今、学校も家庭も子どもを取り巻く厳しい現実をしっかりと捉え、確かな将来展望に向かう日々の活動につながるよう、じっくり話し込むことが大切ではないでしょうか。狭義の学力を大切にしながらも、「生きる力」の育成、自立の促進が必要です。その中で、「足で学ぶ」という姿勢を大切に、保護者との信頼関係を構築することが大切です。保護者の同和問題認識を聞き、そのとき教職員として、我々がどう判断し行動するか、自分自身の人権感覚が問われるときです。家庭訪問でこうした話を聞くことは、自分自身の教育に対する評価であるともいえるのではないでしょうか。

また、子どもたちが望ましい生き方を展望していく上では、確かな学力を身につけると共に、鋭い人権感覚をもつことが大切であると考えます。全ての児童が同和問題をはじめとする人権問題解決の主体者となるためには、正しい知識を学び、偏見や不合理を許さない強い意志と感情をもつことが、不可欠であるのではないでしょうか。小学校の低学年から人権学習を計画的・組織的に進め、様々な人権に関する問題や6年生での同和問題指導へと、つなげていくことが大切だと考えます。

これまで小学校では、「同和問題に関する学習」、「外国人問題に関する学習」、「障害者問題に関する学習」、「男女平等に関する学習」を通して、他の人の立場に立って考えられる想像力や共感できる力、伝え合い分かり合うためのコミュニケーション力、他の人との人間関係を調整する能力などの育成に取り組んできました。これは「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」がまとめた「人権教育の指導方法等の在り方について [ 第三次とりまとめ]」(以下 [第三次とりまとめ] )でも強調されています。とりわけ、同和地区児童については、人権学習を通して、あらゆる差別を見抜く目、差別を許さない心、差別に負けない力を身につけさせたいと考えています。そのためには若年教職員の大量採用を迎え、改めて同和問題に対する認識を深めるための研修の必要性を感じます。

どれだけ実践的態度の育成を図れたかについてはまだまだ課題が残りますが、同和問題を中心とした人権学習を積み重ねることで、児童一人一人に届く教育実践を今後も推進していきたいと考えています。

 「今日もあの子が学校に来ていない」「子どもに教育を受けさせたい」という子どもや親の願いや生活の事実から教育課題を見出し、教師としての自分のありようや教育の質を問い直すところから同和教育の営みが始まりました。子どもから逃げたところで語る教育論や自分を枠の外に置いた理想論ではなく、子どもや親とぶつかる中で、子どもが変わり、周りの子どもが変わり、親が変わり、自分自身が変わったという実践を継承したいと思います。

 子どもたちの「セルフエスティーム(自尊感情)」や「人権尊重の意識」を高め、温かい関係を築く取組が求められています。学力を「差別を許さず見抜く確かな人権感覚」「表現力を含む豊かな感性」「教科の学習理解力」の総和ととらえると、「自らの責任ではない重荷を背負わされた子どもたちをはじめ、すべての子どもたちの進路・学力を保障する」教育活動を更に推進していくことが大切だといえます。

 

3.中学校では

 

 中学校では、社会の大きな変化や子どもを取り巻く環境の変化が教育現場をこれまで以上に困難な状況にしています。例えば、不登校や自殺、また新しいメディアの発達により形態の多様化が進んでいるいじめの問題など、現在の社会問題をそのまま写しこんだ状況が数多く見られます。

しかし、どのような社会状況にあっても学校はすべての生徒にとって安全で安心できる居場所、自分の居場所でなければなりません。そのためには、他者との違いを認め合い、信頼しあうことができるような、人権尊重の精神がみなぎる環境であることが必要です。そして学校が生徒にとって安全で安心できる居場所であれば、充実した教育活動を展開することができます。教育活動のなかでも人権尊重の精神がみなぎる集団を育てる人権教育とは、すべての教育活動の柱であるといえるのではないでしょうか。

さらに家庭に目を向けてみると、核家族化や少子高齢化、家族団らんの時間減少、近所づきあいの希薄化などが、問題として取り上げられます。果たして、1日を終え疲れて帰ってきた生徒にとって、家庭が心身ともに安らぐ、明日への鋭気を取り戻せる豊かな空間となっているでしょうか。育児放棄や放任、しつけと称する虐待など、家庭教育力の弱さに対する支援の必要性を痛切に感じる事例も少なくありません。反対に、幼少期から習い事や進学塾に通う生徒も少なくありません。そして学校では、そのように教育条件に差がある生徒たちが、一緒に学習しています。指導する側にとっても学力の二極化の拡大傾向は年々強く感じるところで、学習指導法や学習形態にも一層の工夫改善が必要になってきている現状です。

地域の保護者の方と話をしていると、様々な声を聞きます。「先生、僕らが周りと同じになるまであと3世代はかかるで。確かに、ハード面だけ見たら周りとだいぶんかわらない様子になってきたかもしれんけど、たとえ経済面での基盤が出来ても、子育ての仕方がわからんねん。学校の先生にアドバイスしてもらって、その場では「先生頑張ってやるわ」って返すけど実際は、親が本を読む姿もあらへんし子どもにも読んでやれへんし・・・。僕らは親になっても結局自分の親に育てられたようにしか子どもをよう育てられへんねん。」また、別の保護者からは「先生、僕らな、いまだに結婚するとき相手の親に、実は私は部落出身ですって言わなあかんねん。もし後でわかったら取り返しつかへんことになるねん。自分の娘も将来そういう目に遭うかと思うとつらくて仕方ないねん・・・。」さらには、「結婚したいねんけど、いまだに住所よお言われへんねん。」という卒業生など生々しい実態もたくさん聞きました。

こんな中でこれからを生きていく生徒たちに夢と希望を持たせ、人権尊重の精神や、差別の解消に向け主体的に行動出来る態度を育成していかなければなりません。そのためには人権教育の充実も必要ですし、保護者に対しての啓発活動にもより一層力を入れなくてはなりません。そして「違いを認め、相手を受容する態度」や「異質なものの排除につながる言動を見逃さず、許さない態度」の育成は、社会規範が揺らいでいる時代であるからこそ、我々が大切にしていかなくてはならないのです。表面上の言動だけでは決して子どもたちの心には響きません。いかに私たち自身が様々な立場の人を認め、受け入れることができているかということが最も大切です。相手の立場に立ったものの見方ができるかということが最も大事な視点であることを忘れてはなりません。そして子どもたちに、そのような人権意識を育てることができるのは教育の場であり、私たちの使命なのです。そのことを踏まえた上で、今、私たちが続けていかなければならない第一の目標は、やはり学力保障そして進路の保障なのです。

現在の厳しい経済状況は保護者だけでなく、その子どもにも甚大な影響を与えつつあります。例えば学費の未払い問題などは頻繁に新聞やニュースで取り上げられていますし、多くの保護者は学費を払う意思はあるが、経済状態がそれを許さない状態にあると聞きます。また、とくに生活保護世帯における母子加算の廃止などで、より厳しい状況にある家庭が増加しています。そのような家庭の保護者と話していると、「わたしの仕事は不規則やから、子どもといつもすれ違いで、夜はあの子が一人やから、ほんま心配で、できるだけ一緒にいてやりたいと思うけど、この仕事、やめたら生活でけへんし。次の仕事なんてないから…」、また「母子家庭やいうことで、この子に迷惑かけたくないけど、生活していくことで手いっぱで、この子の夢かなえてやられへん。先のことを考えると、不安で、不安で。ほんま、どないしてええかわかれへん」など悲痛な声をききます。子どもの家庭環境の差が、そのまま社会へのスタートラインの差につながることは、学校教育の現場を預かるわたしたちには到底許されることではありません。

同和問題に顕著であるとされていた諸問題が社会全体に見られつつある中、しかし、未来はすべての子どもに対して平等に開かれていなければならないのです。本人の努力では乗り越えられない壁が未だに存在しているという社会の在り方に矛盾を感じます。この壁をなくしていく取組を進めることと、すべての生徒が壁を打ち破り、自分の望む将来に向けて自己実現を果たしていける力を育てていく取組を力強く進めていかなければなりません。社会的な背景から、基本的な生活習慣が十分に確立できず、少なからず学習の定着にも大きな課題が見られる生徒が存在します。就職の際、その生徒の社会的な背景が理由ではなくても、結果的に厳しい条件の中で自分自身の可能性を十分に伸ばすことができず希望する進路に進めないとするならば、このことは形を変えた就職差別だと言っても過言ではないと思います。

そういった意味からも、一人一人の子どもたちに「確かな学力」を身につけさせ、進路保障を実現していくことは、改めて学校教育の原点であるということをここで再確認しておきたいと思います。しっかりと基礎学力をつけて、壁を乗り越えていける力をつけることがよりよい自己実現につながるのです。やはり、私たちが第一の使命とすることは、学力保障であり進路保障なのです。

学力保障は学校でやりきる。わたしたちは、日夜各学校で学力保障の取組を模索しています。しかし、学習環境の厳しい生徒にたいして、なかなか効果的な手だてが見つからないのが現状です。そんな中、学校の授業と家庭での学習とで学力・進路保障を完結するという原点にもう一度立ち返り、同和教育の理念でもある「目の前の一人一人の生徒を徹底的に大切にし、その背景にまで踏み込んだ取組を続けていく」、また「目の前の生徒に寄り添い、希望を語り、その背景にまで迫って共に歩んでいく」ことをすべての学校で実施していくことが大切です。この理念は京都市の教育が大切にしてきたものです。そのために諸先輩方が営々と築き上げてきた同和教育の理念を大切に受け継いでいかなければなりません。そして、何より社会の波に揺れ動く子どもたちのために、すべての生徒に有効な教育の在り方を具体化することが急務であり、それこそが「同和教育の普遍化」であることを、わたしたち教師は肝に銘じておく必要があります。

学力保障そして進路の保障を学校においてやりきる。この原則を達成するには、家庭、地域の協力が不可欠です。生徒に寄り添い、家庭やその背景にまで迫り、保護者や地域と共に協力して取組を推進していかなければ、なかなか対応することが困難な状況になってきています。学校では、授業や課外学習等の見直しを行い、一人一人の確かな学力の充実を図ると共に、基本的な生活習慣の確立など家庭での自学自習の推進を図り、すべての大人が一丸となって、子どもたちを「自立した立派な大人に成長させる」という思いを持って、日夜取組を継続していかなければならないと思います。

「全ては子どもたちのために」様々な困難や壁にぶつかったときは、その取組は子どもにとってどうなのかという、基本に返って、見つめ直していくことも大切ではないでしょうか。

保育所、幼稚園を含む全ての学校・園で、全ての児童生徒が共に考え、判断し、行動することができる実践的態度の育成を目指していくことが大切です。全ての人の人権が尊重され、あらゆる差別を許さない社会の実現に向けて、学校のみならず地域や保護者とも手を携え共に取り組んでいきましょう。

中学校は、生徒一人一人がその人権課題を自分の問題としてとらえ、自己の生き方を考える契機となるような指導を行わねばならないと考え、不平等を解消し、差別に立ち向かっていく生徒を育てるための取組を進めています。同和地区生徒をはじめ社会的に厳しい状況におかれている生徒が「自分が大切にされている」と実感し、進路展望の持てる学級や授業づくりをすすめるために、新たな教育の創出を目指しています。

現在、学習の大切さや進路展望が持てず、基本的生活習慣の確立や基礎基本の学力の定着が見られないという課題に対して、大学生との交流や小中連携に取り組んでいる中学校もあります。

学校での学力向上に専念し、焦点化授業や補習学習の取組、「学びの共同体」などの新しい手法、家庭学習の徹底に全力を挙げて取り組んでいる多くの中学校があります。

課題学習・家庭学習の充実による基礎基本の学力と自学自習の習慣の定着を図るために、家庭学習点検指導を、各校の情報交換を密にし、その研究を進めている多くの中学校があります。

さらに、進路実現にむけ、個人選択制習熟別分割授業や少人数教育の実施、TTを活用する学習、始業前や放課後の時間を利用した学習、高校見学や職場体験など進路展望を培う取り組みもあわせて実践しています。個人の学力に応じた習熟度別学習、個々の課題を明確にし、焦点化する授業に取り組み、生徒が意欲を持って学習に参加することで、毎時間の自己評価の中で達成感や成就感を持つと共に、友達と共に学び、高まりあうための「生徒主体の自ら学ぶ学習」となる授業が求められているのです。

 

4.啓発と人権教育の在り方

 

では、次に今後の人権教育や啓発のありようについて考えてみたいと思います。先ほど紹介した総点検委員会の報告書でも「同和問題に関しても、戸籍等の不法取得やインターネット上の掲示板への悪質な書き込みなど、人権侵害につながるおそれがある行為が見受けられることからも、未だなお、差別することが許されない社会が構築されているとは言い難い。」という現状認識が示されていることから、やはり小学校・中学校を中心とする学校教育の場でも「人権教育」を更に充実させ、「差別をすることが許されない社会の構築」を目指し、子どもたちのみならず、地域や保護者への啓発を進めていかなければならないといえます。

国のレベルでも、[第三次とりまとめ]を出し、その「個別的な人権課題に関する取組」において、同和問題に関する国民の差別意識は、「着実に解消に向けて進んでいる」としても、「地域により程度の差はあるものの依然として根深く存在している」との認識を示していますし、現在でも結婚問題を中心とする差別事象が見られるほか、教育、就職等の面でも課題があります。

様々な人権問題が生じている背景として、人々の中に見られる同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理的な因習的意識の存在、社会の急激な変化などとともに、より根本的には、人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ十分に定着していないことが挙げられます。

同和問題の解消を図るための人権教育・啓発については、これまでの同和教育・啓発活動の中で積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、同和問題を重要な人権問題の一つと捉えつつ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育・啓発として発展的に再構築する必要があります。

全ての人々の人権が尊重され、相互に共存し得る豊かな社会を実現するためには、一人一人の人権尊重の精神の涵養を図ることが不可欠であり、そのために行われる人権教育・啓発の重要性は今後も益々増していくといえるでしょう。

学校教育においては、家庭及び地域社会と一体となって進学意欲と学力の向上を促進するとともに、かつての同和関係校だけでなく全ての小学校、中学校はもとより、全ての学校で同和問題の解決に向けた取組を推進していかねばならないのです。人権を侵害することは、相手が誰であれ、決して許されることではありません。全ての人は「自分の持つ人としての尊厳と価値」が尊重されることを要求して当然であり、このことは同時に、誰であれ、「他の人の尊厳や価値を尊重し、それを侵害してはならない」という義務と責任とを負うことを意味することになるのです。

又、[第三次とりまとめ]では「効果のある学校」(effective school)を取り上げています。

「教育的に不利な環境の下にある児童生徒の学力水準を押し上げている学校」においては、学力の向上と人権感覚の育成とが併せて追求されている点に注目しています。

人権感覚の育成は、児童生徒の自主性や社会性などの人格的な発達を促進するばかりでなく、学校の役割の大事な部分を占める学力形成においても成果を上げているとの指摘がなされているのです。

人権教育を進め、児童生徒の人権感覚を磨いていくためには、教育内容や方法の在り方とともに、教育・学習の場そのものの在り方がきわめて大きな意味を持ちます。とりわけ人権教育では、これが行われる場における人間関係や全体としての雰囲気などが、重要な基盤をなしています。 人権教育が効果を上げうるためには、まず、その教育・学習の場自体において、人権尊重が徹底し、人権尊重の精神がみなぎっている環境であることが求められます。 

一人一人の個性やニーズに応じた基礎学力を獲得するためには、学校・学級の中で、現実に一人一人の存在や思いが大切にされるという状況が成立していなければならないのです。つまり、児童生徒の人権感覚の育成には、体系的に整備された正規の教育課程と並び、学校・学級の雰囲気、在り方により構成される、いわゆる「隠れたカリキュラム」が重要であると指摘する「第三次とりまとめ」を読み込んでいかねばならないということができるでしょう。

「差別」を許さない態度を身に付けるためには、「差別はよくない」という知的理解だけでは不十分です。実際に、「差別」を許さない雰囲気が浸透する学校・学級で生活することを通じて、児童生徒は、はじめて「差別」を許さない人権感覚を身に付けることができるのです。ここに人権教育の実践の意義があり、だからこそ、教職員一体となっての組織づくり、場の雰囲気づくりが重要といえるのです。

「差別が偏見を生み出し、偏見が差別を正当化する」こと、そして「そこでの差別意識が差別を再生産すること」が指摘されていることを忘れてはならないでしょう。

しかしながら、学校教育における人権教育の現状は、「第三次とりまとめ」でも指摘されているように、教育活動全体を通じて人権教育は推進されてはいるが、知的理解にとどまり、人権感覚が十分身に付いていない。また、指導方法の問題、教職員に人権尊重の理念について十分な認識が必ずしもいきわたっていない等の問題があります。こうした課題を解決するためにも人権教育に関する取組の一層の改善・充実が必要と考えられます。

そして一人ひとりの生徒の変容を通して教育実践は積み重ねられねばならないのです。

「一人一人を徹底的に大切にする」「背景にまで迫る徹底した指導」「生きる・自立する力をつける」ことをめざして、学力向上プランに反映させることで、学校でやりきる姿勢を確立する努力をし続けていかなければならないと考えています。

また、全ての生徒の進路実現のために、課題学習・家庭学習の充実による自学自習の習慣の定着を図ることが急務といえ、生徒だけでなく家庭の教育力をつけるための取組が必要です。

生きていく力を保障するための基礎基本の徹底には学校教育と共に家庭・地域・社会の力が必要であることは言うまでもないことなのです。

そして、保護者の学校教育への理解と協力、教職員への信頼が啓発を可能にする土台となります。生徒の背景に存在する同和問題をはじめとする人権問題に対して、生徒・保護者にどのように取り組んでいるか、人権尊重のための取組が今問われているのです。   

現在、保幼小中の連携を強化し保育所・幼稚園・小学校・中学校が合同で進路保護者会を開き、進路実現に向けての心構えやその準備などについて一緒に学習する取組を行っている地域・学校もあります。

世界人権宣言の第1条には、「子どもたちは生まれつき、だれもがみな自由であって、いつもわけへだてなくあつかわれるべきです。」とあり、また、第26条には、「あなたは学校に通う権利、ただで義務教育を受ける権利をもっています。あなたは……望むだけ勉強を続けることができるべきです。あなたは学校であなたのあらゆる才能を発展させることができ、……だれとでも仲良く生活しつづけることを教えられるべきです。あなたの両親は、あなたがどのように教育されるか、また学校で何を教えられるかを選ぶ権利をもっています。」と宣言しています。

人権とは、「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」と定義されます。生徒の幸福追求権を保障すること、とりわけ、義務教育を保障することが、人権教育の目標であることを、同和問題をはじめとするあらゆる人権問題の解決は「教育に始まり、教育に終わる」ことを忘れてはならないのです。

 

W 本研究集会のめざすもの

 

 2007年2月17日に開催された、『第38回 部落解放研究京都市集会』の基調において、「部落解放研究京都市集会は、部落に社会的な矛盾が集中してあらわれているのが差別だということを明らかにし、部落解放運動や同和行政、同和教育の前進に貢献してきました。しかし、社会的な矛盾は部落だけではなく、多くの人たちを覆っており、その解決は部落民にだけ必要なことではありません。むしろ、少数の富める者はより豊かに、多くの貧しい者はより貧しくという、『構造改革』が作り出している格差社会の強化の中で、より多くの人たちが社会的矛盾をかかえてきています」との現状認識を示し、「このような時代だからこそ、多くの社会的な矛盾を解決してきた部落解放運動や同和行政、同和教育の成果を普遍化していく必要があります。人権確立、反差別のために何が必要なのかを、人権確立、反差別のために活動している人たちが結集し、その実践に学び交流し連帯していくことは、急務を要することです」として、『部落解放研究京都市集会』の名称を『人権交流京都市研究集会』に変更することを提起し、翌年から『人権交流京都市研究集会』として人権確立、反差別のために活動している人たちに呼びかけながら実施してきました。

 そして現在の人権をめぐる情勢を見たとき、残念ながら本研究集会の必要性は、より増してきているといわざるを得ません。部落差別をはじめとするあらゆる差別、失業や不安定就労による低賃金労働者の増大、社会的・経済的基盤の弱い人たちへの負担の増大と社会保障の縮小・削減など、人権確立にとって課題が山積しています。

 その解決のためには、各地域・職場・学校などの、人権確立、反差別の取り組みを知ることと、確かな連帯が必要であります。本年の研究集会には、実行委員会に地域で多文化共生に取り組む人たちや、人権問題に取り組むNPOの参画を得、更なる裾野の拡大を図ってきました。これからも、より多くの団体や個人の参画を募り、人権確立に向けた研究集会となることをめざします。

 

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