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第40回人権交流京都市研究集会

  1分科会

部落と人権

「部落問題は部落の人の問題」から

「市民すべての問題」へ

                            大谷ホール

日   時  2009214日(土)午後130分〜午後445

パネリスト  部落下違法同盟京都府連合会東三条支部

      報告T 京都市の同和行政を巡って  

       「京都市現業職員による事件から

         『京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会』まで」

    

       NPO人権ネットワーク・ウェーブ21

      報告U 京都市同和地区住民生活実態把握事業

        「2000年度調査から見る改進地区の実態」

       

参加者数   約130  

 

報告

 報告T(京都市現業職員による事件〜「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」まで)と部落差別の現状報告。

現在京都市は『京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会』(以下、「総点検委」)〜を昨年四月に発足させ同和事業の打ち切り等について進めています。

 昨年の京都市長選挙は、かつて、これまでになくどの候補者も同和事業に関して@京都市の現業労働職員による事件を防ぐ人事管理の問題とA同和地区にだけ実施されている事業の見直しと打ち切りを問題にされました。

1点目の京都市現業労働職員による事件を防ぐ人事管理の問題について、現業労働の歴史的経緯を見ながら、少し考えてみたいと思います。

まず、なぜ京都市の現業労働に部落の人が多く働いているのかと言う点です。高度経済成長時代、大量生産・大量消費が美徳とされ多くのゴミが町中に氾濫しました。一九六九年京都市は「京都市同和対策長期計画(第一次試案)を策定し「本市職員への採用推進」という項目を設け「同和地区住民の市職員への採用を推進する」という方針を出しています。

そして、1972年に部落解放同盟は部落の人々の生活基盤の安定を目的に京都市職員への採用を求める要求を掲げます。この翌年から運動の要求に答える形で京都市職員へ採用するわけですが、前市長の桝本さんはこの要求を受けた1973年以降採用した人が多くの事件を起こしていると言っています。

つまり、部落解放同盟の要求に応えて採用した職員が事件を起こしていると言っているわけです。このことは、市民の「部落ならやりかねない」という社会意識としての差別観念を利用して、自らの監督責任を放棄し部落にその責任を押し付けようとしたわけです。もっと言えば、労働者を確保したかったのはむしろ京都市の方で、自らの立場を悪くしたくないために部落解放同盟から何らかの方法で要求をさせ、それに答えるかたちで対応したのではないかと思います。

労務管理を厳しくすればやっと集めた職員が辞めかねません。ですから職場から少し離れたところで昼食をとるとか、出勤時刻が早いため少しぐらい早く帰っても多めに見ていたのが当時の実情だったと思います。

現在では、ゴミの量や税収も減ってきたことでゴミ収集は民営化し、人件費を減らすために部落に対する市民意識を利用して、その責任を部落に押し付け現業労働者を切り捨てていきたいと考えていると思います。

第二点目の偏った同和事業の見直し打切り問題については、村山祥栄元京都市議会議員が2007年10月30日付けで当時の京都市長へ「同和事業完全終結に向けた要望書」と同要望書別冊「同和行政は終わったのか?今もなお続く同和行政‘07」を元になぜ事業の打ち切りと言っているのか考えてみたいと思います。

「村山要望書からみる矛盾」

まず、「同和事業の終結と」言っていますが2002年3月末をもって終焉した「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」という特別対策法終焉しただけで部落差別が存在する限り一般対策事業を持って取り組むという姿勢は変わっていないのです。この点に関して、1996年の地域改善対策協議会の意見具申では「同和問題解決に向けた今後の主要な課題は、依然として存在している差別意識の解消、人権侵害による被害の救済等の対応、教育、就労、産業等の面でなお存在している格差の是正、差別意識を生む新たな要因を克服するための施策の適正化であると考えられる。…」としています。京都市でも『一般対策への移行が同和問題の早期解決を目指す取組の放棄を意味するものではないことは言うまでもない』としています。

次に、「同和問題を整理する上で、部落そのものに焦点をあてて見て行かねばならないが」という正しい認識を示しながら「紙面の関係上割愛したい」とその歴史認識を回避しています。この点を明らかにすることが「逆差別」という意識や部落だけが得をしていると言う思いを持たせたり、反対に問題解決の方向性が見えなくしているわけです。

歴史認識としては、明治四年の太政官布告による解放令が出され出自による差別がなくなったにも関わらず明治政府は生活を保障して行く取組を放置してきました。それまで部落にあった皮革や食肉などの主な部落産業を政府が育成する資本に奪わせ、しかもそれまで免除されていた租税の負担や兵役・教育の義務を課しました。こうした経済的基盤を失った上に部落差別があったわけですから貧困の状態になるのは当然です。

さらに、隣保館をはじめとする地区内施設についても不要や廃止を前提に意見を述べています。まず、会議室などの利用状況をキャンパスプラザ京都と比較して少ないから不要だと言っています。比較する計算式もよくわからないうえに、設置目的の異なる施設をなぜ比較する必要があるのでしょうか。また、隣保館は社会福祉事業を目的に造られた施設です。無料で利用できることは違法ではありません。

次に、昨年2008年8月19日に村山さんと話し合いを行なうことができましたので少し紹介したいと思います。

部落が無法地帯であるかのように取り上げたことは、「みなさんが不愉快な思いをされ、傷つけられたということについては、お詫びをします」という謝罪がありましたが、どう責任をとるのかは触れられていません。

また、部落問題は社会問題です。少なくとも同和対策事業を必要としている当事者の現実を直視して、当事者の意見や考えを反映させる必要があります。しかも、『要望書』の特徴は、『廃止』を前提に意見が述べられていることにあり具体的な問題解決の方向性の見解を示さなければ、政策提言はできないのではないでしょうか。」と言う問題提起をしました。

「朝日放送の問題報道」

この村山さんの「要望書」を朝日放送は夕方の番組「ムーブ」で、京都市の市営住宅や改良住宅がどういう歴史的な経過で作られ、どのような役割を果たしているのかは一切ふれずに、いわゆる、改良住宅が、不法地帯であり、悪の巣窟であるような内容の放送がおこなわれました。

このことに対して私たちは朝日放送と2008年五月九日に学習会をおこないました。当初は「あくまで、京都市の怠慢な行政姿勢を問うものであり、改良住宅の存在や同和行政全般を問題にするものではありません」と言う主張でした。

また、「九龍城」は、清国とイギリスとの歴史的な経緯の中で、行政権を行使できない場所となり、その上、狭いところに何万人もの人が入ってきたため、一大スラム街となった場所です。そこには、売春や、薬物売買、賭博、その他の違法行為が行われ、中国では無法地帯を意味する「三不管」というふうに呼ばれる場所でありました。まさに、「九龍城みたいな状況になっちゃってますよね」という発言は、改良住宅が無法地帯や悪の巣窟になっているといっているのと同じで、それは部落に対する社会意識とも完全にダブってくるものです。

日本の差別感というのは、中世ぐらいからはインドのカースト制度の考え方が入ってきて、浄いものと穢れたものという浄穢感というものが基盤になってきたのではないかと言われています。インドのカースト制度では、ヴァルナという四姓制度の外に置かれた最底辺層の賎民を、「アンタッチャブル」と呼びます。日本語に訳せば「不可触賎民」です。触るだけで穢れるから、触ってはいけない存在なのです。穢多という呼び方に示されるように、日本の差別も、非常にカースト制の差別と似たようなところがあり、インターネットで調べると、アンタッチャブル=部落民だという書き込みがなされています。

彼らの発言は、改良住宅を、無法地帯、悪の巣窟だと決め付け、放置している行政はけしからんといっているのです。そこには、「京都市はいつまでも部落の言うがままになるな、同和行政から手を引け」と鼓舞しているわけです。

朝日放送が、学習会の後に出してきた回答書の一部を紹介します。まず、「部落・同和地区と表現しなければ、差別に当たらないという認識は誤り」では、「話し合いで指摘を受けたように、途中から『市営住宅』は『改良住宅』に置き換わり、被差別部落の居住環境整備という目的で作られた住宅という説明もないまま話が進んでいきました。そして、無法地帯との印象を与える作りと、コメンテーターの発言で、『改良住宅』全体が無法地帯という印象を与えてしまいました」「『改良住宅』という言葉や、コメンテーターの発言による暗示から、結果的に部落差別を助長することになったことは誠に遺憾です。被差別部落や同和地区と表現しなければ差別問題にはつながらないという誤った認識は、改めなければなりません」としています。

京都市が弱腰になっている原因が住人にある、住人は怖い、そこが『現代のクーロン城』で『アンタッチャブル』という三段論法に、改良住宅=被差別部落が結びつくとき、『部落は怖い人の無法地帯』という構図が出来上がります。これは、部落や同和地区を使う、使わないというレベルを超えた『差別の助長』であり、そこの住民がみんなそうだという『差別の不当な一般化』と認めなければなりません」というまでに、朝日放送は変わりました。

「総点検委」

「総点検委」発足当初から危惧はありました。その理由は、「同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」という名称です。国や京都市は、部落問題の解決のための行政課題やニーズがあることは認めており、その課題解決に特別対策から一般対策へ移行して取り組むと明言してきたことは周知の事実であります。本来なら、『一般対策移行後の同和行政の在り方総点検委員会』であるべきです。

また、構成委員の問題です。同和行政終結後の行政の在り方を検討するとしながら、行政対象の部落や、委員会発足の要因ともなった、同和行政を批判してきた団体の当事者が委員として選出されていないことです。しかも、一〇月の第八回委員会では、コミニティセンターの見直しについて、地元の意見を聞いてはどうかという複数の委員の意見すら退けられました。さらに、委員会運営では当事者は意見どころか、説明や質問すらできないことです。意見記入用紙に記入された意見や、私たちを含む団体の意見書について、「総点検委」で議論された形跡はなく、聞き置くという扱いとなっています。

これらの「総点検委」の見解を受け、一一月二〇日の市会本会議の一般質問において門川市長は、市内一五ヶ所にあるコミニティセンターを、今年度限りで廃止すると答弁し、生活相談も廃止となり、職員も引き上げることを明らかにしました。

また、「京都市地域改善対策奨学金等の返還債務の取扱いに関する条例(案)」を提案して議会決議を行い、自立促進援助金制度を廃止して、実質給付であった同和奨学金を返還させようとしています。しかし、同制度は公的制度として認知され、運営されてきたものであり、支給対象者には何等責任はなく、むしろ、行政や学校から勧められて、同和奨学金を貸付と一対のものとの認識で利用してきたものが大半です。したがって、借り受け者には全く責任はなく、司法から行政の裁量権を超えるという判断がされる制度を作った者こそ、責任が問われるべきだと考えるのが常識であり、大阪高裁判決もその立場をとっています。

「コミニティセンターの在り方」については、部落差別の実態を知らないから、「廃止」という答弁ができるのです。現在の市内の各部落は、少子高齢化と貧困化が急速に進んでいます。高齢者の孤独死や介護の問題、「自立」のための就労支援問題など、住民の生活相談のニーズはかつてないほど高まっています。

このような状態にも関わらず京都市は、部落の当事者を無視した上に何の根拠も示さないままの「総点検委」の報告を受けて事業の打ち切りを進めています。これまでの同和行政と逆行するものであり部落差別を残そうとする行為以外の何者でもありません。

私たちは満身の怒りを持って京都市差別行政を断固糾弾するものです。以上の報告が行われました。

次に報告U『二〇〇〇年度、京都市同和地区住民生活実態把握事業からウェーブ21より改進地区の実態について報告。』

 

「はじめに」

私たちが二〇〇〇年調査を取り上げた理由は、行政は行政施策をおこなう場合現状認識をまず明らかにしなければなりません。

京都市の同和行政もこれまでそのプロセスにしたがって進めてきたわけです。京都市が部落の実態調査をおこなったのが一九二七(昭和二)年です。この実態調査をおこなう目的は不良住宅地区改良法という法律を国が交付しまして、それに見合った対象地域を調査すると言うことで京都市内の六地区を調査しました。その後、一九三七(昭和十二)年には京都市における不良住宅地区の調査が伏見区を含む八地区で実施されました。これら調査は地区改良事業の実施を目的に実施されてきました。京都市はこの調査をもとに一九四五(昭和十七)年に地方改善整備事業を計画しています。

一九五〇(昭和二十五)年からはじまった京都市同和地区実態調査をおこなっています。京都市の敗戦直後からの視点というのは、不良住宅だけを改善するだけでなく部落問題を解決するためになにができるのかということを調査しています。

この調査を基に翌年の一九五二(昭和二十七)年に錦林で最初の地区改良事業が実施されました。このように京都市は実態調査をもとにして行政が実施するべき課題であることを明らかにして対策を実施してきました。一九七〇(昭和四十五)年から実態調査は七年ごとにおこなわれています。

一九九八(平成五)年には国の調査があったために以後の調査が二〇〇〇年〜二〇〇一年にかけて調査がおこなわれています。しかし、不思議なことはこのいわゆる二〇〇〇年調査の公表が二〇〇七年におこなわれました。調査をしてから七年かかっています。それまでは調査の実施からおおよそ二年ぐらいで公表されていたものが今回なぜこの七年という時間が必要であったのでしょうか。同時に京都市は二〇〇二年に「特別対策としての同和対策事業の経過とその後の取組」というのを出しています。

そこには二〇〇〇年調査の結果がなんら反映されていません。非常に不可解なものを感じます。二〇〇〇年の実態調査について二〇〇四年の部落解放研究京都市集会の分科会で求めたところ行政はしっかりと調査結果について把握していました。

一九九一年の調査結果は所得を含めてかなりいい結果が出ていますが二〇〇〇年調査では逆行しているわけですね、二〇〇四年の京都市研究集会の中にでてくるのですけれども、平成三年調査では所帯収入500万円〜699万円が16.1%。700万円〜999万円が13.5%と1位2位でありました。ところが二〇〇〇(平成十二)年の調査では1位が100万〜149万円16.8%2位が150万〜199万円の11.2%こういうことを京都市はしっかり把握しています。本来なら、一九九一年調査と二〇〇〇年調査の落差を究明し、そして現状はどうなっているのかということを再度調査して対策を取り組む必要があったと思います。しかし、京都市はそのことを回避しそれどころか先ほどの経過説明でもあったように「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」で統計資料が少ないという委員の要望がありながらも二〇〇〇年調査結果は提示されていません。

みなさんはもうお気付きだろうと思いますがこれは京都市が同和行政から完全撤退するというシナリオがあったわけです。ところが二〇〇〇年調査では多くの行政課題が見えてきたから、ひたすら二〇〇〇年調査を黙殺して知らん顔のまま逃げ切ってゴールしようと考え、やっとその目途が付いた二〇〇七年に公表したという以外に理解できないわけです。私たちNPOウェーブ21では改進地区の実態調査を踏まえて改進地区の今をもう一度考えて、そして、これからを考えていこうと準備をはじめました。

しかし、各地区の詳細なデータはすでに廃棄したとのことでした。これはどういう意味だと思われますか。私たちなりにデータ不足を補いながら調べてきた結果をこれから紹介したいと思います。

 

「改進地区の現状」

二〇〇〇年度、京都市同和地区住民生活実態把握事業 実施報告書(解説版)〜以後、「二〇〇〇年調査」と省略します。〜に基づき、「住環境と生活実態」、「就労状況」、「高齢者世帯と母子父子世帯」および「教育」の実態を分析し考察しながら、改進地区の現状を浮き彫りにしようと思います。

まず、1(地区別の世帯と人口)を見てください。一九九一年の調査からの人口の増減を見ると、全体的に35.1%の減少をみています。改進地区は、29.3%という減少でした。
 2を見てください。「改進生活白書」(二〇〇三年改訂)により、もう少し補足しますと、改進地区の場合、一九五〇年から二〇〇〇年までに、人口総数は、一九五〇年を100%とした場合に、64.1%の減少率となっています。
 3を見てください。「二〇〇〇年調査」から見る世帯構成の状況ですが、一九九一年には二人世帯の占める割合が多く、28.9%であったのに対して、二〇〇〇年には一人世帯が36.5%と最も高くなっています。
 全市の同和地区内において、一人世帯の増加は顕著に現れており、およそ10%増しという状況です。
 確かに総人口は減少しているのですが、世帯数にはあまり変化が見られません。このことが高齢者世帯の増加と集中を表す傾向だと考えられます。
 5・6を見てください。全市の同和地区として総人口が減少傾向を示す中で、高齢者世帯の推移を見てみると、高齢者世帯A(六五歳以上の男、六〇歳以上の女に、十八歳未満の人が加わった世帯)は、九五二世帯から一〇七〇世帯に増加しています。高齢者世帯B(六五歳以上からなる世帯)も、七七五世帯から八七五世帯に増加しています。
 母子・父子世帯の変化を見ますと、一九九一年調査によりますと三九五三世帯のうち、母子世帯の割合は、1.8%であるのに対し、二〇〇〇年調査では、二八三一世帯のうち母子世帯は2.1%とわずかながらに増加しています。
 父子世帯については、一九九一年度調査で、全世帯数の0.28%、二〇〇〇年調査では、全世帯の0.42%となっており、0.14%の増加となっています。
 減少人口の内訳も補足しておきましょう。
 7を見てください。二〇〇〇年調査では、〇歳〜十四歳・十五歳〜六十四歳の人口比率が減少して、六五歳以上の人口比率が増加したことがわかります。
 8を見てください。改進地区においても、同様の傾向が見られます。

 以前より、ウェーブ21では、再三にわたりこの傾向を示し、人口変化の世代層が働き盛りの家族ごと流出しているという現状であり、多様な世代間交流の場の喪失を訴え続けています。
 全市の同和地区内の現状が、高齢化と父子・母子家庭の増加傾向を強く示し、多世代が多様に交流する状況には無いということを示しています。
 さらに世帯収入の状況を分析してみると、250万円未満の低収入層に中心が移動し、高収入層が激減しているという様子もうかがえるのです。
 将来の希望として、このままその地区に居住するかどうかを尋ねる項目では、78.6%の世帯が、「この町に住みたい」と考えていることがうかがえますが、その回答の半数が、世帯収入が「恩給・年金」「生活保護」世帯ということも明らかです。
 同和地区においては、安定収入層が減少して、低収入層が増加するという傾向は、今後も続くということが予測できます。まったく改進地区においても、同じ傾向が見られるのです。
 このことも、これまでウェーブ21が指摘し、スラム化と貧困化が進行しないかという懸念を訴えてきました。

 

「住環境と生活実態」

 次に住環境と生活実態という側面から、改進地区の現状を見て行きたいと思います。

 二〇〇〇年調査の結論から申しますと、平成三年から平成十二年の間、住居別の世帯状況は、体勢としてほとんど変化が無かったということです。

 市営住宅の比率が増加して、他の住居別世帯が減少しているように見えるのは、実際の変化ではなく、調査率・回答数の低下に伴ったみせかけのものであるという推測ができます。
 改進地区においても、市営住宅への居住比率は、63%となっていますが、回答率の低下は全市の傾向と変わりませんので、市営住宅への居住比率が増加したとは単純に言うことはできないでしょう。
 

「実際の住民の生活状況」
 11を見てください。
 改進地区の場合、有業者は、男性で52.6%、女性で26.2%、全体では37.3%でした。
 全市の同和地区の状況、有業者が全体で42.5%、無業者は全体で25.3%と比べて、無業者率が、たいへん高い比率となっています。
 このことは、高齢者層の急激な増加に比例した結果である一面と、若年層の就業状況に課題を見る事ができます。
 改進地区の場合、家計収入の種別を見てみますと、12のようになっています。「恩給・年金」による生活者が、一九九一年から二〇〇〇年までに大きく増加していますし、二〇〇〇年調査の段階で、地区住民の55%が「恩給・年金」「生活保護」により生活をしているという状況があります。
 年収別に世帯数を見てみますと、200万円未満の年収で生活する住民は35%を超えています。京都市の平均年収で市民一人当たりの所得が295万円であるので、平均所得以下の世帯がおよそ半数近くになる現状は、きわめて憂慮すべき状況でしょう。全市の同和地区住民の状況と比較しても同様の傾向にあるということができます。
 このような年収状況を世帯類型別に見てみますと、もっとも低位な数値を示すのが「高齢者世帯」であると分析できます。
 全市の同和地区では、100万円〜149万円の層は29.6%と最も多く、150万円〜199万円層が17.9%、200万円〜249万円層が13.7%と続いています。250万円未満が、78.5%という高齢者世帯の年収状況です。
 改進地区の場合は、250万円未満の世帯は、47.8%を占めており、250万円以上との境界数を含めると60%近くの高齢者世帯がゆとりとは程遠い生活状況であると予想できます。

 

「生活保護世帯」

 15を見てください。508世帯、17.9%が生活保護世帯となっています。

 二〇〇〇年の京都市の生活保護世帯数が19633世帯で、全世帯の3.2%の割合となっています。全同和地区では全市の五倍以上の生活保護率となっています。
 改進地区の場合、調査347世帯中、39世帯が生活保護世帯という回答で11.24%という比率になっていますが、改進地区の場合も回答率の低下は実数値を覆い隠していると多分に感じますので、実際的には、全市傾向と似通っていると判断します。

 重ねて、生活保護の受給期間の比較を見てみましょう。

 全市の同和地区では、10年以上受給している世帯が60.4%と最も多く、5年以上10年未満が11.8%、3年以上5年未満が5.7%と、長期にわたって受給する傾向があることを示します。

 改進地区においては、10年以上の受給者は61.5%、5年以上10年未満が12.8%、3年以上5年未満が5.1%というように、長期にわたって受給する傾向があると言えます。

 17を見てください。このような生活保護受給期間が長期化する要因を、世帯類型別に受給期間総数を見ますと、10年以上の受給期間では高齢者世帯が最も多く68.5%、障害者を含む世帯、母子世帯、父子世帯という順に多くなっています。

 高齢者に生活保護世帯が多いのは、当時の労働条件として、働き手として働ける場が、公的年金がしっかり整備されている場ではなかったし、そのような場で労働できる環境にも無かったということです。

 労働できなくなった時点で、生活保護に依拠せざるをえない生活実態があるのです。
 生活保護率は、母子世帯が全体の42.3%と高く、母子世帯に生活困窮世帯が集中しているのではないかとうかがいしれますし、10年以上の受給期間でも32%であり、それ以降、上昇傾向にあることは必至です。

 改進地区の調査データは、これも回答数の少なさから、信頼値としては低いかもしれませんが、母子世帯の10年以上の受給期間は75%となっており、きわめて憂慮すべき経済状況であるでしょう。

 改進地区に住む母子世帯のエピソードです。母はパートの清掃業務をこなし、当時、中学生、高校生、大学生という三人の子どもを養いながら生活していました。もし同和奨学金のような制度があればすぐに救われ、相談するまでもなかったかもしれません。この大学生の子どもが大学院へ進学することをケースワーカーに相談したところ「生活保護世帯の子が、大学院へ進学することは贅沢だ」と言われたそうです。

 公立高校に進学ができなければ、経済的な面で進学自体を断念しなければならないという状況も少なくありません。

 18を見てください。年代別に、教育の状況を見てみますと、五〇歳以上とそれ未満において異なった特徴が見えてきます。

 この母親の世代、四〇歳代と三十歳代を見てみましょう。

 全市の同和地区では、高等教育は二割以下、中等教育(高校)は5割、初等教育は三割という構成です。

 一九七一年以降、全市同和地区生徒の中等教育への進学率は90%以上の水準を数値的に維持してきましたが、初等教育の修了者が、四〇歳代で、38.8%、三〇歳代は、29.0%、二〇歳代でも19.3%あり、裏返せば、非卒業率(中途退学率)を示しているわけです。

総務省の二〇〇六年の国民生活基礎調査によりますと、母子世帯の平均所得年収金額は、211万9千円です。全世帯の一世帯あたりの平均所得額が563万8千円からすれば、きわめて低い状況であることが分かります。

 さらに、全市の同和地区における世帯年収は、先に14で見ていただきましたように、母子世帯の年収額は、半数近くの母子世帯が年収250万円未満ですから、国民水準よりもう少しきびしい状況であることがお分かりいただけると思います。

 

「福祉と生活実態の状況」

 これまで見てきましたように、改進地区と全市の同和地区の生活状況の実態は、その現象面だけを見ても、高齢化の急速な進行と福祉対象となる世帯の増加が顕著に集積した地域であるということがご理解いただけたと思います。
 では、もう少し詳しく高齢者の生活の状況について分析を追いかけてみたいと思います。
 高齢者世帯の居住状況についてです。住居別世帯数から見ると、高齢者については、80%以上が市営住宅に居住しています。
 このことは、同和地区の持つ居住にかかる特徴であり、高齢者だから市営住宅ということではないようです。
 京都市高齢者生活実態調査というものがあります。京都市が二〇〇〇年に六〇歳以上の市民を対象に行った調査です。これによりますと、京都市の高齢者は持家・賃貸アパート・借家の順に居住世帯が多いというのです。市営住宅は4.4%にとどまっており、この割合のほとんどが同和地区内の高齢者に当てはまるということなのでしょう。
 したがって、市営住宅に居住することが前提となっている同和地区内の高齢者の居住状況は、高齢者世帯の特徴でなく、同和地区内固有の特徴であると思われるのです。
 そして、高齢者世帯が居住に関して将来どのような希望を持っているかについての調査項目では、高齢者の78.6%が、将来もこの町に住みたいと考えているのです。
 この流動性の低さは、同和地区内での生活のしやすさが高齢者にはあるということでしょう。
 同時に、高齢者世帯の収入についても追跡しましょう。
 高齢者のみの世帯で、収入源は、恩給・年金が第一位、続いて生活保護ということになっています。賃金収入については、きわめて低く6%、全市の傾向の3割近くが賃金収入であるのに対して低い状況でもあります。
 20のように、これらの収入源に伴って、年収比較についても100万円〜149万円が28.6%で最も多く、150万円〜199万円が17.9%と続き、同和地区内においても収入の低い世帯が多いという状況です。

以上のことにおいて、改進地区では、市営住宅に居住する世帯が、63.1%を占め、この町に住み続けたいという希望世帯は、高齢者のみの世帯で86.5%を示しているということです。
 改進地区の高齢者世帯の収入源は、高齢者Aの世帯では78.2%が恩給と年金、約一割が生活保護という状況です。

 さて、高齢化に伴って浮上するのは「介護の必要な人・要介助者」の状況です。
 22によりますと、二〇〇〇(平成十二)年の要介助者数は290人で回答者数は6248人から六歳未満の被該当数247人を除いた要介助対象人口5901人の4.9%を占めています。1993(平成五)年には1.8%ありました。1993年の要介助者対象人口は8936人で二〇〇〇年は5901人、対象人口が34%減少しているのです。にもかかわらず要介助者数は159人から290人へと1.5倍増加しているのです。以上が87%をしめている状況になっています。
 改進地区の中で、次のような事例も見られます。認知症のある高齢者を近くに住む他の高齢者が介助しているということがあるのです。いわゆる老老間介護という実態も地域内の高齢化を強く反映している状況といえるでしょう。このような状況を生み出す生活環境で、充分な介護条件を確保し支援を受けることができるのでしょうか。

「介護保険の現状」

23を見てください。全同和地区において、介護が必要と回答した要介護者に介護保険の認定状況を聞いていますが、認定者は70%、不認定者は22.3%、無回答が7.8%となっています。
 これは二〇〇〇(平成十二)年の厚生労働省による「全国介護サービス世帯調査」が示す傾向と同様であったようです。
 24です。全市の同和地区において、介護について誰に相談しますか、という調査を見てみましょう。相談相手としては、「家族」が31.7%、「ホームヘルパー/ケアマネージャー」が25.5%、大部分がこの状況で、「無回答」が、18.6%あるということです。
 改進地区の場合も、回答総数は大変少ないのですが、家族が33.3%、ホームヘルパー/ケアマネージャーが11.1%となっています。無回答は33.3%でした。
  

「福祉と人権」をキーワードとするまちづくりにむけて行動するために

 これまで見てきましたように、改進地区のみならず、市内のいわゆる同和地区の生活実態と住民の現状から、特別施策が終結したとはいえ、高齢者コミュニティでぎりぎりのところで支えあっているのだという一面が明らかになったと思います。
 このコミュニティが崩壊してしまったあとはどうなっていくのでしょう。
 市営改良住宅に多く居住する高齢者の孤立は進みます。健康に不安があれば、引きこもりがちにもなるでしょう。収入が少なくなれば食べるものにも不自由をしなくてはなりません。
 同和地区の中が高齢者であふれ、結果的に改良住宅の建設により地域のよきコミュニティは崩壊しました。
 25を見てください。「京都市住宅マスタープラン2001〜2010」では、まちづくりを進めるための目標をあげています。

 

・多様な世代のニーズに対応した住宅の供給

・地域の福祉と居住の安定

・高齢者・障害のある人への住宅改善の支援

・良質な新規住宅の供給

・高齢者・障害のある人への良質な賃貸住宅の供給

・外国籍市民等の居住の安定

・住み続けられる住環境づくり

 

などを柱にしていますが、改進地区をはじめとするいわゆる同和地区の状況は、このまちづくりプランにそうことができるでしょうか。
 物理的表面的状況の変化は見ました。それでも地域改善が停滞したまま数年を過ごしたというのであれば、改善状況は風化し、新たなる負の連鎖や悪循環の構造が動き出すのではないでしょうか。
 流入人口は、社会的・経済的に困窮を極めた状況を持つことが多いわけですから、自浄努力だけで状況が好転するとは考えにくいでしょう。

 世代を交流させる多世代のニーズに沿う、のではなく、むしろ世代間を孤立させ分断し、コミュニティの崩壊を促している状況でしかないと感じることが多くあるのです。
 ウェーブ21は、「福祉と人権」をキーワードとするまちづくりを具体化したいと考え続けています。
 26を見てください。
 第一は、「多様な住宅建設の促進」です。現在の改進地区は、80%近くが改良住宅であることからの住環境を解消することからすすめたいと思います。分譲住宅・賃貸住宅等の多様化を促進していきたいのです。

 第二に、「応能応益制度の見直し」です。改良住宅の建設意義からすれば、劣悪な住宅からの住み替えと先住権の保障についてはこれをすすめるべきです。このことからして、一般公営住宅並みの扱いが改良住宅について適当なのかどうか、収入安定層の住民がすむことができる条件整備も必要なこととなります。
 第三に、「環境を保全し、安全性・利便性に適したまちづくり」ということです。 まちの区画の見直しを図り、通り抜け交通の課題を解消するために、道路の付替え、施設・設備の見直しを図る必要があるでしょう。
 第四には、「コミュニティセンターを拠点とした活動」を位置づけることです。同和行政から人権行政へとシフトするにあたり、地域の福祉行政を展開する拠点としての役割を明らかにする必要があります。公営でおこなうべきもの、民間レベルとの協力でおこなうべきものという性質を明確にして実施するためにも、関係機関と連携しておこなう拠点が必要です。就労支援・生活相談・生活指導の充実や強化はこれから不可欠です。多様な活動支援の拠点として人権文化発信の観点から位置づけていく必要があるでしょう。
 第五には、「教育活動の充実」という点です。保育所・学校・児童館・学習施設の連携によって、教育上困難な状況にある児童・生徒への学力向上への取り組み、進路保障の強化をすることです。教育について条件の悪い児童・生徒を切り捨てない環境整備を促し行動をする必要があるでしょう。

 第六点目は、「高齢者に対する対策を充実すること」です。介護保険の活用支援、独居老人の安否確認は大きな課題です。改進でも孤独死の問題や、これまで述べてきたような高齢化の急速な進行によるひずみと考えられる事象が増加しています。高齢者の改良住宅での孤立を防ぎ、介護保険制度の活用等の福祉面での権利の履行ができるように条件整備していく必要があります。
 第七点目には、「住民自治のまちづくり」をすすめることです。住民自治については、その確立に向けた支援体制は強化していかなければならないでしょう。 地区内にある施設の自主管理・自主運営についても必要なことです。 共同体意識は希薄になっており、自治機能の回復と再構成をめざす民間と行政の支援体制を形成していくことです。
 以上の七つの軸の提言によって、ウェーブ21は、まちづくりの具体化と行動化を構成していきたいと考えています。 みなさんは、改進地区に見られるような、高齢化にともなう課題や流入人口の貧困化の実態をしり、住民の中に生じる生活状況をお聞きになって、何をすすめていかなければならないか考えていただけるでしょうか。
 改進地区のみならず、すべての同和地区の現状と照らし合わせて、行動化する一歩を今確かに踏み出すために、協働すべき人々の結集が不可欠になっていると考えています。

二つの報告を受けてそれぞれの立場から意見を出していただきました。

 

フロアーからの意見

街づくりの関係とニュースで実際ああいう使い方(事務所として使っているなど)しているところがあるみたいです。カラオケをやっているところもありました。ああいうのを追い出さない限り街づくりはできないと思います。

フロアーの意見に対して

今の質問は、改良住宅の中で営業していることが問題であると指摘されていると思いますが、改良住宅は公営住宅とは建つまでの経過が異なります。一般公営住宅の場合単純に住まいに困っている人が住居を求めて公営住宅に入居されているわけです。改良住宅の場合、老朽危険家屋を売却・除却をおこなって空地に住居を建設し、次の建設予定地を売却・除却して限られたスペースの中で住居が建設される現地クリアランス方式によって実施されてきました。元々借家で商売をされていた人が同和事業を進めるために鉄筋のアパートに移ったからといってそれまで営業していた看板を下ろさなければならいということにはならないわけです。この意味において改良住宅の一室で営業しているからけしからんという報道の内容についてはこれらの経過を無視して差別を扇動した内容になっていたと言えます。

 

パネラーの意見 

部落解放同盟京都市協議会(以下、市協)議長の安田茂樹さんより

昨年、市協として取り組みを行ってきた内容であり、どの内容も非常におかしな点が多くあったと思います。振り返ってみますと村山祥栄さんの意見書も門川市長さんが「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」での報告の内容とほぼ同じです。

同和対策事業を打ち切ることが問題の解決になるというのなら大いに賛成ですが実態はウエーブ21の報告にあったように現状は悪くなっているというのが実態です。私たちは今後も部落差別がなくなるまで闘いを推し進めます。

 

部落解放同盟東三条支部の木下さん

差別を解消するために今何が問われているのかということについての意見が求められたと思うのですが、私は、この報告Tをおこなうために整理していて思ったことは、二〇〇六年のいわゆる不祥事が起こり点検委員会までの約三年間に起こったできごとは全て一定の方向につながっているのだと言うことでした。いわゆる不祥事だけが事実で後は、事実かどうかよくわからない点が沢山ありました。

例えば、村山さんの意見書で改良住宅の維持管理に一入居当たりに係る行政サービス費用の単価が八万円必要だと主張していますが、何と何を足したり引いたりしたら八万円なんていう数字が出てくるのかわからなかったので市役所の担当部署に問い合わせをしてみました。すると担当者もよくわからないとう回答でした。この根拠らしい根拠も無いまま村山さんは著書までだして同和特別対策を糾すといっています。また、ABC放送でも満足な調査をおこなわないまま報道したことが明らかになりました。

部落差別を利用して国民に分断を持ち込み、意のままに国民を操ろうとする政府のやり方には腹の底から怒りがこみ上げてきます。これを正しく理解してこれらの勢力と対決していくことが大切なことだと思います。

 

人権ネットワークウエーブ21 柳生さん

二〇〇六年の状態は、非常に危険な兆候だなと思っていました。大阪の幹部が逮捕された事件では、この幹部は元暴力団員であり駐車場運営で利権漁りを続けてきたということが報道の中心であったわけですが、その裏では大阪市や銀行はトラブル解決のためにその幹部を利用してきたわけです。それに対する見返りにいろんな利権を与えてきました。片方は部落民であるが故かどうかわわかりませんが、徹底的に攻撃されたけれども、それを利用してきた側の責任は一切問われていません。奈良の事件でも確かに清掃労働者という仕事を休んで奥さん名義の会社の入札に行くことは社会的に許されることではありません。しかし、そのことだけが問題にされてそれを許してきた体質はなんら問われないのです。京都の不祥事問題でも二〇〇六年には四十一人が処分されました。その中に解放同盟と関係のある職員も全てはありませんがたくさんいました。京都市は自らの責任を放棄して、解放同盟に言われて部落から人を雇ったことでこういう問題が多発したのであるからその責任は解放同盟や部落の人が問題であるとしました。そして当時の桝本京都市長の「優先雇用」発言がさらにこのことを決定づけました。これによって京都市の管理責任や不祥事を起こすようなシステムの問題は一切問われないのです。みなさんはこの問題を今の時点でどのような印象が残っていますか、解放同盟だけが悪かったということで終わっているのではないでしょうか。この近畿の三つの都市で起こった不祥事に対する攻撃、客観的な報道を見ていくと全て解放同盟が悪いと集約されていくのです。これを許してきた側の問題は一切問われていない実態は一体何を意味しているのでしょうか疑問です。

先ほども報告がありましたあの「ムーブ」報道などは京都市は悪いと言いながら、部落の無法を罰せない京都市の弱腰が悪いと言っているのです。しかも担当のデレクターは改良住宅の歴史的な経過やどういう状況にあるのかは一切見ていないただ現場に先ほどの質問があったように過去からの経過、何々建設組合とか何々組といった看板を掲げていることを誇大に宣伝しています。また、ある程度認められる範囲であったら公営住宅の中で開業してもかまわないという規定があるわけですが、京都市はそのことを言っているのですけれど、きっちりといわないものだからあのような言い方になってしまっているわけです。ましてや、改良住宅の場合は歴史的な経過で長屋の中で一軒親方をやりながら住宅に住んでいた実態を知っているわけですからなおさら言えないわけです。店舗付住宅もあるわけですがこれは、元々そこで飲食店の販売とかを営業している人だけに与えられる限られたスペースですからそこへも入れない。だから京都市も認めざるを得ないという経過があるわけです。そう言う歴史的な背景を全く理解しないで今回の「ムーブ」報道のようにマスコミを使って部落民ならやりかねないという構図の中でこういう攻撃がされてきたと思います。大変大きな問題なのです。

こうした攻撃は、部落に限ったものでしょうか。例えば高齢者のマル優の廃止から始まって老齢者の税金の控除が廃止され、後期高齢者の制度が成立しました。その反面国際競争力に資本を育成していくという理由で大企業優位の低い税制のままなにも手をつけられていません。

弱い人から搾り取るだけ搾り取っていこうということが客観的に明らかになっています。

今危惧していることは「生まれ落ちたる家で自分の一生が決定される」ということです。この状況から脱出するにはより高い教育を身につけることでこれまで実現できてきたのですが、これからはそのことが大きな借金となり身動きできなくなるシステムがもうそこまでやってきています。非常の恐ろしい状況にむかっています。私自身部落に生まれ両親や親戚は全て日雇い労働者でした。おそらく同和対策事業がなければ私も同じ道を歩いていたと思います。何とかそこから脱出できたのは同和対策事業があり同和教育があったから抜けてこられたのです。しかし、今は生れ落ちた状況によって自分の一生が決まるのがあたりまえとする身分制社会なっていくことを危惧しています。

 

人権ネットワークウエーブ21 北村さん

生活している人の姿が回りに伝わらないことをよく耳にします。だからそこに暮らす人たちがもっとも重要になっていくわけですけれども、そうしたことが覆い隠されて全体で動いていることが善であるかのような状態が突き進んでいくことはあまり良くないと思うのです。何々議員さんが学習センターに見学に来られました。当時私はその場所に勤務していたのですが、見学を希望された時間帯は子どもたちがたくさんおりまして写真など取られインターネットなどにのせられるのには不適切であると判断し、子どもたちが少ない時間帯に来られるようにお願いをしましたが、そのことを了解していただいたにも関わらず実際「本」に載ったときには、誰も使われなくて閑散としている教室と書いてありました。プロパガンダというのはそう言うものかもしれませんが一体何を信じていいのか私たちがしっかり把握しなければ真実は見えてこないのだと感じた体験でした。

実態とそれを実感すること、そこからなにかつながりがあって何かできないかなと小さく考えることが今大事にしていかなければならないことだと思っています。部落差別はなくなっていないわけです。今を生きる子どもたちやこれから生まれる子どもたちのためになにかできないかということを私たち一人ひとりに根づかしておく必要があると思います。ある日のテレビ番組の内容で一九六〇年代バスで黒人女性が白人に席を譲らなかったことからはじまったバスボイコット運動が放送されていました。その中で歩いている女性に「なぜあなたは歩いているのですか」とインタビューするシーンがあり、彼女は「私が歩いているのは子や孫のために歩いているのだ」と答えていました。そんな運動が大切なのだろうと感じているところです。

 

人権ネットワークウエーブ21 長谷川さん

「解決するために何が問われているか」ということなのですけれどもウエーブ21でもこだわっていますように二〇〇〇年調査で明らかになったように実態がどうであるのかということがまず大切だと思います。この実態抜きに何が問題で何をどのように変えていくのかということが見えてこないわけです。今回発表するためにいろいろと調べている中でわかったことがあります。具体的な事例を紹介したいと思います。

二〇〇八年四月から特定健康審査・特定保健指導を実施するという事が各医療保険者に義務づけられてきたのです。これによって四〇歳以上を対象にした市民検診に変わって各医療保険者から検診の案内が各対象者に送付されることになりました。やがて九月の市民検診の案内が届かないことを不思議に思った人たちが相談していたところ一人の人がたまたま捨てずにもっていた書類の中に受診申込書があることに気付き現状が理解できたわけです。しかし結果は例年に比べて検診が受けられなかった人が多かったようです。これをどのように考えるのかといえば制度変更のお知らせは届いていたのかもしれませんが、教育を受けることができなかったことから文字の読み書きができない住民には全く情報が届いていなかったわけです。制度変更のお知らせと言う一枚の紙切れがどれほどの有効な手段だったのかを問いたいのです。

もう一つ気になることがあります。いろいろなお知らせや案内がインターネットや市民新聞に掲載しているからそれ見てくださいといったことを最近よく聞きます。しかし、インターネットで情報を得るにはパソコンが必要だろうし、市民新聞は文字の読み書きができない人には情報が伝わらないわけです。市民に情報が届かなければ届くように努力することが行政の任務だと思うのですが、現実にはそうした情報を得られない人に責任があるかのような風潮になってはいないでしょうか。少なくともそうした社会的な関係に今も参加できない部落の人がいることは事実です。ここに部落差別の結果があるわけですが、四月から生活相談事業は廃止されます。今こそこのような事業が必要なときだと思います。

 

安田さん

先ほど言いました隣保館事業がこの四月から廃止されます。私たちは事業の存続を求めて署名活動を取り組みました。町内の各家庭を訪問させていただいたわけですが、その時に感じたことは鉄の扉に閉ざされて家から外へ出られないおじいちゃんやおばあちゃんがいるということです。このお年よりは普段どんな生活をしているのか、何を食べているのかと思う家庭が何軒もありました。とりわけある認知症の老人は自分の家に鍵をかけて出かけたのですが、家に入るために鍵を開けようとするとその鍵がどこへ無くしたのかわからなくなるという事故も起こっています。この老人がある日、道でつまずいて倒れて大怪我をされました。しかし、身よりはありません。身の回りの世話をする人がいないわけです。他にも風呂に入ることができないとか、洗濯機が使えないという実態があるわけです。もちろん地域の自治というもので対応していくことは当然のことだろうと思いますが現実にはそこまで意識として高まっていない現実があります。門川市長は命と暮らしを守る実践をしていかなければならないとおっしゃっていますが本当にこれが実現するのか疑問に思います。実現するためにも京都市議会にも働きかけをして老人福祉の問題をはじめ人権問題に取り組んでいかなければならないと思っています。

 

フロアーからの意見

コミセンの廃止の内容は解放同盟の事務所としての施設を廃止するという意味なのかそれとも福祉事業の廃止を言われているのかという点について教えてください。また解放同盟の各支部の事務所があると思うのですがその場所を使って認知性などの対応も考えてみてはどうかと思いますがどうですか。さらに、生活保護生態が部落の中にはたくさんあるがどのように考えるのかという点や、「法」的な特別措置が廃止されたあと解放同盟としてどのような活動をおこなってきたのかという点について教えてほし。

 

安田さん

京都市内で解放同盟の事務所を隣保館の中に持っているというのはどこもないと思います。

次に生活保護世帯が多いと言う問題ですが高齢者の場合、無年金の人や、少ない年金しか支給されていないなどの実態があります。そして、若年者の生活保護受給世帯も教育保障が不十分で所得を得るための学歴や学力が今のところ備わっていないなどの理由があると考えられます。しかし、現状の生活保護制度は自立のための取組はあまりおこなわれず、どちらかといえば自立を阻む運用になっている側面もあるように思います。私たちも基本的には働いて生活していくという考え方に賛成です。そのための自立の条件をみんなといっしょに考えていかなければならないと思っています。

また、特別施策としての「法」期限が切れた後の取組に対する質問ですが、部落差別の結果低位な生活実態に放置されてきたわけですから行政の責任において部落の人が社会参加できるための条件を整えていくというのが同和対策事業であったわけです。緊急的な事業については一定の成果が現れたため二〇〇二年三月末で終焉したわけですが、生活実態に多くの課題が残っていることは明らかです。この実態の原因はやはり部落差別の結果であることは事実ですから、一般対策で保障すべきであるというのが基本的な考え方だと思います。そのために部落の実態が今どうであるのかを問うことからはじめなければならないわけです。そのための部落の生活実態調査を早急に取り組まれることを望みます。

 

山田さん(司会)

以前にもこのような啓発の場でお話させていただいたことですが「やせるには○○の食品が効果的」とテレビで放送された翌日には、その商品は品切れ状態になるといった出来事がありました。そして、あるときそれはテレビ局の捏造であったことが発覚しましたが、日本全国に波及する効果は凄いものでした。

正しいことを正しく見る。単に一面的な現象面だけではなく、内容を理解して判断しようとすれば、その中に入っていかなければできないことはたくさんあると思います。一面的な理解だけで判断するのではなく物事を理解しなければならないと思います。

そこで本日のサブテーマである「部落問題は部落の人の問題から市民すべての問題へ」ということなのです。確かに、今、部落の中にある実態というのは部落外でも高齢者の問題や子どもたちの問題、また若者たちの仕事の問題など同じような問題がたくさんあります。けれどもなぜ部落問題を取り扱うのかという理由は、そこに社会的矛盾が集中しているわけです。そのことをしっかり見ていかなければならないと思っています。そこで安田さんの話の中にあったように一九六九年に同和対策法が施行されました。これはいわゆる生活実態が落ち込んでいる地域に特別対策としての土を入れていかないことには格差を是正することができないということで対策事業が始まっていくわけです。

これは確かに部落の劣悪な生活実態を改善していくために特別対策として実施されてきたわけですが。表面には現れにくいのですが一般の福祉施策の底上げも合わせてやってきたことは事実だろうと思っています。この点を見のがしてしまえば必ず社会的弱者といわれる高齢者や子どもたち、生活困窮者など社会的に弱い立場の人たちにどんどんどんどんそのしわ寄せがおこってくる。現実に同和対策事業の終焉と同時にその他の福祉施策の縮小や終了が進められてきていると思います。このことから部落問題は部落の人の問題だけではなく全ての人の問題だというなげかけをさせていただいているのです。

マイノリティの少数派の問題だから放っておいてもよいということではなく、この問題を放置しておくことで、女性問題や高齢者問題をはじめとするあらゆる人権問題を放置することになるということを是非とも受け止めていただきたいと思います。

新聞等でご存知のとおり京都市の予算が発表されています。そして、財政事情が非常に厳しいわけですが、痛みを伴い共に汗をかくということで何とかやっていきたということが述べられておるわけですが、門川市政が誕生してから京都未来まちづくりプランというのが発表されましたのですが、その中で何を言っているのかといえば子どもに笑顔を若者に夢をお年寄りに安心と生きがいをということを大きく掲げています。そこで今日の内容が見過ごされて、本当にこういう姿が実現できるのだろうかということを一つ考えていただきたいなと思います。

最後になりますが今日のこうした報告を受けて今何が問われているのかという内容を含めて最後にパネラーのみなさんから少し話をしていただきキーワードなんかいただければありがたいと思います。

木下さん

今回の京都市のやり方については全く許せない思いがあるわけですが、私たちは過去の実績もありそれなりの影響力もあることから、京都市は十分な準備をして最後には一気に畳み掛けるという内容で事業の打ち切りをおこなってきました。しかし、もっと少なくて社会的影響力が小さい集団であったなら露骨に攻撃を仕掛けてきただろうと思います。この意味でみなさんがいろいろな社会問題に関心をもっていただき現実をしっかり把握していただきたいと思います。事実を正しく認識する。そして、連帯していくということを大切にして今後も運動を続けていきたいと思います。

柳生さん

人権とは命を大切にすることだと思います。命を粗末にされた人に焦点化された取り組みというのが一番大事だと思います。

例えば部落の文字の読み書きができない高齢者や貧乏で頼るところが少ないこういう人たちは本当に命を粗末にされているわけです。最近「貧困大国アメリカ」という本を読みました。まさに今アメリカで命が粗末にされていることがこの本を通じて知ることができました。少し紹介しますと、貧困者を対象に非常に高い給料で人員を募集し、内容を知らせずに連れて行く。その先はイラン戦争の後方でトラックでの物資輸送や機材の処理などに使われているようです。しかし身体を守る防御を何もさせないで中性子爆弾などに被爆して帰ってきたり、攻撃されて身体に障害を負ったり、最悪は命を落とすという状態だそうです。それでも二束三文のお金しかもらえないわけです。これはまさに貧困というものが、食っていくために仕方がないので身をすり減らして働かなければならないわけですね。その前には借金漬けにされている実態もあるわけです。命を大切にされない貧困というのはそういう大きな要因を持っています。

これは何もイランだけのことではなくこの日本でも恐ろしい話を聞きました。解体業でアスベストが問題になっていますね、その建物の解体をするには人体を防御する設備や道具が必要だし経費が必要になるわけです。ところが安く請け負う業者があったわけです。この業者はどうするかといえば防御もさせないでその解体作業に何も知らない外国人を従事させるわけです。まさに命が粗末に扱われることが大きな人権侵害だと思っています。部落は昔封建者も多く、命が粗末にされている人が大変多かったわけです。けれども要求を出して闘いをしてなんとか乗り越えてきました。私たちは運動を通じて思う事の本質というのは、まず自覚して要求を出して闘っていくことだと思っています。しかも今分断され切り捨てられている底辺層の人たちが手をつないで共に立ち上がっていくことが私は大事だと思っています。ですから人権ネットワークウエーブ21という名前は命を大切にするネットワークを作ることが実現できる21世紀にしていこうという思いで名前をつけました。この意味において命を大切にするということをキーワードにして再度英知を出しあい不合理なものに対して不合理だといいながら是正していくこういう取組が私は大事だと思っています。

北村さん

ウエーブ21の活動を通じて、住民の方と話をさせていただいた中で感じることは、丁寧に実態の把握をしなければならないということです。誰かにたよってその数字を鵜呑みにしたり現象化された内容をそれに違いないと思い込んでしまったりする。

歴史というのは誰かが作ったものではなくて、地元の人達や、生きている人たちが編み上げてきたものですから、それを誰かの変な力で無理に正当化されるのではなくて、そう言うことだけを認識することで誤った認識をしているということを大切にして危機感を常にもっていきたいなと思いますし、一人ひとりの子どもや大人たちのつながりが見えてくる活動であればいいなと思っています。

長谷川さん

私のキーワードは二〇〇九年調査の実施だと思います。施策の実施や廃止には何らかの根拠が必要です。その根拠を明らかにすることからはじめて同じ立場で論議されるのが正しいと思います。部落だけ事業をしているからやめるというのではなくて、同じような条件で暮らしている人にも施策を実施すべきであると考えます。こうした声がでてくるような状況をこれからの活動にしていかなればならないと思います。

安田さん

先ほどから隣保館の話を一貫していますが、これは部落の人のためだけに隣保館があるわけではないのです。いわゆる困っている人たち、弱者を救うために、部落周辺地域も含めて取り組んでいく、そう言う意味では地域福祉の拠点として隣保館があるということを広げていくことがこれからの人権を保障していく視点だと思います。

この意味において京都市の地域福祉計画の中に隣保館が位置づけられてなければダメだったと思うのです。今後も京都市の地域福祉施策の一端を担える機関として隣保館を位置づけるよう求めていきたいと思っています。今後も私たちは部落問題をはじめあらゆる差別の克服をめざして闘って生きたいと思っています。

山田さん(司会)

本日の分科会でいろんな事を提起してまいりました。参加されたみなさんが自らの問題としてとらえるならば、必ずその真実は見えてくるということを訴えて終了します。

    

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