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第38回部落解放研究京都市集会

  分科会

だれもが、安心して住み続けられる、福祉と人権のまちづくり

     〜各地区のまちづくり運動の現状と課題を明らかにし、

               福祉で人権のまちづくりをめざそう〜

                           京都会館会議場

 

日   時  2007年2月17日() 午後1時30分〜午後4時30分

会   場  京都会館会議場 参加者数40名

司   会      谷口 眞一 〔部落解放同盟京都市協議会〕

コーディネーター   宮崎 茂  〔京都市職員部落問題研究会〕

報告者・パネリスト  安田 茂樹 〔三条まちづくり協議会座長〕

           井ノ口勝彦 〔千本ふるさと共生自治運営委員会事務局長〕

           平井 義也 〔京都市都市計画局住宅室住宅政策課長〕

記   録      山中 武志 〔部落解放同盟京都市協議会〕

           小林 茂  〔部落解放同盟京都市協議会〕

 

< 討議の柱 >  宮崎 茂 

田中入れると7箇所でまちづくり協議会がある。これまでは改良住宅の建替えが中心だったが、色々な住宅施策を勉強し、これまでと違う取組みをやる動きが出ている。千本のコーポラティブ住宅の取組みについて、じうんの井ノ口事務局長から報告いただく。色々な課題については、後半に議論をしたい。次に、三条まちづくり協議会は、15年前の差別落書き事件をきっかけに立ち上げ、取組まれている。平井課長からは、京都市が各地区のまちづくりをどのように進めてきたか、京都市が打ち出している新景観政策では、ほぼ全地区で建替えに影響してくる。そのへんについて報告してもらう。

 

< パネラーからの報告 >

井口:楽只地区では1950年代から80年代にかけて住環境整備が行われたが、改良住宅の狭小や、老朽化などにより市営住宅では満足しない青年層が流出し、子供の減少や高齢化が目立つようになり、その結果地区内のコミュニティが弱体化した。そこで、行政と地域の代表だけのまちづくりでは駄目ということで、1993年に地元まちづくり組織である千本ふるさと共生自治運営委員会(「じうん」)を設立した。

じうん」が住み続けられるまちを作るきっかけは、改良住宅の建替えであり、自分たちのまちは自分たちで作ろうということで、住民の意見を反映させたワークショップ等を行った。その結果共用部のエレベータホールや玄関の引き違いの扉かドアかの選択、対面キッチンの選択が可能になった。間取りだけでなく、コミュニティを深めるためにも住棟に愛称をつけて、これからの住み方のルールなどもワークショップで決めた。

また、「じうん」では市営住宅の建替え以外に多様な住宅供給について検討した結果、持ち家に住みたいという要望があり、1996年「じうん」から京都市へ、「じうん持ち家プロジェクト」として要望した。ただし、千本は敷地が狭く、持ち家を持つには地区外へ出て行かねばならないという状況があった。そこで、集合住宅としての定期借地権付きコーポラティブ住宅を考えた。これは家を建てたい人が集まり、協同して自分たちの好みに合った質の高い住宅を作ることができ、その過程で良好なコミュニティも形成でき、また、一人ではできない共用スペースを生み出すことができるまちづくり発信型の住宅供給だ。また、広告費やモデルルーム建設などの費用が不要で、自分たちで出資金をつのり口コミや学習会を開いて入居者の募集を行うことで、少ないコストでこのプロジェクトを進められた。

   20042月に募集ビラを出し、初めは結構集まったが、思ったより土地が狭いなどの理由により、次第に参加者が減り、4家庭、4軒になった。そこで、イメージがつかめるよう4つのパターンをつくり、これを基に追加募集をした。また、集まった4件で準備組合として大阪のコーポラティブ住宅、現代長屋TENに見学に行った。そこでも、組合結成までに15名程のメンバーの入れ替わりがあったなど、建設に取組む際の苦労話を聞けた。千本でも、1520人メンバーが入れ替わった。初めは9軒で行う事業でしたが、20059月に集まった6軒で建設組合を結成した。設計士は6名から、プレゼンテーションにより決めた。その後も、奈良の青山コーポを見学し、自分の家のイメージが広がったところで、隣同士で配置などについて検討し、概ねできたところで、模型を作り、模型を中心に共用部をどうするかなども検討した。そして、200717日にはようやく地鎮祭を行った。今年は暖冬だが、この日だけ大雪で、忘れられない一日となった。

93年に立ち上げて、今年で「じうん」は15年を迎えた。結成当時のキーワードは15年を経て、抽象的なものから具体的なものへと思えるようになった。市営住宅の留学生の受け入れはその具体的な実践だ。さらにこのキーワードが広がるまちづくりを実践していきたい。最後に、住民はもちろんのこと行政、専門家、京都精華大学の葉山先生、ケースの寺川さんを始めとする様々な人たちの協力がなければこの取組はできなかった。こうした取組への行政の支援の充実をお願いしたい。

安田:部落問題、部落差別とまちづくりの関係について、三条の具体的な事例として、まちづくり協議会ができるまでの話をする。三条まちづくり協議会は199410月に発足。この協議会は、東三条の同和地区だけでなく福祉地区の各種団体がすべて入り、当初18団体で結成するという、当時は画期的なことだった。当時、同和地区と福祉地区が一緒にものごとを進めることはなかなかできなかったが、それを克服して、三条のまち全体について一緒に考える団体を作った。19934月に三条の同和地区で差別落書き事件が起こった。5台の車に180字の落書きが、窓やボンネットに沢山書かれた。当時同和地区には不法駐車が沢山あった。同和対策の法があった時代に、総合計画が作られ、古い密集した家屋を全部つぶして、改良住宅を建てた。しかし、駐車場は、車を放置しても仕方がない状況だった。その部落の実態を見て、差別落書き事件が行われた。そこで、この原因はまちづくりにあるのではないかと指摘をした。1979年に三条で大きな火災が起こって48世帯、124人が焼け出された。道路が狭く、消防車が入れないこと、路上駐車もあり、初期消火が非常に遅れたことが大惨事の原因だった。しかしそれが、1993年の時点でもこの火事が起こったときとまったく同じ道路状況だった。99パーセント三条のまちづくりは完成しているのに、そのまちを見て差別事象が起こるということは何が問題なのかと追求した。その中で、当時環境改善のなかで、なぜ部落だけ安くアパートが借りれて、新しい団地が建つのかというねたみもかなりあった。その問題を解決するには、三条のまち全体をみんなで考える共同の取組みが必要だということが、三条まちづくり協議会を発足させる大きな要因となった。京都市もずいぶん当時力を入れてもらった。1993年に起こった差別落書き事件に問題に取組む中で1994年に三条まちづくり協議会が作られた。京都市も同和地区だけでなく、三条の鴨東地区、福祉地区の環境改善も合わせて取り組むということで、基本構想のなかでは、実は真っ白で計画さえ書かれていなかった場所だったが、取組みが始まっていった。まちづくりとは、差別を解消する取組みとして、まちづくり運動として展開を始めていく中で三条まちづくり協議会が作られた。

 こういう中1994年から現在まで手早く紹介する。三条たすけあいまちづくりの取組みでは、夢・未来・創造・共生・開放の5つをコンセプトにやってきた。三条まちづくり協議会の設立趣意は、まちづくり協議会の憲法を書いたもので、その下から4行目に、「三条に住み暮らしている私たちだけでなく、この地域にかかわるすべての人々がまちづくりの主役です。行政に要求するという今までのかたちから、共に考え、共に作り出し、共に前に進むまちづくりを目差しましょう。部落問題をはじめあらゆる差別を許さず、人間が尊敬しあえる社会の創造を目指して、私たちのまち三条を、ともに力をあわせてともにつくりあげていきましょう。」この目標、精神、人間が尊敬しあえる社会の創造というとこをみんなでやっていこうということだった。

三条地区の実態だが、二丁目と言って三条通に面しているが路地がまだたくさん残っている。こういう密集した狭い、昔の同和地区の私たちが住んでいた、なんかじめっとした、湿気が多い感じのところがまだ残っている。若竹・若松町地域は、緑が多く、花を育てるとかいうことが地域でされていた。地蔵さんもたくさんあり、地蔵盆も賑わいがあった。まちづくりを「た・す・け・あ・い」をコンセプトにした。楽しい地域が出来るようなまちづくり、住みよい実現可能なまちづくり、健康で安心して暮らせるまちづくり、明るくふれあいのあるまちづくり、いつでもどこでも人間が尊敬しあえるまちづくり。また、体験学習として、地域を歩いてみることも取組んだ。それを受け、ワークショップも行った。三条は、三条大橋、三条京阪という繁華街にも近く、文化的な寺社仏閣が周りにあり、京都の玄関口としての東三条、京都市の最大の商業業務の集積地である。祇園とか遊興のまち、伝統的なものもたくさんある。まちづくりの目標である助け合いの観点に建ちつつ、京都の都心に育まれた伝統文化の再生、創造、継承していく賑わい作りを図っていくということだ。この協議会では94年からまちづくりフェスタを行っている。18団体が力をあわせて、模擬店などを協力し合ってやっている。木工教室や、授産施設のパン販売などもやっている。また、まちづくりの発表をイベントを通して、住民の人たちにも知ってもらった。若い人が歌ったり、三条まちづくりの主題歌を作ってもらい、10何年来一緒に取り組みをしている。花いっぱい運動は、まちづくりとはまちを実際に運営していくのはこれから育っていく子供たちということで、子供たちを中心とした取組みとして、まちづくりフェスタで呼びかけ、自宅で球根からプランターで育ててもらい、若松通に並べる取組みだ。2003年に竣工した三条21棟は福祉地区の鴨東地区、若松若竹町の人たちが住まれる住宅だ。また、1・2棟の建替え事業として、三条13棟を2005年に竣工した。従来型の決められたものではなく、住民が参加して住宅作りから取り組んだ。

平井:「まちづくり」をとりまく今日的情勢ということを報告する。

まず戦前の住環境整備だが、1927年(昭和2年)に現在の「住宅地区改良事業」の前身になる法律の「不良住宅地区改良法」が制定され、日本の住環境整備事業がスタートした。京都市でも、この法律に基づき、1939年(昭和14年)に「京都市不良住宅地区改良計画」を策定し、楽只、養正、錦林、三条、壬生、崇仁、竹田、深草の8地区において計画はされたものの、戦争により事業はされなかった。

戦後、京都市では、1950年(昭和25年)11月に「京都市不良住宅対策委員会」を発足させ、楽只、養正、三条、壬生の不良住宅調査が実施した。一方、国では 1951年(昭和26年)に「公営住宅法」が制定され、恒久的な事業として今現在も住宅政策の中心となっている。このような中、1953年(昭和28年)に錦林において、京都市の同和地区では初となる市営住宅が公営住宅の予算の中に特別の枠で作られた。その後、1960年(昭和35年)に住宅地区改良法が制定されるまでに、楽只、養正、錦林、三条、崇仁で合計270戸の住宅が建設された。

この公営住宅法による住宅の建設は、不良住宅の除却に関する法的根拠や予算的な裏付けもなく、地区全体の面的な整備が図れなかったため、 1960年(昭和35年)には「住宅地区改良法」が制定され、我が国の住環境整備が本格的に始動することとなった。

京都市では、この住宅地区改良法による住環境整備にいち早く着手し、法が成立した1960年(昭和35年)には、楽只、養正、三条、崇仁で地区指定を行い、その後、錦林、壬生、改進、久世、辰巳と続いた。清井町地区は、改良事業より規模の小さい小集落地区改良事業で事業を実施した。

その後1969年(昭和44年)には、「同和対策事業特別措置法」が制定され、住環境整備事業においても財政上の特別措置が講じられるなど、事業推進に当たっての大きな裏づけとなった。この「同対法」は、その後色々な変遷があり、2002年(平成14年)3月末に失効した。

「京都市住宅マスタープラン」は、本市の住宅政策を総合的、計画的に推進する基本的な指針であり、 施策展開の基本方針として、一つ目は「多様な世代のニーズに対応した住宅の供給」、「福祉と居住の安定」、「住み続けられる住環境づくり」を支援するのが大きな方針だ。二つ目は、すまいの質を高める仕組みづくり、いわゆる住宅の質の向上、ストックの活用などで、三つ目は 市民、事業者、行政の信頼関係の構築と連携の仕組みづくりだ。同プランは、2010年度(平成22年度)を目標年次としており、現在、今日的な情勢やこれまでの成果を踏まえた見直しについて検討しようとしている。

次に住環境整備の部門でも、「パートナーシップによる住環境整備指針」を「2000年(平成12年)に策定している。主な検討課題として改良住宅等の狭小、老朽化による建替問題がある。改良住宅の建て替えに当たっては、個々の住宅の面積が広くなるが、地区によっては狭い敷地に目いっぱい住宅が建てたため、容積率や高さの規制などにより従前入居戸数を確保できないケースが今後出てくると想定される。世帯人数に合った住宅の広さなども検討する必要があると考えている。また、すべての改良住宅の建替えについては、資源の有効活用という観点からもストックの活用を図らなければならない。

次に、駐車場問題だ。元々改良住宅では駐車場が設置してなかったが、緊急的に駐車スペースを設置してきた。残念ながら、昨年、市議会において、緊急的に整備した駐車スペースの土地の使用料を未だ免除しているところがあることは、市民の共感が得られないという指摘を受けた。改良住宅の駐車場については、地区内の敷地が限られているため、駐車場としての整備が進んでおらず、緊急的に整備した駐車スペースについては、土地の使用料を免除するという取り扱いをしてきたが、本年4月から使用料を徴収するということでお願いしている。

次に高齢化等による地区活力の低下の問題だ。少子高齢化の進展や所得階層の二極化に伴う世帯構成の偏りが顕著になる中で、応能応益的家賃制度の導入による中間所得層の地区外流出も指摘されており、さらにそれらの傾向は強くなっていると考えられている。また、高齢者の孤独死等の問題も生じている。

住民のまちづくり組織との連携について、これまでの住環境整備事業では、同和地区の格差是正という所期の目的は達成されつつあるものの、住民の自立意識の高揚を妨げるような行政依存の傾向を生み出してきたことも否定できないのではないかと考えている。住民の自立支援の視点を大切にしながら、住民と行政による協力連携のまちづくりによって事業を進めていく必要があると考えている。

京都市では、これらの検討課題を踏まえ、目指すべき施策の目標像として「住み続けられるまち」の形成を掲げて取組みを進めている。これまでの、地区に限定した特別施策によって「住み続けられるまち」の形成を図るのではなく、地区住民による自主的な取組と一般施策としてのまちづくりに基づいて、その実現を図ることが必要である。

このような考えに立って、「多様な住宅供給」、「地区内の公共施設等の一層の活用」、「住民による自立的なまちの運営」を「住み続けられるまち」の形成に向けての3本の柱と考えている。

 まちづくりの進め方に掲げているのが、「住民と行政による協力連携のまちづくり」である。事業を推進する上では、住民の主体的な取組が不可欠であり、その取組を先導する「まちづくり組織」が、一層重要な役割を果たすことが期待されている。

京都市では、住民によるまちづくり組織を支援するため、2001年(平成13年)から「すまい・まちづくり活動支援制度」を設けている。この制度は、まちづくり活動組織等による自主的な活動を支援するとともに、事業の円滑な遂行を図るため専門家を派遣するものである。これまで、楽只・養正・錦林・壬生・辰巳で支援を行っている。

次は、「まちづくり」を取り巻く今日的情勢を報告する。2006年(平成18年)6月に施行された「住生活基本法」は、人口・世帯数の減少と、住宅数が世帯数を上回っている状況、少子高齢化の急速な進行や住宅困窮者の多様化など、社会情勢の変化に伴う新たな課題への対応が求められる中で施行された。「住生活基本法」は、住宅建設重視の「住宅建設計画法」に代わり、住宅単体のみならず居住環境を含む住生活全般の安定と向上の促進に関する施策について定めており、住宅の「量」から住生活の「質」の時代に転換されたと言うべきである。国では、これを受けて昨年9月に「住生活基本計画(全国計画)」が定めた。

計画では施策についての横断的視点として、作っては壊す社会から、いいものを作ってきちんと手入れして、長く使う社会への移行を重視した「ストック重視の施策展開」など、 4つの横断的な視点を基本としている。計画に掲げられた目標は、「良質な住宅ストックの形成及び将来世代への継承」、「良好な居住環境の形成」、「国民の多様な居住ニーズが適切に実現される住宅市場の環境整備」、「住宅の確保に特に配慮を要する者の居住の安定の確保」である。

一方、京都市では、既に策定している「京都市住宅マスタープラン」と国の「住生活基本計画」が、ともにストック重視や地域の特性を踏まえた住宅政策の推進など、目標とすべき施策の方向は一致してはいるが、「人口・世帯減少社会に対応した住宅政策の検討」を進めている。

 次に今日的な情勢として背景の一つとして視野に入れておくべき問題として、市営住宅の家賃に係る問題がある。京都市の改良住宅では、平成12年度から一般公営住宅と同様の応能応益的家賃制度を導入しているが、この家賃制度に関わる制度改正について、昨年夏に国土交通省が改正案を示している。公営住宅管理制度のうち、現行の入居収入基準や家賃算定に係る係数等は、1996年(平成8年)の設定以降10年が経過しており、現在の世帯所得の状況や住宅市場の動向との間に隔たりが見られ、公営住宅の入居者と公営住宅に入居できていない者の間で公平を欠く事態も生じていると考えられている。

 このため、公営住宅制度が将来にわたり住宅に困窮する低所得者の居住の安定を図る役割を確保し、真に住宅に困窮する世帯の入居を促進するなどの観点から、住生活基本法と併せて、公営住宅法施行令等の一部を改正し、入居収入基準や家賃制度の見直しを行うというものである。

当初、国土交通省は、この改正を2008年(平成20年)4月から適用する考えだったが、制度改正が1年見送られ、2009年(平成21年)4月から適用される予定ということである。また、今後は入居承継のあり方や家賃減免のあり方も改正されることが考えられる。

今日的情勢の最後に京都市の新たな景観施策が大きく取り上げられようとしている。この京都市の新たな景観施策は、50年後、100年後を見据えて、歴史都市・京都の景観の保全・再生を目指すものである。見直しのポイントは、三方の山並みや京町家等の伝統的な建物との調和を図るための高さの見直し、京都らしい景観を継承するための、決め細やかなデザイン基準の見直し、美しい景観を創出するための屋外広告物の見直しのこの三点である。これらの見直しについては、改良住宅の建替えを始めとする「まちづくり」にも反映されるべきものであり、今後、大いに論議すべき課題ではないかと考えている。

宮崎:地元からまちづくりの取組みの報告、平井課長からは、市営住宅でアクセルを踏んでいるけど、片一方で公営住宅法の改正と景観政策の問題でブレーキを踏むという状況になっている。我々は、ハンドルさばきを間違えないようにしなければならない。

 

< パネルディスカッション >

宮崎:千本のコーポラティブ住宅だが、これは、京都市から土地を借り、資金を金融機関から借りて集合住宅を建築し、そこに住むというものだ。説明では、最終7軒だが、途中増減があったということで何か原因があると思う。安定した経済力がなく、土地が市の土地で、建物はこれからという状況では、なかなか銀行は貸してくれないと思う。そういう経済的な問題とか、7軒の人間関係とかを聞かせてほしい。

井ノ口:融資は、公庫融資を利用している。人集めだが、始めは興味本位でかなり集まったが、自分の意図と違ったり、近所付き合いがいやな人は離れていった。今集まっている7軒は、コーポラディブの趣旨を理解し、建物もコミュニティも一から作っていこうという協力的な人たちなので、今のコミュニティが形成されながら、建物ができていくことになる。

宮崎:いつ頃完成するのか。

井ノ口:順調にいけば6月には完成予定だ。

宮崎:全国的に事例のない住宅が、6月頃にはできるそうなので、各地区のまちづくりの参考にしてもらいたい。次に平井課長に今の話、改良地区で住宅敷地目的で建設省の補助金を利用して土地の買収したと思うが、その土地に建てるのか。また、厚生省の補助金で保育所を建てた用地を、保育所が不要になって潰してそこにまちづくりで何かを建てたい時はどうなるか教えてほしい。

平井:千本の場合は国交省の土地でちょうど改良住宅の建替えとセットでその部分の用途を廃止して、住民が使える用地を生み出した。これを保育所の跡地に活用することになれば、おそらく補助金を国に返ことになると思われる。現在、京都市の財政が厳しい中で、それが可能かということはそれぞれの所管されているセクションの考え方があり、すぐに、はいわかりましたとはならないと思う。

宮崎:三条の場合、新景観政策の関係で、高さ制限でほとんどの住宅がアウトだ。

平井:そうですね。

宮崎:住宅の周りに保育所用地とか結構空いている。そこに建てたらいいという意見が住民から出る。行政は支援と言いアクセルを踏んでながら、片一方で、公営住宅法での家賃の問題、新景観の問題でブレーキを踏んでいる。これから三条でも建替えがあると思うが、三条は街中なので高さの規制が緩いかなと思っていたら、さっきの絵を見ていたら三条は厳しいと思われる。

安田:私鴨川の西側から東山を望んでいると、ばっちり市営住宅が見える。部落の土地自体は狭く、そこに人口も多かったので、無理やり高い住宅を建てた。これは同和対策事業をより早く進めないといけないという当時の京都市の住宅政策で実施された。本来なら建築基準法に引っかかるような住宅が沢山ある。住んでる側からいうと、こんな住宅を建てていることがそもそも問題だ。昭和2627年のマスタープランの最初の西山夘三さんの計画では、2階建ての低層の住宅が三条京阪から東大路まで、並んでいた。事業が進む中で、高層住宅になった。住民は望んでないのに、高い建物を建てておいて、高さ制限を加えることを突然言ってきた。この景観政策は私のところの問題だ。それについて相談とか、意見を聞くとか一切されていなかった。住民としては、自分勝手なことを言っていると思う。初めから低層住宅を作ってくれたらよかったというのが私の意見だ。

宮崎:今回市長も強い意気込みで取組まれている。改良住宅の建替も関係してくる。例外は作らないのか。

平井:そのように聞いている。

宮崎:今後千本の5階建てを建て替えるときもアウトか。

平井:高さは通常の例えば15mとか12mとかあるが、技術的なことはわからないが、そんなに高いものは建たないと思う。また、デザインなどの規制もある。これは錦林でも同じだと思う。また、養正・三条・崇仁・改進など10階建が6階とかになる。あるいは、養正では10階建てのものが15mしか建たないので、45階建てにしかならないと聞いている。まちづくりをしている側としても、このような規制に頭を悩ましている。ただ、京都の町の景観は国民的な財産という観点からすれば、どう保全していけばいいか、守っていけばいいのかを考えないといけないと思う。我々も考えていかねばならない。

宮崎:各地区とも、これから景観問題は民間マンションの問題ではなく、我々の建替えとか、まちづくりにかなり影響するということなので、皆さん肝に銘じてください。33uとか40uの古くて狭い住宅を建替えると、70uにしていくと21になり、当然戸数が減る。しかし高い建物はだめだ。そうなることを、課題であることを頭に入れてもらいたい。それからもう一つ、これまで建替えられた住宅で、たとえば高齢者、障害者に優しいなど、お年寄りや障害者に喜ばれた事例を教えてほしい。

井ノ口:建替えた棟に関しては、エレベーターもあり、部屋の中の段差がほとんどないことが特徴的だ。

宮崎:壬生では、学区全体で、安心・安全をキーワードに、防犯・防災について配慮した取組みを行っている。高齢者や障害者が悪徳商法の被害にあわないようにとかいう観点から取組んでいる。かつての、総合計画案のときは、京都市は各局が集まって議論して進めていたが、今のまちづくりは、すまいまちづくり課が事務局ということでやられている。高齢者、障害者対策をやる保健福祉局が議論に入っていない。必要な各局が集まって取組む、総合行政が必要であると思う。今、関係課長会議とかありますか。

平井:一部やっているところもあるが、先ほど住環境整備指針の中で地区内の公共施設の有効活用、福祉のネットワークの活用の仕方などについて、踏み込んで進んでいないのが実情だ。住宅と福祉との連携も、十分でない面も多いのではないか。ただ、かつての総合行政のようなものではないのかもしれないが、個別の課題で、個別の局との連携は進めているつもりだ。道路の整備であれば、建設局と一緒になり、ワークショップを進めたりしている。今後は、さらに各局との連携を強めなければならない。

宮崎:京都市は公営住宅、改良住宅でエレベーターと段差の解消だけで、ユニバーサルデザインができていない。高齢者、障害者に優しいものが必要だと思う。ユニバーサルデザインの条例を見る限り、改良住宅を点検したら、ぜんぜんできてない。これからは、その観点で考えていくべきだ。それには、関係課長会議をやるシステムを作る必要がある。それから、三条のような利便性の高い地域の改良住宅の家賃がどのくらいで、どうして決められているのか、どのように住民に説明したのか教えてほしい。

安田:家賃の問題は、三条まちづくり協議会としては、応能応益家賃導入の際に、反対の要望書を京都市に出した。本来改良住宅は目的があってつくられた住宅であり、基本的には永住できる、定住できる、同和問題を解決していく視点がそこにある。現実的な問題としては、高齢者の一人住まい、独居世帯が非常に多く、生活保護を受けている人が多いのが現実だ。本当はこの住宅に住んで欲しいと思う若い層が収入が増えて、応能応益のため家賃が上がるため出ていく。結局、住宅は昔の危険家屋が鉄筋コンクリートの家に変り、生活の面では便利になってはいるが、残っているのは力の弱い人たちだけだ。そのまちを作っていこうという人が外に出ざるを得ない状況になっているというのが三条の現状だ。正直に言えば孤独死問題もあるし、福祉の関係も抱えてる課題が現実にある。

宮崎:次に公営住宅法施行令が改正についてだが、一つは、収入基準の見直し、これは家賃に反映する。もう一つは入居の見直し。これは、子や孫への承継できなというものだ。この改正は、具体的に各地域の皆さんの生活に関係することだ。このような内容でいいか。

平井:入居収入基準とは、公営住宅に入居する所得階層がさらに厳しくなる。元々、国の考え方が公営住宅等に入居している人と、民間に入居している人、民間に入居していて公営住宅に入居したいと思って応募していて当たらない人との格差をなくす、公営住宅を民間のマンションに近づけるという考えがある。あと、入居収入基準と応益係数の家賃の算定基礎の関係の見直しをする。算定基礎も、今の家賃の算定方法が、近傍同種家賃、市営住宅の近くの民間マンションの家賃なども考慮に入れて計算している。結果として、そういったマンションの家賃に近づけようとしている。家賃は上ると思われ、下がることはあまりないと思われる。従って、改良住宅の家賃も上がる方向での改正になるのかなと感じている。

宮崎:これで、千本、三条のまちづくりの取組、そして京都市が今考えようとしている計画などが、各地のまちづくりにどうかかわるかということがおぼろげに見えてきたと思う。

安田:はじめて、国や京都市の考え方の説明を受け勉強した。何らかの方向性を我々自身も出さねばならない。住人の立場になってものを見、考える。そうしないと、まちづくりは誰のために、何のためにするのかということが見えてこない。今言われている住宅の制度や仕組みについても、同和地区、部落差別をなくしていくために、同和地区の取組みとして、このまちをどうしたいのか。これ抜きには結論は出ない。部落差別問題を解決するため、部落の人が胸張って生きていけるまち・社会を作りたいという思いで部落開放運動やまちづくり運動をしている。人間が変わっていくための取組みを中心に考えるべきだと思う。しかし、三条では、そういう考え方を持ち、まちを変えようとする人を十分育てられていない。意識をもって、何とかしなければならないという思いの人が、今は外にいるけど、いつか帰ってきて住めるような環境を作ることも考えていくべきだ。まちの中の活性とか、コミュニティの創造とか、口では言うが誰がするのか。担う人を増やしていかないとこういったものは作れない。非常に沢山、活動している人たちが部落から出ている。それを戻す方法を、住宅政策の中で根本的に考えなければいけないと思う。今は、京都市や国が出してくる制度やシステムに対して、住民の側からいかに対抗していけるような方法や知恵を出していく時代かなと思う。そういう意味では、専門家の人や頭の柔らかい学生の支援や協力をどのように作っていくのかこれから重要だと思う。

宮崎:活動したメンバー、いわゆる経済的安定層が地区外に流出し、リタイヤ組、退職者などのお年寄りなどの生活困難層が残っている。出て行った若者を戻すには、色々なメニューを作る必要がある。以前の分科会で提案したのは、永住できる、安心して住み続けられる、それは人口流出を引き止めるというものだ。これは個人的な見解だが、高齢者をどうするかが大事だ。生活に困った人が帰ってきてもいいと思う仕組みを作り、周辺の人が町内に来てもらえる、例えば、隣保館の活用というのが具体的な道だと思う。公共施設の利用でも、地域に応じた事業が自由に出来るようにする。隣保館を、最終的には地区の生活相談を残しつつ、障害者の拠点施設や、人権センターの拠点、あるところでは区役所の証明発行コーナーの機能も併せ持つ、そういう地域の特徴のあるようにするのもいい。定住人口を求めるのと違う視点で、交流人口を求める。それで活性化を図る。そのためにコミセンの考え方を変える。また、改良住宅の建替時に、小さいスーパーを1階部分入れたら、また違う蘇るものがあるのではないか。昨年の分科会で丸山さんの発表であったが、東急不動産とイオンが一緒になってまちづくりを考えたそうだ。そういう方法というのは考えられないか。

安田:私のまちづくりキーワードは、雇用の創出だ。そこに行けば仕事がある、そこに行ったら生活できるというものがまちづくりの中でやれないかと考えている。三条でも、高齢者問題、障害者の問題で困っている。例えば、若い人にヘルパーの2級や介護福祉士の資格など取らせ、地域で働けるデイサービスの施設があり、そこに誘導できる計画的な人づくりというかまちづくりというのは、今日までやられていない。住宅の下にデイサービスを合築で作るような方向が、国土交通省とかでもできている。三条でもそのような取組も考えている。単に施設を作るだけでなく、そこで働く人材作り、運営も自らしたい。出来なければ、これを社会福祉法人に頼むとしても、そこで働く人の半分はその地域で採用すると雇用につなげる、生活できる状況を作るという視点で物事を進めていかないと、まちの活性は中々難しいと思う。また、建替が本当にいいのかと最近考えている。住宅の中に現実には空き部屋もある。今一番困っているのはエレベーターだ。日常生活で困っているお年寄りが多い。これは三条だけではないと思う。そういう問題も含め、今までと違う住宅政策のあり方も考えていく必要があると思う。宮崎さんが言われるような、隣保館のことも含めて、今のままではだめだとい危機感は共有できていると思う。

宮崎:先ほどの公営住宅法の改正の問題で、入居の承認が一代限りになると、色々な問題が出てくる。そこで、例えば高齢者のグループホームや障害者の施設を、建替えの時に入れ、それを社会福祉法人に貸す。障害者を定住させ、食事や金銭管理を法人がやる。雇用を前提に空き部屋を使ってもう。それから、 22uの小部屋をお年寄りのグループホームにし、2階部分は共有スペースにし、サロンにする。24時間ナースコール対応をやってみたいなと壬生では思っている。死ぬときは子供や孫に看取られて死にたいと誰でも思う。高齢者のグループホームを、東九条の市営住宅でやられているように、少し工夫してやれるのではいか。そうすれば、年寄りが帰ってくるのではないか。

平井:今の高齢者の問題でグループホームの提案もあったが、建替えの中で、高齢者の居住面積について、今55uと70uの住居を作っているが、高齢者の12人暮らしでも、孫が帰って来た時にと70uを選択される方もいる。それぞれの世帯にあった居住面積水準を考れば、高齢者12人なら40uでいいのかなと思う。40uというと昭和30年代後半に建てた改良住宅広さだ。単に建替ではなく、別の使い方があるのかなと。その時にグループホームなどの考え方もあるし、トータルリモデル事業というのも考えたらいいのかと思う。

宮崎:お年寄りが、特養にいかなくてもいいように、グループホームをやることにより、お年よりも安心して住め、住宅を有効活用できないかと考えている。

安田:現実の問題、グループホームにしてもデイサービスセンターにしても、その学区にすでにあれば、公設民営ではそれは一つあるからといおうことになる。昔我々の先輩はよく言っていたが、部落の土地と建物を地元に帰してくれという極端なことでもやらなければ、今ようなことの不可能ではないか。まちづくりと言いながら難しい問題というものは沢山ある。コミセンの使い方でも、そこできることは限られているし、色んな課題がある。考え方の方向は宮崎さんと私は同じだし、現実に西三条でやれたらいいと思うし、三条でもやれるように持っていきたい。しかし、そこで実際出てくる問題点、都市計画はOKだが保健福祉局はだめといわれる。まちづくりとは総合行政でやるべきだが、今はそうではない。就労を作るという共通の問題意識はあるが、どう連携しながら、同和施策ではなく、一般政策を有効に活用して就労の問題の解決の道筋を作るということを、総合行政的な視点で取組む必要があると思う。

平井:我々がまちづくりをやるなかで、連携が必要だというのはよくわかっているが、音頭を取る部署がない。地元が行政をしかってでもやっていくというのがあってもいいと、そんな気がする。

宮崎:福祉で人権のまち、福祉施策を活用して各地域を人権のまちにしようと、その施策は、高齢福祉や児童福祉や障害者福祉など様々な福祉があるが、それらを全部点検して、使えるものは全部使う。それでまちを作れば、それが福祉で人権のまちになる。それには都市計画局だけではできない。福祉のまち、人権のまちを作ろうとしたら、文化市民局や保健福祉局などは最低入らねばならない。そうしないと、まちづくりは本当に建替だけになる。そうならないように、庁内の調整会議を作ってほしい。

井ノ口:コーポラティブ住宅のことだが、たまたま1階に鍼灸院の人が入居するので、店舗兼住宅として、地元の診療所と提携して福祉も充実させていこうと、じうんでは思っている。

安田:NPO法人「東三条希望の会」の取組の一つとして、三条だけでなく、東山区の周辺の高齢者に月〜金曜日に配食サービス事業を社会福祉協議会から委託を受け、2000年から地元雇用で行っている。その取組で、三条の高齢者の実態や東山に困っているお年寄りが沢山いることがわかった。地域に密着した高齢者の取組みは大変重要だ。そこから、まちづくりは部落だけでなく、我々が今まで取組んできたいいものを広げていくような運動をすることが大事だと思う。あとアピールだが、3月に春の風物詩として協議会で、白川学区全体で花灯篭を子供と一緒に作るという取組を行う。

平井:今日は福祉施策との連携を含めて、非常に勉強させてもらった。今後ますます高齢化率が高まる中で、福祉施策と連携という非常に大きな課題をいただいた。引き続き高齢者施策との連携については検討したい。また、コーポラティブ住宅の取組みでは、多様な住宅供給として新たなまちづくりにとっての一つの視点と考えている。多様な階層の人が住み続けられる、多様な世代が住み続けられるまちが必要だと思っており、パイロットプランとして非常に大きな役割を果たすと考えている。こういう施策が広がればいいと思う。今後とも住民の皆さんと連携したまちづくりを進めたいので、御協力お願いします。

宮崎:かつては、隣保館や消防や保健所などが一緒になって総合行政として同和行政として行われていた。行政は総合行政でやるべきだ。これからの建替は同和対策事業ではないにもかかわらず、都市計画局一局だけでやろうとしている。同和行政の時代は、まちづくりをするために総合行政でやっていた。同和行政時代にやっていた、いいやり方を使うべきだ。

壬生での取組だが、障害者を地元でキーワードにまちづくり協議会今月正式に立ち上げる。私は、障害者施設を取り込んで、福祉と人権のまちを作ろうと思っている。上花田で建替計画があるが、樫の木学園という施設が西三条にあるが、今度、樫の木・西院・上花田フェスタという名称で今度祭をやる。障害者と一緒に食券に絵を描くなどして工夫をしている。障害者問題をやっていると言っても、関わって一緒にやらないと、人間のふれあい、出会いというのは体験できない。来年、各地区にある施設、社会福祉施設と連携できるような福祉で人権のまちを作れるように、各地域で取組んでいただいたらありがたいと思う。今日の討議を、少しでも各地域の取組の参考にしてもらえればと思う。

 

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